こんにちは。

 

世の真実、聖書についていくつか記事を書いてきました。そこで、どうしても言っておきたいことが一つあります。

 

自分で考える、ということです。

 

聖書は、分厚くて、字も小さくて読むのが大変だし、全部読む時間が無い。聖書なんて人生に関係無い等と言うような人は論外として、上記のような理由で、聖書を読むことに興味さえ示さない人もいます。たとえ、興味を示した人であっても、聖書に直接触れず、安易に、誰かの解釈に基づいた解説書、ネット上の記事、YouTube上の動画で聖書について語っているのを視聴したりする人が多いでしょう。聖書を読まずして、これらだけで済ませるのは、大変危険な行為です。そうやって、思考停止して自分で考えることを放棄している人が、テレビや新聞、雑誌のいうことを鵜呑みにして騙されるからや。もし、その解説書の著者が間違うてたら、ネットの記事の著者がええ加減なことを書いとったとしたら、YouTubeで言っている人の考えが間違うてたら、あんたも彼らと同じように間違った方向に行くんやで。実際に、拙者はいくつか見てきましたが、間違っているものが殆どです。間違いかどうか、偽物かどうかは本物を知らないと区別出来へんのや。例えば、新しく紙幣が発行されたとき、初めて見た新紙幣が偽札で本物の新紙幣を見たことも触れたこともなければ、その偽札を本物の紙幣と信じて疑わないのと同じことです。悪魔の誘惑に陥り易いあんたにはっきりと言っておきたいです。ネット上で代表的なもので言うと、RAPT、リチャード・コシミズ(RK)、さゆふらっとまうんどは信用に値しません。RAPTは聖書を四十回通読した、新約聖書は百回以上読んだなどと虚言を言っており、聖書に沿った教えを何一つしていません。考えてみてください。きっちり回数を数えているのも不自然ですし、聖書を読んだ回数は信心深さと比例せず、まったく関係無いので無意味な主張です。それだけ聖書に詳しいと言いたいのでしょうが、かえって、拙者は、彼が四十回も読んで聖書を全然理解出来てへんというのは余程頭が悪いのかと思ってしまいます。例えば、RAPTは悪人の滅びを祈るようにと言っていますが、これは聖書と主イエスの教えに反しているので、聖書を読んだというのは字面だけ読んだだけで信仰は無いと言えます。聖書を利用するだけの人は救われへんと思うべきです。この点、コリント一の五章にて、外部の人々を裁くことは主イエスを信じて従う者のすることではないと言っています。ここでいう外部の人々とは、主イエスを信じて従う者、即ち、キリスト者以外の人々を指します。要するに、不信仰の者や異教徒は神が裁くので放っておくのが正しいです。わざわざ呪うかのように、悪人の滅びを願う必要は無いんや。また、RAPTはイエス・キリストについて何ら言及しません神様とは言うものの、主イエスの御名が出てきませんし、聖書の引用もありません。主イエスに対する信仰が無いのが明白です。さらに、RAPTは読者からの体験談なるものを掲載して、自分の理論のおかげで救われるという錯覚を起こさせています。これはRAPT自身が作った架空の話に思えます。あくまで、その話の中にも主イエスは出てきません。聖書を利用した詐欺行為です。RAPTは主イエスを崇めず、RAPT自身、若しくはRAPTが神と崇めている対象(おそらくサタン)を崇めて欲しいのでしょう。何を崇めているのか明言せえへん点を怪しまなあかんで。RAPTは、彼に楯突く人を工作員だの、妨害工作していると記事でしきりに言っています。これは自分自身が偽り者やと認識している証拠です。丁度、今、安倍首相が森友学園事件で国会答弁している姿にそっくりです。彼に反対することが即ち工作員となる方程式は成り立たず、まったく根拠がありません。彼のような高慢な者は、聖書で神から罪とされています。これも聖書を理解してへん証拠です。一番悪質だと思うのは、RAPTがまるで預言者であるかのような振る舞いをしている点です。神の御言葉を伝えるとか、啓示を与えてくださったとか言っており、まさに預言者気取りです。預言者とは、自己の思惑に拠らず、啓示された神の意思を伝達、あるいは解釈して神と人とを仲介する者を本来は指しますが、彼はそうではありません。主イエスを信仰しない彼が預言者であるはずがありません。ここで、聖書を引用します。

 

新約聖書 マタイによる福音書 七章十五節(拙訳)

偽預言者たちを警戒しなさい。彼らは羊のなりをしてあんた方のところに来るが、その内側は貪欲な狼である。

 

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章十一節〜十四節(拙訳)

そして、多くの偽預言者が現れ、多くの人を惑わすだろう。なぜなら、不法が増大し、多くの人の愛が冷えるだろうからや。しかし、最期まで耐え忍んだ者、この者は救われるだろう。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しのために、全世界に宣べ伝えられるだろう。それから、終わりが来るだろう。

 

