私がカルトにはまった理由
  • 12Aug
    • 父母の会主催ー北の大地珍旅行

      北の大地珍旅行は、脱会して2年後の8月の初め2泊3日で企画されました。当時、父母の会と関わってなかった私ですが、母から旅行のことを聞き、行くことにしました。行くことにしたのは、当時婚約していて、結婚したらこういう旅行の企画があっても参加できないだろうから、今参加するしかないと思ったことと・・・(実際はその婚約は破棄となりました。)父母の会に関わっている元信者の人達と交流したかったことと、久しぶりに説得者の矢口さん(仮名)、塩田さん(仮名)のお顔を拝見したかったからです。旅行の趣旨や行程は全く分からず参加しました。(全て人任せでした。)待ち合わせは、元信者のみで空港集合でした。父母の会に関わってなかったので、空港に集合した元信者は皆初めて会う人達です。(同時期脱会した笹井さん夫妻と野原さんは参加しませんでした。)携帯電話も今ほど普及してませんでしたので、皆が持っているわけではありません。(私はまだ持っていませんでした。)それでも、元信者雰囲気で何と~なく「この人だ~」とわかり、無事に合流できました。北の大地に到着した時は、すっかり皆と仲良くなり、1泊目のホテルまでの道中の車の中たわいのない話しで盛り上がりました。たわいのない話しの一つ・・・1泊目のホテルには、元信者の親たち、北の大地に住んでいる元信者達(元北の大地統一教会・原研所属)、矢口さん、塩田さんが集合しました。ホテル到着早々、会議室で「統一教会と闘っていきましょう」という趣旨のゆる~い決起集会(?)が行われました。脱会したばかりの東北在住の女性が簡単な体験談を語りました。決起集会は30分以内に終わった記憶があります。終わった後、塩田さんと挨拶を交わしました。塩田さんは穏やかに「久しぶりだね。」と言い、笑顔でした。この旅行で矢口さんとは言葉を発する機会がありませんでした。決起集会の後は、宴会場で宴会でした。けっこうな人数で、よくあれだけの人が集まったと思います。北の大地在住の元信者が多かった記憶があります。東の元信者、北の大地の元信者、東の元信者の親たち、北の大地の元信者の親たちと・・・それぞれの属性(?)毎に分かれて坐ってましたが・・・何故か・・・東の元信者の親の一人の笹井さん(仮名)の父親は、私の隣に座りました。笹井さんのお母さんも参加してましたが、笹井さんのお母さんは普通に東の元信者の親たちのところで大人し~く坐ってました。笹井さんのお父さんは、私が北の大地説得一旦終了後に一度教会に戻ったものの戻れなかった時に、滞在した所で大変お世話になった方です。笹井さんのお父さんが父親としてどうだったかは、笹井さんから聞いてませんからわかりませんが、普通におじさんとして話すのには面白い人で、会社の上司だったら、適当に雑談するには面白いだろうな~と思わせました。ただし、仕事となるとこだわりありそうだから、めんどくさそうだなぁと頭の中で考えてました。宴会中、何人かは舞台に出てカラオケを披露しました。東の元信者の一人は、「与作」を歌い、北の大地の元信者は舞台いっぱいのダンスつきで吉川晃司を熱唱したのを憶えています。宴会中盤からお約束の色々な人入り乱れあり・・・東の元信者の元に北の大地の元信者達がやってきて交流しました。吉川晃司を歌った人は、統一教会(原研?)脱会後、猛勉強してO市役所に就職したと言います。脱会当時は、普通に普通に坐って歌っていたのですが、いつの間にか踊って歌うスタイルになったと北の大地元信者女性から聞きました。宴会終了後は、バーで皆で適当に会話、踊ったりしました。元信者って、信者の頃の名残かこういう場でホントに盛り上がり・・・全然知らない人の歌で皆で踊りに行って盛り上げたりしたので、他のグループの若い男性から「楽しそうですね。」と声をかけられました。バーで一通り騒いだ後は、塩田さんの部屋で塩田さんを囲んで北の大地、東交えた元信者女性と交流しました。その前に、塩田さんとトイレの洗面所で一緒になり、私は言った憶えはないですが、「ななくさちゃん、婚約したんだってね。相手の人は統一教会のこと知ってて、婚約してくれたんだってね。よかった。」と言いました。 (数行前に書きましたが、その婚約は破棄になりました。)塩田さんを囲んだ交流会では、塩田さんが中心となって話し(統一っぽい・・・)「ななくさちゃんはホントに変わった。ホントに成長した。」と言い・・・どんだけ私はダメダメ人間に見えたんだろうと思いました。 (私としては、統一脱会しただけで何も変わってないつもりだったのですが・・・)北の大地元信者の中に、私の説得最終段階に説得を開始したと聞いていたMさんも参加してました。Mさんも私のことを聞いていて、「ななくささんですよね。塩田さんから聞いてます。」と挨拶してくれました。(一体、塩田さんはどんな話しをしていたのか?)その後、近所の居酒屋に飲みに出たのですが、さすがに皆疲れていて、盛り上がらず、早々にお開きになりました。2日目は北の大地元信者の数人と東の元信者で、北の大地観光に向かいました。北の大地の元信者がレンタカーを2台借りてくれ、運転、案内してくれました。そのメンバーで2泊目はバンガロー風のペンションに泊まりました。(貸切でした。)夜は、統一教会の悪口、統一教会時代の話しで盛り上がりました。祝福を受けた人が半分はいた記憶がありますが、誰も家庭出発はしてないので、元献身者、元原研、元青年部、脱会した時期の違いはあるとは言え、話しは合いました。先日のオフ会の時、祝福受け、家庭出発した人は、(例え脱会していても)一線超えている、別次元の人とどうしても感じてしまいました。東北在住で脱会したばかりで決起集会で体験談を話した女性の弟も旅行に参加してました。元信者以上に、食口っぽくて皆でからかい・・・「もういっそのこと、1回食口になっちゃて、説得受けて脱会すればいいじゃない。」と言いました。この旅行に、北の大地説得され中の時、お世話になった原研出身の豊田さん(仮名・矢口さんの右腕的元信者・矢口さんが説得に使用する資料を作ってました。)が参加してました。豊田さんも私のことを「ななくささんは変わった。パワフルになった。」と申してました・・・・。脱会して2年・・・職場にも慣れ、職場で仲の良い友人もでき、よく飲みに行ってました。プライベートでは婚約もしました。 (重ねて言います。この婚約は破棄になりました。)よくよく思い出せば、脱会後・・・まだまだ統一の名残が残っていたとはいえ、一番充実していた時期だったかもしれません。そんなわけで旅行は普通に普通に楽しかったです。この旅行後、北の大地の一人の女性元信者と今も年賀状のみのやりとりは続いています。東の元信者は、数回集まり、飲み会&カラオケしました。個人的に暫くの期間月1回位会っていた女性元信者もいました。と・・・元信者同士は何の問題もなく、仲良く交流が続いたのですが・・・・この旅行の本来の目的・・・(私は知らなかったのですが・・・)父母の会と矢口さん、塩田さんと絆を深め、より統一教会脱会のための結団は、おじゃんとなり、父母の会と矢口さん・塩田さん説得ルートはこの旅行直後に皮肉にも切れました。(以後は、笹井さんのお父さん個人の紹介となりました。)何故・・・そうなったのか・・・・次回記事にアップします。

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  • 04Aug
    • 父母の会主催ー北の大地珍旅行(プロローグ)

      脱会して2年後の夏でした。この時まで私は、父母の会に顔を出したのは、以前の記事「反対父母の会」の1回のみでした。母は、2年経ったこの時も生き生きと父母の会で活動してました。私が北の大地で説得を受けた前後からこの2年後まで、父母の会経由で北の大地説得者を紹介し、脱会させることが流行ってました。私が脱会して半年~1年後に谷川さん(仮名)という2歳年上の女性が北の大地で脱会説得を受け、脱会しました。谷川さんは、北の大地に拉致される前に、南東北の反対牧師のところで説得を受けてました。そろそろ解放という頃になって、谷川さんのご両親は、南東北の反対牧師にも言わず、娘を別の説得者の元(北の大地の説得者・矢口さんと塩田さん)に連れて行きました。当然、南東北の牧師は怒ります。心配もします。現役時代、I青年部コスモで一緒に活動して同時期に脱会した高木さん(仮名)の霊の姉の須田さん(仮名)は南東北の反対牧師に説得されて脱会しました。現役時代は接点はなかったのですが、脱会後高木さんを通して交流がありました。須田さんから電話があり、「自分を説得してくれた牧師さんの元で勉強していて、脱会しようとしていた人が牧師さんにも内緒で父母の会経由で他の説得者の所に連れて行かれてしまった。その人は、とてもショックを受けていると思う。牧師さんも心配している。ななくさちゃん、北の大地で牧師さんじゃない人から説得を受けたのだよね。なんかその人ではないかと牧師さんは言っているのだけど・・・。その人の元で説得しているかどうか調べられる?もしよかったら、その人の名前を教えて欲しいのだけど。」と言われました。私を説得した2人組は超秘密主義の正体隠し説得者でしたから、自分たちのことを他の人に言われるのを過度に嫌がっていたし、警戒していました。そんなわけですので、例え私が信頼している須田さんとはいえ、迂闊に説得者の名前など言えません。それに、私が北の大地の説得者の矢口さん(仮名)、塩田さん(仮名)に「こういう人を説得しているか?」と聞いても教えてくれるはずはありません。説得者の名前は教えられないこと、説得中の人のことは聞けないことを話し、須田さんには諦めてもらいました。それから暫くして、須田さんが言っていた人が谷川さんだったということを知りました。母から似たような話しを聞き、須田さんの話しと合致したのです。このことがきっかけで、父母の会と南東北の牧師との関係は絶たれました。谷川さんは脱会後、父母の会の反対活動を熱心にしていました。谷川さんの後で北の大地説得者経由で脱会した人をまとめて、父母の会に相談に来た親御さんにマインドコントロールについてや信者の気持ちを伝えてました。そのためか・・・当時の父母の会は一番活発に活動していたのではないかと思います。何故か北の大地の説得者矢口さん(仮名)も一度は父母の会に顔を出したようで・・・父母の会の集まりの後の飲み会か食事会にも参加したようです。この時、野原さん(仮名・私と同時期に北の大地説得者の元で説得された元原研信者)が六大学出身の元原研信者を連れてきて、矢口さんにケチョンケチョンにやられたようで・・・六大学出身の元原研信者はプライドをズタズタにされた顔をしていたようです。(私は参加してないので、あくまで母から聞いた話しです。)父母の会で谷川さんの存在は大きかったです。それをよく思わない・・・父母の会のおばちゃん達(元信者の母親)が出てきました。谷川さんと合わない・・・と言う元信者もいました。活発な父母の会の裏でドロドロしたものが生まれていたのです。そんな時期に、父母の会の大イベントー北の大地での集会、旅行が企画されました。続きは次回に。

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  • 15Jul
    • 借り入れと同じ位自分に言い訳しながら行った献金返金請求

