こんにちは。
今回は偽預言者について取り上げます。
偽預言者について話す前に、まず混同されやすい「予言」と「預言」の違いからお話します。

 そもそも預言とは何か。

みなさんは預言と聞くと何を思い浮かべますか。
「預言」と聞くとノストラダムスやババ・バンガの予言などを思い浮かべたり、それらに加えてヨハネの黙示録なども「予言」と考えて思い浮かべるのではないかと思います。
また、ツイッターなどにいる「預言者」を名乗る人たちや「時代の中心者」を名乗るRAPTなどを連想する人もいるかもしれません。

 

しかし、ノストラダムスやRAPTなどは「予言者」であるかもしれませんが、「預言者」ではありません。
「『予言』と『預言』は同じじゃないの」と思う人がいると思いますが、これは違います。
「予言」の意味は、未来の物事を予測して言うこと。また、その言葉。引用元:コトバンク
予言というのは未来に起こることを確証がなく、その時その周りにある状況証拠のみで推測することです。(引用元:真の聖書福音と預言「聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編」)」
といった意味となります。
「預言」とは預言は、神から啓示を受けた人間がその言葉を代理で文書に残したり、語ったりするものです(引用元:真の聖書福音と預言「聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 前編」と説明されてる通りの意味となります。
「預言」は神からの啓示を受けた人がその言葉を代理で書いたり、語ったりすることで、ただ未来のことについて予測して語る「予言」とは異なるものであることがお分かりいただけたかと思います。

 予言に興味を抱くことの危険性

一般的に予言をする人たちは占星術などの占いによって予言をしているようです。ですが、そうしたことを神は禁じられています。 
旧約聖書 申命記 十八章十節〜十四節(ミカエルさんの訳)
あんた方の間に、自分の息子や娘に火の中を通らせる者、占い師、予言者、魔法使い、呪術師、呪文で魅了する者、口寄せ、霊媒者、降霊術者が見出されてはならない。これらのことを行う者はすべて、主にとって嫌悪やからや。これらの嫌悪の故に、あんたの神、主はその者らをあんた方の前から追い出されるであろう。あんたは、あんたの神、主と共に完全な者でないとあかん。あんたが支配するこれらの異邦人らは予言者や占い師に聞き従うが、あんたの神、主はあんたがそうすることをお許しにならへん。
上記聖句から占いなどは聖書で完全に禁じられていることがわかるかと思います。
また、霊媒をする行為も禁じられてることからチャネリングなども聖書で禁じられた行為であり、そうしたことをする人が「預言者」と名乗ってても信じてはいけません。
一般にありがちな「神のお告げ」、「主から御言葉をいただいた」等と言う者や聖書を少し交えて世のことばかりしきりに語る者が預言者ではありません。 
(中略)
過去記事巧みな欺瞞と真理で述べたとおり、占いや心霊術(チャネリング)等は罪であるとモーセの律法にあるとおりで、律法違反をしたり、聖書の真理から外れた言動をする者は偽預言者です。」 
上記でミカエルさんが仰ってるように、チャネリングなどをしている人は「預言者」ではなく、「偽預言者」となります。
そのため、スピリチュアルで有名なダリル・アンカ氏などを信じたり、占い師、また「予言」をする人たちを信用するのはやめてください。
 
ですが、こうしたものに興味を持つのは日本人が多いのが事実です。
いわゆる「世の真相に目覚めた」と言ってる人でもこうした罠に引っかかる人が多いです。
それはなぜなのでしょうか。
「私は、日本人の多くは、カルト宗教に傾倒し易いと思っています。なぜなら、日本人は、固定観念上に作られたレールから外れた人に寛容ではなく、周りの人間と異なることを恐れ、他人の目や評価、評判ばかり気にし、確固たる信念が希薄で、宗教嫌いに見えて、実は興味津々な人が多いからです。また、日々忙しい中で、潜在的に救いを求めているからです。
上記ミカエルさんの解説で指摘されてるように心のどこかで救いを求めてるから、占いなどに興味を持ち、実際にやってしまうのではないでしょうか。
今は血液型占いや星占い、タロット占いなどが手軽にできる環境にあり、多くの人は気軽にそれを楽しんでるものと思いますが、聖書ではそれは禁じられており、世間の人が良しとしてても絶対に止めるべきです。

