石神井川(右岸水路) (8) 練馬高野台~目白通り | 西東京水路跡散歩

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2019/9/26開設

石神井川(右岸水路)(8) 練馬高野台~目白通り

 

 

 

笹目通りを越えて西武池袋線の練馬高野台エリアへ

西武池袋線より北側は80年ほど前の段階で、既に石神井川は現在の流路に改修がされており

枝水路も直線効率化が図られていました

耕作面積も平地が増えてきたおかげか広くなっています

 

 

写真1・2 笹目通り東側の右岸水路跡

 

迂回して笹目通りを越えたあと、再び東側の南田中団地に入り水路跡を見てみた

写真左は笹目通り側で階段を使って笹目通りに出られそうだ

暗渠にしては広いと思うが、笹目通りは1980年代前半開通した比較的新しい道路なので

この道はアパートが作られた頃は元々東西に分かれていなかったようだ

南田中アパートを南側を広く結んでいた暗渠道路の跡なのだろう

損傷があるのか崖線側の一部が封鎖されている(写真右)

 

写真3 南田中アパートの外れから見た西武池袋線

 

暗渠道路跡をアパートに沿って進むと西武池袋線の高架が見えてきた

ここは練馬高野台駅のすぐ近くで、駅舎は石神井川のすぐ脇に存在するが

実は左岸水路の流路上に建てられている

 

写真4 西武池袋線に残る左岸・右岸水路の跡(国土地理院 空中写真1979より加工・抜粋)

 

1979年当時の練馬高野台駅周辺の航空写真

既に駅周辺は宅地化が進み水路は残っていないが、線路上を左岸・右岸の主水路が通っていた場所には開渠水路が残っている

芝久保用水の際も扱ったが、線路上の水路跡は周辺の水路が消滅しても10年15年程度残されている場合があり

枝水路などの特定、現在の位置での比較の参考になる

石神井川北側に現在もある南田中アパートとの位置関係から、練馬高野台の駅舎が左岸水路上に建っていることがわかる

 

写真5 西武池袋線北側の右岸水路跡

 

西武池袋線の北側にも道路化された水路跡が続く、緩やかなカーブが川っぽい

路地に見えるが車止めもあり車は入れず遊歩道となっている

尚、ここより右に60mほど行くと環状八号線、さらに50m程離れた場所を貫井川が流れている

 

写真6 様々な形状で残る現在の右岸水路

 

先ほどのように拡幅され遊歩道化されているものもあれば

従来の幅で未舗装の小道として残る場所もある

 

写真7 高野台1丁目の右岸水路と石神井川

 

水路敷マークがあるのが右岸水路跡、左に折れている路地があるがここは本流への連絡水路跡だ

右岸水路はここから右にカーブしている

この辺りから再び右手側に高低差が出てくる、貫井川が離れていったためか?

 

写真8 右岸水路分岐点

 

高野橋付近で右岸水路が分水していた、本流は右側だと思うが左側の方が広い路地となっている

右側を流れる本流はさらに途中で分水するのだが、崖線沿いの主流路は一部宅地化で失われた

左の分水跡の路地は直線で300mほど進み再び右岸水路に合流していたようだ

 

写真9 右岸水路合流点

 

崖線沿いの右岸水路本流と写真8で左に直線で流れていった分水の合流点

谷原三之橋に近い場所に当たるが、この辺りは崖線が本流に近い場所まで近づいている

 

写真10 石神井川に近づく右岸水路

 

路地から再び暗渠水路へと変わる右岸水路跡

珍しく写真でわかるくらいの下り坂となってきた、どんどん石神井川に寄っているようだ

 

写真11 大野橋付近の石神井川と右岸水路

 

左の川が石神井川本流で写真右端の遊歩道が右岸水路、ここはもう目白通りの近くで左奥に谷原のガスタンクが見える

片側2車線の大通り目白通りは、1964年の東京オリンピック開催に向けて整備された道路だ

谷原のガスタンク自体は目白通り開通前から存在しているが、目白通り開通以前の主要道路はガスタンク北側の道路だった

あとで気づいたが、実はこのガスタンク北側の道は西に辿って行くと谷原交差点を越え

大泉学園の北側を通り保谷新道となって西東京市へ至る

筆者にもなじみ深い通りの延長線上にあった

 

写真12 大野橋から見た石神井川(下流側)

 

壁面3/4くらいの高さまで黒い汚れがついている、増水時には度々この辺りまでは水位が来るのだろう