皆様、お久しぶりです。とらぶるです。
なかなか朝晩の気温が上がらず、日中の寒暖差に悩まされる日が続いていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
 
さて、「春はあけぼの」などと言いますが、私にとっては「春はスギ花粉」です。スギ、ヒノキ花粉の花粉症歴17年の私は、毎年花粉シーズンが始まると新たな花粉症グッズを探すのが恒例となっています。
 
今年の花粉症グッズの目玉は、やはり何といってもサンコー株式会社の「USB花粉ブロッカー」でしょう。究極の花粉症グッズだと思います。さすがにこれを使用する勇気は持てず、購入していませんが・・・。
ご存じない方は、「USB花粉ブロッカー」で検索すると出てきます。また、サンコー株式会社のHPのURLは以下の通りです。
http://www.thanko.co.jp/
(製品情報メニューの「メディアに紹介されました!」で見ることができます。ほかにも変な商品目白押しです。)
 
今までいろいろな花粉症グッズを試してきましたが、やはり一番効果があったのは普通の「マスク」でした。ただし、私が使用している「マスク」は使い捨てではなく、布製の立体タイプです。この布製マスク使用には、私なりの理由があります。
 
花粉症以外の方はわからないと思いますが、花粉症でつらいとき、風呂桶のふたを開けて湯気を浴びたときに、つらさがフッとなくなることがあります。このことから、鼻の中が高温多湿状態になったとき、症状が緩和されるのではないかとの仮説が頭の中に浮かびました。
 
そこで、マスクをしているとき、意図的に呼気による多湿状態を作って確認してみたところ、やはり若干ではありますがつらさが緩和された気がしました。そこで、この多湿状態を継続させようとしたのですが、使い捨てのマスクでは問題が出てきました。
 
その問題とは「結露」です。使い捨てマスクでは、マスク内面で呼気の湿度による結露があり、水滴化して気持ちが悪いのです。その点、布製マスクであれば結露することもなく高温多湿状態を保ちやすいので、私は布製マスクを使用しています。昨年は、この方法でほとんど薬に頼らず乗り切ることができました。(点鼻薬2回使用のみ。逆に薬がもったいない・・・。)今年は別件で病院に通っているので、「アレグラー」を服用していますが・・・。
ちなみに鼻炎の点鼻薬を使用するとき、鼻の中が鬱血して鼻腔が閉じた状態では薬が中に入っていかず、ほとんど役に立ちません。こういったときは、極限まで息を止めたり、階段を1階から8階くらいまで上り下りすると一時的に鼻腔が開きますので、その状態で点鼻薬を入れるとバッチリです。
 
閑話休題。
 
布製マスクの欠点は、高温多湿状態を作るのでとにかく「暑い」。5月に近づくとマスクを脱ぎ捨てたい衝動に駆られることが多々あります。さらに、布製マスクの需要が減っているせいか、なかなか店で売っていません。私はいつもネット通販を利用して手に入れている状況です。また、清潔さを保つために毎日の洗濯が必要ですが、それと同時に中に新しいガーゼも必要です。このガーゼ、なかなか良いものが売っていません。現在は滅菌ガーゼのLサイズを3等分して使用しています(貧乏人なので・・・)が、使用していると切り口から糸くずが出てきます。時々この糸くずがマスクからはみ出てみっともない状態になってしまいます。これらの欠点を補うのが今後の課題です。
 
このように、毎年苦労していますが、もうじきスギ、ヒノキ花粉のシーズンも終わりです。スギ、ヒノキ花粉の花粉症のみなさん、もう少しです。頑張りましょう。
 
我が家のモッコウバラ(花色:黄、一期咲)が満開となった(下に画像あり)。

 テラスを覆うように自由に枝を伸ばし、薄暗がりの空の元、黄色のカーテンを広げている。
実に美しい、一年で一度きりの宴である。
垂れ下がる枝のラインが美しく、八重咲きのやさしい色合いも心を落ち着かせる。残念ながら、昨晩から雨が降り続いているので(今週は後3日間、雨模様)、今週末で見納めになるかもしれない。仕事さえなければずっと見つめていたい景色なのだが、仕方がない。
 
 この時期(3月から4月)は、いつも新たな気持ちになる。人事異動や木々の芽生えを肌で感じることがこうした気持ちにさせているのかもしれない。
エンジニアとして活動し初めて早35年を経過した。現在は、フリーのエンジニア(独立技術士)として、主に製造業の支援業務を(大学校の非常勤講師も)している。

 3月末には、私が始めて就職した会社では、よく知った諸先輩の方々が退社した。また、大学校では大変お世話になった先生が異動で九州を離れた。寂しさを感じる今日この頃である。