 この終末の時代に現れる預言者とはどんな存在か

預言者と聞くと過去にいた人々だけを想像されるかと思いますが、マラキ書三章二十三節にはこの終末の時代にも預言者が現れることについて言及されています。
では、この終末時代に現れる預言者とはどんな存在なのでしょうか。

「世の終わりであるキリストの再臨前に現れる預言者は、主イエスの証しをし、語る内容が聖書の真理に合致し、エリヤがバアル崇拝の預言者と戦って勝ったように間違った信仰や教義を弾劾し、人々を真に悔い改めさせて、「逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する」(ルカ1:17)者で、エリヤのような存在です。ここでいう「逆らう者」というのは、悔い改めて主イエスに従う前の状態の人を指します」

上記でミカエルさんが解説されてるように、この終末時代に現れる預言者は誤った教義の弾劾をしたり、主イエスの証をする存在だと分かります。
しかし、多くの人はそれに気づくことはできないものと思われます。なぜなら、預言者は外見などでは判断できないからです。
らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた」(マタイ3:4)ような人を見たら、世の人間のほとんどは近づこうとしないでしょう。それは主イエスについても同様です。当時のユダヤ人たちは目の前でメシアの御姿を見て、主イエスの御言葉と御業を見聞きしていたのにも拘らず、彼らの大半は信じず、あらゆる策謀の果てに十字架に掛けました。旧約聖書に精通していたはずの律法学者やファリサイ派の人々でさえ、旧約聖書のメシア預言が主イエスのことであると見抜けず、かえって神の御子に対して激しい敵意を持って言葉尻を捉えようと質問して試したり(ルカ11:53~5)、殺そうと狙い続け、最終的に殺しました。まだ当時は選民であったユダヤ人も身近にいたメシアを認めず、迫害しました。」
また、エレミヤ書十一章十八節からのエレミヤの訴えから分かるように、預言者は決して人気者ではなく、むしろ疎まれ、憎まれる存在であると分かります。
なので、外見の良し悪しや耳障りのいいこと、希望を持たせてくれるようなことを言う人が「預言者」ということにはなりません。
むしろ、そうしたことを言う人は「偽預言者」の可能性があります。
エレミヤ書二十八章には、耳障りのいいことを言う偽預言者ハナンヤについて記録されています。
当時のユダ王国の状態から考えると、人々がハナンヤの話に耳を傾けてしまうのはある意味当然といえますが、偽預言に従うことは悪いことであることは揺るぎません。
エゼキエル書にはこうあります。
「お前たちは、わたしが苦しめようとはしていないのに、神に従う者の心を偽りをもって苦しめ、神に逆らう者の手を強め、彼らが悪の道から立ち帰って、命を得ることができないようにしている。」
‭‭[エゼキエル書‬ ‭十三章二十二節
甘言を用いて気休めを与えられても、その人の魂を救うことができないことは、上記聖句からわかるかと思います。
だから、耳障りのいいことを言う人に心酔したりしないでください。

 預言者と偽預言者の見分け方

偽預言者と本物の預言者の見分けかたは行いにあります。
先程引用したミカエルさんの解説を再度引用させていただきます。

「占いや心霊術(チャネリング)等は罪であるとモーセの律法にあるとおりで、律法違反をしたり、聖書の真理から外れた言動をする者は偽預言者です。

このミカエルさんの解説からわかるように、律法違反したりしてる人は預言者ではなく、偽預言者であるのです。

こうした偽預言者を見抜くためには、聖書を読まねばなりません。
神の律法のなどを知ることができないからです。
 
よくある誤解として、何か不思議な現象や癒しなどができる人が預言者というものがあります。
しかし、これは間違っています。

「ネットを見渡すと預言者と自称する者や超自然的な業をしてそれらしく振る舞ったりする者も居てるが、神の律法を守ってへん、主イエスの御言葉を守ってへん、パウロを擁護してる時点で彼らは皆、偽り者であることが分かる。偽使徒パウロの言葉を絶対視して主イエスや十二使徒の言葉に反してる者どもが非常に多く、この点でほんまもん(本物)かパチもん(偽物)かの区別は容易に出来る。

