オヤノコトネットという会社がある。首都圏の駅周辺でフリーペーパーを配っているようだが、その名もズバリ「オヤノコト.マガジン」。すごい名前だ。冊子の表紙には「(R)そろそろ親のこと…」と大書してある。(ちなみにオヤノコトネット社は「そろそろ親のこと…」という言葉を登録商標としているらしい。だから(R)となっているわけだ)
ところでオヤノコトネットによれば、”「オヤノコト世代」というのは、高齢の親をもつ30代後半から60代の子ども世代を示す、弊社の造語です”、ということらしい。このことばに、現在未曾有の少子高齢化時代を迎えているわが国の実態が端的に表現されている。そう、30代だけにとどまらず、60代までが「子ども世代」なのだ。
「60代が子ども世代」という、この言葉に違和感を感じないだろうか? 60代が子ども…これはどう考えても直観的には理解しがたい概念だ。定年退職するような団塊世代のおじいちゃんが「子ども」。これは、人間の正常な感覚からすると異常だ。この世代はリタイアする世代であり、次の世代に遺産を引き継ぐ世代であっても、相続する側ではないはずだ。
しかし、これこそがまさにわが国が未曾有の少子高齢化時代へ突入したという異常さを端的に示している証拠だろう。
偉そうに書いたが、じつはわたしは最近までこのへんの認識が甘く、小飼弾氏のブログエントリを読むまで、日本における世代対立は「老人vs若者」だと思っていた。だが、実は「超高齢者 vs 高齢者 vs 若年層」という構図だったわけだ。
景気の波より人口の波 - 書評 - デフレの正体 (dankogaiのブログ)
わたしはこの本はまだ読んでいないが、弾さんの引用によると
「(日本では)亡くなる側ではなく相続する側の平均年齢が六七歳だというのです。」
ということで、老人が老人に対して相続するというすさまじい時代に突入しているという。こうしたカオスな時代を象徴する「オヤノコトマガジン」。ここには、現代の日本人が目をそらすことのできないリアルな現実が書かれている。(といっても、中身は高齢者向けのビジネスが紹介されているだけですが)
ところで、少子高齢化に対する最後の希望であるはずの”団塊ジュニア”世代はこんな状況にある。
保育所の規制緩和はすぐに実現可能な少子化対策 - Joe's Labo
わたしも団塊ジュニア(正確には団塊ジュニアの少し下)だから他人ごとではない。かくして未曾有の少子高齢化社会はますますのっぴきならない状況に陥り、日本は老人だらけのものすごい国になってしまうのも時間の問題となった。もうそうなっているという見方もある。このような状況では、納税力のある優秀な知識層が今後どんどんと海外に脱出してしまうのではないかという危惧も、あながち杞憂ではないかもしれない。
ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない [DVD]/小池徹平,マイコ,田中圭

¥5,040
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映画版の方である。
わたしは(自主制作?の)漫画版を読んだことでこの作品(?)を知ったので、どうしても登場人物を漫画のそれでイメージしてしまう。といってもわたしが読んだ時点ではまだ藤田さんの過去は明らかにされておらず、かといってまとめスレでストーリを追うのも億劫だったので、じつは途中までしか知らなかった。そういう手合いにとって、品川祐の「リーダー」はもちろん、「中西さん」役のマイコなんかはものすごく違和感がある。まあそういうキャスティングの妙は実写化につきものなので、それはさておき、手っ取り早くあらすじをなぞるには映画版が最適だろう。
最初はもちろん「2ちゃんねる発の物語を映画化か。また電車男の二番煎じかよ」と思ったのだが、時代の流れとプロフェッショナルの手腕というのは想像以上に素晴らしく、スレッドの盛り上がり的なノリや、孔明ネタの演出などは秀逸と言うしかない出来だ。そういう2ちゃんっぽさを出しながらも、ちゃんと盛り上がりを用意し物語として完結させている。タイトルや出自は”色もの”的だが、ビルドゥングスロマン(成長譚)としてのカタルシスは十分にある。これは現代の若者の冒険物語と評したい。
これは思うに、視聴者側(つまりわたし)がニコニコ動画的なノリにどっぷりと浸かっているから違和感を感じないだけなのかもしれないが、一方でクリエイタ層がこうした2ちゃんねる的なバックグラウンドに慣れてきているというのもあるだろう。そういう意味ではタコ壺的な映画ではある。
ところで先ほど「成長譚」と書いたが、必ずしも希望があるわけではない。小池徹平という”アイドル”を起用し、見た目ポップな作風でうまくまとめてはいるけれども、扱うネタは労働市場の矛盾そのものだ。結局マ男はブラック企業に残り続けるわけだし、ブラック企業がホワイトになる可能性は少なくとも作中では描かれない。うがった見方をすれば、こうして自己解決できる若者が増えれば増えるほど、ブラック企業がますます増え、労働市場が硬直化する原因になってしまうとも読みとれる。こうした作品が自分語りの域を超え、政治色が出てくるようになれば、世の中の流れも変わってくるのだろうが、そういう時代は来るだろうか。

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最初はもちろん「2ちゃんねる発の物語を映画化か。また電車男の二番煎じかよ」と思ったのだが、時代の流れとプロフェッショナルの手腕というのは想像以上に素晴らしく、スレッドの盛り上がり的なノリや、孔明ネタの演出などは秀逸と言うしかない出来だ。そういう2ちゃんっぽさを出しながらも、ちゃんと盛り上がりを用意し物語として完結させている。タイトルや出自は”色もの”的だが、ビルドゥングスロマン(成長譚)としてのカタルシスは十分にある。これは現代の若者の冒険物語と評したい。
これは思うに、視聴者側(つまりわたし)がニコニコ動画的なノリにどっぷりと浸かっているから違和感を感じないだけなのかもしれないが、一方でクリエイタ層がこうした2ちゃんねる的なバックグラウンドに慣れてきているというのもあるだろう。そういう意味ではタコ壺的な映画ではある。
