4月になると、桜の花が咲く頃には、キャンパスは再び活気づきます。新入生の元気な声や、志半ばでキャンパスを去る学生など、それぞれの分時点に立ち会うことになります。大学では、指導教員制を採用するところが大多数となり、学生へのきめ細やかな指導が普通になってきています。マンモス大学でも、昔のように放っておかれるままであったり、自己責任で済まされるなどとは無縁な場所となっています。学生にとって良かれと思う取り組みは、一方で学生の自立の芽を啄んでいるようにも思えます。退学する場合も、学生が退学届けを出すだけでは済まなくて、学生指導に対する所見を述べて、大学から決裁を受けなければなりません。例えば次のような所見をつけることになります。大学を離れてもしっかり生きて行って欲しいという思いはどの学生に対しても変わることはありません。
 
指導教員所見
学生(学籍番号): XXXX
標記学生は、XX校から進学しており、明るく友達も多く、好感の持てる学生である。1年次から指導教員として接している。履修相談日に限らず時々研究室まで訪ねてきてくれ、話をする機会が他の同級生よりも多い学生である。入学時は親元を離れるため、お母様から電話で様子を尋ねられたりしており、特に目は配っていた。一方、理工系の科目は高校時代から振るわないようで、成績の伸び悩みが見られた。このため、毎学期の始めに設ける履修相談会へ呼び出される学生の常連となっていて、様々な方面から彼に合ったアドバイスをして来ている。自分の足らないところをアドバイス通り見つめ直して貰えれば、少しずつでも改善して貰えたと考える。元来、明るい性格なので、日頃から多くの友達と付き合う機会が多いようである。試験勉強も友達と一緒にするのは良いのであるが、本人の基礎学力が友達と少し離れているため、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしないことが、取得単位数の結果として現れている。
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1 本人の履修単位と履修モデル(下限)
 
図1の白抜きの四角で示した線は、各セメスターの取得単位数の推移を示している。13年春の取得単位数は2単位と極端に少ない単位数であった。期初の履修は20単位以上を申請していたが、上記に示した理由で、友達はギリギリパスしても、本人はことごとくパスしなかった結果となった。このため、秋学期が始まる前の履修相談会で、原因分析をして、友達と同じようにしていては基礎学力の不足分で、殆ど取得できなくなる可能性が高いため、意識して自分なりの積み上げ分の努力をするように言い聞かせた。具体的には、①授業が始まる前には人より必ず教室に入って予習準備をしておくこと友達と同じようにしていては、あと一歩で単位取得に届かないこと。を本人に言い聞かせて意識して改善しないと単位取得に結びつかないと諭した。秋学期開始前に、お母様から電話を頂き、留年せざるを得ない単位数のため、退学させたいと考えていると、お話を頂いた。こちらとしては、あと一歩で結果に結びついていないので、秋学期は意識を改めて授業に臨むようにするので、履修申請した単位が殆ど取得できるはずである。あと1回チャンスを頂きたいとお願いした。そこで、本人の頑張りもあり、春学期の2単位から、秋学期は8単位へと取得単位数を伸ばすことができた。しかし、このペースで単位を取得しても、図2の通り卒業まで、入学から数えて8年はかかる計算になる。
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2 卒業までの本人の履修単位と履修モデル(下限)の予測推移
 
お母様からは、ここに及んでは退学も仕方がない、本人もこの状況では継続して勉強する意思が続きそうにない、との見解を聞いた。そこで、次にあげる本人の家族構成、就学状況、ご家庭の収支状況、本人の継続意思など、客観的な判断材料から総合的に勘案して、残念で耐え難いところであるが、退学が現実的な選択と判断した。
 
(1)母子家庭であり、お母様の僅かな収入が暮らしを支えている
(2)大学へ進学した妹さんがおり、家計的に両名をバックアップするには大変苦しい状況である
(3)本人は理数系よりも文系、特に英語が得意である。しかし、家庭の事情から就職を考えると、理系の方が安定有利のため本学科へ進学した。頑張ってみたが、元来得意な分野とは必ずしも言えないので、留年して学び続ける意思が続きそうにない。
 
