旅の虫速報

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津軽新城、大釈迦、鶴ヶ坂(2021.8.3)

murabie@弘前です。

報告は上げられていないものの、コロナ禍の昨年も様子を見ながら
対策を充分取りながら、日帰り旅にはちょこちょこ出ておりました。
今夏、まだまだ気をつけなければならない状況なのは承知の上ですが、
昨年奪われた夏休みを奪い返すべく、強引に避暑の旅に出ることにしました。

早朝のはやぶさ号に乗車、普段だったらこんな余裕のある車内じゃないなあ
って感じの列車に揺られ、みずみずしい広大な田園や丘陵の間の田園、
時々広がる街並や特に盛岡以北で顕著なトンネルの風景を楽しみ、
山あいの田園風景の中に唐突に墓地が現れて市街が発達し始めた所の
新青森駅へと進んでいきました。

北海道までいくようになってからは初めてだったかなって感じですが、
特に雰囲気が変わったわけではない、新幹線の駅としてはコンパクトな
新青森駅に降り立ったはいいのですが、予想を裏切る猛暑でした……
今回は弘前をターゲットにしつつ、今日は途中の気になる駅たちを
巡ってみようと思って、まずは新青森から程近いっぽい隣の津軽新城駅を
目指して歩き始めたわけですが、道幅だけは広い大通りに照り付ける
真昼の太陽の暑いこと熱いこと……

西へ向かう大通り沿いには郊外型の店舗も多く並びますが、新青森駅を
離れるにつれて道幅も落ち着き、街の雰囲気も落ち着いてきて、小さい
建物の間に小さい田畑が現れて奥の住宅街の姿も望めるようになりました。
程なく軽い上り坂を登り詰めれば郵便局から素朴な小さい店舗の並ぶ
津軽新城の街並が始まり、下り坂の向こうには深緑の丘陵が行く手を
阻むように立ちはだかるのも見られるようになってきました。
道沿いに何やら小学校跡の石碑が建っていて、小学校だったと思われる広い
敷地には大型スーパーが佇んでいたりもしました。

道は蛇行して流れる新城川に差し掛かり、道路と並行して、コンクリートの
アーチ橋が架かって鉄道も川を渡ります。そして道路も鉄道も
川の流れとともに、壁のような丘陵を避けるようにカーブを切り、丘陵に
挟まれる谷あいへと歩みを進めようとする所に、津軽新城駅が
佇んでいました。

つい最近無人駅になったばかりらしい津軽新城駅は、そこそこ立派な
昭和の雰囲気の駅舎がそのまま使われ、もちろん待合室に冷房などないの
だけど、開け放たれた窓から吹き込む風が涼しく感じられるのはさすがと
いった感じではありました。壁に接するように建てつけられた木のベンチに
座って休憩していたら、雀たちも集ってきたりして。

次の列車まで少し時間があったので、駅前に広がる素朴な住宅街を巡って
みました。住宅街の中の杜を抱く小高い丘は金峰神社という、大事にされて
いそうな小さい神社の境内で、杜の中の本殿へ登る砂利道には新しめの
木製の鳥居が並び、そして本殿の乗るステージの端からは展望台のように、
周囲の建物たちや、新城の街を囲む丘陵の姿を見渡すことができました。

そして一旦住宅街に降りて、いろいろな作物の育つ小さな畑が紛れ込む
住宅街を進んで、やはり丘陵の上に建つ見道寺という曹洞宗の、遠くからも
わかるくらいの大きいお寺へ進んでいきました。
境内マップみたいなものが入口に掲示されていたりしてわくわくしながら
住宅団地に隣接する境内の上り坂を上っていけば、何のことはない、
山全体にちりばめられる墓地を巡るような道だったというわけです。
所々に大きな仏像が建っていたり、あずまやが設けられていたりした
わけですが、崖っぷちの駐車場もまた展望台のようになって、近くの
新城の街並やその奥の青森の市街、そしてその背景の下北半島の島影をも
見て取ることのできるなかなかの展望に出会えるところでした。
そして山頂を囲むように伸びる道からは、線路が道路と川とともに
丘陵に挟まれる谷の奥へと進んでいき、その谷を跨ぐように高速道路の
橋が架かる雄大な展望にも出会うことができたのです。
山頂の薬師堂の隣には、いろいろな動作やいろいろな表情を楽しめる
五百羅漢があったり、そして墓地の間の階段道を下っていけば大きな本堂の
前に出て、このステージの端からも、新城の駅や、鉄骨製の火の見櫓の残る
素朴な住宅街、そして青森の方へ広がる市街地の展望に出会うことが
できたのでした。

そこそこ楽しめた散策を切り上げて新城駅に戻り、疎らに中学生たちが
列車を待つ駅から、上り列車に乗り込みました。
列車は丘陵に囲まれて小さい田畑が広がる風景の中を進み、丘陵はどんどん
車窓に近づいて山がちな風景となっていって、鶴ヶ坂駅を過ぎて
長いトンネルを越え、山がちだった風景が少しだけ長閑な雰囲気を帯びる
ようになった所に現れた大釈迦駅へと進みました。

大釈迦駅に降り立つのは初めてでしたが、昔の旅で大釈迦、鶴ヶ坂と
続けて列車交換で長く足止めされていた頃から気になっていた駅に、
今回降り立つことができたことになります。
コンパクトになった新しい駅の前に広がる、道幅だけは広い駅前には
素朴な集落が広がり、そして正面に壁のようにそびえ立つ深緑の丘陵の
中腹にコカコーラの工場の大きなあの看板が目立っています。
駅前通を進み、国道4号線を横断すると、引き続き住宅街となりましたが、
道はだらだらと上り坂になっていき、建物の間からは、山並みに囲まれて
広大な田園の広がる長閑な風景が見られるようになっていきました。
丘陵の中腹にまで農地や疎らな建物が見られたりもする、雄大な風景です。

コカコーラの工場まで上り坂を登り詰めると、森林の中を通ってきた
国道101号と合流し、ここから林の中、市街地の方へ下るように進んで
いくことにしました。森の切れ間からはやはり、斜面に囲まれる長閑な
田園風景が広大に広がる展望に出会うことができます。
程なく道沿いに廃業した飲食店だか民宿だか、そして、天然温泉を
標榜するラブホテルの類がいくつか見られるようになって、
そんな静かな森の中の緩やかな下り坂を下ると程なく、大きな国道4号線
との大きな交差点へとたどり着きました。
長閑過ぎる風景の中に奇跡的ともいってもいいコンビニが姿を現し、
ここぞとばかり、オーバーヒート気味の体のクールダウン、そして、
私にとって消費税増税以来初体験となるイートイン利用なぞ
経験したりして、ちょっと長めの休憩とさせていただきました。

再び暑い外に出ましたが、休んでいる間に多少雲が出てきて、若干の
過ごしやすさを感じるようになりました。
国道101号の方へ歩みを進めると、道はすぐに川を跨ぐ橋に出て、
橋の上からもみずみずしい田んぼが丘陵に囲まれて広がる長閑な風景を
眺めることができます。その向こうの山肌は採石場になっていて、
深緑の中に白色の領域ができ、今も盛んに稼動しているようで機械の音が
響いたり白い煙が立ち上ったりしていました。
対岸に渡って、田んぼを囲む丘陵へ進むと、中腹へ向かって伸びる階段道に
真っ赤な鳥居がいくつか建つ、もしかしたら立派かもしれない神社の
存在が示唆される場所となりました。ここから南へ進んでもう少し長閑な
風景に触れていくことも考えたのですが、次の列車を見送ったとして
その次の列車までの1時間半をここで過ごすことに自信が持てなかったので、
素直に駅へと引き返すことにしました。

大釈迦駅から、今度は下りの列車に乗り、長いトンネルをやり過ごし、
さっきは素通りした、丘陵が線路のすぐ側に寄り添う所に佇む鶴ヶ坂駅へ。
線路と並走する国道沿いに、疎らに民家が小さな畑と混在しながら現れ、
その背後すぐに壁のように深緑の丘陵が寄り添う山深い雰囲気の駅です。

駅の周辺こそそんなきわめて静かな雰囲気でしたが、線路に沿う国道を
少し南下するだけで、小さい集落と出会うことができ、想像していたよりも
寂しい雰囲気を感じることはありませんでした。
素朴な住宅街は、沢に沿うように丘陵の切れ間を奥の方へ伸びていくようで、
その頭上高くを、国道が大きな橋で大きく跨ぎ越していく風景がなかなか
印象的な立体的な風景を作り出しているようでした。
線路の反対側には相変わらず丘陵が寄り添い、その中腹に、大事にされて
いそうな神社も佇んでいたりしますが、JRは線路に立ち入るなという
看板を立てるのに、踏切でもない線路の向こうに、参拝客を歓迎するかの
ように小さな橋と大きな鳥居が立っているというのが何とも言えません。

一旦集落の中を駅へ戻り、さらに北上するように進むと、集落は完全に
途切れて林の中の道となりましたが、少し進むだけで、たらポッキ温泉
という小さな銭湯が現れました。
ここまでで汗だくになった体を落ち着かせるために当然のように
入浴していくことに。こんな所でもペイペイが使えるというのがなかなか
非接触推奨の世の中を現しているようで。
中は完全に昔ながらの銭湯で、豊富な湯が贅沢にかけ流されている様子を
見て取れるところです。体を洗い湯に使った時間は決して
長くなかったのですが、元々の気温が高くて体がすでに暖まっていたから
なのか、もう汗がだらだら止まらないくらいになってしまい。
次の列車の時間を気にしてそこそこの時間で切り上げようとしたのですが、
脱衣所に上がっても汗はなかなか止まらず、今日のところは他にいく所を
考えていたわけでもないので、まあのんびり旅もいいでしょうと、
約1時間後の次の列車に乗ることに決め、広間で冷房の風にあたっていく
ことにしたのでした。
浴室に掲げられた鶴ヶ坂抄という長い文章にはこの地の歴史やこの温泉の
歴史が説明されていました。昔から鶴が浸かっていたとか言う言い伝えの
ある温泉で古くは温泉街もあったようなのですが、3軒あったらしい
温泉宿も廃業の憂き目、そこに珍味会社が新たに温泉を掘って、昔と同じ
泉質の銭湯を開いたという感じらしく。どんな形であれ、いいお湯を
楽しめる状態になった幸運を享受させていただいたということで。

何とか体が落ち着いたところで外に出ると、夕暮れの近づいた谷あいは
だいぶ過ごしやすくはなっていて、東京では感じられない夕涼みの空気を
若干ながら感じることができるようになっていました。
温泉の近くは珍味会社の工場やら、工場の倉庫やらが集まる領域みたいで
民家もないわけではないけれどわずかで、むしろ深緑の丘陵が地層を露呈
する崖のしたにリサイクルセンターと銘打つ除雪車の基地が広がっていたり
するような所だったりします。
静かな通りを駅へ、そしてその向こうのさっき訪れた集落へ進み、路地へ
分け入って踏切を越え、ヨシの茂る小川を渡った所にある集落へ向かって
歩みを進めれば、深緑の丘陵の足元に広がる長閑な田んぼや畑の風景に
ここでも出会うことができ、昔からちょっとだけ知っていた駅の周りに
長閑な風景が広がっていたことを存分に感じつつ駅へ戻って、大昔の旅で
見た交換待ちの風景とそんなに変わらないような気がする、構内は大きい
のに静かで長閑な風景ばかりが広がる風景を満喫しながら、誰もいない
長いホームで上り列車を待ったのでした。

やがてやってきた上り列車に乗り込み、長いトンネルを越え、大釈迦を
過ぎると、車窓には何にも遮られない広大な田んぼが車窓に大きく
広々と広がるようになっていきました。
右手の車窓には広大な田園の向こうに、若干雲を纏いながら、岩木山の
雄大な姿が、夕日となりつつある太陽とともに現れるようになって
いきました。
左手の車窓だけが市街となる浪岡、新興住宅地となる北常盤の駅の周辺を
除いて基本的には余りにも広々とした田園風景が広がる中を進み、時々
りんご畑も見られる長閑な風景が、撫牛子辺りからだんだん成長を始めた
弘前の街へと移り変わっていくのを眺めつつ、列車は弘前へと進みました。

ねぷたの飾り付けのされた駅をあとに、地下道をくぐった所から始まる
遊歩道のような道を歩き、宿で落ち着いてから、程近くにあるヨーカ堂で
バスターミナルの視察、フードコートでの夕食と、朝食の作戦を立てて
来たところです。せっかくだから工藤パン、そして、りんごジュースが
予想以上にたくさんの種類があるらしかったので、制覇を目指して少しずつ
朝食に取り入れてみよう、なんて思いながら、異境での買い物を楽しみ、
宿での休息を楽しんでいるところです。

掛川(2020.6.14)へのリンク

murabie@自宅です。

最近なんだか旅に出ると見聞の密度が昔より上がっているみたいで、
旅から帰るまでに速報を仕上げることができないことが増えておりまして、
今回も遅くなりましたが4ヶ月半ほど前の報告をさせていただきたく存じます。

なお、旅の日よりだいぶ時間がたってしまいましたことから、
本文は帰宅後に投稿された体とし、本日10/25の記事からリンクを張らせて
いただくという形をとらせていただきます。

こちらをクリックしてくださいませ

https://ameblo.jp/murabie/entry-12633720545.html

 

 

Jヴィレッジ、双葉、浪江(2020.10.2)

murabie@自宅です。遅くなりましたが先日の旅の2日目の報告です。

今日は昨日とはうって変わって爽やかな快晴となりました。
少し早めに宿を出て、広大に広がる青空のもと、深緑の丘陵に囲まれる
国道6号から、丘陵の中に通されたサイクリングロードを通り、
宿のすぐ近くの二ツ沼総合公園へと朝のお散歩に出ました。
高台の大通りから緑の中の緩やかな下り坂を下ると、鮮やかな緑色を呈する
パークゴルフ場が斜面の至る所に整備されている領域となり、
快晴の青空のもと、緑の斜面に囲まれて所々睡蓮の葉が茂る小さいため池が
高台の上の大きな建物を映しながら静かに広がっていました。
朝早くて東側から強い陽射しが差し込み、そのシルエットとなるようにして、
広野火力発電所の巨大な二つの煙突が印象的な姿で聳え立ち、また園の
シンボルとなるかのように、風車を模した大きな建物も佇みます。
二ツ沼の名前の通り、沼地はサイクリングロードによって2つの領域に
分かたれ、奥側、西側の沼の向こうは周囲を囲む壁のような丘陵と
広大な青空が順光に照らされて鮮やかな姿を見せ、その中腹を貫く国道6号に
早朝からたくさんの車が往来しています。

広大な園内は起伏に富んで、散歩道としてもいろいろな道を選択できるような
感じでしたが、緩やかな坂道を上って森を抜けていくと、さっき下から
見られた風車が展望デッキとなっている所へとたどり着きました。
朝一番の道はクモの巣が多いのが厄介でしたが、鉄製の階段を展望台まで
上り詰めてみれば、低地となっている園内には複雑な地形に順応するように
パークゴルフ場の緑の領域や穏やかに佇む二ツ沼、そして何やらたくさん並ぶ
温室が配され、丘陵に囲まれて南側に広がるのどかな風景へと続き、
その奥には弓なりに伸びる大通りの向こうに青い海の姿も白い空の下に
覗いていました。
東側の2つの煙突の姿もさらに大きく、奥の方にもう一つの煙突も小さく姿を
見せて、やはり逆光に強く照らされていて、
そして園地の北側を囲む深緑の丘の中には、すぐ近くとなるJヴィレッジの
電灯と思われる建造物の姿も覗いています。