ところで先ほど「成長譚」と書いたが、必ずしも希望があるわけではない。小池徹平という”アイドル”を起用し、見た目ポップな作風でうまくまとめてはいるけれども、扱うネタは労働市場の矛盾そのものだ。結局マ男はブラック企業に残り続けるわけだし、ブラック企業がホワイトになる可能性は少なくとも作中では描かれない。うがった見方をすれば、こうして自己解決できる若者が増えれば増えるほど、ブラック企業がますます増え、労働市場が硬直化する原因になってしまうとも読みとれる。こうした作品が自分語りの域を超え、政治色が出てくるようになれば、世の中の流れも変わってくるのだろうが、そういう時代は来るだろうか。
受託開発の極意―変化はあなたから始まる。現場から学ぶ実践手法 (WEB+DB PRESS pl.../岡島 幸男

¥1,554
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「WEB+DB PRESS Plus」ブランドの本は、他にもいい本がたくさんあるが、内容が難しいのであまり理解できない(笑)ことが多い。たとえば「[24時間365日] サーバ/インフラを支える技術 ~スケーラビリティ、ハイパフォーマンス、省力運用」なんかも買って読んだが、正直ここまで深いレベルでサーバメンテナンスをやったことはないので、わたしにはただの遠い世界の読みモノにすぎなかったw サービス的には色々言われているはてなだが、技術的には確かなものを持っているすごい会社だ。
で、一方でこの本はどちらかというと初心者向けと思われる内容。誤解を恐れず言えば、かなり内容が薄く(本も薄いが)、広く浅くカバーするといったところ。専門的、技術的なノウハウというよりは、「気持ちの問題」に重点を置いているので、すでにある程度実績のある現場マネージャが、日々の仕事にマンネリ化を感じモチベーションが下がっているような状況で読むのがしっくりくる気がする。見積もりや設計のハウツーとしてはいささか不十分だが、そもそも基本的なことすらできていないのが日本の現状らしいので、そういう意味でも入門書として使えそうだ。ただし、「極意」は言いすぎだろう。「受託開発に疲れたひとへ」くらいのほうがいいかもしれない。
著者はプロジェクトファシリテーションに興味があるようで、たぶん本当に言いたかったことは第二部の「人と組織を変えること」というテーマなのだろう。「何かを変えたいと願うのならば、まずあなたからはじめるしかないのです。(p20)」って、草薙素子も言ってたような。ちょっと違うかw
ところで、いちばん凄いと思ったのは、著者が日本の受託開発業務に従事する現役の会社員であり、そのうえで、実名で本業そのものずばりの本を書いていることだろう。ブログも運営している。著書にもある通り日本の情報サービス業の半分くらいが受託開発(受注ソフトウェア業)だそうだが、こうした受託開発に真正面から向き合って書いた本はあまりないような気がする。本を書くような環境にないからだろうか。
本書にならって、経済産業省の統計からグラフを起こしてみた。たしかに受託開発ソフトウェア業の割合が非常に多い。これは日本のIT系産業の特徴だろう。

[24時間365日] サーバ/インフラを支える技術 ‾スケーラビリティ、ハイパフォーマンス、省.../安井 真伸

¥2,919
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著者はプロジェクトファシリテーションに興味があるようで、たぶん本当に言いたかったことは第二部の「人と組織を変えること」というテーマなのだろう。「何かを変えたいと願うのならば、まずあなたからはじめるしかないのです。(p20)」って、草薙素子も言ってたような。ちょっと違うかw
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わたしが住んでいる自治体では「敬老パス」というものがあるらしいが、近年、市長が「見直し」を検討しているらしい。それに反対する団体(共産党系?)が署名を集めるためのビラをわたしのうちのポストにまで入れてきた。非常に興味深いので引用してみようと思う。あまり意味はないのだが、思うところあって場所を特定できる箇所は伏字にしておいた。(Google先生に聞けば一発で割り出し可能なので、伏字に意味はないw)
すでにわれわれにとっては「世代間対立」が明白であるため、こうしたあからさまな老人の権益維持について協力する気にはとてもなれないわけだが、もし何も情報がなければ、「かわいそうな高齢者の生活の足を奪うなんてひどい」と思ってしまったかもしれない。
もちろん、この負担はわれわれが納める市民税から払われるわけで、むしろ人口比からいえば大変なのは納税する側なのだが、このビラが面白いと思ったのは、書いているひとたちがそのあたりを巧みに混同させている点だ。
言うまでもなく負担が増えるのはこの制度を利用している高齢者のみだ。決して市民全体の負担が増えるわけではない。だがここでは明らかに「市民負担」として主語を混同し、意図的に印象操作しようとしていることがうかがえる。
自然増」なのだから逆らうな、というのは、非常にエキセントリックな論理だが、政治的にはかなり本質を衝いている。日本でボンヤリ生きていると、この理屈に正面切って反論するのはなかなか難しいだろう。社会主義者は、ある意味で主義主張が一貫しており、政治的にも立ち回り方がうまく、見習うべきところは非常に多い。
ところで3案ある見直し案をざっとながめると、いずれも現行制度を維持しつつ、段階的にソフトランディングしようとしている点で非常に現実的な解だと思える。たしか現市長は民主党推薦だったと思うが、実業家出身だけあってまともな経済感覚をお持ちのようだ。
○○市長 ○○ 様 敬老パス(敬老特別乗車証)制度の現状維持を求める要望 |