最後に、退学の意思を固めたので研究室を訪ねたいと330日(日)に電話を貰った。その日に研究室を訪ねてくれた。一緒に連れてきた彼女を紹介し、同席の下で将来の話をした。わざわざ彼女を伴うのは、本人の強い意志の現れだと感じた。そこで、大学を卒えて学位を取得することの意義を話し合った。小職は、大卒である学士の学位を持たないが、大学で教えている。学問の分野に限らず、本人の強い動機付けや意思があれば、社会の中で役に立つ人間として生きて行けることを話した。これからの本人の頑張りに期待したい。
 
 
 
 
 
 
おひさしぶり。packyです。
先週セブ島に行ってきました。家族でバカンスです。本当に青い空、透明な海。綺麗なところでした。今回家族旅行に行った理由は、娘の高校受験の合格祝いです。振り返ってみると自分の技術士試験の勉強が3年くらい続いたあと、長女の受験勉強が始まり、ここ何年も我が家は誰かが勉強漬けでした。幸い娘は第一志望の高校に受かったので、ここで家族全員の慰労会をちょっと贅沢にやっちゃおうという企画です。とはいうものの、自分の中ではカミさんへの感謝の意味を込めています。口に出してはなかなか言えませんが。いつも勉強している家族を支えてくれていて、妻には頭が下がります。そういえば海外旅行は新婚の時以来行ってなかったなぁーと思い、決めました。
これからお金がかかるから、海外旅行なんてもったいないと言われる(妻だけでなく子供たちからも)のを、「じゃあ、いつくの?」「今でしょ」で押イメージ 1し切りました。やっぱり行ってよかったです。行く前と後では気持ちが軽く感じます。世界にはこんな心地よい風がいつも吹いている場所があるんだーと体感するのが、心に栄養だった気がします。プールサイドのバーで妻とカクテルと気取りましたが、子供も隣でフルーツジュース。まあそれでも十分くつろげました。子供たちにも初めての海外。何かを感じてくれたらいいがと願いつつ。また何年後かに行きたいと思っています。
 
こんにちは、ksugiです。
技術士に奇跡の合格から早いもので2年たちましたが、合格してから自分にいろいろ変化があったと実感しています。
今日はその中の1つである、マラソンをネタに記載したいと思います。
 
技術士を受験している頃は体重が今より18kg位重くて、結構やばい状態でした。
(まあ、その体型で貫録があると思われ口頭試験をパスしたのかもしれませんが)
受験が終わってからダイエットに取組み、その手段としてランニングを始めたのですが、走れるスピードも距離も伸びてくると楽しくなってきて、その成果を試してみたいとマラソン大会に出るようになりました。
マラソンは個人に合った楽しみ方ができ、一人でもできるのが魅力です。
目標を設定し、それに向かって努力して目標を達成したときの喜び。そして、自分超えを果たした時の満足感。これらは技術士試験と相共通していると思います。
先週(3/23)の能登和倉マラソンでは前半速く突っ込んだため後半大失速し、3時間30分切りに13秒届かないという悔しい結果となりましたが、そもそも技術士に合格しなければフルマラソンを走ることもなかったでしょうから、技術士が自分に変化をもたらしてくれたと思っています。
 
ある目標を持って目標に向かって頑張ると、人生が良い方に向かうと思います。
いつかはサブ3達成!という大きな目標を持って、これからも自分超えをしていきたいです。
子供が原因不明の高熱(背中の痛みを伴う)になりました。(現在はすこぶる健康です!)
 
すぐに近所の医者に連れて行き、病状を伝え薬を処方していただき対処していましたが、1週間以上40℃以上の熱が続く状況でした。
 
処方していただいた解熱剤(背中の痛みにも効く鎮痛剤効果もあったようです)を子供に飲ませると、熱も下がりちょっと元気になるのですが、数時間後には熱がまた上がり、背中の痛みを訴えるのでした。
本当にかわいそうでした。
 
根本的な原因究明が必要と考え、大学病院に連れて行き、血液検査等の精密検査を経て、やっと溶連菌によるものと判明しました。そして溶連菌の抗生物質を処方していただきました。
 
 溶連菌の主な症状としては下記があるようです。
1.  全身あるいは部分的に発疹が発生
2.  のどの痛み、イチゴのように舌が赤くはれる
3.  高熱
 
子供の症状は高熱と背中の痛みで、のどの痛み・舌の赤み、発疹はでていませんでした。
 
今回は症状からは溶連菌と推測できませんでした。
 
溶連菌は内臓の炎症につながることもあるそうで、今回の背中の痛みは内臓(腎臓らしい)が溶連菌感染し炎症を起こしていたためのようです。
炎症によって白血球や内臓炎症を示す数値が高い数値を示していました。
 
抗生物質を飲ませましたらすっかり元気になりました。(良かった!)
 
