私がカルトにはまった理由
  • 27Oct
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      最終回のお知らせ

      前記事で旧ブログからのお引っ越し記事のアップが終了しました。お約束通り、本記事をもちまして今後ブログの更新はしません。ブログは放置状態でアップします。放置するにあたり、テーマとテーマ分けを整理します。お暇な方(間違えた・・・ 興味のある方)は、どんな風に整理したか覗きにきてくださいね。(多分あまり変わり映えしないと思いますが・・・)今まで、マニアックな内容の拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。今後の皆様の幸せを願ってます。

  • 26Oct
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      スケープゴート-無責任な弁護士

      2014年6月14日記事です。この記事は、児童相談所問題も絡んでいるので、旧ブログ(「親の気持ち 子の気持ち」現在放置中)にも公開されたままになっています。ブログに登場する釣部さんの講演に3回行ったことあり、1回裁判傍聴(児童相談書絡み)でお見かけしました。講演会のうち1回は、「ディプログラミング」に関するもので、内海医師とのコラボでした。(話題の澤田拓也さんも来てました。一番後ろの端の席に早々から坐っていて・・・邪魔だな~と思っていたら、澤田さんでした。)内容は殆ど釣部さん著書の「スケープゴート」に出てくるライフスペースに関するものでしたが、後藤さん裁判のことも出てきました。では、澤田拓也さんも聞いた講演の元となった「スケープゴート」について、+αの記事はカルト問題に詳しい、あの弁護士が登場します。1.スケープゴート「スケープゴート 」は、釣部 人裕氏の著書です。カルト視されていたライフスペースが、オウム真理教と同じく、子供を囲いこんで虐待している、という憶測で、子供達は児童相談所に拉致されました。虐待の事実はないことを、児童相談所は保護後に確認したのですが、すぐに子供を帰しませんでした。親に「ライフスペースをやめなければ子供を帰さない。」と脅したり、子供に親に「ライフスペースをやめるよう」依頼する手紙を書かせています。拉致された子供側の当時の気持ち、その後が第3章に書かれています。親が児童相談所の脅しに屈せず、養護施設に拉致された子供、親に「ライフスペースをやめて欲しい」と手紙を書き、親がその通りにして、比較的早く家に帰れた子供、双方とも、心に深い傷を負いました。読んでいて、怒りで体が震えました。人の思い込みが、人に取り返しのつかない傷を負わせ、未来まで奪ってしまう恐ろしさを感じました。一気に読ませる本です。是非、皆さんも読んでいただきたいと思います。2.あの弁護士が登場「スケープゴート」が届き、最初パラパラっと捲って驚いたことは、紀藤正樹弁護士の名前が出てきたことです。「あ~ら、こんなところにきとちゃん弁護士が。」と苦笑してしまいました。紀藤弁護士は、山口広弁護士と並ぶ統一教会反対弁護士として有名です。統一教会だけではなく、世間で「カルト」と呼ばれる団体が騒がれると、水を得た魚のようにひょこひょことテレビに出てきます。<紀藤弁護士が「断言に注意」と書いたのは笑えるし、怒る。何故かは、後の文章を読めばわかります。>「千葉成田ミイラ事件 」が起こり、またまた奇怪なカルトが現れた・・とワイドショーを賑わせました。「カルト」と聞けば、紀藤弁護士が黙っていません。自身の「カルト論」「マイコン論」をメディアで得意げに話していた姿は容易に想像できます。(残念ながら、私の記憶にはあまりありません。)(ちなみに日刊ややカルト新聞でも、ライフスペースについての記事がありました。)ライフスペース後継団体が「冤罪」訴えシンポ=紀藤正樹弁護士に懲戒請求も 私は、事件の真相やライフスペースがカルトか否かは述べません。事件がどうであれ、ライフスペースがどんな団体であれ、下記は到底許されることではありません。①虐待の事実を確認しないまま児童相談所が子供達を保護(拉致)したこと②何の罪もない子供達が、カメラフラッシュを浴び、世間のさらし者になってしまったこと③子供たちに取り返しのつかない傷を負わせたこと子供達の拉致のきっかけを作ったのは、紀藤弁護士のテレビでの不用意な発言でした。しかも、それは全く根拠のない発言でした。「スケープゴート」から引用します。ちょうど、その頃、第二東京弁護士会の紀藤正樹弁護士(以下、紀藤弁護士という)が、今度は、あるテレビ番組で「高橋たちは児童虐待をしている」という趣旨の発言をしていた。(「スケープゴート」p39 L6~8)私は、2010年8月13日、紀藤弁護士と直接会って1時間以上話したことがある。その時に私は、「何を根拠に児童虐待があるとか、養育懈怠があるとか言っているのですか?」と質問を紀藤弁護士にぶつけた。「新聞で報道していたでしょう。」「いいえ、紀藤弁護士が先に児童虐待だとか、5歳である私の娘を学校に行かせていないとか発言したのは・・・。5歳児は就学前ですよ。」私が訊くと、紀藤弁護士は口ごもった。私は追い打ちをかけた。「誰かの噂話を鵜呑みにしただけなんじゃないですか?」「情報の提供があったんですよ。私のところには、いろいろな情報提供や相談がありますから・・・」「どんな情報提供ですか?」「子どもの捜索願がでたんですよ。」(略)その事情を話すと、紀藤弁護士は話題をそらし、「児童相談所が判断したことだ」「一市民として通報義務を果たしたまでだ」「表現の自由だ」などと言い始めた。紀藤弁護士は、カルトに詳しい弁護士を標榜しながら、自分の発言の根拠を新聞記事や報道に求める。そのスタンスは今も変わらない。(「スケープゴートp98 L6~p95 L9)頭がクラクラしました。何の根拠もなく、「児童虐待だ」とメディアで言うことが「一市民としての通報」でしょうか?「表現の自由」でしょうか?紀藤弁護士の表現の自由のせいで、何の罪もない子供達が酷い目に遭いました。そして、紀藤弁護士は、自分の発言によって、児童相談所に保護(拉致)された子供達のその後に関心をもっていません。今まで、紀藤弁護士は、単なるお調子者のタレ弁としか思ってませんでしたが、これを読み、悪魔だ!と思いました。  悪魔と言えば・・・こんな曲もありました。・・・・・http://www.youtube.com/watch?v=rsT-WIDu-uA 3.師匠が師匠なら弟子も・・・後藤徹氏裁判(※)の被告の後藤兄妹、兄嫁の弁護士は、山口貴士弁護士と荻上守生弁護士は、紀藤法律事務所 所属の弁護士です。(※)統一教会信者への12年5ヶ月に亘る拉致監禁による強制説得の裁判後藤徹氏裁判の一審の本人証人尋問を傍聴した美代子ちゃん(仮名)から、傍聴後話しを聞きました。美代子ちゃんは、山口貴士弁護士と荻上弁護士の尋問が特に印象に残ったといいます。美代子ちゃん曰く。(美代子ちゃんの言葉は青字。注:美代子ちゃんは口が悪いです。)メタボ弁護士(荻上弁護士)はね、やたらとマンションの窓とベランダのこと、後藤さんが大学で建築科を専攻していたのを拘っていたのよ。窓を割ればベランダ伝いに避難できる構造になっているはずだ・・建築科を専攻していたのだから、わかるはずだ・・とやたらと何回も言っていて、聞いているこちらも「またか・・」とウンザリ。(詳細はhttp://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-161.html#more  参照)でもね、まだメタボはよかったのよ。オタク(山口貴士弁護士)は、もう最悪!尋問の最初にいきなり「あなたのトト様はどこにいますか?」なのよ。何言ってんの?オタク弁護士が~!と心の中で毒づいたわよ。当然、後藤さんも返答に困るわよね。原告弁護士も、「異議あり!」と当然抗議するわよね。そしたらね・・・・裁判官がオタクに向かって一言!「何をおっしゃりたいのですか?」その一言で法廷が大爆笑!(詳細はhttp://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-174.html#more http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-149.html#more  参照)後々よく考えたら、統一教会に反対して亡くなった後藤さんのトト様は、地獄に行ったと後藤さんは思っている。だから、救わなければならない。そのため、氏族メシヤ活動として伝道のため、マンションに居座ったという証言をとりたかったのではないか・・・と。でも、法廷で「統一教会に反対していた父は地獄にいます。」なんて、言うわけないじゃんね。ホント、反カルトオタクだよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・( ̄Д ̄;;後藤徹氏裁判は、現在控訴審が始まっています。控訴審第一回目の傍聴記が裁判ブログにアップされていますが、これを読んでも、この二人の弁護士は・・・と思わざるえません。この二人の弁護士が提出した資料で、後藤さんが監禁中に書いたノートの一部、カレンダーに書いたメモがあるのですが、ノートは都合のよいところだけを切り取ったもの、カレンダーのメモは全く読めず・・・・(詳細はhttp://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-263.html  参照)こんなの証拠になりませんよね。だから、二人の弁護士は福本弁護士(原告側弁護士)に追及されて、「ここをつかれると痛いな~」って顔をしたのでしょう。(↑サイト参照)よく反対牧師は、「原理講論(統一教会の経典のようなもの)は聖書の都合のよい部分のみパクっている」と言うが(それはその通りだが)、批判しているカルト団体と同じことを山口貴士弁護士と荻上弁護士はしているのです。スタップ細胞の論文の写真の貼り付けがあれだけ問題になったのに・・・・弁護士界でこの言い方が妥当かどうかわかりませんが、師匠(紀藤弁護士)が師匠なら、弟子(山口貴士&荻上弁護士)も弟子!紀藤弁護士は、タレ弁活動の前に、弟子教育をしっかりすべきではないでしょうか?それとも、しっかり教育したから、おいしいとこ抜き取りの証拠提出をしたのでしょうか?

  • 22Oct
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      そして、みんな不幸になったー米本氏の後藤徹氏インタビュー記事を読んでの感想

      本文は2014年5月14日の記事です。またも台風が来ています。台風19号は各地で甚大な被害をもたらしました。心に大きな傷を受けながら、癒すこともかなわず復旧のため日夜懸命に働いておられる方が多くいらっしゃいます。そのような方達にとっては、またも来た台風の雨はせっかく苦労して整えてきたものを台無しにするのではないか、新たな被害が出るのではないかと恐怖を感じていることと思います。被害なく、変わらぬ日常を送っている者としては、被害を受けた方々には本当に申し訳ない気持ちだし、何もできない不甲斐なさを感じ、ただただ「今回の台風による新たな被害が出ませんように」「1日も早い復興を」と願うばかりです。台風の被害とは異なりますが・・・本文中に登場した方々は、拉致監禁による心の傷は癒されたのでしょうか。本文は米本氏が「火の粉を払え」ブログに、後藤徹氏のインタビュー記事を(上)(中)(下)に分けてアップしました。読んで思うこといくつかありましたので、それを今回は書きたいと思います。※他サイトの引用部分は青字としました。1.虚しさとせつなさ説得者は違えど、拉致監禁説得で統一教会を脱会し、統一教会にも拉致監禁にもノーを唱えている真弓ちゃん(仮名)に、会いました。真弓ちゃんは、拉致監禁によりPTSDとなり、現在も精神状態が落ち着かないです。真弓ちゃんが拉致監禁されたのは、20年以上前です。真弓ちゃんは、拉致監禁にノーと言うと、「じゃ、統一教会にいた方がよかったの?」と言われると言います。拉致監禁で脱会し、統一教会、拉致監禁共にノーを唱えている立場の者として、↑のようなことを言われるのは、一番辛いし、心が掻き毟られます。真弓ちゃんは、後藤さんのことを気にしています。「統一教会を脱会させたいから、親は、監禁する。それは子供が幸せになって欲しいから。いくら統一教会を脱会させたいからと言って12年も監禁したら、幸せになれないじゃない。」と言います。当然、食事制裁も、説得なき10年近くの監禁も無一文で最後放り出したことも虐待としか思えないと言ってました。(虐待どころか、へたしたら殺人です。実際、後藤さんは殺意を感じたと言います。)この人は、本気で私を殺すつもりなのかと心底恐怖を抱きました。<後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち  より引用>真弓ちゃんは、後藤さんのガリガリに痩せた写真を見て、「私の知り合いの拒食症で亡くなった人もこんな体だった。」と言いました。そして、最後に「後藤さんのご両親は何を思って、後藤さんを監禁していたのだろう?」と遠い目をしながら語ってました。真弓ちゃんと会った帰りに、米本さんのブログの後藤さんインタビュー(下)を読みました。真弓ちゃんも、後藤さんも、後藤さん兄夫婦、妹も拉致監禁がなければ違った人生を歩んでいたかもしれないのに・・・と思うと、虚しくなりました。心に隙間風がピューピュー吹きました。2.お茶も飲めなかった食事制裁期間後藤徹氏裁判ブログに食事制裁期間の食事内容がアップされています。新たに驚いたことがあります。※その他→間食は一切なし。おかわりも一切なし。上記以外の飲み物は水かお湯のみ。世話人Xの呟き:今まで食事内容ばかり気にしていたので意識していなかったが、2006年4月から2008年2月10日までの約2年間、後藤さんはお茶、紅茶、コーヒー、ジュースも飲んでなかったとは・・・あらためて驚きました。<3回目の30日断食後、後藤氏は何を食べていたか? より引用>世話人Xさんと同様、私も後藤さんの食事内容ばかり気にしており、飲み物のことは意識していませんでした。お茶も飲めなかったとは・・・一瞬絶句しました。食事は、断食後の体のこと、またいつ断食するかもしれないと思い、少ししか出さなかったと言えば、「まぁ、そうかな。」と思えないこともないです。しかし、お茶も飲まさないとは・・・「カフェインは胃によくないから。」という言い訳も聞こえそうですが、カフェインの入ってないお茶はいっぱいあります。事実、病院の食事と共に出されるのはほうじ茶です。体に優しいジュースもあります。・・・・・・・(そういや、原告、被告ともに出された食事写真に果物が入ってないです。)お茶も飲ませなかった・・・・・後藤さん兄夫婦、妹の並々ならぬ憎悪を感じます。元々悪い仲ではなかった兄と妹もここまでするかと。彼らの顔から一切の感情が消え、能面のような表情で私を見る目には憎悪が見て取れました。<後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち  より引用>3.兄嫁が怖かった・・・「お茶も飲めなかった。」と後藤徹氏が主張しても、妹さんは、「お茶なんてその辺に置いてあったのだから、飲めばいいじゃない。」と言うでしょう。実際、後藤徹氏は、監禁初期の頃はその辺にあるカップラーメンにお湯を注いで勝手に食べていたと、妹さんは陳述書に記載しています。徹がカップラーメンを食べたいと言うので、買って台所に置いておくと、自分でお湯を注いで食べることもありました。統一協会にいた時飲んでいたという、粉末の紅茶やレモネードを飲みたいと言ったり、<後藤徹氏妹の陳述書  より引用>また、妹さんは主尋問の時、「毎日食事を作っていたから、食材は冷蔵庫に入っていた。冷蔵庫をあけて食べればよいこと。」と普通に聞けば、全うなことを言ってました。原告は生米,生ごみで飢えをしのいだと言っているんですが,そのようなことはありますか。いえ,冷蔵庫がすぐそばにありましたし,食材はそこに入っていたので,そこから食べればいいことですし,実際食べていたのかもしれません。生ごみをあさっている時間があるんだったら,冷蔵庫の中からものが出せるということですか。はい。原告は冷蔵庫の中の調味料をなめたら,ある日,冷蔵庫が空にされてたというようなことを言っているんだけど,そのような事実はありますか。いえ,毎日食事は作っていましたので,食材も買っては入れていたので,冷蔵庫に空になるという,そういうことはありませんでした。<後藤徹氏妹の主尋問  より引用>しかし、後藤徹氏は、30日断食後は冷蔵庫をあけて勝手に食べ物を食べることも、その辺にある飲み物も飲まなかったのです。何故か・・・?私が米本さんが書いた後藤徹さんインタビュー記事(下)を読んでビックリしたことは、後藤さんが兄嫁さんが怖かったと言っていたことです。引用します。後藤 兄嫁がヒステリーになると、もう手がつけられない。声は金きり声。目はフォックスアイ。正直、怖かった。 例えば、こんなこともありました。私が座っていると、兄嫁が中に氷と水が入ったボウルを持ってものすごい形相で現れて、私の後ろ襟首をガバッと引っ張り、「いい加減目を覚ましなさいよ!」と背中に氷水を流し込む。 <後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち  より引用>男性が女性をここまで恐れるとはどういう状態でしょうか?私は、後藤さんの↑の言葉を読んで思い出したのは、「ミザリー 」です。事故で負傷した人気小説家(男性)を、熱狂的ファンの元看護師の女性が監禁します。監禁下で小説を書かせ、女性の意に沿わない方向に展開させると、激しく虐待します。そして、虐待なんか本当はしたくない、あなたが悪いから虐待したと言います。男性は負傷していることと、通信手段が使えないことで逃げるに逃げられません。男性は女性が怖ろしくて怖ろしくてたまらず、女性に従順になります。後藤さんも、兄嫁さんに対し、怖ろしくて、何をされるかわからない恐怖があったのでしょう。それで、冷蔵庫もあけられなかった・・?その辺にある飲み物も飲めなかった・・・?勝手に冷蔵庫をあけて食べ物を食べたり、その辺にある飲み物を飲んだら、ペナルティーがあったのでしょうか?それとも心理的問題でしょうか?(過去、マヨネーズや生ごみで飢えを凌いでいたのを気づかれたら、綺麗に片づけられたのが尾を引いていた・・)ここまで恐れられる兄嫁さんはどういう人か興味があります。それで、裁判傍聴した美代子ちゃん(仮名)に、聞きました。美代子ちゃん曰く・・・「普通の気の強そうな人にしか見えなかったよ。後藤さん尋問の時、兄妹は下を向いて殆ど無表情だったけど、兄嫁さんは『何言ってるの。バカじゃない。』という表情を見せた時はさすが・・と思ったけど。・・・」考えてみたら、後藤さん兄は、兄嫁さんに恋して、一生を共にしたいと思ったわけです。(伊藤弁護士も、兄嫁さんにモーションをかけたとのことです。)恋愛時代は、猫かぶっていたかもしれませんが、いくらなんでもここまで怖ろしい女性を生涯の伴侶にはしないでしょう。それとも、後藤さんのお兄さんは、ドM・・・?後藤さんの兄嫁さんの行動は・・・義弟を監禁する役割を与えられたことと、フラストレーションが大きすぎたためでしょう。フラストレーションを自分の中で消化できず、それで目の前の兄嫁さんにとっても諸悪の根源の徹氏を虐待しました。それはどうにも止まらなかったのでしょう。徹氏が目の前からいなくなっても、フラストレーションはそう簡単には消えないでしょう。お兄さんと兄嫁さんの関係が心配ですが、それは余計すぎるお世話です。4、自分に敵意を感じてない普通の人が歩いているのをみる新鮮さ思わず読んで「なるほど」と思ったのがです。外に出て、一歩踏み出したときにまず新鮮に思ったのは「知らない人が歩いている!」ということでした。--どういう意味ですか。後藤 私に対して敵意を持っていない人が普通に(路上を)歩いているという感覚です。 12年間、私の周りにいた人たちは特殊なごく限られた人たちでした。すなわち宮村や家族や元信者たちは、私の信仰に強烈に敵対する人達でした。10年以上監禁して説得しても頑として統一教会の信仰をいつまでも捨てようとしない。そんな私が憎たらしくてしょうがない。それが、彼らの言葉や態度にいつも表れる。 ですから、私にとっては彼らの存在自体がものすごいストレスでした。 それが外に出ると、私に悪い感情を持っていない知らない人が普通に通りを歩いている。こんなこと至極当たり前なんですがね。この感覚は、お分かりにならないと思いますが、実に新鮮でしたよ。 <後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け♪  より引用>私は監禁期間が短かったから、1回目の偽装脱会中に逃げて教会に戻る途中、そんな感覚はなかったですが、でもわかります。監禁中は、統一教会の信仰を持っている限りは、一緒にいる人達は、皆、自分の考えを否定し、剥ぎ取ろうとする敵です。(心配だから、愛しているから話し合いの場をもった。私達はあなたの味方だ、と言いますけどね・・・)信仰をもっている、統一教会に所属しているということが悪で、家族を苦しめていると言われます。だから、外に出て、教会員に会う前に、普通の自分に何の感情も抱いてない人がいるというのは新鮮というのは思わず頷いてしまいました。12年・・・・・・敵意をもった人としか接しなかった・・・それがどういうことなのか?この後藤さんの言葉に表れています。5、人生計画が狂ったとは・・・?いつまでも頑として信仰を棄てようとしない私に対し「自分たちの人生計画が狂ってしまったのはおまえのせいだ」、と目が訴えていました。<後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち  より引用>兄夫婦、妹の人生計画はいかなるものだったのでしょうか?・徹氏が脱会し、兄妹3人それぞれ家庭を築き、盆暮れ正月に両親の元に集まる・・そして、酒を飲みながら、時々は統一教会の悪口を言う。・徹氏脱会後は、兄はやりがいのある仕事をし、兄嫁は子供を産み、育てる。時には、家族で旅行や行楽に行く。・徹氏脱会後は、妹は結婚し、子供を産み育てる。兄夫婦、妹は、徹氏が脱会し、拉致監禁が終了した後の人生計画を思い描いていたのでしょう。全ては徹氏が脱会してから・・そう思っていたのでしょう。(特に兄は自分が伝道したので、余計にそう思っていたのでしょう。)しかし、徹氏は一向に脱会する気配がありません。そして、頼みの綱の宮村氏も来なくなりました。元信者も来なくなりました。来るのは、マンション修理業者のみ・・・年月だけが無駄に過ぎていく・・・年だけとっていくああ~若さも張りも遠くに行ってしまう・・・ああ~青春を返して~・・と心の中で痛切に叫んでいたでしょう。夕焼け小焼けを聞きながら、虚しくなったのは、兄夫婦、妹も同じだったのでしょう。「後、何回、夕焼け小焼けを聞かなければいけないのか?」かなり焦ったでしょう。人生計画を崩した諸悪の根源の徹氏をさぞ憎んだのでしょう。しかしですね・・・何故、兄夫婦、妹の人生計画に徹氏の脱会が必要なのでしょうか?徹氏の脱会を諦めて、人生計画を仕切りなおすチャンスはいくらでもあったわけです。それをせずに、「おまえのせいで人生計画が狂った」と目で訴えるのはお門違いです。本当に人生計画が狂わされたのは、徹氏の36万双の相対者でしょう。彼女は今どうしているのでしょうか?本当だったら、36万双後に、後藤氏と家庭を築くはずでした。しかし、後藤氏との祝福は崩れました。その後は別の人と祝福を受けて家庭をもっているのか?わかりません。どこかで後藤氏のインタビューを読み、複雑な気持ちになっていなければいいのですが。・・・6、憎しみはどこまでも・・・そして、みんな不幸になった--それから、お母さんが亡くなられた。 後藤 はい。2012年の9月20日に母が亡くなったことも、やはり、相手側弁護士から福本先生のところにFAXで連絡があって、初めて知りました。それで、急遽、FAXに記された住所を頼りに、電車を乗り継ぎ遺体安置所に行き、母の亡骸と対面しました。 翌日、また相手側弁護士からのFAXで「喪主側としては徹氏に葬儀への参列をしてほしくない」という伝言が。監禁中亡くなった父の葬儀にも参加することができなかったので、(うめくように)結局両親の葬儀に参加できませんでした。 <後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち  より引用>怒りより、悲しくなりました。結局、後藤さんのご両親が子供達の幸せを願い、これが親の愛情、親としての務めと思って行った脱会説得のための拉致監禁により皆不幸になりました。徹氏は、解放後、再々祝福を受け、子供も授かり幸せではないか?皆に支持され、支援も受け、幸せではないか?と思うかもしれませんが仲のよかった兄妹から憎まれ、両親のお葬式も参加できず、きちんとお別れもできなかった徹氏の心中は如何に?と思うと、複雑になります。後藤徹氏、後藤さん兄夫婦、妹さん、後藤徹氏の36万双の祝福相手だった人、そして、真弓ちゃん(仮名)、全ての拉致監禁被害者、皆の拉致監禁が終わりますように!