      わけわからない長いタイトルで、自主脱会者は殆どしないだろうけど・・・拉致監禁脱会者は、脱会後の洗礼の一つに、献金返金請求があります。(やってない人もいるのだろうけど・・・)統一原理の間違いがわかり、脱会方向が見えてくると、説得者は献金返金請求と霊の子救出(脱会)を匂わせてきます。私は、この献金返金請求は正直やりたくなかったし、やるべきではないと考えてました。(あくまで私の考えです。)説得者が献金返金請求を匂わせたから・・・私はこのまま脱会してよいのだろうか?このまま脱会したら、この人達の思いのままやりたくないことまでやらされ、結局、統一教会にいる以上の操り人形になるのではないか・・・と疑問点が出て原理の間違いがわかりながら教会に戻ってしまいました。(当時は、思いをここまで整理できてませんでした。だから、中途半端で苦しんだし、皆に迷惑かけたのです。)要は・・・当時から、統一教会は変だけど、反対派も負けず劣らず変だよね・・・というのは感じていたのだろうけど・・・感じていたことを自覚することすらできない環境だったのです。献金返金請求について匂わされた時、私は「例えマインドコントロールされていたにしろ、自分が納得して自分の意思で献金したのだから、それを返してもらうつもりはない。」「献金返金請求して、文ちゃんが返してくれるのだったらいいけど、結局は末端信者がまた無理な献金させられるのでしょう。だったら返してもらわなくてよい。」と言いました。私の言っていることそんなにおかしくないと思います。今思えば、どうしてそれを貫けなかったのか・・・と思います。しかし、説得者はじめ周辺人物は・・・「返してもらうべきだ。」「統一教会を潰す意味でも献金返金請求すべきだ。」と私の言葉を無視して語ってました。この献金返金請求と青春を返せ裁判は、現役時代、元信者が行っていたことで最も私がバカにしていたことです。それを自分がやることになることも・・・私は嫌でした。(幸いにも献身していなかったから、青春を返せ裁判は対象外でした。)脱会後・・・数か月は献金返金請求をやるようにと言われることはありませんでした。言われないので、このままやらなくていいのか~と密かに安堵してました。献金返金請求はやらなくても、行ってない祝福の渡航費は返してもらわなければ・・・と思い、前にも書きましたが、直接マザーに電話し、請求しました。前に書いたように、最初は二つ返事で「返す」と言ったのに、待てど暮らせど返ってこないので、手紙を書きました。その手紙に「献金返せとは言わないから」と書いてしまいました。その後も返ってこないので、マザーに電話したら冷たい反応・・・で、その時、前に送った手紙を返してほしいと言ったら・・・「捨てた」と言われました。(その後、渡航費は返ってきました。)手紙を返してほしいと言ったのは、この時は献金返金請求をすることになっていたからです。私も本当に意思がはっきりしないふらふら卑怯な人間です。献金返金請求をすることになったのは、最初に父母の会に行った時に、本間てるこさんから「献金は返してもらうべきよ。弁護士さんの所に行くべきよ。」と言われ・・・この時は曖昧な返事をしたものの、後日母から「弁護士さんのところに行って献金返してもらうようしてもらいなさい。」と言われ・・・なんと~な~くそういう方向になったからです。一度は教会に戻ったことで説得者や家族の信頼を失い、その後家族は私の真性脱会を信じていたものの・・・説得者も真性脱会は信じていたのだろうけど・・・説得者が使用していた資料のコピーを霊の子や元信者に貸していたことでヒステリーになられ、またも信用がなくなりそうで面倒くさそうになりそうで、嫌だったし・・・何より、やっぱり私もお金が欲しかった気持ちもあったので、献金返金請求をすることにしたのです。(マザーの冷たい態度も献金返金請求決意を後押ししました。)ただ、私も狡い者で・・・現役時代にバカにしていて、間違いがわかってからも腑に落ちなかったことなので、自分なりの言い訳も必要で・・・返してもらったお金は、自分が誘ったことによって統一教会にお金を出してしまった人に返すという名目を自分の中で考えてました。(結果的に、それは単なる名目になってしまいました。)献金返金請求は、山口広弁護士の元に行きました。(私が選んだわけではなく、母から山口広弁護士の元に行くようにと言われました。)初回は、母と行ったのか・・・一人で行ったかは忘れました。ただ、2回目以降は一人で行ってました。献金返金請求の時は、既に働いてましたので、仕事が休みの日に行ってました。(ありがたいことに、平日休める仕事でした。)テレビのワイドショーで統一教会問題で必ず出てくる弁護士なので、顔も名前も知ってました。初対面で山口広弁護士に会った時「あ~、テレビで見るのと同じ顔だな~」と当たり前のことを思いました。テレビでは怖そうでしたが、意外に話しやすく、印象は悪くなかったです。献金した金額や統一教会関係で購入したもののリストや金額をまとめ、統一教会の皆で写った写真の一部や着物展で着物を購入した時に叶和貴子さんと一緒に撮った写真と共に提出しました。統一教会に騙されてお金を出してしまったから返してほしいという文章を私が書き、山口弁護士がお得意の法律文書を書いて、所属していたI支部の支部長宛てに、返金請求書を山口広法律事務所の名で送られました。案の上・・・私が「献金返せと言わないから」という手紙が同封され、「返さない」と言われました。山口弁護士は、「手紙送っちゃったの?」と笑いながら大したことないという反応でした。その手紙の言い訳とアベルの言うことは従うようにという統一教会の教えがあったから、献金した云々と手紙に書き、それに対し山口弁護士が言葉を添えて再度、I支部支部長に送りました。支部長は、「統一教会はアベルの言うことに従うようにとは言ってない、ななくささんは統一教会の教えを誤解している。でも、今更それを言ってもしょうがないので、請求されている献金の一部を返金する。」という返信が返ってきました。アベルの言うことに従うように・・・言ってない・・・???嘘つき!!!私が拉致される前の支部長講話で、アベルに従わないために信仰をなくした人の話しをして、だからアベルの言うことは絶対視するように言ったじゃない!!!!!と、その返信を見て、心の中で怒ったのを覚えています。結局、何回かのやりとりの後、請求額のうちの一部(半分だったか・・・憶えていません。)が返金されました。私がマザー宛てに「献金返せとは言わないから」という手紙を出さなければ、もっとすんなり返って来たでしょう。統一教会も献金返金請求で返さず、裁判になって、より社会問題になっても困るのでとりあえず返すようにしているのでしょう。だから・・・弁護士も形だけ整えて請求すれば終わりみたいなもので・・・多分、業務としては楽でおいしいものではないかと勝手に思ってます。(弁護士さんがこれを読んだら怒るでしょう。)拉致監禁説得者と周辺者と弁護士はある程度繋がっていて・・・説得完了したら、献金返金請求するようにしてくださいね・・・と約束しているのでは・・・案外、これ以上統一教会の反社会的部分や暗部を世間に暴露されないよう、献金返金請求があったら返金するという暗黙の約束も統一教会側もしているのでは・・・と勝手に今、妄想を膨らませています。献金返金請求のため、山口弁護士に会ったのは多分3回位です。うち1回は司法修習生が同席しました。その司法修習生が・・・あの山口貴志弁護士(おたく弁護士)だったのではないか・・・と当時の司法修習生を思い出して思ってますが、違うかもしれません。これで山口広弁護士と会うことはないだろう・・・と思ってましたが、この2年後・・・意外なことで会うことになりました。更に時が経ち・・・20年近く後・・・法廷で山口広弁護士の御言葉を聞くことになるとは・・・・人生わからないものです。

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  • 12Jul
    • ”小さな私たち 2”

      西日本豪雨被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。自然災害は怖いです。その怖い自然災害の真っ最中のオフ会・・・ネットでは自民党議員の飲み会写真が出回り、「けしからん!」という意見が多くみられますが・・・・何も言えません・・・。オフ会は楽しかったです。ただ、終了して家に帰って、翌日翌々日・・・心がザワザワしました。ザワザワの原因はわかっている部分とわかってない部分あります。わかっている部分を総括すると・・・・私にとって統一教会はもうはるか過去になってしまい、終わったということです。脱会して20年以上経ちましたし・・・。(ちなみに私が統一教会を脱会したのは、アラサーでアラフォーではありません。結婚したのがアラフォー近くです。)前に記事にあげた立派(?)な元脱会者ではないけど、元脱会者と言ってもいいのかな~と思いました。終わったことをいつまでもブログ記事としてアップするのも何だし、中途半端だけど、このブログはこれで終わり(放置)にしようかな~と考えました。しかし、中途半端に終わらせて放置して、後々心残りになるのもどーかなーと思い、とりあえず後藤さん裁判世話人裏話、拉致監禁総括まで書けたら書いて終わらせようと思います。そこまで書けなくても、とりあえず今年いっぱいしかアップせず、後は放置します。元々このブログの前衛「親の気持ち 子の気持ち」は、統一教会悪でも拉致監禁はやっぱりよくないじゃん、考えようよ!という趣旨から子のいない私がエラソーに親子関係を考えるということから立ち上げました。どちらかと言えば、統一教会関係者(現役、元、反対派)より関係ない一般人に知って欲しいという意図がありましたので、元統一教会員ということを表に出さずに記事を書こうと思いましたが、最初でそれは崩れました。後藤さん裁判世話人をしている時期、統一教会と関係ない思わぬ人達や社会問題に出会いました。「親の気持ち 子の気持ち」はその社会問題のひとつを中心にアップすることとしたのと、2,3回で終わる予定だった私の統一教会歴が意外に書き始めると記憶がこれでもかと蘇ったことから、ひとつのブログとしてアップしようと思い、「私がカルトにはまった理由」を立ち上げました。(「親の気持ち 子の気持ちブログは現在ブログ記事アップは終了して、放置してます。)リブログしたブログに、私のことが取り上げられてます。・・・素晴らしく書かれていて・・・ 赤面してしまいました・・・・。オフ会最初に、一人ずつ自己紹介をしたのですが、・・・私が自己紹介したら、リブログしたブロガーさんが「思っていたイメージと違った。」と言われました。今回のオフ会のメンバーは皆初めて会う方々で、ななくさというHNをしょって会うのも今回初めてです。ななくさではなく、米本さんブログのHN「koyomi」では、後藤さん裁判関係で現役、元問わず数人と会いました。koyomiはななくさより物言いがはっきりしているためか、ある現役さんに「ネット上では苦手と思っていたけど、実際は違うね。」と言われました。統一教会関係だけでなく、他のネットから知り合った人からもよく言われます。リブログしたブログほどの言葉は言われたことありませんが、私の見かけや話し方からそういうイメージを持たれるのだろうな~・・・だから、宗教やマルチに誘われやすかったり、「癒し系」「穏やか」「怒らなそう」と言われたりするのだな~とあらためて思いました。実際の内面は、ネットの方が近いと自分では思ってますが、物腰柔らかく見える見かけと話し方はプラスの武器として、自分の強みとして生かしていこうと考えてます。私の人生ですが、波瀾万丈ではありません。統一教会員だった、拉致監禁された、拉致監禁説得されて間違いがわかりながら統一教会に戻ってフラフラしてしまった、不妊経験以外は、普通の~普通の~一般的人生です。(後もう一つ一般とはちょっと違う経験してます。それは後でアップしようとは思いますが・・・正直恥ずかしいから避けたいです。)私が元統一教会員ということを知らないダーリンはじめ職場の人、その他の友人は何の苦労もないお嬢ちゃんがそのままおばちゃんになったとしか思ってないでしょう。実際、「あなたは気楽でいいわね~」「苦労知らず」とよく言われます。(子育てしてないから余計言われます。)波瀾万丈と言えば、オフ会に参加していた韓国にお嫁にいった方々でしょう。(私以外、女性が5人参加してまして、4人は祝福で韓国にお嫁に行った方々でした。唯一1人は祝福受けず、一般の結婚をしたのですが、お子さんが小さいとのことで早く帰ってしまいましたので、私以外の4人の女性の韓国生活・夫についてのあうんの会話についていけなかったです。)

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  • 07Jul
    • 麻原死刑囚はじめ7人の死刑執行

      家に帰って、テレビをつけたら、のニュースで驚いてしまいました。https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/05/asahara-aum_a_23475792/「麻原彰晃死刑囚ら7人に死刑執行。オウム真理教事件(UPDATE)」地下鉄サリン事件は1995年3月20日・・・麻原死刑囚逮捕も同じ1995年・・・あれから早23年・・・地下鉄サリン事件の時も、麻原死刑囚逮捕の時も、私は1回目の拉致監禁から統一教会に逃げ、家出状態で青年部で活動していました。現役の当時は、オウム信者と統一信者である自分の類似点を考えようともしなかったです。間違った教え(宗教)を信じ、間違った指導者に従ってしまったオウム信者でなく・・・統一教会とメシヤである文ちゃんに出会えてよかった・・・と世間から見たら目くそ鼻くそなのに、上目思考でした。(オウム信者は、オウム信者で「統一教会だけは入りたくない」と言っていたようです。麻原死刑囚は、統一教会信者を「家畜」と言っていたようです。)自分もサリンを撒いたオウム信者と変わらなかった・・・と思い知ったのは、原理は間違いで文ちゃんはメシヤではなく、統一教会はただのはた迷惑な反社会的団体でしかなかったということが分かった時でした。ショックというか、怖かったです。人は、正義という大義名分のためなら、無関係の多くの人の命も犠牲にしてしまうということが・・・そして、自分もそれをしてしまうということが・・・・案外、悪意より善意の方が怖かったりします。オウム事件は特殊で、多くの人が自分とは関係ないと思うでしょう。だけど、案外・・・身近で知らぬ間に善意に訴えられて、知らぬ間に(命まで奪わなくても)人を追い込むことをしているものです。正しいと言われていることが・・・正しいと思っていることが・・・本当に正しいかどうか・・・一度、立ち止まって考える必要があるなぁと思います。そして、正しさを強要してはいけないとあらためて思います。(人間できてないから、そうは言っても・・・ついつい正しさに意固地になってしまいますが・・・)こういうことがあると、歌を聴きたくなります。https://www.youtube.com/watch?v=EK3cYfrFPqs中島みゆき『Nobody is Right』/ by soko争う人は正しさを説く ただしさゆえの争いを説くその正しさは気分がいいか正しさの勝利が気分いいのじゃないのかNobody is right Nobody is raight nobody is right 正しさはNobody is raight Nobody is raight Nobody is raight 道具じゃないhttp://j-lyric.net/artist/a000701/l00b725.htmlより一部引用  

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  • 30Jun
    • 反対父母の会

      今年も半分が終わりました。今年中に本ブログ連載を終わらすつもりですが・・・このペースのアップで果たして終わるのか???一抹の不安が頭を駆け巡ってます。とりあえず、目標に向かって、少し駆け足していきます。私の母がいつ、反対父母の会に繋がり始めたのか?そう言えば聞いたことないです。多分、母が最初に繋がり、お尻を叩かれ仕方なく父も父母の会に顔を出し、そのうち弟も顔を出しという感じでしょうか?反対父母の会は、拉致監禁によって脱会させた親御さんとこれから脱会させようとする親御さんと、とりあえず相談に来たという親御さんと、統一教会を脱会した元信者が集まってました。私が脱会した頃は月1回日曜日の午後会合がありました。(現在は当時の中心的人物が亡くなり、その後引き継ぐ人もいなかったと思いますので、多分行ってないでしょう。)初めて反対父母の会に足を運んだのは、脱会して3か月弱の頃でした。統一教会時代、話しでしか聞いたことがない本間テルコ氏に生でお会いし・・・何だか不思議な感じでした。本間さんは、見かけと違い気さくなところあり、割に気軽に話しができました。初対面で私に聞かれたことは、「私の娘のこと知ってる?」でした。本間テルコさんの娘さんは、母親が反対父母の会代表ということで統一教会内で肩身の狭い思いをしていたとちらっと聞いたことあります。(事実かどうかわかりませんが)なかなか祝福も受けられなかったようです。本間テルコさんの娘さんが祝福を受けた時、当時のマザーが「あの本間テルコさんの娘さんが祝福を受けた。希望だ。」と語ったことを何となく憶えてます。私のような未献身者の一青年部ペーペー信者が本間テルコさんの娘さんのことを上記以上のことを知っているはずはありません。「知ってる?」と聞かれても、「祝福を受けた」としか答えられません。本間テルコさんも私の答えに、「私もその位は知ってるよ。」と答えました。初めて私が反対父母の会に行った時は、私以外の元信者が来ていた記憶はありません。子どもを脱会させたいと相談に来ている親御さんの記憶もありません。子どもを脱会させた親同士に交じってとりとめのない話しをした記憶があります。それでもつまんないとは感じませんでした。ただ、以後続けて通うことはありませんでした。(翌週から仕事を開始したので、それどころではありませんでした。)母は飽きもせず、毎月顔を出してました。お礼奉公というのもあったのでしょうが・・・義務感で行っているより、楽しんでいるように見えました。子どもを拉致監禁して脱会説得させるという同じ価値観の親同士(年齢も同じ位)が集まるのです。共感し合うところ、あ・うんの呼吸でわかり合うことも多いでしょう。子どもを脱会させた親同士は脱会させたという同じ達成感を持ってます。これから脱会させようとする親御さんの相談に乗り、統一教会に囚われている子どもを救う手伝いをすることで、多少の優越感も感じられ、快感でもあったでしょう。当時の私は、反対父母の会に通い、活動し、反対父母の会に来ている他の子どもを脱会させた親御さん達と仲良くし、子どもがまだ統一教会に所属している親御さんの相談に乗っている母の姿を見て、何とな~くある思いを感じたものです。ある思いとは・・・「狡い!」です。何故、狡いと思ったかって・・・・私は心を通わせた統一教会の仲間たちと無理やり離され、信じていたことを奪われたのに・・・母は、逆に心通う友人ができ、統一教会から救うという大義名分の正義を得たのです。それでも母が元気になったのはよかったし、私も真性脱会した当時は、統一教会が潰れること、一人でも多くの人が早く脱会して欲しいと願っていたので、母の活動は応援していました。父と弟は、私が脱会後は反対父母の会に顔を出すことは全くありませんでした。私は、父母の会に行くことはありませんでしたけど、母が相談を受けた親御さんに母と一緒に会って、アドバイスをしたことはあります。その人の子どもは、韓日祝福を受けていたのですが、脱会し、祝福は破棄しました。拉致監禁真っ盛りという人の電話相談も母は受けていました。監禁されている信者が祈っているのをどうすればいいか?という相談だったようで・・・(私は、監禁されている最中、家族や親戚の前で、それとわかるようには祈りませんでした。トイレとかお風呂とか人目につかないところで祈ってました。皆の目がある所では、祈っている風に見えないよう、心の中で唱えてました。)母は、「ちょっとそこ片づけるから・・・とか、ほら、これ見て。」とか言って、それとなく邪魔すればいいと答えてました。現役信者は、拉致監禁するだけで家族はサタンに操られていると思うのに、尚且つ、自分と神・文ちゃんとの会話も邪魔するとは、親はサタンに操られている以外ないと益々確信を持つので、母に、「祈りを邪魔すると、余計に頑なになるから、そのまま祈らせておけばいいよ。」と言っておいたら、後で訂正していました。(その電話の相手の子どもが脱会したかどうかはわかりません。)家の中・・・私が統一教会を脱会したというのに、統一教会色満載でした。私が現役の頃は、当然、家族の前で統一教会関係の出版物は読めなかったので、当然私は隠し持ち、居間になんか置いてなかったです。しかし・・・母が北の大地の女性の説得者塩田さん(仮名)に統一教会の出版物を送る為、せっせと愛美書店(渋谷松濤本部教会近くにある統一教会関係書店)に通っていたので、居間に中和新聞やファミリーが置いてありました。(まるで祝福家庭みたいです。)小出医師著書の「人さらいからの脱出」も母が購入したものを読みました。父母の会に来ていた母に相談していた人の中には、私が所属していたI青年部の人の親御さんもいました。その方々のことは、後日記事にします。その前に・・・父母の会主催珍旅行・・・その後のいざこざについてアップします。