 本ブログでは、フリーのエンジニアがどのような状況下で業務をおこなっているか、私的なことで恐縮であるが、実態の一部を開示できる範囲で少しお示ししたい。
仕事柄、秘守義務があるため詳しい内容をお伝えできないのが残念である。

 特定の企業に帰属しない「フリ-のエンジニア」を目指しておられる方のご参考になれば幸いである(←収入の安定、土日ゆっくり休みたい方には、独立自営の働き方はお勧めしません)。
 
■近況の「製造業の支援(自動機の構想&設計)」について

 とくに、今月に入り、業務が集中し(過多?)、消化不良ぎみである中、本ブログを書いている。正直、もっと時間が欲しいと思っているが、こちらの都合は大抵の場合、考慮されないのが実情である。業務は集中するときと そうでないときの差が激しいが、たまたま4月は繁忙期となっている。
 
1)(A社)環境機械の開発支援

①低騒音化製品の実現とヨーロッパ輸出(CEマーキング)に向けての支援

 CEマーキング取得は、メーカの自己宣言でよいことになっているが第三者機関の力を借りている事例が多いようである。
安全・環境基準の壁が高く、審査通過までの期間と費用は中小企業には大変厳しい。
 
②出荷製品のトラブル対応

 メイン部品であるΦ100のロータ軸-複数のパーツから構成された溶接構造部品(最大径Φ300、長さ
1000、衝撃荷重が常に働く)に亀裂が入ったため、原因と対策を検討している。
 真因を見つけるためには、今後の詳しい検査等を待たなければならない。部品(溶接接合部)の亀裂であること、溶接の多層盛りの状態から溶接欠陥部(アンダーカット等、複数の欠陥因子が考えられる)に応力集中が起こった破壊ではないかと考えている(←短絡的な見立ては危険であるが…)。この部品は、装置の主要部品であり、溶接(溶接施工者の技能&人格に依存)の良否に部品品質が直接影響を受ける。4/14に現物を見、2日後に叩き台としてのレポート(原因推測と対策案)をまとめ送信した。
4/19に会社に出向き社長同席の下、会議を実施し、今後の対策等の話し合いをもった、

2)(B社)北米向け自動車生産設備の設計支援

 世界は、SI単位に移行してかなりの年月が経っているが、この北米の自動車会社は、未だ「インチ-フィート&ポンド」が主流である。以前は、北米にて資材のすべてを調達しなければならなかった関係で、鋼材ほか購入品すべてのサイズがインチであった。鋼材(形鋼、板材、角材)のサイズも見事にインチサイズであり、日本国内で流通しているものとは明らかに状況が異なる。
  
  技術計算も「インチ&ポンド」である。今回は、資材を日本で調達(設計条件:購入品は一部メー カ指定があり、また北米にて入手が容易なこと)、設備はインチとミリが混在することになる。イ  ンチとミリを変換するのは大変な手間がかかる。図面には、公差表記も含め両方を描かなければな  らない。設備業界では、相手国や企業の事情に大変影響を受けるのが実態である。

3)(C社)中国向け自動化機械の設計支援

 4/7、元部下から設計依頼(構想図作成)を請け、全自動前の単独機械化案(ポンチ絵)を作成、その3日後4/11に、全自動案(2D-CAD図)作成し提出した。
 4/19にメール(顧客:3面図が読めないため、2D-CAD図では理解不能)が入り、4/21にあらためて全自動化案でのポンチ絵(設備全体のイメージがわかるもの)を持参しC社担当者と打合せ予定している。

  ■構想図&概算見積作成
   1)構想図→ポンチ絵(俯瞰図 3Dもどき)
   2)ワークフロー図
    3)概算見積提出

 本設備は、数種類のワーク(質量:200kg強)の全自動のワーク着脱装置である。
 現在は、ワークの着脱作業を人がすべて行っている(機械化が進んでいない)らしい。
ワークが重量物であり手作業での段取り換えは危険を伴うため一刻も早く機械化を進めたいようである。エンドユーザーは、一度、中国国内の設備メーカに装置の開発&製造を頼んだが、使いものにならなかったとの理由で、(コストが多少高くても)日本の設備メーカに注文したいそうである。C社は大手ではないが、大手半導体製造装置メーカにも設備導入している。製造には、実績がある企業である。見積競合企業は、財閥系巨大企業2社(商社?)も含まれているとのこと。いかに魅力的な構想を早く提供できるかが受注のカギを握る。

 ただし、わかりやすい構想図の開示&提出には(失注の際、他社への情報流出のリスクが伴うため)注意が必要。自動機には珍しく複数台(数十台)の受注が見込まれるようである。

