家に帰って、テレビをつけたら、下矢印のニュースで驚いてしまいました。

https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/05/asahara-aum_a_23475792/

「麻原彰晃死刑囚ら7人に死刑執行。オウム真理教事件(UPDATE)」

 

 

地下鉄サリン事件は1995年3月20日・・・

麻原死刑囚逮捕も同じ1995年・・・

あれから早23年・・・

 

 

地下鉄サリン事件の時も、麻原死刑囚逮捕の時も、私は1回目の拉致監禁から統一教会に逃げ、家出状態で青年部で活動していました。

 

現役の当時は、オウム信者と統一信者である自分の類似点を考えようともしなかったです。

間違った教え(宗教)を信じ、間違った指導者に従ってしまったオウム信者でなく・・・統一教会とメシヤである文ちゃんに出会えてよかった・・・と世間から見たら目くそ鼻くそなのに、上目思考でした。

(オウム信者は、オウム信者で「統一教会だけは入りたくない」と言っていたようです。

麻原死刑囚は、統一教会信者を「家畜」と言っていたようです。)

 

自分もサリンを撒いたオウム信者と変わらなかった・・・と思い知ったのは、原理は間違いで文ちゃんはメシヤではなく、統一教会はただのはた迷惑な反社会的団体でしかなかったということが分かった時でした。

ショックというか、怖かったです。

人は、正義という大義名分のためなら、無関係の多くの人の命も犠牲にしてしまうということが・・・そして、自分もそれをしてしまうということが・・・・

 

案外、悪意より善意の方が怖かったりします。

 

オウム事件は特殊で、多くの人が自分とは関係ないと思うでしょう。

だけど、案外・・・身近で知らぬ間に善意に訴えられて、知らぬ間に(命まで奪わなくても)人を追い込むことをしているものです。

 

正しいと言われていることが・・・

正しいと思っていることが・・・

本当に正しいかどうか・・・

一度、立ち止まって考える必要があるなぁと思います。

そして、正しさを強要してはいけないとあらためて思います。

(人間できてないから、そうは言っても・・・ついつい正しさに意固地になってしまいますが・・・)

 

こういうことがあると、下矢印歌を聴きたくなります。

https://www.youtube.com/watch?v=EK3cYfrFPqs

中島みゆき『Nobody is Right』/ by soko

 

争う人は正しさを説く ただしさゆえの争いを説く

その正しさは気分がいいか

正しさの勝利が気分いいのじゃないのか

 

Nobody is right Nobody is raight nobody is right 正しさは

Nobody is raight Nobody is raight Nobody is raight 

道具じゃない

http://j-lyric.net/artist/a000701/l00b725.html

より一部引用