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  • 28Jun
  • 21Jun
    • 素面の食口と思われた元アベル

      大阪の震災で被害に遭われた方のお見舞い申し上げます。一日も早い復興を心より願っております。素面の食口とは・・・原理の間違い、文ちゃんがメシヤでないと知りながら、食口で居続けること・・・塩田さん(仮名・私を北の大地で説得した女性)曰く:文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。適当に、信仰的な話しで末端を感動させ、&適当な脅し話で末端に献金させ・・・自らはその金で末端が決してできない優雅な生活&ギャンブル、不倫を行う・・・矢口さん(仮名・私を北の大地で説得した男性)曰く:完全に原理が間違い、文ちゃんがメシヤでないと思っているわけではない中途半端状態の人が幹部に多い。完全に否定しているわけではないので、脱会することはせず、適当に統一教会の責任分担を果たしている。今の(元祖)家庭連合の鶴子ちゃんヨイショ幹部も素面でしょう。鶴子ちゃんの言うことは原理から外れまくっているのを認めず、信仰を続けるのは、アイデンティティ崩壊を防ぐためと生活の為でしょう。I青年部顧問(青年部のトップの立場)目黒さん(仮名)は、私より2歳年上の元コックの男性でした。コックとしては、優秀だったようで・・・一流料理店に所属していたようです。(真偽はわかりません。)かな~り体格のよい方で、貫禄十分でしたので、私が脱会当時は30代前半でしたが、軽く10歳は上に見えました。目黒顧問は、N市出身で、N市の県立S高校卒業してました。私も中学・高校時代はN市にいましたので、目黒顧問の卒業したS高校を知っています。正直に言いまして、偏差値はあまり高くないです。しかし、目黒顧問は、とても頭の切れる方でした。(偏差値と頭の切れ度は関係ないですね。)I青年部があそこまで発展したのは、目黒顧問の采配が冴えていたからでしょう。目黒顧問は、N市で伝道されました。ビデオセンターでは問題児で、ビデオセンターで(ビデオセンター外の)ビデオをダヴィングするため、ビデオデッキを移動させて、ビデオセンタースタッフに怒られたようです。(当たり前です。)仕事が忙しく、ビデオセンター、その後の教育課程もなかなか行くことできず、ビデオや講義の内容に相対していず、献身の決意をするタイプではなかったと思いますが・・・どこでどう間違えてどういう心境の変化があったのか・・・どういう神様との出会いがあったかわかりませんが・・・献身しました。(コックとしての自分に限界を感じたと聞いた覚えがあります。)私がN市の青年部に行った当初、N市の青年部隊長でした。(当時の青年部トップ・・・当時はまだ顧問という言い方はしていませんでした。)N市の青年部の隊長だった頃は、普通の隊長で、I青年部の後半出発式のような変わったことはしていませんでした。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12243533191.html?frm=theme原研の運動会?後半出発式ただ、私が銀行借り入れでトラブった時、借り入れの理由とした旅行会社のトップの人と交渉してくれるという他のアベルはおそらくしないことをしました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12258217855.html?frm=theme銀行・金融機関から借り入れ摂理N市の青年部の隊長から実トレの隊長となり、その後いつの間にか姿見ないな~と思っていたら、I青年部の顧問になってました。私は、N市の青年部、I青年部と目黒顧問と縁があったわけです。N市の青年部の隊長の時は敷居が低く、直接話しもできましたが、大所帯のI青年部の顧問は雲の上の人で、殆ど直接話すことはありませんでした。90年代からエンドレス高額献金が信者に要求されてました。青年部でも地区によっては、きつい献金要求あり、貯金ゼロ、日々の食費にも困る・・・教会のための自分名義の借金も全て肩代わりしなければならないという所はありましたが・・・目黒顧問は、献金はあまり要求しませんでした。借金も支部が返してました。(経済的にI支部は恵まれていたこともあります。)○○摂理といい、献金の要求が度々あり、一応は発表はされてましたが、それを強制することはありませんでした。だから、世間や反対派や元信者から、統一教会信者は献金のため借金返済で苦労していると聞いても、そういう事実があるのは勿論知ってましたが、実感として湧きませんでした。代わりに目黒顧問は、伝道を強化しました。I青年部メンバーは伝道、時々ある経済展示会(宝石、絵画、着物)、高麗人参茶販売のみ頑張ればよく、他の上からお達しの○○摂理に気をとられることがないように配慮されてました。ですので、I青年部は80年代のビデオセンター伝道全盛期がそのまま継続しているようでした。(I支部全体がそんな感じでした。)皆のモチベーションを上げるため、目黒顧問は色々工夫していました。後半出発式はじめ、基台、班ごとの徹底した競争、毎月の表彰式はうまいことやったな~と思います。目黒顧問は、企業したら社員を乗せて業績を上げることに成功していたことと思います。それとも・・・一般社会の一般企業ではそういう人はザラにいるのでしょうか?(一般企業に勤めたことがないので、わかりません。)それだけ頭が切れる人ですから、原理の間違いは自分で気づいたそうです。目黒顧問が原理の間違いに自分で気づいたことは、2回目の監禁後に一時教会に戻った時、本山さん(仮名・当時I青年部コスモ女性信者)から聞きました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12348749525.html?frm=theme笹井さんの家に向かって~再び説得者の元へ③その時は、自分のことで精一杯でそのことを深く考えることなかったです。真性脱会して、塩田さんと矢口さんの言っていた素面の食口という言葉から、目黒顧問はもしかしていい意味の素面の食口でI青年部メンバーを守っていたのではないかと思いました。目黒顧問は1995年初めの男性の水澤里(多分・・・)摂理の時、予定していながら体調が悪いとキャンセルしました。そりゃ、寝込むほどでしたらどう頑張っても行けないので、どんなに重要な摂理で文ちゃんを間近に見れるかもしれなくても、泣く泣くキャンセルするしかなく、自分の条件のなさを悔い改めますが・・・目黒顧問は、寝込むほどではなく、普通にホームで顧問の仕事をしていました。この時、私は現役信者で・・・頭の中がだらけになりました。具合悪くても這ってでも行くだろう!何で、行かないのか?と不思議でした。脱会後、I青年部実践課で入教していた茂木さんに素面の食口の話しをして、目黒顧問がそうではなかったかと話したら、そう言えば・・・目黒顧問はしょっちゅう三拝敬礼式に出てこなかったそうです。・・・体調悪くて、自分の部屋でやっているだろうと深くは考えてなかったようですが・・・一つ屋根の下にいて、トップの立場にいながら文ちゃんを崇める重要な信仰儀式三拝敬礼式に出てこないなんて、しかも1回ではなくしょっちゅうだなんておかしな話しです。目黒顧問が素面の食口だったかどうか、ホントのところはわかりません。素面の食口だったとして、いつからそうなのかはわかりません。だけど・・・N市にいた時の目黒顧問とI青年部での目黒顧問は違ってました。・・・素面の食口だったとして、何故脱会しなかったのか?わかりません。プライド高い人でしたので、コックに戻っても一流になれないと思ったこともあったのでしょうか?それとも他に理由があったのでしょうか?脱会して、数年後・・・現役信者からの情報で、恰幅のかなりよかった目黒顧問がかなり痩せたということです。目黒顧問は糖尿病でした。・・・健康的に、ダイエットして痩せたのならいいのですが・・・おそらく健康をかなり害したのだと思います。3万双受け、私が脱会する頃、家庭を持ち、私が脱会した後、お子さんが生まれたと聞きました。目黒顧問は、今・・・・・・・・・・?お子さんは、家庭連合信者なのでしょうか?家庭連合を離れ、家庭連合を忘れ、一般人として生活しているのでしょうか?

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  • 17Jun
    • 脱会した当時の現役信者への思い

      北の大地の説得者より、霊の子を脱会させるため働きかけるのは、間違いを信じて間違った宗教に伝道してしまったあなたの人としての義務だと言われました。私は、霊の子だからと特別視してなく、一緒に活動して情がいく人には脱会して欲しかったし、可能なら働きかけもしたかったですが(働きかけられた人は迷惑ですが)、霊の子と一緒に活動した他の人とは責任が違う、一緒に考えるのではないと言われました。(当時は、その意味がよくわかりませんでした。今なら、説得者の言わんとすることがわかります.。)霊の子を脱会させることはできませんでしたが、一通り働きかけが終わった後・・・I青年部コスモ所属の女性で気になる人がいました。小熊さん(仮名)でした。参照:小熊さん登場記事https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12300611320.html関西からの訪問者ーあの人は、今?https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12261551907.html生の文ちゃんを見た時小熊さんは、4歳年下で、私と同じ職業でした。私がI青年部に行った時、実践課に所属していました。私も実践課に所属していた時期があったのですが、基台が違いましたので、話す機会はありませんでした。そのうち小熊さんもコスモにやってきました。コスモでは同じ基台、同じ班となりました。同じ職業ということで、信仰以外にも共通の話題があり、話すことも多くなりました。手紙のやりとりもしましたし、誕生日にはプレゼントももらいました。小熊さんから誕生日に貰ったお弁当箱です。実は、つい最近まで使ってました。小熊さんは、更に上の資格を目指すため、1年間の専門学校を受験し、見事合格したので、勤務していた職場を辞め、1年間は学校に通いながら青年部で活動していました。36万双の祝福は希望してなかった記憶があります。成約断食も私が信者の間は行ってなかったと思います。小熊さんが1年間の専門学校終了した時は、私は真性脱会した後でした。専門学校終了後、小熊さんは九州の実家に帰りました。(その情報をどこから聞いたかは忘れました。)小熊さんが九州の実家に帰る前、小熊さんが一人暮らししていたアパートに電話しました。その時は、青年部で私が脱会したと知らされていなかったので、私の電話を喜んでくれ「小沢さん(仮名)の赤ちゃん見に行こうよ。」と言ってくれました。小熊さんが九州に帰ったと聞き、統一教会活動に見切りをつけたのではと思いました。拉致監禁脱会者は、自主脱会者のことをきちんと原理の間違いを勉強せずに脱会するのだから後々まで引きずると思っていて、私もそう思ってました。だから、小熊さんにもやめるのだったら、きちんと原理の間違いを知ってスッキリしてやめて欲しいと思いました。(超傲慢です。)九州には私の親戚もいます。親戚の家に遊びに行くがてら、小熊さんに会いに行こうと思いました。用意周到に・・・途中、キリスト教会も見つけたので、そこの牧師に「実は私は元統一教会員で、一緒に活動していた人に会いに行こうと思っている。もし、その人が脱会したらフォローしてもらえますか?」と話しました。(今だったら、そんなことできません。)たまたまその牧師は、(有名ではありませんでしたが)反対牧師でした。過去、私の実家近くの教会にもいたことあり、話しは弾みました。これで小熊さんは脱会しても大丈夫と勝手に思いました。とはいえ、住所はわかりませんでしたので、結局は辿り着けませんでした。電話番号だけはわかったので、電話したのですが小熊さんは留守でしたので、会えませんでした。私は実家に戻り、小熊さんに電話しました。小熊さんは電話に出てくれましたが、反応は冷たかったです。「色々手紙をもらったり、優しくしてもらってありがたかったけど、関わらないで欲しい。」「統一教会の間違いとかは今は聞きたくない。」と言いました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12378849818.htmlI青年部の脱会後の対応こちらの記事でも少し触れています。これで小熊さんとの関わりは終わりました。小熊さんには、親には働きかけませんでしたが、I青年部コスモの女性信者の実家の電話番号を知っている人に、親に電話して働きかけたことがあります。その親は、娘の信仰のことは知っていて「困っている」と言いつつ、何もしようとはしませんでした。私は、親が私を脱会させるために必死に勉強してあそこまで私に付き添ってくれて・・・本当に恵まれていた・・・脱会ででてよかったと思いつつ・・・別の思いが湧いてきました。原理の間違いも知らず、信仰を続け、落ちた私を脱落者と蔑んでいる現役信者に対して・・・・「拉致監禁もされずに、間違いも聞かされずに、実を削られる思いもせずに・・・ノーノーと信仰を続けられるなんて・・・」「他の親は、子どもの信仰には反対でも仕方ないと思っている。子どもが信仰を続けていても、病気になっていない。なのに、何故私だけが続けることが許されなかったのか?私の親は病気になって、私は悪者になったのか?」・・・原理の間違いがわかり、反社会的統一教会から脱会できてよかったし、再就職もし、伝道しなくては、証しをたてなければというプレッシャーもなく、普通の生活を楽しんでいたのに・・・ノーノーと信仰を続けられ、信者同士の心の繋がりを持ち続けている現役信者に嫉妬してました。こんな思い、多分理解されないでしょう。こんな思いを感じるのは、私くらいなものでしょう。と思うのですが・・・反対活動を熱心にしていた元信者の中には、もしかして・・・こういう思いの人もいたかもしれない・・・いや、多分いないです。後藤さん裁判の世話人になりはじめの頃思ったことですが・・・もしかして、後藤さんの兄、兄嫁、妹は少なからず頑なに信仰を持ち続けている後藤さんに嫉妬のような思いはなかったのかと・・・いや、ないです。追記小熊さんは、私はずっと統一教会を自然脱会したと思ってました。しかし、小熊さんは信仰を持ち続け、祝福を受け、韓国に渡ってました。それを知って、私はビックリしました。何故・・・わかったかと言うと、偶然facebookで見つけてしまいました。プロフィール写真が小熊さんそっくりの息子さんでした。親子って、やはり似るのですね。

