さて、日興にっこう上人しょうにんが初めてだいしょうにんさまに遭いたてまつったのは、いわもとじっそうで学問の修行をしておられた時ですね。
 このいわもとじっそうというのは大寺院であって、てんだいしゅうの寺でありまするが、インドから渡ってきた釈尊が説いた一切経いっさいきょう一切いっさい経典きょうてん)が集まっているということにおいて日本にっぽん有数ゆうすうの大寺院であった。
 このいわもとじっそうだいしょうにんさまが訪れ給うたのです。
 何のためか。それは『立正りっしょう安国論あんこくろん』をあらわし給う準備として『立正りっしょう安国論あんこくろん』に経文きょうもんの証拠をお引きになるためにその経文きょうもんの証拠をあらためて閲読えつどくあそばすために経蔵きょうぞうにおこもりになられた。
 この時にきゅう申し上げたのが13歳の日興にっこう上人しょうにんであられた。
 きゅうかたわら、日興にっこう上人しょうにんだいしょうにんさまそんよう謦咳けいがいに接するうちにたちまちに遠元初おんがんじょ以来の宿縁しゅくえん薫発くんぱつして「お師匠様として仕えたてまつるお方はこのお方以外にあられない」という固きおもいが13歳の日興にっこう上人しょうにん御胸おんむねいたんですね。
 ただちに、自ら願い出てだいしょうにんさまとなられた。
 以来、すんそばを離れることなくつかたてまつって、日蓮にちれんだいしょうにんさまの一大三十年のどうを助けまいらせたのであります。
 まさに、だいしょうにんさま日興にっこう上人しょうにんとは遠元初おんがんじょ以来の師弟であられる。
 このていいったいきょうがいゆいぶつぶつただほとけほとけと)」「ゆいただわれわれと)」と申し上げるのであります。


令和4年 2月7日 日興上人御報恩勤行会 浅井先生指導