  • 20Oct
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      暴走した家族愛(?)-後藤徹氏の拉致監禁説得について、私が思ったこと

      2014年4月6日の記事です。とりあえず読んでみてください。1.理解不能な家族愛後藤さんのお兄さんの陳述書 の最後の部分を引用させていただきます。(引用部分は青字)22.徹が立ち去った後徹が姿を消した後,行き場がなくて戻ってくるとも考えていたので,その日はそのまま待っていました。しかし,夜になっても帰っては来ませんでした。徹は,気力・体力ともに特に問題はなかったので,行き倒れなどの心配はなかったのですが,徹が行くところと言えば,統一協会しかありません。夜が明けた時点でこれはもう戻ってこないかも知れないと思いました。これまでのさまざまな場面や苦労が思い出され,それらが水泡に帰した気がして深く脱力しました。また,徹が真実をきちんと見極める手助けをしてやれなかったという無力感と自分が統一協会に誘い込んでしまったことへの罪悪感で涙が出ました。次の日からは部屋の物を少しずつ片づけ始めました。12日か13日かに友人からワンボックスカーを借りて最低限のものを残して荷物を運び出しはじめました。必要ないものは処分しました。母と■<後藤徹氏の妹>は12日か13日に実家に帰りました。しかし,万が一徹がマンションに戻ってきた時のことを考えて,私と■<後藤徹氏の兄嫁>が1週間ほど待機していました。1週間経って帰ってこなかったのでマンションを引き払い,私たち夫婦も私たちの自宅に戻りました。よ~くよ~く読むと、やはりおかしいです。12年、一人で外出していない人が無一文で行方不明になったのに、・悠長に構えていること。・探しまわってないことはどうなんだろう?と、栄養失調でスクワットができるか?10キロ歩けるか? で書きましたけど、もっとおかしなところがありました。夜が明けた時点でこれはもう戻ってこないかも知れないと思いました。これまでのさまざまな場面や苦労が思い出され,それらが水泡に帰した気がして深く脱力しました。また,徹が真実をきちんと見極める手助けをしてやれなかったという無力感と自分が統一協会に誘い込んでしまったことへの罪悪感で涙が出ました。頭を冷やすように外に徹氏を出して、気が付いたら、いなくなっていた。兄たちからしたら、翌朝は、まだ徹氏はどこにいるかわからず、安否も確認できてない状態です。統一教会に戻ったことを確認した後、「自分が誘い込んだ統一教会に、結局戻ってしまった。」と罪悪感に苛まれて涙するならわかります。でも、行方不明状態の時点では、統一教会云々より、身体の安否がまず気になるのではないでしょうか。「お金もってなかったけど、ご飯はどうしただろうか?」「着の身着のままででていったけど、寒さで震えてないか?」「12年も一人で外歩いたことなかったのに、外に出て、もしかしてここに戻ってこれなくて彷徨っているかもしれない。」「途中で倒れているかもしれない・・・。」しかし、この陳述書には徹氏の身体の安否を心配していた様子が感じられません。気力、体力が問題なかったから、行き倒れの心配がないと書かれています。しかし、寒空の下、食事も水分も摂らず、家にいるのと同じ格好で一晩過ごすことを想像したら、心配で心配で夜も眠れず、探し回るのではないでしょうか。妹さんは、証人尋問で、「何故、原告を12年一度も一人にしなかった?」と弁護士に問われたら、「ずっと一緒にいたかったから。」と答えました。後藤徹氏妹の反対尋問 より引用(引用部分は青字)私が端的に聞きたいのは,1時間でも2時間でもいいから,原告をマンションに1人置いて,全員ほかの家族がいなくなった,そういう状況がなぜないのかということです。なぜ。家族として一緒にいたかったですし,徹もそれを嫌がっていたことはないですから。12年も一時も離れず、ずっと一緒にいたかった家族です。しかし、いなくなった後、どうしたかといえば・・・・・・安否確認しない。探していない。・統一教会に戻ったことだけを嘆く。・翌々日にはマンションの荷物を片づける。(友人からワンボックスカーを借りてますから、いなくなった翌日には手配していると思われます。)・母と妹は早々に引き上げる。私には、後藤家の家族愛は、理解できません。誰か、理解できる人がいたら、教えてください。2.見ざる、言わざる、聞かざるの水茎会(?)後藤さんの監禁は一部の反対派の中では有名だったようです。宮村氏とも松永牧師とも全く関係ない説得者に説得され、家族も水茎会、松永牧師の教会との縁が全くなかった拉致監禁脱会者が、後藤さんの監禁のことを知っていたと言ってました。その人は、後藤さんのお父さんが亡くなったことも、(その人の)お母さんから聞いて知っていたそうです。何故、その人が知っていたかの詳細は書けませんが、後藤さんが解放される6年位前まで「どうしているのだろうか?まだ説得しているのだろうか?」と元信者同士で話していたそうです。後藤さんが監禁されていたことを知っていた元信者の人は、ネットで後藤さんが12年監禁されて、統一教会に戻ったということを見た時は、心臓が止まる程驚いたと言ってました。その人の知り合いの元信者の人も、「まさか12年もやっていたとは・・」と驚いていました。統一教会反対、拉致監禁容認の人でさえ、12年の監禁を聞いた当初は、絶句して、「いくらなんでも・・・・・」と言っていました。更に、ガリガリの写真を見て、「何事!?」と言ってました。でも、容認の人は、徐々に言うことが変わってきました。裁判所で証拠採用されていませんけど、後藤氏がガリガリに痩せていたことは、水茎会の人は知っていたと、AT牧師(宮村氏説得により脱会した元信者をフォローしていた)は語っています。水茎会の一部の人は、後藤さんが12年に亘り監禁されていたこと、ガリガリに痩せていたことは知っていたのです。水茎会の会員の中には、わが子の説得を終えた人もいます。その人達の中にも、良識のある大人はいるでしょう。良識ある大人だったら、わかるはずです。・監禁だけしていても、脱会しないこと。・食事制裁することは、逆効果なこと。・何より、家族としてそんなことしてはいけないこと。後藤さんの兄妹、兄嫁さん達は、精神的にかなり追い込まれていたと思われます。・徹氏は、一向に脱会する様子も見られないまま時だけが過ぎてしまっている。・自分たちは、すぐに統一原理の間違いがわかり、早々に信仰からリタイヤしたのに、徹氏はしぶとく信仰を貫いている。・長期の断食を3回もして、反抗している。・宮村氏は徹氏脱会のために何もしてくれる気配がない。監禁する側もフラストレーションがたまります。それが12年も及んだのです。正常な判断ができなくなり、虐待に走っても不思議ではありません。私は見たことないのですが、「es 」という実話を元にした映画があります。実験で刑務官と受刑者の役割を与え、数日したら、刑務官が受刑者に対し、威圧的になり、暴力まで振るったという内容です。監禁する側の役割を兄妹、兄嫁さんは与えられてしまいました。徹氏の食事も外出の自由も意のままです。知らぬ間に、徹氏に対する態度は暴走していきました。説得なき常識外れの長期の監禁と、兄妹・兄嫁の暴走(食事制裁)を知っていたと思われる水茎会の良識ある大人が誰も止めなかった・・というのが私には信じられないです。それとも、水茎会には、そういう普通の良識ある大人はいないのでしょうか?3.記憶が変わっている(?)12年も監禁して、最後は食事制裁までしてガリガリにして、無一文で寒空の下放り出した裁判の被告と言えば、どんな人なんだろう?と思います。裁判傍聴した人の話しによれば、被告として告訴されている後藤氏兄妹、兄嫁さん達は、人のよさそうな真面目そうな人だったと言います。とても、後藤さんが陳述書に書いたことをするような人には見えなかったと言います。人のよさそうな真面目そうな人なら、追い込まれた精神状態だった時に行ったこととはいえ、愛する家族に、食事制裁をしてガリガリの体にしてしまった事実は、耐えられないことだと思います。でも、裁判傍聴した人は、後藤さんの兄妹、兄嫁さんは、耐えられない精神状態を抱えているようには見えなかったと言います。私は、記憶が変わっている可能性もあると思います。原告、被告の以下の認識は一致しています。・後藤徹氏は家族と共に、12年5か月間自宅とは別の3か所に亘るマンションに生活していた。・12年5か月間、徹氏は1人で外出していなく、一時も一人にならなかった。・徹氏は突然、マンションから出された。双方の主張で違いがあるのは、以下です。・脱会説得目的の監禁か、信仰に対する家族の話し合いか?(徹氏が家族を伝道しようとして引きこもっていた、という主張を家族はしている。)・3回目の断食後の食事内容(量)。と普通食(?)に戻すまでの期間。・マンションを出た時の徹氏の身体状態。保護説得は家族の愛情を示して脱会に導く場だという認識を、反統一教会の保護説得容認者達は持っています。食事制裁(虐待)したら、余計に信仰が強くなり、逆効果ということは、保護説得容認者たちは知っています。一時の感情にまかせた暴力ではなく、確信的に長期に食事制裁(虐待)をすることは保護説得容認者たちにとっては、信じられないことです。自分たちの認知に不協和を起こします。当然、そんなことはあるはずないと思い込みたいです。そこで、反統一の方々は、「後藤さんが言うあんな食事出すはずないよね?」「あんなに痩せていたはずないよね?」「パンツ1枚になった時、あんなガリガリじゃなかったでしょ?」と家族に言い続けてたかもしれません。家族にとっても食事制裁は都合の悪い、罪悪感をもたらす事実です。だから、周りから上記のように言われ続けることによって、「そうよ、私達はちゃんと食事を出していた。」「あんなに痩せてなかったはず。」という認識に変わるかもです。 これは逆もありうることです。例えば、徹氏が自分が食べたい物と全く違う物が毎日出されていて、それに不満を持ち続けていて、そのことを統一教会員に話します。そのことを聞いた統一教会員達が「ごはんも十分食べさせてもらえなかったって。そういえば、後藤さん随分痩せてるよね。」と言い続けてたとします。それを聞いた徹氏が「そうだ、俺はごはんもまともに食べさせてもらえなかった。」という認識になるかもです。ただ、もし徹氏の記憶が上記のように変わっていたとしたら、被告側が主張する「家族の話し合い」は行われてないことになります。何故なら、食事という基本的なことも、本人の意向を充分に確認してなかったことになります。もし、妹さんが徹氏の体を本当に気遣って、食事を出していたとしたら、そのことを徹氏にきちんと話すでしょう。「断食少食健康法」も一緒に読んだでしょう。4.後藤家の悲劇を繰り返さないために以前のブログに書きましたけど、私は脱会後、霊の子はじめ数人の信者本人、家族に脱会に向けて働きかけました。幸いにも拉致監禁に至りませんでした。私の働きかけで拉致監禁に至った人が一人でもいたら、今のように「拉致監禁反対!」とは言えなかったでしょう。もし、私が兄弟を伝道して、統一教会員になっていたら、後藤さんのお兄さんと同じように、両親と共に拉致監禁していたでしょう。そして、一向に脱会の意を兄弟が示さず、監禁が長期となったら、後藤さん家族と同じようなことをしたかもです。私と後藤さんの兄妹、兄嫁さん達は紙一重です。後藤氏兄妹も、統一教会元信者です。拉致監禁脱会者です。後藤さんのご両親は、長男、長女(兄妹)を拉致監禁して脱会させたまでは思い通りにいきました。後藤さんのご両親は、長男、長女と同様に次男徹氏も脱会させたいと思いました。脱会させるために、長男、長女と同じように拉致監禁説得を行い、長男夫婦、長女も巻き込んでしまいました。その結果、長男夫婦と長女は、12年5か月、無駄な時間を過ごしました。徹氏の監禁に関わっていなければ、長男は、やりがいのある仕事を見つけていたかもしれません。長男夫婦に子供が授かり、仲睦ましい家庭を作っていたかもしれません。子供は授からなくても、長男の嫁は、子育て以外の生きがい(仕事、ボランティア活動、趣味活動等)を見つけていたかもしれません。たまには夫婦で楽しく旅行なんてしていたかもしれません。長女も、結婚して子供を授かっていたかもしれません。後藤さんのご両親は、拉致監禁計画をしていた時、次男VS長男夫婦&長女の裁判が行われること、その裁判の判決後、うなだれる長男、長女の姿を想像したでしょうか。後藤さんのご両親は、次男徹氏も脱会して、兄妹3人、それぞれ家庭をもち、盆暮れ正月には集まる・・・そんなことを想像していたでしょう。しかし、それはもろくも崩れました。兄妹は、裁判で争う関係になりました。徹氏が脱会しなかったことが原因でしょうか?徹氏の統一教会の信仰が家族関係を壊したのでしょうか?それは違います。徹氏は、統一教会の信仰がありながら、1度拉致監禁された経験がありながら、実家に帰って家族と食事をしています。兄の結婚式にも参加しています。家族旅行にも行っています。徹氏は統一教会員であっても、家族との交流を行っていたのです。その交流をなくしたのは、「統一教会員の家族は認めない」という思考です。その思考の元で行われた拉致監禁説得です。拉致監禁さえしなければ、統一教会員であっても、徹氏を受け入れていたら、家族の崩壊はなかったのです。拉致監禁説得はいいことありません。後藤家の悲劇を繰り返さないために、お願いですから、拉致監禁説得(脱会強要)は止めてください!!!

  • 19Oct
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      脱会と拉致監禁について思うことーその2:拉致監禁する家族について思うこと