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  • 11Jun
    • 心情のアベル小沢さんとの交流

      心情のアベルとは・・・心情的に慕っている(気持ちが依存している)アベル。正式なアベルではありませんので、原理上は心情のアベルに報連相して、心情のアベルに従っても(統一教会の)神はよしとしません。組織上のアベルで、心情のアベルに繋がることを否定する人もいます。(小さいな~)ニュアンスちょっと違うけど、会社で考えたら、組織の上司がアベル・・・組織の上司でなく、仕事上のことを相談できる信頼できる先輩、元上司は心情のアベル・・・小沢さんは、元献身者でした。体調を崩し、献身者として歩み続けるのが困難となったので、勤労青年となり、I青年部コスモの班長をしていました。筋金入りの信仰者で、お父様(文ちゃん)・真の家庭(文ちゃん家庭)命でした。I青年部コスモの橋田隊長(仮名)、井場マザー(仮名)は小沢さんより年も信仰歴も若かったです。信仰の度合いも御言葉の知識も小沢さんの方が上でした。小沢さんは橋田隊長や井場マザーによく意見してましたので、お二人とも小沢さんのことはちょっと煙たがっていました。小沢さんは3万双祝福後、1994年暮れに家庭出発しました。家庭出発した時よりI青年部所属ではありませんでした。私が2回目の拉致された頃、第1子のお子さんを無事に出産しました。<写真はイメージです。>私は、2回目の監禁場所から1度教会に戻った時、笹井さん(仮名・私と同じ説得者に説得されて脱会した元信者)の家から自分の住んでたアパートに荷物を整理に行った時に、小沢さんに電話しました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12348633323.html笹井さんの家に向かって~再び説得者の元へ②自分が中途半端な状態なのに、小沢さんに原理や統一教会のおかしさを話しました。小沢さんは、36万双勝利したし、ブッシュ元大統領も講演したくらいだから、統一教会は真理の団体で摂理は進んでいると言いました。参照:http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20061126/1164496619私は、36万双と言えども、36万双祝福は受けてないこと・・・(これは説得者の受け売りですので、真実はわかりません。)ブッシュ元大統領が講演したのは、多額のお金をもらったから(これも説得者からの受け売りです。)・・・(統一教会の言う)ルーシェルが(聖書の中に)存在しないこと、で知恵は伝授されないことを話しました。小沢さんはさすがに筋金入りの信仰者らしく、を返してくれました。お父様(文ちゃん)が36万双勝利したと言ったからしたのだ!アメリカは一度大統領になると、その後もお金が出るので、多額のお金を貰うからといって、わざわざ講演しない。聖書にルシファーは出てくる・・・堕落したから、で知恵は伝授されなくなったが、本然の人間だと知恵は伝授される・・・と言いました。36万双とブッシュ大統領のことはともかく・・・本然の人間がで知恵が授かると言い切るところに苦笑しました。私は監禁場所に戻った後も小沢さんへの依存は続き、小沢さんへこっそり電話をしました。そのことで小沢さんにはかなり迷惑をかけてしまいました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12352210251.html再び短期の監禁生活~真性脱会へ①真性脱会後も小沢さんへの依存は続きました。小沢さんは、自分の信仰と御言葉に信念を持ってましたので、他の信者のように拉致監禁脱会者を避けるということはありませんでした。小沢さんは、私が信者時代から家庭問題が激しかった私に、「ひっくり返ったら、ひっくり返してあげる。」(信仰を失ったら、また信仰を戻してあげる)と言っていたくらいでしたので、本気ではなくてもできたら私に信仰を戻そうと思っていたかもしれません。勿論・・・私は、真性脱会後は戻る気・・・サラサラありませんでしたが・・・。脱会しながら小沢さんの家に遊びに行き、小沢さんの第1子に会いました。しかも、数回行きました。(親にわかったらと思うとドキドキでしたが・・。そこまでして行くことないのに・・・私もバカです。)そのうち、小沢さんは自分の実家に家族と共に入りました。実家は、有名な国際空港のある所で・・・そう遠くはないですが、簡単に行ける所ではありません。小沢さんが自分の実家に戻った時より、交流はなくなりました。筋金入りの信仰者で難しいとはわかっていましたが、私は小沢さんにも脱会して欲しいと思ってました。私は卑怯にも、小沢さんのお母さんに連絡をしました。お母さんは、小沢さんに信仰をやめて欲しいとは思ってましたが、過去牧師さんの所に連れて行った時もダメだったので、(監禁説得ではありません。)諦めてました。それから数年して、突然小沢さんのお母さんから電話がありました。小沢さんは、4人の子持ちになってました。(具合が悪いとしょっちゅう会社を休んでいたのに・・・前線も時々休んでいたのに・・・妊娠、出産に関しては健康だったのです。羨ましいです。)献金の件でよく実家にお金を無心していたようです。(小沢さんの家はある程度裕福でした。)お母さんがお金を出せないと言うと、これみよがしに子どもをおぶって募金活動をしていました。<写真は勿論イメージです。>一番上のお孫さんも当時4歳でありながら(4歳だからか)、教会優先で教会のお友達としか遊ばないみたいで、心配してました。お母さんは、過去に小沢さんの日記をこっそり見たそうです。日記には、祝福相手への不満や嫌悪を書かれていて、それを見てお母さんはいつか脱会するのでは・・・と期待したそうです。お母さんからの電話を受けて、私は小沢さんを説得してくれそうな人をあたってみました。川崎牧師のところにも電話しました。あの宮村さんのところにも電話しました。何故宮村さんのところに電話したかというと、宮村さんは谷山さん(仮名)を脱会させた実績があるからです。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12236754316.html2度目の実トレの谷山(仮名)マザーのその後連絡先は、宮村さんと親交のある松永牧師の元で脱会した人から聞きました。宮村さんは、初めて電話した私にぶっきらぼうに、私の信者時代の所属教会を質問してきました。私の方から電話したのに、私の話しは聞かず、自分の聞きたいことだけ聞いてさっさと電話を切ってしまいました。(だから、後藤さん裁判の時の宮村さんの説得を受けて脱会した元信者の陳述書に「宮村氏は紳士的対応をしていた」と書いてあっても「嘘つくんじゃない~」と一人心で毒づいてました。)他に、私と同じ説得者の元で脱会した野原さん(仮名)がキリスト教会に通っていて、以前脱会説得していた(多分、私の霊の親を説得した牧師)ので、野原さんに牧師さんの情報を聞きました。ただ、その牧師さんには連絡をとりませんでした。結局、小沢さんのお母さんとからはその後連絡はなかったので、私から牧師、説得者の情報を話すことはありませんでした。小沢さんのお母さんに、最初私の実家に連絡してきました。事情を聞いた母が私に連絡してきた経緯があるので、母も小沢さんのお母さんの相談内容を知ってました。母は、他人のことに関しては客観的で適格なことを申します。「今説得して失敗してお母さんと小沢さんを仲たがいしたら、お孫さん(小沢さんのお子さん達)が統一教会が嫌になっても逃げ場がないよ。」と・・・・。(その通りです。)結局、小沢さん、小沢さんのお母さん共々連絡は途絶えてしまいました。私はあれほど小沢さんに依存、慕っていたのに・・・小沢さんは、私のことを「ひっくり返ったら引っくり返してあげる」とまで言っていたのに・・・お互い、信じていたものが変わると冷たいものです。信仰を持っていた者同士、同じ思想を持っていた者同士の考えが変わってしまっても、お互い違う考えを認めながら、そして相手の考えを否定せずに友人関係を続けるのは難しいのでしょうか?小沢さんの一番上のお子さんは、私の姪と同じ年です。(不覚にもつい最近気づきました。)姪は現在大学生です。小沢さんのお子さんも大学生か・・・それとも働いているか・・・教会には通っているか・・・小沢さんは今も教会員か・・・お母さんはどうしているか・・・色々気になりますが・・・皆、それぞれ自分の納得のいく生き方をしていればと思います。

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  • 02Jun
    • I青年部の脱会後の対応

      地上天国実現、万人を救う、真の愛を唱えながら、脱会した信者(特に拉致監禁脱会者)に対して統一教会が冷たいことは現役時代から知ってました。私も現役時代は、脱会した信者に対して、上から目線でした。現役と元信者の交流はキホンありません。寝食共にし、活動し、笑い、涙したのに、脱会者に対し、白黒思想の信者は敵対視します。(尤も、白黒思想は元信者も同じです。)10年近く信者をやってきて、一般社会で働いていたので、一般社会の友人もいましたが、心許した友人の全ては統一教会信者でした。脱会することにより、一気に全て失うのです。しかも、私は拉致監禁脱会でした。自主脱会なら、再伝道目的で接触してくる現役信者もいますが、拉致監禁脱会者に対しては、「接することにより、あなたも信仰を失う」と言われ、霊の親・子でさえ接触することを禁じられます。一緒に活動していた人達大好きで、信者間の人間関係に依存していた私は、それはとても絶望に近いことでした。だから、原理の間違いがわかり、文ちゃんはメシヤではない、統一教会は反社会的行動をするただの迷惑団体ということがわかっても、脱会の決意がつきませんでした。脱会した当初は、霊の子救出(脱会させる)ために、脱会届をすぐに提出しませんでした。北の大地から実家に戻ったばかりの時、I青年部コスモのホームに電話して直接井場マザー(仮名)に祝福の渡航費を返してほしいと言いました。その時は、私は献金の返金は考えていませんでした。ただ、実際祝福には参加していないし、渡航もしてないので、これは当然返してもらうべきお金です。渡航費返金に関しては、井場マザーも返してくれると言い、銀行の口座番号を伝えました。井場マザーはこの時は、ななくさは教会には来れなくなったけど、信仰は失っていないと思っていたようです。「(ホーム近くの)アパートには戻ってきなよ。」と言ってきました。(アパートに住めば、親に内緒で教会に通ってこれるからそう言ったのでしょう。)その他、電話番号を知っていたI青年部コスモ女性信者2人くらいに電話しました。やはり、私は信仰を失ってないと思っていたようで、1人は、「姉妹(女性信者)が作った曲のテープがあるから送るよ。」と言ってくれました。もう一人は、赤ちゃんが生まれた元班長(3万双祝福家庭)の所に一緒に赤ちゃんを見に行こうとも言いました。ホーム近くのアパートを正式に引き払った後、コスモ女性信者から借りていた本と手紙をI青年部コスモのホームに返しに行きました。その時、コスモの隊長橋田さん(仮名)とユニティの隊長がいました。橋田さんは、普通に「今度いつ来るの?」と言いました。私は、「もう来ませんよ。」と言い、それが、橋田さんとの最後の会話になりました。その後、私は本格的に霊の子救出(脱会)のために動きました。結果的に、誰も脱会しませんでした。霊の子への働きかけが一通り終わった頃・・・、通帳を確認したら、祝福渡航費はまだ返金されていませんでした。私は再度、返金して欲しいと電話しました。電話には井場マザーが出ました。井場マザーは、もろ迷惑そうな冷たい対応でした。渡航費は返すけど、振込料がかかるからその分多く払うことになるから云々と言ってきました。切手で返すこと等提案したら、何でもいいから振込料分返せという反応でした。この反応が・・・バカらしくなりました。今まで散々献金してきたし、教会関係に振り込みする時は、全てこちらの自腹でした。受けてない祝福の渡航費を返すのは当たり前なのに、本来ならこちらから言わなくても、返金するのが当たり前なのに・・・返金の際の振込も返金する方が負担するのも当たり前なのに・・・・振込料を返す時にかかる費用は、こちらの負担になり、今度はこちらが多く支払うことになるので、振込料は返せないと言ったら、井場マザーは面倒くさくなったのでしょう。渋々同意してくれ、渡航費は無事返ってきました。井場マザーは元々冷たい人なのは、何となく統一教会現役時代から感じてました。自分がストレートで献身できたからなのか、自分がスムーズにマザーの地位まで上り詰められたからなのか・・・献身してない、まして信仰基準が実践課より劣るコスモの一部の人をバカにしていました。(人を選んでましたね。)現役時代に聞いていたのは、コスモの姉妹(井場マザーより3歳年上)に上から目線で、「よろしくね~」と言っていたそうです。水澤里に井場マザーが行った時、コスモの姉妹2人一緒だったそうですが、一言も言葉をかけなかったそうです。水澤里では、ずっと献身者信者や青年部でも実践課の姉妹と接していたそうです。青年部献身者スタッフの一人にも、バカにした態度をとっていました。信者時代は、アベルだから、こういうこと棚上げして慕っていたけど・・・脱会して思ったのは、井場マザーはクラスによくいる性格悪い意地悪女子ということです。こんな人を頼って、北の大地から逃げ帰ってしまった私は大馬鹿者でした。井場マザーがあからさまに冷たい態度を電話でとったのは、私が完全に落ちたからだけでなく、霊の子を脱会させようとしているということがわかったからだと思います。私は3人の霊の子(下山さん、瀬川さん、大成さん・全て仮名)がいました。統一教会の間違いがわかったのなら、霊の子救出のため、働きかけるのは人としての義務だと北の大地の説得者2名から言われ、私も霊の子には脱会して欲しかったので、それぞれ働きかけを行いました。瀬川さん、大成さん、下山さんの順で働きかけを行いました。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12315207906.html最後の霊の子ー大成さん(仮名)②ななくさ脱会後https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12246387440.html36万双で韓日祝福を受けた瀬川さん(仮名)③https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12153001778.html36万双の祝福を受けた霊の子ー下山さん(仮名)私が霊の子を脱会させようとしたことを井場マザーがわかったのは、瀬川さんが話したからだろうと思ってました。下山さんに会って、統一教会の間違いを話した2回目に、下山さんがアベルから「ななくさは霊の子と会って、統一教会を脱会させようとしているから気を付けるように。無理言ってくるようなら言うように。」と言われたそうです。(下山さんがアベルからそのことを言われた時は、1回下山さんに会った後でした。でも、下山さんは、私と会ったことをアベルには言わなかったそうです。)下山さんと会った時は、大成さんは脱会届を出した後でした。瀬川さんは1回しか会えず、その後お母さん(信者)が娘が脱会させられたら困ると思い、私の動きを阻止したこともあったので、具体的に私の動きが統一教会にわかったのは、瀬川さんが話したからだろうと思いました。しかし、実際は瀬川さんではなく、大成さんが井場マザーに話したのです。大成さんは、さすがに私の霊の子だけあって、脱会届を出しながら不安になり、マザーに話したそうです。(それは、後に大成さんの手紙でわかりました。)瀬川さんは、どちらかというと、あっけらかんとしていて、多分霊の親の私が落ちたことも、仕方がないことと割り切っていただろうし、統一教会の人に依存してなかったし、報連相もあまり重視してなかったので、わざわざ統一教会に報告することもしないです。井場マザーは、大成さんから私のことを聞いて、コスモの隊長の橋田さんに報告し・・・橋田さんがコスモの集会で「ななくさに気をつけろ!」と言ったのでしょう。(勿論、実際のところはわかりませんが、こんなところでしょう。)以後、「(赤ちゃんが生まれた人のところに)一緒に行こう。」と言っていた人に、再度電話したら・・・これまた冷たい対応でした。駅の改札で、バッタリ会った現役信者からは、「何でここにいるの?もしかして私狙われてるの?」と言われました。(悪いけど・・・その人を脱会させたいとは露ほども思わなかったのだけど)まあ、仕方ないですけどね・・・・中には・・・バッタリ、街中で会った伝道活動中の現役信者で、立ち話してくれた人はいますが・・・・

