石神井川(右岸水路) (6) 扇橋~根ヶ原橋 | 西東京水路跡散歩

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2019/9/26開設

石神井川(右岸水路)(6) 扇橋~根ヶ原橋

 

 

 

新青梅街道を越えると石神井川東側より崖線が近づいてくる

現在、早稲田大学高等学院の建つ丘はかつて愛宕山と呼ばれていた場所だ

この先は小水路跡が多く残されており、石神井川両岸の耕作が活発だった事が伺える

 

 

写真1・2 扇橋から見る石神井川(上流側:写真左側 下流側:写真右側)

 

扇橋周辺の石神井川は現在拡幅工事中で、上流側はかなり先まで暗渠のような状態

下流側を見ると途中から従来の鋼板からコンクリートブロックの護岸に変わっていた

広い遊歩道も整備されており環境が良くなっている

 

写真3 現在の本流と早稲田学院(愛宕山砦跡)

 

扇橋を渡り愛宕橋の手前で右岸水路は本流と合流する、理由は見ての通り右岸側に崖線が現れるためである

左岸の歩道部分から見ても、右岸の歩道部分で既に左岸より2m近く高い

早稲田学院のあるかつての愛宕山はさらに4~5mの崖の上だ

以前の世間話15で少し紹介した旧愛宕山城跡で、太田 道灌が当地より北東にある石神井城攻略に使用した城があった場所と言われる

ここから石神井城までは直線で北東に600m程の距離である

 

写真4 右岸水路の最分岐点

 

早稲田学院の敷地に沿って路地が分岐しているが、ここが旧右岸水路の跡となる

路地を挟んで左側は平地であるのがわかる

右岸水路は崖線沿いに造られていたようだ

 

写真5 栄橋付近の右岸水路跡

 

石神井川の栄橋を渡る通りから右岸水路跡を撮った写真

写真中央、右から左に抜けている路地が旧右岸水路跡の路地だ

正面は早稲田学院より続く崖線になっていて、現在は切り開かれ住宅地となっているが

路地の先は坂となっていることから崖沿いに水路があったことが伺える

 

 

写真6 今年完成したばかりの大型分譲マンション(旧石神井公園団地)

 

急に真新しいマンション群に出て焦ってしまったが、旧石神井団地マンションが建て替えられて造られたようだ

この道が水路跡ではなく、この先でこの道に沿って崖沿いを遊歩道が続いているのでこちらが水路跡だろう

 

 

写真7 右岸水路跡から見る松之木橋

 

マンション群を過ぎると再び石神井川の本流近くまで戻ってきた

この辺りになってくると水路右側の崖線は姿を消し緩やかな勾配の坂となっている

 

写真8 蛍橋南側の右岸水路跡

 

蛍橋は三宝寺池と石神井池の中間を南北に通る都道に架かっている橋だ

三法寺池は古来より存在していた池だが、石神井池は昭和期に造られた人工池で

三法寺池から石神井川へ流れていた川を堰き止めて人工の池を作ったらしい

それらの水路は左岸側の水路に当たるため、中流域の紹介の後半で扱いたい

 

写真9 右岸水路跡より見た茜歩道橋

 

写真の撮り方が悪く全くわからないが、右岸水路より一段低い場所を石神井川が流れているが

さらに橋を渡り北側に向かって緩い下り坂が続いている

水路図を作っていたのでわかるが、かつての本流が数十メートル北側にあったのが理由と思われる

 

この辺りより右岸水路左岸水路ともに枝水路と思われる道が増えてくる

その多くが現在の石神井川に向かって伸びているため、昭和初期~中期の石神井川改修の際に耕作地の整備が行われ

新しく引かれた水路網だと思われる

昭和の中期は爆発的な宅地化が進んだ時期とも重なるため

整備された農地や水路も実際本来の用途で使用されたのは、短いもので10年程度だったと推察する

 

 

写真10 途切れ途切れに残る水路敷暗渠(写真左)と水路敷の文字(写真右)

 

路地だった場所に突然車止めが現れ水路敷遊歩道が現れる

このような遊歩道は右岸水路跡に所々残される

全てではないが練馬区では水路跡に、水色の背景に白い文字で水路敷と書かれている

ここは白文字が消え水色の背景も消えかかっているが、少し進んだ先に比較的綺麗な状態の水路敷ペイントがあった

 

写真11 右岸水路跡より石神井川へ伸びる枝水路跡

 

これは右岸水路から根ヶ原橋へ延びる枝水路跡、水路敷の印が見える

石神井川が現行の流路になってから作られた新しい水路跡だ