黒目川(16) 馬喰橋から妙音沢へ
再び馬喰橋に戻り黒目川本流に沿って北上、道場二丁目周辺では北側崖線は本流すぐそばまで近づくが
産業道路を越えると崖線は再び離れていく、恐らく平地となった北側にも水路があるのだろう
また、保谷志木線の周辺の区画や道路には旧流路の痕跡が多く残っているようだ
写真1 堀ノ内二丁目第二児童遊園前
馬喰橋を北へ100mほど進むと左岸側に南北へ綺麗に並んだ住宅街が見えてくる
黒目川は50年ほど前まで、この場所で左岸側に水路を分けて南北に並走していました
分岐した水路は堀ノ内二丁目第二児童遊園~住宅街の辺りを通り
黒目川北側水路と合流したあと再び本流に戻っていました
写真2 現在も畑が残る黒目川右岸域
前回、馬喰橋から右岸に分かれた水路を扱いましたが、本流と右岸水路の間は田畑になっていた話をしました
右岸水路が無くなり数十年経ちましたが、まだまだ畑は多く残っているようです
写真3 通路化された水路跡
広大な畑や広場が広がる黒目川右岸域ですが所々に通路が存在していて
その多くがかつての水路跡を埋め立てて流用したもののようです
水路図では、元水路だったと思われるもののみを記載したので、あまり確信の無い水路は載せていません
実際にはもっと多くの右岸水路との連絡水路があったのだろうと思います
写真4 石積み護岸
黒目川上流域ではあまり見なかった気がするが、石積みを金網で囲んで補強するタイプの護岸が現れだした
左右の鋼板型護岸は、恐らく1970年台前半の黒目川改修工事時代から使われている護岸工法だが、この石積みタイプはあまり見ない
調べてみるとやはり比較的新しい工法で、大雨時に地下水の多く湧く場所だと護岸から漏れ出す水で、土手の土が抉られて土手ごと崩れてしまうことがある
そこで、石積みにすることで大雨時に地下水を石積みから排出させ保水力を調整し、金枠で覆うことで土とは違い石のため
流出も防げる仕組みらしい、よく考えられている
写真5 道場二丁目児童遊園と黒目川北側崖線
西側に堀ノ内病院が見える辺りを越えさらに北上すると、左岸側からだんだん崖線が近づいてきて
この児童遊園の辺りになると黒目川のすぐ北側に崖線が来る
右側の公園と住宅の境にもかつて水路があったようだが公園内には痕跡は無かった
ここの少し下流側に産業道路と堀ノ内橋があり、前回扱った右岸水路の1つが合流している
写真6 堀ノ内橋から見た黒目川下流側
産業道路を越えると隣まで迫っていた北側崖線は再び離れていく
保谷志木線までの間にも、蛇行していた頃の旧流路の名残が随所で残されていた
写真7 市場坂通りと黒目川
保谷志木線と市場坂通りの大橋交差点、この部分市場坂通りが一度川沿いを外れているが
ここはかつて黒目川の旧流路があり、1970年代後半に改修後空き地となった旧流路へ市場坂通りを通したのでこうなったようだ
写真8 大橋から見た黒目川下流側
妙音沢まで300mほど、この辺りまで来ると中沢川の最期の紹介とだいぶ重なってしまうが
もうすぐ右手側に新座市立第三中学校・新座高等高校が見えてくる
写真9 妙音沢と黒目川
右岸側より中沢川、妙音沢の大沢が合流している
もう1つの小沢はこのすぐ後ろ側で合流しており、この一帯だけでも相当の量の水が流入している
写真10 市場坂橋
市場坂橋は2本南北に大小の橋が並んでいる
北側の小さな橋が旧道時代の橋で、比較的最近までこの旧橋が市場坂通りの橋だった
黒目川はこの後7キロ下って新河岸川へ合流します
今回で中沢川編と黒目川編は終了します
次回は未定となっていますが
細々と投稿は続けたいと思います、お付き合いいただきありがとうございました