会社員だった頃。お金を稼ぐことはイコール、我慢することだった。
 

 

 

嫌なこと(仕事)を我慢して、やる。そんな時間の切り売りのバーターとして、給料をもらう。

お金=我慢料、という認識だった。
 

これ、実は、新入社員研修の時に人事部の人からはっきり言われた言葉でもある。「サラリーマンの給料は、我慢料だからね」って。なんとまあ、明確な社員教育だこと。笑

 

 

 

 

心屋を知って、仁さんの話を聞いて、我慢をやめることにした。
 

 

で、、そうなったときに、じゃあどうやってお金を稼ぐの? というのが、基本的な疑問として出てきた。

 

 

楽しいことをやっていれば、そこからお金が湧いてくるようになるんだろうか?って、そんな期待感もちょっとあったけど、どうやらそこまで単純じゃないようだ。今のところ、そんな気配はない。笑



 

ってことは、「我慢」の他にも、お金の巡りにブレーキかけている思い込みが、何かあるのかな、、って、ずーっと、そんなことをぼんやりと思っていた。
 

 

 

で、、去年の暮れ頃。ふと、その「他のブレーキ」ってなんだろう?っ てところに、意識が向いて。


 

それで一つ気になったのが、これ。


 

お金を「貯める」と心が安らぎ(安心し)、お金を「使う」(残高が減る)と不快(不安)になる、という心の動きだ。


いや、それは当然でしょ、って思うかもしれないけど。

 

でも、、楽しいことにお金を使うのだから、ワクワクとか、うれしいとか、そういう気持ちが湧いても良さそうなものなのに。


「お金が減る」という現象に対しては、一律に、嫌なこと、残念なこと、という心の反応が立ち上がる。
 

 

そのお金で購入したモノやサービスを使ってる時はすごく楽しんでいる、という場合でも、「お金が減る」という側面に意識が向いた途端に、あーあって気分になる。


 

 

これは、どこからきてるんだろう?って、いろいろ考えていて、、、




ああ、そういえばー、、、、って思い出したのが、子供の頃によく聞いた、こんな母親の言葉だ。
 

 

 

 

「お金は貯金しておきなさい。ほんとに困った時、助けてくれるのはお金だけだから。人は、助けてなんてくれないから」

 


 

 

子供の頃、お年玉とかでちょっとまとまったお金を手にした時、必ずこんな風に言われて、貯金をしていた。
 

 

貯金さえしていれば、何があっても安心なんだ、って、そんな気持ちが育っていった。

 

 

 

まあ、困ったときお金が助けてくれる、っていうのはいいとして。
 

 

「人は助けてくれない」の方は、いかにも余計だよね、今思えば。

 

 

でも、それが母親の人生哲学だったんだろう。

 

 

で、、、それがそのまんま、自分の中にガシッと根付いた。

 

 

お金の最善の取り扱い方は、貯めることである。なぜならば、困った時、人は助けてくれないから、と。




使って楽しむより、「いつか困るかも」に備えて貯めることの方が、尊い。


キリギリスより、アリ。そんな人生哲学。

 

 

いや、アリは、みんなでため込んでるよね。つまり、アリ集団の中では、助け合いもあるんだろう,たぶん。


僕は、一人で、ため込んでいた。

 

 

貯めることは、「人の世話にならないで生きていくこと」。そうやってこの先も一人で生きていくんだ、と思ってたわけだ。

 

 

 

 

あー、、これを抱え込んできたのかー、って、気がついた。

 

 

単に「我慢」だけじゃなくて、、、


人は助けてくれないから、“自助”で生きるしかない。だから、貯めるんだ、って、そういう世界観を、自分の周りに鎧のように積み上げていた。

 

 

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本田孝一さん(こーちゃん)の本に、こんな話が載っている。


こーちゃんがあるとき、師匠の竹田和平さん(日本一の個人投資家)に「お金ってなんですか?」って聞いた。そしたら和平さんは、こう答えたんだって。

 

 

 

「お金は、愛の光だがねぇ~」
 

 

 

この言葉、初めて見た時から、何かすごいなー、ありがたそうな話だなー、って思って、記憶に残っていたんだけど。。。

 

 

正直なところ、何それ、意味わかんね~わっていう感覚も強くて。笑

 

 

 

そりゃあ、「人は助けてくれないものだ」という信念を心の奥にガシッと抱え込んだままでは、、、いくら「お金は愛の光だ」なんてありがたいお題目を聞いても、ピンと来ない。当然だよね。


だから、、逆にいうと、、

 

 

その信念が、「人はけっこう助けてくれる」とかってひっくり返れば、、

 

 

 

「お金は、愛の光だがねぇ~」という言葉も、なんらかのリアルな実感を伴って受け取れるようになるんじゃなかろうか、と、そういうことだよね。うん。