母親の入院・続報2(お見舞い) | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、一昨日おととい すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログに記させて頂きましたように 母親が 入院しました。そして、昨日 すなわち 2月17日(土)の「母親の入院・続報(お見舞い)」のブログに記させて頂きましたように、昨日、ほとんどの備品を持って お見舞いに行きました。その際、看護師から おしりふき を 2パック 持って来るように 言われました。それで、本日も ギリギリの調整をして、この備品を持って お見舞いに行きました。 ちな みに、下の画像のように トイレに そのまま流せる、1パック 70枚入りの おしりふき(勿論もちろん、日本製) を選びました。なお、前述の 昨日 すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログの下段に、

「(前略)本日も、入院先である この同・公立Hp. までは、約40分 けて 自転車で け付けました。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日も、入院先である この同・公立Hp. までは、約40分 けて 自転車で け付けました。

 

 

面会者受付用紙(本日の日時 すなわち 2月18日【日】・13時であり、救急入院棟と書かれてあります)

 

 

トイレに そのまま流せる おしりふき

 

 

トイレに そのまま流せる おしりふき

 

 

 

 ときに、前述の 昨日 すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログの上段に、

「(前略)昨日 すなわち 2月16日(金)の『母親の入院』のブログに記させて頂きましたように、母親が 入院しました。それで、本日は 土曜日なので、面会時間は 午後1時からでした。そこで、お見舞いのために 午後0時半よりも 前に到着しました。そして、救急入院棟の入り口の前で 待ちました。それから、救急入院棟に入り 二人ふたりの看護師に 挨拶しました。(後略)」と記させて頂きました。そして、本日も、日曜日なので、面会時間は 午後1時からでした。そこで、午後1時になりましたので、救急入院棟に入りました。すると、ベッド用品などを扱う 年配の女性に止められました。それで、入院カードを持っていますし 午後1時になりましたので、入室しました と回答しました。そう致しましたら、「すみません」とのことでした。この年配の女性は、まだ 1時になっていないと思ったのかもしれません。それから、二人ふたりの看護師に 挨拶しました。その際、女性の職員から、「黒木さんですか」と間違えられました。また、男性の看護師から 母親の薬のことで尋ねられました。 ちな みに、一昨日おとといの入院時に お薬手帳を渡して 記録したとして 戻されていました。また、母親の薬も渡しておりました。ところが、両者の整合性が取れない とのむね でした。それで、もう一度、お薬手帳の提示を求められました。なお、この お薬手帳を持って来ていて よかった と思われました。ついながら、母親の薬のことにつきましては、一昨日おとといの入院時に提出した書類にも書きました。そして、今回 口頭でも伝えました。

 

 つぎに、去る2月13日(火)の「在宅診療・10」のブログの上段に、

「(前略)去る1月30日(火)の『在宅診療・9』のブログに、

『(前略)去る1月16日(火)の【在宅診療・8】のブログの上段やや下に、

【(前略)去る12月26日(火)の〖在宅診療・7〗のブログの中段やや上に、

〖(前略)去る12月20日(水)の〔母親のこと・6(両親の食事)〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)去る12月14日(木)の〘うなぎ蒲焼かばやき・27(両親の食事)〙のブログの中段やや下に、

〘(前略)昨日の午後2時40分に 母親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.6℃でした。および、パルス・オキシメーター(英語:pulse oximeter)で測定した 母親の動脈血に含まれる酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、98%でした。(後略)〙と記させて頂きました。そして、昨日の やはり 午後2時40分頃の母親の体温は 36.9℃でした。また、母親の動脈血に含まれる酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、98~99%でした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、95%とのことでした。但し、測定者によりますと、測定部位である 指がえているから 正確ではないかもしれない とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、94%とのことでした。そして、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.8℃でした。(後略)】と記させて頂きました。そして、本日の午前11時25分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 178mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 80mmHg そして 心拍数が 90でした。(後略)』と記させて頂きました。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、96%とのことでした。そして、誠に有り難いことに 母親の体温は 36.3℃でした。本日の午前11時10分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 138mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 70mmHg そして 心拍数が 83でした。(後略)」と記させて頂きました。ならびに、前述の 昨日 すなわち 2月17日(土)の「母親の入院・続報(お見舞い)」のブログの上段に、