■リスク管理
 ~リスク管理をしなかったことが大きな損失を生んだ

  今年2月上旬に、外付けHDD(ハードディスク)が壊れ、業務に多大な影響を及ぼしている。
 なぜ、HDDが壊れたか、また救出の策を施したのかは、話がながくなるので本ブログでは割愛させていただく。
  現在当たり前であるが、紙で出力しているもの以外、過去の資料はすべて見ることができない。

 

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  資料は、CAD図、パワーポイント、エクセル、ワード、PDFなどである。今回の出来事は、例えていえば、母屋が全焼しアルバムが1冊出てきたという状況である。初めての独立自営から17年余り経過し、業務のほとんどがパソコンで作成した資料(毎日コツコツと作成してきた資料)である。個人としては膨大な量である。おそらくすべての資料を紙で出力すれば、5㎝ファイル200冊分以上になるのではないかと思われる)。ほとんどの資料は思い入れがあり、二度と作れないものが多数含まれている。とくにCAD図は、1000枚以上の組図・部品図が保存してあったので、後悔の念にかられている。



 4月になると、桜の花が咲く頃には、キャンパスは再び活気づきます。新入生の元気な声や、志半ばでキャンパスを去る学生など、それぞれの分時点に立ち会うことになります。大学では、指導教員制を採用するところが大多数となり、学生へのきめ細やかな指導が普通になってきています。マンモス大学でも、昔のように放っておかれるままであったり、自己責任で済まされるなどとは無縁な場所となっています。学生にとって良かれと思う取り組みは、一方で学生の自立の芽を啄んでいるようにも思えます。退学する場合も、学生が退学届けを出すだけでは済まなくて、学生指導に対する所見を述べて、大学から決裁を受けなければなりません。例えば次のような所見をつけることになります。大学を離れてもしっかり生きて行って欲しいという思いはどの学生に対しても変わることはありません。
 
指導教員所見
学生(学籍番号): XXXX
標記学生は、XX校から進学しており、明るく友達も多く、好感の持てる学生である。1年次から指導教員として接している。履修相談日に限らず時々研究室まで訪ねてきてくれ、話をする機会が他の同級生よりも多い学生である。入学時は親元を離れるため、お母様から電話で様子を尋ねられたりしており、特に目は配っていた。一方、理工系の科目は高校時代から振るわないようで、成績の伸び悩みが見られた。このため、毎学期の始めに設ける履修相談会へ呼び出される学生の常連となっていて、様々な方面から彼に合ったアドバイスをして来ている。自分の足らないところをアドバイス通り見つめ直して貰えれば、少しずつでも改善して貰えたと考える。元来、明るい性格なので、日頃から多くの友達と付き合う機会が多いようである。試験勉強も友達と一緒にするのは良いのであるが、本人の基礎学力が友達と少し離れているため、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしないことが、取得単位数の結果として現れている。
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1 本人の履修単位と履修モデル(下限)
 
図1の白抜きの四角で示した線は、各セメスターの取得単位数の推移を示している。13年春の取得単位数は2単位と極端に少ない単位数であった。期初の履修は20単位以上を申請していたが、上記に示した理由で、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしなかった結果となった。このため、秋学期が始まる前の履修相談会で、原因分析をして、友達と同じようにしていては基礎学力の不足分で、殆ど取得できなくなる可能性が高いため、意識して自分なりの積み上げ分の努力をするように言い聞かせた。具体的には、①授業が始まる前には人より必ず教室に入って予習準備をしておくこと友達と同じようにしていては、あと一歩で単位取得に届かないこと。を本人に言い聞かせて意識して改善しないと単位取得に結びつかないと諭した。秋学期開始前に、お母様から電話を頂き、留年せざるを得ない単位数のため、退学させたいと考えていると、お話を頂いた。こちらとしては、あと一歩で結果に結びついていないので、秋学期は意識を改めて授業に臨むようにするので、履修申請した単位が殆ど取得できるはずである。あと1回チャンスを頂きたいとお願いした。そこで、本人の頑張りもあり、春学期の2単位から、秋学期は8単位へと取得単位数を伸ばすことができた。しかし、このペースで単位を取得しても、図2の通り卒業まで、入学から数えて8年はかかる計算になる。
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2 卒業までの本人の履修単位と履修モデル(下限)の予測推移
 
お母様からは、ここに及んでは退学も仕方がない、本人もこの状況では継続して勉強する意思が続きそうにない、との見解を聞いた。そこで、次にあげる本人の家族構成、就学状況、ご家庭の収支状況、本人の継続意思など、客観的な判断材料から総合的に勘案して、残念で耐え難いところであるが、退学が現実的な選択と判断した。
 