(抗生物質は飲みきりが必須!よくなったといって薬をやめるとぶり返すことがあるとのことです。)
 
 子供の病状を医者にしっかり伝えるのは親の務めです。
いつもと違う子供の状況を見極めていればもう子供が少し早く元気になれて、つらい思いをしなくてもすんだのかなと、反省する出来事でした。
そのためには普段の子供の様子をしっかり把握しておくことが大事ですが、嫁さん任せかなーっと、さらに反省。
 
みなさん、こんばんは。今回のブログを担当するmaguです。
3月も半ばになり、新年度に向けて入社や退職、入学や卒業、進学や栄転(左遷?)による引っ越し・・・などなど、世の中は何かと多忙でありソワソワした時季であります。そんなこんなであれやこれやと忙しくしているうちになんとなく日々すごしてしまっているわけなんですが、結構、いろいろと考えているもので・・・、まぁ、そんな感じで投稿させていただきます。
 
最近のテレビでも異色多様な事柄が報道されていてこちらもなかなか話題が豊富であり、STAP細胞・JR北○○の事故・東芝技術流出問題・独禁法公取問題などなど、国民としても技術者としても興味深々・・・というところです。
そんな中でも特段に気になるのは、3年前の3.11東日本大地震です。不明者もいまだ多く、まだ仮設住宅に避難されている方や当時の体験によるPTSDなどに悩まされている方などの報道が今週のテレビでは特集で報道されていました。直接な震災被害者でない私もその報道をみて、あの悲惨な震災を再度思い出し深く考えているところです。ここではあまり深くは書く気はありませんが、原発再稼働にしても地域的な問題と政治家や住民の主張、活断層診断、○○委員会での審査、各電力会社の主張など、膨大な事案があり、慎重な審議が望まれています。これは解決とかいうよりも安全安心を前提にしてほしいなぁとひとりの技術者として切望しているところです。
あと気になっているのが、「独禁法(私的独占の禁止および公正取引の確保に関する法律)」です。これは私自身が営業を担当することも多々ありますので日頃から注意しておくべき事項なのですが、先日たまたま参院予算委員会の中継を見ていたら、とある参院議員が総理に強く主張していたので思わず見入ってしまいました。まぁ、ここでその内容には触れませんが、要するに官製談合、カルテル、公取違反などは利害関係がある人や競合他者と一切接触をしなければ回避できる話なのでしょう。しかしこれが難しいという局面がまったくもって多いのも事実なのです。親族兄弟で別社同業だったり、または、長年提案営業していて具体的な事案になるころに予算化しようとしたら補助事業になり・・・と、思いがけなくさらにキリがないくらいに人と人のつながりがでてきて結果的に不適切になってしまうとか・・・、などの想定外があるのです。大手企業なら定期的な担当替えで対応できるかもしれませんが、ほとんどの企業はそうはいかないわけです。大手の法務担当などは自社の取組の分のみアピールし、社会問題としての視点がないので参考にならない程度でしか述べていないことが多いですし。書ききれないので割愛しますが結果として、これもなかなかよい解決案がないのです。
世の中には解決案が見いだせない問題が膨大にあることは当たり前の事実であります。私個人としては技術士のモラルがあるのでそれをよりどころ(縛り?)にして対応できるのだが、企業内技術士の立場としては軋轢が生じることもあるので厄介なこともある(厄介でも動じないキャラで通っているので厄介なのは私自身かもしれないが)。これも解決案が見出しにくい事項である。凛としてぶれない社会人として振舞いたいと強く思うのだが・・・。
以上、日々雑感でした。
 次の4月に会社で部署異動があり、2年目はあわただしい中での準備となりました。1年目に失敗した青本読みをやめて、2年目からは、PMPさんから提供していただいている「総監 虎の巻」という資料を使って勉強することにしました。青本と比べると格段にわかりやすく読みやすい内容だったのですが、やはり、内容は眠くなるものばかりで、電車の中で「虎の巻」を抱えて寝込んでしまうことがたびたびありました。そんな中でも1年目に失敗した論文の内容を何名かの総監技術士に添削していただき、総監について、わかりかけてきたところで2回目の試験となりました。
 