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  • 26May
    • 沢井牧師(仮名)との再会

      人生とは不思議なものです。沢井牧師は、1回目の拉致監禁の時の説得牧師でした。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12272385782.html反対牧師登場~過去説得を受けて脱会した人が言うように、もろ反対牧師という雰囲気で、印象は最悪でした。偽装脱会を心がけてからは、人間らしさを感じて好感が持てたのですが、やはり統一教会員の時は拉致監禁説得をして脱会させる行為は受け入れられるものではありません。真性脱会してからは、「偽装脱会して騙して申し訳ないことしたな~」、「沢井牧師、人間らしくて悪い人ではなかったのに」とは思いましたが、連絡することを考えることすらありませんでした。(ちなみに1回目の拉致監禁後のリハビリとして行った谷村教会の川崎牧師には真性脱会したことを報告の為電話しました。私のこと忘れてましたけど・・・)もう沢井牧師と会うことはないだろう、声も聞くことはないだろうと思っていたのですが・・・再会してしまいました。沢井牧師は、前記事登場した高木さん(仮名)を脱会説得した牧師だったのです。高木さんは短期の脱会説得で統一教会の間違いがわかり、脱会の決意をしました。脱会の意思が認められた後、私と同様、川崎牧師の谷村教会にリハビリに行ったのですが、「つまらない」「こんな所にいてもしょうがない」と数日で実家に帰ったそうです。(高木さんらしいです。)高木さんは「せっかく統一教会を脱会できて一般人に戻れたのだから、クリスチャンにならない。」と宣言していたのですが、暫くは沢井牧師の教会に通ってました。平日の夜、沢井牧師の元で勉強会があるから行かないか、と高木さんから誘われました。(高木さんには私は1回目沢井牧師の説得を受けて偽装脱会して教会に戻ったことは話してました。)気まずさより、好奇心が勝り・・・高木さん、須田さん(仮名)、私で沢井牧師の勉強会に参加しました。(ちなみに参加者は3人のみでした。)沢井牧師は、普通に出迎えてくれました。会う早々、私は「すみませんでした。」と言いました。沢井牧師は「あ~」とそっけない対応でした。勉強会の内容はさすがに忘れました。勉強会終了後の会話は、反対牧師と元信者3人では、やはり統一教会の悪口になります。&・・・説得者の話しになりました。高木さんは、「ななくさちゃんは牧師じゃない人に説得されたんだよね。珍しいよね。」と言ったら、沢井牧師が「いや、職業的に説得活動している人はいるよ。自分より救出(脱会)率高いよ。」と言いました。(沢井牧師は、多分宮村氏のことを言ったと思います。職業的に説得活動しているって・・・私を説得したお二方が当時聞いたら怒ったと思います。)私は、霊の子を説得するために、説得者作成の資料を元にして自分なりの説得資料を作ってました。どういう経緯か忘れましたが、沢井牧師と高木さん、須田さんに見せた覚えがあります。須田さんはそれを見て「それ、ななくさちゃんが作ったの?暇だね。」と言い・・・(ご尤もなんだけど・・・須田さんと私は会って間もなく・・・しかも、私の方が年上。なのに、暇だね・・・と言うなんて、さすが高木さんの霊の姉・・・)沢井牧師は、興味なさそうに「ふ~ん」と見てました。沢井牧師と会ったのは、この時限りです。(当たり前です。)両親も沢井牧師とは、私の1回目説得失敗後は交流はなかったようです。沢井牧師は、私の両親に対し、「お宅は甘い」とよく言っていたと母から聞いたので、おそらく・・・私が谷村教会から統一教会に逃げた後、自分の説得の至らなさを棚に上げ、嫌味を言ったのでしょう。(何となく、想像できます。)高木さんは、その後1年位(?)は頻度は少ないながらも沢井牧師の教会の礼拝に行ったり、勉強会に参加してました。沢井牧師は自らを不良牧師と語っていました。確かに、高木さんから聞く限り、煩悩あふれる人間味満載発言に思わず笑ってしまいました。反対牧師と統一教会員ではない場面で会っていたら、ただのおもろいおっさんだったでしょう。↑沢井牧師が高木さんに読んだ方がよいと勧めた本です。

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  • 18May
    • 脱会後のI青年部の人との関わりー元信者ー高木さん(仮名)

      高木さん(仮名)は、私と同じI青年部コスモに所属していました。私より4歳年下でした。私と同じ職業でしたが、コスモ所属中に上の学校に行き、新たな資格を取得し、公務員として働き始めました。その公務員として働き始めて数か月後に、拉致監禁され脱会しました。(拉致監禁されたのは、私が2回目に監禁された後でした。)高木さんの霊の親の野村さん(仮名)と私は、私が献身するつもりでいった実トレで同期でした。野村さんも私と同じ職業で、年も私より1歳下で近かったため、仲良くなりました。実トレ終了後、野村さんはK青年部、私はI青年部に進んだのですが、電話と手紙で交流していました。K青年部、I青年部が合併し、暫くは野村さんは実践課、私はコスモと別々だったのですが、野村さんがコスモに来てから再び一緒に伝道活動等をするようになりました。高木さんは、野村さんがK青年部に行ってから伝道した人です。同じ専門学校出身で、同じ職場勤務でした。高木さんは野村さんの後輩でした。野村さんは他に、後輩の須田さん(仮名)(※)も伝道しました。高木さんと須田さんのことは、野村さんから話しをよく聞いていたので、高木さんがI青年部のコスモに来た時、初めて会った気がしませんでした。私は高木さんとも仲良くなりました。高木さんは、少し変わった(?)というか飛んでる人(?)でした。思ったことをすぐ口にするところあり、それで傷つく人もいたようでしたが・・・悪気は全くないのがわかりますので、笑ってすませられました。高木さんと伝道活動している時、会話をしました。ななくさ:4daysの途中で、帰りたいと思わなかった?高木:帰りましたよ・・・ななくさ:・・・高木:4daysに行った日に、職場で出さなきゃいけない物があったのを思い出したのですよ。他の人も絡んでいるから、出さないわけにはいかないから、帰りました。ななくさ:止められなかった・・・?高木:止められましたよ。でも、しょうがないじゃないですか・・・。4daysに霊の子を出す時は、霊の親は相当な決意で相当な条件をたてるわけです。それなのに・・・それなのに・・・初日で帰ってしまうとは・・・野村さん、さぞがっかりしたことでしょう。そして、4daysの班長は、周囲からかなり「班長の信仰基準がなってないから、班長に条件がないから!」とかなり分別されたことでしょう。班長だけでなく、その時の4daysスタッフ全員・・・4daysに出る時は、当然そういうことわかりませんから、自分の事情で帰ってしまってもしょうがないで済ませられますが・・・青年部で実践するようになったら、霊の親やスタッフのそういう事情は少なからずわかるので、「帰ってしまって、申し訳なかった」と言うのだが・・・「しょうがないじゃないですか」で軽く返すあたり、さすが高木さんと私は思ったものです。(そんな高木さんが私は好きでした。)高木さんが拉致監禁されたと知ったのは、私が脱会するしないでふらふらして、説得者の元⇒元信者⇒現役I青年部コスモ姉妹宅に行った時、コスモのホームの白板に高木さんの名前と激祈と書かれてあったのをみたからです。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12348749525.html笹井さんの家に向かって~再び説得者の元へ③私は真性脱会した後、高木さんはどうしたのだろうか?と思いました。高木さんの実家の連絡先はわかりませんでしたので、最初高木さんが勤務していた職場に電話しました。当然不在で・・・電話に出た人から、「高木は複雑な事情で退職して・・・」と聞きました。その後、坂口さん(仮名・前々記事登場)と連絡取れたのと同じ方法で高木さんと連絡を取りました。高木さんは、すんなり電話に出てくれました。私が「高木さん、辞めたの?」と聞くと・・・高木さんは「うん、勉強したから・・・」と答えました。この時点では、高木さんは私は信者として再伝道しようと思って電話をかけてきたと思っていたのでしょう。少し警戒してました。私がその後、「私もやめたの。」と言うと、声が明るくなり、「ヨカッタ~」と言い、「私、フットワーク軽いから、ななくさちゃんの所に遊びに行くよ。」と言ってくれました。(ホントにフットワーク軽くて・・・高木さんと専門学校同級生で北の大地に住んでいる人の所にまで突然遊びに行ったそうです。その人は統一教会全く関係ないです。)高木さんは、脱会して割に早い時期に再就職しました。高木さんのお母さんも同じ職業で、お母さんが勤務している職場に就職しました。高木さんは既に働いていたので、高木さんとの再会は次の週末でした。かつて、伝道活動で歩んだ所で会い、お互い積もる話しをしました。その後も高木さんとは頻回に会いました。高木さんを通して、現役信者時代には会うことはなかった野村さんのもう一人の霊の子須田さん(仮名)とも会いました。須田さんは、献身者でした。高木さんが脱会した後、高木さんと高木さんのお母さんが須田さんのご両親に、脱会説得を勧め、それから拉致監禁を決行したそうです。(高木さんとは違う牧師さんの説得を受けました。)私が脱会をぐずぐず迷っている間に、高木さんはさっさと脱会し、須田さんまで脱会させたのだから、さすがとしか言いようがありません。須田さんも監禁されて早い時期に脱会を決意し、監禁場所から解放された後、すぐに再就職しました。(高木さんとは別の職場です。)高木さん、須田さんと一緒に遊びに行くことも何回かありました。高木さんの職場の人と一緒に旅行に行ったこともありました。須田さんの職場の人主催の合コンや旅行にも一緒に行きました。高木さん、須田さんが卒業した専門学校はとても偏差値が高く、私なぞ逆立ちしても入れない学校でした。高木さんも須田さんも頭がよく、明るく、美人で、一般社会でもうまくやれ、友人も多く、もてました。だから、脱会説得を受け、間違いがわかったらスンナリ脱会することができました。高木さんは、「統一教会が間違いでよかった。」と言いました。脱会に迷いがなかったようで・・・間違いがわかりながら脱会の決意ができなかった私は、「そういう人もいるのだな。それが普通なんだろうな~。」とぼんやりと思ってました。高木さんは、脱会後は仕事より婚活に熱心でした。その甲斐あって、脱会2年後にゴールインでき、その3年後位に男の子の母となりました。高木さんとは、もう15年近く会ってません。年賀状のみの付き合いは暫く続いたのですが、ここ数年年賀状も来ていません。元気で母業と仕事を両立していることと思います。(※)須田さんは、 記事に登場しています。https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12244510896.htmlマルチにはまる脱会者

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  • 13May
    • 脱会後のI青年部の人との関わりー元信者ー茂木さん(仮名)

