さて、冒頭に拝読した『原殿はらどのへん』についてそのぎょを拝します。
 原殿はらどのというのは、先ほども申しましたがのぶとう波木井はきり実長さねながの息子で、父親は不純な信心しんじんおちいっても日興にっこう上人しょうにんに「絶対ぜったいにつき切ります」ということちかっていた清純な人であります。
 この原殿はらどのに対し、のぶ離山に対しての御心情をお示しくださったのがこの『原殿はらどのへん』であります。
 あらためて拝読はいどくいたします。

 「延沢のぶのさわまかそうろうこと面目めんもくなさ、本意ほいなさ、もうつくがたそうらへども、かえあんそうらへば、いずくにても聖人しょうにんおんあいまいらせてそうらわんことこそせんにてそうらへ。
 さりともとおもたてまつるに、御弟子みでしことごと敵対てきたいせられそうらいぬ。
 日興にっこう一人いちにんほんしょうぞんじて本懐ほんがいたてまつそうろうべきじんあいたっておぼそうらへば、本意ほいわするることなくそうろう

おおせであります。
 まず、のぶの山を退出たいしゅつされることについて面目めんもくなさ、本意ほいなさ、到底ことには尽くし難い」おおせです。
 それは、たとえとう波木井はきり実長さねながが許されざるだいほうぼうを犯したとしても、日興にっこう上人しょうにんに付き切る清純せいじゅん信心しんじんつらぬいているとうの息子達を残してのぶを去ることの辛さ、また、だいしょうにんさまから付嘱を受けたのぶさんおんを離れることの切々たるおもいを面目めんもくなさ、本意ほいなさ、もうつくがたそうらへども」おおくだされた。
 しかし、これは状の面からのおおせであります。
 次いでおおせられる。

 「かえあんそうらへば、いずくにても聖人しょうにんおんあいまいらせてそうらわんことこそせんにてそうらへ」

 「しかし、よくよく拝すれば、いずこの地であろうとも、だいしょうにんおんを相次いで継ぎまいらせて、それを正しく世に立てる事こそもっとも大切なことなのである」

 「さりともとおもたてまつるに、御弟子みでしことごと敵対てきたいせられそうらいぬ。」

 「そうであるべきとはおもって門下を見るに、御弟子みでしはことごとくだいしょうにんに背く敵対てきたいおちいってしまった」

 そうでしょう、老僧ろうそうはことごとく「てんだい沙門しゃもん」と名乗ってしまった。釈迦仏を本尊ほんぞんとしてしまった。神社じんじゃ参詣さんけいをもするようになってしまった。
 まさしく、敵対てきたいそのものになってしまったんです。
 そして、最後におおせられる。

 「日興にっこう一人いちにんほんしょうぞんじて本懐ほんがいたてまつそうろうべきじんあいたっておぼそうらへば、本意ほいわするることなくそうろう

 すなわち日興にっこう上人しょうにんただ御一人が本仏ほんぶつ日蓮にちれんだいしょうにんしょうを知り、国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅう遺命ゆいめいを成就させるべき立場にいる者であれば、その本意を忘れたことはない」とこうおおせになっておられる。
 ここに、血脈けちみゃく相承そうじょうを受け、国立こくりつ戒壇かいだん建立こんりゅう遺命ゆいめいを受け給うたただ一人いちにんとしての鉄石てっせきけつをここに示し給うておられるのであります。
 こののぶ離山の大精神だいせいしんは、こう前夜の今こそ顕正会は深く拝したてまつらなければなりません。


令和4年 2月7日 日興上人御報恩勤行会 浅井先生指導