日頃の市政への御尽力に敬意を表します。 さて、国民の生活は、依然として厳しさが続いています。特に高齢者の生活は、無年金、低年金者も、年金額も据え置かれたままで、後期高齢者医療保険料などの税・保険料の負担は上がる一方です。 このような中で、横浜市は、財政逼迫を理由にして、敬老パスへの市費の投入額の増大を抑えるため、見直し案(市民負担増3案)を市議会にxx月xx日に提示しました。見直し案は、長寿社会といわれる昨今、年々高齢者が増えるのは、当然であるにもかかわらず、自然増分を認めないで、いずれも市民に負担増を負わせるものです。敬老パス制度の主旨に反するもので、高齢者のさまざまな社会参加にブレーキをかけるもので到底認められません。市費の自然増分は、市の予算規模からして予算の使い方で解決すべき問題です。 敬老パスは、1974年(昭和49年)高齢者の社会参加を支援し、高齢者の福祉の増進を図るために市内在住の70歳以上の方を対象にしてつくられた市の制度で、現在約xx万人の高齢者が利用しています。高齢者の社会参加、いきがい、通院、買い物、生活の足の支えとして、利用者から大変に喜ばれている制度です。見直し案の1案は、市費の投入額で、xx億円を上限に設定し、三年ごとの見直しで、市民負担が増大。第2案は、敬老パスの交付対象者を「70歳以上」から段階的に「75歳以上」に引き上げる。第3案は、フリーパス方式とワンコイン方式(乗車の都度、現金100円を支払う)の選択制となっています。 見直しの日程は、xx年xx月中旬以降の議会での審議を経て、同年xまでに条例案化され、市会第三回定例会(xx月議会)で条例改定後、xx年xx月の乗車更新時から見直しによる制度実施となる計画です。 戦後の日本を築くために貢献された高齢者の方々が安心して敬老パスを利用できるよう以下の点について要望します。 【要望内容】 敬老パス(敬老特別乗車証)制度は、現状を維持してください。 |
すでにわれわれにとっては「世代間対立」が明白であるため、こうしたあからさまな老人の権益維持について協力する気にはとてもなれないわけだが、もし何も情報がなければ、「かわいそうな高齢者の生活の足を奪うなんてひどい」と思ってしまったかもしれない。
もちろん、この負担はわれわれが納める市民税から払われるわけで、むしろ人口比からいえば大変なのは納税する側なのだが、このビラが面白いと思ったのは、書いているひとたちがそのあたりを巧みに混同させている点だ。
長寿社会といわれる昨今、年々高齢者が増えるのは、当然であるにもかかわらず、自然増分を認めないで、いずれも市民に負担増を負わせるものです。 |
見直し案の1案は、市費の投入額で、xx億円を上限に設定し、三年ごとの見直しで、市民負担が増大。 |
言うまでもなく負担が増えるのはこの制度を利用している高齢者のみだ。決して市民全体の負担が増えるわけではない。だがここでは明らかに「市民負担」として主語を混同し、意図的に印象操作しようとしていることがうかがえる。
自然増」なのだから逆らうな、というのは、非常にエキセントリックな論理だが、政治的にはかなり本質を衝いている。日本でボンヤリ生きていると、この理屈に正面切って反論するのはなかなか難しいだろう。社会主義者は、ある意味で主義主張が一貫しており、政治的にも立ち回り方がうまく、見習うべきところは非常に多い。
ところで3案ある見直し案をざっとながめると、いずれも現行制度を維持しつつ、段階的にソフトランディングしようとしている点で非常に現実的な解だと思える。たしか現市長は民主党推薦だったと思うが、実業家出身だけあってまともな経済感覚をお持ちのようだ。
レスラー スペシャル・エディション [DVD]/ミッキー・ローク,マリサ・トメイ,エヴァン・レイチェル・ウッド

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ミッキー・ロークといえば「猫パンチ」。しかし、実際にその猫パンチを観たことはない。かれは、わたしよりもう少し上の世代によく知られたヒーローだろう。その証拠に、わたしはかれがプロボクサーだったという事実を今日初めて知った(わたしが鈍いだけ?)。
これはかつて一世を風靡したプロレスラーが、衰えた肉体を薬と酒でごまかしながら興行を続けるというドラマ。かれは長年のステロイド接種がたたって心臓発作で倒れ、選手生命を断たれてしまう。興行を続けることができなくなったかれは引退を決意し、絶縁していた娘と仲直りしかけるも、寸前のところでうまくいかず、またショウバーで出会ったコールガールとの恋もあと一歩のところですれ違ってしまう。そんな中、結局自分の居場所がリングにしかないと気付いたかれは、心臓の痛みを隠して、再びリングへと向かうのだった。
…絶望的にあらすじを書くのが下手くそで申し訳ないが、まあだいたいこんなストーリである。じつに渋い。そして暗い。暗すぎる。わたしはこれを連れ合いと一緒に観たのだが、観終わった後二人で顔を見合わせてしまった。「・・・」という感じである。これはなかなかしんどい作品であった。いい映画なのだが・・・。

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これはかつて一世を風靡したプロレスラーが、衰えた肉体を薬と酒でごまかしながら興行を続けるというドラマ。かれは長年のステロイド接種がたたって心臓発作で倒れ、選手生命を断たれてしまう。興行を続けることができなくなったかれは引退を決意し、絶縁していた娘と仲直りしかけるも、寸前のところでうまくいかず、またショウバーで出会ったコールガールとの恋もあと一歩のところですれ違ってしまう。そんな中、結局自分の居場所がリングにしかないと気付いたかれは、心臓の痛みを隠して、再びリングへと向かうのだった。
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使える経済書100冊 (『資本論』から『ブラック・スワン』まで) (生活人新書)/池田 信夫

¥777
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前回の更新からずいぶんと間があいてしまった。近頃スマートフォンを手に入れたこともあり、のべつtwitterのTLをフォローしたり、RSS Readerをチェックしたりできるようになったため、PCを使用する頻度が大きく低下したことも理由の一つであるが、大きな理由は長時間労働で体調を崩してしまったことだ。
最近、twitter界隈では「長時間労働派」対「バランス派」の神学論争がおもしろい。城氏や池田先生のブログ、あるいは海外ニート氏やelm200氏のような方に「啓蒙」された身としては、この手の論争はすでに決着がついており、今更議論する必要もないと思うわけだが、やはりまだまだ日本においては長時間労働イデオロギーはメインストリームなのだろう。「とにかく長時間働かないとダメだ」というエトスは、もはや労働を超えて教義にすら感じられる。何がかれらをそこまでかたくなにさせるのだろうか?