展望台を降りてゆっくりと二ツ沼まで坂を下り、沼を囲む道の真ん中で
休息をとっていた2羽の真っ白なアヒルに見送られて園地をあとにして、
東西に延びる通りの反対側に見えた案内看板に従い、深緑の雑木林の
中に広がっているかのような、Jヴィレッジスタジアムの敷地へと
足を踏み入れました。
もちろん時間的に誰もいるわけのないひっそりとした雰囲気で、周囲や
入口を遮断する柵の間から、広大な快晴の青空のもとにすがすがしく広がる
広大な緑色のピッチが、J-VILLAGEという文字が浮かび上がるように作られて
いる巨大な観客席に囲まれて静かに佇んでいる様子を垣間見るだけ
見ていきました。

Jヴィレッジという施設は思っていたのとは違って一つにまとまっている
わけではどうもないようで、地図上に示されているJRの新しい駅の近くの
広大な緑地の方へ向かうには、一旦雑木林の外に出て、広野町のサッカー
グランドも広がる谷合に通された大きな県道を北上する必要がありました。
青空の元に緩やかにカーブして伸びる道は、程なく広野町と楢葉町との
境となるらしい谷を大きく跨ぎ越す橋へと差し掛かります。
山側には壁のような丘陵が立ちはだかり、谷底は雑多な樹木が繁って
流れているはずの川の姿も見当たりません。
そして海側を見れば正面に火力発電所の、さっきの二ツ沼からは遠くに
見えていた方の煙突と厳つい建物が逆光を浴び、谷の向こうには白い海の
姿ものぞき、そして火力発電所の乗る丘陵の足元に横たわるように、
Jヴィレッジ駅のホームとともに常磐線の線路の姿も見え、ちょうど
いわき行きの普通列車が通り掛かるところでした。

橋を渡って楢葉町の領域へ進むとすぐに、道沿いにJヴィレッジの施設が
広がるようになりました。マンションのような茶色の大きな建物が雑木林に
川って道沿いに現れ、分岐する通りへ分け入ってみれば、サッカーボールに
装飾された電灯が佇み、そして広大に広がる青空の元、緑色の広大な
ピッチが何面も広がって、巨大な宿泊棟も横たわる、広々とした空間が
広がっているところでした。
ピッチの向こうには室内練習場らしい白い丸みを帯びた独特な形の建物の
屋根も覗いています。
時間的なものか、どのピッチにも練習する人の姿は一切ありませんでしたが、
芝刈り機の音だけは広々とした空間に静かに響き渡りはじめていました。

もとの南北方向の大通りへ戻ると、道沿いにJヴィレッジ駅の入口が
姿を現しました。白い大きな鳥が羽を広げているような形の屋根の下に
真新しい無人の駅舎が静かに佇んでいる小さい駅で、
改札口のフロアを囲む柵の向こうには、谷の対岸の丘陵の上に佇む
火力発電所の姿がとても大きく見えています。
谷底に設けられているホームへ出るには長い階段を下っていく必要があり、
ホーム自体も上下線の線路が別々にトンネルに入ろうとして分かれていく
所に設けられていて、複雑な形状となり、ホームから駅舎の方へ振り返れば
視界に入る面積の大部分が装飾された階段となっている、
他に似た感じの構造の駅を思い浮かべることが難しい感じがします。
駅はさらに深い谷を跨ぎ、高い丘の上に乗る火力発電所の背後には
谷の向こうに海がのぞき、山側の頭上高いところにはさっき渡ってきた
大きな橋が谷を大きく跨いでいます。

暫く待ってやってきた下り原ノ町行きの列車に乗り込みました。
通勤通学の時間でありながらさほど混雑することもなく、それでも
停まる駅ごとに客が降りていく程度には乗客を乗せている列車が、
丘陵の間をすり抜け、丘陵の合間に広がる田園を見渡しながら走ります。
昨日も同じ区間を通っていますが、今日は快晴となり、下界に広がる
風景が昨日よりも色鮮やかに眺められ、ほんとだったら黄金色になって
いるはずの田んぼが、1Fに近づいていくにつれ、荒れ地となって雑草の
生い茂る緑色の広大な風景となっていき、その中に屈曲しながら道路が
通されて海の方へ通じている所も見つけることができました。

昨日下車した富岡、夜ノ森、大野を通り過ぎ、今日はその北の双葉駅に
降り立ちました。
双葉駅の東口へと出てみれば、周囲は立ち入り規制緩和区域ということに
なっていて、大野や夜ノ森のように道路を固めるようにフェンスや
バリケードが設けられるような事態にはなっていないようでしたが、
大きそうに見える駅前の街並の建物をよく見れば見るほど、壁や瓦屋根の
損傷、そして歩道のタイルの隙間から元気に伸びる雑草の姿ばかりが
目に付いてしまう、帰って悲しさを誘う風景が広がっていました。
以前ニュースで見た通り、真新しい駅舎の隣には、発震時刻を示したままの
時計が残る震災前のオレンジ色の駅舎が休憩所のように利用され、
レールが剥がされてしまった駅舎側のホームにも出られるような構造に
なっていました。

快晴の明るい青空の元、東口に広がる街へと歩みを進めてみました。
バリケードが存在しないので、いつもの旅のように交差する路地にも
気軽に入り込めてしまうのですが、表通り以上に、瓦屋根が崩れ
玄関や庭先に雑草が生い茂っている放棄されたような民家の姿を
たくさん目にしてしまいます。取り壊されて空地になっている所もあり、
荒涼とした感じをさらに強く呈し、一里塚跡なんていう標柱も、空地となった
住宅街に寂しく佇むのみ。
交通量の多い国道6号を、綺麗に保たれている地下道でくぐると、大きな
病院や薬局、集合住宅などの大きめの建物が道沿いに並ぶ領域となりましたが
歩道も傷み、そして大病院の建物も封鎖されて人の気配はなく、その玄関にも
大量の雑草が茂るばかりです。

そのまま海の方へ歩みを続けると、街並は途切れ、辺りには広大な荒れ地が
広がるようになっていきます。
巨大な農協の施設が建っているので、きっと本当は広大に田んぼが広がって
いるはずの所だと想像でき、本当だったら一面黄金色の風景になっているはず
なんだよなあと思いながら、意外と強かった日差しのもとをまっすぐ歩き、
久しぶりに暑いという感覚を覚えました。
海にも近いので、もしかしたら津波にさらわれた痕ということになるのかも
しれませんが、いずれにしても長い間放置されたままの田園の中、
ぽつんと立つ2つの大きな建物を目指して延々と歩いていきます。

やがて、道はおそらく公園として整備されはじめたのか、真新しい道の
周りに工事中の区画の目立つ領域へと進み、その中心となるように佇む
真新しい建物である、東日本大震災原子力災害伝承館という、10日程前に
オープンしたばかりの施設へとたどり着きます。
昨日の東電の施設とは違い有料施設となりますが、中はやはり動画が
多用され、あの日やその後に続く日にこの地で起こったことを、原発に
限らず様々な観点で伝えてくれます。
昨日の施設では触れられていなかったような気がする、風評被害についての
ことにも触れられていたり、そして日常生活が突然破壊されたことを示す
近隣の小学校や高校で放置されていたものの展示や、猪に荒らされた
民家の襖や缶詰など、おそらくここの近辺でしか起こっていない被害に
ついても知ることができる所でした。

隣には双葉町産業交流センターという、昨日オープンしたばかりらしい、
オフィスなどがいくつか入居する新しい大きな施設が佇みます。
屋上が展望台になっていて、辺りの様子を広々と見渡すことができ、
歩いてきた荒れ地が広大に広がる領域の奥に街並が広がって遠巻きに丘陵に
囲まれている様子や、東側に広大に広がる工事中の領域の向こうに清々しく
海原が波を上げながら広がっている様子を、爽快に眺め渡すことができます。
しかし南側に横たわる丘陵の足元には整然と、おそらく廃棄物の納められて
いる巨大な容器が並び、辺りに巡らされる道をよく見るとそちらの方へ
伸びる道の途中にはバリケードが築かれて通行止めとなっているようでした。
その丘の谷間にわずかに煙突のような構造物がのぞき、案内によれば
それが福島第一原発が建つ方向だというので、もしかしたら現状1Fの姿を
誰でも垣間見ることができる唯一の場所ということになるのかもしれません。
館内には食堂やフードコートもあります。昨日の宿で見たニュースでも
報じられた、現状双葉町で唯一の飲食店ということになるらしいところで、
以前は駅の近くで営業していたと報じられていたハンバーガーを昼食に。
素朴な味に、戻りつつある平和を感じたり。

午後になり、さらに明るくなった青空の元、平らな荒れ地が広々とする
所から、民家や集合住宅など大小様々な建物が雑草に侵略されている
住宅街へと歩み、双葉駅の周辺へと戻っていきました。
駅から伸びるメインストリートだけでなく、周囲には商店などが集まる
小さい街が形成されていたようなのですが、商店は崩れかけ、神社の境内も
封鎖されたまま。そして大きくて綺麗に見える図書館も、玄関の周りの
タイルには雑草が繁り、入口の自動ドアも反応する気配は感じられません
でした。

午後になり、やってきた下り列車に乗りこんで、ここまでと同じように
丘陵を避けながら合間に広がる広大な荒れ地の風景を見渡す車窓を見て、
次の浪江駅に降り立ちました。
昭和の国鉄の息吹を感じるような、新しくないコンクリートの駅舎は
立派でしたが無人駅になってしまっているようでした。
ここまでくると立ち入りの規制が解除されて久しい領域となり、
行く手を阻むものはなくなるはずだったのですが、駅の周辺の集落に
営業している店舗はあまりなく、ホテルも建築業者に借り上げられ、
そして何より、空地ばかりが目立ってしまう風景となっていたのです。
規制が解除されて時間が経ったおかげで、整理が進んでしまう一方、
新しく生まれ変わるというモードにはなりきれていない、苦しさのような
雰囲気を強く感じます。
建て直されたと見える新しい郵便局の建物の傍らに、震災で犠牲になった
郵便局員の名前が刻まれた碑が建っているのが、なんとも言えず哀しいです。

街の東側を南北方向に伸びる国道6号に向かい、街の北側で東西方向に
伸びる大通りに出ると、車道よりもむしろだだっ広い感じの歩道が
寄り添い独特の雰囲気を作りますが、営業しているコンビニや飲食店も
現れて寧ろ明るい雰囲気となっていきます。
中には封鎖されたままの大きなお寺が静かな杜の中に佇んでいたりも
して悲しさを誘いましたが、その道が国道6号にぶつかる交差点に、
真新しくて大きな道の駅ができていました。
駐車場にうけどんというらしい、なんかいくら丼を頭に乗せている
巨大な空気人形が佇んでいたりしましたが、物産展や飲食店が普通に
営業する賑やかな道の駅です。
国道6号には大量の大きな車がひっきりなしに往来し続ける一方、裏手には
請戸川が丘陵に囲まれるように緑豊かな中を流れるのどかな風景も
広がっています。

今回の旅で他に訪れたい所はもう思いつかなかったのですが、帰郷する
ための列車の便は結局予約していた夕方のものまでない状態だったので、
復興市場も並ぶ近くの大きな町役場で、近辺の店で買い込んだ飲み物など
飲みつつ暫し休息を取り、夕方の色が街中に少し現れてきた頃もう一度
道の駅へ戻って、早めの夕食として気になっていたなみえ焼きそばという
ものをいただくことにしました。
弾力のある太麺にソースの濃い味付け、そして一味唐辛子をたっぷりかけて
好みの辛さで食べることができる、なかなかおいしい夕食となりました。

そして道の駅をあとにする頃には、すでに辺りは夕暮れの色がだいぶ濃く
なってしまっていました。さっきとは違う東西方向の、さっきよりも街の
風情を本当なら色濃く感じられる素朴な大通りといった感じの道を西へ
進めば、進行方向に夕陽が現れ夕焼け空が広がるのですが、肝心の街並みは
ここでもやはりすき間ばかりが目立つ状態でした。
程なく夕日を浴びてシルエットとなる浪江駅の駅舎へとたどり着き、
辺りがだんだん薄暗くなるころにやってきた、品川行きのひたち号に
乗り込めば、辺りはあっという間に夜になってしまい、そして品川までの
3時間半の汽車旅は、ほとんど居眠りをして過ごすばかりと
なってしまったのでした。
 

大野、夜ノ森、富岡(2020.10.1)

murabie@福島県広野町です。

いつもと違う感じだったけれどみんな頑張った職場の大きな行事が終わり、
気がつけば気候も良くなり、都民の日と研究日がつながり、gotoなんとかの
権利も行使できるようになりと好条件が重なりまくったところで、
本当だったら春に行きたかった、常磐線再開記念環境問題の勉強の旅に
出ることにしたわけです。
快晴の昨日とは違ってどんよりと曇りぱらぱら雨も舞うような状態だった
わけですが、とりあえず早朝のひたち号の客となり、うとうとしている間に
進んでいた日立のマークの大きな建物の並ぶ辺りから、時々鉛色の荒々しく
波を打ち寄せる海を垣間見つつ、丘陵の合間の険しい道や、遠巻きに
壁のような山並みに囲まれる、黄金色に変わりつつある広大な田んぼの
風景を見ていきます。
いわき駅で各駅停車に乗り継いでも同じような風景が続き、丘陵の間の
谷合を渡れば、荒れ地の中にひたすら伸びる道や、せせこましく田んぼの
広がる谷を見渡し、その先に鉛色の海が垣間見られる車窓となります。
以前訪れた三陸のように震災の爪痕が強く感じられるような車窓はあまり
多くはありませんでしたが、それでも海が見られれば頑丈な護岸で
固められていることが多く、特に富岡駅の駅裏には海側に広大に工事中の
ような荒れ地が広がっていたりもしました。

まずは大野という駅に降り立ってみました。
大熊町ということになる駅は無人駅でしたが真新しい立派なものでした。
地図上では福島第一原発の最寄り駅ということになるようでしたが、
まさに最前線となる東口の方へ進んでみると、駅の中から駅周辺に
丘陵に囲まれながら点在する民家の集落が見えるのですが、そこへ至る道は
ほぼ全て帰還困難区域のバリケードで封鎖されている状態でした。
駅のすぐ近くに見える大きなお屋敷の足元にバリケードが横たわり、
となりの草生している児童公園も封鎖され、その背後に小さい商店を
含みながら住宅地が広がっていましたが、路地への入口は悉く封鎖され
工事関係者のみがつち音を響かせている状態。
ついついいつもの癖で、通れそうな車道の上り坂を上って、駅の北方で
東西方向の通りと交差すれば、道幅の割に余りに多すぎるダンプトラックの
行列に出くわし、写真など撮りながら適当に彷徨っていたら実は歩行者は
立ち入ってはいけないところだったらしくてお巡りさんに優しく駅まで
連れ戻されたりなんていうこともあったりして。
結局駅の東側は、駅からは住宅街が見られたけれど、現状自由に
立ち入ることができるのはほぼ駅前広場のみという、ちょっと考えさせ
られてしまう状態だったりしたわけです。

