ブログ書くのめちゃ久しぶりだ〜〜


はい、ご無沙汰です。


ちょっと日が経っちゃったけど、、今日は、この前の日曜日の「からくり道場」について書きます。



からくり道場は、マイ・ココロの師匠、ひらいなずさんのセミナー卒業生とか、いろいろとご縁がある人たちが、月に一度、集まってくる場。
 



一応、毎回テーマがあって、なずさんとちかさんがそれについてトークする、という意味では、レクチャー的な設定の場なのだけど、、、

 


通常の「セミナー」とか「講座」という枠には収まらない、同窓会やサークルのような和やかな空気で、、


とにかく、なんとも居心地がいい場、なのである。


で、、、今月のテーマは


「自分の世界観を再構築する」


これについて、ちょっと書いておきたいことがあってね。


長文だから、ゆっくり読んでね〜



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「世界観」


ちょっと難しい言葉だけど、僕は、


「ヒトが周りの世界を見たり、周囲と何かやりとりをするときに、心の中で無意識に採用している、自分の在り方の“基本姿勢”のようなもの」

 

 

といった形で理解している。

 


無意識にやってることだからあんがい意識しにくいんだけど、人間は誰でも心のうちに、「世の中ってのはこういうものだ」「人の心はこういうものだよ」といった感じの、基本的な指針、枠組みを持っている。

 

 

その枠組みに沿って、物事を理解したり、自分の行動を決めたりするわけだ。

 

 

例えば、、、

 

 

とある著名人が、「災害の被災地に1億円寄付した」なんていう話があったとしよう。

 

それを耳にしたとき、、、「いやぁ、立派だねー、さすがだねー」って素朴に感嘆する人もいれば、

 

「ふん、どうせ売名行為でしょ」なんて斜に構えて受け取る人もいるだろう。

 

こういうのが、話を受け取った人の“世界観”の違いの表れ、というわけだ。

前者の人はきっと、「旅は道連れ世は情け」みたいな世界観を持っているんだろう。対して後者の人の世界観は、「人を見たら泥棒と思え」って感じかもしれない。

 

 

 


そんなふうに心の中の基本姿勢が違うと、、、同じ話を聞いても、心の中から湧いてくる具体的な反応が、まるで違ってくる。

 

 

 

もう一つ例を出そうか。

 

 

 

僕は北海道出身で、18歳で大学に入ったとき、京都で一人暮らしを始めたんだけど、、、


 

関西文化圏に広く浸透している、「笑いを取れるネタを“オイシイ”と感じる」という価値観(≒世界観)がなかなか馴染めなくて(笑)、けっこう苦労したんだ。

 

 

 

何かやらかしたとき、周りはここぞとばかりに突っ込んでくるわけだけど、それがまるで「責められてる」ように感じられるんだよね。だから、突っ込まれると困惑してしまう。

 

すると、、、周りから見たら、「せっかく“オイシイ”場面を盛り立ててあげてるのに、なにしてんねんお前」って感じになっちゃう。

 

 

あ、、、関西の人たちは、こういう瞬間、咄嗟に「おいしいっ!」って感じてるんだ、ということに気づくまでに、、、けっこう時間がかかった。

 

 

 

こんなのも、世界観の違い。




まあ、いろんな世界観がある中で、どれかが正解でほかはダメ、ってことではないんだけど、、



世界観が歪んだりひねくれたり斜めだったりすることによって、世の中とうまく適合できず、生きづらい状況に陥っている、というのは、ありがちなことだという。



だから、行きづらい状況に直面している人は、自分の世界観を見つめ直すといい。多くの系列の心理学は、そういうふうに教えている。

 

 

 

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で、、今回の、からくり道場ですが。

 

 

 

今回、実は、道場の前の時間(からくりマルシェ(仮)の枠)を使って、道場の常連メンバーであるふみが、「身体調整ワーク」をやることになっていた。

ふみは、合気道とか気功とか、そういう身体系のことをいろいろ長年やってきた、とのことで、、実は、そっち方面の心得があるらしい。

 

そこで、基本的な身体技法を、希望する皆さんに伝授しましょう、ということになったわけだ。

 

 

 

 

で、、、それをやる、と決まったのが、ちょうど1カ月前、3月のからくり道場のときだったらしいんだけど、、、

 

その日はちょうど、クラスタ(ライブハウス)の緊急事態宣言明けイベントと日程が重なっていて、、、

 

僕はライブイベントの方に行ってたので、3月の道場は欠席だったのね。

 

 

 

 

だから、ふみのワークのことは何も知らなかった。




1カ月、ずーっと知らなかった。

 

 

 

 

それで、道場の前日(4月10日)に、Facebookのからくりマルシェ(仮)のグループで、「明日の道場は誰がくるの〜?」って感じで書き込みしたところ、、

 

 

 

 

ふみみから、「私は道場の前の、ふみのワークショップから参加するよ〜」っていう返事が来て、、、




は? ふみのワークショップ??? 、えっーーー???? 何それーーー😮😮😮 聞いてないよ〜〜!!!💢💢💢💢




、、、っていう気分が、ピューって湧いてきた、のよ。



まあ、僕は一応、自分がからくりマルシェ(仮)の“運営責任者”だ、って思ってるからね。

 