      2014年4月1日アップの記事です。エイプリールフールにアップした記事ですが、全て事実です。今回の記事も今の「私がカルトにはまった理由」でアップしたいくつかの記事の要約みたいなものです。といっても、今回の記事の方が先に書いてますが・・・。(前記事前文と同じことを申してます。)とりあえず読んでみてください。1.「脱会させたい理由が本当にわかったら、目が変わる」と言った父母の会の代表①父母の会での証し私は脱会後、反対活動はしていませんでした。比較的早く就職したこと、仕事が必ずしも土日祭日休みでなかったこと、そして反対活動より遊びたかったからです。それでも、極たまに、父母の会には顔を出してました。私の母は、毎回近く顔を出してました。信者の親の相談にも乗っていたようです。父母の会は、月に1回行われてました。最初に、統一教会について勉強し、その後、現役信者家族の相談に、説得が成功した家族が乗るという形で勧められてました。ここでは、拉致監禁についての具体的な話しは出ませんでした。説得者が来ることはありませんでした。ほんの触りの勉強会と相談会でした。時々、元信者が証しをすることがありました。私も1回行いました。その時に、「何故、統一教会をやめさせたいのか、きちんと考えて欲しい。」と言いました。他意はありません。文字通り、何故そこまでしてやめさせたいのか、考えて欲しかったのです。そしたら、父母の会の当時の代表がこんなことを言いました。「何故やめさせたいか、本当にわかったら目が変わる。」それを聞いて、空怖ろしくなりました。 ②目が変わる・・・それは思考が変わるということ山崎浩子さんを脱会説得した杉本牧師は、脱会したら目が変わるとおっしゃってました。(確かに脱会記者会見の時の山崎浩子さんの目も表情も変わっていました。)米本氏は、ヤマギシ会 を知るため、特講に参加しました。後に、「洗脳の楽園 」という本を書きました。特講に参加し、ヤマギシ側の考えになった人は目が変わったと書かれてます。それは、特講を主催している側のみがわかるわけでなく、同じ特講に参加している人にもはっきりとわかったようです。(「洗脳の楽園」面白いですよ。私は、統一教会脱会して、比較的早い時期に本屋で見つけて衝動買いして、読みました。特講の場面は面白くて、何度も読みました。)私は、自分の間近で目が変わった人を見たことがあります。私の母です。1回目の監禁の時、母の目を見て、怖ろしくなったことがあります。あの時の母の目は母の目ではなかったです。(それを感じたのは、1回だけでした。)私も親の目から見て、信者だった頃は、信者じゃなかった頃と比べて目が変わっていたかもしれません。そして、原理の間違いが私の中に入った時も目が変わったでしょう。目が変わる・・・それは、思考が変わると考えていいでしょう。父母の会は、相談に来た人の思考を変えているのでしょうか?思考が変わったら、説得者を紹介して具体的な説得の段取り(拉致監禁の準備)に入るのでしょうか?(でしょうか?と書いたのは、私は父母の会がどのような基準で説得者を紹介し、その後説得者とどのような打ち合わせをして実際の説得(拉致監禁)に入るかはわからないからです。)考えてみたら、普通の人は、子供を宗教団体から脱会させるために拉致監禁までしようとは思わないでしょう。数日位なら、閉じ込めて説得することを、考えるかもしれません。(事実、拉致監禁説得初期の頃の監禁は、数日と聞いています。そして、ある程度の期間説得しても、脱会の意思を示さないようなら、説得場所より解放してました。参照:後藤徹氏裁判ブログ:YC氏の手記 )しかし、数か月~数年(信者である子供が真性脱会の意を示すまで)、仕事を休職(場合によっては退職)してまで、また信者以外の息子、娘(信者からしたら兄弟(姉妹))の生活を犠牲にしてまで、監禁して説得しようなんて考えるでしょうか?統一教会反対する本は何冊もあります。その末尾にお困りの方はこちらに連絡してください、と書かれている本があります。最初に連絡する時に、これから子供を数か月~数年監禁説得する!と思っている人はいないでしょう。思考が変わり、強い決意がないと数か月~数年の拉致監禁説得はできないのでしょう。監禁する側の家族は、監禁された私には想像もできない緊張感を長期に強いられていたのでしょう。③家族の精神状態をおかしくする拉致監禁準備拉致監禁された信者(元信者)は、監禁説得後に、PTSDに苦しむ人が多くいます。しかし、監禁された信者(元信者)だけでなく、監禁した家族のPTSDも心配です。私を2回目に説得した説得者は強者だったと以前のブログで書きました。その説得者に関わった家族に、(全員ではないが)共通点があります。母親が精神的におかしくなることです。私の母も私を拉致した当時、精神的におかしかったです。そのため、食事の支度ができなかったので、いとこと叔父が食事の支度に来ました。私も気分転換のため、(監禁されていながら)食事の支度をしました。私が統一教会の間違いがわかってきた頃より、母は元気になり、以前の母になりました。そして、私が一旦統一教会に戻ると、またおかしくなりました。(この時はなかなか元の状態に戻りませんでした。)私の母だけではなく、私の前に説得を受け脱会した人のお母さんも、やはりおかしくなったと言います。その他にも、同じように、説得を受ける前に、母親がおかしくなったという人の話しを聞きました。説得者は、「子供が悪なる統一教会に入っているから、親が心配しておかしくなった。」と言います。確かに、それはそうでしょう。でも、他の説得者で、説得に入る前に、親がおかしくなった話しはそうそう聞きません。私を説得した説得者は、「統一教会は怖いところ」とかなりオーバーに言ってました。始終「統一教会に命を狙われる。」と言ってました。私は1回目の監禁後、親には居場所を知らせず、たまにしか電話をしない状態でした。娘が統一教会で、行方不明の状態です。そんな時に、「怖い怖い犯罪集団統一教会」の話しを聞かされたら、・・・・・・・。統一教会の初期の修練会は、途中でおかしくなる人がいたと聞きました。子供を脱会させるための準備期間に、おかしくなる人が数人いるということは、統一教会初期の修練会に匹敵するのではないか?思考を変えるためにおかしくなっているのではないか?と考えると、何やら不気味なものを感じました。④説得者と一緒になり、怖い怖い犯罪集団統一教会の話しを(半ば得意げにする)元信者説得者だけでなく、元信者も一緒に怖い怖い統一教会の話しをします。私の前に脱会した笹井さん(仮名)は、元献身者で、統一教会で反社会的なことをしていた人です。「自分は信者時代こんなことしていた。」と半ば武勇伝のように語ります。その後、シュンとして、「本当に申し訳なかった。」と反省の言葉を述べます。 私は青年部所属でした。私が所属していた青年部は他に比べて割と恵まれてました。エンドレス献金の走りの頃で、銀行借り入れも、名義貸しだけでなく、実際の返済も青年部所属の人が行うという話しもありましたが、私が所属していた所は一切そんなことはありませんでした。献金もそんなに葉っぱをかけられることもなかったです。だから私は対抗して、「そんなことしないよ。」と言いますが、「あなたの所属している所だけが統一教会ではない。あなたの所属している所は恵まれているだけ。その陰で他の所の信者は苦労しているし、悪いこともしてる。」と言われます。親は、父母の会の勉強会と説得者から統一教会の悪事については私以上に知ってます。当然、私の言うことより、笹井さんの話しに尤もだと頷きます。笹井さんは、脱会した信者を統一教会が拉致すると言ってました。そんな事例、笹井さん自身も経験したことないし、見たことも聞いたこともないのに、言うのです。私が中途半端脱会の時、笹井さんに「統一教会に連れて行かれるかもよ。危ないよ。」と言われました。(連れて行かれるどころか、私は統一教会に突き放されたのですけどね。)危ないのは・・・・・統一教会より、笹井さんでしょう・・・だって・・・・笹井さんは・・・(この先は書けません。)⑤統一教会信者の娘なら「最初からいなかったものと思う」と言った母私が、脱会に意識は向いていた時、母から言われた言葉です。この言葉は、他の家族は聞いていません。説得者も聞いていません。今まで誰にもこの言葉を言われたことを言っていません。(このブログで初めて明かします。)言われた時は、脱会に気持ちが向いていたから、特に深くは受けとめませんでした。だけど、拉致監禁問題を考えるようになって、この言葉の意味を考えます。統一教会員の娘は、存在なきものとなるのでしょうか?2.信者はマインドコントロールされているか?信者の行動は全てさせられているのか?反対派は、「信者は、自分で選んだつもりになっているが、実は選択肢はなく、統一教会の信仰にいくよう選ばされているのだ。」と言います。マインドコントロール論を支持する元信者は、その通りだと言い、「自分には、あの時選択肢は与えられなかった。」「全て、させられてしまった。」「知らない間にマインドコントロールされ、選ばされていた。」と語ります。本当にそうでしょうか?元信者の皆さん、自分がビデオセンターに行ったときのこと、修練会に参加した時のこと、実践していた時の気持ちを思い出してください。本当に全て嫌々でしたか?本当に全てさせられていて、自分の意思は全くなかったですか?本当に断ることは不可能でしたか?ビデオセンターに行った人の殆どが統一教会員になっていません。教育段階が進むにつれ、どんどん人は減っていきます。信者にならない人の方が圧倒的に多いのです。逆に信者になる人の方が稀なのです。信者は、選ばされたのではなく、自分で選んだのです。統一原理を聞いたのも、その原理を受け入れ、信者になったのも、統一教会の活動をしたのも、全て自分で選んだことです。統一教会で反社会的活動をさせられたという元信者がいるけど、させられたのではなく、したのです。統一原理を正しいと信じたから、統一教会活動をすることが地上天国につながると信じたから、社会的におかしな行動でも、したのです。させられたわけではありません。自分の意思で選び、行ったことで、不幸になっても、本人の責任です。それは本人が受け入れるしかありません。「子供が統一教会にいながら、何もしない親は無責任だ。親としての愛情がない。」と、おっしゃる説得者や父母の会の有志は多いけれど、成人した息子、娘の選択と行動に親の責任も何もありません。あるのは、本人の責任のみです。子供が統一教会に入ったことを親が責任とる必要は全くありません。脱会させないと愛情がない・・・?では、脱会させようとしても、脱会しなかった息子、娘に対しての愛情はどうなのでしょう?3.脱会に導いた親には感謝するけど、拉致監禁には反対という理由誤解して欲しくないのは、拉致監禁には感謝していません。今も「拉致監禁して、私を思い通りにしやがって・・。」と思います。でも、脱会できたことがよかったと思っているので、脱会に導いてくれたことに感謝しているのです。拉致監禁によって、脱会できたのだから、拉致監禁されてよかったんじゃないか、と思う人も多いでしょう。しかし、拉致監禁を容認するわけにはいきません。それは、拉致監禁は様々な問題があるからです。監禁される側だけでなく、監禁する側も心身共に崩れます。そして、関わった兄弟(姉妹)の生活が壊れた話しも数多く聞きます。あまりにもあまりにも被害が多すぎるのです。自分は拉致監禁されても、PTSDにはならなかったし、脱会して普通の生活が送れています。説得前、精神的におかしくなった母も元気になりました。他の家族も普通の生活を送っています。家族関係も崩れていません。私と私の家族が何事もなかったからといって、多くの被害がある拉致監禁による脱会説得を認めるわけにはいかないのです。つまりは、脱会したのはよかったから、感謝するけど、拉致監禁は嫌だったし、被害も大きいから反対!という単純なことなのです。4.最後に拉致監禁して脱会成功後、脱会した子供に、本当のことを全て話せますか? 正々堂々と人様に自分が行ったことを言えますか?(私は未だに、親から、本当のことは聞いていません。)ひとまず私の話しはおしまい。また、機会があったら、書きます。次回は、再び、後藤さん裁判について書きます。

  • 15Oct
    • 脱会と拉致監禁について思うことーその1:脱会後の私の画像

      脱会と拉致監禁について思うことーその1:脱会後の私

      本文は、2014年3月28日の記事です。本文最初に書いてあるように、前ブログ記事は米本さん、秀さんが紹介してくれたお蔭でこのブログからしたら、けっこうなアクセス数でコメントも多かったです。(当時はまだ統一・反統一関係ブログにアクセスする人は多かったです。今は、あまりに情けない家庭連合&分派と比例してブログ全体のアクセス数が低迷してます。)前ブログ記事も本ブログ記事も、本記事のカテゴリーカルト歴、拉致監禁、脱会後の生活の中のいくつかの記事の要約っぽいです。(こちらの記事の方が先に書いてますが・・・)本文2段目に書いてある2回目の拉致監禁~脱会までもこのブログでは恥ずかしげもなく、公表してます。(当時はまだ恥じらいがあったということか・・・)本文最後に2世のことが書かれてますが、今、2世が大変なことになってます。徳野英治さんは「2世の断食問題」を早急に解決すべきである。(米本さん「火の粉を払え」最新記事)命に係わることですから、家庭連合公職者は即刻介入、ケアをするべきです。近藤局長さん、後藤さん裁判の時に勉強した栄養失調に伴う身体状態を今こそ生かしてくださいよ。では、本文を前ブログ記事「拉致監禁脱会後の現役統一教会員に対する私の気持ち 」をブログで紹介してくださった米本さん、ツイッターで紹介してくださった秀さん、本当にありがとうございました。実は、前ブログ記事は、2回目の拉致監禁をされて、一度統一教会に逃げて、再度監禁場所に戻って、完全脱会までの経緯を書くつもりでした。しかし、書いているうちに、苦しくなったため、あのような形としました。そのため、自分としては、中途半端な記事だったのです。そんな中途半端な記事を読んで下さるだけでも感謝なのに、更にコメントまで書いてくださった皆さんには、感謝してもしきれない思いでいっぱいです。コメント返しで、「親には感謝している」と書いたため、それに対する意見もありました。自分でも、「脱会に導いた親には感謝している」「脱会のきっかけになった拉致監禁には反対している」という矛盾した思いは何なんだろう?と・・考えました。そして、実は、単純なものだったということがわかりました。その単純なものを説明するために、長々と「脱会」と「拉致監禁」についての思いを2回に分けて、書きたいと思います。1.拉致監禁に何故、ノーと言えなかったか?①私は拉致監禁されないと脱会できなかったと思っていた。脱会できたのはよかったですが、拉致監禁には違和感は感じてました。「拉致監禁による説得は間違っているのではないか。」と拉致監禁説得するキリスト教会に所属する元統一教会員のクリスチャンに言ったことがあります。その人から、「監禁しないで、どうやって脱会させるの?」と言われました。そう言われると、何も言えませんでした。私は拉致監禁されて、強制的に統一原理の間違いを聞かされました。聞いて、間違いと確信したから、紆余曲折はあったけど、脱会の決意ができました。信者時代も統一教会には、何度も躓いて行かなくなったことがありました。一度は自主脱会したことがありました。霊感商法が心に引っかかったことと、専門学校が忙しくなったためです。自主脱会して、数年後、テレビでは霊感商法が騒がれてました。そのテレビ放送を見て、「あんなとこやめてよかった。」と思ってました。当時、私の霊の親(私に統一教会を紹介した人)は、人事で色々な所を回っており、私とは手紙のやりとりのみでした。面倒くさかったので、私は霊の親には、教会をやめたことは言っていませんでした。霊感商法報道真っ盛りの時、私は就職していて、職場の寮にいました。霊の親から、世界日報をとることを勧められました。世界日報は、統一教会の新聞なので、抵抗はあったのですが、霊の親は普通の新聞というので、とりはじめました。しかし、当初、私の住んでる地域は、世界日報は遅れて届くのです。遅れて届く新聞なんて意味ないと思い、すぐにやめたいと霊の親に言いました。霊の親は、当時の霊感商法報道の過熱ぶりを心配していて、私がそれに流されることを心配していました。世界日報には、「霊石愛好会」の記事も載っていて、喜んでいる人も多いと書かれていました。サタンの情報に惑わされないため、読んで欲しいと懇願されました。その時、初めて霊の親に実は教会に行ってないことを告げました。霊の親は、教会に行ってほしいとは言いませんでしたが、世界日報をとり続けることを勧めるました。仕方なく、とりあえずとり続け、暇なとき目を通してました。そのうち、きちんとリアルで届くようになり、新聞の役割を果たすようになりました。世界日報の記事と世間一般とどちらが正しいのか?自分でも確かめたくなりました。深入りしないことを心に誓って、ビデオセンターに再度行き始めました。しかし、結局深入りしてしまいました。教会に行き、実践(伝道)をしても、霊感商法にはしょっちゅう躓いてました。勤労青年だったため、実際に霊感商法をすることはなかったのですが、それでもマスコミでそういう報道があると嫌な気分になり、信仰基準を下げてました。霊感商法以外にも躓くことは多くありました。一つは、勤労青年が教会の代わりに銀行からお金を借りることです。(名義貸し)借金を繰り返してもしょうがないのに、何故借金をするのか?理解できなかったです。躓いても、教会を脱会しませんでした。こんな団体、もうやめようと思っていても、統一教会の仲間と離れるのが嫌でやめられませんでした。また、原理は真理と信じていたので、霊感商法も借金の名義貸しも地上天国実現のためのお金のために必要なことと再度思い直し、また頑張りはじめました。そのお金があったから、摂理も進んだと信じていました。そんな私でしたので、監禁されて、無理やり話しを聞かされなければ、間違いに気付けなかったと思いました。脱会しなかったと思いました。それに、私は親の過干渉が苦痛でしたので、親と話し合いをすることは嫌でした。だから、オープンな環境では親との話し合いは了承しませんでした。親を伝道しようとなんて一度も思ったことありません。(弟は一度だけビデオセンターに連れて行きましたが)親が統一教会を認めてくれなくてもいいと思ってました。だから、私にとっては氏族のメシヤなんて遠い話しでした。親から逃げ回っていた私は、監禁されても仕方なかったと思いました。統一教会は、アベル(上司)へのホウレンソウ(報告・連絡・相談)を徹底します。オープンな環境で話し合いをしても、途中アベルに報告します。信者を脱会させてはいけないと思うアベルは、逃げるように指示します。脱会したくない信者は、アベルの指示に従い、逃げます。だから、話しをきちんと最後まで聞かすためには拉致監禁はやむを得ないことで、脱会のための拉致監禁は仕方のないこと、必要悪と思うようになり、受け入れるようになりました。②孤独が怖かった私私には、「拉致監禁にノー」と言う勇気はありませんでした。拉致監禁によって脱会できたのだから、そんなこと言ってはいけないと思ってました。また、そんなこと言って、孤独になるのも怖かったのです。親しかった統一教会の仲間たちと突然関係が断ち切られ、心が通じなくなったのです。脱会させてくれた家族には恨みはなかったし、感謝もしてたけど、何故か心の底ではしっくりいきませんでした。一緒に住みたくないというのが本音でした。勤労青年として統一教会に所属していたから、統一教会信者以外の友人もいました。脱会後、比較的早く仕事復帰したから、職場の人との交流もありました。でも、教会時代の人間関係に比べたら、物足りなさをどこかで感じてました。拉致監禁で脱会した元信者と会って話すと、分かり合える部分も多かったし、楽しかったです。そんな元信者との関係が、拉致監禁にノーと言うことによって、壊れることが怖かったのです。 ③統一教会と拉致監禁を混同していた&再拉致監禁が怖かった脱会後、私は統一教会は怖い所と思ってました。でも、私にとって、本当に怖かったことは、統一教会ではなく、拉致監禁だったのです。拉致監禁にノーと言う⇒まだ統一教会のマイコンから覚めていない⇒再び拉致監禁される・・・さすがにそんなことはもうないけど、未だにその怖さは心の奥にあります。2.脱会の結論を出してよかったこと①脱会後の私の生活監禁中や軟禁中やリハビリ中は、脱会の結論を出してよかったとは、まだ思えません。周りから「よかったね。」と言われるから、「よかったのか・・」とは思うけど、自分の実感としてはまだありません。脱会してよかったと思うのは、説得者と離れて自分の生活を初めてからです。私は、完全脱会して、すぐに1回目の監禁前に勤務していた職場に行きました。上の人は私の統一教会入信について知っていましたけど、他の人は知らないはずでした。でも、薄々は感じていたようでした。職場訪問して、最初は懐かしく会話していましたが、そのうち雰囲気がおかしくなりました。比較的仲よかった人から理由を聞きました。統一教会という名前は出なかったけど、何やら宗教に関わっていて、職場の人、何人かに声をかけていたという噂があったようです。私は、噂を教えてくれた人に、それは本当のことで、私はその団体を脱会したことを伝えました。その人は、「そのことはどっちでもいい。だけど、もう来ない方がいい。」と言われました。そのことを聞いたのと、職場の雰囲気を感じて、「統一教会にいることは、世間に背を向けていることになるのだ。」ということを実感しました。完全脱会して3か月後に新たな職場に就職しました。7年近く、信者の頭で仕事をしていたのです。失敗してはいけないと思う時は、祈ってました。宗教的考えで、何かあっても考え整理してました。それが全くなくなった状態で仕事をするのです。うまくやっていけるか不安でした。私は、いい年をした新卒社員のようでした。案ずるより産むが安しで、職場の人間関係には比較的恵まれました。信者時代は、御法度だった飲み会も誰に遠慮なく参加できます。信者時代は経験できなかった合コンも参加しました。いい年しての人生の初デートもしました。中島みゆきのコンサートも夜会も脱会して初めて行きました。http://www.kasi-time.com/item-18418.html <私の人生初の中島みゆきさんのコンサートに行ったときの最初の曲です。> 脱会前悩んでいたのが嘘のように、脱会後の生活を堪能してました。②二世の自叙伝(?)を読んだ私が信者時代は、二世と接することはなかったです。二世の様子を聞くこともなかったです。2回目の監禁前に、「食口(統一教会員)にならない二世は多いんだって。」という話しを同じ青年部の人から聞きました。私はそれを聞いて、頭の中が?マークだらけになりました。統一教会員にならない2世が多いってことは、永遠に統一教会の言う天国はできないってことじゃない?と思いました。でも、すぐ忘れました。2回目の監禁中に、私の少し前に監禁脱会した人と説得者からも「二世で信者になる人は少ない。」と聞きました。私がそのことを知らないと言うと、ビックリされました。当時で公然の事実だったようです。二世(子)が統一教会の間違いに気づいて、一世(親)に間違いを伝えて、一家で脱会した家庭もあると聞きました。二世が自分のこと、家庭のことを書いた本をたまたま書店で見かけました。今、手元にはありませんが、「人を好きになってはいけない、と言われて」という題でした。3人兄弟の長男の告発本でした。二世の苦悩が書かれていて、ショックでした。その頃、私はネットもみ始めました。ネットで、二世の掲示板もありました。二世の思いを読んで、複雑な思いになりました。二世の苦悩を読んで、私は祝福を受けて統一教会の家庭を持たなくてよかったと思いました。自分の子供にこんな思いをさせなくてよかったと思いました。この頃は、自分に子が授からない運命なんて、思いもしなかったものですから。 続く

  • 13Oct
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      拉致監禁脱会後の現役統一教会員に対する私の気持ち