駅の西側に歩みを進めて見るとこちらも、駅前に佇む大きな新しい建物に
至る道が封鎖され、線路と並行して南北に伸びるメインストリートに
面する建物の入口も全て閉鎖され、そしてネットで見たことがあるような
気がする、商店街の入口が閉鎖されてそのバリケードの中に朽ちかけた
商店が並び、道は草生して車も取り残されているという悲しみを誘う風景が
覗いていたりもします。
こちら側は、大熊町役場へ通じる道だけは自由に通れる状態になっていて、
元々の駅前の街並の中を少し折れ曲がりながら、素朴な民家が余裕をもって
並んでいる領域へと通じていたのですが、フェンスとバリケードで封鎖
されている住宅街の中には窓が外れたり瓦が乱れたりした痛々しい姿の
ものも少なくなく、駐車場も庭も草生してしまっています。コンビニのような
商店もまた例外ではなく、そして交差点に指しかかるたび、朽ちかけている
商店がバリケードの中に姿を現してくるのです。
フェンスとバリケードで囲まれているのはもしかしたら道路の方なのかもな
とか思えてしまう悲しい風景を作る大通りを南下していくと、ある所から
立入規制緩和区域ということになるようで、道に並ぶフェンスは姿を消し、
道沿いの新興住宅街へも自由に入れるようになっていきました。
しかし住宅街の中に分け入ったところで人の気配はほとんど感じられず、
至るところの道端や新しそうな民家の庭にも雑草はたっぷりと草生して、
悲しい風景をより大きく見ることができただけのような感じになって
しまっていたのでした。

大野駅に戻って上り列車に乗り、一駅戻って隣の夜ノ森駅に降り立ちました。
堀割の底に通されたような線路を囲む土手には、震災前にはツツジの花が
大量に咲き誇っていたらしいのですが、今の斜面は草生す中にかろうじて
ツツジの幼木の姿が見られるのみ。
堀割を跨ぐようにして作られた真新しい駅舎を、住宅街のある方の
東口へと出てみれば、駅前から東へまっすぐ続くメインストリートはここでも、
フェンスとバリケードに固められている状態でした。
おそらく駅前で一番目だっていたのであろう商店も、朽ちかけたたくさんの
自販機と、丸型ポストとともにフェンスに囲まれ、駅前広場もまたフェンスに
囲まれ、その向こうには決して古くないアパートや、瓦が崩れた民家が
すぐそこに佇み、そしてメインストリート沿いにも、解体が進んだのか
空地こそ多いのだけれど、充分住めそうな民家もたくさんフェンスに
囲まれながら並んでいて、そしてバリケードで封鎖された交差点では、
やはりその向こうに朽ちかけた商店の姿がのぞきます。

道は程なく、南北方向へ伸びる大通りと交差していきます。
この道の道沿いは立派な桜並木となり、特に南の方へ伸びる道を覗き込めば
さながら桜のトンネルのような雰囲気を感じることができ、是非とも桜の
季節に再訪してみたいと強く感じることとなりました。
交差点はロータリーのようになり、開花標本木なんていう特別な桜の木も
佇んでいたりしましたが、その奥に続く住宅街への入口はやはり
バリケードで封鎖されたままでした。
南北方向の道を北上すると、道沿いではリフレなんとかという巨大な
施設が解体作業中だったりしましたが、合流する路地はやはり悉く
バリケードで封鎖され、道沿いの建物も新しそうだけどよく見ると
朽ちかけている悲しい姿を晒しています。
次に東西方向の大通りと交差する所では、北にも東にもバリケードが
設けられてしまい、西へ進むしかない状態となっていたわけですが、
バリケードの東側にはトンネルのように鬱蒼と茂る桜並木が除き、
北側には小さい商店の類も姿を見せるひっそりとした住宅街が
覗いていました。
その道を道なりに西へ向かえば、朽ちかけた商店や、山門だけを残した
日蓮宗のお寺がフェンスに囲まれているのを見て、常磐線の線路を跨ぐ
橋へと進んでいきます。

線路の西側は一転、避難指示が解除された区域ということになって、
あれほど物々しい雰囲気を作っていたフェンスもバリケードも一切消えうせ、
遠巻きに壁のような丘陵に囲まれて田園が広がりながら、駅の近くには
そこそこ建物の姿も見られる風景となっていきます。
そして線路に寄り添う道には、巨大な桜の木がうっそうとした桜並木を
作っています。桜の季節にここに来れば、桜のトンネルを駆け抜ける列車の
姿に出会うことができそうな気がしましたが、今日も緑のトンネルを
列車が通りすぎていく風景に出会うことができました。
夜ノ森駅の西口もこの道沿いに口を開き、新しく駅前広場も造成されて
いるところでしたが、東側のような住宅街が発達しているわけでもなく、
しばらくはひっそりとし続けてくれそうな感じがします。

駅の南側で線路を跨ぐ橋を渡って線路の東側へ回り込むと、そこは帰還困難
区域ではなくて普通にガソリンスタンドが営業していたりしたのですが、
路地を北側に分け入ると、帰還困難区域との境界にまたフェンスが
横たわって、瓦の乱れた民家が佇んでいるのをフェンス越しに眺める道と
なっていたわけです。
ほんのわずかな差で帰宅困難区域から逃れた南側には真新しい集合住宅の
類も姿を見せていましたが、一方で草生して放棄されたような建物もあり、
このフェンスはいったい何を明確化する存在なのだろうかと、答えの出ない
疑問にしばらく悩まされながら、領域の境界となる路地を歩んでいきました。

程なくさっきの南北方向の、桜並木のトンネルの大通りへと合流します。
大通りの対岸には、ぱっと見普通に営業してそうに見えるヨークベニマルの
ショッピングセンターのようなものがフェンスに囲まれています。
その向こうには溜池を中心とする園地のようなものが広がっている
ようでしたが、草生した駐車場の向こうに明るい雰囲気だけは覗くのだけど、
その様子を伺うことは能わず、南へ移動してみても、草生した集合住宅が
フェンスの向こうに立ち並ぶばかりでした。
ここから南の方へ伸びる大通りも桜並木のトンネルに囲まれていて、
やはりここは桜の季節にくるべきところだと、改めて感じながら、
さっきのロータリーの交差点経由で、夜ノ森駅へと戻っていきました。

なんだかこの夜ノ森の街というのが、さっきの大野駅周辺以上に、
帰宅困難区域というのを強く感じさせてくれたような存在であった
ことを感じながら、しばらく待ってやってきた上り列車に乗り込み、
丘陵を抜けた高台から見渡した街並を訪れるべく、駅裏に荒れ地と堤防で
固められた海岸を擁する富岡駅へと降り立ちました。

富岡駅は海に近いだけあって、震災の時には駅舎が流出する被害に
遭ったらしく、去年三陸で見た、駅前に隙間の多い新しい住宅街が
広がるような荒涼とした風景がここにも広がっているということを
感じることができました。
丘陵に囲まれるように広がるそんな新しい住宅街の中の新しい道を
のんびりと歩んで、学校やショッピングセンターなども佇む丘陵の足元へと
歩みを進めていくと、市街の中心のような所に洋館風の建物が現れ、
そこが気になっていた東京電力の廃炉資料館という施設でした。
かつてはエネルギー館とかいう子供達を遊ばせる施設だったらしいのですが、
数年前にリニューアルしたもののようです。
コロナの影響で自由参観はできず少し待たされてツアーに参加する
形態となりましたが、東電の謝罪や反省の言葉から始まる映像が館内展示に
多用され、震災の日に福島第一原発で何が起こったのか、何ができたけど
何ができなかったのかということを、おそらく真摯に正しく伝えてくれて
いました。
そして原子炉が現在どのような状態になっているのか、これからどのように
廃炉へと向かっていくのか、どのような機械やロボットを用いて内部を
調査しているのか、作業に従事する人たちはどのような装備で臨んで
いるのかなど、福島第一原発に関するいろいろなことを学ぶことができた
ような気がしました。

帰りは国道6号経由で、駅前の荒涼とした市街を囲む丘の上の展望台の
ような小公園から、堤防の向こうに広がる海原の姿を垣間見つつ、
富岡駅へと戻って、最後にまた上り列車に乗って2駅ほど上り、
夕暮れに襲われつつあった木戸駅へと降り立ちました。
今日ここまで見てきたような震災の爪痕のような風景にはここでは
出会うことはなく、ただとても重厚な瓦屋根のお屋敷のような民家に
固められる通りを進むうちに辺りはどんどん暗くなっていって、
住宅街を抜けると谷底に黄金色の小さい田んぼが広がりながら、
その向こうにはきらびやかで奇妙な形の道の駅がライトアップされる
ようになっているのが見られるようになり、そちらへ向かって歩みを
進めれば、丘陵に囲まれて佇んでいた溜池に道の駅の姿が映し出される
幻想的な風景にも出会うことができました。
夕方で終わってしまうことなくちゃんと夜まで営業しているフードコートで
夕食を摂り、また温泉施設もしっかりと利用して、すっかり夜になった
工業地帯に寄り添われる真っ暗な国道を南下し、いつの間にか雲の取れた空に
浮かぶ仲秋の名月を楽しみつつ、Jヴィレッジへの入口を通過して
たどり着いた宿でのんびりと過ごしているところです。
 

掛川(2020.6.14)

murabie@自宅です。

#この報告は2020.10.25 7:34に公開されました。
#報告が遅くなり、大変申し訳ありませんでした。


政府の要請から見ると若干フライング気味だったことに後で気づいたの
ですが、綺麗で快適な時期に我慢を強いられていた反動とばかり、
久しぶりに旅に出て、早朝の新幹線に乗り込みました。
もちろん梅雨時で東京も丹沢も富士山も低い雲に覆われてどんよりとする、
朝であれば肌寒さも感じられるくらいの気温の中、自由席であっても
がらがらなこだま号に揺られ、どんよりとした斜面の茶畑の間を縫い、
空気がぬるく感じられはじめた掛川駅へ進みます。

構内の素朴な細い地下道をくぐって、クレオソート色の木造の蔵っぽく
作られている北口駅舎を後にしてすぐ隣の天浜線の駅へと進み、急いで
切符を買ってすぐに発車する単行の列車に乗り込みました。
並行していた立派な新幹線と本線と別れて、住宅地や工場が紛れ込んでいる
丘陵の間へと進み、掛川市役所前駅を過ぎると丘陵を抜けて、
見晴らしのいい高台へと進んで、遠巻きに丘陵に囲まれながら、
ロードサイド見せが密集していたり、大きな工場や小さな住宅地が
入り混じっていたりする掛川の街並が広がるのを見渡して、列車は徐々に
地平へ下っていきます。
味わいのある木造駅舎を持つ桜木駅のホームは、みずみずしく咲き誇る
紫陽花の花にちょうど彩られ、列車は深緑の丘陵に囲まれたみずみずしい
田園風景の中を進んでいくようになります。
所々、地元の人たちがたくさん繰り出し、線路際の除草作業に勤しんでいる
場面にも出会います。三セクだと地元の仕事になるのかと少し驚きも
感じたりもしました。
そしてちょっとした集落が広がる原谷駅を過ぎると、遠巻きに周囲を
取り囲んでいた深緑の丘陵が車窓に迫ってきて、徐々に山がちの風景へと
変わっていきました。

丘陵に囲まれる田園に通された大通りに面して、ホーム1本のみが横たわる
原田駅で下車し、線路とともにカーブを切って山奥へ向かうような道から
分岐して、山あいの集落の方へ伸びる道を歩んでいきます。
道沿いには民家や、部活動が再開している中学校なんかも現れますが、
左手の建物の背景には丘陵が迫って、その頂上部には茶畑の姿も
覗いています。右手の中学校の裏には丘陵に囲まれるようにして田園が
姿を見せ、そして道の前方に集落を囲むように横たわる丘陵の中腹を
高速道路の高架がまっすぐに横切っています。
道案内に従って道を折れれば、集落から遠ざかるに連れて、深緑の丘陵に
囲まれる田園が曇天の元に広大に広がるようになっていき、
桜並木に囲まれている川を2本ほど渡って、さっきとは反対側から集落を
囲む丘陵の足元へ近づくと、丘陵に沿うように長い白壁が横たわって
いるのが見られるようになっていきました。

その白壁の建物が、今日最初の目的地の加茂荘花鳥園でした。
白壁の木造の大きな蔵づくりの建物は、広々とした駐車場を伴い、
色とりどりの満開の紫陽花に彩られ、しっとりとした穏やかな雰囲気を
作り、低い所に設けられた屋根の上をよく見れば、コケ植物が繁茂して
花か実のようにも見える赤い粒を伴っています。
トイレの片隅をよく見てみると小さなカエルが群れをなしていたりも。

受付と土産物屋を兼ねる大きな木造の建物を通過して庭に出れば、
左手に丘陵を従えつつ、丘陵と塀で囲まれた広い領域の中に、たくさんの
色とりどりの花を咲かせている花菖蒲が生きる大きな池が、広大な曇り空の
下に穏やかに横たわり、白い大きな蔵のような建物が池のほとりに建って
大きな絵のような風景を作り出していました。
池に植えられた薄紫や黄色の華やかな花菖蒲の間には、池の上に
出られるような木道が折れ曲がりながら渡されて、花菖蒲だけでなく
開水面を埋めるように茂る睡蓮にも彩られ、白い蔵とともに横たわる、
受付の入っていた大きい建物を背景とするような風景にも出会うことが
できます。
そしてぽつぽつと弱い雨が落ちる中、園内の散策路を巡っていれば、
菖蒲や睡蓮などに彩られる池の水面には、たくさんの鴨達がのんびりと
泳ぎ、合唱するように鳴き声を上げたり、思い思いに歩いたり飛んだり
跳ねたりと、気ままに過ごしているところを楽しむこともできました。

園地に寄り添う丘陵の足元には、ここが古い庄屋の屋敷の跡であることを
示すように古い門が案内看板とともに建ち、中へ進めば木々に囲まれる
薄暗くて静かな領域に大きな木造の建物が佇みます。
加茂家という庄屋の建物がそのまま残されていて、かまどや当時のままの
生活で用いる様々な古い道具が展示される土間から、畳の上へとあがり、
黒ずんだ柱に支えられる古めかしい建物の所々に装飾が施されつつ
箪笥や仏壇などの古い家具が当時のままに佇む薄暗い部屋がいくつも
続くお屋敷の中を、比較的自由に彷徨うことができます。
奥の方へ進めば、庭園のように樹木に囲まれている小さな池に面して
廊下が伸びる所もあり、そして一角には、氷菓とかいうアニメの聖地で
あることを示す展示物がまとめられている所もありました。
そのアニメを見たわけではないのですが、薄暗い古民家のしっとりとした
雰囲気を存分に感じられる所でした。
連結されている納屋のような建物は部屋の領域が広く取られ、農作業に
用いられた古い道具が並び、動いているところは見られないものの
中には精巧な仕掛けが隠れていそうなものもあるようでした。

再び明るい大きな庭へと歩みを進めます。
庭園は丘陵に並行するように奥へと伸び、池には花菖蒲だけでなく
蓮も植えられている所があって、小雨の中、開いた葉に大きな水玉が
転がります。
そして池が途切れると、紫陽花の森が広がるようになって、深い木々に
覆われて鬱蒼とする園地の末端へと進んでいきます。
道に面して高密度に広がる紫陽花の森の方も、様々な品種で様々な色の
鮮やかな花房が至る所で大きく開き、しとしとと降る雨の中、こちらも
この時期ならではのしっとりとした風景を作ります。
道沿いだけでなく、森の中へ分岐するような小路を覗き込んでも、
色とりどりの紫陽花の花が、華やいだ雰囲気を作っていて、
行ったり来たり彷徨いながら、陰欝な空模様のもとに鮮やかな風景を
造る紫陽花の息吹を存分に感じることができました。
紫陽花の森の奥まった所、やはり丘陵を背後にして木々に囲まれる所には
別の古民家も佇んでおり、中では何やら焼き物と、石を削って作った
小さい像の作品が展示され、よく見れば周囲の森の中にも精霊のようにと
いうことなのか、梟とか地蔵とか、石でできた小さい像が隠れていたりも
していました。