かつて洗礼者ヨハネに対して人々はヨハネによる福音書十章四十一節になんのしるしも行わなかったと言っており、奇跡を行う人ではなかったことがわかります。
主イエスは不思議な業をする偽預言者について警告されています。
「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。」
‭‭[マタイによる福音書‬ ‭二十四章二十四節]
近年はリバイバルなどの影響からか、不思議な業やしるしを行う人に「クリスチャン」を名乗る人たちに騙されてることがよく見受けられますが、こちらの記事こちらの記事を読んで不思議な業を行ってる人に騙されないようにしてください。
また、本物の預言者は自らを「預言者だ」と自称することはありません。
アモス書七章十四節には、アマツヤとの会話の中でアモスは自身は預言者ではない、と否定している場面が見られますし、洗礼者ヨハネもあの預言者なのですかと問われるとそれを否定したとヨハネによる福音書一章二十一節に書かれています。
預言者だからといって「預言者」と自称することはないということをわかっていただければと思います。

 今のままで迷いがある方へ。

「何を信じたらいいのかわからない」となってる方は決して珍しくないのだと思います。世の真相に目覚めた人なら、反ワクチンで庶民の味方と見せかけながら、実はそうでない人を見抜いたりした結果誰も信じられなくなってる人は珍しくないのではないでしょうか。
しかし、それは悪魔の罠であり、悪魔の術中にハマった証拠と言えます。

対立する両陣営に彼らの手駒を配置して、互いに争わせて疲弊させ、最終的には支配層の目的を達成する。庶民の味方ぶって善良に振る舞う人も居るけど、結局は支配層の思惑や目的を達成させるために働く工作員であることも多い。何故、支配層がそうするか考えたことがないやろ。世の支配層の人間どもは、悪魔崇拝者であり、反キリストであり、彼らは悪魔から悪知恵を貰て、そうしてるんや。その方が人々を惑わせられるし、混乱も起こせるし、誰を信用してええか分からんようにさせて真実さえも疑わせることが可能やからや。実際、コロナが嘘とかワクチンが人口削減と大衆支配のためとか、この地が球体やのうて平面であるといった真相に目覚めはしたが、不信仰の者は、与野党グルという事実や、庶民の味方をしてるようで実は支配層側の「改憲推進派の反ワクチン」という事実を知って、「もう誰を信じていいか分からなZい」と「疑心暗鬼を生ず」という状態になってる人が居る。これは、まんまと悪魔の罠に掛かってる状態や。

引用元:真の聖書福音と預言「偽使徒パウロの反キリスト教義 五」

世に数ある嘘(大地球体説、律法廃止論、宇宙、宇宙人、スピリチュアル、占いなど…)などに騙されてる方の中で、その信念や考えに限界を感じてる方は、この機会にぜひ聖書を読んでみてください。

回心の見込みがあるのは、不信仰の者や異教徒でも自分の信念に揺らぎや限界を感じている人です。今まで無神論者であったがそれではどうも説明し難いとかおかしいと思う不信仰の者、長年異教やカルトの宗教信者であって、おかしいと目が覚めて真理を渇望する人等は回心の見込みがあります。

聖書を読むことに抵抗がある方は結構いらっしゃるのだと思います。
ですが、この世界の支配層たちの行動の意図は聖書を読むことで本当の意味で理解できるものだと思います。例えば、性転換はこちらのツイートに書いてある通り、神の掟を破って悪魔に忠誠を示すことで、その見返りとして富や栄光を受けるためと考えられますし、こちらのツイートでは「15分都市」の影で「日曜休日」が推し進められてるという話が紹介されています。
ミカエルさんはこの点について気候変動を名目にして都市封鎖が必要とか、週に一度完全な休日にして、二酸化炭素排出量を減らす必要がある等と規制を敷く可能性が高い。それに日曜休業令が繋がる可能性もある。(引用元:真の聖書福音と預言「キリスト道 本拠」)と仰っています。
こうした動きが何故起こってるのか、理解するためにも聖書は読まねばなりません。
日曜日は、本物の安息日ではなく太陽神崇拝などがもとになってるもので、日曜礼拝して主を礼拝してるつもりになっても実際は悪魔を拝んでることになってしまいます。今ある地上の諸教会のほとんどは日曜日を安息日と思い込んでいますが、そうした教会からは離れてください。
しかし、聖書を読むにあたって未来に起こるであろうことを知りたいから預言書だけ読むことはお勧めしません。預言は預言書だけ読んでても理解できないからです。
だから、聖書を創世記からヨハネの黙示録まで通読してみてください。
その理由については、こちらの記事に詳しく書いてありますが、聖書を知らないと、誤った聖書理解に引っかかったりして、騙されてしまう可能性が高いからです。
なので、一から聖書を読んでみてください。
 