      本文は、2014年3月22日の記事です。台風が去りました。今まだ雨、風の中にいる方もいらっしゃるでしょう。充分にお気を付けください。また、今回の台風被害に遭われた方・・・お見舞い申し上げます。一日も早い復旧を願っております。私が住んでいる市は、大雨特別警報も出ず、避難することもなく過ごせました。停電も断水も下水があふれることもなく過ごせました。それでも携帯に隣の市で「川が氾濫した」と警報が届きました。私の職場の本部のある近くの川もあわや氾濫しそうになったとか・・・自然は侮れません。今日は、これから中に入れた外の物を外に出したり・・・(でも、まだ風が強めだから、もうちょっと後がいいかな・・・と。)避難準備したものを片づけたりします。(災害に対し、危機管理が低い私でも今回はさすがにヤバいと思い、リュックに避難所生活しても大丈夫なように物を詰めました。)そうそう・・・ナツミカンさんがアメンバー記事で「ご飯を大量に炊いた」みたいなタイトルで記事を書いていたのを見て(アメンバーではないので、タイトルしか見てません。)、そうだ!停電になったらご飯がない!と、ご飯を多めに炊き、塩むすびにしました。それもせっせと食べ、残りは冷凍にするというミッションがあります。てなわけでして、今回も本文と関係ない前文になってしまいました。全く関係ない本文は後藤さん裁判判決から、少し外れますが、私が脱会した時の現役統一教会員への私の気持ちを書きたいと思います。多分、こんな気持ちは私だけですので、参考にはなりません。でも、とりあえず書きます。1.統一原理が間違いでも、統一教会にいたい!と言った私米本さんの「火の粉を払え」ブログで、以下の記載があります。(引用部分は青字)後藤が大声で語った言葉である。よく吟味しながら読んでみてください。「私はもう,統一教会がでたらめで間違っていることも分かった。文鮮明がメシアでないことも分かっている。でも,私はどんなに間違っていてもこの活動を続けたい」 別に統一教会員に限ったことではないが、信者が宗教活動するのはその団体の教義と教祖のことが絶対だと思っているからだ。逆に、教義と教祖が間違いだとわかったら、その団体の活動などしたりしない。笑えるほどに当たり前の話だ。<空白の9年5か月は「監禁のための監禁」期間だった! (頭の体操)より引用>米本さんは、教義と教祖が間違いだとわかったら、その団体の活動はしないことは、笑えるほど当たり前の話しと言いました。(確かにその通りです。)しかし、その当たり前と反する言葉を私は発しました。「統一教会が間違いでもいい。(私は信仰を続けたい)」私は2回、拉致監禁説得を経験しました。2回目の説得者は強者でした。短期間の説得で効率よく間違いをわからせ、脱会に導くのです。宮村氏をカリスマ説得者とのたまう人は多いが、宮村氏は説得期間が怖ろしく長いし、失敗も多いので、私を説得した人に比べたら、へっぽこのへっぽこです。そんな強者説得者とも私は知らず、1回目偽装脱会できたことで、どうせ大した話しではないだろうから、話しを聞いて偽装脱会すればいいや、と思っていたため、とりあえず説得者の話しを聞きました。それで、気が付いたら・・・統一原理の間違いがすっかり入っていたわけです。山崎浩子さんを脱会説得した杉本牧師は、「脱会すると目が変わる」とおっしゃってました。米本さんがヤマギシ会の特講に参加した際も、ヤマギシの考えに染まった人は「目が変わった」と著書「洗脳の楽園 」で書かれています。だから、私の目も変わったと思います。それで、私が落ちたと思った説得者と家族は、私の監禁を解いたわけです。実際、監禁を解かれた当時、私は落ちていました。だから、監禁が解かれても、統一教会に戻る気持ちはなかったです。でも、次第に「本当に間違いなんだろうか?間違いと信じ込まされているのではないだろうか?」とか、「このままいけば、献金返金請求も霊の子の脱会もやらなければならない。そこまではしたくない。」等etcetcの思いが出てきました。そして、事もあろうに、親と説得者の隙をついて、私が所属していた統一教会青年部のホームに電話しました。2,3回目の電話の時に、当時のマザーから「逃げておいで」と言われました。そして、翌日、一人になる時間があったので、その時に統一教会ホームへと向かいました。そこからが地獄の始まりでした。何しろ、私自身が「脱会する」とも「脱会しない」ともはっきりしていないのです。どちらにも決められなかったのです。「間違っている統一教会で活動はできない」「でも、脱会して家に戻るのは嫌」「一般社会だけで生きていく自信はない」「結局、反対していた親が正しかったのが悔しい」という思いが入り混じってました。説得場所から逃げた後、元信者の家と現役信者の家を行き来しました。アベルとも、説得者とも電話で話しました。どちらも、自分たちの正当性を語りました。結局、私は説得場所に戻る決心をしました。説得場所に戻ってからも、自分の気持ちはなかなか定まりませんでしたが、数か月後に脱会の意思が固まりました。私が「統一教会が間違いでもいい。(私は信仰を続けたい)」と言ったのは、2回です。・説得場所に戻る前、アベルに言いました。・説得場所に戻って、再び監禁された時に、説得者と家族に言いました。世間一般の人や、統一教会に反対する人達、自主脱会者、統一教会の信仰を押し付けられている二世やヤコブの方々には、想像できないと思いますが、当時の私は、統一教会の間違いなんか知りたくなかったのです。間違いでもいい・・ではなくて、間違いを知りたくなかった・・ずっと信じたままでいたかった・・統一教会の仲間から離れたくない・・というのが私の気持ちでした。注:後藤さんは、「私はもう,統一教会がでたらめで間違っていることも分かった。文鮮明がメシアでないことも分かっている。でも,私はどんなに間違っていてもこの活動を続けたい」とは、言ってないと、後藤さんを支援している元信者の人から聞きました。本人尋問を傍聴した人から聞いたところ、後藤さんは、この言葉を言ったことを否定し、「もし言ったというなら、録音テープを出してください。あれだけはっきりコンニャク問答を陳述書に書いたから、録音していたのでしょう。」と言っていたそうです。2.のうのうと信仰している現役に嫉妬していた拉致監禁されて脱会を表明した人が、本当に脱会しているかどうかの判断の一つに、「霊の子の救出に真剣になるか」があります。 <松永牧師直筆マニュアル 手記の判定の中に、霊の子・授けた被害者の名があるか 救済しなければならないという意識がみられるか・・がある。>私も説得者から、霊の子は救出するように、と言われました。それは人としての責任と言われました。後に、出会った脱会説得していた牧師も、「霊の子は救出するように指導している」と言ってました。私の霊の親も拉致監禁説得で脱会したが、私の救出はしなかったので、必ずしなければいけないと指導している説得者ばかりではないと思いますが、殆どの説得者は勧めていると思われます。私には3人の霊の子がいました。拉致監禁説得は、なるべくしたくなかったので、3人とも直接私が会い、原理の間違いについて話しました。不思議と3人とも会って、話しは聞いてくれました。でも、脱会には至りませんでした。それで、2人には家族に働きかけました。幸いにも拉致監禁はしませんでした。私は、統一教会で一緒に活動した仲間たちが好きでした。間違いだらけの団体にいて、不幸になってほしくなかったので、脱会してほしかったです。だから、霊の子以外にも直接働きかけた人もいたし、親にも働きかけた人がいます。(幸いにも拉致監禁には至りませんでした。)反対する親御さんに、統一教会について話しをしたこともあります。でも、純粋に脱会して欲しいという思いとは、別の思いもありました。拉致監禁もされてないくせに間違いも聞かされてないくせに私がどんなに苦しんだかわからないくせに何にもわからずに、のうのうと信じて、ぬるま湯にいるくせに・・・自分がはぎ取られた物を、奪われた物を持ち続けている人たちへの嫉妬と怨みもありました。3.拉致監禁脱会者に冷たい教会統一教会は、拉致監禁被害者に対して、無関心だという意見があちこちのブログでみられます。確かにそうです。そして、統一教会は拉致監禁脱会者に対しては更に更に更に冷たいです。それは、拉致監禁について、意識を向けている今もそうです。後藤さんの兄妹、兄嫁さん達も拉致監禁脱会者です。彼らの気持ちを誰も考えようとしません。何故、後藤さん兄妹、兄嫁さん達は後藤さんを監禁したのか?食事制裁までしたのか?最後、無一文で追い出したのか?誰も考えようとしません。 拉致監禁脱会者に対して、冷たいことは現役時代から知ってました。先に書きましたように、私の霊の親は、拉致監禁説得により脱会しましたが、私は教会から、霊の親と連絡とってはいけないと言われました。(でも、連絡とってました。)ホーム生活している人が拉致監禁された場合、脱会すること前提に、その人の荷物を見て、反対派に知られたらまずいものは抜き取ります。(実際、抜き取った人、抜き取られた人から話しを聞きました。アルバム1冊盗られた人もいるそうです。)監禁場所から信仰を守って、教会に戻ってきても、本当の意味で信じてもらえず、「あいつは反対派のスパイかもしれないから監視するように。」とアベルに指示された人もいます。実際脱会してみると、その冷たさは、自分が想像していた以上でした。確かに、私は裏切り者かもしれないです。でも、そこに至るまでの課程を知ろうともせずに、冷たい視線を送られると、この団体の語る真の愛なんて幻想で、兄弟姉妹関係も表面的なものだったということを思い知りました。

  • 12Oct
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      栄養失調でスクワットができるか?10キロ歩けるか?

      2014年3月15日記事です。台風19号が接近してきてます。私が住んでいる地域も昨夜から雨が降り続き、激しい雨音が部屋の中に響いています。先ほどまで風音はありませんでしたが、今は風雨の音が強くなり、電線が揺れています。これから最大風速60mなんて予報あり・・・災害のない地域に住んでいる故、災害に対して・・・どうしても考えが甘くなり、今回の台風も大したことないだろうと思っていたが・・そうも言ってられないらしいということに気づいたのは3日前。激しい台風というものを経験したことない故(過去経験のない最大級と報じている)、何をどう備えればよいかわからないが・・・ネットを参考にして、自分の貧弱な想像力を駆使して、とりあえず水溜、外の物を中に入れる、自転車を倒してヒモで縛る・・・懐中電灯が点くのを確認する、飲用水を確保する・・・・雨戸のない窓の対策はしていません。(養生テープ購入が間に合わなかったため)とりあえず、カーテン閉める位・・・(それで何の効果がある・・・?)と、本文と関係ない前文となりましたが、とりあえず今の関心事はラグビーでもバレーでも・・・地平&白装束VS拓也&ヤクザな仲間達、まして4年前に決着した裁判のことでもなく、台風のことです。皆様、お気をつけください。関心のない4年前に決着した裁判のことは1.後藤徹氏が語る荻窪フラワーホームを出てから、一心病院入院まで後藤徹氏は、12年5か月家族により統一教会棄教目的で監禁されました。監禁が長期となり、このままだと一生監禁されたままかも、と思った(かもしれない)後藤徹氏は、この環境を打開する突破口として、21日、21日、30日に亘るハンガーストライキ(断食)3回をしました。3回目の断食後、家族は70日に亘る重湯とポカリスエットのみの食事しか出さず、その後食事をアップしていったものの、最終的には1年2か月に亘り1050kcalの食事しか出しませんでした。長期の断食後の上、長期に亘る超低カロリーの食事を続けたため、後藤徹氏はガリガリに痩せました。ガリガリに痩せながらも、体力維持のため、毎日スクワットをしていました。一向に統一教会の問題に向き合おうとしない徹氏に業を煮やし、少し頭を冷やさせようと思い、後藤徹氏の兄妹たちは、後藤さんを無一文で外に放り出しました。暫く、「追い出すなら金くれ」(たとえです。本当にそんなことは言ってないです。)とドアをドンドン叩いていた後藤徹氏ですが、兄に「うるさい!」と一喝され、諦めて無一文のまま外にでました。外に出て、果てどこに行こうか?と考え、とりあえず歩き始めました。元いた統一教会支部が存在しているかもわからず、近くの教会もわからないので、とりあえず渋谷の松濤本部に行こうと思いました。歩き始めてすぐ、交番があったので、自分が監禁されていたことを訴えました。しかし、統一教会ということで相手にされず、お金も貸してもらえませんでした。ただ、渋谷の松濤までの道順までは教えてくれました。そこから、4時間かけて松濤2丁目交差点まで行きました。毎日スクワットの甲斐と、解放された喜びで最初の歩行はスムーズでした。荻窪フラワーホームを出ての青梅通りは、飲食店が多く、お腹がすいていて、無一文だった後藤さんにとっては、さぞ目の毒だったでしょう。12年5か月も、マンションのみの生活で、普通に食事をしていても、筋肉はかなり落ちます。そのうえ、長期に亘る超低カロリーの食事です。筋肉はないに等しい状態でした。この状態で歩いていると、体重は軽くても、膝にかなりの負担がきます。案の定、山手通りに来たときは、膝の痛みでガクガクになってました。落ちていた木の棒を杖代わりとしました。途中、古い乳母車が捨ててあったので、それを使いたかったのですが、人様の物を勝手に持っていくことにためらいがあり、それを使うことはしませんでした。この状態で松濤本部に辿り着けるのか?不安だったけど、とりあえず行けるところまで行こうと力を振り絞って歩きました。途中、歩道橋を渡らないといけないところがあり、残った力を出し切って歩道橋の階段を昇りました。松濤2丁目の交差点で力尽きました。そこで声かけた2人目の女性が偶然統一教会員で、タクシーに乗せてくれ、松濤本部までのタクシー代を貸してくれました。荻窪フラワーホームを出された時は、夕方4時ころ・・松濤本部に着いたのは、8時過ぎ・・・松濤本部は8時には閉まるため、警備員しかいませんでした。後藤さんがどんなに自分が怪しい者ではないと説明しても、不審者としてしか相手にされませんでした。警備員は、本部教会職員に連絡しました。本部教会職員は、・「後藤」という名前を聞き、3兄妹皆拉致監禁された有名な兄妹がいたこと。・以前監禁から逃げてきた女性から、長期監禁説得を受けてる人が「後藤」さんであることを説得者宮村氏から聞いていたこと。を思い出し、確認し、後藤さんで間違いないということになり、松濤本部に入れ、本部教会職員と暫く談笑しました。空腹の後藤さんに、本部教会職員は、アンパン、カツカレー等をふるまいました。さあ、いざ休もうという時になり、後藤さんは立ち上がれなくなりました。「12年5か月も監禁されていたのだから、体に異常があるかもしれない。」と本部教会職員は判断し、タクシーで一心病院に行きました。一心病院に到着した時点では立つこともできませんでした。車いすで移動しました。体重計に立っていることもできませんでした。看護師さんが体を支えた状態で体重計に乗せ、一瞬手を放して体重値を読み取りました。その値が39キロでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・というのが、荻窪フラワーホームを出てから、一心病院入院までの経過です。2.自らの荻窪ー松濤歩行体験と感想 果て、さて・・・この中の最大の疑問・・正直私も後藤さんを疑いました。栄養失調状態の衰弱した体で10キロ歩いたということです。被告側弁護士(オタク弁護士)は、自ら歩きました。そして、準備書面を作成しました。その準備書面がこちら です。読んで、「オタク弁護士やるなぁ~。」と思いました。と、同時に、オタクに先を越されたのは、ちょっと悔しかったです。ならば、後出しじゃんけんかもしれんけど、わしも歩いてみようと思ったわけです。ちょうど東京に行く用事があった2012年の6月の某日の午後、荻窪フラワーホームから渋谷の松濤2丁目交差点まで、一人でトボトボ歩きました。荻窪の地理がわからない私は、まず荻窪フラワーホームに辿り着けるか不安でした。事前にネットで位置を調べ、たどり着きました。<荻窪フラワーホーム 歩いた当日、撮影しました。白いパラソルをさしている方は全く無関係の人です。>後藤さんとなるべく同じ条件で、と考えていたので、お金はじめ荷物を荻窪のコインロッカーに預け、身一つで歩こうとも思いました。でも、「何かあって人様に迷惑をかけてはならぬ」と「渋谷から荻窪にバックするのは面倒くさい」と思ったのと、やはり不安だったので、荷物と財布は持って歩きました。ただし、朝軽食、昼なし、途中水分とることなし、で歩きました。後で確認したら、私は後藤さんが実際に歩いた道とは反対側の歩道を歩いてました。だから、後藤さんが立ち寄った交番と、トイレに立ち寄った神社もわかりませんでした。私が歩いた歩道は、商店街があり、飲食店も多かったです。昼を食べてなく腹が減っていた私は店に入って食べたくて仕方なくなりました。たかが1食抜いていた私でさえそうだったのだから、後藤さんにとってはさぞ辛かったことでしょう。青梅街道は、人通りも多かったです。交番、郵便局、役所等公共施設が多く、東京都杉並区は凄い所だと思いました。初めての場所で、方向音痴のため、本当に自分は渋谷に向かっているのか不安になりました。オタク弁護士の陳述書と携帯の地図を頼りに歩きました。山手通りに行くまでが意外に長かったです。山手通りにぶつかった時、ひとまずホッとしました。私が歩いた日は天気は曇りでした。山手通りに着いた時、空模様は怪しくなりました。風も強くなりました。山手通り途中、アップダウンの坂があります。それほどきつい坂ではありませんが、長距離歩いてきた者にとっては、堪えます。今にも雨が降りそうな空模様と強い風、ゆるい坂道を私は、中島みゆきを聴きながら歩いてました。はっきり言って・・・ただの怪しいおばさんです。http://www.youtube.com/watch?v=ia1HWtcQLwQ <山手通り途中のある会社の塀に咲いていた花。和ませてもらったので、撮影しました。> 歩けど、歩けど・・渋谷に近づいている実感はありません。オタク弁護士は、途中何軒コンビニがあって、公衆電話があって、交番があって・・人通りも多くと書いてあるけど、山手通りは青梅街道に比べ、コンビニは少なかったし、人通りも多くなく、むしろ閑散としていました。助けをいくらでも求められたはず、とオタク弁護士は申したが、山手通りからは、実際助けを求めたくなっても、なかなか人と会えないのではないか・・コンビニも見つからないのではないか、と思いました。まして、後藤さんは無一文・・・コンビニにも入りにくいでしょう。交番は一度、邪見にされています。これまで12年5か月、接した人は、皆自分を否定しました。一度邪見にされたことと今まで否定されたことがオーバーラップされ、交番で助けを求めようと思わないでしょう。お金がなくても、公衆電話で救急車を呼べるというが・・その知識が後藤さんにあったかどうか疑問です。何せ、12年5か月も世間と接触してないのです。それに、後藤さんは、病院に行くより、統一教会の松濤本部に行きたかったのです。周囲の人がふらふら歩いている後藤さんを見て、声かけたり、助けるのではないかという意見もあります。しかし、世間はそんなに優しいでしょうか?今の若者(30代以下)は優しいです。困っている人にすぐ声かけ、手助けします。しかし、40代から上はなかなかそれができないです。残念ながら・・・加えて、後藤さんはかなり厚着で、ボロボロの服を着てました。頬がこけていて、長期の低カロリー食の影響で顔は乾燥していていたでしょう。中年の浮浪者風の男が木の棒を杖替わりにして歩いている・・・声かけますか?倒れてない限り、歩いている限り・・・遠目で見る・・という私は冷たいのでしょう。後藤さんが歩いたのは、2008年2月10日16時から20時です。後藤さんが山手通りを歩いている時は、あたりは暗くなっています。暗くなった寒い平日の夜、どれほどの人が周りの人に気を遣うでしょう。「ちょっとおかしな人が歩いていたなぁ。」そんな感覚ではないでしょうか?(やっぱり、私って冷たい・・・・)私は後藤さんとは反対の通りを歩いたため、後藤さんが語った死の歩道橋は渡らずに、横断歩道が渡れました。後藤さんより、ずっと体力のあった私でも、歩道橋は渡らずにすんだのは、ホッとしました。渡らなければいけなかった後藤さんは、運命を呪ったかもしれません。<後藤さんが語った死の歩道橋 現在は取り壊されてエレベーターになっている。http://humanrightslink.seesaa.net/article/366563928.html#more より引用。> 通り沿いのマンションで「松濤」という文字を見た時は元気が出ました。山手通りをトボトボ歩いている時は、「もう、無理・・」「衰弱状態では歩けるはずがない」「いや、後藤さんの精神力は並大抵ではない・・」etcと思ってましたが、目的地が近いとわかったら、張り切りました。ようやっと松濤2丁目交差点に到着しました。2時間38分かかりました。オタク弁護士は2時間17分で歩いたとのことです。オタク弁護士より、時間がかかったのは、悔しかったです。後藤さんは、同じ道を4時間かけて歩きました。そして、松濤2丁目交差点で力尽きました。 <松濤2丁目交差点 歩いた当日撮影しました。>私は、松濤2丁目交差点で写真を撮った時思いました。オタク弁護士は荻窪から松濤2丁目まで歩いた後、松濤2丁目交差点からの行動はどうだったのだろう?私は松濤2丁目交差点から、渋谷駅まで歩きました。(10分位でした。)松濤2丁目交差点は過ぎたので、心置きなくコンビニに寄り、トイレに入り、水を購入しました。渋谷駅から数回電車を乗り換え、自宅最寄駅に行きました。最後の電車は坐れましたが、途中は坐れませんでしたので、立ってました。最寄駅からは、自転車で自宅に戻りました。翌日は、普通に職場に行き、普通に仕事をしました。後藤さんは松濤本部にたどり着き、一心病院に向かった2月11日未明から、歩けない状態でした。3月4日にやっと松葉つえ歩行ができるようになり、3月20日に杖なしで歩行できるようになりました。この差は何なんでしょう?・・・通常の体力があれば、「ああ、疲れた」で終わることです。その後、歩けなくなることもないし、翌日の仕事に影響が出るわけではないです。※オタク弁護士は揶揄ではありません。自ら@otakulawyerとして、ツイッターをしています。3.栄養失調状態で10キロは歩けるか?毎日スクワットができるか?何故、急に歩けなくなったか?ここで栄養失調状態で、10キロは歩けない、毎日スクワットはできないと言うのは簡単です。普通に考えたら無理でしょう。しかし、やってしまった後藤さんからしたら、「無理でしょう」「そんなのできるわけない」と言われても「でも、歩くしかなかったから、歩いてしまった・・」としか言いようがないでしょう。人間というのは、いざという時思わぬ力を出してしまいます。よく「火事場の馬鹿力」と言いますが、まさにそれです。認知症の人が行方不明になった時、信じられない遠く離れた場所で発見されたというのはよく聞く話しです。知り合いのケアマネから聞いて、一番びっくりした話しは、家の中をやっと動いているおばあさんが、関東地方で行方不明になって、九州で発見されたことです。どうやって九州まで行ったのか・・・本人は答えてくれませんでしたので、今もって謎だそうです。北朝鮮の脱北者の方々は、決して栄養状態がよくないのに、命がけでかなりの長距離長時間かけて脱走しています。日本でも、終戦前、後に空襲、原爆等で命からがら栄養状態不良の状態で長距離歩いた人達は多くいました。過去、栄養、衛生状態がよくない過酷な環境で過酷な労働をし、長距離徒歩で移動した収容者達も多くいました。ということを考えたら、絶対できないことではないのです。また、前々記事に出した「神経性食思不振症」の例。神経性食思不振症の人は、却って活動的になると言います。<参照:http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/2790/1/KJ00005510907.pdf#search='%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E6%80%A7%E9%A3%9F%E6%80%9D%E4%B8%8D%E6%8C%AF%E7%97%87' (11枚目:4)行動異常)>だからと言って、後藤さんが栄養失調状態だったと結論を出せるわけではありません。以下は、私の想像です。後藤さんは、いつか家族の隙をついてマンションから出られる日が来るのではないか、と思っていました。その日のために、体力をつけなければ、と空腹で体力もない中、毎日のスクワットを日課としていました。つまりは、スクワットをすることが後藤さんにとっての希望だったわけです。そして、マンションから解放される日がやってきました。無一文で放り出されたことは腑に落ちないことだったとはいえ、やっと監禁から解放された、ということはうれしかったに違いありません。どこに行こうか、最初は途方に暮れながらも、「松濤本部」に行くという目標ができました。交番で邪見にされながらも、渋谷までの道のりも聞くことができました。松濤本部に行けば、統一教会に戻れる、食事も出してもらえる、懐かしの人にも会えるかもしれない、とにかく行くしかないと歩きました。スクワットの効果か、精神的に希望をもっていたせいか、最初は普通に近い速度で歩けたでしょう。そのうち、長年の監禁生活と超低カロリー生活がたたり、体は悲鳴をあげます。それでも無一文だった後藤さんは、歩き続けるしかなかったのです。助けを求めればいい・・・簡単に言いますが、交番で邪見にされ、12年接してきた人は自分を否定する人ばかりでした。そう簡単に助けを求める程信用できません。「もしかして、助けを求めて、兄妹、兄嫁たちに連絡されてまた監禁生活に戻るかもしれない。」と考えます。そしてそして歩ききりました。力尽きた時、やっと助けを求めて松濤本部にたどり着きました。もう、余力は残っていません。それで、一心病院で体重測定もできないほど立っていることができなかった、1か月近くも歩けなかったのでしょう。4.たとえ食事制裁してなくても・・・栄養状態よくても・・・・12年5か月監禁していたか、それとも後藤さんが引きこもったか食事制裁はあったのか、なかったのか・・・を棚上げしても、疑問はあります。12年5か月、一人で外出してない徹氏を、頭を冷やして考えさせるためか、他の理由があったかわからないが、無一文で外に放り出しました。暫くして静かになったので、表を見たらもぬけの殻でした。その後、近所を探したけど見つかりませんでした。その後、どうしたかがお兄さんの陳述書 に書かれてますので、引用します。(引用部分は青字)22.徹か立ち去って後徹が姿を消した後,行き場がなくて戻ってくるとも考えていたので,その日はそのまま待っていました。しかし,夜になっても帰ってば来ませんでした。徹は,気力・体力ともに特に問題はなかったので,行き倒れなどの心配はなかったのですが,徹が行くところと言えば,統一協会しかありません。夜が明けた時点でこれはもう戻ってこないかも知れないと思いました。これまでのさまざまな場面や苦労が思い出され,それらが水泡に帰した気がして深く脱力しました。また,徹が真実をきちんと見極める手助けをしてやれなかったという無力感と自分が統一協会に誘い込んでしまったことへの罪悪感で涙が出ました。次の日からは部屋の物を少しずつ片づけ始めました。12日か13日かに友人からワンボックスカーを借りて最低限のものを残して荷物を運び出しはじめました。必要ないものは処分しました。母と■<後藤徹氏の妹>は12日か13日に実家に帰りました。しかし,万が一徹がマンションに戻ってきた時のことを考えて,私と■<後藤徹氏の兄嫁>が1週間ほど待機していました。1週間経って帰ってこなかったのでマンションを引き払い,私たち夫婦も私たちの自宅に戻りました。12年5か月も自分の生活まで犠牲にして、話し合いをしていた家族ですよ。その割に、いなくなった後の対応が冷たくないですか?徹氏が無一文で外に出たことはわかっていたはずです。例え、気力、体力が充実していても、12年も一人で外を歩いてない人が無一文で行方不明になっている・・こんな悠長に構えてられないと思うのは、私だけでしょうか?警察に相談した気配もありません。近くの交番で聞けば、徹氏が立ち寄ったことはわかったはずです。そしたら、渋谷に向かったことはわかったはずです。12年1人で外出していない人が一人で歩いて渋谷に向かった・・しかも寒空の下・・追いかけていくと思うのですが・・違いますか?翌日には、マンションを出る手はずをし、妹さんとお母さんは実家に帰りました。お兄さんと兄嫁さんは万一戻った時のことを考えて1週間は待機したようですが・・・待機するにしても、方々探し回るでしょう。また、警察や病院等に問い合わせるでしょう。謎すぎます。それで、家族を愛していたから、ずっと家族の話し合いをしていたと言われても、腑に落ちないです。続く決して、後藤さん兄妹、兄嫁さんを非難しているわけではありません。ご本人さん達は、そう呼ばれるのは不本意かもしれませんが、お兄さんたちも「拉致監禁被害者」です。そのことを後藤さんの裁判を支援している方々は忘れています。こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、お兄さんたちの気持ちはわかります。私も家族を自ら伝道して、統一教会員にしたら、同じことをしていたかもしれません。次回は、このことを書きたいと思います。統一教会が、今まで拉致監禁脱会者に対してどういう態度をしてきたか、という批判も込めて。