ぽつぽつ雨の降るあいにくの天気の中でしたが、紫陽花も綺麗だったし、
花菖蒲の咲く池も明るく綺麗だったし、そしてその間の水辺を群れをなして
気ままに往来する鴨達の姿にも癒されながら、白い蔵に寄り添われる大きな
花菖蒲の池の広がる入口の建物へと戻り、
今度は建物の中にあった順路に従って進んでみると、そこそこ大きな規模の
熱帯植物園のような温室の領域が、意外と大きかった建物の中に
広がっていました。やはりちょっと蒸し暑さを感じる所ではありましたが、
室内でもいろいろな品種のいろいろな色や形の紫陽花をたくさん見ることが
でき、紫陽花以外の色とりどりの植物の姿や、カゴに入った鮮やかな色彩の
熱帯のインコにも出会うことができ、華やかな雰囲気の中を暫し彷徨う
ことができました。
またフェンスに囲まれた一角にはたくさんの鴨達が放し飼いされる領域も
あり、歩道では足元をちょろちょろと動き回り、また歩道と並行する
細長い池には隊列をなしてすいすいと泳ぎ回る鴨達の姿に
間近に接することができる、楽しい領域となっていました。
歩道の隅を見てみれば所々に卵も産み落とされていたりするような、
鴨達にとっては自由な空間といった感じでもあるようでした。

もう一度園内に出ると、丘陵を背景に白い蔵に見守られて長閑に広がる
絵のような花菖蒲の池のさほど広くない開水面に、鴨達の行列が
移動していく微笑ましい風景にも出会え、
楽しい思い出とともに、お昼時の近づいた園地をあとにすることが
できました。帰り道は加茂荘の白壁沿い、そして園地を囲む丘陵の足元を
たどるようにして、崖下にひっそり佇む神社や、交差点の空地で満開と
なっている色とりどりの鮮やかな紫陽花の姿を愛で、のどかな田園の道を
原田駅へ戻り、天浜線の上り列車で掛川駅へと戻っていきました。

午後は似たような名前のもう一つの見所を訪れるべく、駅前のコンビニで
前売入場券を買ってから新幹線側の南口へと回り込み、巨大なホテルと
民家と高速道路が混在するような新しい街並を南下していきました。
そして高速道路をくぐり、所々鮮やかに紫陽花やその他の花に彩られて
広がる住宅街の中の路地を抜けていくと、幹線道路の対岸に、
丘陵に囲まれてまた白壁の建物を目印とする掛川花鳥園が、
広大な駐車場を伴って現れてきました。

時節柄厳格に体温を測定されて入園すれば、外装以外別に古いことは
なかった建物の中で、たくさん並ぶガラス張りの部屋の中で思い思いに
過ごしているたくさんの梟たちに出迎えられました。
土産物屋もある建物を貫くように順路に従って歩みを進めれば、
一旦外に出た次の建物との間の狭い領域に、2つの四角い池が設けられ、
片方では様々な種類の鴨達、そしてもう片方では暑いのに大変だなあ
といった感じでケープペンギンたちがすいすいと泳いでいるところでした。
体表がちゃんと羽毛で覆われていてちゃんと鳥類なんだということが
よくわかるわけですが、水から上がって首をすぼめて佇んでいる奴の
姿も含めてその愛らしさを楽しむことができました。

次の建物は広々とした巨大な明るい温室のようになっていて、片隅に
フードコートや土産物屋があったりするのですが、そこここに熱帯の
植物が育ち、様々な派手な色の花を咲かせる植物の固まりが天井からも
吊されて華やかな雰囲気を作りながら、その間に子供の遊び場のような
所もあったりする憩いの空間のようになっていました。
フードコートで軽く昼食をいただいてさらに奥まで歩みを進め、
ドアを開けて隣の部屋へ進めば、やはり室内だったのですが、
小さい浅い池の中や周りまで、大小様々で色とりどりのたくさんの
鳥たちが自由に動き回る中へと入っていけるような部屋になっていました。

朱鷺を小さくしたような朱色やピンク色の鳥、オオハシというらしい
黄色くて太い嘴を持つ鳥は部屋の中を水辺から歩行者の領域にまで
自由気ままに歩き回り、池の上に1本足で立つフラミンゴや、
姿形や大きさはまるで違うのだけどやはり1本足で立つ小さめの鳥や、
歩き回りながら細長い嘴を叩くような大きな鳴き声を上げるもの、
鷹の仲間なのか小さいけれど鮮やかな黄色い嘴がかわいらしいものなど
普段見ることはまずない鳥たちの世界の中で過ごすことのできる部屋の
中に、時々大きい孔雀も彷徨い歩いているのに出くわしたり。
鶴かコウノトリのような出で立ちだけど嘴の色合いが派手な大きい鳥には
餌の魚が与えられ、長い嘴で見事にダイレクトキャッチする様子も
見られます。

建物はさらに大きな温室となる部屋へと繋がっていました。
熱帯の巨大な蓮などの植物が葉を浮かべる池の中に小さい熱帯魚の
群れが泳ぎ、その池を中心にする巨大な温室内の空間には、
時々不意を突くようにインコのような派手な鳥の群れが、大きな鳴き声と
共に室内を旋回するように飛び交っていき、そのたび温室の中で過ごす
たくさんの家族連れの注目を浴びています。
温室を取り囲む壁は網が巡らされて樹木も植えられ、その枝にもいろいろな
派手な色彩の熱帯の鳥たちが、会話を楽しむように過ごしています。
インコの群れが時折騒ぎを起こすように室内を周回する巨大な部屋から
隣の小さい部屋へ進めば、嘴の先がスプーンのようになっている鳥や、
帽子を被っているような派手な小さい鳥、そしてアルビノなのか真っ白な
孔雀にも出会うことができました。

さらにその奥へ進めば、ハシビロコウの飼われている部屋も訪れることが
できました。噂通り、庭園のような池のほとりであまり動かないの
だけど、鋭い眼光を示してくる、でも特有の巨大な嘴のおかげで表情が
どうしても愛らしくなってしまう姿を楽しむことができます。
動かなそうに見えて、ずっと見続けていれば案外そわそわ体の向きを
変えるような動きがあり、暫し威厳をもって佇む先輩の姿を愛でていく
ことができました。

ここから巨大な温室内を折り返すように歩み、インコの飛び交う
熱帯の池を再び通り、気の切り株のようなものの上で梟がじっとしている
のを間近に見られるイベント広場のような大きな部屋を通過して、
今度は屋外へと歩みを進めました。
つい最近開花したという、世界一臭い花であるらしい蒟蒻の仲間の植物が
出入口の所に植えられていましたが、風のせいもあるのかはたまた
マスクのせいか、あまり臭いの印象は残りませんでした。
庭のような領域は深緑の丘に囲まれて広々と広がり、大きな池も
横たわります。その池の端はさっきまでいた温室に寄り添うように
広がって、池の上を渡る橋のような木造の遊歩道を進むと、建物の際に
咲く紫陽花や、その側でのんびり過ごすペリカンや黒鳥、それに対岸の
丘で柵に囲まれながら静かに過ごす、頭に派手な飾りをつけている鳥の
姿にも出会うことができます。
そして広場の方へ戻っていけば、水面に浮かぶ白鳥と客が戯れている
光景にも出会え、また広場の奥の丘の足元へ進めば、ダチョウのような
大きい鳥が飼われる柵や、小さい猛禽類に与えられた個室がいくつか
集まる小屋も佇み、屋外でもいろいろな鳥類に出会うことができました。

そして屋外では、バードショーが行われる時間となり、池の周りに
たくさんの人が集まってきました。
軽妙な語り口の飼育員さんの説明で、隼が大空をダイナミックに舞う、
という見世物のはずが、ハリスホークのギンジというらしい最初の出演者が
なんか怖じけづいてしまったのかうまく飼育員の言うことを聞いてくれない
なんていうハプニングもあったり。池の向こうの森に逃げ込んで
烏にいじめられるなんていうこともあったりしましたが、最終的には
無事に飼育員さんの所まで力強く飛んできたり、次に出演した
ラナーハヤブサのアーチェリーは最初から元気で、餌を振り回す飼育員の
もとへ丘の上から大きな弧を描いてダイナミックに飛び掛かっていく
勇ましい姿を見せてくれ、大きな喝采を浴びていたのでした。

こうしてだいぶ雰囲気の違う2つの花鳥園をはしごし終えた頃には、
辺りに少しずつ夕暮れの風情が漂い始めていました。
掛川駅の北側の街へと戻り、普通に賑やかな街並を北上していくと
道沿いには昭和レトロ的な無機的なコンクリートの小さいビルが現れる
ようになり、そしてさらに北上すれば、立派な白いお城の天守閣が乗る
こんもりとした丘の足元に、古い雰囲気を与えられた街が現れてきました。
丘と街とを隔てる堀割のように深く削りこまれた小川の岸には、赤やら
白やら黄色やらオレンジやらいろいろな色の百合の花がたくさん咲いて、
おそらくお堀だった川を華やかに彩っていました。

丘の足元から、城の遺構の存在を表す案内がそこいらに見られるようになり、
天守の載る山へ昇る石段の道には復元された四足門という瓦屋根を伴う
木造の重厚な山門が建ち、そして坂を上れば十露盤(そろばん)堀という
四角いお堀が緑に囲まれ、その上に白いお城が凛々しく姿を表しました。
本丸広場ということになるらしい、丘の足元に黄色い百合の花がたくさん
咲く植物園となっているステージ状の領域を横目に、天守台の方へ昇る、
白壁の塀を伴ってカーブを描く石段を昇っていきましたが、
天守閣へは時間切れで入ることはできませんでした。それでも丘陵に
囲まれて建物の密集する掛川の街を、新幹線が爆速で貫いていく様を
暫しのんびり佇み眺めていくことができました。

天守閣の丘を下って、さっきの十露盤堀のある緑の斜面に他にも掘り込まれた
複雑な堀の造る立体的な風景を垣間見て、城内へ戻り、二の丸御殿と
いうらしい重厚で大きな古い建物をかすめ、城の北側の街へと下ると、
折れ曲がる路地に洋館風から重厚な瓦屋根まで様々な大きい建物が集まって
古めかしく造られたような城下街が現れてきました。
中でも広い駐車場を伴いながら、古い学校を思わせるような大きな瓦屋根の
木造の建物をはじめここに現れる大きな建物のいくつかは、二宮尊徳の
偉業を讃えているっぽい大日本報徳社とかいう団体のものであるようでした。
重厚な門に囲まれている竹の丸庭園という所も営業時間外で閉鎖されて
いましたが、静岡県民以外は来てほしくない的な掲示も見られたりしたのは
ご時世といったところなのでしょうか。
別の路地を南下すれば、報徳社の木造瓦屋根のお寺のような重厚な建物が
石柱の門の中に佇んでいたり、現役の大きい綺麗な図書館の向かいに
やはり報徳社のもとの図書館であるらしい黄土色の四角い洋館が佇んで
いたりし、そうこうしている間にお城の天守の載る丘の下まで降りた
ような感じになって、鬱蒼とした杜の片隅のような所に、赤い橋が
複雑に架かるはす池というらしい四角い池を中心とした綺麗な庭園が
広がっていたりしました。

そこから掛川駅の方へ戻るように民家の間を南下すると、さっきお城の
入口の辺りで渡ったお堀のような小川が、ここでは主にオレンジ色の
百合の花に彩られて横たわり、橋を渡るとすぐに、復元された大手門が
現れました。
大きなしゃちほこも載る立派な瓦屋根を抱く、白くて重厚な巨大な建物が
道端の公園のような区画に建っています。
建物の中には発掘されたもとの大手門の礎石なるものも展示されていて、
少なくともその大きさは良く伝わってきます。
そして、周辺に広がる素朴な街並へ続く道路上少し離れた所には、
整然と6つの大きな丸印がペイントされています。かつて大手門の建物が
実際に片足をつけていた所を表すらしく、もう片方の足の場所は
明示されていませんでしたが、どうも店舗の駐車場になっている辺りに
あったらしく。
ようは小さいお店に寄り添われるようにして、川のほとりで佇んでいる
白い重厚な門をこの位置までスライドすればきっと昔の風景に
なるのだろうと思いながら、周りを見渡せば、大手門の肩越しにさっきの
掛川城の白い天守閣を載せる丘の姿も確認することができました。

もう刻一刻夕暮れの色が濃くなっていく頃合いとなっており、
新しい大きな建物と古ぼけたコンクリートの建物がつくる昭和の臭いの
市街地の横丁に、本陣通りという提灯や幟で彩られた、夜になったら
賑やかになりそうな飲食店が密集する通りなんかも見つけつつ掛川駅へ
戻り、街なかで早めの夕食を済ませて、最後に夕方の上りの新幹線で
久し振りの旅を締めくくったのでした。
 

下賀茂、田牛、盥岬、弓ヶ浜(2020.2.24)

murabie@自宅です。
遅くなってしまいましたが、3週間ほど前となってしまった連休の
1泊旅行2日目の報告です。

桜旅の2日目は、宿の周辺の下賀茂温泉街の散策から始めました。
宿の窓からも、明るくなった空を見れば、緑の丘陵に囲まれた底の部分に
ピンク色の領域が見られ、そして辺りにもうもうと湯煙が立ち上っている
様子が見られ、早速気分が盛り上がりました。

宿の裏口がすでに青野川の土手上の遊歩道となっていて、やや盛りを過ぎた
けれどピンク色を保っている河津桜の木が並木のように道沿いに立ち並んで
います。
昨日暗闇の中訪れ、幻想的にライトアップされた河津桜の木々の並んでいた
銀の湯橋の周りも今日は明るくなり、近辺に複数ある櫓の組まれた源泉から
盛んに湯煙が上がって、橋の上からは青野川と支流の二条川との合流地点が、
ピンクの河津桜と河原の黄色の菜の花に綺麗に彩られて、さらに複数の
湯煙にも装飾されて、明るい青空の下に壮快な景観を作り出していました。

街の中心部からは離れる方へ伸びる二条川の方に沿って、少し歩みを進めて
みました。
河津桜と菜の花、そして湯煙を上げる源泉に彩られる整備された遊歩道は、
すぐ先で道路が二条川を横断する橋により寸断されますが、
川沿いの桜並木はその先にも少しだけ続いています。
川を挟む丘陵が対岸側に近づいて、若干薄暗い風情となりますが、
北岸に並ぶ河津桜の木々に日が当たり、鮮やかな風景を作ります。
川の周辺は静かな住宅街となっているようでしたが、川岸にも
源泉があって、大量の湯煙を静かな住宅街に黙々と吐きつづけます。
桜並木が途切れた所で街の方へ川沿いを引き返せば、明るい土手には
鮮やかな河津桜と菜の花の道が伸び、日陰となる対岸には湯煙が
もうもうと上がる静かな住宅街を見渡すことができました。

一旦川沿いを合流地点まで引き返し、今度は北の方から流れてくる
青野川の西岸を北上します。
堤防上にも、花弁は落としても深紅の萼は残るために桜色というよりも
むしろ紅色を呈するようになった河津桜の木が並び、新緑の葉をたくさん
出している木もあるけれどときどきはまだ満開の木の姿も見ることが
できます。
そして対岸の岸辺には、むしろ今が盛りといった感じで大量の菜の花が、
鮮やかさを保つ桜並木の足元を、若草色と鮮やかな黄色で彩って、
人出はまだ多くないけれど、鮮やかな春の風景が川沿いに展開して
いたのでした。
川の反対側は市街の西側となり、順光を浴びた丘陵が青空の下に佇んで、
その足元に形成される小さな住宅街の中にも湯煙を上げつづける箇所が
見られたりします。
ビニールハウスの類も多く見られましたが、どうもメロンの栽培なんかも
ここで行われているようです。地熱というものが豊かな資源として
利用されている所でもあるようです。

