米本さんの著書「洗脳の楽園」は、米本さんというルポライターの存在すら知らなかった統一教会を脱会したばかりの頃・・・
偶然本屋で文庫版の背表紙を見かけました。
一歩間違えたら、官能小説コーナーに置かれてしまいそうなタイトルですが・・・(米本さん、ごめんなさい。)
統一教会を脱会したばかりで統一教会思考が残っていた私は、当然官能小説ではないか?ウハウハなんてことはなく、宗教団体の洗脳生活でも書かれているのだろうな~(これはこれでヤラシサを感じるが)と思い、本の表紙を見て、あ~、あの子どもへの暴力が問題になったヤマギシのことか!と思い、購入しました。
購入し、食い入るように読んでしまいました。
特に、ヤマギシの修練会の特講のところは何度も何度も読み、頭の中で「○○は何故嫌いか?」を能面の顔で何時間も質問し続ける特講隊長(勝手に命名)の様子を思い浮かべ、こりゃ特講生(修練生)が最後には「トマトはトマトです。」と目をうるうるさせていっちゃうのもわかるな~と思ったものです。
(読んでない人は、意味わかりませんよね。)
こちらはコジコジの名言「コジコジはコジコジだよ。」
特講で誰が見ても劇的に変わる人と、皆が変わっていく中でおいてきぼりをくらい周囲から浮いてしまう人と、埋もれてしまう人が出てくることは統一教会の修練会(4daysが特に違いが顕著に表れます)と同じです。
取材目的で潜入した米本さんは当然劇的に変わった人に関心がいってましたが・・・ここで特講スタッフ(統一教会でいえば修練会スタッフ)から「米本さんから見て、変わった人、変わらない人いるでしょう。でも、変わった人が案外変わってなくて、変わらない人が変わっているものよ。」と言われました。
米本さんは自分の視点をずらすためのごまかしの言葉だろうと、棚上げしました。
そこを読み、私は心の中で「甘い、甘い」と呟きました。
実際、米本さんも後でスタッフの言った言葉の怖さを知ったのです。
「トマトはトマト」と言った女性が最初の村人1号(統一教会で言えば献身)になるかと米本さんはじめ特講生の殆どが思ったのですが、意外にも「トマトはトマト」女性はヤマギシから遠のき、皆から浮いてしまっていた爺様が村人1号になったのです。
他に村人にはならなかったが、村人希望した人は変わったように見えない埋もれた人でした。
前にも記事に書きましたが、統一教会も同じです。
4daysで「献身します!」と宣言したり、誰がみても復活しすぎだろ~という人は何故か何故か何故か残りません。
これは、修練会のようなことを行うカルト(じゃなくても一般社会と違う特殊団体)の特徴でしょうか?
例えばマルチなどはどうなのでしょう?修練会のようなものはやってないと思いますが(やってるマルチ団体もあるかもしれませんが)、初期の集会で燃え上がった人のその後はどうなのでしょう?
誰か知っている人がいたら教えて欲しいです。
(知ってどうするの?というつっこみの声が聞こえてきそうですが。)
米本さんがヤマギシの問題点を「洗脳の楽園」という本にしたお蔭か、時代の流れか、その後ヤマギシの勢いはなくなりました。
ヤマギシの子どもへの接し方も改善されました。
「さよならカルト村」に一般人(ヤマギシ外の人)が出した本がきっかけと書かれています。
「洗脳の楽園」という本の題名は出てませんので、違うかもしれませんが。