  • 06Oct
    • 後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと⑤-食事制裁を考える(その3)の画像

      後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと⑤-食事制裁を考える(その3)

      2014年3月11日記事です。アップしたほやほやの時ならともかく、最高裁判決が出て3年も経ち、拉致監禁説得がなくなった今・・・・興味ある人はいないのだろうな~と・・・・。(てか、内容理解できる人いない?←上目発言)前回以上に今回は意味不明(?)だと思いますので・・・・意味不明文章を読解してやるぞ!という意気込みのある方是非お読みください。⑤体重推移秀のブログより下記引用させていただきます。(秀さんの文章は緑文字としました。判決文引用部分は秀さんのブログでも青字のため、そのままとします。)判決文から体重に関する記述を調べると次のような数字がありました。後藤さんがパレスマンション多門に滞在していた期間(平成7年9月12日~平成9年6月22日まで)の身長と体重の記述があります。「当時、原告(後藤徹)の身長は182センチメートル、体重は約70キログラム前後」判決文P4670キログラム、これが、当時の後藤さんの通常時の体重だったようです。後藤さんが最初のハンガーストライキによる抗議を したのは、平成16年でした。パレスマンション多門から荻窪プレイスと移動後、荻窪フラワーホームに移りとすでに8年あまりの月日が経っていました。後藤さんは平成16年、17年、18年と計3回のハンガーストライキをします。そのうち2回目の断食後の体重の記述があります。「原告は平成16年、17年、18年にそれぞれ断食を行った。なお、2回目の断食直後の体重は45キログラムとなっていた。」判決文P53 荻窪フラワーホームから解放された夜に、一心病院に入院してから一週間後の体重があります。「原告は平成20年2月10日夜、統一教会の本部教会に到着した。原告は平成20年2月11日早朝、一心病院において診察を受け、同日から同年3月31日まで、一心病院において入院治療を受けた。原告が入院してから約一週間後に測定された原告の体重は、約52キログラムであった。」判決文P54 判決文、後藤徹氏の裁判ブログを見ても、70㎏前後(新潟パレスマンションに滞在していた当時)、45㎏(2回目の断食後)、52㎏(解放後7日目の体重)、61㎏(入院約1ヶ月後)以外の体重の記載がない。エイト氏はじめ一部の保護説得容認派は、後藤徹氏の痩身写真は、荻窪フラワーホームを出て、一心病院に入院して、断食をして撮影したと申している。「自作自演」「後藤徹氏は、自分でガリガリに痩せた」とブログに書いている人もいた。この4つの体重明記だけでは、そう言われても仕方がないかもしれない。後藤徹氏の裁判を支援する人から、一心病院入院中の体重推移について以下の話しを聞いた。・2月17日から退院までの3月31日まで、一度僅かな減少はあるが、順調に体重は増えている。・退院時3月31日は、2月17日の52㎏から10㎏以上増えている。・3月中旬、一心病院近くの都立病院を受診した。その際の体重は、一心病院で計測していた体重推移となんら矛盾はなかった。上記から判断すると、2月17日から3月31日まで断食してガリガリに痩せたというのは、考えられない。ならば、2月11日から17日まで断食したのか?(ちょうど7日間である。)統一教会員、元信者は、成約断食経験者が多いと思う。私も経験ある。経験者の皆さん、また何人も成約断食をした人を見てきた皆さん、思い出してほしい。7日間の断食でこのような姿になるだろうか?ちなみに私は、成約断食した当時は、痩せ形だった。成約断食で5㎏痩せ、BMIは17.9から16になった。(今初めて計算して、)後藤さんの2月17日のBMI15.7と16は数字だけ見たらそれ程変わらないように思える・・・成約断食でBMIが16になったが、私はのような骨皮筋衛門ではなかった。当時は、風呂なしアパートに住んでいたため、銭湯で入浴していた。もし、私が後藤さんのような体だったら、他の銭湯客は、じろじろ見ていただろう。・・・しかし、そんな視線は全く感じなかった。(ちょっと残念。)原告、被告側双方から一心病院のカルテが提出され、双方とも証拠採用された。カルテには、看護記録、フローシート(体温、脈拍、血圧、食事量、体重が記載されているグラフ)が入っている。そこに明記されている体重変化も見て、裁判官は原告の主張する治療費を全額請求を認めた。一心病院で断食した形跡があるのなら、自分でガリガリに痩せた形跡があるのなら、被告による原告への長期の行動制限(監禁)を認めても、治療費全額請求は認めないだろう。判決文にはないが、体重について以下の陳述書が裁判ブログで紹介されている。加えて言えば,AT牧師<宮村氏説得を受けた(元)信者のケアをしていた>は原告の痩身写真(甲1号証)を見たとき原告の姿に驚き,水茎会で親しくしている人に「あれ本当ですか」と聞いたところ,その人が本当だと答えたと述べている(甲155号証の2の35頁16行~20行)。原告が食事制裁により痩せ細っていた事実は,水茎会では有名な話しであったのである。<後藤徹氏裁判ブログ 後藤徹氏本人最終準備書面⑤ より引用>2008年7月2日の昼頃、徹は突然保谷の自宅にやって来ました。<略>母:「ずいぶん太ったんじやない?」徹:「うん、20キロぐらい太った。」<後藤徹氏裁判ブログ 後藤徹氏の妹の陳述書ーその2-より引用>3 原告は,平成20(2008)年7月2日,何食わぬ顔で西東京市の実家に来て,自分のノートなどがないかたずねてきた。この時に,原告は,被告■<後藤氏の妹>と母■<後藤氏の母>に対し「20キロ太った。」と話していたが,その時の体重はどう見ても70kg以上はあった。このようなことから,「荻窪フラワーホーム」を出された時には,少なくとも原告の体重は50kgはあったと思われるのである。<後藤徹氏裁判ブログ 後藤徹氏兄、兄嫁、妹による準備書面(1)-その4 より引用> AT牧師の証言から、後藤徹氏がやせ細っていた事実は、水茎会の一部の人は知っていたと思われる。(ただし、この証言は証拠採用されていない。)後藤徹氏の家族も、自らの陳述書、準備書面で、5か月ぶりに会った徹氏を「随分太った」「70㎏以上はあった」と表現した。後藤徹氏が新潟パレスマンションにいた時は、70㎏前後である。つまり、家族が随分太ったと表現した70㎏以上はパレスマンションにいた頃より、少し太った位なのである。妹さんはじめ家族は、「荻窪フラワーホームから出た時はあんなに痩せてなかった」と言うが、新潟パレスマンションにいた時からしたら、かなり痩せていたのである。3回目の断食後から荻窪フラワーホームを出るまで、1年8か月あった。2回目の断食終了後が45㎏なので、3回目断食後の体重も45㎏と仮定して、解放後7日目の体重52㎏まで7㎏増えた。荻窪フラワーホームを出てから、5か月で20㎏増えた。これをどう考えたらいいのだろうか?⑥断食を経験している統一教会員、元信者は断食明けの食事について知識があるか?再び判決文を一部引用。上記滞在中の原告の食事は■<後藤徹氏の母>及び被告■<後藤徹氏の妹>において用意されており,被告■<後藤徹氏の妹>は,かつて信者であった頃に断食を行った経験を生かして,原告の断食明けの食事について配慮し,後藤徹氏兄の陳述書を一部引用。ちなみに私たち兄妹と嫁は元統一協会員で,断食の経験もありますので,断食明けの食事についても知識はありました。この部分、普通に読み過ごしていた。しかし、ふと疑問に思った。後藤さん兄妹は、過去最高何日の断食経験があって、断食経験は何回あるのだろうか?断食明けの食事を実際作ったことはあるのだろうか?知識はどの位あったのだろうか?私は統一教会信者時代、成約断食(7日間断食)1回、40時間断食数回、1日断食数回の経験がある。私はホーム生活は殆どしていないので、断食明けも自分で食事を作っていた。成約断食後は断食明けの食事についてのプリントをもらった。しかし、年月がたつとすっかり忘れてしまった。覚えていたとしても、私の断食は7日間。後藤さんの30日断食明けの食事については知識はないに等しい。統一教会員かどうかは不明だが、断食経験があると思われるみんなさんも以下のようにコメントしている。断食は苦手で、そんなに回数も、日数も経験したことはなく、断食後の食事も自分で作ったことがありませんので、「断食後の食事の戻し方」は知りません。お力になれず、恐縮です。(統一教会で)断食を経験しても、断食後の食事についてよく知らない人が殆どなのでないだろうか?後藤さんの兄、兄嫁、妹は本当に知識があったのか?後藤徹氏の裁判ブログの保護説得関連年表 によると、それぞれの信仰歴は下記のようになる。兄:1986年3月、ビデオセンターに行き始める  1987年初旬に献身  1987年5月に脱会兄嫁:1986年6月に統一教会に行き始める   1991年に脱会(陳述書、証人尋問によると、献身し、祝福も受けていた。)妹:1986年秋にビデオセンターに行き始める  1989年4月に脱会(陳述書によると、献身はしてなかった。ホーム生活も殆どしていなかったと思われる。)兄嫁さんは、祝福を受けたので、成約断食をしたのは確実である。献身者だったので、自分の断食後は、自分で食事を用意せず、出されるままの食事を食べていた可能性がある。しかし、食当(ホームの食事を専門に作る係り)で成約断食後の食事を作った可能性はある。お兄さんの献身期間は半年くらい。その間に成約断食した可能性は5分5分位?成約断食したとして、男性だし、献身者なので、自分で食事は用意していないだろう。妹さんは献身してなく、統一教会にいた時期は、献身者以外で祝福を受けることは少なかった。献身者以外で成約断食することもこの時期はあまりなかったように思う。でも、断食経験が全くないことはないだろうし、成約断食も、もしかしてした可能性もある。妹さんはホーム生活は殆どしていなかったので、自分で断食明けの食事を作った可能性がある。以上のことから、断食後の食事について知識があると思われるのは、妹さんと兄嫁さんである。でも、妹さんが成約断食をした可能性は低い。兄嫁さんが食当で必ずしも成約断食後の食事を作ったとは限らない。成約断食後の食事を作った経験があり、その内容を覚えていたとしても、後藤さんの3回目の断食の3分の1以下の日数である。これで「知識と経験がある」と言えるのか?私は疑問に思った。後藤さんの断食と同期間の21日、30日断食の経験があるのなら、別だが・・・。甲田医師の「断食少食健康法」を熟読して、知識を身に着けたのなら、別だが・・・。続く今回でこのシリーズ完結するはずでしたけど、やはり長くなってしまい、完結はできませんでした。次回は、(本当は今回書く予定でした)衰弱状態で、10キロ歩けるのか?スクワットはできるのか?を検証したいと思います。

  • 05Oct
    • 後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと④ー食事制裁を考える(その2)の画像

      後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと④ー食事制裁を考える(その2)

      2014年3月9日にアップした記事です。データに固執すると思わぬ落とし穴があります。それにしても・・・原告側から意見書を出したNY医師・・・(意見書一部青字で引用)日本の一部の医師たちにはまだ理解されていないかもしれませんが、意見書の中にさらっと被告側から意見書を出したI医師の無知と不勉強を指摘してます。I医師が読んでいたら・・・医師のプライドが崩され、頭が沸騰したか・・・凍結したか・・・意気消沈したか・・・・当時の記事をお読みください。④判決文の裁判所の判断に「栄養失調」についての記載がない 原告、被告双方から、医師の意見書が提出された。医師の意見書として証拠採用されたのは、原告側はNY医師、被告側はI医師である。被告側医師は、後藤徹氏の検査データを元に、「栄養失調ではない」と言い切っている。反面、原告側は、被告が栄養失調ではないと主張する根拠を否定している。以下、その意見書の一部を後藤徹氏最終準備書面⑤ より引用する。<被告側より意見書を提出したI医師の見解>血中アルブミンが入院時(平成20年2月11日)4.4g/dlなのに対し、北里大(平成20年4月4日)にて4.0g/dlとむしろ低下しており、総コレステロール値も入院時184mg/dl,北里大167mg/dlと低下しています。なお、低栄養の指標としては血中アルブミンが3.5g/dl以下と定義されており、多くの場合2.5g/dl以下で、この方は少なくとも低栄養の状態ではないと思われます。<原告側より意見書を提出したNY医師の見解>血清アルブミン値が減少していないことから、2人の医師の意見書では栄養状態は良いと判断していますが、前述したように、血清アルブミン値の値のみで栄養状態を評価するのは問題があることが国内外で指摘されています。血清アルブミン値は栄養状態も関係していますが、それ以上に他の因子による変化も大きいことが分かっています。栄養状態の低下よりも、むしろ炎症などの病気の時に低下することが多いため、海外では良い栄養状態の評価の指標とは考えられていません。また、血清アルブミン値の低下は、極端な飢餓状態でも、炎症などのストレスが無い状態では、あまり低下しません。(例としては神経性食思不振症、・・・)。従って、単純な飢餓による低栄養では、疾患を合併しない限り、かなり悪くなるまでは、血清アルブミン値の低下は、この疾患のように正常値を示すことも多いようです。(参照:アルブミンとは )要するに、後藤徹氏のアルブミン値は、基準値を示していた為、低栄養(栄養失調)状態ではないと被告側医師が申したが、必ずしも低栄養だからアルブミン値が下がるわけではないと原告側医師が反論したわけだ。NY医師は神経性食思不振症を例にあげている。なるほど、(体の)病気ではなくて、食事量が少なく、痩せているというのは、神経性食思不振症と類似している。それで神経性食思不振症の人の検査データ等出ている資料がないか調べてみた。「(内科医にできる)摂食障害の診断と治療」という本に、6人の人の検査データが紹介されているが、うち4人はアルブミン値が基準値であった。I医師はコレステロールの話しもしていたが、神経性食思不振症で受診した人の32%が高コレステロール血症というデータもある。(本の内容をかっこよく紹介できるとよいのだが、私は医師ではないので、そんな神業はできない。)アルブミン値について、在宅の高齢者の介護予防に携わっている知人に話しを聞いた。低栄養の人が要介護状態になる割合は高い。中年期は生活習慣病に気を付けなければいけないが、 高齢者は、低栄養に気を付けなければならない。1年に1度の無料の健康診断の時に、65歳以上の人は(介護予防)生活機能チェック表 <5頁表1参照>を自己チェックする。生活機能チェック表のみ役所の介護保険課から関係機関に行くようだ。(地域によって違うだろう。)知人が言うには、たまにBMI14~17の低い値の人がいるそうだ。(滅多にはいない)生活機能チェック表の下にアルブミン値等が記載されている。アルブミン値を確認すると、大体が基準値を保たれていると言う。訪問したら、ガリガリに痩せていて、長年偏食で少食だった人もいたそうだ。高齢者は、食が細くなって本人は食べているつもりでも食べていない。家族があまり食べさせてないという虐待の例もある。施設では、安易に食形態を変える(お粥や重湯等)ため、意外にBMIの低い低栄養の人が多いと言う。それが日常生活動作の低下につながっている。(施設でのデータはわからないが、おそらくBMIは低くても、アルブミン値は基準値ではないか、と知人は言っていた。)話しは後藤さんの話しから、横道に逸れたが、アルブミン値が基準値だから、栄養失調ではないというのはいかがなものかと思う。NY医師はSGA から、平成20年2月17日(入院7日目)の項目から一つずつ検討して以下の結論を出している。病態栄養学会誌のSGAの評価区分(表1)で検討してみますと、栄養状態としては、全ての項目で重症の栄養不良に分類されることになります。特に重要な体重減少と筋肉の喪失は明らかに存在しています。この場合疾患は無いので、単純な飢餓による低栄養と考えられます。前述の理由で、日本の一部の医師たちにはまだ理解されていないかもしれませんが、世界的には、疑いなく、この人は高度の栄養不良と診断されることになります。<後藤徹氏最終準備書面⑤  NY医師意見書3頁から5頁一部より一部引用>被告側より意見書を提出した医師は、低栄養ではないと言う。原告側より意見書を提出した医師は、高度の栄養不良と言う。裁判所はどちらの意見書も証拠として採用している。だけど判決文の第3の裁判所の判断には、「原告が主張する栄養失調状態を認める」とも「認めない」ともどちらの記載もない。・・・・・・・・・・・・・果たして、裁判官はどう判断したのだろうか?続く本当は、今回で完結したかったのですけど、長くなってしまいましたので、次にします。次は、「体重推移」「10キロ歩いたこと」「後藤さんの家族の心理(推測)」についてアップしたいと思います。