かくいうわたしもリアル社会ではGWからいきなり徹夜、休日出勤という「それなんて罰ゲーム?」状態だったわけだが、そんなことをしていたら過労で体の調子がおかしくなってしまった。もちろん、わたしは本心では、いうまでもなく毎日早く帰りたいと切望しているし、できれば在宅で仕事したいとすら思っているくらいなのだが、リアル社会ではなかなか思うようにいかない。毎日どうやったら合理化できるだろうか、生産性が上がるだろうか、正確に仕事が終わらせられるだろうかと考えていても、どんなに頑張ってたところで、どうしても残業せざるを得ない日がある。あまつさえ徹夜せざるを得ないときもある。こうしたリアル社会と、twitterやblogで見聞きする世界とのギャップに苦しんだりする今日この頃である。まさにクソ仕事め!と心の中で呪詛を吐きながらw (まあ、別に命令されて残業を強制されているわけじゃないから、これは長期的に見れば自分のせいなのだが)
さてそんな感じで数日過労が続いたためダウンしていたわけだが、休みを取って一日寝ていたところ少しだけ元気を取り戻した。そんな病み上がりの体で職場近くのくまざわ書店に立ち寄ったところ、新刊コーナに池田先生の顔が並んでいたので笑ってしまった。そう、冒頭のサムネイルを見ていただくと判るとおり、池田先生の今度の本はオビにノビーの写真がデーンと貼られているのですw
・・・ということで、にわかに思い出したので簡単にご紹介してみる。長い前振りだったが、今回の本は「使える経済書100冊 『資本論』から『ブラック・スワン』まで」だ。
池田先生の本はたいていblogの焼き直しなので、blogやアゴラの熱心な読者ははっきり言って買うだけ無駄だというかもしれない。しかし池田先生の場合、必ずしもそう言い切れないところが面白いところだ。というのも、blogやアゴラでの文章はあまりにも端的すぎて、毎日読んでいてもその「つながり」が今一つ理解しきれなかったりするが、本にまとめられると、わたしのような「馬鹿」にもそれなりに理解が及ぶように編集されるからだ。また今回の書評本も、blog等で取り上げた書評ではなく、週刊ダイヤモンドの書評がベースになっているため、(ちゃんと数えたわけではないが)じつはblog等で取り上げられた本はあまり多くない。そういう意味でも、買って損はない部類の本だろう。
ちなみに本書で紹介されている100冊は、その一覧がアゴラで電子化されているほか、序文がブログで紹介されている。こちらも合わせて参照すると便利だろう。
・・・たしかに、ここにある100冊をちゃんと読んで理解できたら、下手なビジネススクールに通うよりよほど体系化された知識が得られるような気がするw これを、普通の社会人が読み切ることは可能なのだろうか。読み切った時点で、すでにサラリーマンじゃない気もするがw

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最近、twitter界隈では「長時間労働派」対「バランス派」の神学論争がおもしろい。城氏や池田先生のブログ、あるいは海外ニート氏やelm200氏のような方に「啓蒙」された身としては、この手の論争はすでに決着がついており、今更議論する必要もないと思うわけだが、やはりまだまだ日本においては長時間労働イデオロギーはメインストリームなのだろう。「とにかく長時間働かないとダメだ」というエトスは、もはや労働を超えて教義にすら感じられる。何がかれらをそこまでかたくなにさせるのだろうか?
かくいうわたしもリアル社会ではGWからいきなり徹夜、休日出勤という「それなんて罰ゲーム?」状態だったわけだが、そんなことをしていたら過労で体の調子がおかしくなってしまった。もちろん、わたしは本心では、いうまでもなく毎日早く帰りたいと切望しているし、できれば在宅で仕事したいとすら思っているくらいなのだが、リアル社会ではなかなか思うようにいかない。毎日どうやったら合理化できるだろうか、生産性が上がるだろうか、正確に仕事が終わらせられるだろうかと考えていても、どんなに頑張ってたところで、どうしても残業せざるを得ない日がある。あまつさえ徹夜せざるを得ないときもある。こうしたリアル社会と、twitterやblogで見聞きする世界とのギャップに苦しんだりする今日この頃である。まさにクソ仕事め!と心の中で呪詛を吐きながらw (まあ、別に命令されて残業を強制されているわけじゃないから、これは長期的に見れば自分のせいなのだが)
さてそんな感じで数日過労が続いたためダウンしていたわけだが、休みを取って一日寝ていたところ少しだけ元気を取り戻した。そんな病み上がりの体で職場近くのくまざわ書店に立ち寄ったところ、新刊コーナに池田先生の顔が並んでいたので笑ってしまった。そう、冒頭のサムネイルを見ていただくと判るとおり、池田先生の今度の本はオビにノビーの写真がデーンと貼られているのですw
・・・ということで、にわかに思い出したので簡単にご紹介してみる。長い前振りだったが、今回の本は「使える経済書100冊 『資本論』から『ブラック・スワン』まで」だ。
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ちなみに本書で紹介されている100冊は、その一覧がアゴラで電子化されているほか、序文がブログで紹介されている。こちらも合わせて参照すると便利だろう。