 

 

なのに、自分の知らないところでマルシェ(仮)のイベント企画が立ち上がっていたらしく、、、



しかも、、、、自分はそのことを、、前日まで誰からも知らされてなかった、、、誰も教えてくれなかった〜〜




えーーーー、何だよそれ〜〜〜〜〜〜😭😡😭😡😭😡😭😡😭😡😭💢💢💢💢




ってことで、、、




いっきに拗ね拗ねモードに入った僕は、Facebookのグループで、、



「えー、もっと早く教えてよ〜〜、都合が悪いから行かないよ〜〜〜」って書き込んでた。笑



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で、、、まあ、、そんな書き込みをしたことでちょっとは溜飲が下がったんだろう(笑)、、、


書いた後、少し落ち着いた僕は、、、この出来事の意味合いというか、心のうちの構造について、思いを巡らせ始めていた。




で、、ふと、目に止まったのが、、その日の道場のテーマ=「世界観」。



ああ、これはまさに、「世界観」がらみの出来事だよな、って思ったわけよ。

 

 


自分の中に何か歪んだ感じの世界観があって、、、それの作用で、こういう気持ちが湧き上がっているんだな、と。



そう。何かネガティブな感じの感情がピューって吹き出てきた時は、、自分の心の中の世界観を見つけるための、絶好のチャンスなのだ。

 

 

 


まあ、、、今回の場合、なんとなく、見当はついていた。



「どうせ、僕がいない方がみんな楽しいんでしょ」

 

 

 

みたいなやつだ。



心屋で、心のことを学び始めて、もう4、5年になる。自分の心の中の「どうせ」探しは、散々やってきたからね。

 

 

 

こういう感じのすねきった観念が、自分の心の奥にガッチリと巣食っていることは、なんとなくわかっていた。

 

 

 

でも、、



できればそういうのは手放してしまいたい、と、ずっと思っているにも関わらず、まだこうやって心の中で活発に働いているところを見ると、、



「なんとなくわかってる」だけで、決着はまだついてないってことだ。




それで、ね、、



仁さんは以前、魔法の言葉として、よく「どうせ私は愛される」というフレーズを口にしていた。

 

 

これはたぶん、「どうせ僕なんか、、」的な世界観をひっくり返すための定番フレーズ、という位置付けなんだと思うけど、、

 

僕の個人的な感覚では、、この「どうせ愛される」というセリフは、、なんか、しっくりこないんだよね。

 

 

これはあくまでも、僕の感性では、っていう話ね。自分にはどうも、ピタッとハマらない。

 

 

 

 

だとすれば、、、自分にしっくりくる別の何かを、自分で見つけなきゃいけないわけだ。

 

 

 

 

それで、、、ふと、こんなことを思いついた。



「どうせ自分なんかいない方が、、、」的なのとは真逆の世界観、例えば、「僕がいるからみんなハッピーだよね」のような感じの世界観をしっかり心の中に持っているであろう具体的な人物を設定して、、


その人がもしこんな状況に直面したら、どんな気分になるか、イメージしてみたらどうかな、、と。

 

 

「言葉」じゃなく、「人物イメージ」を使って、世界観に働きかけるアプローチ。

 

 

 

 

具体的な人物としてぱっとひらめいたのは、、なぜか、書道家の武田双雲さん。

 

 

 

双雲さん、直接の面識はないです。だけど、彼の家族や友人など、かなり近しい人とはけっこういろいろと接点があって。

 

 

そこから漏れ伝わってくる雰囲気とか、最近ならclubhouseで連日耳にする彼のトークとか、、

 

 

そういうのを介して自分の中に形成された、仮想「武田双雲イメージ」(世界観)っていうのが、僕の中にあった。



で、、それを自分にカチャンとセットしたとき、、、

 

 

 

さっきの「え〜〜〜聞いてないよ〜〜」みたいな状況に対して、どんな気持ちが湧いてくるんだろう、と、そんなことを思ったわけですよ。

 

 

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双雲さんは書家だから、たぶん書道教室とかやってて、お弟子さんもたくさんいるんだろう。

じゃあ例えば、そのお弟子さんたちが、双雲さんの知らないところで、書のグループ展の企画を立てていた、としよう。

 

いろんなアイデアが出て、ああそれいいね〜〜、とかって打ち合わせが盛り上がって、、会のコンセプト、日程、会場なんかもどんどん決まった。

 

ただ、、みんなうっかりしていて、師匠の双雲さんに話を伝えるのを、忘れてた、と。





それで、、開催日の前日になって、「実は明日、こんな会をやるんです」って、双雲さんに伝えたとしたら、、、


 

彼は果たして、どんな気分になるだろう?