      現役統一教会員として、茂木さん(仮名)と最後に会ったのは、1995年1月1日の本部教会(松濤)礼拝でした。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12312847156.html逃亡中の年末年始茂木さんは、I青年部実践課で入教していて、班長もしていた信仰基準バリバリ高い方でした。私が実践課にいた頃、私の班長(アベル)だった時期もあります。年は、私より4歳下でした。同じI青年部とはいえ、実践課とコスモでは始終顔を合わすわけではありませんので、茂木さんがいなくなったことはすぐに気づきませんでした。前にも書いたように、I青年部では兄弟姉妹が拉致監禁されても公には発表されません。それでも、実践課の人が拉致監禁されたらしいという噂がコスモの耳にも届きました。誰だろう?と思っていたら、コスモの木村さん(仮名)が茂木さんじゃないかと言いました。そう言えば・・・茂木さんの姿、最近みてない・・・茂木さんが拉致監禁されたのだろうか?と思いつつ、I青年部献身者スタッフに聞くこともできずに時が過ぎ、私は2度目の拉致監禁説得を受け、脱会しました。茂木さんは拉致監禁されていたのをはっきりと知ったのは、私が脱会した後でした。茂木さんは坂口さん(仮名・前記事登場)同様、松永牧師の元で説得を受け、脱会しました。I青年部時代は、茂木さんと坂口さんはそれほど接点はありませんでした。おそらく、殆ど会話も交わしたことはなかったでしょうが、同じ脱会説得者の元で脱会して、同じ青年部に同じ時期にいたということで、話しが合うので自然と仲良くなったようです。松永牧師の元で説得されて脱会したI青年部含むI支部の人は坂口さん、茂木さんから聞いた限りでも何人かいました。茂木さんは、ご両親はじめ家族に統一教会の信仰のことはまだ証していませんでした。茂木さんが統一教会信者だと知ったのは、松永牧師の説得で脱会したI支部元信者が茂木さんの家族に告げたからです。茂木さんの家族は、茂木さんの帰省時は普通に接し、密かに松永牧師の元で拉致監禁のための準備をしていました。茂木さんが統一教会員と知った時から、帰省から見送る時は、「これで会えるのは最後かもしれない」と思って密かに涙を流していたとお姉さんから聞いたと茂木さんから聞きました。茂木さんが拉致監禁されたのは1月1日の本部教会の礼拝に出た後、お正月帰省した時でした。普通に過ごし、ホームに戻る前、いつもの帰省の時のように実家から「これから戻りま~す。」と電話をしました。その電話を切った後、家族と親戚がわらわらと茂木さんを取り囲み、マンションへと拉致したそうです。茂木さんが説得のどのあたりで統一原理が間違いで、文ちゃんがメシヤでなく、統一教会はただの反社会的組織だということに気づいたか聞いてないですが、割に早い時期に脱会を決意して、監禁期間もそんなに長くなかったようです。そして、茂木さんは脱会後、洗礼を受け、クリスチャンになりました。茂木さんと私が脱会後、再び交流をもつことになったのは、坂口さんを通じてでした。坂口さんから来た何通目かの手紙に、「ななくさちゃんのご両親は、1度説得しても教会に戻ったななくさちゃんを再度脱会させるために説得したなんて、ななくさちゃんは愛されてますね~。・・・という風に元信者の人と統一教会でよく使っていた言葉で笑っています。その元信者は誰でしょう?」と書いてありました。私はすぐにその元信者は茂木さんだとわかりました。坂口さんと茂木さんは同郷だし、先に書いたように、茂木さんは拉致監禁されているかもしれないと思っていたからです。「あの茂木さんがやめたんだ~」と不思議な気持ちになりました。その後、茂木さんから私に手紙が来て、茂木さんとの文通も開始しました。電話でも話しました。茂木さんと再会したのは、夏にI青年部コスモ出身で拉致監禁説得で脱会した高木さん(仮名・次回記事主人公)と坂口さん、茂木さんの所に遊びに行った時です。4人で久しぶりの再会をし、一緒に夕食をとりました。坂口さんは私、高木さんと一緒に旅館に泊まり、茂木さんは家に帰りました。翌日は、坂口さん、茂木さんが通っている新津教会に行き、礼拝に参加しました。この時の礼拝は何故か・・・浅見定雄さんで・・・・かなり多くの人が集まっていたので、少し遅れていった坂口さん、高木さん、私は礼拝堂に入れず、別室のビデオ上映されていた部屋で浅見さんの話しを聞きました。礼拝後は、教会で食事を摂り、その後公民館の浅見さんの講演会に参加しました。浅見さんの話しはお得意のカルトのマインドコントロール論でした。それからも、茂木さんとの文通はじめ交流は続きました。茂木さんは私が住んでいた所に年に1回位は遊びに来てました。私のアパートの部屋に泊まって、茂木さんが行きたい所を回りました。行きたい所の一つがI支部のビデオセンターとI青年部実践課のホーム(※)だったのには、ぶっ飛びました。(勿論前を通っただけです。)その帰りに、電車に乗るとき・・・偶然、I青年部ユニティのマザーに見られました。ユニティのマザーは赤ちゃんを抱っこしていて、私をじっと見てました。茂木さんは、ユニティマザーがいたことに気づいてなかったです。(※)この時は、まだI支部ビデオセンターもI青年部実践課ホームもまだ存在していたのですが・・・・現在は、ビデオセンターは法律事務所になっており、 青年部実践課ホームはもうなくなりました。何故、知っているかって・・・・昨年夏、I支部ビデオセンター近くに行く用事あり、せっかくだから前を通ったのです。実践課ホームがなくなったのは、コスモのマザーだった井場さん(仮名)がブログに書いてました。茂木さんは高校卒業してすぐに就職の為、郷里を離れました。就職してすぐに職場の先輩(※)から伝道され、トントン拍子にI青年部実践課入教と進んだので、どこにも遊びに行かないままだったのです。(※)I青年部コスモで班長してました。36万双で祝福を受けました。茂木さんは熱心なクリスチャンでしたので、私が少し通っていたO教会にも何度か足を運びました。他の気になる教会にも足を運んでました。(他の気になる教会には一緒に行ってないです。)茂木さんはクリスチャンとの結婚を強く望んでました。一時期、クリスチャンじゃなくてもよいと言ったので、私の知人を通してのプチお見合いをしていい感じになったのですが・・・結局、茂木さんは今はクリスチャンじゃなくてもいずれクリスチャンになって欲しいという希望があり、それを出会って数日しか経ってない時期に言ったので、この話しはなしになりました。私の実家に遊びに来たこともあり、私の母は茂木さんを気に入っていて、弟のお嫁さんになってくれたらいいなぁと言ってました。これも一つの縁かもしれないと思い、弟、茂木さんでプチ見合いを計画しようとしたのですが・・・・弟は結婚する気ゼロでしたので、会う前にご破算となりました。この時、「ななくさちゃんが会う?と聞いたから、会ってみる気になったのに、何で話しが進まないの?」と・・・手紙でせつかれました。弟が結婚する気ないから、この話しはなしでと謝罪と共に手紙を送ったら、返事が「こういう人は難しいよね。」と返ってきました。こういう人は難しい・・・・弟のことをこういう人と言われたのも何か腹がたったけど・・・こういう人は難しいって・・・アベルが伝道の時、言っていた言葉でした。もしかして、まだ私のアベル気取りなのかな?と思いました。こういうアベル気取りの上から目線発言は、何度かあり、私も腹がたつこともありました。茂木さんは、拉致監禁説得はじめ統一教会反対活動には積極的には関わっていませんでした。でも、拉致監禁説得は、間違っているとは思ってなく、松永牧師の行っていることを支持しています。また、きちんと説得を受け、間違いがわかってから脱会しないと後々紋々として引きずってしまうと思ってます。(多くの拉致監禁脱会者はそう思ってます。私もそう思ってました。実際は自主脱会者の方が引きずってないのですけどね。)茂木さんと後藤さんの話題も何度か出ました。後藤さんが松永牧師の元で監禁説得を受けていた時、茂木さんは後藤さんの監禁部屋に行ったそうです。まだ、後藤さんが解放されてない頃、私は「後藤さん、どうしているのかなぁ~」と言い、「出たということ聞いてないから、まだやってるんじゃない。」と茂木さんが答えるという会話を何度かしました。後藤さんが12年の監禁の末、信仰を守り統一教会に戻ったということをネットで知った私は、茂木さんにメールでそのことを伝えました。その時は、12年も監禁するなんて・・・と当たり前の言葉を発してました。宮村氏と松永牧師は考えが違うから・・・きっと松永牧師は心を痛めていると思うともメールに書いてました。脱会者でありながら拉致監禁にノーと言っている人がいる、統一教会と関係ないのに、拉致監禁の問題を発している人がいることを伝えたら、一度は関心もったのに・・・・その後、そのことは忘れさられてしまいました。後藤さんのことを私と語ったことも忘れさられてました。(不思議な話しですが・・・茂木さんだけでなく、他にもそういう人がいます。)後藤さん裁判のことについて・・・松永牧師はそのことで迷惑していると言いましたが・・・判決後は何も言いませんでした。(狡い私は、茂木さんにも後藤さん裁判の世話人をしているとは言ってません。)茂木さんとは現在も友人関係は続いています。

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  • 05May
    • 脱会後のI青年部の人との関わりー元信者ー坂口さん(仮名)

      時は、また脱会直後の1996年に戻ります。原理の間違いはわかり、統一教会脱会の決意を固め脱会しても・・・食口依存症から抜けてなかった私は、結局は元信者とのつながりを求めるのでした。それも・・・脱会してから出会った元信者じゃなくて、やはり同じ青年部で一緒に歩んだ人に会って話したいと強く思いました。私が2回目の監禁前に、統一教会の信仰と祝福を報告するために実家に帰り、戻って来なかった坂口さん(仮名)はどうしているだろうか?と気になってました。坂口さんは、私が1回目の監禁から戻った時、監禁から逃げてきたことを知らないのに察してくれて、勤務先のパン屋の残ったパンを持ってきてくれました。統一教会現役時代、坂口さんからは、統一教会信仰のことは親にはまだ話してないと聞いていました。帰省から戻って来ない坂口さんを心配してましたが、統一教会の信仰をはじめて証す帰省で、いきなり拉致監禁説得はないだろうと思ってました。(既に1回拉致監禁説得を受けていたので、拉致監禁説得の前にかなりの準備が必要ということはわかってました。)おそらく・・・統一教会、合同結婚式と聞いた親御さんがパニックを起こして、親御さん判断で軟禁・監禁状態として実家から出さないようにしているのではないかと勝手に考えてました。私はしっかりと統一教会の間違いがわかり、脱会したからよいけど、坂口さんは統一教会の信仰を持ったまま実家から出られず、苦しい思いをしているかもしれないと思いました。坂口さんの電話番号がわかったので、電話をしました。第一声がお互い・・「久しぶり~」でした。坂口さんの声は明るく元気でした。私が「統一教会やめた。」と言うと「おめでとう~」と返してくれました。その言葉で、坂口さんも真性脱会したということがわかり、ホッとしました。以前に脱会した元信者が坂口さんの親御さんに、坂口さんが統一教会に所属していることを話し、親御さんは反対牧師の松永牧師に相談し、松永牧師の元で勉強し監禁説得の準備をしていたそうです。坂口さんを通じて、松永牧師に一度だけお会いしました。驚くことに、松永牧師は私を説得した北の大地の2人組を知ってました。親御さんが松永牧師の勉強会に通っていた頃も、坂口さんは時々は帰省していたのですが、全く気づかなかったそうです。坂口さんとしては初めて親御さんに統一教会の信仰を持っていることを告白するつもりだったのに、いきなり拉致監禁されて有名反対牧師から説得されることになり、かなり驚いたことと思います。そして実は親御さんは坂口さんが統一教会員であることを影で知らされていて、こそこそと説得のための準備をしていたということを知った時は、親から裏切られた思いでショックだったと思います。坂口さん本人でなく、他の人から聞いたのですが、坂口さんは一度は統一教会に戻ろうとしたそうです。戻ろうとした途中でI青年部に電話をしました。I青年部ユニティ(実践しない部署)のマザーが出たので、坂口さんは「監禁されていたのです。」と言いました。ユニティマザーは「そんなことないでしょう。」と軽くあしらいました。その言葉で坂口さんは統一教会に戻るのはやめ、親御さんのところにもどったそうです。(※)(※)坂口さんは、ユニティではなく私と同じコスモ所属でした。ですので、ユニティマザーは直接のアベルではありません。ユニティマザーはコスモのマザー井場さん(仮名)に電話のことは報告したのでしょうか?報告を受けながら、監禁から逃げてきた坂口さんに(例え自分じゃないとしても)同じマザーの立場の人が対応をしたことで信仰を失ったことに何の思いも馳せてないことに、やっぱり統一教会信者は人としての情のネジがどっか外れているのではないかと思います。何故、思いを馳せてないと思っているかというと、井場さんは現在は更新してませんが、アメーバブログをやってます。ブログに過去拉致監禁された人のことを綴ってますが・・・坂口さんのことは触れられていないからです。結果的にそれで坂口さんは統一教会を脱会できたからよかったけど、当時親御さんから突然監禁され、統一教会に戻ろうとしたら、そのような対応され、信じていた人から二重に裏切られかなり精神的ダメージは大きかったと思います。(本人から直接は聞いてませんので、あくまで私の想像です。)坂口さんに初めて電話をした時から、坂口さんは統一教会に対して吹っ切れてました。そして、拉致監禁説得に関しても恨んではいませんでした。でも、坂口さんは親御さんと一緒に生活して一緒に仕事をしていた(※)当時の環境を「マンションの連続みたいで嫌だ。」と言ってました。(※)坂口さんの実家は自営業でした。坂口さんの実家は、遠方でしたので、そうしょっちゅう会うことはできませんでした。当時は、携帯電話もパソコンも普及してなく、メールという通信手段は一般的ではありませんでした。坂口さんと私は、統一教会お得意の文通という手段で交流していました。坂口さんが結婚するまで1年に1回位は、一緒に旅行に行ってました。私が一人暮らしをしてからは、私の家にも泊まりに来ました。I青年部出身で同じ時期に拉致監禁説得で脱会した共通の友人と一緒に会うこともありました。坂口さんと私は同じ年でした。お互い統一教会から脱会できた時は大台に乗ってました。できれば早くゴールインして赤ちゃんを授かり、お母さんになりたい気持ちは同じでした。年は同じでしたが、坂口さんは最初に統一教会に出会ったのは20代後半でした(※)ので、それまでは恋愛経験があります。坂口さんは殿方との付き合いは私に比べ、普通でした。(※)坂口さんは、私がI青年部実践課にいた時伝道して新トレまで行った湯川さん(仮名)と4daysが一緒でした。参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12240544999.html喘息ありながら4days、新トレまで頑張った霊の子ー湯川さん(仮名)紆余曲折がありながら、坂口さんは私より1年位早く結婚しました。お子さんにも恵まれました。結婚するまで親御さんとずっと一緒に暮らしていたので、統一教会への思いとは別の何となくふっきれてないような思いを抱えているように感じてました。しかし、結婚してからは別人のように明るくなり、脱会者の影がなくなりました。(元脱会者になったのでしょう。)坂口さんとは今では年賀状だけの付き合いです。子どもが授からない私に気を遣って、お子さんの写真付き年賀状も送らないし、お子さんのことは一言も触れません。後藤さん裁判の一審が終わった後、久しぶりに坂口さんから電話がありました。松永牧師の元で脱会したとはいえ、坂口さんはクリスチャンになりませんでしたし、松永牧師の教会にも結婚後は通ってないようですし、脱会活動にも殆ど関わってないので、後藤さんの裁判の件は新聞で知ったようでした。坂口さんは、拉致監禁説得は間違っているとは思ってないので、「裁判官は間違っている」と怒ってました。その後、久しぶりに手紙が来ましたが、その中で後藤さんは何故自分のために長年生活を犠牲にした妹さんに思いを馳せないのだろう・・・と書いてました。私は脱会者でありながら後藤さん裁判の世話人で、拉致監禁説得には反対の立場ですが、坂口さんが手紙に書いた内容は全面的ではないにしろ頷けます。結局、ずるい私は拉致監禁説得反対の立場で後藤さん裁判の世話人をしたことは坂口さんには話しませんでした。これからも話さず、年賀状のみの付き合いが続くでしょう。

