教える立場にいる人ほど教わる姿勢を持つ。
いつまでも学ぶ意欲を失わない。
この日も、高野登さん、松平洋史子さん、上田比呂志さんが学びにやってきた。研修講師やマナー講師などを数多くこなしている面々。
「四面楚歌」の語源を学んだ。
中国の秦が滅び、劉邦が即位する直前の紀元前202年の出来事が由来となった故事成語。
この出来事の主人公は、項羽と劉邦。
両者は天下争いのため、それぞれの軍隊を率いていた。
劉邦軍が優勢になり、項羽が追い詰められた時、劉邦軍の兵士達が項羽の故郷である楚の歌を盛んに歌い出す。
項羽は、楚の人間はみな劉邦軍に寝返ってしまったのかと驚き嘆いたという話が「四面楚歌」の語源。
実は、楚の歌を歌うというのは劉邦の作戦。
敵軍から項羽の故郷の歌が聞こえてくるということは、項羽軍はすでに劉邦軍に取り込まれたということ。項羽は降伏せざるを得なくなった。
「四面楚歌」とは敵に囲まれて孤立し、助けを求められない状況のこと。周りに味方がおらず、周囲が反対者ばかりである状況のこともいい、「孤立無援」とも言い換えられる。
「四面」は四方八方を表し、「楚歌」は古代中国の楚地方で存在していた歌謡、またはその形式にならった作品のことを指す。
もう一つの学び。
子曰く、之を導くに政を以ってし、之を斉える(ととのえる)に刑を以ってすれば、民免れて恥なし。これを導くに徳を以ってし、これを斉えるに礼を以ってすれば、恥有りて且つ格し(かつただし)。
高橋源一郎さんの超訳によると、「権力は法律に頼り過ぎ。法律作っても抜け道を考える輩が出てくる。また法律、また抜け道…の悪循環。それより人間が本来持っている美や正義、思いやり…『徳』を大切にする政治をしたらいい」。
これを「徳治政治」という。
だが、
一方的な規則で縛ろうとする風潮は、2500年前も今も変わらない。