「(前略)本日の午後0時45分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 135mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 87mmHgでした。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、87%でした。また、呼吸数は、19回/分でした。なお、母親の意識は 戻っていませんでした。(後略)」と記させて頂きました。そして、下の画像のように、本日の午後1時27分頃の 母親の最高血圧(収縮期血圧)は 146mmHg(水銀柱ミリメートル)、最低血圧(拡張期血圧)は 95mmHg そして 心拍数が 123でした。それから、本日の この酸素(O2)の飽和度(英語:saturationサチュレーション)は、93%でした。また、呼吸数は、17回/分でした。

 

 

べッド・サイド・モニタ(救急処置室)(看護師の許可をもらって 撮影致しました)

 

 

 

 ところで、一昨日おとといの入院時にも 看護師から、保湿剤、ティシュ・ペーパー、紙おむつ、尿パット そして スポンジブラシなどを買って来るように言われました。そして、それぞれに 名前を書くように言われました。それで、購入して来て そう致しました。 ちな みに、このときに購入した保湿剤 と ティシュ・ペーパーが 下の画像にうつっています。

 

 

右下に、購入した保湿剤 と ティシュ・ペーパーがうつっています

 

 

購入した保湿剤

 

 

 

 

 

 ならびに、点滴がなされています。

 

 

点滴

 

 

尿量

 

 

 

 および、昨日 すなわち 2月17日(土)の「母親の入院・続報(お見舞い)」のブログの上段やや下に、

「(前略)去る 一昨年おととしの10月2日(日)の『母親の入院・続報9』のブログの上段に、

『(前略)昨日 すなわち 10月1日(土)の【母親の入院・続報8】のブログの上段に、

【(前略)昨日 すなわち 9月30日(金)の〖母親の入院・続報7〗のブログの上段に、

〖(前略) 一昨日おととい すなわち 9月27日(火)の〔母親の入院・続報4〕のブログの上段やや下に、

〔(前略)母親によりますと、腕が細くなった とのことでした。去る10月22日(木)の〘親の受診に付き添っていること・23(膠原内科医)〙のブログ の中段やや下に記させて頂きました、〘細うで繁盛記〙のことを思い出しました。(後略)〕と記させて頂きました。この母親の細い右腕に サーフロー留置針が なされていました。ここから 点滴が静注されます。痛々そうでしたので、〔痛くは ないか〕と きました。(後略)〗と記させて頂きました。このサーフロー留置針は  いまだに 確保されたままです。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、午前10時に退院と言われて 午前10時20分を過ぎても、サーフロー留置針が なされたままでした。そして、姉が催促してくれて  ようやく 午前10時半過ぎに サーフロー留置針が抜かれました。(後略)』と記させて頂きました。そして、今回も、母親の細い右腕に サーフロー留置針が なされていました。

 

 

サーフロー留置針が なされた 母親の細い右腕

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 

 また、母親のべッド・サイドの様子です。

 

 

母親

 

 

母親

 

 

母親の下肢に装着されているのは、看護師によると マッサージの機械とのこと

 

 

母親の下肢に装着されているのは、看護師によると マッサージの機械とのこと

 

 

 

 しかも、前述の 昨日 すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログの上段やや下に、

「(前略)姉によりますと 当方に 来なくていい(父親 と ヘルパー[英語:helper][日本語:家政婦]によりますと、それは おかしい とのことでした)とのことでありますが、備品を持って来る必要があり しかも 母親に 声を けて上げなければ と思われました。(後略)」と記させて頂きました。そして、母親に 声を けましたら、「水が飲みたい。」と訴えました。 ちな みに、これ以前にも、当方が べッド・サイドに到着する前に、母親が 看護師に 「水が飲みたい。」と訴えている声が聞こえました。ところが、水を飲ませてはいませんでした。なお、前述の 母親の薬のことで尋ねられた男性看護師に、「母親が 水を飲みたい と訴えていますが、水を飲ませることは 出来ないのでしょうね。」と話しましたら、その通り 水を飲ませることは 出来ない との むね でした。このことを、本日の夜 すなわち 午後10時9分に電話がかって来た叔母(3女)に話しましたら、「水を飲ませてくれないの!」とのことでありました。ついながら、夜 一人 ひとり になりますと、母親が どのような状態であるのかがしのばれ、自然に 涙が 何度も こぼれました。しかしなが ら、昼間 人前では 涙は見せられない と思われました。

 