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  • 28Apr
    • 元原研信者ー山内さん(仮名)②

      時は、かなり先に進みます。私は、脱会6年後の2002年に結婚しました。この時、既に30代後半・・・・妊娠・出産にはギリギリ間に合ったかなぁと・・・当時は甘い考えでおりました。私の夢は、結婚ではなく、妊娠、出産、お母さんになることでした。統一教会の教えの純潔や貞操観念は、私の中には既になかったので、結婚しなくても妊娠・出産することに違和感も抵抗もなかったのですが、何せ・・・恋愛下手で殿方との接し方がうまくなく、容姿も標準より下となれば・・・自然な恋愛で結ばれてということは起こらないので、せっせと婚活をしました。その甲斐あっての・・・やっとのゴールインでした。さぁ~これで人生最大の目標であり、夢の妊娠・出産・お母さんになることを果たせるのだ~と頭の中は、マタニティの自分、ベビーカーを押してる自分・・・と常に常に登場してました。夫は私より7歳年上で、子どもを強く望んでました。そんな私達は避妊なんてするはずはなく・・・の後、密かに「これでできたかも」と妄想強く膨らませ、1日でも月のものが遅れたり、その時にちょっとでも気持ち悪かったら・・・「もしかして」と期待ばかりが膨らみ、そして・・・・赤いものと出会いがっかりする・・・そんな日々を送ってました。山内さんとは、結婚後も友人関係を続け、私の夫にも会いました。長沼さん(仮名)※と一緒に新婚の我が家にも遊びに来ました。※参照:https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12236135103.html友人関係が続いた伝道対象者(ちなみに、長沼さんと山内さんの出会いは、私を通じてです。3人で旅行に行ったことも2度あります。)我が家に遊びに来た後、山内さんは「私も家庭持ちたくなった。」とメールを送ってきました。それから数か月後・・・・山内さんから電話がありました。「相談したいことがある」と言いつつ、なかなか相談内容を言い出しませんでした。そして、やっとはなされた内容が・・「妊娠した。」ということでした。「エッ・・・・何で、結婚してない山内さんが先に妊娠するの?山内さんは、子どもをそれほど望んでなかったのに・・・」と一瞬頭の中が凍りつきました。 (この感覚、妊娠を望んでいながら妊娠しない人が妊娠報告を聞いた時の特有のものですから、殆どの人がわからないと思います。わからない方が幸せですよね。私だってわかりたくなかったです。)聞けば、アメリカ人宣教師とを行った後の結果だそうです。「私って・・・自分が思っていたより、健康だったのね。」と話された時には、何とも言えない気持ちになりました。子どもを積極的に望んでないとはいえ、子どもが欲しくなかったわけでもなく、幸せな家庭を築くことを夢見ていた山内さんは、順番は違って、今は他にやりたいことがあるけど、でもここで子どもを産んで家庭をもつのもいいかもしれないと思ったそうです。しかし・・・・アメリカ人の宣教師が山内さんが子どもを産むことを反対し、「産んだら嫌いになるからね。」と宣言されたそうです。宣教師ともあろう人が・・・授かった命に対する発言がそれ?と開いた口が塞がりませんでした。そして・・・山内さんはその言葉に従い、子どもはお空に帰ってしまいました。(今でも後悔しています。何故、私が育てるから産んで欲しいと山内さんに言わなかったのか・・・)それから山内さんとは交流していません。1年後、何かのきっかけで山内さんと電話で話し、何で私はそんなこと言ってしまったのか忘れましたが・・・不妊治療していることを明かしました。そしたら山内さん・・・・「自分の子どもに拘らなくても、親のない子を養子にして、愛情深く育てている人もいるよ。」と言ってきました。授かった命をお空に返したおまえが言うな~です。その言葉で、完全に関係を絶ちました。私は、(やってはいけなかったことですが)山内さんがやったことを山内さんが所属していて、私も通っていたO教会のメールに送ってしまいました。山内さんが今どうしているか全くわかりません。長沼さんは、山内さんと連絡をとっていて、山内さんは念願の海外生活をしていると聞きました。まぁ、夢がかなって海外生活ができるようになったのはよかったけど・・・何食わぬ顔して山内さんが言っていたわかりあえる人と結婚して、子どもが産まれて幸せな家庭を築いていたら嫌だな~と思いました。そんなこんなで、私はキリスト教が嫌いになりました。勿論、無責任アメリカ人宣教師と山内さんの行動ゆえのキリスト教が嫌いになるのは、間違っているのはわかります。私は、短期間で真剣ではありませんでしたが、キリスト教の勉強をした時期がありました。その時、何となく偽善的なものを感じました。(これは感覚的なものなので、具体的には説明できません。)その何となく偽善的なものが・・・アメリカ人宣教師と山内さんの行動で確定的となりました。山内さんは、同じ年でした。(同じ年とはいえ、私は早生まれで山内さんは4月生まれですので、山内さんの方が1年近く年上と言ってもよいです。)なのに・・・何故、山内さんは望んでないのに妊娠して、私は望んで望んで望んでいたのに・・・結局妊娠しなかったのか?仕方ないこととは十二分にわかっていますが、未だに腑に落ちません。よく、子どもは親を選んで生まれてくると言われてますが、そんなことはない!と断言します。親を選んで生まれるなら・・・・ハチャメチャ祝福家庭になんか・・・子どもは産まれないはずです。カルト家庭には生まれないはずです。子どもを虐待するような人の元には生まれないはずです。授かった命をお空に返す人の元を選ばないはずです。山内さんは「生まれる前に、お空に帰った子どもは、天で一番上にいる」(というニュアンスのこと)を言いました。・・・この言葉にも頭きました。子どもをお空に返す言い訳なんかするものじゃありません。

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  • 20Apr
    • 元原研信者ー山内さん(仮名)①

      最初にお断り&謝罪しておきます。原研出身者は、おそらく・・・気を悪くします。すみません。現役の統一教会時代は、原研の人と接する機会は全くありませんでした。原研は、ある程度のレベルの大学にあるものだから、原研所属の方は高偏差値の集まりと思ってました。だからと言って特別なことはなく、教会の学生部と変わらない(呼び名が違うだけ)と思ってました。皮肉にも、脱会説得中、脱会後に元原研信者と出会い、原研は教会の学生部とは別物ということを知りました。私を脱会説得した方は、国立大学原研元信者に資料を作ってもらったり右腕的に協力してもらっていたのに、原研のことを「甘い」「優遇されている」「頭でっかち」等好き勝手に言ってました。大学行けなかった私は、高偏差値大学に行けるような人達にコンプレックスがありました。コンプレックスとは反対に、低偏差値で大学行けず、専門学校卒なのに、20代前半で稼げる資格を取ってしまった私は、高偏差値大学卒でも稼げない職に就けない人に対し、優越感を持ってました。「高偏差値大学行っても、稼げないような頭でっかちじゃダメよね・・・。大学行ってなくても、社会的に信用がある資格があって、安定した給料がもらえる方が社会性はあるよね。」と・・・・。そんな思いが根底にあったので、説得者の原研に対する発言をもろにその通りだと根付かせてしまいました。脱会後、原研出身者は、36万双で韓日祝福受けた人の主体者(韓国人男性)は殆ど家族ぐるみ信者と聞きました。私と同じ説得者で私より少し前に脱会した元原研信者の野原さん(仮名)は、ノーテンキに韓国は「みんなそうだと思っていた。」と言いました。(イヤイヤ、家族ぐるみ信者どころか殆どがにわか信者でしょう。)脱会した後聞いたこととはいえ、原研は祝福でも優遇されているんだと思い、嫌~な思いになりました。(・・・ろくに献金もできず、借り入れもできないくせに・・・何故、青年信者より祝福が優遇される?・・・と)そして、原研に対する私の思いは悪くなりました。原研に対する思いは悪くても、一人の元原研信者とは仲良くしてました。前々記事の最後に出てきた山内さん(仮名)です。山内さんは、私が脱会したばかりで元霊の親から紹介されたN教会の夕方の勉強会で会いました。その時の勉強会は、夕方だったので、山内さんと私の2人でした。山内さんは、脱会して6年経っていて、洗礼を受けたクリスチャンでした。脱会して6年経って、洗礼も受けていたのに、山内さんは統一教会に対する思いがスッキリしてなかったので、(N教会の大元の)O教会所属の元信者のクリスチャンからもう一度勉強するよう言われ、勉強会に来ました。山内さんと私はお互い暇だったこともあり、勉強会の帰りにお茶しました。年が同じだったので、すぐに親しくなり、頻回に会うようになりました。(前々ブログ記事の最後に書きましたが、山内さんは北の大地で出会った元原研信者の野原さんの霊の親でした。)2人で飲みにも行ったし、カラオケにも行きました。(山内さんは歌がメッチャうまかったです。)旅行にも行きました。コンサート、キリスト教会関係のイベントにも行きました。電話でもいっぱい話したし、メール文化が始まってからは、メール交換も多くしました。仲は良かったです。だけど・・・山内さんは私を下に見ていて、それを私は感じて嫌な思いをしたことが数回ありました。名のある大学を卒業した(1年留年してましたが)山内さんは、大学行かない人はダメみたいな発言をしてました。私は大学は行ってませんが、資格のお蔭で常勤の職に就け、ある程度の給料は貰ってました。山内さんは、フリーターで給料もそれ程多くなかったです。そのことも、山内さんは腑に落ちてなかったみたいで、何かとのことを言ってました。「私も原研に入ってなかったら、大学でもっとしっかり勉強して仕事のキャリアを積めていた。(原研に入ってなかったら、やりがいのある仕事について、給料ももっともらっていた。)」(原研やめた時は大学卒業していても、まだバブルの名残がある頃。やる気があればそこから仕事のキャリアは積めたはず。)「ななくささんは、統一教会にいてもイサク献祭(※)してないよね。資格も取れたし。」(資格は棚から牡丹餅で取れたわけではないし、恵まれていたから取れたわけじゃないのに・・・。)(※)イサク献祭:自分にとって大事なものを捧げること。(山内さんにとってのイサク献祭は大学生活と大学での勉強だったのでしょう。)「原研ほど大変な所はないよね。」(いやいや、原研は統一教会組織の中でたいしたことしてないのに、優遇されている一番おいしいところだと思う。)「統一教会でたいして苦労してない人が、脱会してクリスチャンになって生き生きしている人を見ると、私は何だったんだ~と思う。」(その人が今生き生きしているのは、今の環境で頑張っているから。統一教会で苦労した、しないは関係ない。)他にも、私が子どもが欲しかったゆえに、婚活(当時は婚活という言葉はなかったですが)をしていたことをバカにしてました。「私は自然に出会ったわかりあえる人と結婚したい。苦労してきたのに、たった一人のわかりあえる人と出会えず、好きでもない人と結婚するなんて考えられない。」(たかが原研数年の経験を苦労とは言わないよ。いい年して、いつまで夢見る夢子ちゃん結婚を望んでいるんだ!そのへん、統一の祝福思考が抜けてない?)ちなみに、原研は祝福で優遇されている話しをしたら、「原研はそれだけ一番有意義な大学生活とこれからの夢を犠牲にしているから、当然だ!」と言ってのけました。社会人になって伝道された人は、ある程度人生が固まってからだから大学の時伝道されるより犠牲にしているものは少ないという理屈でした。「だったら、教会の学生部出身者も優遇されるべきだよね。」と言うと黙ってしまいました。(脱会したので、原研も教会も関係ないのに・・・こんな会話する山内さんも私もアホやわ。)今思えば、上から目線発言を繰り返す山内さんとよく友達付き合いを続けていたな~と思います。今と違い、私も寛大だったのでしょうか? (自分で言うな~)そんな寛大な私()でも、山内さんは私が許せなくて、今でも腸煮えくり返ることをしてしまったので、喧嘩別れしました。以後は、全く会ってないし、連絡もとりあってません。今頃どうしているのでしょうか?シャーシャーと幸せになっていたら、私は発狂するでしょう。

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  • 15Apr
    • 人として終わっている三男派