時々堤防に設けられた階段を下りて、菜の花と河津桜の風景を
より菜の花が鮮やかに大きく広がるよう角度を変えて眺めてみたり
しながら堤防上の道を北上すれば、桜並木の北限となる前原橋にも
程なくたどり着きました。
橋から上流側を見れば、花の姿はなくなりましたが、広大に広がる朝の
青空の下に、所々建物を含みながら川沿いに広がる田園の中、
遠くに折り重なる山並みから流れくる青野川が緩やかに屈曲して
広々とした風景を作っている所を、爽やかに眺めることもできました。

対岸の、青野川の東側にはすぐ近くに丘陵が控えていましたが、
丘陵と川の流れに挟まれる大通り沿いには商店の類がひしめき合い、
無人化された古いバスターミナルも軒を連ねていたりしましたが、
歩く分にはやはり、土手の上の遊歩道が明るく鮮やかな春の雰囲気を
存分に味わえる感じになっていました。
盛りを過ぎた木も多いけれど、ピンク色の花弁を大量に残す木には
ヒヨドリだろうか大きめの鳥や、メジロと思われる小さい緑色の
鳥たちが群れを成して集まり、彼らのしぐさを望遠レンズで追っていると
なんだか楽しさを分けてもらえたようで、どんどん時間が過ぎていって
しまいます。
そして対岸からも見られていた、河原の広大な菜の花畑の中に下りて
いくこともできるようになっていて、黄緑と黄色とピンク色の春爛漫の
風景を大きな青空を背景として楽しむことのできる場所を、
たくさん見つけることができました。
土手の上に並ぶ河津桜の木々の中には標本木とされているものもあって、
周りの木々と同じ品種のはずですが、自信をもって太い枝葉を周囲に
伸ばしているようで、やはりまだまだたくさんの花弁を残して堂々と
土手の上に立ち尽くしていたのでした。

青野川の流れに沿って土手の上の鮮やかな道を南下すると、西から
二条川が合流してきて、その流れの方向に合わせるように青野川も
東へ向かって流れるようになります。
青空のもとに春らしいピンクの河津桜と黄緑黄色の菜の花が鮮やかな
風景を作るようになって、対岸に現れた銀の湯会館へ向かって
小さい銀の湯橋が架かり、スタート地点の宿の裏の土手へと戻ります。
引き続き反対側の東へ向かっても、ピンク色と黄色の作る川沿いの
麗らかな散歩道が土手の上に続いていきました。

土手の上の道を東の方へ進むと、青野川に斜めに架かる大通りの湯けむり橋、
そしてやや細い来の宮橋が立て続けに架かってきます。
道の駅にも近いこの辺りがさくらまつりの中心部に近い所となるようで、
桜の木に彩られる駐車場もあり、川沿いよりもむしろ道路沿いも鮮やかに
河津桜の並木と足元の菜の花畑に彩られていたりします。
来の宮橋の上から下流の方を見れば、青野川が深緑の丘陵に寄り添われ
ながら菜の花で黄色くなっている河原を伴ってゆったりと流れ行く
風景も見ることができるのですが、特に日当たりがよくて暖かい所と
なるのか、土手の上に並ぶ河津桜も、若草色の葉桜がメインとなって
しまっているように感じられました。
いくつかの独特な六角柱状の建物が集まる広場に出店がちりばめられて
いるような開放的な道の駅も寄り添う土手の上に並ぶ河津桜はやはり
盛りを過ぎているものが多いように感じられましたが、堤防の斜面から
川岸にまで広がる若草色と黄色の菜の花畑がむしろ主役となって、
明るい青空の下に鮮やかな風景を作っているようでした。

川岸の大きなホテルの袂に架かる次の九条橋よりさらに下流にも
堤防上に河津桜の並木は引き続き続いていましたが、ほぼ葉桜となって
いるように見られ、また堤防もしっかり護岸されて、川沿いの菜の花畑の
領域もあまり見られないようだったので、その先へ進むことはせず、
対岸の南岸に渡って、温泉街の中心部へ戻る方向に土手の上の道を
歩いていきました。
日が高くなってこちら側の桜並木も明るくなり、湯煙をもくもく上げる
源泉を持つ大きな温泉旅館に寄り添われる静かな桜並木の道を、
対岸で順光を浴びる土手の鮮やかな菜の花畑を木々の間に見て
のんびりと西へ歩みを進めます。

道の途中には、対岸にも案内のあった、ガマから生まれ代わった人の
伝説のあるらしい慈雲寺というお寺が、丘陵の足元に静かに佇んで
いましたが、今でも池にはガマがたくさん住んでいるというくだりは、
実は庭園の砂でできた池の中にガマの焼き物がたくさん備えられている
ということだったりして……
引き続き、メジロやヒヨドリの集うほのぼのした河津桜の並木道を、
川の対岸に明るい菜の花畑と、葉桜になりかけている河津桜と、
熱帯植物園の椰子の木が集中する姿も見られる対岸の丘陵の足元に
広がる街並の姿を見ながらのんびりと歩み、気がつけばお昼時に
なりつつあったスタート地点まで戻っていきました。

温泉街を後にするためのバスの時間までしばらくあったので、
せっかくなので宿の近く、今日のスタート地点の近くになぜか佇む
熱帯植物園にもお邪魔してみることにしました。入場無料でもあったので。
温泉地の地熱を利用したということにおそらくなるんだと思いますが、
入場してみるとまさに温室の中、蒸し暑い中にたくさんの植物が
ジャングルのように密生していて、普段鉢植えでしか見ることのないような
つやつやした葉を持っていたり、派手な花を咲かせていたりする熱帯の
植物が土の上にたくさん生えている中を彷徨い歩くことができるようには
なっていました。
しかし通路はあまり広くなくて他に客がいるとあまり自由に動き回る
わけにもいかず、そして何より春の雰囲気とはいえ一応肌寒さの感じられる
外の気候に合わせた服装でいたので、熱中症の危機を感じてしまうくらいの
蒸し暑さを感じてしまい、満足に見物することなく逃げ出すように
外の世界へ飛び出してしまったのでした。

最後にもう一度堤防の上の華やかな河津桜の道を歩んで、道の駅の近くにある
九条橋というバス停から、下田駅の方へ向かうバスに乗り込みました。
バスは丘陵の足元の薄暗い雰囲気の大通りを行き、基本的に川からは距離を
置きながら走っていきましたが、建物の隙間からは堤防上にときどき姿を
見せる河津桜の姿が見られたり、大きな公園が広がればその向こうに堤防
らしきものが横たわるのが見られたりもしました。しかしやはり、
ずっと歩いていけるほどに華やかな桜並木が続いているわけではないように
感じられました。

石廊崎の方からやってくるバス路線と合流する地点にある日野(ひんの)と
いう所で一旦下車しました。
周囲は様々な形の丘陵に囲まれる谷あいとなっていましたが、道沿いに
広がる広大な敷地に、大量の菜の花が咲き誇って、真っ黄色の世界が広大に
展開しているところでした。
桜のピンク色はなくなりましたが、ここもさくらまつりの会場の一部と
されていて、昨日真っ暗になってしまっていたバスからでも何となく
雰囲気の感じられた所でもあったのですが、実際に訪れてみれば、
河津桜並木とはまた違った、暖かそうな穏やかな世界が広大に広がって
いる中に鳥や虫のように漂いつづけることができたような、不思議な
感覚を得ることができました。

広大な菜の花畑の中には木道も通されていますが、本当にいいのかどうか
よくわからないながら、当然のように木道から下りてちょっとした隙間の
間へ、柔らかい独特な感触の土を踏みながら彷徨い出す人もたくさんいて、
たくさんの人が思い思いに黄色一色の穏やかな風景を楽しんで
いるところでした。
そして広大な菜の花畑を貫いて反対側へ進むと、北の方から流れてきた
細い流れと合流してさらに豊かな流れを見せるようになった青野川の
堤防が接していました。
堤防の上の道からは、様々な形の丘陵に囲まれて広がる菜の花畑を一望
することができ、また堤防上の桜並木の中にときどき河津桜が混ざっていて、
忘れそうになったピンク色の華やかな姿を思い起こすこともできました。
河口にも近いようで、南へ向かう豊かな流れの進む先には青空が大きく
開く下に次の大きな橋が架かる、明るい風景が広がっていました。

こうして春らしい雰囲気を満喫し、午後になった日野のバス停から
下田駅の方へ向かうバスに乗り込みました。
バスは周りを丘陵に囲まれて広がる長閑な里山の中を進んでいきましたが、
程なく南伊豆町と下田市との境が近づくと若干険しい山道の様相となり、
銭瓶峠へと進んでいきます。
峠を過ぎて下田市に入ると、相変わらず辺りは丘陵に囲まれたままでしたが、
道沿いに比較的高密度で小さい建物が集まるようになり、吉佐美(きさみ)の
集落へと進んでいきます。

吉佐美の集落でお弁当代わりに買ったおにぎりを食べながら、集落の中に
流れる大賀茂川に沿う道を、海の方へ向かって歩き出しました。
川の流れはやはり丘陵に囲まれていましたが、比較的多くの建物が集まる
住宅街となっていて、盛りの過ぎた河津桜の姿も道沿いにときどき姿を
見せてくれます。
川沿いにひたすら進めば、今は完全に裸になってしまっているハマボウと
いう樹木の密生する湿地の上に渡された木道となっていくのですが、
工事中のようでちょっと残念な思いをしました。
川の周りの集落の崖沿いにはひっそりと、立派な神殿を構える八幡神社が
佇んでいましたが、イスノキというらしい、つやつやした葉の常緑樹の
巨木が鬱蒼とした雰囲気の日陰を作っていました。

川沿いの道は歩めなかったので集落の中の車道を進むと、道は川から離れ、
丘陵の足元の田園を通過していきます。高台には大きな立派なペンションの
ような施設が現れ、背の高い椰子の並木に囲まれる駐車場を奥まで進むと、
大賀茂川と再会することができました。
川幅の広がったように見える川岸は裸のハマボウが密生する湿地となり、
その様子をはまぼう橋という吊橋の遊歩道の上から見渡すことができます。
ハマボウの林の中に巡らされた遊歩道は工事中のようでしたが、下流の
方を見ればすぐ近くが河口となり、むしろ湿地が広々と目立つ流れと
なっていました。河口の近くには蛙のようにも見えるごつごつした巨岩が
佇み、沖合には灯台を載せた平たい島も浮かんで、青々とした海原が
青空に大きく浮かぶ清々しい海岸となります。
その岩礁から離れるように南へ進めば、大浜というらしい砂浜が
短いながらのびていき、爪木崎となるらしい長い陸地を北側に見据えて
大きな岩礁を浮かべ、そして昨日ほど三角形の利島の姿はよくは見られ
なかったけれど、沖合に灯台を乗せる小さい岩礁のような島が浮かんで
いるのをはっきりと見ることのできる美しい海岸線を、
束の間楽しむことができました。

運動公園が谷間に広がる丘に寄り添われる海岸の道は、再び海の上に
大きくて綺麗な岩礁が現れて砂浜が途切れるとともに、高台の上へと
登ってトンネルへ進んでいきましたが、カーブと坂道が同時にやってくる
険しい道は、少し前方や振り向いて後方を見ると、まさに切り立つ岩盤に
トンネルがくり抜かれているといった感じの険しい表情を見せてくれます。
そして気がつけば道はかなり高い崖の上に達していて、海原が広がっている
のはわかるけれど海岸線の様子を窺うことができないほどになります。
海岸線が山の方へ窪めば、さらに高台に造成されているらしい別荘地への
入口が口を開いて、背後の山並みの間へ続く登り坂が始まっていたり、
また海岸へ向かっても急な下り坂の私道が分岐して、おそらく崖下に
垣間見られた集落へと向かっていったりします。
碁石浜というらしいこの辺りを進めば、崖下には地層を露呈しながら
切り立つ崖の足元に短い砂浜が青々とした海辺に接する風景を
垣間見ることのできる所も見つかります。

そんな高台の風景を楽しみながらいくつかトンネルを越えていくと、
サンドスキー場という見所への入口が見つかりました。
高台の巨岩の間の隙間のような所から始まる急な階段道に顔を出せば
かなり高い所から急斜面の足元の短い海岸線を見渡せる急峻な斜面の
上部になっていて、左手の急な斜面を埋め尽くすように、
大きな砂丘ができている一角がありました。
海の方から吹き上げられ堆積した砂がちょうど崩れ落ちずに残る角度で
あるということで、そり遊びに興じる家族連れの姿も見られる、
自然の作る遊び場となっていましたが、砂丘の上にさらに切り立つ
白い崖にもはっきりとした地層を見ることができます。

迫力のある斜面の風景の中、急な階段を注意深く波打ち際まで下ります。
斜面の足元に広がる海岸は砂浜かといえばそういうこともなく、
丸くて大きくも小さくもない石が積み重ねられ、ちょっと歩くと隙間に
足を取られたり、石が不安定に動いたりする、気をつけても歩きにくい
海岸となり、海と反対側には切り立つような大きな砂丘が佇みます。
サンドスキー場から続くような崖の中腹には直線的に掘られた石切場の
跡が見られ、そして海底の地層の変遷を現しているらしい地層を見せる
巨大な岩礁の足元に広がる磯浜へ出れば、北側の爪木崎の方に伸びる
海岸線が青々とした綺麗な姿を見せてくれていました。

再び急な階段道を崖の上まで戻ると、すぐ隣が龍宮窟というもう一つ
別の見所となっていました。
崖に穿たれた巨大な海蝕洞の天井が崩落して天窓ができているというもの
らしく、洞窟の中へ下る階段道もあれば、崖の上に登る遊歩道も設けられて
います。
暖地性ということなのか、幹が細く白っぽくつやつやした葉をたくさん
茂らせる樹木の見られる森の中、遊歩道は階段道を上っていき、木々の
間からは青々と澄み渡る海原や、眼下の田牛(とうじ)の漁港の集落から
石廊崎へ向かう海岸線が、快晴の空のもとに明るく広がります。

天窓の周りを巡るように通されている遊歩道の道沿いには所々、
柵を伴った展望台が設けられて、崩落した天窓の下に穿たれている
巨大な洞窟の姿を、いろいろな角度から見ることができるように
なっていました。
この洞窟は海から侵入した波が二股に分かれるように岩を削ってできた
ものであるということで、天窓からのぞき込むと洞窟全体がハートの
形をしているように見える、というのが、この地がたくさんの人を
集める景勝地となっている一因であるようでしたが、
確かに自然の造形の神秘のようなものを感じることができます。

森の中の遊歩道は起伏に富んでいましたが、半周回ってハート型の
反対側へ回り込むと、反対側の崖の上からはさっき訪れたサンドスキー場と
石切り場の穿たれた岩礁、そしてその周りに大小さまざまな岩礁を浮かべて
広がる青々した海原を一望することもできました。
サンドスキー場を楽しそうに滑り降りるそりや、穏やかな海の風景を、
ここからも暫し楽しんでいくことができました。

遊歩道を一周して入口へと戻り、今度は地下へもぐるような急な階段を
ゆっくりと下っていきました。
道はいったん短いトンネルとなり、ほどなく大きく薄暗い洞窟の中へと
たどりつきます。
それなりの数の観光客を集める、小さい岩がごろごろと転がる短い海岸が、
複雑な地層を露呈しながら壁のように立ちはだかる岩盤に囲まれ、
正面に小さく空いた三角形の洞門からわずかにのぞかれる外界の青い海が、
時折さざ波を寄せてきます。
そしてぽっかりと大きく空いた天窓の上には、広大な青い空が広がり、
天窓の周辺は、さっき歩いてきた遊歩道と同じ樹木が囲みます。
苔のような緑藻が育つ波打ち際に寄せてくる静かな波が、
静かでどこか不思議な空間を作り上げているようでした。