  • 30Sep
    • 後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと③ー食事制裁を考える(その1)の画像

      後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと③ー食事制裁を考える(その1)

      2014年3月5日アップ記事です。後藤氏裁判の大きな争点の一つ「食事制裁はあったか否か」についてです。一審裁判官はどのように判断したのでしょうか。当時の記事をお読みください。3、治療費全額請求は認められたが、食事制裁は認められなかった①裁判所はどのように判断したか?裁判所は、後藤氏兄妹に、治療費を全額支払え、と命令しながら、原告の主張する「食事制裁」については、採用しなかった。何故か?実際の判決文には以下のように書かれている。(緑斜め文字と<※参照>は判決文には記載されていません。また、茶文字、赤文字で書かれているところはなく、全て黒文字です。(多分))エ 原告が主張した「食事制裁」を採用しない理由 なお,原告は,被告■<後藤徹氏の兄>らにおいて,原告が荻窪フラワーホームに滞在中にハンガーストライキを終えた後においても,原告に対して粗末な食事しか与えずに食事制裁を行い,原告を虐待した旨主張するが,前記1(1)タ(キ)のとおり,上記滞在中の原告の食事は■<後藤徹氏の母>及び被告■<後藤徹氏の妹>において用意されており,被告■<後藤徹氏の妹>は,かつて信者であった頃に断食を行った経験を生かして,原告の断食明けの食事について配慮し,原告の体調を気遣っていたこと等が認められるところであって,原告が3度目の断食を行った後に出された普通食が原告と同等の身長の一般男性に必要とされるカロリーを摂取するに十分なものではなかったことも,原告において再度断食を行う意向を表していたことを踏まえてのことであったことを考慮すれば,上記の原告の食事に係る事情については,直ちに違法な点を見いだすことはできず,原告の上記主張は採用しない。<後藤徹氏裁判ブログ判決文⑤ より引用>治療費全額請求の理由については、以下のように述べている。ア 治療費 33万9110円前記のとおり,原告は,その行動範囲に対する著しい制限が長期間に及び,原告の全身の筋力が低下するに至り,その治療のため,平成20年2月11日から同年3月31日まで,一心病院に入院したことが認められ,また,証拠(甲8の1から10まで)<※参照>によれば,その入院治療費用及びこれに関連する一心病院,東京都立大塚病院及び北里大学病院における各通院治療費用等として,合計33万9110円の支出をしたことが認められるから,その全額について,被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為との相当因果関係を認めるのが相当である。<後藤徹氏裁判ブログ判決文⑤ より引用> 要するに、こういうことである。・廃用性筋萎縮状態になったのは、後藤徹氏に対する長期に亘る行動制限のためであるので、その治療のための費用は負担しなさい。・後藤徹氏の妹は、元統一教会員で断食の経験があるので、その経験を踏まえて原告の体を気遣って食事を用意した。妹、兄嫁はいつ4回目の断食をしてもよいように、体に負担のない食事を提供していた。②裁判所は原告、被告のどちらの証拠をより重視したか?原告の提出した食事写真、被告の提出した食事写真を比較すると以下の通りである。(両方共、証拠として採用されている。)<被告側が証拠として提出した3回目の断食後、普通食に戻してから、後藤徹氏に提供していた食事写真。写真1が朝食 写真2が昼食(納豆なし)、夕食><カロリーは2000キロカロリー。「断食少食健康法」を参考にしてメニューを考えた。(妹証人尋問 より)> <後藤徹氏が提出した3回目の断食後、普通食(?)に戻ってから提供されていた食事写真。><本人の証言を元に一心病院管理栄養士、一心病院以外の管理栄養士がカロリー計算されています。一心病院:1050キロカロリー  一心病院以外:1035キロカロリー>裁判官は、妹さんは後藤徹氏の体を気遣って、食事を出したので、原告の主張する「被告によって食事制裁された。」というのは採用しないと言う。ということは、妹さんの出した食事内容を重視したと考えられる。妹さんは、甲田医師の「断食少食健康法」 という本を参考に食事を作ったと言う。断食後、普通食に戻るまでの期間、それまでの食事内容等、注意点等サイトで検索した。しかし、後藤徹氏のような長期の断食後の食事について書かれているサイトは見つからなかった。(7日までの断食までだったら、断食道場のサイトに出ている。過去、断食と同期間か、もしくは体の悪い人は3倍の日数で普通食に戻すべしという記事が載ったサイトがあったが、今はそれがなくなっている。)妹さんが参考にしたという本「断食少食健康法」なら、そのあたりが書かれているかもしれないと思い、(まだ途中だが)読んでみた。断食後~普通食に戻すまでの期間はできるだけ長い方がよいと書かれている。とはいえ、70日も重湯とポカリスエットのみを取るようなことは奨励していない。ゆっくり少しずつ食事形態と量を増やすように勧めている。普通食に戻った後も少食を勧めている。本で勧めている食事内容は妹さんが提出した写真のようなものである。また、断食に備えた食事の重要性も書かれている。ここだけを読めば、妹さん、兄嫁さんが徹氏が4回目の断食をするかもしれないから、それに備えて食事を出したという供述も頷けなくもない。余談だが・・・これから断食しようと考えている人は、是非読んで参考にしたらよいと思う。宗教的理由での断食にしても、どうせなら、体も健康になった方がよいし。③後藤徹氏の解放直後の身体状態に食事は関係していないか?原告側から、栄養士(一心病院外)に原告が主張する写真の食事を1年2か月(解放前の食事)続けたらどうなるか?という照会書を送り、その返答が「後藤徹氏裁判ブログ判決文⑤」 で紹介されている。C(原告が主張する写真の食事)を1年2か月続けた場合の問題点カロリー(エネルギー)、たんぱく質不足・低栄養状態による体重減少、筋力低下により全身の筋肉組織が衰えます。血管がもろくなり、出血傾向になることがあります。免疫が弱まり、体の抵抗力が落ちてしまいます。・また、赤血球の成分であるヘモグロビンが不足し、貧血、頭痛、肩こりなど、慢性疲労になる可能性もあります。脂質、コレステロール摂取不足細胞膜の材料になっているため、低すぎると血管壁に栄養が補給されず、弾力性が衰えて、脳出血につながることもあります。ビタミンの不足貧血、皮下出血、腸内粘膜異常などの傾向が強まる可能性があります。実際後藤さんの退院後の診断はどうなっていたのか?証拠採用された診断書によると・全身筋力低下・廃用性筋萎縮 (特に両下肢)・栄養失調平成20年2月11日、上記疾患にて入院。歩行困難にてリハビリテーションを行い、平成20年3月31日退院となりました。歩行は可能となりましたが、両下肢の関節痛、筋肉痛がまだみられます。(一心病院医師診断書 H20.4.2)・貧血長期栄養不良からの回復期にあると考えるが、貧血の改善は今のところ認められておらず、本日ヘモグロビン 10.5g/dlであった。消化管から明らかな出血がなさそうなことから、長期に及ぶ極端な摂取不良による栄養障害が原因と考えられる。またそれに加え、吸収障害(胃炎)も重なっている可能性もある。(北里大学病院宮崎医師診断書 H20.4.4)http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-43.html#more  より引用・栄養失調・貧血主訴は、両膝痛、歩行困難を主訴に来院した。栄養管理の依頼が出され、診察した。外見上、るいそう(やせ)著名であり、肋骨は浮き出ており、上肢下肢ともやせ衰えていた。また、顔色は悪く、貧血があると思われた。身長182cmに対して、脱水が改善したと思われる入院後5日目でも体重は52.1kgであり、BMIは、15.7とかなりのやせであると思われた。上腕三頭筋部皮下脂肪厚2mm、上腕周囲系20.7cmと同年齢の標準値をかなり下回っている。血液検査のデーター上も、赤血球399万/μl、ヘモグロビン12.1g/dlと、貧血であり、末梢血リンパ球数690/mm³であり、長期にわたる栄養不良のため免疫能の低下まで来していると考えられた。これは危険な状態であった。(以下略)(一心病院内科医師診断書 H20年4月9日) http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-42.html#more  より引用。栄養評価について下記参照http://www.marutakai.or.jp/kumareha/nst/shintaikeisoku.htmlhttp://www.marutakai.or.jp/kumareha/nst/ketsuekikensa.html BMIについて下記参照http://www.ne.jp/asahi/akira/imakura/BMI.htm (実際の入院5日後の後藤さんの身長182cm、体重52.1kgを入れて計算すると、当時の後藤さんは高度のやせの状態だった。)栄養士が1年2か月、原告が主張する食事を続けていたら、こうなると書いていることのうち、全身の筋力低下(廃用性筋萎縮)と貧血は診断されている。下記サイトによると、廃用性筋萎縮は、長期に亘って動かないこと以外に、栄養不良が原因となると記載されている。「筋肉は健康のバロメーター サルコペニアを知ろう」 極一部引用廃用症候群の91%の患者で低栄養を認めたという報告がある。栄養ケアなくしてリハビリテーションなし。<入院直後の後藤徹氏>妹さんが主張する食事を食べていて、後藤氏はこんなに痩せた状態になるだろうか?次回に、続く (*^o^*)/~

  • 29Sep
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      後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと②

      2014年3月2日にアップした記事です。昨日アップした記事の続きです。拉致監禁説得に関心がゼロになった現在・・・このブログ記事のアクセス数もゼロに近いだろうと昨日ブログ前文に書きましたが、その通りになり、記事アップしたばかり、土曜日だというのに・・・・・・素晴らしすぎる低空飛行アクセス数でした。(皆、ラグビー、バレー観戦で忙しかったのでしょう。←と思うようにしています。そうそう、昨日両方日本勝ちました。今日のサンデーモーニングで出ますね。と思っていましたが、先ほどテレビをつけたら競歩をやってますので、本日サンデーモーニングの放送はありません。競歩は現在27km過ぎで、鈴木選手が1位。このまま頑張って欲しいです。と、たまにはリアル情報を。)そんなこんなの低空飛行ブログ記事にコメントくださった方には本当に感謝します。ありがとうございます。では、当時の昨日の記事の続きを。2 松永牧師への損害賠償は認められず、宮村氏への損害賠償は認められた①松永牧師への損害賠償は何故認められなかったのか?判決前の予想で一番多かったのは、後藤氏家族、松永牧師には何らかの責任は言及されるだろう。しかし、宮村氏へはお咎めなしだろう。拉致監禁に反対する人達は、一番宮村氏への責任を認めて欲しいところ。だが、宮村氏の責任が認められないのは仕方ない!という雰囲気もあった。(この方、カリスマ説得者と言われ、本人も勘違いしてるけど、実はヘッポコ説得者。&あちこちから嫌われている。私を説得した方も、ボロクソに言っていた。ので、反統一の人も、宮村氏への損害賠償が認められ、ザマアミロ!と思ってる人多いのでは。)しかし、蓋を開けたら、逆だったのである。これには皆、ビックリ!宮村氏本人も、山口広弁護士も驚いただろう。ビデオはじめ、マニュアル、手書きメモ(父兄への指示内容)等証拠として提出され、採用された松永牧師の責任を何故認められなかったのか?<若かりし頃の松永牧師のビデオ映像の一部・・・信者家族への指導の合理化を図り、統一の真似してビデオ作ったかもしれんけど・・管理はしっかりせんとね。ちなみに、裁判では、このビデオは作ったけど、見せてないと語っております。&これは当時、偽装脱会していた人に盗まれたと陳述書を提出しておりますが、証拠として採用されていません。>詳しくは1で紹介したyoshiさん、秀さんのブログに記載しているので、そちらを読んで欲しい。後藤裁判の判決:最大の問題点 - しぶしぶの同意と偽装脱会の扱い 松永牧師と宮村峻氏 明暗を分けたもの! 松永牧師の巻 簡単に言えば、1で書いた「渋々同意」と「偽装脱会」が関係している。判決文上は、後藤氏は、渋々ながらも話し合いに同意して、新潟のマンションに行き、松永牧師と話した、ということになっている。実家➡ワゴン車➡新潟のマンションは、「抵抗しても無駄」という諦めの境地となり、助けを求めることなく、ワゴン車に乗せられ、マンションに向かってしまった。(渋々同意)では、松永牧師と話すことは、いつ(渋々)同意したのか?通常、拉致する際は、説得者のことは出さない。監禁された時も、「何でこんなことしたのか?」「こんなやり方、誰に聞いたのか?」と聞いても、「心配だったから。」「自分達で考えてやった。」と言い訳にならない嘘を言う。よく、統一教会員は、「嘘をつく」と言うが、拉致監禁に関しては、親が子供に嘘をつく。監禁場所でも、すぐには説得者は登場しない。まず、「信じてる原理、統一教会の話しを聞きたい。」と言い、原理講義をさせられる。家族は、事前の勉強会で原理と原理の間違いは聞いているから、講義の途中に矛盾点を指摘する。話しは平行線となるから、そこで、「詳しい人にきてもらおう。」と説得者が登場する。親から、説得者が来ることの提案をされると、「やっぱりな。」と思う。私は1回目の監禁前、「反牧対策講義」なぞ出たことなく、監禁から帰ってきた人から監禁時の話しを聞くことはなかったので、こういうからくりを知らなかった。ので、おめでたくも、親は本当に私から原理の話しを聞きたいのでは、通常の脱会目的の監禁とは違うのではないか、と思った。だから、親から説得者が来ることの提案をされた時、がっかりしたものだった。説得者が来ることを同意しないと監禁が長引く、早いとこ来てもらって適当にやり過ごして偽装脱会しよう、と思い、同意する。(牧師が来ることを拒否し続け、親が根負けして解放されたケースもある。)後藤さんもそんな感じで(渋々)同意したのだろう。しかし、これを同意と言えるか?監禁されている側は選択権がないのだ。同意しないと自由は得られない。・・・相談する人もいない。今、自分と一緒にいる人達は、自分と同じ立場、もしくは中立的立場で話しを聞いてくれる人はいない。皆、言葉には出さないが、「統一教会を脱会してほしい。」「早く説得者に会って、統一教会の間違いに気づいて欲しい。」と思っているのだ。こんな状況の同意が認められるものなのか?訪問販売でも、クーリングオフが認められているではないか。顕正会の強引勧誘も、統一教会の霊感商法も一応(渋々)同意しているが、後で状況的に合意とは言えないと判断されているのではないか。これらは、拉致監禁による強制説得に比べたら、まだ可愛い。訪問販売でも、顕正会でも、霊感商法でも、せいぜい拘束時間は数時間。しかし、拉致監禁は、・・・・・・そんなこんなで、松永牧師との関与は、後藤さんが同意したものを判断されたわけである。脱会手記を松永牧師に強要されて書いたというのも、認められなかった。<松永牧師直筆のマニュアル・・外出を許される一つの条件に手記を書くとあるが・・・。>②宮村氏への損害賠償は何故認められたか?被告■<後藤徹氏の兄>らは,水茎会に通い,宮村の下でその方法を学び,原告を荻窪フラワーホームに移動させた後も,その方法に則って原告に対する脱会説得の試みを続け,被告宮村も,原告が荻窪フラワーホームにおいて不当に心身を拘束されていることを認識しつつ,平成10年1月頃から同年9月頃まで,頻繁に元信者らを連れて原告の元を訪れ,脱会を強要したことが認められるから,被告宮村については,被告■<後藤徹氏の兄>らの原告に対する前記不法行為のうち,上記期間に係る部分について,これに加担したものと認めるのが相当である。<後藤徹氏裁判ブログ判決文⑤ より引用>要するに、後藤氏の兄ちゃん達は、宮村氏の指導の元、徹氏の脱会説得を試み続けたということ。荻窪フラワーホームで徹氏が不当に心身を拘束されていることを認識しながらも、頻繁に元信者を引き連れて徹氏の元に行き、脱会を強要したから、損害賠償請求に至ったというわけだ。う~ん・・わし、頭わりいから、松永牧師と宮村氏の違いがようわからんわ。(@ ̄Д ̄@;)③宮村氏の責任が認められなかった空白の9年5か月は?被告宮村は,平成10年9月頃までは荻窪フラワーホームに頻繁に足を運んでいたが,その後は,被告■<後藤徹氏の兄>から家族で話し合う旨を告げられ,原告の元を訪れることをやめており,その後の原告の荻窪フラワーホームにおける滞在に関し,被告宮村の指導又は指揮命令その他の何らかの関与があったことを示す確たる証拠も存しないから,被告宮村による被告■<後藤徹氏の兄>らの前記不法行為への加担は,平成10年1月頃から同年9月頃までの斯間に係る部分に限られ,その後の原告の荻窪フラワーホームにおける滞在に関しては,被告宮村において不法行為責任を負うところはないものというべきである。<後藤徹氏裁判ブログ判決文⑤ より引用>宮村氏の責任が認められたのは、あくまで宮村氏が直接説得に行っていた9か月のみ。後のとてつもなく長い9年5か月は、宮村氏の関与の証拠がないから、認められなかった。フムフムならば・・・後藤氏の兄ちゃんたちは、何故、徹氏を監禁し続けたのか?ただ、監禁するだけで脱会するわけがないことは、兄ちゃんたちは誰よりも知っているはず。しかも、この期間、家族の話し合いもした形跡がない???徹氏だけでなく、後藤氏の兄ちゃん、兄嫁さん、妹さんも無駄な時間を過ごしたわけだ。9年5か月も・・・・。わしが後藤氏の妹だったら、宮村氏と家族に「私の卵子を返せ!」と言う。わしが後藤氏の兄嫁だったら、いくら自分が過去統一教会員でも、義弟の監禁にずっと付き合わされる生活に耐えきれず、兄ちゃんとは離婚している。謎だ謎だ謎だ~誰か、この謎を解いてくれ~。兄ちゃんたちは、いつか宮村大先生が、来てくれると待っていたのだろうか?いつか、奇跡のように、徹氏が目覚めると信じていたのだろうか?そして、この9年5か月の間に、食事制裁が起こった。(判決では認められていないが・・・)この件については、後日に。

  • 28Sep
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      後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと①