      三男派(家庭平和協会)のブログ村があるのに、何故か自分達がいつもこき下ろしている家庭連合ブログ村に居続ける奇怪な三男派達・・・世間に全く相手にされてないことを全く自覚せず、(これは家庭連合、サンクチュアリも同じ)自分達は正しい、自分達こそ真実を知っていると人を見下し、上目記事を書き続けてます。全くおめでたい・・・・・・ここまで自分は正しいと信じ切れるのはある意味羨ましいと三男派ブログコメントに書いたら、嫌味が通じず真に受けられてしまったことあり・・・・米本さんのブログ記事http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-935.html#more陰険ライン(時事ジャーナル-パイオニアカフェ-ココア)に対して、ブログ記事やコメントをあげた三男派達https://ameblo.jp/tldo5223/entry-12368000796.html加油さん、コメントお借りしました ! !(cocoaさんのブログ コメント欄も注目)https://ameblo.jp/cosmosnokokoro/entry-12367805842.htmlこれはいいね、誰に?(cosmosさんのブログ)米本さんのブログに加油という人が、下記コメントをしました。教祖が金日成と面会し、合同結婚式を繰り返し、小・中・高・大の各学校と、新聞社、サッカーチームまでもっていた宗教団体は、超マイナーとは言えません。あのですね~教祖が金日成(と限らず一国のトップの方)と面会し、小・中・高・大の各学校と新聞社、サッカーチーム(と限らずスポーツチーム等)を持っている宗教団体、思想団体はゴマンとありますよ。さすがに合同結婚式を繰り返す非常識な団体は他にはありませんが・・・。韓国の一部が家庭連合を評価しているのは、金を日本から送ったからです。余計な箱もの建設して、韓国の建設業を潤わせたからです。韓国の女性に相手にされず、結婚できない男性に祝福と称し日本の女性を多数送り、子どもが生まれました・・・これは韓国にとってはありがたいことでしょうね。日本の創価学会同様、韓国は家庭連合を邪見にできないでしょう。邪見にはできないけど、日本の創価学会よろしく、殆どの韓国人が相手にはしてないでしょう。しかも、信者数は創価学会に比べ、桁外れに少ないです。分派の三男派(家庭平和協会)なんて、世間は誰も知らないし、家庭連合以上に誰も相手にしないです。一部、顕進氏を相手にしているのは、やはり金目当てです。ちゃぬさんの記事より引用三男の顕進氏は、お金持ちの資産家なので、世界のどこに行っても「お金の臭い」に寄ってくる政府経済関係者に大人気。(先にリンクに貼った米本さんブログ記事のカラスさんのコメント顕進氏をググると、より引用)そういう現実が見えてないところは、家庭連合以上にお花畑でしょう。cosmosさんが先にリンクを貼ったブログ記事で暗に無責任な部外者を批判してますが・・・cosmosさんの言う無責任な部外者が統一教会拉致監禁問題にどれだけ心血を注いだか忘れたのだろうか?春川事件や心中事件、信者の自殺に無責任な部外者がどれだけ心を痛めていたかわからないのだろうか?三男派は、拉致監禁問題を意識しましたか?拉致監禁問題に対し、何かをしましたか?春川事件や心中事件、信者の自殺に対し、何を思いましたか?自分達の仲間のために、無責任な部外者が心血を注いだことを忘れて、上から目線で小馬鹿にするとは、人として本当に終わってます。

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  • 08Apr
    • 統一教会に所属している限り、世間に背を向けて生きることなんだ!と実感した一日

      なんじゃ~、この長いタイトルは~!言いたいことは、タイトルの一文全てです。これで終わります・・・。ではなく・・・・統一教会を脱会して、北の大地から自宅に戻って・・・割に早い時期に、1回目の拉致監禁される前の元職場に赴きました。最初は、皆懐かしがって普通に近況報告とか世間話しをしました。そのうち、何となく様子がおかしくなりました。勿論、皆仕事中ですので、辞めた元職員にそうかまってられるわけではありません。それはわかります。でも、それとは違う何かを感じました。ある程度、時間がたってから、元職場のA部長に呼ばれました。以前もブログに書いたように、A部長と私が勤務していた部署のB係長は、私の母が1回目の拉致監禁説得をする前に相談を受けていました。B係長は、私の姿を見てすぐにA部長に連絡しました。それで呼び出されたわけです。A部長より、統一教会の信仰について聞かれたので、辞めたことを伝えました。面談は短時間で終わりました。面談後、元職場の雰囲気はやはりよそよそしかったです。1回目の拉致監禁後に就職した職場の保証人になってくれた永内さん(仮名)がよそよそしさの原因を教えてくれました。皆、私が統一教会員だったこと、その統一教会絡みで職場を辞めたこと、2人を統一教会につなげようとしたこと(※)知ってました。(※)FF伝道(ファミリー、フレンドを対象として伝道すること)は冴えなかった私ですが、この職場で伝道した竹井さん(仮名)は2days・中級トレまで参加しました。(文ちゃん、統一教会が証される前に来なくなりました。)その人は、コース決定した時点で同じ職場の人と付き合っていました。(付き合っている人も勿論知ってました。)私は脱会した頃、竹井さんは付き合っていた人と結婚しました。もう一人、その職場の人でビデオセンターに紹介したのですが、その人はコース決定はしませんでした。永内さんは「ななくささんの信仰は信仰で認めるし、また一緒に働きたいと思っている。だけど、B係長や一部よく思ってない人もいる。」と言いました。その後、永内さんに統一教会を辞めたことを伝えました。後味悪い思いを抱えながら、元職場を後にしました。B係長は、挨拶のみで私には全く接してきませんでした。統一教会活動しながらの仕事してましたが、仕事はきちんとやっていたつもりでそれなりの信頼を得ていたと思ってました。人間関係も良好でした。在職中は、現役統一教会員でありながら、職場の飲み会、旅行にも参加しました。(勿論、お酒は飲みません。当時はアトピーが酷かったので、それを言い訳にしてました。)仲の良い人とは、個人的に食事やカラオケにも行きました。(通教青年部は、ゆるいな~とバリバリ元献身信者は思うでしょうね。)いずれ伝道しようという強い思いというより、私が統一教会員ということがわかった時に、「ななくささんが統一教会員なら、統一教会ってそんな変な所じゃないのね。」と思ってもらえるためです。という考えは甘い考えだったということを、脱会後職場に赴いた一日で思い知らされてしまいました。・・・・結局は、統一教会に所属している限り、世間に背を向けて生きていることになるのです。それを身を持ってわかったので、よかったです。(これは統一教会反対父母の会でも話しました。)脱会して14年後にある人から、「統一教会員は世間から嫌われているとは思ってない。」と聞きました。何て、おめでたいのだろう~と思いました。私もそういう認識だったのです。さて、元職場とのその後の関係ですが・・・・2、3年位は年に1回の職場全体の大きなイベントには遊びに行きました。(私も懲りないです。)竹井さんとは1度会って、遊びに行きましたし、年賀状のやりとりは暫く続きました。永内さん、他1名とは外で会い、お茶しました。合コンに誘った人もいました。元統一教会員の私と付き合ってくれた元職場の数人の人は、本当にありがたかったです。

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  • 04Apr
    • 元霊の親から紹介されて行ったキリスト教会

      元霊の親の鈴木さん(仮名)は、統一教会員の拉致監禁説得をした最初のO教会の分院(という言い方が適切かどうか?)のN教会に所属していました。N教会の岩井牧師(仮名)は、30代後半~40代初め位の痩せ形で身長も高くない男性でした。牧師になる前は、ケースワーカーをしていたと聞きました。岩井牧師は、拉致監禁強制説得をしていました。(※)(※)後藤さん裁判で原告側証人のMKさんの1回目の拉致監禁強制説得の牧師は岩井牧師でした。MKさんは、岩井牧師の話しを一言も聞かずに過ごしたようで、家族も岩井牧師も脱会説得を諦めたようです。監禁から解放した時、岩井牧師はMKさんを統一教会(原研だったか?)のホームまで送って行ったそうです。ある方は、そのことを聞いて、「紳士的だね。」と言いました。統一教会のホームに送ったことが紳士的かどうかはともかく、岩井牧師は本当に紳士的な人でした。鈴木さんの誘いでN教会に初めて行ったのは、礼拝の日でした。その翌日に勉強会があるから来たら、と岩井牧師から言われ、私も当時は脱会したばかりで暇だったので、翌日もN教会に足を運びました。勉強会は、岩井牧師が説得して脱会したばかりの人が集まってました。内容は、原理の間違いの復習と聖書のことでした。勉強会が終わった後、岩井牧師と面接しました。私の統一教会歴や脱会の経緯を話しました。岩井牧師は、「原理が間違いで反社会的な行為をしている統一教会だから脱会する。宗教的なこと(神様のこと)は一切考えない。関係ない。」という気持ちなら、このままでいいけど・・・(岩井牧師曰く・・・山崎浩子さんはこのタイプだそうです。)「原理は間違いで統一教会は反社会的なことをしているけど、宗教的なことや神様は否定できない。」なら、ここで暫く勉強したらいいと言いました。当時の私は、宗教的なこと、神様を関係ないとまでは思ってませんでした。(今は、関係ないとはっきり言います。)それに、暇だったし・・・外出先があることはいいことだし、キリスト教牧師の話しも興味あったので、暫くN教会に通うことにしました。勉強会には、牟田さん(仮名)と佐藤さん(仮名)が参加してました。2人共女性で統一教会では献身していませんでした。牟田さんは、私と同じ年でお母さんと一緒に参加しました。勉強会の帰りは、牟田さん親子と一緒に駅まで行くことが多く、色々と話しました。牟田さんは、その後、O教会で洗礼を受けクリスチャンとなり、聖歌隊に所属し、O教会名物のメサイヤ演奏会の合唱も参加してました。佐藤さんは、1歳上で私と同じような仕事をしていました。信仰歴は長かったですが、一度も献身せず、仕事をしながら活動していたのは私と同じでした。佐藤さんは、何となく近寄りがたい雰囲気で、佐藤さんと会話することは一度もなかったです。佐藤さんはその後もN教会に通い続けたようで(洗礼受けたかどうかは不明)、N教会に通っている元統一教会員の大野木さんと結婚しました。(大野木さんは元献身者で松本ママのドライバーをしていたそうです。)(大野木さんには、ちょっとホの字だったので、ちょっと残念でした。)N教会の勉強会に行き始めてから、とりあえず予定がなければ日曜礼拝は出てました。日曜礼拝の後、食事会と座談会あり、参加しました。座談会は、青年も壮年壮婦も一緒でした。統一教会では壮年壮婦信者と会話する機会がなかったので、これは新鮮でした。クリスチャンと知り合う機会は殆どないので、クリスチャンは聖い、特別な人というイメージが何となくあったのですが・・・実際は普通のおじさんおばさんでした。変な自己中のおばちゃんもいて、クリスチャンにもこういう人はいるのだな、神様信じていても同じなんだなと思ったものです。青年は、統一教会元信者と一般クリスチャンが半々くらいでした。元信者で一度だけ会った人で、宮村氏に説得されて脱会した(※)同じ年の女性がいました。(※)O教会は、以前は宮村氏と関係があって、ずっと前に説得された人でクリスチャンになった人の中には、宮村氏から説得を受けた人が少数ですが、いました。その人は、夫婦でクリスチャンで(夫が元統一教会員かどうかは不明)生まれたばかりの赤ちゃんも連れて来てました。学生(原研だったか?)の時に拉致監禁説得を受けて脱会したので、(当時から)8年位前に脱会してました。私と同じ年ですが、結婚して赤ちゃんを産んでいる姿を見て、人生の先を行っていると感じました。・・・私もいつか結婚して赤ちゃんを産もう!とその時、強く思いました。でも、その思いは、結局かないませんでした。N教会には、私の実家が引っ越して遠くなったことと、私が就職したため、礼拝、勉強会共に数回通ったのみでした。以後は、ずっと教会には行かない生活をしていましたが、9か月後の冬にO教会のメサイヤ公演会に誘われて行ってから、O教会に何度か足を運び、一度はキリスト教の勉強もしました。(でも、クリスチャンにはなりませんでした。キリスト教もカルトだと思ったことと・・・親しかったクリスチャンが私にとって許せないことをしたからです。このことについては、後で書きます。)N教会の勉強会に、牟田さん、佐藤さん以外に山内さん(仮名・女性)が夕方来ました。通常、夕方は勉強会はやってなかったのですが、山内さんのために岩井牧師は勉強会を行い、そこに私も参加したらどうかと言われ、参加しました。山内さんは、私と同じ年です。有名大学の原研出身で、(当時から)6年前に拉致監禁脱会説得で脱会していました。洗礼も受け、クリスチャンでした。でも、統一教会の思いがまだスッキリしていないので、O教会の元統一教会員のクリスチャンに勉強したらいいと言われ、やってきました。その後、山内さんとは親しくなり、プライベートで飲みにいったり、カラオケ行ったり旅行に行ったりしました。でも、15年前から交流はありません。PS1:岩井牧師は、脱会後スッキリしている人は、統一教会のことを忘れている、私の元霊の親の鈴木さんがそうだと言いました。確かに・・・鈴木さんは統一教会のことを忘れていて、1度勉強会に鈴木さんが来て一緒に昼食を食べた時、「そういえば統一教会では男性と女性の食器や箸が別々だったね。」と言うと・・・「そうだったっけ?」と言いました。当時、鈴木さんは脱会して7年位(?)・・・本人は意識してないと思いますが、既に元脱会者になっていたわけです。PS2:小岩牧師は、私がN教会に通っていた2年後位に、N教会をやめ、郷里に戻り、教会を開きました。そこでは拉致監禁脱会説得は行っていません。PS3:統一教会の世界は狭いもので、山内さんは、北の大地で出会った私を説得した説得者と同じ人に拉致監禁説得されて脱会した元原研の野原さん(仮名・女性)の霊の親でした。山内さんから出身大学を聞いて、北の大地で出会った元原研信者が同じ大学だったよと言ったら、「誰?」と聞かれたので、「私より少し前に脱会したから知らない人だと思うよ。」と言い、野原さんの名前を伝えたら、霊の子というのでビックリしました。山内さんから、野原さんには私のことは言わないで欲しいと言われましたので、野原さんには山内さんと出会ったことは言ってません。

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