・・・たしかに、ここにある100冊をちゃんと読んで理解できたら、下手なビジネススクールに通うよりよほど体系化された知識が得られるような気がするw これを、普通の社会人が読み切ることは可能なのだろうか。読み切った時点で、すでにサラリーマンじゃない気もするがw
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ずいぶん有名な作品らしいが、アクション作品とアニメくらいしか見ない映画オンチのわたしは、今回はじめて知った。タイトルくらいは聞いたことがあるが・・・くらいのレベルで、連れ合いが借りなければおそらく観ることはなかっただろう。
観て衝撃を受けた。これは面白い。最高のエンターテイメントである。
調べてわかったのだが、多くの人がこの作品を「好きな映画」として推しているという。それはそうだろう。よくできたシナリオで、「希望を諦めずにいれば必ず自由をつかむことができる」というような、一見陳腐な勧善懲悪ドラマがものすごく秀逸に表現している。しかも長尺で。
おそらく観たことがないという人はいないだろうが、もし万が一観ていなければ、絶対に観るべきだ。
先日その復活を祝うエントリを書いたばかりだが、残念ながら世捨て人氏はサイト自体を閉めてしまうことにしたようだ。非常に残念である。世の中には無数のサイトが生まれては消えていくが、サイトがなくなって残念だと思うのはかつての「コム・サ・デ・ナード・メン」以来である。
「コム・サ・デ・ナード・メン」がなくなったとき、わたしは何とも言えない喪失感に陥ったものだ。後半、更新が滞り始めたころにはもうほとんどアクセスしなくなり、なくなったことすら気付かなかったのだが、かつて熱心に見ていたサイトがなくなると、いくぶんセンチメンタルな気持ちになる。そんなこともあって、当ブログの名前はその「ナードメン」からもじっているのだが、いまでは「コム・サ・デ・ナード・メン」のキーワードで検索しても、当時のよすがは見る影もない。京極堂の妖怪話よろしく、「コム・サ・デ・ナード・メン」は、この世から消えてしまったわけだ。
いまでは時代が違うから、「世捨て人の庵」はサイトを閉めた後もそれなりにログっぽいものが残るだろうし、ブログサービスとブロードバンドの普及で個人サイトを持つ人もおかげでずいぶんと増えたから、世捨て人のことを言及するサイトはこれからも残り続けるだろう。だが、何よりも当時のよすがを知る伝手は確実に失われるに違いない。そこで、世捨て人の庵を語り継ぐという意味で、非才を省みず世捨て人氏のこれまでを振り返ってみたい。もちろん、記憶を頼りに書いているので誤りがあればそれはすべてわたしの責任である。
■世捨て人の庵とは
世捨て人の庵が誕生したのは10年前と語っているから、たぶん2000年よりもう少し前のことだろう。メインコンテンツは色々と名前と形式が変わったが、趣旨は「大衆批判」で一貫している。当初は字数を決めてのコラム形式で大衆批判をしていたが、次第にブログ的な形式で時事ネタを扱うようになり、字数の削減と引き換えに更新量が増えていった。当時まだ「いい大学を卒業→大企業か官僚になる」みたいな優等生コースが最善だと信じられていたため、大衆批判というのは非常に挑戦的な試みだったように思う。事実、わたしも最初は衝撃を受けてかなり頭にきたことを覚えている。頭にきたので批判してやろうとずっとウォッチしていたのだが、次第にわたしも同じような考えになってしまったのが面白いところだ。
■世捨て人「AZMA」氏
たしか1950年代中頃の生まれだから、当時45歳くらいだったのだろう。わたしはしばしば「世捨て人」氏と書いているが、正確なハンドルネームを「AZMA」氏という。記憶をたどってプロフィールを書いてみよう。
・ハンドル名:AZMA (閉館寸前はチャールズAZMA)
・北海道出身
・某国立大学工学部電子工学科卒
・未婚
・賞罰なし
・座右の銘:人を使わず、人に使われない人生を目指して ・・・だったと思う。
略歴は以下の通りだ。
・某中小ソフトハウスでシステムエンジニアを2年くらい(激務にムカついて辞める)
・その後もフリーのエンジニアで数年
・30歳くらいで仕事を辞め、アパートを引き払って自転車で日本一周の旅に出る
・1年くらいで旅を終えアルバイト生活に(専業フリータというらしい)
・40歳くらいでSOHOやネットコマース等で生計を立てようとするも挫折
・45歳くらいで軍資金700万を手に株式投資の世界に入る
・一端投資に集中するためサイト更新を中断
・金融危機の影響(?)で資産が目減りし、株から足を洗う
・サイト再開
・サイト閉鎖←今ここ
このほかにも、記事から以下のことが推測できる。まとまってないWikipediaの記事みたいに書けば、こうだ。
・某国立大学というのは、北海道大学だと考えられる。
・オーディオが好きで音響関係の仕事に就こうとするも、サラリーマンが嫌でフリータに。
・個人でできる仕事として翻訳家を志していた時期がある。
・現在は、小田急沿い小田原付近に在住。
・SE時代は、都内で金融系の仕事に従事し、第3次オンライン化等をやっていた可能性
・松島エリースが好き(?)
