石神井川(左岸水路) (13) 練馬高野台駅北側~貫井橋 | 西東京水路跡散歩

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2019/9/26開設

石神井川(左岸水路)(13) 練馬高野台駅北側~貫井橋

 

 

 

練馬高野台駅北側の左岸水路は笹目通りと並走する形で谷原へ向かう

笹目通り自体は、石神井川の谷の淵の高台沿いに作られているようだ

 

写真1 練馬高野台北側の左岸水路跡

 

左岸水路と右岸水路の間は水田地帯なので、直線的な道路が交差して綺麗な街並みだ

水路図には記載していないが、大小の路地の多くはかつての水路敷跡である

 

 

写真2・3 外周側の左岸水路(写真左)とその分水(写真右)

 

練馬高野台駅北側隔た左岸水路は、外周水路(左岸水路本流?)と石神井川との間の1本大きめの分水へと別れる

一番外側の水路跡は蛇行している部分もあるので面影がある

石神井川との間を流れる分水は直線で流れていたようだ

外周の水路はこの後本流には戻らず、今回の終点の練馬城址公園まで続いている

 

写真4 谷原交差点南の左岸水路跡

 

推定水路を辿って行くと谷原交差点の南300m程の場所で水路敷遊歩道が現れた

ここを左に20m程いくと短い上り坂が存在する

左岸水路左側も坂が存在するので石神井川の谷の左端に沿っているのだが

右岸と比べ高低差は余り無い

 

写真5 目白通りと左岸水路跡

 

右端にチラッと見えているのが目白通り

左岸水路は斜めのこの道を奥から手前に流れてくるが、目白通りをそのまま渡らず

一度左に折れてから谷原のガスタンクの南側を抜けて目白通りを渡っていたようだ

さて、この辺りは飲食店の多い地域で写真中央には東京飯店の看板が見える

東京飯店は焼肉屋さんだが、その隣に桃太郎すしという回転寿司店がある、筆者も時々行くお店だ

水路図を作っている時には気づかなかったが、自転車で走ってきて見知った場所に出て驚いた

確かに幅の広い路地だとは思っていたが水路跡だったとは

 

写真6 大野橋北側

 

谷原のガスタンクの南側のこの場所は十字路となっている

正面のガスタンク方面に向かう道以外の少なくとも3方向は、全て水路跡の路地だったと思われる

見切れている斜め左方向の路地は、写真5からくる左岸水路本流が左奥から右手前へ流れ

左手前からは練馬高野台北側で分かれた左岸水路の分水がここで合流していた

目白通りができる以前は、この正面の路地方向ではなくもう少し右方向に向けて

左岸水路の本流か分水が流れていったようだ

なのでガスタンクに向かう路地も、目白通り完成後に移設した水路跡とかで全方向水路跡の可能性もある

 

写真7 上新田橋から見た石神井川と目白通り

 

大野橋の1つ下流に掛かる上新田橋からみた下流方向

左側の道路は目白通り、石神井川は緩やかにカーブしている

奥に見える陸橋は環八通りだ

環八通りと目白通りの交差点、練馬中央陸橋の辺りで石神井川は両道路を跨ぐ

 

写真8 谷原ガスタンクの東門

 

目白通り北側の谷原のガスタンクの東門の反対側、写真で立っている路地が左岸水路跡の路地です

向かい側は東京ガスの敷地になっていて水路跡はない模様

谷原のガスタンクは1959年に完成したとの事、その頃には耕作用の左岸水路も不要な水路となっていたのだろうか

 

写真9 東へ延びる左岸水路跡の路地

 

ガスタンクより東方向に左岸水路跡の路地が伸びている

環八通りを越えると複雑に入り組んだ水路網が現れ始める

 

写真10 環八通り沿いの貫井橋と小橋

 

石神井川に掛かる貫井橋より撮影、上の陸橋は環八通り

右手に掛かる橋が小橋で以前は左岸水路と繋がる水路があった

写真中央、信号のある左右に抜ける道が左岸水路跡の路地だ

 

写真11 貫井橋から見た下流方向

 

水量が少なくなったように見えるが中央部の川床をさらに掘り下げているのだろう

よく平時流量の少ない河川では、枯れたり流れが滞るのを防ぐため中央部に溝を掘って流れを安定化している

 

次回で石神井川中流域(左岸水路編)も最後になります