 さて、前述の 昨日 すなわち 2月16日(金)の「母親の入院」のブログの下段に、

「(前略)昨日 すなわち 2月16日(金)の『母親の入院』のブログの下段に、

『(前略)去る 4年前の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ に、

【(前略)そして、昨年(4年前のことです)の11月5日から14日 まで、10日間、同・公立Hp.の循環器内科で、心臓ペースメーカー埋め込み手術のため、入院致しました。

 

 女人禁制である高野山で修行する弘法大師のもとに、母親が訪ねて来たとき、弘法大師は、高野山の ふもとの家に、母親を滞在させて、毎日会いに行ったとのむねのことが、NHKで放送されていました。

 弘法大師は凄い かたで 御座ございますが、これに習わせて頂いて、日々の面会は午後8時 までで 御座ございますので、10日間、毎日通いました。勿論もちろん、母親への思いの ほうが先で 御座ございます。

 去る( 一昨年おととし)の10月8日(水)の【親の受診に付き添っていること・1】のブログ また 去る( 一昨年おととし)の11月9日(日)の【親の受診に付き添っていること ・2】のブログ のそれぞれ共に中段やや上 そして去る(昨年の)2月23日(月)の【天皇陛下行幸の君恩に よくして】のブログ の中段やや下に記させて頂きました 某・ボランティアのサークルの年輩の御夫婦に、この話しを致しましたら、10日間、毎日通ったこと、誠に有り難いことに、無言の内に、目で納得してくれました。(後略)』と記させて頂きました。

 

 ときに、昨日 すなわち 2月17日(土)の「母親の入院・続報(お見舞い)」のブログの下段やや上に、

「(前略)去る5月20日(土)の『親の受診に付き添っていること・47(市内の某・公立Hp.の消化器内科)・後編』のブログの下段に、

『(前略)去る3月15日(水)の【親の受診に付き添っていること・45(市内の某・公立Hp.の循環器内科)】のブログの下段に、

【(前略)去る 昨年の3月10日(木)の〖親の受診に付き添っていること・31(市内の某・公立Hp.の循環器内科)〗のブログの下段に、

〖(前略)前述の 去る 昨年の3月18日(水)の〔親の受診に付き添っていること・10(市内の某・公立Hp.の循環器内科)〕のブログ の下段に、

〔(前略)受診の前と あとに、一人ひとりで、同・公立Hp.の近くの、猿田毘古大神さるたひこのおおかみ(「古事記」による表記)・ 猿田彦大神さるたひこのおおかみを 祭祀さいししている神社に参拝しました。 ちなみに、猿田毘古大神さるたひこのおおかみ・ 猿田彦大神さるたひこのおおかみは、〘天孫降臨てんそんこうりん 〙の際に、天照大御神あまてらすおおみかみ に つかわされた 邇邇芸命ににぎのみことを道案内した 国津神くにつかみです。〘古事記〙と〘日本書紀〙の〘 天孫降臨てんそんこうりん 〙の語り出しは、去る11月4日(火)の〘アレルギーの代替医療(食事療法)〙のブログ の後半に記させて頂きました。

 受診後、母親に 一緒に参拝しようかと話しましたら、疲れて眠いとのことでありましたので、母親は 一人ひとりで タクシーに乗って 帰宅しました。タクシーを見送って、前述のように、その後神社に参拝致しました。(後略)〕と記させて頂きました。今回は、誠に有り難いことに 共に参拝することが出来ました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、受診後、今回も 母親に 一緒に参拝しようかと話しましたら、洋服を 一枚着忘れて来てしまったとのことでした。これでは、外気に当たると 寒いですね。また、疲れた とのことでありましたので、母親は 一人ひとりで タクシーに乗って 帰宅しました。ちなみに、タクシーの運転手には、自宅の位置を伝えて、母親が 降りるときに 荷物を忘れないように 気にしてやってもらいたい とのむねを話しました。そして、タクシーを見送って、前述のように、その後 神社に参拝致しました。(後略)】と記させて頂きました。今回は、前回のブログの上段に記させて頂きましたように、ヘルパー(日本語:家政婦)に付き添ってもらいました。そして、ヘルパー(日本語:家政婦)に 尋ねられましたので、タクシーの運転手に伝える 帰宅の目印を教えました。それから、タクシーを見送りました。それで、やはり 一人ひとりになりましたが、神社に参拝致しました。(後略)』と記させて頂きました。本日は、お見舞いする前に、まず この 神社に参拝致しました。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る1月29日(月)の「両親からの連絡・51・後編」のブログの下段に、