・親指シフト愛好者
ここまで記憶で書ける自分が少し気味悪いが、けっしてホモではない。(ていうか会ったことないし)
■日本になじめなかった男
終始一貫した姿勢で大衆を批判し続けた氏だが、その攻撃的な文章とは裏腹に非常に人の良さそうなすがたが透けて見える。非常にモラルが高く、まじめで、業務遂行能力も高いようであり、一見何の問題もなさそうに思えるのだが、かれには唯一、日本において決定的に重要なある要素が欠落していた。それは「大衆」になれる能力のことだ。かれの言う大衆とは、付和雷同的で、文化や慣習に疑問を持たず、没個人的で、それでも自分だけは大衆ではないと思っているひとたちのことだ。要するに、わたしや、あなたたちのことだ。
平均以上の頭脳をもつかれは、日本の商文化に合わせていかようにもふるまうことができただろう。空気を読む能力も普通の日本人以上にあるように思える。だからやり方ひとつでいくらでも社会に適合することはできたはずだが、精神的な自由を手にするために敢えて自発的に経済的な自由を放棄したのだ。今の水準からすればずいぶんと極端でストイックな生き方だが、いまから30年前の日本では、かれのような「隠れキリシタン」には生き地獄だったに違いない。
■21世紀の世捨て人たち
昨今の不況の影響で、ますます保守化するわが国は、以前よりもますます排他的で非寛容、同質的で同調圧力が強くなっているように思える。だが昔と大きく違うのは、いまはインターネットがあるし、国境線も昔ほど強固な意味を持っていない。あの中国ですらいまや世界有数の資本主義大国になろうとしている。この違いははるかに大きい。たとえば、pha氏のようなネイティブなニートもいれば、海外ニート氏のように、海外脱出しておおっぴらに大衆批判をしたりするひともいる。また、日本のくびきから脱出したりもじろう氏のようなひともいる。
幕末になぞらえれば、いまだ階級の縛りは強く、人々の平均的な意識は江戸時代のそれだが、一方で脱藩しても死刑にはならず、海外の書物を読めるというような状況に近いだろう。それを考えると、わたしはいつも、世捨て人があと20年遅く生まれてきたとしたら、どのような生き方をしただろうかと思うのだ。人は時代の制約から自由にはなれないものだが、世の中というのは難しいものである。
世捨て人氏の残りの人生に大いに期待し、サイトの再開を切に願いたいと思う。
「コム・サ・デ・ナード・メン」がなくなったとき、わたしは何とも言えない喪失感に陥ったものだ。後半、更新が滞り始めたころにはもうほとんどアクセスしなくなり、なくなったことすら気付かなかったのだが、かつて熱心に見ていたサイトがなくなると、いくぶんセンチメンタルな気持ちになる。そんなこともあって、当ブログの名前はその「ナードメン」からもじっているのだが、いまでは「コム・サ・デ・ナード・メン」のキーワードで検索しても、当時のよすがは見る影もない。京極堂の妖怪話よろしく、「コム・サ・デ・ナード・メン」は、この世から消えてしまったわけだ。
いまでは時代が違うから、「世捨て人の庵」はサイトを閉めた後もそれなりにログっぽいものが残るだろうし、ブログサービスとブロードバンドの普及で個人サイトを持つ人もおかげでずいぶんと増えたから、世捨て人のことを言及するサイトはこれからも残り続けるだろう。だが、何よりも当時のよすがを知る伝手は確実に失われるに違いない。そこで、世捨て人の庵を語り継ぐという意味で、非才を省みず世捨て人氏のこれまでを振り返ってみたい。もちろん、記憶を頼りに書いているので誤りがあればそれはすべてわたしの責任である。
■世捨て人の庵とは
世捨て人の庵が誕生したのは10年前と語っているから、たぶん2000年よりもう少し前のことだろう。メインコンテンツは色々と名前と形式が変わったが、趣旨は「大衆批判」で一貫している。当初は字数を決めてのコラム形式で大衆批判をしていたが、次第にブログ的な形式で時事ネタを扱うようになり、字数の削減と引き換えに更新量が増えていった。当時まだ「いい大学を卒業→大企業か官僚になる」みたいな優等生コースが最善だと信じられていたため、大衆批判というのは非常に挑戦的な試みだったように思う。事実、わたしも最初は衝撃を受けてかなり頭にきたことを覚えている。頭にきたので批判してやろうとずっとウォッチしていたのだが、次第にわたしも同じような考えになってしまったのが面白いところだ。
■世捨て人「AZMA」氏
たしか1950年代中頃の生まれだから、当時45歳くらいだったのだろう。わたしはしばしば「世捨て人」氏と書いているが、正確なハンドルネームを「AZMA」氏という。記憶をたどってプロフィールを書いてみよう。
・ハンドル名:AZMA (閉館寸前はチャールズAZMA)
・北海道出身
・某国立大学工学部電子工学科卒
・未婚
・賞罰なし
・座右の銘:人を使わず、人に使われない人生を目指して ・・・だったと思う。
略歴は以下の通りだ。
・某中小ソフトハウスでシステムエンジニアを2年くらい(激務にムカついて辞める)
・その後もフリーのエンジニアで数年
・30歳くらいで仕事を辞め、アパートを引き払って自転車で日本一周の旅に出る
・1年くらいで旅を終えアルバイト生活に(専業フリータというらしい)
・40歳くらいでSOHOやネットコマース等で生計を立てようとするも挫折
・45歳くらいで軍資金700万を手に株式投資の世界に入る
・一端投資に集中するためサイト更新を中断
・金融危機の影響(?)で資産が目減りし、株から足を洗う
・サイト再開
・サイト閉鎖←今ここ
このほかにも、記事から以下のことが推測できる。まとまってないWikipediaの記事みたいに書けば、こうだ。
・某国立大学というのは、北海道大学だと考えられる。
・オーディオが好きで音響関係の仕事に就こうとするも、サラリーマンが嫌でフリータに。
・個人でできる仕事として翻訳家を志していた時期がある。
・現在は、小田急沿い小田原付近に在住。
・SE時代は、都内で金融系の仕事に従事し、第3次オンライン化等をやっていた可能性
・松島エリースが好き(?)