 試験当日、選択問題はやはり難しいのですが、「1年目よりは、ましになったかな。」という状態で終えることが出来ました。次は、午後の論文にかかります。答案用紙が配られて、問題を読んで骨子を考えようと思った瞬間、「何これ?」と唖然としました。前年と比較し、制約が多く、自由に書けない問題に変わっているのです。いやあ、まいったなあと思いながら、書き始めたものの途中で、問題が起きました。影響分析に関して記述しなければならない箇所で時間を使いすぎてしまい、気が付いたら試験時間が1時間しか残っていなかったのです。1時間で残り3枚の論文を仕上げなければなりません。こうなると後は気合です。考えられることをどんどん書き始めます。残り15分の時点で1枚白紙の状態です。この時、「絶対にあきらめない。自分はできる。」と言い聞かせて、何とか書き終えることが出来ました。ちなみに、この年の評価もB(択一は2540)です。皮肉なことに、最も時間をかけた影響分析の箇所に必要な事項が記載されていないのが致命的となりました。当時、自分が専門としていた事項について詳しい内容を書きすぎて、肝心なことが入っていなかったというお粗末なものです。今後、受験を志す方も気を付けて下さい。
 
 3年目に受験申込書を書く時に、私はかみさんに「もう辞めたい。」と言いました。当時、業務で大きなストレスを抱えていた上に、土日は、勉強時間を確保するために、かみさんと息子に外出するように頼まなければなりません。子供が小さいうちにこんな生活を続けていくのが正しいのだろうかと自問自答しました。しかし、かみさんからの返事は意外なものでした。「ここまで続けたのだから今年もやるべきじゃない?土日は私が何とかするよ。」この言葉で、再び、受験を決意することにしました。しかし、すでにGWに入っており、受験申し込みの期限が迫っていたので、大急ぎで書類を準備する羽目になりました。結局、提出したのは締め切りの1日前というありさまです。今年もこんなんでうまくいくのだろうか。波乱を予感させるスタートとなりました。
 
 3年目は、「総監 虎の巻」をただ、読むのでは無く、自分の言葉に直してノートを作るところから始めました。すると、今までわからなかった内容が理解できるようになりました。結局、今までは、読んで理解したふりをしていただけだったのです。総監の勉強では、第1章の「総合技術監理の要求内容と技術体系」という項目が最も大切で、今までに延べ10回以上は、読んでいたと思いますが、完全に理解できていたわけでは無かったのです。これでは、合格に至るはずがありません。その他の項目についても、同様の勉強をすることで理解を深めることが出来ました。そんな感じで勉強しながら、3回目の試験に臨みました。
 
 3回目の試験は、意外な感触から始まりました。択一式問題を解いて「あれ、もしかしたらいけるかも。」と思ったのです。内容は、それなりに難易度が高いものではありましたが、前年と比較して、問題が、素直で解きやすくなっていたのです。例年にない状態で午前の試験を終えて、午後に試験に入りました。今年は、設備保全に関する問題です。「これは、良い問題が出たな。」と思いました。現在、業務で設備保全の業務に関わっており、ネタが豊富にある問題だったからです。更に、以前の業務で蓄えた知識も活用できます。慎重に骨子を組み立てた上で、論文を書き始めました。2時間ほど経過し、残り3枚となったところでトイレに行くことにしました。(これが後で、波乱を呼ぶことになります。)戻って、書き始めると、意外に時間が足りないことがわかりました。最終ページを残して残り、20分です。「ここまできたのに、これはやばい。」と思い、必死で書き始めました。5分前に何とか終了です。しかし、最後の項に必要な総監用語がちりばめられてないことに気が付きました。残り1分です。さすがに修正はあきらめて試験を終えることにしました。帰りの電車の中で私は、暗澹たる気持ちになりました。せめて、あと10分だけ時間があれば、きちんとしたものが仕上げられたのに・・・。それでも、万が一の合格を信じて再現論文を仕上げました。しかし、受験票を開く気にもならなかったので、受験番号は近くにあった昨年の番号を記述するというやる気のない状態での作業でした。
 
10月末、合格発表がありました。結果は、まさかの合格です。やったあと思いましたが、同時に、気が重くなりました。なぜなら、この次に、厳しい口頭試験を受けなければならないからです。
 