(1)母子家庭であり、お母様の僅かな収入が暮らしを支えている
(2)大学へ進学した妹さんがおり、家計的に両名をバックアップするには大変苦しい状況である
(3)本人は理数系よりも文系、特に英語が得意である。しかし、家庭の事情から就職を考えると、理系の方が安定有利のため本学科へ進学した。頑張ってみたが、元来得意な分野とは必ずしも言えないので、留年して学び続ける意思が続きそうにない。
 
最後に、退学の意思を固めたので研究室を訪ねたいと330日(日)に電話を貰った。その日に研究室を訪ねてくれた。一緒に連れてきた彼女を紹介し、同席の下で将来の話をした。わざわざ彼女を伴うのは、本人の強い意志の現れだと感じた。そこで、大学を卒えて学位を取得することの意義を話し合った。小職は、大卒である学士の学位を持たないが、大学で教えている。学問の分野に限らず、本人の強い動機付けや意思があれば、社会の中で役に立つ人間として生きて行けることを話した。これからの本人の頑張りに期待したい。
 
 
 
 
 
 
おひさしぶり。packyです。
先週セブ島に行ってきました。家族でバカンスです。本当に青い空、透明な海。綺麗なところでした。今回家族旅行に行った理由は、娘の高校受験の合格祝いです。振り返ってみると自分の技術士試験の勉強が3年くらい続いたあと、長女の受験勉強が始まり、ここ何年も我が家は誰かが勉強漬けでした。幸い娘は第一志望の高校に受かったので、ここで家族全員の慰労会をちょっと贅沢にやっちゃおうという企画です。とはいうものの、自分の中ではカミさんへの感謝の意味を込めています。口に出してはなかなか言えませんが。いつも勉強している家族を支えてくれていて、妻には頭が下がります。そういえば海外旅行は新婚の時以来行ってなかったなぁーと思い、決めました。
これからお金がかかるから、海外旅行なんてもったいないと言われる(妻だけでなく子供たちからも)のを、「じゃあ、いつくの?」「今でしょ」で押イメージ 1し切りました。やっぱり行ってよかったです。行く前と後では気持ちが軽く感じます。世界にはこんな心地よい風がいつも吹いている場所があるんだーと体感するのが、心に栄養だった気がします。プールサイドのバーで妻とカクテルと気取りましたが、子供も隣でフルーツジュース。まあそれでも十分くつろげました。子供たちにも初めての海外。何かを感じてくれたらいいがと願いつつ。また何年後かに行きたいと思っています。
 
こんにちは、ksugiです。
技術士に奇跡の合格から早いもので2年たちましたが、合格してから自分にいろいろ変化があったと実感しています。
今日はその中の1つである、マラソンをネタに記載したいと思います。
 
技術士を受験している頃は体重が今より18kg位重くて、結構やばい状態でした。
(まあ、その体型で貫録があると思われ口頭試験をパスしたのかもしれませんが)
受験が終わってからダイエットに取組み、その手段としてランニングを始めたのですが、走れるスピードも距離も伸びてくると楽しくなってきて、その成果を試してみたいとマラソン大会に出るようになりました。
マラソンは個人に合った楽しみ方ができ、一人でもできるのが魅力です。
目標を設定し、それに向かって努力して目標を達成したときの喜び。そして、自分超えを果たした時の満足感。これらは技術士試験と相共通していると思います。
先週(3/23)の能登和倉マラソンでは前半速く突っ込んだため後半大失速し、3時間30分切りに13秒届かないという悔しい結果となりましたが、そもそも技術士に合格しなければフルマラソンを走ることもなかったでしょうから、技術士が自分に変化をもたらしてくれたと思っています。
 
ある目標を持って目標に向かって頑張ると、人生が良い方に向かうと思います。
いつかはサブ3達成!という大きな目標を持って、これからも自分超えをしていきたいです。
子供が原因不明の高熱(背中の痛みを伴う)になりました。(現在はすこぶる健康です!)
 