・親指シフト愛好者
ここまで記憶で書ける自分が少し気味悪いが、けっしてホモではない。(ていうか会ったことないし)
■日本になじめなかった男
終始一貫した姿勢で大衆を批判し続けた氏だが、その攻撃的な文章とは裏腹に非常に人の良さそうなすがたが透けて見える。非常にモラルが高く、まじめで、業務遂行能力も高いようであり、一見何の問題もなさそうに思えるのだが、かれには唯一、日本において決定的に重要なある要素が欠落していた。それは「大衆」になれる能力のことだ。かれの言う大衆とは、付和雷同的で、文化や慣習に疑問を持たず、没個人的で、それでも自分だけは大衆ではないと思っているひとたちのことだ。要するに、わたしや、あなたたちのことだ。
平均以上の頭脳をもつかれは、日本の商文化に合わせていかようにもふるまうことができただろう。空気を読む能力も普通の日本人以上にあるように思える。だからやり方ひとつでいくらでも社会に適合することはできたはずだが、精神的な自由を手にするために敢えて自発的に経済的な自由を放棄したのだ。今の水準からすればずいぶんと極端でストイックな生き方だが、いまから30年前の日本では、かれのような「隠れキリシタン」には生き地獄だったに違いない。
■21世紀の世捨て人たち
昨今の不況の影響で、ますます保守化するわが国は、以前よりもますます排他的で非寛容、同質的で同調圧力が強くなっているように思える。だが昔と大きく違うのは、いまはインターネットがあるし、国境線も昔ほど強固な意味を持っていない。あの中国ですらいまや世界有数の資本主義大国になろうとしている。この違いははるかに大きい。たとえば、pha氏のようなネイティブなニートもいれば、海外ニート氏のように、海外脱出しておおっぴらに大衆批判をしたりするひともいる。また、日本のくびきから脱出したりもじろう氏のようなひともいる。
幕末になぞらえれば、いまだ階級の縛りは強く、人々の平均的な意識は江戸時代のそれだが、一方で脱藩しても死刑にはならず、海外の書物を読めるというような状況に近いだろう。それを考えると、わたしはいつも、世捨て人があと20年遅く生まれてきたとしたら、どのような生き方をしただろうかと思うのだ。人は時代の制約から自由にはなれないものだが、世の中というのは難しいものである。
世捨て人氏の残りの人生に大いに期待し、サイトの再開を切に願いたいと思う。
使える!経済学の考え方―みんなをより幸せにするための論理 (ちくま新書 807)/小島 寛之

¥777
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この稿を書く直前に池田先生の本が電子化されていたので少しだけさわりを読んでみた。要らない本は読まずに捨てろ(サンクコスト=埋没コストだから読まない方が合理的)とか、古典なんか読んでも挫折するだけだからまず入門書を読めとか、相変わらず見も蓋もないことが書いてある。経済学にコンプレックスを持ち、その前には数学を復讐しなければならないと思って小島寛之氏の本を買い求めた私涙目。
と、いうことでこの本は前回に引き続いて経済学がいかに役に立つかというのを専門家がやさしく解説した本。ある意味、経済学史の趣がある内容だ。わたしのように、経済学者といえばアダム=スミスから一気にマルクスとケインズまで飛んでしまうような「バカ」にとっては、ハルサーニとかセンとかギルボア、シュマイドラー、ロールズといった、どちらかというとマイナな経済学者の理論はあまりなじみがなく、正直、頭に残らなかった。もちろんこれはわたしの記憶回路のほうに問題があるのであって、本自体は良くできていると思う。単になじみがないことで記憶が定着しにくいのだろう。
ただ、どうやら著者の専門が「数理経済学」「意思決定理論」というものであり、後半に著者自ら語っているように、著者の目指す方向性は、推論に依拠した意思決定を経済学的に導くという、先ほど述べたギルボアとかシュマイドラーといった先達と同様の研究分野であるらしい。そのためにやや専門にバイアスがかかっており、あまり一般的な経済学の紹介とは言えない。したがって昨今流行りの金融政策や財政政策などをを学ぼうとする人には向いていないだろう。
ということで内容についてはあまり理解できなかったのだが、印象に残ったのは小島氏が自らの生い立ちと、こうした歴代の経済学者たちの生い立ちを重ね合わせているようにみえることだ。著者はこれらの経済学者の生い立ちと、当時の時代背景を簡単に解説し、一見ドライな印象を与える経済学者の心の中に、世の中を少しでも良くしたいという希望を読み取って感動したのだろう。それが副題でもある「みんなをより幸せにするための論理」というところに現われているように思う。なかでもとくに、ノーベル経済学賞を受賞したセンのエピソードなどは印象深かった。アマルティア・セン。たった数ページで理解できたとは思えないが、非常に心に引っかかった人物だった。いずれ論文を読んでみたくなった。
小島氏の本はこれから学問を志そうとする初学者にとって、「勉強もなかなかおもしろそうだ」と思わせる良い導入書となるだろう。参考文献や論文もちゃんと巻末に掲載されていて良い。
それにしても、ここのところいろいろな経済学の入門書(?)を斜め読みしているわけだが、あんがい専門家にとっては当然(?)の「功利主義」とか「労働価値説」とか、経済学の初歩的な概念の理解がないことに気付く。こういう経験を繰り返すと、だんだん理論や学説の整理が余計に混乱して、本を読む前よりもわからなくなってしまう。やはり本来は教科書をまず最初に読むことが一見回り道のように見えて一番いい方法なのだろう。わかっていながら、横着なのでつい新書でお手軽に知識を得ようとして失敗を繰り返してしまう。実際、本文中には著者の本である「文系のための数学教室」を参照しろとの記載があるが、以前に同書を読んだはずのわたしは何の話かさっぱりわからず、危うく同じ本を二冊買うところだった。素人は勉強するだけ無駄なのだろうか・・・。
文系のための数学教室 (講談社現代新書)/小島 寛之

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この稿を書く直前に池田先生の本が電子化されていたので少しだけさわりを読んでみた。要らない本は読まずに捨てろ(サンクコスト=埋没コストだから読まない方が合理的)とか、古典なんか読んでも挫折するだけだからまず入門書を読めとか、相変わらず見も蓋もないことが書いてある。経済学にコンプレックスを持ち、その前には数学を復讐しなければならないと思って小島寛之氏の本を買い求めた私涙目。
と、いうことでこの本は前回に引き続いて経済学がいかに役に立つかというのを専門家がやさしく解説した本。ある意味、経済学史の趣がある内容だ。わたしのように、経済学者といえばアダム=スミスから一気にマルクスとケインズまで飛んでしまうような「バカ」にとっては、ハルサーニとかセンとかギルボア、シュマイドラー、ロールズといった、どちらかというとマイナな経済学者の理論はあまりなじみがなく、正直、頭に残らなかった。もちろんこれはわたしの記憶回路のほうに問題があるのであって、本自体は良くできていると思う。単になじみがないことで記憶が定着しにくいのだろう。