 口頭試験の準備の前に、ネッペの口頭試験セミナーを実施しました。口頭試験を受験する立場にいる私にとってこのようなセミナーの講師をすることも貴重な経験です。皆、優秀なメンバーばかりで、口頭試験の結果も良好だったとの報告が届いて講師としては、ほっとする・・・と書きたいところなのですが、この時点で、私の試験は終わっていません。もしかして、3人合格して、私だけ不合格になったら、これはしゃれにならないぞと思い、何かに取りつかれたように勉強しました。150問の想定問答を作り、模擬面接を2回受けて講師の方からお墨付きをもらいました。これで、もう問題ないだろうと思いながら臨んだ口頭試験だったのですが、そこには思わぬ落とし穴が潜んでいたのです。
 
 口頭試験当日、緊張しつつこれが終わったら自由の身だと思いながら試験に臨む私がいました。しかし、本番は模擬面接とは違い、思い通りに話せません。150問の想定問答も頭の中から消えています。気が付くと、想定問答や模擬面接で話していた内容と全く異なる回答をしていました。質問に対して総監の視点で回答できていない箇所もあるなど、散々な出来で、口頭試験を終えてしまいました。口頭試験を終えて帰るときに、試験官が、「これで結構です。ありがとうございました。」と言いました。「これで結構です」は、「これで合格に至っているので問題ありませんよ。」と言われたのか、「もう話を聞いてもらちが明かないから帰っていいよ。」と言われたのか、不安が残ります。結局、合格発表までの2か月間、夜も寝ることができずに苦しむことになりました。
 
 合格発表当日、もう、寝ることなどできません。ほとんど徹夜状態で、5時になるのを待ちました。しかし、いっこうにアップされません。なぜか合格祝賀会の情報が先にアップされている始末です。「祝賀会はいいから、合格発表を早くやってくれよ。」と思いながら、待つこと1時間、ようやく合格発表の時間になりました。PDFファイルを開けてスクロールした先に待っていたものは・・・・。私の番号がそこにはありました。感動したというより、とにかくほっとしました。これで、口頭試験で苦労したメンバーに顔向けができる。受験を許してくれたかみさんに顔向けができる。会社のメンバーにも顔向けができる。色々な思いがこみ上げてきましたが、最後に思ったのは、「口頭試験の試験官様、ありがとう。これで、4月からまともな生活を送ることができます。」という情けない内容です。ちなみに、私の上司は、いいかげんな気持ちで書いた再現論文に記載した受験番号を見て、不合格を確信したそうです。いいかげんな仕事をすると色々な人に迷惑をかける良い例ですよね。
 
 長々と書きましたが、私の受験体験でかっこいい内容は、何一つありません。でも、かっこ悪いながらも、あきらめずに続けてきたのが良かったのかなと思います。乱文にも関わらず、ここまで読み進めて下さった皆さん、本当にありがとうございます。ここで記述することが出来なかった、詳しい内容については、全国大会の時にでも話をさせていただければと思います。また、口頭試験の再現や総監受験の情報が欲しい方は連絡してください。できる限りのことは協力させていただきます。では、ネッペの皆様、今後ともよろしくお願いいたします。
こんにちは、関東支部のhideと言います。私事で恐縮ですが、先日、3年間の格闘の末、技術士の総合技術監理部門に合格することが出来ました。ふつうは、合格するとかっこいいことを書きたいと思うものですが、悲しいことに私には、そんなエピソードは無く、業務に追われながらあわただしく受験し、満足できない結果に落ち込みながら、ぎりぎりのところでようやく合格に至ったと言うのが正直なところです。そんな私の合格体験記をアップしてみようと思います。少し長いですが、最後まで読んでくれるとうれしいです。
 
 私が総監を受験しようと思ったきっかけは、若いときのプロジェクトの失敗でした。明らかにマネジメントが不足した状態で、毎晩深夜まで作業をさせられた挙句、プロジェクト失敗の責任の一端を担わされたのです。当時は、非常にくやしい思いをしました。同時に、管理職に昇進した時には必ず、マネジメントスキルを身に着けてこのような思いを部下にさせまいと誓ったのです。
 