      2014年3月1日の記事です。この先、しばらく後藤さん裁判一審判決文に関する記事です。当時から拉致監禁の関心は薄く・・・・拉致監禁関連記事を書くとアクセス数が減るとぼやいていたブロガーがいましたが、それでも反応はありました。しかし・・・現在は・・・・ゼロ実質・・・統一教会員への拉致監禁はなくなったから関心ゼロは当たり前です。関心ゼロの過去の話題をアップしているこのブログもアクセス数がゼロに近くなり、完全日記状態になるのは目に見えています。それでも、少しは関心のある方・・・そういや~こんなこともあったな~と思い出した方・・・流し読み、超スピードスクロールでよいので、当時の記事をご覧ください。後藤徹氏裁判ブログ で判決文が5回にわたってアップされている。判決文に関して、解説&個人の感想etcがいくつかのブログでアップされている。米本和広氏のブログ「火の粉を払え」 yoshi氏のブログ 後藤裁判の判決:最大の問題点 - しぶしぶの同意と偽装脱会の扱い 秀のブログ やや日刊カルト新聞 “拉致・監禁”は認定されず、キャンペーン失敗の後藤事件地裁判決は統一教会サイドの実質敗訴か 詳細な解説等は、これらのブログにお任せして、読解力も法律知識もない私はざっと読んで自分なりに把握したこと、感想、疑問点を書きたいと思う。1、拉致は認められず、監禁は認められた(?)①拉致が認めれなかった理由判決文には、「後藤氏の自宅から新潟のマンション⇒荻窪のマンション2か所の移動については、渋々ながらも本人の了承があったし、自ら靴をはいていること、周囲に助けを求めてないことから拉致にはあたらない」という趣旨で書かれていた。にゃるほろ・・・後藤氏裁判本人尋問でも、後藤氏の自宅からワゴン車への連行(?)シーンは曖昧に感じた。(1995年のことなので、記憶が曖昧でも仕方あるまい)統一教会信者を家族の話し合いの場へ連れ出す際の常套手段は、何らかの理由で本人を自宅へ呼び寄せ、暫く普通に過ごし、いきなり空気を一変させ、話し合いの場へ誘導するというものだ。信者本人は、当然話し合いの場(監禁場所)に行くことは拒否する。信者本人を「もう抵抗しても無駄だ。」「行くしかない。」と諦めの境地にさせ、渋々ながらも同意させ、本人自ら靴をはき、車に乗り込むようするよう指導されていると思われる。そのマニュアルがこちら<松永牧師作成マニュアル・・御本人は、原対協で出た意見をメモしただけとおっしゃってます。>私は、2回の拉致監禁の経験があるが、2回ともの方法ではなかった。1回は自宅マンション階段前で拉致、2回目は一人暮らししていたアパート前の道路で拉致だった。2回目は、後ろから男性2人にハガイ攻めにされ、車に押し込まれたし、その際騒いだので、近所の人も出て来ていた。途中、車から外に向かって「監禁されてます」と叫んだりもした。車から監禁場所に入る際も拒否したので、抱えられて部屋に入った。もし、私が訴えた場合、近所の人の証言、車から外に叫んだ証言がとれれば、「拉致」は認定されるのだろうか。少なくとも、監禁場所に入るまで、(渋々)同意はないのだから。しかし、それでも落とし穴がある。私の拉致道中は長かった。途中、隙をついて逃げようとすれば逃げられる場面、助けを求められる場面はあった。そこでは私はアクションを起こしてないのだ。もし、裁判に訴えた場合、当然そこをつかれるだろう。今思えば、その場面でアクションを起こした方が逃げられる確率は高いように思われる。(それでも無理だろうが。)なのに、私はアクションを起こさなかった。何故か?思い出せない。わからない。その時は「諦め」の境地だったのだろう。拉致された時、「何とかこの状況から逃げなければならない」と思う時と「諦めの境地」が交差する。その「諦めの境地」の時には、抵抗もしないし、アクションも起こさないのだ。このあたりは経験者にしかわからないだろう。後藤さんも、自宅からワゴン車に乗る時は諦めの境地だったから、叫びもしなかったのだろう。後藤さんは、新潟のマンションにいる時に「脱会表明」している。(偽装脱会)手記も書いており、家族が統一教会施設に荷物を取りに行っている。それでも監禁が解かれることなかった。お父上が亡くなられた時に、元信者も加わって、新潟から荻窪に移動している。偽装脱会のまま荻窪の2か所目のマンションに移動している。この場面で逃げようとするアクションが起こせるか?お父上が亡くなられて、お父上の元に行くときに脱走することは考えない。この2回の移動は、偽装脱会中。もう少しうまくやり過ごせたら、もしかして解放されるかもしれない時に、危険を冒してまで脱走しようとは思わない。自分の周りに元信者、家族がいるのだ。1年以上マンション内のみの生活をしている。当然、脚力にも自信がない。走りだしても、すぐに抑え込まれるのがオチである。そんな確率の低い賭けをして、これ以上監禁生活が長引くのはゴメンである。⇒これを本人の同意があったとするのは、如何なものか?②監禁は認められた(?)後にも記載するが、後藤氏の請求した治療費全額認められている。その理由として、「廃用性筋萎縮」状態となったことがあげられ、そのような状態にしたのは、本人の意思に反して、長期間一か所に留めておいたからだ、とある。(参照:廃用症候群について )判決文には、「監禁」という言葉はないが、↑を読む限り、「監禁状態」だったと捉えることができる。続きは後日に。

  • 23Sep
    • 後藤徹氏裁判勝訴の画像

      後藤徹氏裁判勝訴

      2014年1月28日記事です。傍聴に行った知人=私です。午後からの判決でしたので、午前中仕事して、午後裁判所に向かいました。この判決は、海外から3名傍聴に来ていました。2人は拉致監禁経験者です。(うち1名はミツコ・アントールさん。拉致監禁を訴える涙の動画のイメージがありますが、実際はとても明るい人でした。)海外から傍聴に来た3人、判決前日に「後藤徹さんが解放時に歩いた荻窪→渋谷ウォーキング」を行いました。http://humanrightslink.seesaa.net/article/386265172.html#more1月末でしたが、比較的暖かな日でした。1人は冬はかなり寒くなる所から来られましたので、ウォーキング途中「暑い」と着ている上着を脱いだとご本人から聞きました。では、判決後に書いた記事をお読みください。<末尾に青字で追記しました。>本日、後藤徹氏の民事裁判の判決がありました。後藤徹氏は、12年5か月に渡り、拉致監禁の被害にあいました。拉致監禁だけでなく、食事制裁まで受け、解放時にはガリガリに痩せた状態でした。<2006年4月(3回目の断食後)~2008年2月の食事内容><クリックすると大きくなります。2006年12月までと、2006年12月以降で分かれてますので、別々にクリックしてください。><解放後の後藤徹氏>ガリガリの状態で寒空の夕方、無一文で外に放り出されました。ガリガリに痩せた体で力を振り絞って、荻窪から渋谷の10キロの道を歩きました。普通の成人が2時間少しで歩く距離を4時間かけて歩きました。松濤2丁目の交差点で、力尽き、助けを求めた2人目の女性が統一教会員だったため、タクシー代を貰い、渋谷の松濤本部に行くことができました。到着時間が20時を過ぎていたので、本部は閉まっており、警備員が不審者と思ったそうです。警備員が本部教会職員に連絡し、本部教会職員で問い合わせ、先に監禁から解放された女性信者の情報から12年5か月監禁されていた後藤徹さんで間違いないとわかり、本部教会に入れました。空腹の後藤さんに、監禁中夢にまで見ていたと言う、カツカレー、アンパンを本部教会はふるまいました。暫く会話し、イザ立ち上がろうとしたら、立ち上がれなかったため、タクシーで一心病院に行きました。緊急入院となり、約50日後に退院しました。体力回復にそれだけの時間を要しました。退院後、刑事告訴を2回試みましたが、いずれも告訴は認められず、2011年に民事裁判を起こしました。2012年暮れには判決が出る予定でしたが、様々な証拠が出たため、口頭弁論(書面のみの裁判)が延期しました。2013年3月~6月、原告、被告、証人合わせて8名の証人尋問を行い、9月に双方の最終準備書面を提出し、今日の判決となりました。傍聴に行った知人より情報がありました。①後藤徹氏兄、兄嫁、妹が483万9110円の損害賠償金を支払う。②宮村氏は96万3022円の損害賠償金を支払う。③松永牧師及び松永牧師が所属する教会への損害賠償請求は棄却。宮村氏への責任が問われたのは大きいです。裏では、後藤徹氏兄、兄嫁、妹、松永牧師への損害賠償請求はされるだろうけど、宮村氏へのお咎めはなしだろうという予想があったそうです。その予想に反して、松永牧師はお咎めなしで、宮村氏へ損害賠償請求されました。松永牧師の方がビデオ等拉致監禁を指導する証拠が出てきたのに、何故か?・・・いずれ裁判ブログで判決文がアップされるでしょうから、それを読むしかないです。裁判は、裁判官が①~③を早口で言ったのみで、正味2分だったそうです。傍聴者は、何が何だか暫くわからない状態だったそうです。米本氏が拍手して、やっと後藤徹氏が勝訴したということがわかり、後藤徹氏を応援していた人数人が拍手したそうです。前の方で、後藤徹氏兄、兄嫁、妹、宮村氏がかたまり意気消沈。有田氏も傍聴に来ていたそうですが、早々に退散したそうです。・・・・傍聴できる人は42人で、傍聴希望者はおそらく200人位だったと知人は言ってました。終了後、後藤徹氏が裁判所で支援者に挨拶をしたそうです。その映像がhttp://www.ustream.tv/channel/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%BE%B9%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4-%E5%88%A4%E6%B1%BA%E8%A8%80%E6%B8%A1%E3%81%97-14%E5%B9%B41%E6%9C%8828%E6%97%A5-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E8%A3%81?utm_campaign=kidnapping.jp&utm_source=ustre-am&utm_medium=social後藤さんのご両親は、今日の日を予想して後藤さんの拉致監禁を計画したのでしょうか?(この件につきましては、後日記事にしたいと思います。)「統一教会脱会して」と10年間“監禁”・・・信者親族に異例の賠償命令http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140128/trl14012819490007-n1.htm「相沢哲裁判長は判決理由で「男性を心配していたことを踏まえても、社会通念上の限度を逸脱している」と述べた。」判決文入手した知人より情報ありました。後藤徹氏の治療費が全額認められました。監禁致傷(食事制裁)があったことを認められたということです。有田芳生氏(現・民主党参議院議員)ツイッター有田芳生 ‏@aritayoshifu 59秒統一教会脱会を説得、親族らに480万円賠償命令 - http://ln.is/t.asahi.com/51yCk…傍聴した。事実認定に問題あり。被告側は当然控訴する。傍聴の統一教会信者たちが静かなのに、ジャーナリストだという米本和弘氏がひとり興奮して拍手、「よし!」と叫んでいたのが異様だった。

  • 22Sep
    • ”祝福家庭のバカ親、毒親、グ~ミン(お引っ越し記事)”

      今回の記事は、既にお引っ越し記事として本ブログにアップしてましたので、リブログという形をとります。最初アップ時のコメントミクラスさん「個の尊重」2014年1月26日わたしは統一教会も嫌いですが、統一教会潰しに躍起になっている反対派はもっと嫌いです。それは、そういう人たちの原動力が、「怒り」から来ているのは間違いないからです。でもわたしはいつも、奈々草さんの記事からは不快感を感じません。どころか、共感します。たぶん、奈々草さんの中にも怒りの感情はあるはずなのに、なぜなのだろうか?と、少し考えました。それは多分、奈々草さんの思考の根底に「個人を尊重する」思いがあるからだと思います。つまり、奈々草さんの意見には、押しつけがましいところがないんですね。だからこそ、自分の考えを押し付けようとする親たちを許せないのだろうと思いました。自分の信仰を子供に強要する親も、他人の信仰を攻撃してやめさせようとする反対派も、根底は同じです。要は自分の考えを絶対視して、それを無理に他人に押し付けようとしているのだから。これは非常に難しい命題で、わたしもいま取り組んでいる最中です。ただひとつ、確実に言えいることは、子供に信仰を強要した親は、いつかその結果が自分に跳ね返ってくるということですね・・・。祝福2世は、本当に気の毒だと思います。(*´Д`)=з奈々草(=ななくさ)「Re個の尊重」2014年1月26日>ミクラスさんコメント&お褒めのお言葉、ありがとうございます。>自分の信仰を子供に強要する親も、他人の信仰を攻撃してやめさせようとする反対派も、根底は同じです。要は自分の考えを絶対視して、それを無理に他人に押し付けようとしているのだから。全くその通りです。私の言いたかったことを的確に文章にしてくださり、ありがとうございます。拉致監禁に反対する統一教会員も、統一教会に反対する反対派も根は同じです。根は同じなのに、殊更、相手を責めまくる・・まず自分はどうなのか、考えて欲しいです。統一教会だけではないのですよね。自分の価値観や正しさに囚われていると、思わぬ落とし穴があります。個人で囚われているだけならよいのですが、それを人に押し付けたり、子供押し付けると悲劇が起こります。例え、それが正論でもです。正論が人を傷つけることもあります。と、エラそうなことを書きましたが、「自分はどうなんだ!」と・・・。気をつけます。小川寿夫さん「なんたってサラブレットなんですか・・・」2014年2月4日奈々草さん久しぶりにコメントいたします。祝福2世は、神の血統すなわち 文鮮明さんの血統ですから、血筋が違うのです。神の血筋 高血統 私は、母親の血筋 高血糖 生活習慣病からくる高血糖であります。血筋が違います。要は、生まれながらの サラブレッド なんですよ。原罪がないから、再堕落は許されないし、結婚相手はどこの馬の骨でもいいわけにはいきません。2世同士でないと統一教会の理論では結婚してはならないのです。特に、思春期ともなれば親に対して反抗的になる反抗期だし、常日頃親から統一教会行事を優先されてます。特に、つまらない礼拝参加等々。統一教会ばかりに長年いると原理バカになりがち、社会が分からなくなる自分では視野が広くなったつもりだけれど、視野狭窄 要は、独善的 になりがち。金集めに忙しいから子供にかまっている暇はありません。たいしてかまってくれないのに口だけは出す。うざい事このうえなし。中には、この道を行くか否か最終的に決めるのは2世自身なんだとさばけた1世もいますね。奈々草「Reなんたってサラブレットなんですか・・・」2014年2月4日>小川寿夫さんコメントありがとうございます。高血糖と高血統とかけたところは面白かったです。私は、食口時代は「血統転換」を真剣に信じてました。祝福相手に希望は持ってませんでしたけど、原罪のない祝福子女には大いなる希望を持ってました。冴えない私から、輝く神の子が生まれる・・・ああ、なんて素晴らしい!と妄想してました。2回目の拉致監禁される前、姉妹から、「祝福二世でも食口にならない人がいる。」と聞いた時、「どういうこと?」と思いました。二世が食口にならなければ、天国実現は無理なのでは?と思いました。2回目の拉致監禁で、「堕落論の間違い」がしっかり入り、脱会しました。堕落論が間違いなら、血統転換もただの妄想・・・原理も終わりと思ったのです。自分で気づけたらよかったのですがね。こんな私ですから、祝福受けて、二世を産んでいたら、キテレツ毒親になってたかもです。

  • 21Sep
    • 前ブログ記事コメント

      前ブログ記事のコメントです。ミクラスさん 「反カルトもカルト」 2014年1月10日統一教会を絶対悪視して、それを潰せば世界平和でもくるような勢いで、反UCに情熱を燃やす人々・・・気の毒だ。不幸だ。そういう人は、仮に統一教会が潰れたとしたら、また新たな標的を見つけてそれに怒りをぶつけ続けるだろう。自分が自分の怒りに駆り立てられているだけということに気づけない・・・。なんと生きるのが難しい世の中よ・・・。奈々草(=ななくさ)「Re反カルトもカルト」2014年1月10日>ミクラスさんコメントありがとうございます。反カルトもカルト、尤もです。拉致監禁されて脱会し、反カルトの正義感に燃えて反対活動に猛進する人がいます。なんのことない、鰯の頭が秋刀魚の頭に変わっただけです。・・・怒りに支配されてですか。私も、このブログ記事、怒りに支配されて書いたかもです。ミクラスさん 「ReRe反カルトもカルト」2014年1月10日>奈々草さん>怒りに支配されてですか。私も、このブログ記事、怒りに支配されて書いたかもです。わたしだって結局は、反カルトに反感をもつからこういうことを言うのです。だから、これは堂々巡りともいえます・・・。でも、そのことに気づく人と、気づかずに「おれが正しい!」ことに疑いすら抱かない人とは、また違うと思うのですが・・・自己弁護ですかね(笑)奈々草「ReReRe反カルトもカルト」2014年1月10日>ミクラスさん>でも、そのことに気づく人と、気づかずに「おれが正しい!」ことに疑いすら抱かない人とは、また違うと思うのですが・・・自己弁護ですかね(笑)そうです。気づく人と気づかない人では違います。ミクラスさんは、「反カルト」に反感を持たれているのですね。私は、「反カルト」活動している牧師や脱会説得者や弁護士やジャーナリスト、大学教授等は統一教会員の合わせ鏡と思ってます。それより怒りを感じ、悲しくなるのは、拉致監禁を決行する親御さん達。自分の娘息子をちゃんとみてないし、自分できちんと調べてない。全て人(専門家)任せ。統一教会と関係ない兄弟までまきこむことがどういうことになるのか全く考えていない。それで親の愛情というから、ちゃんちゃらおかしい。ミッターマイヤーさん「拉致監禁 ときによりけりです」2014年1月10日我が家では20年ほど前に、一度キリスト教会に相談に行ったことがありますが、結局のところ、リスク・お金・仕事への影響などから、拉致監禁というのは、非現実的だったため、考えはしたものの、実行しようと思ったことはありません。拉致監禁する親族を非難しようとは、思いません。ある意味私には愛情が、足りなかったため、すべてを犠牲にして、拉致監禁する勇気がなかったとも言えますからね。奈々草「Re拉致監禁 ときによりけりです」2014年1月10日>ミッターマイヤーさんコメントありがとうございます。ミッターマイヤーさんが「拉致監禁は非現実的」と思ったのは、その通りです。する方もされる方も非現実の極みですから。私も脱会後、数回父母の会に行きました。親御さん達は皆必死なんです。その必死さは愛情といえば、そうかもしれませんが。でも、違います。親なら、拉致監禁した後どうなるか、本人だけでなく、巻き込んだ兄弟はどうなのか考えるべきなのです。今はネットでいくらでも情報を得られますし。拉致監禁の弊害が大きいことはわかるはずです。それすら調べず、考えず、決行する親御さん達は単なる自己陶酔としか思えません。スタープラチナさん「ReRe拉致監禁 ときによりけりです」2014年1月19日年齢だからと言って、共有出来ない統一の価値観を持ち込まれたとき。その家庭としての調和はないと思われます。そこで子供など作られては悲劇。親は先に死ぬのでしょうが、熱病にかかったまま子供を作って既成事実、統一の子供を認めよと言うやり方をする統一の考え方もたくさん見ているので、今回の記事には一意見持っているものです。総じて思うのは。親に心配をかけ、拉致監禁させる統一教会側のやり方を非難するべきだと思っております。親には子供を拉致監禁してでも子供を正しい道へ誘導するだけの責任も伴うと思いますが如何でしょうか?奈々草「ReReRe拉致監禁 ときによりけりです」2014年1月19日>スタープラチナさんコメントありがとうございます。親御さんに、拉致監禁までさせる統一教会が問題というのは、ご尤もです。現役の統一教会員でさえ、同様のことを言っている人もいます。「親は拉致監禁してでも、子供を正しい道に誘導する責任がある」ということですが、私もかつては統一教会脱会のための拉致監禁は必要悪と思ってました。でも、拉致監禁によって脱会したものの、PTSDになり、数十年も苦しんだ人がいること等多くの弊害があることを知り、拉致監禁はやってはいけないこと、と思ってます。正しい道に誘導する責任で行ったなら、拉致監禁によって起こったことも責任を取るべきです。裁判でも堂々と真実を語るべきだと思ってます。スタープラチナさん「そりゃ親だからね、心配するし責任も取ろう…」2014年1月19日>奈々草さん貴重なご意見ありがとうございます。後に拉致監禁される僕の義姉になるはずだった方の親御さんと、教会の許可を得ずに直接話しに行ったことがあります。その後拉致監禁に彼女はなるのです。なので、拉致をする側の理解も出来る立場です。娘と連絡が付かない、統一教会の隠蔽体質に、どこに相談したらよいのか非常にお困りの末に起こした行動だと理解しています。当時は信じていましたし祝福前でしたので、僕も受けさせたいと思っていました。ですがそのような選択肢をとらせてしまったことに親御さんへあまり協力しなかったのがいけないのかとも自分を責めたりもしました。アベルへ報告するなどの、日常の連続性を絶つ保護説得は許容される範囲と思っておりますが、鎖などで繋ぐ拉致監禁は無い方が良いことは犬猫じゃないんだから。人間にするべきではないこと、人間の私たちが理解出来ない事ではありません。ただ拉致監禁をさせてしまう統一教会側の体質そのものを野放しにしていても、この問題の解決はありません。そう言う意味に於いてご両親側のみを責める論調は統一側の犬でしかないと僕は思っています。拉致監禁が起きたというならば、教会側が相変わらずそう言う隠蔽体質が直っていないと見るべきではないでしょうか?統一の社会悪の体質は明らかなものなので、結果としてしなくてもいい拉致監禁をさせる統一側の、入教共同生活を禁止するとか。児童相談所のカルト対策版などの機関と裁判所などの連携等を設けてですね。。。。・・・。まあ、そこまでやるのなら宗教法人格剥奪してしまったほうが良いと思うのですが。統一教を野放しにしている事の方を問題視するべきだと思いますよ?そのひとつの浮かび上がった事件の背後には、もっと大きな詐欺や搾取、だましが横行しているんですから。スタープラチナさん「ReReReRe拉致監禁 ときによりけりです」2014年1月19日>奈々草さん …、ただ。裁判は統一教会側を相手取ってなら良いですが、それ以外の裁判は無い方が良いですね。奈々草「Reそりゃ親だからね、心配するし責任も取ろう…」2014年1月20日>スタープラチナさん再びのコメントありがとうございます。今回の私の記事は、親側を一方的に非難しているように感じたと思いますが、決して親側のみ非難しているわけではありません。私も反統一で、統一教会は潰れて欲しいと心から願っていますので。統一教会が隠ぺいするから、信者を隠すから拉致監禁が起こるというのは一理ありますが、そうでない例も多くあります。私は2度の拉致監禁経験者ですが、1度目は実家で生活しながら拉致監禁されました。実家から、職場、教会(青年部)に通っていたのです。当時、実家から教会に行っていて拉致された例は聞いたことなかったので、拉致された時びっくりしました。実家にいながら拉致されるのは、私だけではありません。何人かからそういう話しは聞いています。また、実家にいなくても、定期的に実家に帰っている人も拉致監禁されています。裁判についてですが、統一教会を相手取る裁判以外はない方がよいというのはどうなのでしょう?反対派にとって、都合の悪いことは表に出すな、ということですか?スタープラチナさん「ReReReそりゃ親だからね、心配するし責任も取ろう…」2014年1月20日>奈々草さんBlog主さんが私以上の比重で拉致監禁をする側、両親や協力者たちに対する気持ちがあることについては、尊重するつもりです。それは受けた側体験した側の気持ち以上の確実なものは無いからです。今回のご質問はこの2点に集約されると思います。>①実家にいながら拉致されるのは、私だけではありません。何人かからそういう話しは聞いています。また、実家にいなくても、定期的に実家に帰っている人も拉致監禁されています。続く>奈々草さん②裁判についてですが、統一教会を相手取る裁判以外はない方がよいというのはどうなのでしょう?反対派にとって、都合の悪いことは表に出すな、ということですか?<①については、それも含めたオープンな教えであったり、後ろめたさのない統一の運営であれば良いので、それも統一側が悪いと思います。所謂文の監督者責任もあるのではないでしょうか。②についてはそう言う観点で申し上げたのではありません。僕は統一の著作権についても、裁判をするなど馬鹿馬鹿しいと言う考えを持っています。 神を語るものがこの世の法を遵守するのはもちろんですが。著作権を設けることで、ある一部の人間が神の名を持って私腹を肥やすことが見えているからです。また、身内を訴えることほど悲しいことは無い。親子の間で解決できることは裁判などにかけることは本来愚かな事だと思います。もし拉致した際、心的な問題で協力者を訴えるや金を返せと言うのでしたら、親子で解決できない場合に限り統一に請求されてはいかがでしょうか?協力者に協力し暴走を制止出来なかったのは親なのですから。当然責めも追うことになるでしょう。言ったらお怒りになるかと思うが、親を売ってまで裁判をしようとするのなら、拉致された側はどこまでも甘ったれで傲慢なのだと思う。反対派に不利なことを隠せと言っているのではないです。基本親子で解決できることまで裁判にする傾向は如何かと思っているのでね。スタープラチナさん「無題」2014年1月20日>奈々草さん ただし物事の原因は統一さえなければこのようなことは起きないばかりか、いまも拉致は続いているのでしょう?自浄作用が働かない組織を残しておけばまだまだ起きますよ?どんな形であれ、今も尚教えそのものが腐っているので今後も拉致監禁してでも考え直させたいと言う親は、これはハインリッヒの法則を当てはめれば、拉致を実行する背後には300倍もの悲しむ親が居ると言う、あくまで参考数字があります。僕はそれ以上に悲しんでいる親が居るとは思いますけれどね。そう言う意味で>裁判について、統一教会を相手取る裁判以外はない方がよいというのです。 別に親身内を売る裁判をしたら良いじゃないですか?ただし、統一が第一原因である事は忘れてはならないですし、ここが解決されなければ、また起きるでしょう。拉致監禁をする原因なのは協力者、牧師弁護士ではない。統一教会そのものなのです。その裁判の経緯を見て、統一は統一への金を返せ等の裁判追及の手が緩む事を期待して、ほくそえんでいます。総じて。まず第一のガンは統一であって、あなた方を拉致してまで正しい価値観に気が付かせようとした家族や協力者ではないと言う事です。統一の教えそのものが社会悪でオープンではない事が問題。だいたいこの件では話し尽くされたかと思うけれど如何でしょう?奈々草「Re無題」2014年1月20日>スタープラチナさん丁寧な返答ありがとうございます。・親御さんは苦しんでいる。・拉致監禁の原因は統一教会にある。・統一教会は、問題ある団体。というのはわかります。それでも拉致監禁はしてはいけないです。スタープラチナ「ReRe無題」2014年1月20日>奈々草さん>それでも拉致監禁はしてはいけないです。そのとおりですね。でも、拉致させるほど親を悲しませた本人が、そこまで追い込んだ親を愚民と言う事こそが、非常に悲しく愚かな事です。一言さん「無題」2014年1月28日監禁説得は違法です。ポイントは、本人の同意です。警察の目の前で「自分の意思に反して身柄を不当に拘束された。弁護士を呼べ」と言われたらおしまいなのです。ほとんどの場合、場所を特定できないから無理だけどね。犯罪抑止のためという理屈も言うけど、個人がやっていいわけないでしょ。成人なら、親権保護を主張するのに、精神鑑定ぐらいはしないとね。違法です奈々草「ReRe無題」2014年1月28日>一言さんコメントありがとうございます。本日、後藤徹さんの民事裁判で勝訴しました。http://www.ustream.tv/channel/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E5%BE%B9%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4-%E5%88%A4%E6%B1%BA%E8%A8%80%E6%B8%A1%E3%81%97-14%E5%B9%B41%E6%9C%8828%E6%97%A5-%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E8%A3%81?utm_campaign=kidnapping.jp&utm_source=ustre-am&utm_medium=social#これを機に拉致監禁がなくなることを願います。