すぐに近所の医者に連れて行き、病状を伝え薬を処方していただき対処していましたが、1週間以上40℃以上の熱が続く状況でした。
 
処方していただいた解熱剤(背中の痛みにも効く鎮痛剤効果もあったようです)を子供に飲ませると、熱も下がりちょっと元気になるのですが、数時間後には熱がまた上がり、背中の痛みを訴えるのでした。
本当にかわいそうでした。
 
根本的な原因究明が必要と考え、大学病院に連れて行き、血液検査等の精密検査を経て、やっと溶連菌によるものと判明しました。そして溶連菌の抗生物質を処方していただきました。
 
 溶連菌の主な症状としては下記があるようです。
1.  全身あるいは部分的に発疹が発生
2.  のどの痛み、イチゴのように舌が赤くはれる
3.  高熱
 
子供の症状は高熱と背中の痛みで、のどの痛み・舌の赤み、発疹はでていませんでした。
 
今回は症状からは溶連菌と推測できませんでした。
 
溶連菌は内臓の炎症につながることもあるそうで、今回の背中の痛みは内臓(腎臓らしい)が溶連菌感染し炎症を起こしていたためのようです。
炎症によって白血球や内臓炎症を示す数値が高い数値を示していました。
 
抗生物質を飲ませましたらすっかり元気になりました。(良かった!)
 
(抗生物質は飲みきりが必須!よくなったといって薬をやめるとぶり返すことがあるとのことです。)
 
 子供の病状を医者にしっかり伝えるのは親の務めです。
いつもと違う子供の状況を見極めていればもう子供が少し早く元気になれて、つらい思いをしなくてもすんだのかなと、反省する出来事でした。
そのためには普段の子供の様子をしっかり把握しておくことが大事ですが、嫁さん任せかなーっと、さらに反省。
 
みなさん、こんばんは。今回のブログを担当するmaguです。
3月も半ばになり、新年度に向けて入社や退職、入学や卒業、進学や栄転(左遷?)による引っ越し・・・などなど、世の中は何かと多忙でありソワソワした時季であります。そんなこんなであれやこれやと忙しくしているうちになんとなく日々すごしてしまっているわけなんですが、結構、いろいろと考えているもので・・・、まぁ、そんな感じで投稿させていただきます。
 
最近のテレビでも異色多様な事柄が報道されていてこちらもなかなか話題が豊富であり、STAP細胞・JR北○○の事故・東芝技術流出問題・独禁法公取問題などなど、国民としても技術者としても興味深々・・・というところです。
そんな中でも特段に気になるのは、3年前の3.11東日本大地震です。不明者もいまだ多く、まだ仮設住宅に避難されている方や当時の体験によるPTSDなどに悩まされている方などの報道が今週のテレビでは特集で報道されていました。直接な震災被害者でない私もその報道をみて、あの悲惨な震災を再度思い出し深く考えているところです。ここではあまり深くは書く気はありませんが、原発再稼働にしても地域的な問題と政治家や住民の主張、活断層診断、○○委員会での審査、各電力会社の主張など、膨大な事案があり、慎重な審議が望まれています。これは解決とかいうよりも安全安心を前提にしてほしいなぁとひとりの技術者として切望しているところです。
あと気になっているのが、「独禁法(私的独占の禁止および公正取引の確保に関する法律)」です。これは私自身が営業を担当することも多々ありますので日頃から注意しておくべき事項なのですが、先日たまたま参院予算委員会の中継を見ていたら、とある参院議員が総理に強く主張していたので思わず見入ってしまいました。まぁ、ここでその内容には触れませんが、要するに官製談合、カルテル、公取違反などは利害関係がある人や競合他者と一切接触をしなければ回避できる話なのでしょう。しかしこれが難しいという局面がまったくもって多いのも事実なのです。親族兄弟で別社同業だったり、または、長年提案営業していて具体的な事案になるころに予算化しようとしたら補助事業になり・・・と、思いがけなくさらにキリがないくらいに人と人のつながりがでてきて結果的に不適切になってしまうとか・・・、などの想定外があるのです。大手企業なら定期的な担当替えで対応できるかもしれませんが、ほとんどの企業はそうはいかないわけです。大手の法務担当などは自社の取組の分のみアピールし、社会問題としての視点がないので参考にならない程度でしか述べていないことが多いですし。書ききれないので割愛しますが結果として、これもなかなかよい解決案がないのです。
世の中には解決案が見いだせない問題が膨大にあることは当たり前の事実であります。私個人としては技術士のモラルがあるのでそれをよりどころ(縛り?)にして対応できるのだが、企業内技術士の立場としては軋轢が生じることもあるので厄介なこともある(厄介でも動じないキャラで通っているので厄介なのは私自身かもしれないが)。これも解決案が見出しにくい事項である。凛としてぶれない社会人として振舞いたいと強く思うのだが・・・。
以上、日々雑感でした。
 次の4月に会社で部署異動があり、2年目はあわただしい中での準備となりました。1年目に失敗した青本読みをやめて、2年目からは、PMPさんから提供していただいている「総監 虎の巻」という資料を使って勉強することにしました。青本と比べると格段にわかりやすく読みやすい内容だったのですが、やはり、内容は眠くなるものばかりで、電車の中で「虎の巻」を抱えて寝込んでしまうことがたびたびありました。そんな中でも1年目に失敗した論文の内容を何名かの総監技術士に添削していただき、総監について、わかりかけてきたところで2回目の試験となりました。
 