 そんなわけで、技術士の機械部門を取得してから、2年後、管理職に昇進したのをきっかけに総監の勉強を開始しました。総監の試験は、マークシートを使った択一式問題と記述式問題の2点で構成されています。択一式問題で総監に必要な5つの管理に関する知識を有しているのかどうかを確認し、記述式問題で課題解決能力を有しているかどうかを確認します。試験で合格点を取るためには、まずは、知識を得なければ話になりません。そのためのバイブルとして「青本」というのがあります。総監の勉強は、青本を読むところから始めるのが一般的です。しかし、これがつらいのです。たぶん、トータルで3回程度、青本を読んだと思いますが、内容が、頭の中に入ってきません。しかも、読んでいるうちに、眠気が、睡眠薬のように襲ってきます。就寝前に青本を読み始めて朝、青本が顔の上に覆いかぶさっているのに気が付いて起きたことが何度もあります。こんな状態で勉強を続けても成果が出ないと思い、仕方がないので、択一式問題を解くところから始めることにしました。(実は、それが失敗の始まりだったのですが・・・。)択一式問題の過去問を解くと、何となく自分が総監の内容を理解した気分になってきました。それに加えて、記述式問題の過去問を3パターン位、書いたことで自分はもう、大丈夫と思ってしまったのです。そんな状態で臨んだ1年目の試験は、散々なものになりました。
 
 試験当日、まずは択一式問題に取り掛かりました。しかし、択一式問題の過去問を解いていた時に簡単だと感じていたはずの問題が全く解けません。簡単な試験問題であれば、「不適切なものは何か?」と問われますが、総監の場合は、「不適切なものの数を答えよ?」と問われます。要は、内容をいいかげんに覚えていたのでは歯が立たないのです。確実に解けると思って挑んだ計算問題も、今までに出題されなかったパターンの問題が出てきて歯が立ちません。結局、午前中は惨敗となりました。気を取り直して、午後の試験に臨んだのですが、とりあえず問題を読んで、骨子も書かずに書き始めると、どうも勝手が違います。機械部門の試験の時は、最大で3枚の論文(経験論文の時は6枚でしたが・・。)しか書いたことが無く、5枚もの論文を書くペースがつかめないのです。しかも、家で練習した時には、パソコンで書いていたので、間違いをすぐに修正できたのですが、本番ではそうはいきません。結局、5枚中4枚しか書けずに記述式試験を終わりました。Net.PE.JPの論文添削の際に、「要求される枚数を必ず満たすこと。」と注意をしていた私ですが、そんな事もできない自分に愕然としました。受験生から「おまえに言われたくない。」と指摘されてもおかしくないシチュエーションです。この経験があってからは、他人に指摘をするときには、ただ単純に要求される枚数を満たせと言うのではなく、どのようにすれば枚数をかせげるのか念頭において話をするようになりました。ちなみに、この年の評価はB(択一は21/40)で終わりました。(後編に続く)
 東京の単身社宅で夕食の支度をしていると、台所の窓の外に
ヤモリが白いお腹を見せて貼り付いているのを良く見かけました。
長野ではヤモリを見たことがなかったので、興味津々で見守って
いました。窓ガラスのヤモリの他にも玄関先で子どものヤモリを見
かけたこともあり、どこかに巣があったのかもしれません。それが昨
年のある秋の夜のことでした。台所で洗い物をしていると、小さなヤ
モリがシンクの壁に貼り付いているのを見つけました。愛嬌のある姿
に惹かれ、早速プラスチックケースに入れて飼い始めました。ヤモリ
の口元はスマイルマークのようで、正面から見るとまるで微笑んでい
るように見えるのです。この笑顔に魅せられて「ヤモリスト」になる人
も多い?のだとか。冬眠しているクモを与えると、それまでじっとして
いたヤモリがクモをめがけてばっと駆け寄り、ぱくっと食べる姿は感
動的でした。しかし素人には冬期の飼育は難しく、結局年明けに死な
せてしまいました。生き物を飼うためには、それ相応の知識や技術、
それと覚悟が必要だと思い知った一件でした。
 ところで、ヤモリが壁や天井に貼り付いていられる理由をご存じで
しょうか?私はてっきり指先に吸盤がついているためだと考えていま
した。しかしそうではなくて、指先のひび割れ構造の中に数十万本の
剛毛が密生しているのだそうです。さらに毛の先端は細かく枝分かれ
しており、その直径は200nmほどの大きさなのだそうです。その毛の
一本一本が壁との間にファンデルワールス力を発生させるために、
ヤモリは壁や天井を歩けるのだと知りました。
 このヤモリの指先の構造にヒントを得て、粘着剤を使わない接着テー
プが開発され、工業用をはじめ医療用への応用も期待されています。
このように自然の形に学ぶ設計思想をバイオミメティクスといいます。
代表的な例が、サメ肌の構造を摸して水の抵抗を減らし、新記録を
量産して競泳界に革命をもたらしたSPEED社の水着といえるでしょう。
ヤモリのように普段見かける小さな生き物たちの中に大きな可能性が
眠っているかもしれません。その中から、ブレークスルーとなりうる革新
的な技術が生まれたら、素晴らしいことだと思います。
                                 (文責 古田賢司)
こんにちは、takaです。
東京では、2/14~15は先週の大雪を超える記録的な大雪となりました。山梨など近隣では孤立した地域が出るなど大変な状態になっていますが、皆さんのところは大丈夫でしたか?
 