「(前略)そして、本日 すなわち 午前10時57分にも、父親から 電話連絡が入りました。ちなみに、両親の用事を済ませて、午前10時50分に 両親のもとから戻ったばかりであり 用事を済ませようとしていたときでした。この電話が入ったとき、親の用事で 郵便局 と 買い物に行くから と話しましたが、また 午前0時31分に 父親から 電話連絡が入りました。これでは、郵便局 や 買い物に行くどころでなく、両親に 張り付いていなければなりません。そして、今夜 すなわち 午後5時57分にも、父親から 電話連絡が入りました。それで、同じく ぐに 伺いました。(後略)」と記させて頂きました。このように 両親に 張り付いていなければなりませんでしたので、上記のように 神社に参拝したことは 初詣はつもうででした。

 ところで、本日は、お見舞いする前に、まず この 神社に参拝致しました。それから、救急入院棟の前で 午後1時になるまで  約30分間 待ち、面会時間は 約40分間であり、帰りにも 参拝致しました。ちなみに、自宅で 父親が待っており 早く帰るように言われましたので、買い物もせずに 真っ直まっすぐに帰宅しました。そして、父親からかれたことを話しました。なお、いつものように、出発するときに 父親の食べるものは、父親に説明致しておりました。そして、父親によりますと、お見舞いにっている間に バナナを 1本 食べた とのことでした。この間に、父親から 2回も 電話が入りました。ついながら、帰宅後、父親が、食事をしました。

 さて、一昨々日さきおととい すなわち 2月15日(木)の「両親からの連絡・60・後編」のブログの下段に、

「(前略)そして、本日 すなわち 午後2時55分に、父親から 電話連絡が入りました。それで、同じく 伺いました。ちなみに、父親によりますと、母親が 絨毯じゅうたんの上で寝ている とのことでした。それから、本日の夜 すなわち 午後6時6分にも、父親から 再度の電話連絡が入りました。それで、同じく 伺いました。ちなみに、父親によりますと、いつものように 母親が起きない とのことでした。なお、誠に有り難いことに、母親の上に 蒲団ふとんは けられてありました。但し、いつものことであり 複数のヘルパー(日本語:家政婦)も そうであると認めていることですが、本人の協力なしでは しかも 介助が 一人ひとりだけでは、母親を動かすことは 難しく思われました。(後略)」と記させて頂きました。父親のもとから戻った 本日の夜 すなわち 午後7時28分にも、父親から 電話連絡が入りました。それで、同じく ぐに 伺いました。ちなみに、ボールペンが 1本しかないから 買って来て欲しい とのことでした。なお、去る3月31日(金)の「父親への贈り物(両親の食事)・4」のブログなどに記させて頂きましたように、これまでに、父親が希望していた ボールペン(英語:ballpoint[pen])を 何本も贈りました。したがって、父親の寝床に さらに 4本ありました。それで、これらのボールペンを手渡しました。すると、父親によりますと、ボールペンを買わなくていい とのことでした。ついながら、父親の dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座ございます。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)が 進んでいる と思われました。目の前にある 沢山たくさんのボールペンを 認知することが出来なくなっているのです。しかも、度々たびたび あることなのです。そのうえ、キー・ホルダーの鍵の中から、昨日 使ったばかりのドアの鍵が 分からなくなった とのことでした。それで、このドアの鍵を教えました。このことも、度々たびたび あることなのです。そこで、このドアの鍵には シールで印を付けておりました。このことも 何度も 父親に伝えました。それでも 分からないので、度々たびたび 父親から尋ねられるのです。おまけに、昨夜 当方が事務作業をしている間に、父親によりますと、救急入院棟に電話をした とのことでした。上記のように 昨日も、父親に 母親の容態のことは説明致しております。それで、父親によりますと、父親に対する 救急入院棟の回答は 息子に いてくれ とのことであった とのことであります。 

 ときに、飲み物 や 食べ物を勧めましたが、誠に有り難いことに、父親は おなかが 一杯とのことでした。

 

 (半角で 4万文字以内という字数制限を超えましたので、文章を削らせて頂きました)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございました。唯々感謝。(^-^)