 試験当日、選択問題はやはり難しいのですが、「1年目よりは、ましになったかな。」という状態で終えることが出来ました。次は、午後の論文にかかります。答案用紙が配られて、問題を読んで骨子を考えようと思った瞬間、「何これ?」と唖然としました。前年と比較し、制約が多く、自由に書けない問題に変わっているのです。いやあ、まいったなあと思いながら、書き始めたものの途中で、問題が起きました。影響分析に関して記述しなければならない箇所で時間を使いすぎてしまい、気が付いたら試験時間が1時間しか残っていなかったのです。1時間で残り3枚の論文を仕上げなければなりません。こうなると後は気合です。考えられることをどんどん書き始めます。残り15分の時点で1枚白紙の状態です。この時、「絶対にあきらめない。自分はできる。」と言い聞かせて、何とか書き終えることが出来ました。ちなみに、この年の評価もB(択一は2540)です。皮肉なことに、最も時間をかけた影響分析の箇所に必要な事項が記載されていないのが致命的となりました。当時、自分が専門としていた事項について詳しい内容を書きすぎて、肝心なことが入っていなかったというお粗末なものです。今後、受験を志す方も気を付けて下さい。
 
 3年目に受験申込書を書く時に、私はかみさんに「もう辞めたい。」と言いました。当時、業務で大きなストレスを抱えていた上に、土日は、勉強時間を確保するために、かみさんと息子に外出するように頼まなければなりません。子供が小さいうちにこんな生活を続けていくのが正しいのだろうかと自問自答しました。しかし、かみさんからの返事は意外なものでした。「ここまで続けたのだから今年もやるべきじゃない?土日は私が何とかするよ。」この言葉で、再び、受験を決意することにしました。しかし、すでにGWに入っており、受験申し込みの期限が迫っていたので、大急ぎで書類を準備する羽目になりました。結局、提出したのは締め切りの1日前というありさまです。今年もこんなんでうまくいくのだろうか。波乱を予感させるスタートとなりました。
 
 3年目は、「総監 虎の巻」をただ、読むのでは無く、自分の言葉に直してノートを作るところから始めました。すると、今までわからなかった内容が理解できるようになりました。結局、今までは、読んで理解したふりをしていただけだったのです。総監の勉強では、第1章の「総合技術監理の要求内容と技術体系」という項目が最も大切で、今までに延べ10回以上は、読んでいたと思いますが、完全に理解できていたわけでは無かったのです。これでは、合格に至るはずがありません。その他の項目についても、同様の勉強をすることで理解を深めることが出来ました。そんな感じで勉強しながら、3回目の試験に臨みました。
 
 3回目の試験は、意外な感触から始まりました。択一式問題を解いて「あれ、もしかしたらいけるかも。」と思ったのです。内容は、それなりに難易度が高いものではありましたが、前年と比較して、問題が、素直で解きやすくなっていたのです。例年にない状態で午前の試験を終えて、午後に試験に入りました。今年は、設備保全に関する問題です。「これは、良い問題が出たな。」と思いました。現在、業務で設備保全の業務に関わっており、ネタが豊富にある問題だったからです。更に、以前の業務で蓄えた知識も活用できます。慎重に骨子を組み立てた上で、論文を書き始めました。2時間ほど経過し、残り3枚となったところでトイレに行くことにしました。(これが後で、波乱を呼ぶことになります。)戻って、書き始めると、意外に時間が足りないことがわかりました。最終ページを残して残り、20分です。「ここまできたのに、これはやばい。」と思い、必死で書き始めました。5分前に何とか終了です。しかし、最後の項に必要な総監用語がちりばめられてないことに気が付きました。残り1分です。さすがに修正はあきらめて試験を終えることにしました。帰りの電車の中で私は、暗澹たる気持ちになりました。せめて、あと10分だけ時間があれば、きちんとしたものが仕上げられたのに・・・。それでも、万が一の合格を信じて再現論文を仕上げました。しかし、受験票を開く気にもならなかったので、受験番号は近くにあった昨年の番号を記述するというやる気のない状態での作業でした。
 
10月末、合格発表がありました。結果は、まさかの合格です。やったあと思いましたが、同時に、気が重くなりました。なぜなら、この次に、厳しい口頭試験を受けなければならないからです。
 