私にとっては、材料力学の重要性を思い直させられる出来事が起こってしまいました。
その出来事とは、大雪によりカーポートのメインの支柱がぽっきり折れてしまったことです。片持ち型のタイプ(L字をひっくり返したような形)で、屋根の上に積もった雪の重みがメインの支柱にすべて力がかかってしまい、破壊応力を超えてしまった模様です。
さて、問題です。この場合屋根の上の雪の重みを受けて曲げ応力がもっともかかるのはどこでしょう?、、、、、、
そうわかりますね、土台にいちばん近い辺りです。この部分で見事にポキリと折れてしまいました。
 
もう一点同じく思い起こされたのは、材料の影響です。今回折れた支柱はアルミでした。折れた場所以外はどこも曲がることもなく、折れた場所でポキリとなっていました。これが鉄製だったらもう少し全体が曲がって変形していたのかなと思います。
 
更に、周辺に何件かカーポートにダメージを受けている家を見かけますが、多くは別のタイプの壊れ方でした。メインの支柱が折れるのではなく、屋根の部分がそのまま下に落下するタイプでした。仮に想定を超えるような力がかかった場合にどのように壊れた方が良いのか、弱いところをどこにしておくのかも、設計時に考えておかなければならないということを改めて肝に銘じた出来事となりました。
 
さて、もう一度自分の設計見直そうかな。
こんにちは、Renです。

早いもので2月も半ば、私の職場では昨年入社した新人君たちが、
一年間の研修をまとめる論文と、研修発表の準備に追われています。

彼らの論文を見ると、自分のやったことについては詳しく語っている
ものの、「それやって何がウレシイの?」「それでナンボ儲かんの?」と
つい突っ込みを入れてしまいます。

かく云う私も、実はこの一年間、会社の中堅エンジニアの研修に参加し、
先日提言書をまとめて、報告会に出てきました。

そこで講師陣から突っ込まれたのも、「それで事業に貢献できるの?」
「その提言で本当に目標は達成できるの?」という点で、結局、研修生と
あまり変わらない実態を痛感いたしました。

まず、「あるべき姿」を明確にし、「現状」を徹底的に分析して、そこにある
差が「課題」であり、その課題を解決できる方策を考えて実行することが、
すなわち「仕事」です。

与えられているポジションにより、仕事の内容や責任の重さには違いが
ありますが、この考え方を間違うと・・
 ・「あるべき姿」に向かってではなく、「できること」のみで妥協してしまう
 ・「現状」に即していないので、改善が定着しないで空中分解する
 ・真の「課題」が見えていないので、効果的な対策が出てこない
という、時間と金と労力のムダに陥ってしまいます。

普段の業務の中でも、常に意識しなければならないのですが、ついつい
惰性やショートカットで「作業」をしてしまいます。
改めて研修の場で「仕事」の意義と進め方を知らされました。

 何のための「ものづくり」か。
 何のために働くのか。
 何のために生きるのか。

ハッキリと「あるべき姿」を見定め、今の自分の「現状」を知り、その差を
あせらずたゆまず、日々、縮めていくのが「仕事」であり、「人生」。

『研修生諸君!
今は小うるさいオッサンと思うかもしれないけれど、仕事のイロハを
徹底的に学ぶのは今だよ!』

・・と、ようやくイロハが身に染みてきたオッサンからの助言でした。