龍宮窟の見学を終えて、再び崖の上の道へ戻りました。
南へ向かうと、前方に伸びる下り坂の向こうに、田牛(とうじ)の漁村の
集落に寄り添われながら、穏やかな海岸線がまっすぐに伸びている所でした。
坂道を海と同じ高さまで下ると、ハート形の標柱がユニークな
龍宮窟バス停が、素朴で小さい待合小屋を伴って静かに海岸に立ち、
そしてそこから少しだけ、砂利浜の海岸沿いに歩みを進めると、
陸側に集落が発達し始めた所で、転回場の片隅に柱1本だけの標柱が立つ
下田からのバスの終点となる田牛バス停が静かに佇んでいました。

海岸に沿って伸びる道はその先に現れる岩礁に遮られるように途切れて
いましたが、小さい素朴な民家の集まる集落の中の路地へ分け入りつつ
坂を登っていくと、そこそこしっかり固められている感じのする
手掘りのトンネルが岩盤を貫き、道はそのまま、常緑樹の林の間へと
伸びていくようになりました。
道沿いには時々民家や農地、そして河津桜に彩られたペンションのような
建物も現れたりしながら、道の高度はどんどん上がっていき、木々の
間からはまた、大きな岩礁を浮かべる青々とした海原も垣間見られるように
なっていきます。

道はほどなく駐車場となって車止めが現れましたが、遊歩道はそのまま
盥岬へ向かって進んでいきます。
林を抜けて高台の海沿いに出ると、高く切り立つ陸地から少しだけ離れた
海上にこんもりとした山のような形の遠国(おんごく)島が現れ、
そして細い水路を隔てて切り立つ本土側の崖の足元には、三日月の大洞と
呼ばれるらしい、斜面となっている白い岩肌に海蝕洞が彫り込まれて
確かに上弦の三日月のような形に見ることのできる洞穴を見つけることが
できました。
地層を露呈しながら聳え立つ岩礁を浮かべる海は、ここでも深い青色に
透き通りながら、明るい青空のもとに穏やかに広がっていました。

程なく舗装された道は途切れ、引き続き階段道となって、鬱蒼とした
森の中へと登り始めます。この森もまた暖地性の、あまり幹の太くない
常緑樹が主となり、薄暗い雰囲気の中に遊歩道は険しく伸びていきます。
アップダウンも激しくカーブも多い森の中の道沿いにはやがて、
椿の木が多く現れるようになってきました。
椿園として紹介される領域となり、案内によればちょうど今頃が
見どころということになるようで、確かに大きな花をたくさんつけている
木も多く見られたのですが、椿も盛りを過ぎてしまったと見え、むしろ
足もとに落ちてしまった花の塊や花びらの欠片の方が目立つ有様
だったりします。

やがてそんな鬱蒼とした森の中に、タライ岬入口という案内看板が
姿を現してきました。
ここからタライ岬へはいろいろな楽しみ方ができそうな3通りの遊歩道が
通じているとのことでしたが、体力的な面から一番楽に目的地に到達
できそうな、その名もらくらくコースという道をたどっていきました。
ここまでと同じような鬱蒼とした常緑樹の中の道を、
多少のアップダウンは我慢しつつのんびりと歩みを進めていき、
最後に森を抜け、なぜか現れた日向ぼっこする猫の姿を横目に、
明るい空と青い海へ向かって突き出す陸地の突端へと進みました。

南へ突き出すように伸びる陸地には、海からの強い風が吹き付け、
穏やかそうに見える海もよく見ればしきりに波を立てています。
北東側へ延びる海岸線はごつごつと複雑に入り組み、はるか遠くになった
爪木崎の方まで、順光を浴びて爽快な姿を広げています。
正面はただひたすら何もない、青い大海原が広がります。
伊豆諸島の姿は今日は残念ながら見られないようでしたが、さほど遠くない
沖合にいくつか、岩礁のようにも見えるけれど灯台を乗せているものもある
小さい島が浮かんでいるのを見つけることができます。

そして、この岬からの眺望として最も素晴らしさを感じたのは、
逆光となっていたのが残念でしたが、南東方向の海の姿でした。
陸地は複雑に入り組み、大きな岩礁も浮かび、ここからもほど近い隣の
逢ヶ浜(おうがはま)の、洞門のようになっているものも含めさまざまな形の
岩礁が、大きな岩礁に囲まれた入江のような海に姿を見せてくれるような
荒々しい海岸線が、太陽の光を強く反射しながら広がります。
その背景には茶色い細いベルトのようなおそらく弓ヶ浜の姿が見え、
伊豆半島の本体のごつごつした丘陵が、沿岸の小さい岩礁に装飾されながら
さらに明るい海へ伸びてシルエットとなり、おそらく石廊崎へと向かいます。
その伊豆半島の丘陵の上には、大量の風力発電の風車が佇んでいるのも
見つけることができました。
ここまで長い距離を歩いてきた結果見つけることのできた、あまりに爽快な
風景を、猫と共にしばしのんびりと楽しむことができたのでした。

帰りも同じらくらくコースを通って、森の中の遊歩道へ戻れば、
ここから先の弓ヶ浜へ向かう道は、下る一方となって、ここまでの地図上の
距離感からすればだいぶ早いペースで、森を抜けて次の逢ヶ浜へと進んで
いきました。
遊歩道は逢ヶ浜の末端に切り立つ崖の上から、重機で固められている
最中の砂利浜を見渡して最後の下り坂となり、さほど長くはない砂利浜が
屈曲して伸びて明るい海に接している海岸へと下っていきます。
歩いてきた崖は海へ伸び、足元には玄武岩の柱状節理のような地層も
見られたり、その先端は荒々しく削られていくつかの岩礁に分かれて並んで、
盥岬から見られた洞門のような岩礁が実は三角形を作っていたりするのも
ここからは大きく眺めることができます。
後で見つけた案内によれば、三角形型の洞門はハイヒールみたいな岩と
紹介されていたり、玄武岩の柱状節理はどこかで見た枕状節理のように
放射状の広がりを見せていたりしたものらしく、もっとじっくり見ていっても
良かったかもなと後で思ったりもしました。
少し夕暮れの色を帯びてきたような気がする青空のもとに波を寄せながら
穏やかに広がる大きな青い海の上には、いくつか三角形状の大きな岩礁も
浮かび、そんな美しい海岸線を作る砂利浜をのんびりと散策していきました。

道は車も通ることのできる普通の路地へと戻り、逢ヶ浜の末端となる海岸に
立っていた丘陵をよけるように内陸の林の中へと進みました。
道沿いには温泉宿というよりペンションといった方がいい感じの建物が
いくつか現れ、庭の生垣となる椿がそこそこきれいにピンクの花を咲かせて
いたりする道となっていて、そして何やら大きなホテルの建物が現れると、
そのホテルの敷地となるのか松原の足元に水仙が敷き詰められる領域が
現れて、木々越しに弓ヶ浜の海岸が見られるようになっていきました。

たどり着いた弓ヶ浜は、夕暮れの色をさらに濃くした逆光の海原に面する
名前の通りに弓なりの砂浜が長く続く所でした。
東の方を振り返れば、海に切り立つ丘陵が順光を浴び、通りがかった
大きなホテルとおそらくその敷地のたくさんのヤシの木で囲まれる一角を
麓にして、足もとを侵食されてごつごつとさせながら砂浜の末端を区切り、
そして西側の前方にもこんもりとした丘陵が連なっていましたが、
弓なりの海岸は極めて広大な砂浜を伴って雄大に広がり、対峙する広大な
大海原から寄せる穏やかな波を受け続けていました。
海岸線と並行に続く松原の向こうには、大小さまざまな弓ヶ浜温泉の
建物の集まる街並みとなり、夏場に海水浴場の入口となる辺りに開ける
若干の店の形跡を見せる辺りには、夕日を浴びて居眠りする猫の姿も
見られる、穏やかな夕暮れの海辺の街となっていました。

ここまでの道とだいぶ違って、歩けども歩けども風景の大勢があまり
変化しないスケールの大きい風景であるようにも感じられましたが、
それでも西側の末端まで砂浜沿いの遊歩道をのんびりと歩んでいけば、
歩いてきたホテルのある丘陵も次第に遠景となり、海原も順光を浴びる
ようになって、より穏やかな夕暮れの広大な海の風景を見つけることが
できました。

バスの時間までの間に日帰り温泉でもと考えてはいたのですが、案内地図の
中に、北限のマングローブという気になる記述を見つけてしまったので、
刻一刻夕暮れの色が濃くなっていく空のもと、さらに歩みを続けました。
弓なりの砂浜の末端は、奥に見えていた連なる丘陵の足元を流れてきた
青野川の河口となっていて、防波堤で囲まれるようになった川沿いの、
その防波堤の内側を歩いていけば、港と同じような機能を持つのか、
たくさんの漁船がコンクリートで囲まれた川沿いに並びます。
対岸にも防波堤よりはるかに高い丘陵が背景となって、その足元にいかつい
漁業施設が点在するのを見ながらのんびりと川沿いを遡り、四角く大きく
彫り込まれた船溜まりを迂回しながらさらに北上すると、
川沿いの湿地に、常緑樹のメヒルギという小さい樹木が密生する一角を
見つけることができました。
一角の植生はメヒルギのほかに、今は裸であるハマボウの細い枝も大きな
領域を占めているようです。ハマボウはさっき歩いてきた大賀茂川でも
群落を見たわけですが、それもまたマングローブを構成する樹木であると
案内看板が教えてくれました。

対岸の丘陵越しに夕陽が強く照りつけるようになった青野川をあとに、
その東側に広がる住宅街の中を、水路沿いから路地へ、そしてまた別の
路地へと彷徨い歩き、下田へ帰るバスの出る休暇村バス停を目指しました。
素朴な民家の密集する住宅街といった風情の街並みでしたが、
民家だと思っていた建物のほとんどが、小さい民宿となっているようで、
細い路地から路地へ、よく見れば様々な大きさだった建物の周りに
育ついろいろな木々や作物の姿を楽しみながら、中には比較的大きい
ホテルといっていいレベルの建物が廃墟と化している所もあったり
するのに驚きながら、次第ににぎやかになっていく街並みの中心部へと
向かっていきました。
休暇村バス停は、むしろさっき通りがかった弓ヶ浜の東の端に近い所に
ある、巨大できれいな宿泊施設の足元にひっそりとたたずんでいて、
石廊崎からやってきていったんこの場所に立ち寄る形のバスを
迎え入れるころ、辺りは少しずつ暗くなり始めました。

下田行きのバスは、やはり素朴な住宅街のような風情の温泉民宿街の
なかの通りを進み、一旦青野川に寄り添って堤防上の河津桜の姿も
垣間見つつ、川から離れるとさっきの広大な菜の花畑の日野へと
進んでいきました。菜の花畑もだいぶ夕暮れが深まってきた感じでしたが
だいぶ人は少なくなったとはいえまだまだそれなりの人が畑の中に
繰り出しているように見えました。
そしてさっきバスで通った山里の道をもう一度走り、銭瓶峠を越えて
下田市へ進み、終点が近づいてもトンネルがあったり坂道がきつかったり
する険しい道をたどって、だいぶ暗くなった伊豆急下田駅へと進みました。

そして最後に、私の高校時代あたりに華々しくデビューしたもののこれまで
乗る機会が全くなかったスーパービュー踊り子号という特急列車が
まもなく引退するという話を聞いたもので、せっかくなのでお名残乗車しつつ
帰路に就くことにしたわけです。
もう外の風景を楽しむことは難しいくらい外は暗くなってしまいましたが、
独独の形の車両の中で、大きな窓に囲まれてゆったりと過ごすことのできる
座席に座り、普通車だけど贅沢な汽車旅を楽しむことができました。
内装を見る限りはまだまだ現役で働けそうな感じの列車にしばし身を任せ、
JR区間に乗り入れると料金が跳ね上がることから、伊東駅で下車することに
したわけですが、それでも1時間は贅沢な時間を過ごすことができて、
あとは余韻に浸りながら夜になった伊東線、東海道線と普通列車を乗り継ぎ、
そして最後は小田急ロマンスカーで、贅沢で高密度な旅を
締めくくったのでした。
 

河津、片瀬白田(2020.2.23)

murabie@南伊豆町下賀茂温泉です。

今年から始まった連休を有効活用しようと、せっかくなので
河津の河津桜を見に行こうという計画を立てて、実行に移してみました。
昨日は春一番の吹く暖かさだったので服装を少し軽めにしてみたところ、
やっぱりちょっと寒い感じだったなあといった感じの早朝の東京をあとに、
今日は小田急新宿駅から、ロマンスカーよりも早い急行列車に
乗り込みました。
丹沢の山並みは霞んでいるように見えましたが気のせいで空は快晴、
朝日は強く差し込み、新松田の富士山も真っ白な壮快な姿でした。
前はなかった気がする新松田での乗り換えをこなし、丘陵に囲まれる
田園を見守る真っ白い富士山の姿を愛でつつ、小田原駅へ進みます。

言われてみれば提灯のなくなっている小田原駅でJRに乗り換え、
早川根府川の大海原から、湯河原熱海の温泉街を高台から見晴らす
車窓を束の間楽しみ、熱海から伊東線へ乗り継ぎ、伊豆多賀の高台から
初島の浮かぶ海原を見渡す風景から徐々に高度を下げて網代へ進み、
そして椰子の木並木の道路と並走して伊東へ。
乗り継いだ列車は車両が減らされたので座ることはできませんでしたが、
南伊東、川奈辺りの山の中の道から富戸、伊豆高原辺りの高台から海原を
見渡す風景、そしてトンネルや山道を超えつつ、片瀬白田からの大海原を
大きく見渡す車窓を楽しみ、再び山道を分け入るようになった
今井浜海岸駅でとりあえず下車してみました。

河津の河津桜の一部として紹介されていた今井浜海岸駅周辺でしたが、
ほぼ葉桜になってしまっていたり、花弁をほとんど落としてしまって
がくの残る赤色を呈した状態になっていたりする木々が多く、それでも
たまにはまだまだ満開の風情の木が交差点に立ち尽くしていたりするのを
楽しみつつ、海岸までの坂道を下っていきます。

大通りを横断し、民家の間へと分け入って、海岸へと案内される道を
進んでいけば、広大に広がる砂浜の向こうにしきりに波を寄せて来る
大海原が穏やかに広がる美しい海岸線の風景となっていました。
左手には丘陵が海岸まで伸びてごつごつした海岸線が続き、
右手に伸びる砂浜の中にも所々ごつごつした岩場があって、切り立つような
深緑の山肌に寄り添われる海岸線の今井浜海岸が続いていました。

今井浜と呼ばれる領域は、左手に突き出すごつごつした岩礁の奥へも
続いているようでしたが、今日のところは河津の方へ向かうべく、急峻な
深緑の丘陵が切り立つ右手の方へ、柔らかい砂浜の上をゆっくりと
進みました。
山から海へ向かう強烈な北風が吹き、砂浜の砂が時々大量に巻き上げられ
痛さを感じるほど強く打ち付けてくる瞬間もありました。
砂浜の間へごつごつした磯が突き出す所もあったりしましたが、うまく
岩場を伝って南へ進み、再び砂浜へと出ると、中腹にコテージをいくつか
載せるリゾート施設を要する急峻な丘陵の足元にごつごつした岩場が
広がっていました。
高台に伸びる国道へ向かうように階段道が設けられ、階段を登っていけば
快晴の青空の下に伸びる短い砂浜を囲むごつごつした磯浜と沖合の岩礁の
作る美しい風景が、大きく穏やかに広がっていました。

