石神井川(左岸水路) (14) 高松~練馬城址公園 | 西東京水路跡散歩

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2019/9/26開設

石神井川(左岸水路)(14) 

 

 

環八通りの東側では八幡神社・練馬中学校の南側の道に沿って水路があったようだ

高松1丁目の交差点を過ぎると遊歩道化された水路もある

外周水路は春日神社の辺りで練馬城址公園北側の水路と合流していた

 

写真1 高松1丁目の交差点

 

十字路だが4本全て水路が通っていたと思われる

環八通りの陸橋は良く目立つ

 

 

写真2・3 左岸水路沿いの八幡神社(写真左)とその門前(写真右)

 

練馬幼稚園前に立つ八幡神社、1064年ごろに創建されたとされる神社で1000年近い歴史がある

昭和初期の航空写真で見ると、門前に水路があり周りは田畑ののどかな場所であったようだ

現在水路は歩道化されている

 

 

写真4 谷原交差点南の左岸水路跡

 

推定水路を辿って行くと谷原交差点の南300m程の場所で水路敷遊歩道が現れた

ここを左に20m程いくと短い上り坂が存在する

左岸水路左側も坂が存在するので石神井川の谷の左端に沿っているのだが

右岸と比べ高低差は余り無い

 

写真5 西田中橋北の交差点

 

西田中橋北側の交差点、石神井川からは遊歩道化された分水跡を越えて次の交差点になる

左岸水路はここでさらに分水し、路地を真っすぐ進む水路と左に曲がる水路に分かれる

写真4から続く路地は写真左から右に続く路地だ

西田中橋方面に向かう路地から撮影しているが、この路地も水路があったようだ

現在、左岸側においては石神井川に掛かっている橋に繋がる路地は、全て元は水路があったと思われる

 

写真6 外周の左岸水路との連絡水路跡

 

石神井川に近い側の水路は直線的に整備された近代水路跡が多いですが

外周側の水路跡とその連絡水路跡の路地は古い連絡水跡がそのまま路地化されている

 

 

 

写真7・8 写真4で分岐した遊歩道化された水路敷

 

もう終点の練馬城址公園にほど近い場所で撮影したものだが、写真7は上流側で写真8は下流側

上流側はずっと先まで真っすぐな遊歩道が続いている、下流側の木が見える公園が練馬城址公園だ

この遊歩道は練馬城址公園にぶつかり消えているが、元は通りに沿って流れていた水路に合流していたと思われる

ただ、としまえんが作られる前にはさらに先まで田畑が広がっていたと思われ、水路もさらに先まであったのではないか

 

写真8 水路図には無い水路敷

 

右岸水路の際にも少し書いたが石神井川中流域は連絡水路が本当に多い

今回単純に本流と左右の主水路跡を辿るだけでも往復35㌔近い距離を走るのは確実だったので

さらに細かい連絡水路を見ていくには数的にも精神力的にも厳しく断念した

今回は右岸水路を辿りながら帰りは左岸水路を辿る、というルート設定だったので

この時点では記事的には最後だが、調査時はここから帰るという段階

ご存じの通り川というのは高い所から低い所へ流れる、帰りは延々緩い登りが続くのだった

 

写真9 練馬城址公園北側で合流する左岸水路と分水

 

ここは2023年に開園した練馬城址公園の北側の路地、写真右奥に見えるのは春日神社です

左岸水路は左の路地から出てきてこの通りの水路と合流していたと思われる

ただ、この場所も緩やかな登り坂となっており水路がこのまま真っすぐ進んでいたとは思えない

どこかで右手に折れていたのだろうか・・・

 

写真10 としまえん周辺の米軍作成地図(1946年)

 

こんな時は頼りになる第二次世界大戦終戦直後の米軍地図だ

米軍占領時作成地図で旧としまえん周辺を調べてみると結構色々な情報がわかった

春日神社の杜を境に35メートルラインが写真9の路地を南へ大きく横断している

そうなると水路を東へ通そうと思ったら、大きく南へ迂回させなければならない

だが、としまえんの内部水路の構造を見てそもそも勘違いをしていると気づいた

としまえん北側の水路は、西から東へ流れているのではなく東から西へ流れているのではないか

という事は、写真9は左岸水路の合流点ではなく、水路が道路を潜り南側に出てから西へ向かう場所だったという事だ

 

写真11 石神井川旧河道と旧石川橋付近

 

1つ解決すると色々繋がってくる。石川橋自体も現在の場所ではなくもっと南東側で

この空間は石神井川の旧河道という事か

そうなると、今の橋からちょっとズレたこの場所に向山ヶ谷戸の水路が出てくるのも納得である

ここが旧石川橋の場所なのだから橋の脇に合流口があるのは当たり前だ

一方で通り沿いを東から西へ流れて来た左岸水路は、旧石川橋の北側で分水して

川に落ちる水路ととしまえん内を流れる水路に分かれていたという事だ

 

 

ともあれこれで石神井川中流域までの紹介は終了しました

石神井川は他に調べている方や、私より正確な情報を掲載されている方がいらっしゃると思いますので

細かい疑問点などはそちらを参考にしていただけるとありがたいです

 

今回も長くお付き合いいただきありがとうございました