4月になると、桜の花が咲く頃には、キャンパスは再び活気づきます。新入生の元気な声や、志半ばでキャンパスを去る学生など、それぞれの分時点に立ち会うことになります。大学では、指導教員制を採用するところが大多数となり、学生へのきめ細やかな指導が普通になってきています。マンモス大学でも、昔のように放っておかれるままであったり、自己責任で済まされるなどとは無縁な場所となっています。学生にとって良かれと思う取り組みは、一方で学生の自立の芽を啄んでいるようにも思えます。退学する場合も、学生が退学届けを出すだけでは済まなくて、学生指導に対する所見を述べて、大学から決裁を受けなければなりません。例えば次のような所見をつけることになります。大学を離れてもしっかり生きて行って欲しいという思いはどの学生に対しても変わることはありません。
指導教員所見
■学生(学籍番号): XXXX
標記学生は、XX校から進学しており、明るく友達も多く、好感の持てる学生である。1年次から指導教員として接している。履修相談日に限らず時々研究室まで訪ねてきてくれ、話をする機会が他の同級生よりも多い学生である。入学時は親元を離れるため、お母様から電話で様子を尋ねられたりしており、特に目は配っていた。一方、理工系の科目は高校時代から振るわないようで、成績の伸び悩みが見られた。このため、毎学期の始めに設ける履修相談会へ呼び出される学生の常連となっていて、様々な方面から彼に合ったアドバイスをして来ている。自分の足らないところをアドバイス通り見つめ直して貰えれば、少しずつでも改善して貰えたと考える。元来、明るい性格なので、日頃から多くの友達と付き合う機会が多いようである。試験勉強も友達と一緒にするのは良いのであるが、本人の基礎学力が友達と少し離れているため、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしないことが、取得単位数の結果として現れている。

図1 本人の履修単位と履修モデル(下限)
図1の白抜きの四角で示した線は、各セメスターの取得単位数の推移を示している。13年春の取得単位数は2単位と極端に少ない単位数であった。期初の履修は20単位以上を申請していたが、上記に示した理由で、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしなかった結果となった。このため、秋学期が始まる前の履修相談会で、原因分析をして、友達と同じようにしていては基礎学力の不足分で、殆ど取得できなくなる可能性が高いため、意識して自分なりの積み上げ分の努力をするように言い聞かせた。具体的には、①授業が始まる前には人より必ず教室に入って予習準備をしておくこと。②友達と同じようにしていては、あと一歩で単位取得に届かないこと。を本人に言い聞かせて意識して改善しないと単位取得に結びつかないと諭した。秋学期開始前に、お母様から電話を頂き、留年せざるを得ない単位数のため、退学させたいと考えていると、お話を頂いた。こちらとしては、あと一歩で結果に結びついていないので、秋学期は意識を改めて授業に臨むようにするので、履修申請した単位が殆ど取得できるはずである。あと1回チャンスを頂きたいとお願いした。そこで、本人の頑張りもあり、春学期の2単位から、秋学期は8単位へと取得単位数を伸ばすことができた。しかし、このペースで単位を取得しても、図2の通り卒業まで、入学から数えて8年はかかる計算になる。

図2 卒業までの本人の履修単位と履修モデル(下限)の予測推移
お母様からは、ここに及んでは退学も仕方がない、本人もこの状況では継続して勉強する意思が続きそうにない、との見解を聞いた。そこで、次にあげる本人の家族構成、就学状況、ご家庭の収支状況、本人の継続意思など、客観的な判断材料から総合的に勘案して、残念で耐え難いところであるが、退学が現実的な選択と判断した。
(1)母子家庭であり、お母様の僅かな収入が暮らしを支えている
(2)大学へ進学した妹さんがおり、家計的に両名をバックアップするには大変苦しい状況である
(3)本人は理数系よりも文系、特に英語が得意である。しかし、家庭の事情から就職を考えると、理系の方が安定有利のため本学科へ進学した。頑張ってみたが、元来得意な分野とは必ずしも言えないので、留年して学び続ける意思が続きそうにない。
最後に、退学の意思を固めたので研究室を訪ねたいと3月30日(日)に電話を貰った。その日に研究室を訪ねてくれた。一緒に連れてきた彼女を紹介し、同席の下で将来の話をした。わざわざ彼女を伴うのは、本人の強い意志の現れだと感じた。そこで、大学を卒えて学位を取得することの意義を話し合った。小職は、大卒である学士の学位を持たないが、大学で教えている。学問の分野に限らず、本人の強い動機付けや意思があれば、社会の中で役に立つ人間として生きて行けることを話した。これからの本人の頑張りに期待したい。