  • 20Sep
    • 拉致監禁する毒親!バカ親!グ~ミンたちの画像

      拉致監禁する毒親!バカ親!グ~ミンたち

      2014年1月10日の記事です。毎度、同じような記事を発信しているので「またか・・・」と言う声が聞こえてきそうです。「またか・・・」と言われるなら、まだいいです。おそらく・・・「拉致監禁」関連記事は、素通りされているのではと思います。という感じで・・・現在は反応はありません。しかし、アップした当時は反応がありました。本記事に対して、拉致監禁に関して、同じ人からコメントが何通かきました。次回記事は、そのコメントを紹介したいと思います。その前に、本記事をお読みください。内海医師の発案&口癖「グ~ミン」をぱくってしまいました。内海医師、勝手にパクってすみません。私、この言葉大好きなもので。(私もグ~ミンです。)グ~ミンは、愚民をム~ミンと文字った言葉です。イメージはこんな感じ米本氏のブログ「火の粉を払え」によりますと、この年末年始に2件の拉致監禁事件が発生しました。(1月6日記)http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-448.html#more一部引用させていただきますと(引用は赤字)一人目は、東京・杉並教会所属のSさん(35歳・女性)で、昨年12月28日に新潟県見附市の実家を訪れ連絡が途絶えていました。Sさんは、新潟県長岡市在住の婚約者と共に昨年の合同祝福結婚式に参加していました。Sさんが音信不通になって3日後の同月31日、安否を心配した婚約者がSさんの実家を訪れましたが、既に無人状態でした。二人目は、東京・八王子教会所属のIさん(26歳・男性)で、実家のある千葉県香取市に帰省した後、今月2日に入って連絡が途絶えました。Iさんが統一教会の信仰を持っていることに対して、Iさんの家族が強く反対していたことがわかっています。 この期に及んで、全くバカなことをしたと思います。放っといても、統一教会は間もなく自滅するからです。反対牧師か脱会説得者か、反対父母の会か家族の会か相談会か・・ともかく親御さんの相談に乗った人々が、バカげたマインドコントロール論を元に、拉致監禁して専門家の説得を受けないと脱会しないこと、脱会しないと不幸になることを強調したのだろう。そして、統一教会を脱会させるためにはどんな犠牲も苦労も厭わないことが必要、それこそ親の愛情と教え込まされ、決行したのだろう。全くどっちがマインドコントロールだ!と思うのですが・・・まぁ、決行した親御さんたち、今まで大変だったでしょう。そしてこれからはもっと大変でしょう。ごくろう様であります。参照:拉致監禁する方も大変・・それでも決行する理由は?拉致監禁する方も大変<追記>拉致監禁してまで、統一教会を脱会させたいのは、子供の幸せを願ってのことでしょう。でも、果たしてそうなのか・・・ここで考えてみましょう。(一人目の拉致監禁被害者Sさんを仮に佐藤さんとします。)佐藤さんは35歳。統一教会入信して何年目かわからないが、30代半ばにして、ようやっと祝福を受け、将来の伴侶を得ることができました。年齢から考えて、近々家庭をもつ予定だったのでしょう。婚約者が長岡市在住とのことですから、おそらく佐藤さんの郷里でもある新潟で新居を構えるつもりでいたと思います。佐藤さんの頭の中には、婚約者の近藤君(勝手に仮名)と家庭を築き、子供をもってお母さんになることをイメージしていたと思います。ああ~、やっとこれで私も家庭をもてる・・・母になれる・・・そんな気持ちに浸っていたでしょう。それを壊されるかもしれない、と今、佐藤さんは不安な気持ちで一杯だと思います。親ならわかるはずです。子をもつ喜び・・親になる喜び・・生まれたわが子を抱く喜び、わが子が成長する喜び。それはどんな喜びにも勝り、かけがえのないものということを。佐藤さんは、子を宿すにはギリギリの年齢です。酷なことを言いますと、このまま順調に家庭をもったとしても、子を授かるのは難しいかもしれません。でも、今ならまだ何とかなるかもしれません。その今なら何とかなるかもしれないことが、1年たつと何ともならないかもしれないのです。それだけ女性の年齢は、妊娠にとってシビアなものです。(経験したからよくわかります。)卵子の老化ということがわからなくても、女性は年齢を重ねると妊娠が難しいということは、佐藤さんの親御さんもわかるでしょう。出産を考えるなら、ギリギリの年齢ということもわかるでしょう。わかっていながら、何故、佐藤さんが親になる道を潰そうとしたのでしょうか?統一教会の祝福による結婚はしてほしくない、祝福二世の孫ならいらないと思ったのでしょう。(統一教会の祝福家庭は献金に追われて不幸になる、祝福二世は信仰を強制されて苦しんでいるetcと言われたのでしょう。)親御さんの願い通り、佐藤さんがめでたく脱会したとします。その後どうでしょうか?佐藤さんは、おそらく勤労青年(一般社会で仕事をしながら統一教会の信仰をもっている)でしょう。しかし、拉致監禁によって職を失います。婚約者の近藤君(勝手に仮名)が「佐藤さんが脱会しても家庭を持ちたい。」と言ったとしても、佐藤さんの親御さんが統一教会員の近藤君との結婚を許すでしょうか?拉致監禁までして脱会させる親御さんがそんなことを許すはずがありません。・・・ならば、近藤君と結婚するためにどうするか?近藤君も脱会させるしかありません。・・・できないことはありません。私が知ってる人でそういうカップルがいます。しかし、可能性は果てしなくゼロに近いです。そうなると、結婚もパーになります。35歳で職を失い、家庭を持つという夢も絶たれてしまいます。勿論、その後、新たな職につくことも、新たな出会いにより結婚もできる可能性もあります。そうなることを願います。しかし・・・子供をもつことは・・・・・・・・・どうでしょう?ほぼ難しいと思います。子をもつことを望みながら、もつことがかなわないことがどんなに辛いことか・・・・。子供のいる人にはわからないと思いますが。佐藤さんの親御さんは、佐藤さんが結婚するより、子供をもつより、統一教会を脱会して欲しいと思っているのでしょう。はっきり言いましょう。それは親のエゴです。ついでに言うと、今、拉致監禁することによって生じている犠牲も苦労も単なる自己満足に過ぎません。統一教会があまりに酷いから、拉致監禁する親御さんを擁護する気持ちも今まではあったが、単なるバカ親としか思えなくなりました。何故、バカかって・・・?ネットを見ればわかるはずです。自主脱会している統一教会員が多いってことも・・・生まれた時から統一教会の教育を受けている二世が、統一教会の信仰をもっている人が少ないってことも・・・統一教会員の中にも、統一教会組織に批判的なことを言っている人が多いってことも・・・統一教会員=マインドコントロールされているというのは、嘘です。確かに、元信者も親御さんも「マインドコントロール論」を信じる方が楽でしょう。統一教会で行った反社会的行為はマインドコントロールされていたから・・・息子や娘が統一教会に入ったのは、マインドコントロールのせい・・・と言い訳できますからね。拉致監禁は、後の精神に悪影響を及ぼし、将来をつぶすことになりかねないことです。信者本人のみではありません。一緒に拉致監禁に関わった兄弟(姉妹)も深く傷つき、将来が潰れます。兄弟(姉妹)の拉致監禁に関わったために、離婚した人も数多くいます。退職したり、キャリアを積むことができなかったり人も多くいます。結婚、出産のチャンスが奪われた人もいます。親なら、兄弟(姉妹)の幸せも考え、拉致監禁に関わらせないようにするのが本当だと思うのです。しかし、これまた反対派が兄弟(姉妹)が犠牲になっていることで、本人(信者)が考えるきっかけになると思い、関わることを勧めてきます。(実際、私の説得者も「仕事を休んでいる弟のことを考えろ!」と何度も言いました。)それでも、親なら、反対派の言葉より、子供の幸せを優先に考えるものではないでしょうか?反対派の言いなりになって、兄弟(姉妹)に拉致監禁に関わらせる親は毒親です。親の愛は自己愛の延長なのですね。子育てしても、人として成長しないのですね。逆に、子育てがエゴを肥大させるってことですよね。

    • higami-”離教して成功した金持ち日本統一教会員”

      優秀な人は、どこいってももてはやされるし、成功できるのね。ある程度の地位につけるのね。教会でいい思いした人は、離教してもいい思いするのね。狡い私なんて、何やっても平均以下で、どこ行っても下にみられる。役職なんて就いたことない。リーダーなんてやったことない。後から入った人にいつでもいつでも見事に追い抜かれる。信者以前も、信者時代も、信者後も・・・・やること成すことうまくいかない思い通りにいかない私が望んでいることは、いつも他の人の手に渡っている・・・人に何かしようとすると断られ、何もしなくてよいと言われる。かと言って、私がしてもらうことを断ると、「人の好意を無にするな」という態度で無理やり押し付ける。私にも無理やり押し付ける力があれば、少しは優越感に浸れるのだろうか?押し付けられてもありがた迷惑でも、感謝しなければ人としてどーなのよ!と言われる。(言わなくても、そういう圧力がある。)だから感謝する。でも、それがストレスだったりする。そんなストレス感じる自分が嫌になる。自分の中で負債が溜まるのみ。さえない自分に、何やってもダメな自分にいい加減嫌気がさしている。何で、自分はこんなに役立たずなんだと自己嫌悪に陥っている。

  • 16Sep
  • 14Sep
    • 台風15号救援物資情報等&みんなさんのコメントで感じたことー冷蔵庫発言から

      初めに、台風15号の影響でライフライン復旧せず、不自由な生活を送られている方々にお見舞い申し上げます。ネットで発信されている情報が被災者に届くことを願います。<情報例>台風15号の千葉県における災害情報まとめ(wi-fi・充電・浴場情報など)https://note.mu/madonasi/n/ne975abfe0543 救援物資マッチングhttp://chiba.kyu-en.com/以下、通常ブログです。2013年6月26日記事です。コメント紹介したみんなさんは、当時現役信者でした。拉致監禁問題に関心を持ち、後藤さん裁判ブログにはコメントの常連さんでした。米本さんブログにもよくコメントしていました。私のブログにも時々コメントくださいました。後藤さん裁判が決着がつき、表立って統一教会の拉致監禁がなくなってから・・・めっきり統一関係のブログでのコメントは見なくなりました。・・・後藤さん裁判決着前から統一教会に見切りをつけた様子でしたので、きっととっくに教会から離れて、教会関係のネットも見ずに自分の生活を送っているのでしょう。では、当時の記事をお読みください。前ブログのみんなさんのコメント「冷蔵庫発言」のコメント(みんなさんコメント一部引用:ピンク文字)妹は、徹さんと12年間も同じマンションで暮らしながら、一度も徹さんが冷蔵庫を開け閉めする姿を見たことがないのか!?!?!?マンションの間取り図によると、冷蔵庫は徹さんが常駐した(被告は「居座った」と言っている)部屋にはなく、家族のいる隣の部屋にあった。徹さんが冷蔵庫を開ける姿を一度も見ていない、とは、一体、どういうことだ。冷蔵庫等に関する後藤徹氏、妹さんの発言を陳述書から拾ってみました。(後藤さん裁判ブログより一部引用:青文字)この70日間は,家族と食卓を共にしながらも,私の食事だけは毎食,重湯の小鉢だけがぽつんと目の前に出されるだけでした。その小鉢を手に取り,一気に飲むと数秒で終わってしまうので,家族が食事する様子を眺めながら,少しずつそれをすすると,それでも3分ほどであっけなく食事は終わってしまいました。この間,「このままでは死ぬかもしれない,もう危ない」と危機感を抱いた私は,家族の目を盗んで,半ば衝動的に台所の冷蔵庫の扉を見つからぬようにそっと開け,そこからマヨネーズや調味料を抜き取りむさぼるようになめていました。ところが,ある日,同じように冷蔵庫を開けて見ると,なんと,調味料があとかたもなくすべてどこかに隠されてしまっていました。私は,餓死の恐怖に駆られ,その後,捨てた生ゴミの中から,ニンジンの皮やリンゴの皮をそっと抜いて,隠れて食べました。リンゴの皮に少し残った実の部分をかじり,そのリンゴの甘さが口の中に広がると,あまりの嬉しさに涙が流れてきました。しかし,それもいつ見つかったのか分りませんが,生ゴミまでも隠されてしまいました。この間,私は空腹の余り意識は時に朦朧となり,どこからともなくきれいな音楽らしきものが聞こえてきて,それが,幻聴であることがしばらくして分かりました。私は,「あの世からの迎えが来ているのかもしれない。このままではもう本当に危ない」と思い,今度は炊飯前の水に浸した生米に目を付けました。そして,見つかるのではないかとひやひやしながら,生米だけを少し抜き取って,それを隠れてかじりました。(3回目の断食後)http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-28.html  後藤徹氏陳述書より引用10時頃、徹か夜食を食べたいと言うので、母がうどんなど作り、それを食べていました。徹がカップラーメンを食べたいと言うので、買って台所に置いておくと、自分でお湯を注いで食べることもありました。統一協会にいた時飲んでいたという、粉末の紅茶やレモネードを飲みたいと言ったり、歴史の参考書や専門学校案内も見たいと言ったりするので、私か買ってきました。(新潟での偽装脱会中)イ 1998年の秋頃、徹か子供の頃好きだった熱帯魚を奥の部屋で飼っていましたが、1年くらいで死んでしまったのでやめました。その代わりに、観葉植物を置いていました。朝食後には、家族皆で健康維持のために、ビタミンやカルシウムなどのサプリメントを飲み始めました。この頃から、台所の冷蔵庫の横にあった棚にお菓子やインスタントコーヒーを置いていました。皆自由にとって食べ、徹はコーヒーを1日4~5杯砂糖やミルクをたくさん入れて飲んでいました。(荻窪フラワーホーム 断食前)この頃、私か手作りしたパンを焼いて冷蔵庫に入れておくと、徹が知らないうちに出して食べていました。(荻窪フラワーホーム 断食前 2001年頃)徹は、炊飯器から米を抜き取って食べたとありますが、そのようなことは知りませんでしたし、徹のいた部屋のすぐ横には冷蔵庫が置いてあったので、何か食べようと思えば食べられました(荻窪フラワーホーム 3回目の断食後)http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/blog-entry-79.html  後藤徹氏妹の陳述書より引用断食するまでは、徹氏は置いてある食べ物、飲み物を自由に食していたようです。食べたいもの、飲みたいものを家族に依頼して買ってきてもらってたようです。(何故、徹氏は自分で買いにいかなかったのでしょうね?家族は自分で行け!と言わなかったのでしょうね?)3回目の断食後、「このままでは死ぬかもしれない」と命の危機を感じ、家族の目を盗んで冷蔵庫を開けています。(この時、家族の目を盗んで冷蔵庫を開けなければいけないような程、緊迫した関係だったということになる。)そして、マヨネーズや調味料をなめています。その後、冷蔵庫の中を空にしたため、後藤氏は生ごみを食することになります。妹さんは、裁判で「毎日食事を作っていたから、食材は冷蔵庫に入っていた。」と至極全うな証言をしています。しかし、徹氏の陳述書によると、実際は、冷蔵庫は空だったのです。お腹がすいてたまらない状態で冷蔵庫を開けて、調味料をなめるでしょうか?普通は、食材を食べるはずです。つまりはこの時、既に冷蔵庫の中は調味料だけということになります。ただ、粗末な食事を出すだけでなく、冷蔵庫の中も空にする・・ということがどういうことなのでしょうか?毎日食事を作りながら、それで冷蔵庫を空にするのはけっこう大変です。それをやり遂げたのですから、相当な執念と憎悪を感じます。しかも、調味料をなめたことがわかるとそれすら片づけ、生ごみを食していたこともわかると、それも綺麗に毎日片づけ・・・みんなさんのコメントを読んで、ゾ~っとしました。