ただ、どうやら著者の専門が「数理経済学」「意思決定理論」というものであり、後半に著者自ら語っているように、著者の目指す方向性は、推論に依拠した意思決定を経済学的に導くという、先ほど述べたギルボアとかシュマイドラーといった先達と同様の研究分野であるらしい。そのためにやや専門にバイアスがかかっており、あまり一般的な経済学の紹介とは言えない。したがって昨今流行りの金融政策や財政政策などをを学ぼうとする人には向いていないだろう。
ということで内容についてはあまり理解できなかったのだが、印象に残ったのは小島氏が自らの生い立ちと、こうした歴代の経済学者たちの生い立ちを重ね合わせているようにみえることだ。著者はこれらの経済学者の生い立ちと、当時の時代背景を簡単に解説し、一見ドライな印象を与える経済学者の心の中に、世の中を少しでも良くしたいという希望を読み取って感動したのだろう。それが副題でもある「みんなをより幸せにするための論理」というところに現われているように思う。なかでもとくに、ノーベル経済学賞を受賞したセンのエピソードなどは印象深かった。アマルティア・セン。たった数ページで理解できたとは思えないが、非常に心に引っかかった人物だった。いずれ論文を読んでみたくなった。
小島氏の本はこれから学問を志そうとする初学者にとって、「勉強もなかなかおもしろそうだ」と思わせる良い導入書となるだろう。参考文献や論文もちゃんと巻末に掲載されていて良い。
それにしても、ここのところいろいろな経済学の入門書(?)を斜め読みしているわけだが、あんがい専門家にとっては当然(?)の「功利主義」とか「労働価値説」とか、経済学の初歩的な概念の理解がないことに気付く。こういう経験を繰り返すと、だんだん理論や学説の整理が余計に混乱して、本を読む前よりもわからなくなってしまう。やはり本来は教科書をまず最初に読むことが一見回り道のように見えて一番いい方法なのだろう。わかっていながら、横着なのでつい新書でお手軽に知識を得ようとして失敗を繰り返してしまう。実際、本文中には著者の本である「文系のための数学教室」を参照しろとの記載があるが、以前に同書を読んだはずのわたしは何の話かさっぱりわからず、危うく同じ本を二冊買うところだった。素人は勉強するだけ無駄なのだろうか・・・。
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競争と公平感―市場経済の本当のメリット (中公新書)/大竹 文雄

¥819
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「どうして経済を勉強する必要があるのか?」その問いに、本書を読了して自信を持って答えよう。
有隣堂で新書コーナをうろついていたら平積みになっていたので、つい手にとってぱらぱらめくってみた。すると、冒頭に面白そうな設問が書いてある。
「あなたが漁師だったとしよう。あなたは、サラリーマンのように毎日八時間漁に出かけるような仕事の仕方をするだろうか。」
この問いかけに対する回答はプロローグを読めばすぐわかるので、ここに記すのはあえて控えておく。経済学を知っている人からすると問題ですらない問いかけなのだが、門外漢や初学者にはなかなか意外な回答だと思われることだろう。意外というのは直観、あるいは社会的な常識や慣習に反するという意味だ。本書はこのような日常的なできごとを題材に、直観や習慣でおこなう仕事のやり方に対して、経済学的な考え方をするとどうなるかを平易に教えてくれる。素朴な疑問に対する経済学からの回答といっていいだろう。
また最近注目のニューロエコノミクス(神経経済学)や行動経済学などもさりげなく紹介してくれており、入門書としてはこれ以上にない手軽さで最新の(?)経済学に親しむことができる。データもふんだんに使用しているし、根拠となる元ネタ(引用)も端的に示され、学問的に深堀りしたい向きにも役立つ。
ともあれ、おそらく経済学をやっている人には無用の本だろう。書いてあることはどれも教科書に書いてある(と思う)ようなことばかりだからだ。(しかし経済学部の学生といえども、著者によると本書に出てくる簡単な問いにちゃんと答えられる人が少ないようだから、やはり読んだ方がいいのかもしれない。)
ということでべた褒めしてしまったが、実際これは意外な掘り出し物だった。平積みしてある(=誰かがむやみに推薦している)ということから、世に多くあるやっつけ本かなと思ってあまり期待しないで買ったのだが、なかなかどうして良書も良書だ。おそらくレベルがわたしにちょうど良かったというものあるのだろうが、広くお勧めしたい一冊である。経済学は、「役に立つ」のである。

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「どうして経済を勉強する必要があるのか?」その問いに、本書を読了して自信を持って答えよう。
有隣堂で新書コーナをうろついていたら平積みになっていたので、つい手にとってぱらぱらめくってみた。すると、冒頭に面白そうな設問が書いてある。
「あなたが漁師だったとしよう。あなたは、サラリーマンのように毎日八時間漁に出かけるような仕事の仕方をするだろうか。」
この問いかけに対する回答はプロローグを読めばすぐわかるので、ここに記すのはあえて控えておく。経済学を知っている人からすると問題ですらない問いかけなのだが、門外漢や初学者にはなかなか意外な回答だと思われることだろう。意外というのは直観、あるいは社会的な常識や慣習に反するという意味だ。本書はこのような日常的なできごとを題材に、直観や習慣でおこなう仕事のやり方に対して、経済学的な考え方をするとどうなるかを平易に教えてくれる。素朴な疑問に対する経済学からの回答といっていいだろう。
また最近注目のニューロエコノミクス(神経経済学)や行動経済学などもさりげなく紹介してくれており、入門書としてはこれ以上にない手軽さで最新の(?)経済学に親しむことができる。データもふんだんに使用しているし、根拠となる元ネタ(引用)も端的に示され、学問的に深堀りしたい向きにも役立つ。
ともあれ、おそらく経済学をやっている人には無用の本だろう。書いてあることはどれも教科書に書いてある(と思う)ようなことばかりだからだ。(しかし経済学部の学生といえども、著者によると本書に出てくる簡単な問いにちゃんと答えられる人が少ないようだから、やはり読んだ方がいいのかもしれない。)
ということでべた褒めしてしまったが、実際これは意外な掘り出し物だった。平積みしてある(=誰かがむやみに推薦している)ということから、世に多くあるやっつけ本かなと思ってあまり期待しないで買ったのだが、なかなかどうして良書も良書だ。おそらくレベルがわたしにちょうど良かったというものあるのだろうが、広くお勧めしたい一冊である。経済学は、「役に立つ」のである。