また仕事や家事で忙しい環境にいる方はご自身の生活様式を変えることをお勧めします。

忙しいとは、字の如く、「心を亡くしてる」、即ち、心が死んでる状態を意味するからや。ある程度の暇な時間が無いと、あれこれと考えたり調べたりする時間も余裕も無くなり、拙者が言うようなことをあんたらは考えもせえへんし、受け入れることもでけへんように思える。忙しいと嘆く位なら、今までの生活様式を一変させ、意図的に暇な時間、自由な時間を作らないかん。つまり、余裕が無い状況から脱する必要がある。拙者の言うことを聞かへん、真剣に考慮しようともせえへん要因の一つに時間や心に余裕が無いということがあろう。」

日本人の多く(全員ではないと思いますが)は、「忙しい」ことを良しとし「暇がある」ことを悪いと考えてる傾向にあると思いますが、忙しさがもたらす害は非常に大きいことが上記のミカエルさんの解説からわかるかと思います。
なので、少しずつでもいいので生活様式を変えるべきです。周りが理解してくれないから変えられないと嘆く人も中にはいると思いますが、言い訳していても仕方ありません。

「忙しくする原因を断ち切ることが肝要で、仕事が忙しいなら転職等をすべきやし、学業が忙しいならほんまにその勉強って必要かどうか考え直し、必須ではないならやめる英断も必要や。世俗的な用事も極力やらんで済むような努力をすべきやし、環境も自分で変えて行くべきや。他人が悪い等と他責にしてばかりの言い訳を続けても無駄ですよ。言い訳し続けてもあんたの運命は良うならへんさかい。」

助けが欲しいのなら、ミカエルさんが記事成功するためににて、人生に迷ってるなら、相談にも乗ります。人それぞれ人生もちゃいますし、置かれてる状況もちゃうのも分かってます。「決断し切れへん事情があって、どう処理して行けばええか分かりません」、「話を聞いてもらい、解決に導いて欲しい」等とお思いの方、是非、拙者が一緒に考えて助言を差し上げます。と声をかけてくださっています。ぜひ相談してみてください。ただ、質問する前の注意事項もありますので、「成功するために」の記事から質問する際の注意事項などをお読みの上、質問してください。

 もうもたもたしてる時間はない

みなさんご存知かもしれませんが、もう世の中は非常に悪くなっています。
例えばフランスでは、コロナワクチンの批判を禁ずる法律を可決させました。

 

 

日本も日本で今後憲法改悪によって、そのような世の中になる可能性が非常に高いです。
また、地方自治法改悪などの話も出てきています。
救いの恩恵期間は、キリストの再臨より前に終わってしまいます。

キリスト再臨までずっと主イエス・キリストが罪を赦す働きをすると思わないでください。いつ救いの機会が終わるか分かりません。過去記事にも書きましたが、キリスト再臨時は世の終わりです。大艱難が起こる前、即ち、現在から大艱難の始まる前までの人々の様子を見て、事前に審判を下し終え、大艱難を迎えます。大艱難末期に、救うと神がお決めになった極めて少数の真のクリスチャンを携挙し、残りの人間をすべて滅ぼされるのです。天から降って来られて、その時に判断して、火と硫黄を降らせることをなさるのはではありません。携挙対象者を決めるには事前に審判をしていなくてはなりません。裁判もせずに判決文を書くことができないのと同じことです。今も、私たちに公に知らされることなく、天において審判されているのです。」

聖書を読もうか迷ってる方がいらっしゃるのなら、今すぐ読み始めてください。
 
今回の記事は以上です。
最後までご覧くださりありがとうございました