僕がイメージする「仮想武田双雲的世界観」に、自分の体を当てはめて、そこでどんな気分が湧いてくるか、、、想像してみた。

 

 

 

そしたら、ね。

 

 

 

「えっ。。俺の知らないところで、そんなイベント企画を練り上げて実現しちゃうなんて、、、

 

 

このメンバー、、最高じゃん❣️❣️❣️❣️」


っていう気持ちが、湧いてきた。


さらに、、、



「そんな弟子たちを育てあげたなんて、、、オレ、サイコーー❣️❣️❣️❣️❣️❣️❣️❣️」



っていう気持ちも出てきた。

 

 

 

へーー、なんと。こんな気持ちが湧いてくるのか〜〜


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、、、、誤解のないように書いておきますが(まあ誰も誤解しないと思うけど、念のために、ね)、、


これはあくまでも、僕の頭の中の妄想ワールドで起きたことであり、、


現実の武田双雲さんとはまったく無関係です。勝手に名前使ってごめんなさい。




双雲さんはキャラの立った著名人なので、僕の頭の中には、「双雲さんってきっとこんな人だよね」っていうイメージが形成されている。


で、、このお話は、そのイメージを利用して、僕の心に根付いている世界観を、一時的に別のもの(仮想武田双雲的世界観)にすげ替えてみたら、、



心の中に、果たしてどんな気分が湧いてくるだろうか、という実験、なのである。



なので、、、設定上は「武田双雲」という別人格の名を借りているけれど、、、



これはどこまでも、自分の心の中の現象であり、、、そこで湧いてきた感情や気分は、正真正銘、自分自身の中から湧いてきたものなのだ。



だから、、、さっき書いた、「へーこんな気持ちが湧いてくるのか〜〜」の意味合いは、、



双雲さんはこんな気持ちになるのか、ではなくて、



へー自分の中にこんな気持ちがあったんだ、という、「自分の発見」として、感じられるのである。


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多くの人が、自分自身について、「私はこんな性格だ」とか、「こういうのが私らしい」などといろんな色づけをして、理解している。


私は怒りっぽいとか。愛がないとか。自己肯定感が低い、とか。




でも、そういうものの多くが、実は自分固有の性質というよりも、「世界観」という初期設定によってたまたま生じた表現形だったりするのだ。



同じシステム(心と体)でも、違う初期設定(世界観)を入れてやると、、あらびっくり、全く違う表現系が現れたりする。



今回の僕の場合がそうだ。最初のように、「どうせ自分なんかいないほうが、、」という初期設定を入れてシステムを動かすと、「なんだよオレがいないとこでみんな決めたのかよ、へーん、行かないよーだ!」っていう拗ね拗ね気分が湧いてきたのだけれど、、



同じシステムに、「仮想武田双雲」という初期設定を入れると、、、



「オレがいなくてもみんなこんなに決めちゃうなんて、、、最高じゃん!」



っていう心沸き立つような感動気分が、湧いてきちゃったのである。



いや正直なところ、、、これはね、自分でもちょっとびっくりした。



へーーー。こんな気持ちが、自分の中から出てくるんだ〜〜ってね。けっこう、感動したよ。



だって、自分が記憶してる限り、僕という人間は子供の頃から、こういうタイプの状況に置かれたら、ぷんっってむくれて、ヘソを曲げて、すねて、ボイコットする、そういう人だったから。



そういう行動を取るのは、自分の性格なんだ。ずーっと、そう思っていた。



でも、実はそれと全然違う気持ちが、自分の中に存在していた。初期設定をちょっと変えるだけで、そんな気持ちが実際に湧いてきたのだ。



もちろん、これはどこまでも「仮想実験」ではある。


でも、湧いてきた気持ちは、リアルなものだ。それは、感じて、味わってみれば、自分でわかる。


そうか、初期設定が違ってただけなんだ。そこさえ動けば、自分自身は今のままでなにも変わらなくても、オッケーなんだ。





、、、、というわけで、、



すっかり気が晴れた僕は、Facebookのグループに、、



「“都合がついた”から、ふみのワークショップ、いくよ〜💕💕💕」って書き込んでた。笑


 

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からくり道場の当日、なずさんがこんな話をしていた。


「心屋では最初、『嫌なことはやらない』ってやるでしょ。それは、嫌なことを長年我慢してやり続けてきた人にとっては、まず必要なアドバイス。でも、残りの人生ずっと、その『嫌なこと』を避けていくのがいいのかというと、そういうことじゃないよね」


「かといって、元々の『嫌なことを我慢してやる』に戻れ、って言ってるわけでもないのよ」


これ、、言葉だけ聞くと、なんか禅問答みたいに聞こえるかもしれないけど、、



世界観(初期設定)、というポイントを念頭に置くと、意味することがなんとなく見えてくる。



最初に感じていた「嫌なこと」っていう、その気持ちの奥には、それを「嫌なこと」と感じさせしめるような世界観が、きっと何かあるんだよね。


もしかしたら、ちょっとひねくれた世界観の影響で、それを「嫌なこと」と捉えてきたかもしれない。



だけど、、、



世界観の設定が変化すれば、、もしかしたらそれは、もはや「嫌なこと」ではないかも、、あるいはもしかしたら、大好きなこと、なのかもしれない。





でも、、その設定はどうやって変化するの?





ということを考える上で、このブログが何かの足しになれば幸いです。