階段道が高台の国道に合流すると、車道はトンネルに向かいましたが、
旧道なのか、トンネルに入らずに海沿いを進み続ける細い道もあるよう
でした。高台の道からは壮快な朝の海原を常に見下ろすことができましたが、
丘陵側から所々、満開から盛りを過ぎた河津桜の木が枝を伸ばして、
華やかな雰囲気を与え続けてくれました。
そしてトンネルの出口で再び国道と合流すると、満開の河津桜に縁取られた
駐車場が高台に広がり、その下には再び砂浜が伸びて、ここからが
河津浜ということになるようでした。

桜の渋滞なのか交通量の多い国道に沿う、前後を丘陵に阻まれるように
伸びる河津浜と平行に伸びる道を、壮快な大海原の風景を楽しみながら
暫し進み、国道135号の浜橋の架かる河津川の河口にたどり着き、
ここから河津川の流れに逆らうような川沿いの遊歩道を、
強い北風の吹きすさぶ中、進んでみました。
遊歩道にはトンネルを作るように、ピンク色の花を咲かせる河津桜が
枝を伸ばして華やかな道を作り、たくさんの人が往来します。
川の向こうにはすぐに壁のように山肌が立ちはだかって、その足元の
集落の中に、いくつかの綺麗そうな日帰り入浴施設も姿を見せています。
あくまでもささやかな流れでありつづける河津川の堤防上の道は
やや盛りを過ぎた感じの河津桜の木々に彩られ、街側の堤防の下には
出店の類が並んでたくさんの人を集め、賑やかな雰囲気となっていました。

最初に河津川に架かる橋は伊豆急線の鉄橋と平行し、大きなカメラを
三脚に据えて何かを待ち構える人が数人集っていたりします。
ここから一旦、すぐ近くの河津駅へと寄り道してみました。
河津駅までの道沿いも、やや盛りの過ぎた感じの華やかなピンクの
河津桜の木が並び、そしてここではその足元に黄緑色の葉と黄色い花を
鮮やかに咲かせる菜の花も共演してくれて、列車の線路の通る築堤の
下の世界を鮮やかに彩ります。
出店もたくさん並びますが、この土地ならではのものとして柑橘類を
扱う店や、魚の干物を扱って店頭で焼いてみせている店もあったりし、
利便性からか人通りもものすごいことになっていたりします。
そしてこの道の、桜の木が途切れたところにも巨大なレンズのついた
カメラの姿をたくさん見かけましたが、築堤の上の線路に特急列車や
普通列車が通り掛かるたびに、特に鉄道マニアという感じでもない
たまたま通り掛かった多くの観光客がカメラやスマホを向ける場面を
見かけることとなりました。
河津駅も、それはもう大賑わいって感じでした。

同じ築堤の下の華やかで賑やかな河津桜と菜の花の道を戻り、川沿いの
河津桜の並木道に戻り、再び河津川を遡るように歩みを進めました。
多くの木々は盛りを過ぎて赤い軸をたくさん残し、みずみずしい若草色の
葉桜となっているものも紛れ込んではいましたが、その一方でまだまだ
濃いピンクの花弁をたくさんつけている木もたくさんあって、そんな木に
つけられた花をアップで撮ってみたり、花に魅せられたたくさんの人通りを
撮ってみたり、桜に彩られる川面を撮ってみたりと、たくさんの人たちと
同じように思い思いのアングルで華やかなシーンをカメラにおさめながら
混雑の中のんびりと歩んでいきます。

荒倉橋という小さな橋を過ぎると、桜並木の足元がやはり華やかな菜の花に
彩られるようになっていきました。
この辺りが花見の中心地といった感じのようで、桜と菜の花に彩られた
道沿いに簡易的な飲食店や土産物を扱う出店のような店もたくさん並び、
黄色とピンクの華やかな春の雰囲気を楽しむたくさんの人が集い、
辺りはさらに華やかになります。
河津川を囲む堤防には所々階段が設けられ、川沿いに広がる狭い河原にも
たくさんの人が集まり、川沿いのピンクの木に彩られて快晴の青空の
下を流れる川の風景を楽しんだり、水切りなどして水と親しむ人々の
姿も見られたりします。

中学校が川沿いに寄り添う来宮橋の所で賑やかな喧騒をちょっと離れ、
周辺に広がる田園の方へ寄り道に出ました。
川沿いを離れてしまえば人通りは一気に少なくなり、穏やかな青空の
元に、丘陵に囲まれて様々な作物が育てられる長閑な田園の風景となります。
そんな中に複雑に折れ曲がって通される明るい路地をたどっていくと、
白い鳥居が何本かの河津桜の木に鮮やかに彩られている川津来宮神社という
お宮へとたどり着きます。
神殿自体は小さい素朴なものでしたが、樹齢1000年の大楠を含む神木が
鬱蒼とした静かな境内を作っているところでした。

引き続き折れ曲がる路地の通る長閑な田園の中、辺りを囲む壁のような
高い丘陵の山肌の中に所々ピンク色の領域が含まれたパッチワーク状に
なっているのを見ながらのんびりと歩んでいきます。
交通量の多い大通りに合流すると、すぐ近くの道沿いにやはり若干盛りは
過ぎているもののまだまだ華やかにピンク色の花を残している河津桜の
木が立っていましたが、古い民家の庭先のような所に立つこの木こそが
河津桜の原木であるということで、たくさんの歩行者にありがたがられて
いるようでした。
引き続き川沿いの遊歩道に戻るべく、農村の中に通された複雑に入り組む
路地をたどっていきましたが、この辺り遊歩道の外にも華やかにピンクの
花をつける河津桜の木が多く見られ、頻繁に足を止めながら、様々な
角度からの姿を見せてくれる河津桜の風景を楽しんでいくことができました。

川沿いの遊歩道へと復帰してさらに河津川を遡るように歩みを進めます。
さっきの来宮橋の辺りから、対岸にも河津桜の並木が現れ、そして
桜の木は遊歩道と川の流れの間の土手側に植えられるようになって、
川の流れを直接彩るようになっていきます。
河原に下りてみれば谷底のような所から、土手の菜の花に彩られる
ピンクの木々の姿を見ることができますし、赤い豊泉橋の上に立って
上流側を眺めれば、青空の下、緩やかに屈曲して流れる川の流れを
整然と列を成すようにピンク色の桜の木々が縁取りをしていく
この時期ならではの壮快な風景に出会うこともできました。

時々喧騒を避けつつ河原に下りて、川岸を囲む桜並木を見上げたりも
しましたが、奥へ進めば進むほど遊歩道の喧騒も落ち着いてきて、
トンネルのようにピンクに彩られる遊歩道や、その外側に広がる
様々な緑のパッチワークのような丘陵に寄り添われて様々な作物の
育てられる田園の風景を、存分に味わうことができるようになって
いきます。

大きなホームセンターが建つかわづいでゆ橋からも、桜並木に縁取られて
長閑に流れる川の流れを見ることができました。この辺り、合流する
小川の河口にあわせて桜並木も少し膨らんで伸びていたりもします。
そして地図上ではだいぶ遊歩道の末端へと近づいて、周囲の風景も心なしか
山がちとなってきた所で、涅槃堂という所へ誘う幟のはためく駐車場が
現れてきました。
川沿いの遊歩道から少し離れている大通りに出て、そこから寄り添う
丘陵の上へと登るような道へと分岐すると、切り開かれた竹林の斜面に
壁のように囲まれた所に小さなお堂が立ちます。
さくらまつりに合わせて公開されているということで入館料を払って
中へ入ると、ガラス越しではありましたが、珍しいらしい金色の寝釈迦像を
目にすることができました。
寝釈迦像は釈迦の入滅の様子を現したものなのだそうで、その日が2月15日、
この値ではたまたま桜が満開になる時期と重なるということのようです。
そしてお堂の裏山は切り開かれていて、展望台として解放されていました。
さほど高いわけではないのですが、駅の賑やかな方へ向かって削られた
浅い谷のような川の流れを忠実になぞるように2筋の曲線が伸びていく
展望を、暫し楽しむことができたのでした。

ここまで来れば桜並木もほぼ末端といった感じで、歩く人の姿もだいぶ
少なくなってきました。
峰小橋という小さな橋をもって、南側の岸辺に続いていた並木は終了と
いった感じになりましたが、すぐ近くの大通りに、天城峠を越えて修善寺の
方へ行くバスが泊まるバス停があり、せっかくだから河津七滝の方にも
行ってみようかと考え、バスを暫く待ってみました。
しかし定刻から20分以上待ってもバスは来ず、駅へ向かうバスも時刻表とは
違う時間に通りがかっていて正常に運行されているとは言いがたい状態で
あると把握し、今日のところはこの時期でしか見れない風景を優先させる
ことにしようと考え、遊歩道の散歩を続行することにしました。

河津川の北側の川岸には、少し間隔が開きましたがまだもう少し桜並木が
続き、人通りも疎らになって華やかな雰囲気をのんびりと満喫できる道と
なっていました。
川幅は縮まり、囲む山肌も川の流れに近づいて険しい山道のような雰囲気を
呈するようになりましたが、狭い河原に下りて水と親しむ家族連れの姿も
見ることができます。
最後の華やかさを見せてくれた遊歩道が、大通りと合流して終了したすぐ
先で、川の流れを斜めに横断するような峰大橋が架かり、
橋の上から上流の方を眺めれば、寄り添う斜面は垂直に近く切り立ち、
そして風景はさらに険しい山道となって奥へ伸びているようでしたが、
その山肌に所々ピンク色の領域が見られるのもまた、長閑な里山の
風情を演出しているように感じられたのでした。

再び遊歩道に戻って、今度は駅へ向かって河津川を下る方向に歩みを
進めていきました。バス停のあった峰小橋からは、さっきは対岸に
見ていた南岸の桜並木を進み、やはり盛りは過ぎているけれどまだまだ
ピンク色の華やかな雰囲気となる道を進み、木々の間から涅槃堂のあった
対岸の桜並木を覗いたり、遊歩道の外側に広がる里山の集落や、たわわに
オレンジ色の実をつけているみかん畑の風景も楽しんでいきました。
かわづいでゆ橋で折り返す人が多いようで、ここを越えると遊歩道を歩く
人の数はまた増えてきて、豊泉橋まで来ればたくさんの花見客で賑わう
雰囲気がまた戻ってきました。

綺麗で大きい日帰り入浴施設の踊り子温泉会館の所で一旦遊歩道を
外れてみました。
並行する大通りの沿道には、新町の大ソテツという天然記念物が佇みます。
複雑に枝分かれをしたソテツの幹が支えられながら幹を広げているもので、
ソテツってこんな伸び方をするんだと、知っているソテツの姿とだいぶ
違うような気がするその木の姿に暫し見とれました。

すぐ先のところで、山肌の方へ向かって駐車場を横切るように進むと、
峰温泉大噴湯公園という、狭い敷地にやはりたくさんの人を集める公園が
開かれていました。
日陰となった園内には華やかな河津桜の木も数本立ちましたが、足湯にも
人が集まり、そして園地の反対側の端には大きな櫓が立って、隙間から
湯気がしきりに吹き出しています。
売店で生卵が売られていて、温泉の湯で自分でゆで卵にすることができる
ようになっていたりとか、また飲食コーナーのテーブルの真ん中にも
熱湯が準備されて缶飲料を温めることができるとか、地熱のエネルギーを
感じることができるような工夫がされているところでした。

そしてこの公園の名物であるらしい噴泉が30分後に見られるということ
だったので、足湯に浸かったり、売店で売られていた茹でたての卵を
食べたりしながらそのイベントを待ち、群がってきた人たちを掻き分けて
櫓を一望できる斜面の上へと登っていきました。
イベントが始まると、櫓の真ん中から勢いよく温泉が、青空を突き刺す
ように真上へ向かって吹き出し、湯気も辺りに立ち込めていく
ダイナミックな様子を見ることができました。
風が相変わらず強かったので湯気は風向きに応じていろいろな方向へ
流れだし、時には集っていた観光客を直撃したりもしていました。
そして吹き上がった水もまた、風に流され狭い園地を濡らしていきます。
そして櫓に寄り添うように、綺麗な虹も描かれるようになって、
暫し楽しい光景が繰り広げられたのでした。

河津川の南岸の遊歩道に戻り、たくさんの人で賑わう道をたどり、
木々の間から河津川を縁取るように彩る並木道の姿を楽しんだり、
河原に下りてたくさんの人とともに、低い視点から流れる川の
両側に連なる桜並木を楽しんだり、また大量の桜の花びらで
ピンク色に染め上げられた水溜まりを見つけたりと、春爛漫の
雰囲気の河津川の風景を満喫していきました。まだ2月中だというのに
盛りが過ぎているということは何か感覚が狂わされる気がしましたが、
来宮橋から北岸にまとめられてしまってさらに混雑を呈するようになった
桜と菜の花の並木道の風景を存分に楽しみながら駅へと戻っていきました。
館橋ではまたちょうど、ピンク色に彩られた橋を渡ってくる特急列車の
姿にも出会うことができたのでした。

辺りの空が夕暮れ野色を帯びはじめた頃、河津駅に着き、上り列車の
ホームへ進むと、1本前の特急列車を待つ大量の人がごった返している
状態でした。
そして特急列車がやってきてもまだまだたくさんの人がホームに残って
次の普通列車の列を作っている混雑具合だったわけです。
何とか普通列車に乗り込み、立ち席ながら、順光となって朝よりも
大島や利島など伊豆諸島の島影がくっきりはっきりと見られるように
なった大海原の風景を楽しんでいくことができました。

行きの列車で川沿いの河津桜並木が見られた片瀬白田駅に降り立ち、
駅の周辺を散策することにしました。
辺りは刻一刻夕暮れの風情を強め、白田川のごつごつした流れを
南側だけ縁取る桜並木も日陰になってしまってはいましたが、
駅と白田川の間に佇む、日本庭園のように松の木を浮かべる池を中心とする
白田川親水公園は、まだまだ明るい雰囲気となっていました。
辺りは白田川が削った谷あいのようで、やはり急峻な深緑の斜面に
囲まれる中、川沿いにだけは大小様々な建物が集まり、上流の方には
温泉街も形成されているようでしたが、下流を見れば大島の島影を大きく
映し出す深く青い大海原がすぐ目の前に広がり、そこまでの短い間でも
ごつごつした河原を荒々しく流れ下っていく白田川の姿を見ることが
できました。

河津桜の並木に彩られる川岸を対岸に見て、住宅街となる川沿いを海の方へ
下っていきます。
線路をくぐると海防の松、あるいははりつけの松とも言われているらしい
疎らに松の木の立つ海岸がすぐに現れ、夕暮れの風情を強く醸し出して
いました。
大島や利島の島影を浮かべる海原は穏やかに広がっていましたが、
白田川の対岸の街並の背後に急峻に切り立って海に面する丘陵の足元に
望遠レンズを向けている人が何人かいて、暫く待ってみると、海沿いの
線路にスーパービュー踊り子の車両が堂々と姿を現してきたのでした。

そして片瀬白田駅に戻って、最後に下り列車に乗り込みました。
夕暮れ野色をさらに濃くした大海原から高台へ進み、河津駅へ戻ると、
ホーム上の混雑もだいぶ解消していたようでした。
そして列車は海から離れて山道を行くようになり、山並みに囲まれて
ひっそりと佇む集落が疎らに河津桜に彩られている様子を高台から
眺めていくような車窓が続くようになっていって、
最後に寝姿山と三角形の下田富士に囲まれる下田の街へと進んでいきました。

宿へ向かう路線バスの時間まで間があったので、駅前で夕食を摂りましたが
その間に辺りはすっかりと夜になってしまい、バスの車窓からは
ほとんど何も見ることはできず、ただトンネルをくぐったりアップダウンが
あったりして険しい地形らしいということを感じるのみでした。
下賀茂温泉の中心部らしい素朴な街並の中のバス停に降り立ち、温泉宿
ではないので宿に入る前に近くの銀の湯会館という日帰り温泉施設へ
向かったわけですが、小さい橋で横断した青野川の河原の河津桜が
綺麗にライトアップされ、暗闇の中の灯火のように幻想的な姿を
浮かび上がらせているところでした。
 