 口頭試験の準備の前に、ネッペの口頭試験セミナーを実施しました。口頭試験を受験する立場にいる私にとってこのようなセミナーの講師をすることも貴重な経験です。皆、優秀なメンバーばかりで、口頭試験の結果も良好だったとの報告が届いて講師としては、ほっとする・・・と書きたいところなのですが、この時点で、私の試験は終わっていません。もしかして、3人合格して、私だけ不合格になったら、これはしゃれにならないぞと思い、何かに取りつかれたように勉強しました。150問の想定問答を作り、模擬面接を2回受けて講師の方からお墨付きをもらいました。これで、もう問題ないだろうと思いながら臨んだ口頭試験だったのですが、そこには思わぬ落とし穴が潜んでいたのです。
 
 口頭試験当日、緊張しつつこれが終わったら自由の身だと思いながら試験に臨む私がいました。しかし、本番は模擬面接とは違い、思い通りに話せません。150問の想定問答も頭の中から消えています。気が付くと、想定問答や模擬面接で話していた内容と全く異なる回答をしていました。質問に対して総監の視点で回答できていない箇所もあるなど、散々な出来で、口頭試験を終えてしまいました。口頭試験を終えて帰るときに、試験官が、「これで結構です。ありがとうございました。」と言いました。「これで結構です」は、「これで合格に至っているので問題ありませんよ。」と言われたのか、「もう話を聞いてもらちが明かないから帰っていいよ。」と言われたのか、不安が残ります。結局、合格発表までの2か月間、夜も寝ることができずに苦しむことになりました。
 
 合格発表当日、もう、寝ることなどできません。ほとんど徹夜状態で、5時になるのを待ちました。しかし、いっこうにアップされません。なぜか合格祝賀会の情報が先にアップされている始末です。「祝賀会はいいから、合格発表を早くやってくれよ。」と思いながら、待つこと1時間、ようやく合格発表の時間になりました。PDFファイルを開けてスクロールした先に待っていたものは・・・・。私の番号がそこにはありました。感動したというより、とにかくほっとしました。これで、口頭試験で苦労したメンバーに顔向けができる。受験を許してくれたかみさんに顔向けができる。会社のメンバーにも顔向けができる。色々な思いがこみ上げてきましたが、最後に思ったのは、「口頭試験の試験官様、ありがとう。これで、4月からまともな生活を送ることができます。」という情けない内容です。ちなみに、私の上司は、いいかげんな気持ちで書いた再現論文に記載した受験番号を見て、不合格を確信したそうです。いいかげんな仕事をすると色々な人に迷惑をかける良い例ですよね。
 
 長々と書きましたが、私の受験体験でかっこいい内容は、何一つありません。でも、かっこ悪いながらも、あきらめずに続けてきたのが良かったのかなと思います。乱文にも関わらず、ここまで読み進めて下さった皆さん、本当にありがとうございます。ここで記述することが出来なかった、詳しい内容については、全国大会の時にでも話をさせていただければと思います。また、口頭試験の再現や総監受験の情報が欲しい方は連絡してください。できる限りのことは協力させていただきます。では、ネッペの皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
こんにちは、関東支部のhideと言います。私事で恐縮ですが、先日、3年間の格闘の末、技術士の総合技術監理部門に合格することが出来ました。ふつうは、合格するとかっこいいことを書きたいと思うものですが、悲しいことに私には、そんなエピソードは無く、業務に追われながらあわただしく受験し、満足できない結果に落ち込みながら、ぎりぎりのところでようやく合格に至ったと言うのが正直なところです。そんな私の合格体験記をアップしてみようと思います。少し長いですが、最後まで読んでくれるとうれしいです。
 
 私が総監を受験しようと思ったきっかけは、若いときのプロジェクトの失敗でした。明らかにマネジメントが不足した状態で、毎晩深夜まで作業をさせられた挙句、プロジェクト失敗の責任の一端を担わされたのです。当時は、非常にくやしい思いをしました。同時に、管理職に昇進した時には必ず、マネジメントスキルを身に着けてこのような思いを部下にさせまいと誓ったのです。
 