上記のように、RAPTもこの貪欲な狼である偽預言者の一人です。RAPTは有料記事というのも発行しているようですが、拙者は読みたいとは一切思いません。上述のように、高慢かつ神ではなく偽預言者の人間を崇めさせるようにしている者が書く文章を金銭を払ってまで読む価値はありません。騙されて購読している人は、すぐにやめるべきです。RAPTに寄りかかる読者も、やはり自分で考えることを放棄している人でしょう。そのような信仰が無い人は、簡単にサタンに騙されるのです。所詮、彼は、金儲けブロガーの偽預言者であり、かつ、「外部の人」なのです。リチャード・コシミズ(RK)については、見た目、言動、素性のすべてからして胡散臭いのが分かります。素性については、こちらに少し書いています。正体は、在日と支那人の息子ということです。動画で少し言っていることを聞けば、問題の核心には触れへんし、特定の人、団体を非難するだけで、すぐに嘘だと分かります。彼については、あれこれと力説する価値も無いです。彼を糾弾するサイトはいくつもあるので、もし知りたければ自分で検索してそれらをご覧ください。さゆふらっとまうんどもRK同様、力説するには値せえへんが、彼の問題点について少しだけ述べます。まず、金銭支援を募っている点です。彼のページを見ると、貢げと言わんばかりです。彼はなぜ金銭を人々から要求するのでしょうか。一人で活動していると明言していますが、人々から金を貰って、たった一人の人間の力で何ができるのでしょう。聖書では、金銭欲は悪とされています。自分の持っているもので満足するべきであり、必要以上の欲は問題です。次に、彼の理念が問題です。そのまま引用しますが、「地球に大衆の意思が反映した、大衆が主権を握る世界を作る」とあります。壮大な計画ですね。権力者でも成し得ないことを、たった一人で活動している彼が生きている間に彼自身では成し得ないと思われます。こういう無謀な言説は信用するべきではありません。そもそも、大衆の意思を反映させるという点が間違いです。あなた方が信じてやまない民主主義という点では、多数決原理や民意の反映というものこそが正義だと思っているでしょう。大きな誤りです。そういう理念を掲げて今の議会制民主主義ができて、現に失敗していますよね。たとえ大統領制を取っても、どの国も成功していません。不完全な人間が作る制度は完璧ではないのです。さゆふらっとまうんどに限ったことではなく、日本を含めて世界中の多くの人間が抱える問題の根源は、人間至上主義(humanism)から来ている点です。これは、具体的には、人間中心、人間尊重を基調とする思想態度です。人間こそが最高の存在という理念です。思い上がりもいいところです。創造主の神や主イエスを無視して、自分たちが最高とか、悪魔崇拝者にとっては悪魔万歳と言いたいのでしょうが、完全な誤りです。彼については問題だらけですが、もうこれ以上言いません。他にもブログやツイッター上でも色々知識をひけらかして注目を集めようとしきりに情報を流す人がいますが、人間として信用出来るかは疑問です。学校やテレビでは知ることができない世の真実の情報を知るという面で少しだけ利用するのは構いませんが、彼らを盲信したり、尊敬するのは絶対やめてください。はっきり言っておきますが、知識を得たから何だというのです。得ただけでは何にもなりません。信仰と一緒です。信仰だけで行いが伴わないのは無意味や。もし、あなたが水の洗礼を受けとか、地上の教会に所属して通っているからキリスト者として大丈夫とか、そういう形骸的なものに満足し、普段の装いと行いが主イエスの信仰を持ち、神の律法、掟、戒めに反していたら何の意味も無いんや。そのようなにわかキリスト者が艱難の時にきっと助けを求めるでしょう。しかし、その点について以下のとおり、聖書で言われています。

 

新約聖書 マタイによる福音書 七章二十一節〜二十三節(拙訳)

我に向かって、『主よ、主よ』と言う者全員が天の御国に入るんやなくて、我が天の父の御意志を行う者が入るんや。かの日には、多くの者が我に、『主よ、主よ、我等はあんたの御名で預言し、あんたの御名で悪霊を追い出し、あんたの御名で力ある業を行ったのではなかったですか』と言うであろう。そして、その時、我はその者らに公然と明言するだろう。『あんた方のことは全然知らない。我から離れよ、不法を行う者ども。』

 

大切なことを言っておきますが、聖書は、あんたに世界情勢の真実を伝えるための道具ではないのです。神と神の教えを知るため、主イエス・キリストとその教えを知るためのものです。聖書以外にきちんと知ることができるものはありません。小説感覚で読むことは推奨しません。もし、世の動向を知りたいとして、聖書を単なる参考書代わりに使って知識を得て、他の人より多くのことを知るというのは高慢の元となるだけです。知識を得るだけであなたの生活の仕方がまったく変わらないのであれば、テレビのクイズ番組や雑学本を研究して雑学に詳しくなって自己陶酔している人たちと大差ありません。所詮、知識欲というあなたの欲を満たすだけの行為でしかないのです。聖書は読むだけでは不十分です。自分の力で読んで、理解して、実践して生活に反映させてください。字面を追うだけでは到底理解できない箇所が多くあります。分からないところは都度止まって、調べましょう。自分で探せば答えは見つかります。ただし、偽情報に気ぃ付けましょう。そして、聖書を通じて、旧約時代の神と主イエス・キリストというお方と、人としての生き方についてよく考えてみてください。他人の考えや言説に惑わされんといてください。惑わされへんためには自分で考えることを怠ってはいけません。信仰も誰かに寄りかかっている(ブログや本を読むだけ、YouTubeで誰かの説明を聞くだけ、地上の教会に所属するだけ、牧師の説教を聞くだけ等)のではあきません。自ら進んで主イエス・キリストを求め、信じて、道を開きましょう。一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上