子供の頃に、「泣いた赤鬼」という絵本が好きだった。
村人と仲良くしたくて悩む赤鬼くんのために、自ら悪者になり、そして去って行った青鬼くん
友情という言葉だけで語るにはチープすぎる熱い話に、子供ながらに胸がせつなくなった。
今でもボクの中では「かた足ダチョウのエルフ」「わたしのいもうと」と並んで、タイトルを見ただけで涙腺が決壊しそうな絵本BEST3に違いない。
ただ、この「泣いた赤鬼」のような話は、日本の歴史の中で幾度かある話なのだ。
そのうちの一つが、池間哲郎先生に教えていただいた、太平洋戦争時のペリリュー島の話だ。
ペリリュー島というのは、現在のパラオ共和国に位置する島で、当時は日本兵が駐留し、アメリカ海軍との攻防戦が行われた場所だ。
-以下転載-
日本兵とペリリュー島の人々は共に語り、唄い、手を繋ぐ、固い友情が育まれ「島民は日本軍人を愛してやまなかった」と言います。
戦争末期、いよいよ米軍が押し寄せて来る。
実質戦闘員約15倍、兵器物量約600倍の圧倒的米軍有利な戦局。
日本軍玉砕は確実だった。
島民は「愛する日本兵と共に戦い、自分たちも死んで行く」と覚悟を決め、中川守備隊長へ「自分たちも戦わせて下さい」と申し入れる。
日頃、温厚な隊長は、その言葉を聞いた瞬間、激高し「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」と大声で怒鳴りつけた。
「土人?」「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの思いは見せかけだったのか?」「やはり、こいつらは自分たちを見下げていたのだ」と人々は怒りと悲しみで拳を震わせた。
島からの避難船に島民は乗り込む。
日本兵は誰一人として見送る者は居ない。
日本人への怒りと憎しみの思いが溢れる。
船が避難先へ向かう為、島を離れた瞬間、日本兵全員が真っ白な砂浜に現れた。
死を覚悟した日本兵たちが、笑顔で手を振り「達者で暮らせよ」と声をかける。
一緒に唄った日本の歌を大声で唄っている。
涙で顔を濡らす兵士も居る。
そして、その先頭には「土人」と自分たちを侮辱した中川隊長の姿が有った。
ペリリューの人々は悟った。
「土人」「あの言葉は自分たちを救うため」「自分たちを戦闘に巻き込まないため」だったと。
島民の目からは、止めども無く涙が溢れた。
その後、アメリカ海軍との攻防戦は、圧倒的な劣勢の状態にも関わらず73日間続いたという。
日本兵はすべて命を失ったが、パラオの人たちは誰一人命を失うことはなかった。
そしてパラオの国旗は、日の丸をモチーフにした、海の上で輝く満月をデザインしたもの
しかし、満月は中央ではなく、ちょっと左に寄っているのだ。
日の丸に敬意を表するとともに、まったく同じでは畏れ多いという配慮なのだという。
学校では未だに、自虐的な歴史観を教えているようだが、ボクはこういう先人たちの話を子供たちにたくさん教えていってあげたいと思う。
ボクのように、勘違いした歴史認識を持った状態で大人になってほしくないからね!!