 そんなわけで、技術士の機械部門を取得してから、2年後、管理職に昇進したのをきっかけに総監の勉強を開始しました。総監の試験は、マークシートを使った択一式問題と記述式問題の2点で構成されています。択一式問題で総監に必要な5つの管理に関する知識を有しているのかどうかを確認し、記述式問題で課題解決能力を有しているかどうかを確認します。試験で合格点を取るためには、まずは、知識を得なければ話になりません。そのためのバイブルとして「青本」というのがあります。総監の勉強は、青本を読むところから始めるのが一般的です。しかし、これがつらいのです。たぶん、トータルで3回程度、青本を読んだと思いますが、内容が、頭の中に入ってきません。しかも、読んでいるうちに、眠気が、睡眠薬のように襲ってきます。就寝前に青本を読み始めて朝、青本が顔の上に覆いかぶさっているのに気が付いて起きたことが何度もあります。こんな状態で勉強を続けても成果が出ないと思い、仕方がないので、択一式問題を解くところから始めることにしました。(実は、それが失敗の始まりだったのですが・・・。)択一式問題の過去問を解くと、何となく自分が総監の内容を理解した気分になってきました。それに加えて、記述式問題の過去問を3パターン位、書いたことで自分はもう、大丈夫と思ってしまったのです。そんな状態で臨んだ1年目の試験は、散々なものになりました。
 
 試験当日、まずは択一式問題に取り掛かりました。しかし、択一式問題の過去問を解いていた時に簡単だと感じていたはずの問題が全く解けません。簡単な試験問題であれば、「不適切なものは何か?」と問われますが、総監の場合は、「不適切なものの数を答えよ?」と問われます。要は、内容をいいかげんに覚えていたのでは歯が立たないのです。確実に解けると思って挑んだ計算問題も、今までに出題されなかったパターンの問題が出てきて歯が立ちません。結局、午前中は惨敗となりました。気を取り直して、午後の試験に臨んだのですが、とりあえず問題を読んで、骨子も書かずに書き始めると、どうも勝手が違います。機械部門の試験の時は、最大で3枚の論文(経験論文の時は6枚でしたが・・。)しか書いたことが無く、5枚もの論文を書くペースがつかめないのです。しかも、家で練習した時には、パソコンで書いていたので、間違いをすぐに修正できたのですが、本番ではそうはいきません。結局、5枚中4枚しか書けずに記述式試験を終わりました。Net.PE.JPの論文添削の際に、「要求される枚数を必ず満たすこと。」と注意をしていた私ですが、そんな事もできない自分に愕然としました。受験生から「おまえに言われたくない。」と指摘されてもおかしくないシチュエーションです。この経験があってからは、他人に指摘をするときには、ただ単純に要求される枚数を満たせと言うのではなく、どのようにすれば枚数をかせげるのか念頭において話をするようになりました。ちなみに、この年の評価はB(択一は21/40)で終わりました。(後編に続く)
 東京の単身社宅で夕食の支度をしていると、台所の窓の外に
ヤモリが白いお腹を見せて貼り付いているのを良く見かけました。
長野ではヤモリを見たことがなかったので、興味津々で見守って
いました。窓ガラスのヤモリの他にも玄関先で子どものヤモリを見
かけたこともあり、どこかに巣があったのかもしれません。それが昨
年のある秋の夜のことでした。台所で洗い物をしていると、小さなヤ
モリがシンクの壁に貼り付いているのを見つけました。愛嬌のある姿
に惹かれ、早速プラスチックケースに入れて飼い始めました。ヤモリ
の口元はスマイルマークのようで、正面から見るとまるで微笑んでい
るように見えるのです。この笑顔に魅せられて「ヤモリスト」になる人
も多い?のだとか。冬眠しているクモを与えると、それまでじっとして
いたヤモリがクモをめがけてばっと駆け寄り、ぱくっと食べる姿は感
動的でした。しかし素人には冬期の飼育は難しく、結局年明けに死な
せてしまいました。生き物を飼うためには、それ相応の知識や技術、
それと覚悟が必要だと思い知った一件でした。
 ところで、ヤモリが壁や天井に貼り付いていられる理由をご存じで
しょうか?私はてっきり指先に吸盤がついているためだと考えていま
した。しかしそうではなくて、指先のひび割れ構造の中に数十万本の
剛毛が密生しているのだそうです。さらに毛の先端は細かく枝分かれ
しており、その直径は200nmほどの大きさなのだそうです。その毛の
一本一本が壁との間にファンデルワールス力を発生させるために、
ヤモリは壁や天井を歩けるのだと知りました。
 このヤモリの指先の構造にヒントを得て、粘着剤を使わない接着テー
プが開発され、工業用をはじめ医療用への応用も期待されています。
このように自然の形に学ぶ設計思想をバイオミメティクスといいます。
代表的な例が、サメ肌の構造を摸して水の抵抗を減らし、新記録を
量産して競泳界に革命をもたらしたSPEED社の水着といえるでしょう。
ヤモリのように普段見かける小さな生き物たちの中に大きな可能性が
眠っているかもしれません。その中から、ブレークスルーとなりうる革新
的な技術が生まれたら、素晴らしいことだと思います。
                                 (文責 古田賢司)