石神井川(右岸水路) (5) 武蔵関~新青梅街道 | 西東京水路跡散歩

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2019/9/26開設

石神井川(右岸水路)(5) 武蔵関~新青梅街道

 

 

 

武蔵関公園を過ぎると石神井川は直線的な流れに変わる、古い地図を見ると西武新宿線が通った頃に

流路の整備をしたようなので100年近く前にはこの形になっていたのだろう

線路沿いの桜並木を抜けると石神井川は線路を越え北側へ

 

写真1 武蔵関公園東側の桜並木

 

武蔵関公園を抜けると石神井川は西武新宿線に沿って流れます

元々の流路ではなく西武鉄道がこの路線を開業した100年ほど前に現在の流路になったと思われる

桜並木がいつからあるのかは知らないが、近年老木となり枝が落ちたり枯れたりで一部伐採となった模様 

 

写真2 武蔵関駅西側

 

暫らく線路南側を流れていた石神井川だが武蔵関駅の西側で暗渠となり線路の北側へ抜ける

この辺りは例年12月に関のぼろ市が開催され、東西500mに渡り屋台が並び多くの人が訪れる

筆者もこの辺りには縁があり何度も訪れました

 

写真3 稲荷橋(下流側)

 

武蔵関駅から北東200mの所にある稲荷橋、眼下にはきれいな水が流れている

筆者は40代ですが、子供の頃の石神井川といえば白濁・異臭のする川でした

正面に見えるのは日之出橋、橋の下が広がっているので雨水排水路があるのかもしれない

 

写真4 日之出橋(下流側)

 

日之出橋の東側に曙橋という橋が掛けられていたが現在撤去工事が行われている

石神井川南側に崖線が現れ流れは崖に沿うように曲がっている

現在崖上は神学校や修道院となっていて、70年ほど前までは正面の曙橋の先で本流より南北の枝水路が分かれていた

 

 

写真5・6 石神井川南北側水路分岐点跡より上流側(写真左)と北側水路流路跡(写真右)

 

左の写真で正面で工事している場所が曙橋

ここはその100mほど下流の場所で、北側の車道より石神井川に向かって空き地が続いている

この場所で石神井川より北側水路が分水していた

南側水路の分水点はここと曙橋の中間あたりで、左の写真の中間あたりで分かれていたと思われる

本流を挟んだ南北水路の間は耕作地となっていた

 

写真7 西豊城橋(下流側)

 

現在の石神井川本流が流れる場所だが1950年頃まではもう少し北側を流れていた

南側水路は写真右手に写るマンションの辺りを流れていたようだ

この先、北側南側の水路を交互に紹介していくと混同しそうなので

まず本流と南側水路を続けて追ったあとに、北側水路を紹介して石神井川中流域の紹介としたい

 

 

写真8・9 西豊城橋から見た南(写真右)北(写真左)方向

 

現在の本流から南側(写真右)を見るとすぐに登り坂となっている

南側水路の位置は丁度写真の中ほど、道路左側で清掃されている方のいる辺りだったと思われる

対して北側(写真左)は平坦な土地が続いている、旧流路は道路右手の軽ワゴン車が止まっている辺りを流れ

北側水路はその先の左から合流しようとしているワゴン車が出てきた道に沿って流れてきていた

石神井川の本流はアパート造成より前の1950年代初めに改修され現代の形となったが

その後10年ほどで上石神井アパートの造成が始まり南北水路も消滅したようだ

 

写真10 一部アパートを取り壊して作られた公園

 

石神井川の南側に建っていた上石神井アパート群の一部が取り壊され公園となっている

この場所の旧石神井川本流は現在の流路に近い場所を流れていて、南水路との位置関係がわかりやすい

写真右側に崖線があり崖に沿って南側水路が流れていた

当時の田畑もこのような傾斜状になっていたのだろう

 

写真11 豊城橋南側の水路跡

 

公園を抜け南側水路跡に沿って進んでいくと豊城橋南側に遊歩道を発見

南水路跡が遊歩道としてはっきり残されていた

 

写真12 新青梅街道と南水路跡の交差部

 

先ほどの遊歩道は新青梅街道との交差部手前まで続いている

新青梅街道から先は遊歩道は無くなるが旧水路跡の道路は続いている