寄蝋梅園、寄集落(2020.2.9)

murabie@早朝なのに混んでいる小田急線です。
またも2週間前の報告です。

先週に引き続き、この時期ならではの花の風景を見に行くべく、
今日はふじさん号に乗って松田の方へ行くことにしました。
朝も少しだけゆっくりと、空が白み始めた頃に家を出て、今日も快晴の
空の広がる中、ふじさん号から多摩川や相模川、丹沢の山並みや広大な
田園の風景を楽しみ、最後に山並みを抜けて現れた真白な富士山の姿を
少しだけ拝んでJRの松田駅へと降り立ちました。
数年前に訪れた、斜面の中腹の河津桜の園地が、今年もまたピンク色に
染まり始めているところのようでした。

今日は寄(やどりき)というところにあるという蝋梅園を目指し、新松田
駅前からのバスに乗り込みました。
朝早くからハイキング仕様の客がたくさん乗り込んだので座ることはできず、
立席で山を登る車両に身を任せていきます。
松田の街をあとにしたバスは、小田急の線路に沿って引き返すような形で、
所々セメント工場や資材置き場などが点在する、丘陵に挟まれた山道を
進みます。
列車からも見えていた集落のところに松田ランドという、なんか遊園地でも
あったんだろうかって感じの場違いな名前のバス停があり、バスはここから
線路と別れ、急な登り坂を登り始めます。
湯の沢団地という新興住宅地自体はどこにでもありそうな高密度な住宅地
でしたが、ぐいぐいと坂を上っていくので団地を抜けるころにはかなり
高い所へと進んでいて、道沿いには谷底にある川の流れを辛うじて
覗き込めるくらいの深い谷が寄り添い、蛇行する道路沿いには採石場となる
水平に切り刻まれた山も聳え立って、雑木林へと進んでいきます。
そしてほどなく田代向という所から、高い丘陵に囲まれて谷底に広がる
里山の集落へと進むようになり、高台に素朴な小さな民家の並ぶ街道を、
坂を上り下りしながら進んで、最後に川沿いの低地に広がる集落に向かって
急な坂を下りて、終点の寄バス停へとたどり着きました。

バス停は自然休養村管理センターという、公民館のような施設に隣接して
いて、蝋梅まつりの期間中はグランドも含めて駐車場が解放され、
空地には出店も出るようでしたが、まだ朝早くて、バスから降りた人以上の
賑わいはまだなく、駐車場にもまだ車は止まっていない状態でした。
すぐ近くに谷を深く削るように流れる中津川は、丘陵に挟まれて広い
砂利の河原を伴いながら谷底を流れ、上流の方には青空のもと、様々な
色調の緑色や黄土色の山肌を見せる精悍な山並みが重なる雄大な風景が
展開していました。
川を囲む斜面の中腹へ上る住宅地の中の急坂をゆっくりと登り、畑も
見られる素朴な農村の集落を貫いていくと、坂道沿いの斜面に茶畑が
広がり、振り返れば谷底の川沿いの集落が展望できるようになっていて、
茶畑の上に見られるようになった、大量の蝋梅が咲いて淡黄色に
染め上げられた斜面へ向かって、引き続き坂道を登っていきました。

寄蝋梅園の敷地へと歩みを進めると、順路沿いにさっそく、大量の淡黄色の
つやつやした小さい花をつけた蝋梅の木々が、トンネルを作るように
並んでいる所でした。
去年秩父で見たよりも色は淡いような気がしましたが、その時よりも
とにかく一面が黄色に染まって見えるほど、花が高密度に咲いているような
印象を受けました。もちろん辺りにはいい香りもほのかに漂ってきます。
大量の淡黄色の花をつける木々に望遠レンズを向けて、青空のもとに
映える花の姿を大きく写真に収めたり、園内に削られる小さい渓谷のような
所もまた黄色い花に囲まれているのを見つけたり、順路から外れても至る所で
黄色い花に囲まれて過ごすことができたり、特に展望台と称される所で
なくても、黄色く染められた園内の広大な斜面やその周辺の茶畑、
そして中津川沿いの谷底を埋めるように広がる寄の集落を爽快に展望
できたりする、隅々まで楽しく歩いて回れる園地を思いのままにのんびりと
散策し、満開の蝋梅の作る華やかな風景を存分に楽しむことができました。

園内の斜面には農道も通っていて、茶畑も大きく広がり、やはり黄色い蝋梅に
彩られて広がる長閑な里山の斜面の風景にも至る所で出会うことが
できました。
いったん順路から外れ、緩やかな坂道となるその農道を登っていくと、
道沿いに小さく寄展望台という地点が現れます。
大きな青空の下、眼下には園内の至る所で見ることのできた、山並みの
削られた谷底に集落が広がる風景が茶畑の深緑と蝋梅の淡黄色で彩られて
いる雄大な風景をここからも楽しむことができましたし、反対側を
見てみれば壁のように高く立ちはだかるいろいろな緑色の山肌の
山懐に抱かれるような農村の姿をも展望することのできる所に
なっていました。
農道からその農村へ下る階段道の先にはお寺のお堂のように大きな屋根を
示す建物が建ち、枝垂桜と思われる裸の木が佇みます。

展望台からの帰路も園内の、無数の満開の蝋梅が作る明るいトンネルを
縦横無尽に歩んで、黄色に染め上げられる世界やその外の茶畑、そして
谷底の集落の展望を楽しんでいきました。
入口に戻る頃には日も高く登って穏やかな気温となって、最初は
ちらほらとしかいなかった観光客もうってかわって沢山見られるように
なり、売店や食堂にも活気があふれるようになりました。
昼食には少し早い時間でしたが、大きな椎茸がごろごろと入った
カレーライスをいただいて、園地をあとにし茶畑の間から川沿いの
集落へ、来た坂道をそのまま下っていきました。
さっきはまだひっそりとしていたバス停の周りにも売店が開き、
駐車場にもたくさんの車が止まり、賑やかな雰囲気が溢れるように
なっていました。

引き続き、寄の集落から中津川沿いにまっすぐ北上する道を進んで
みました。テニスコートもあったりする集落も道沿いに続きますが、
その勢いはだいぶ弱まり、広い砂利の河原を伴う大きな谷は大きく開いた
明るい青空の下に穏やかな風景を広げていきます。
ときどき花の開きかけた河津桜が姿を現したりもする道は、緩やかな
上り坂となり、振り返れば明るい谷底に集落の広がる様子を高台から
遠くに眺めるような風景が展開したりもします。
道の前方に横たわる山並みは次第に互いの距離を狭め、道には集落を
取り巻いていた斜面が雑木林となってより近くに山肌を見せるように
なっていきます。

道の左側に寄り添う川は砂利の河原を水面よりも広く示し、比較的
短い間隔で大きな段差が設けられ、そこだけは川の流れも激しくなって
コンクリートに大きな穴を穿っていきます。
やがて道の右側の集落が途切れ、その背後にあった丘陵が道沿いに到達
すると、道は川の流れとともにカーブを切り、緩やかな登り坂となって
いきます。砂利の河原はキャンプ場の敷地として利用されているようで、
昔の漫画の秘密基地みたいに木の上に設けられたテラスなんかも
見られたりします。
やがて道は鬱蒼とした杉林へと踏み込み、県道だった道も林道に
指定され直され、少しだけ斜度をあげていきます。
杉林を抜けると道は川面よりもだいぶ高い所に登っていて、
短いけれど頑丈そうな真っ赤なアーチ橋の寄大橋で川を跨ぎ越します。
台風被害のせいなのか、その先はゲートで封鎖されてしまっていましたが、
しっかり舗装されている道はそのままカーブを描き、深い山の間へと
伸びつづけているようです。

橋を渡る手前、川沿いに走ってきた道がそのまま真っ直ぐ進む方向にも
ゲートが立ち塞がる道が伸びています。
この奥が、やどりき水源の森と呼ばれる鬱蒼とした薄暗い森と
なっています。
ゲートの中へと歩みを進めると、ひどかった台風の前の日付の掲示物が
残っている小さい管理施設もありましたが、基本的には寄り添う斜面の
表面に広がる深い森の作る薄暗い雰囲気の中に道は伸びつづけます。
寄り添う川も道と同じ高さまで登ってきて、広々と広がる砂利の河原を
大きく眺めることができますが、所々重機が佇んでいたり、切り出された
木材が積み上げられていたりします。

パートナーの森というらしい、いくつかの有名な企業が森を育てていることを
アピールする看板の並ぶ森に沿って谷底を奥へ伸びる道を進んでいくと、
程なく川の対岸にあるらしい滝郷の滝への道標が現れます。
案内に従って林道から川の方へ分岐すると、河原にちょっとした広場の
ようなものが広がる所となっていました。
相変わらず広く広がる白い砂利の河原の中で、寄沢と呼ばれるようになった
細くなった中津川の流れに別の沢が合流していて、その流れの上流へ
目を転じると、対岸の険しい斜面の森の影に、細いけれど力強く水が斜面を
流れ下っている様子を見つけることができました。

寄沢の流れの上に橋のように金属板が渡されているのを見つけ、
意外に高低差のある不安定な砂利の河原を、注意深くゆっくりと、
滝を目指して歩き進んでみました。
ようやく急斜面の森の足元にたどり着くと、森の中の斜面をなぞるように、
数段に別れて屈曲しながら、清らかな水が勢いよく流れ下って
小さい滝つぼを作り、そこから清らかな水の流れが、明るい日なたの
砂利河原の中へと流れはじめる所でした。
清らかで力強い滝の姿と、透明で綺麗な水の流れをすぐ目の前にして、
暫し何も考えなくていい穏やかな時を過ごすことができました。

本当だったらこの水源の森の中を周回する遊歩道があって、滝郷の滝を
上の方から眺められる所もあるようでしたが、河原の広場でさえ岸辺が
おそらくこの間の台風で大きくえぐり取られている状態で、まともに
整備などされてないだろうと踏んで、今日のところはそのまま引き返す
ことにしました。
水源の森の入口のゲートから外に出て、赤いアーチの寄大橋を渡り、
対岸で道に立つゲートの向こうに、その遊歩道の出口があるのですが、
木々の隙間から森の中を覗き込むと、案の定ちょっと荒れた感じの
遊歩道の姿を垣間見ることができました。

中津川の流れに沿う林道から杉林の道、そして道沿いにキャンプ場が
現れるようになった県道と、下り坂となった道を引き返していき、
明るい大空のもとに大きく開けた谷底の寄の集落へと戻っていきます。
帰りは川沿いの大通りではなく集落の中の道を選びました。
道沿いには豊かに大量の水を流す水路が寄り添い、テニスコートや
民家も現れますが、田畑の方が大きい面積を占めるくらいで、
その向こうに中津川の対岸に連なる丘陵もよく見え、振り返れば
青空の下に折り重なる山並みを背景として、集落の民家が穏やかな
絵画のような風景を作ります。
そして川と反対側の道沿いには、小さい畑の裏にすぐに丘陵の斜面が
横たわり、民家の上は寄蝋梅園の敷地となって、黄色く染め上げられた
領域が広く現れてきました。

午後になって三度たどり着いた寄のバス停付近は相変わらずの賑わいを
見せていました。
日帰り入浴という案内が地図上に記されているのを見つけ、とりあえず
その施設のある田代向のバス停周辺の集落を目指して、バス道を
歩いてみることにしました。
バス道は寄蝋梅園への入口の登り坂を左手に見て、小さい商店が疎らに
並ぶ登り坂を登っていきます。商店や民家の間に現れる小さい畑の姿を
見ながらのんびりと登り坂を上り、中山入口というバス停が現れた
辺りでふと振り返ると、壁のように道の先に斜面が立ちはだかって、
その表面いっぱいに黄色い蝋梅園の敷地が広がる風景が現れました。
バスの中からも見ていた風景のはずでしたが、蝋梅園が斜面上に
広がっているということを認識できていなかったような気がします。

道は高台の集落の中を、緩やかに上り下りしながら伸びていくようになり、
道沿いには少し古めかしさを感じる民家達が、庭木や小さい畑を伴いながら
並ぶ素朴な集落の風景が続き、左手の民家の奥には蝋梅の黄色や雑木林の
様々な褐色や緑色を示す斜面が現れ、右手にもおそらく谷の対岸の丘陵が
現れていきます。
町並みの中心となる辺りの道沿いには、多少変形している感じの杉の巨木が
神木として堂々と佇み、道沿いの鳥居をくぐり抜けて斜面上の石段を
登れば、寄神社という小さい素朴な神社が杜に覆われて静かに佇んでいます。
通りに戻って引き続き集落の中の素朴な道を進んでふと振り返ると、
極めて背の高い神木に見守られる通りに、大きいはずのバスの車体が
ゆっくりと歩んでくるところでした。

程なく道は高台の集落の末端へと進み、消防団の詰め所のような建物の
敷地から、丘陵に囲まれた谷底に集落が広がっているのを見渡して、
大きくカーブを切りながら切り通しの道を下って、そして通りから
分岐する道へと進んで、中津川に架かる赤い田代橋を目印とする
川沿いの集落へと下っていきました。
やはり小さい田畑とともに素朴な民家が集まって、所々紅梅の木に
彩られているようななんでもない集落で、確かに日帰り入浴施設として
紹介されていたやすらぎの家という建物も比較的大きな建物として
佇んではいたのですが、雑多なものが積まれている感じで、きっと
夏のキャンプシーズンとかじゃないと営業してないんだと解釈する
ことにしました。
素朴な集落だけど大きな工場のようなものも建ち、赤い田代橋の
対岸の集落も、茶畑を伴いながら高台の方まで続いているような感じで
静かだけれど決して寂しい感じではない所で、
田代橋の上からは、砂利河原の広い川を中心に広がる、山並みに囲まれた
里山の穏やかな風情を存分に味わうことのできるところでした。

中津川の対岸に沿うようにして伸びている枝垂桜の並木の遊歩道を
今度は寄バス停の方へ戻るように歩いてみました。
川の西岸となる道沿いには壁のように雑木林の丘が寄り添い、昼下がりと
なって大きな日陰の中を伸びるようになっていました。
川の中に所々に設けられた砂防のための堰堤を越えるように道は所々
登り坂下り坂を伴っていましたが、常に道は川沿いに伸びて、対岸に
広がる素朴な集落や長閑な田畑、そしてその背後に控える雑木林の
丘陵の山肌を見ていきます。
寄バス停に近づくにつれ、対岸の山肌にはまた寄蝋梅園の黄色くなった
領域が広がるようになっていきました。入口の茶畑や頂上の寄展望台の
姿も良く見渡せ、蝋梅園の遠景をも楽しむことのできる所だということを
知ることのできた楽しさも感じることができました。
遊歩道の方には所々台風の爪痕と思われる、土砂崩れのあとや道の上に
残る土砂の流れの跡なども見ることができましたが、寄バス停にだいぶ
近づいた橋の近くには、蛍の住むらしい、斜面の影にひっそりと横たわる
小さい淵を、寄り添うように設けられた木製のテラスを目印にして
見つけることができました。
枝垂桜の季節、また蛍の季節と、違う季節に来てみればまた違う楽しさを
感じることのできる所なのかも知れません。もしかしたら、紅葉の季節も。

四度寄バス停の近くに立ち寄ったことになりましたが、最後にもう一度
中津川沿いの道を、今度は対岸に枝垂桜の並木を見てのんびりと、
田代向まで歩いていくことにしました。
対岸の風景は大きな影の中となりましたが、基本的には狭い田畑に
寄り添われながら、堤防の上に平坦に道が続き、少しずつ夕暮れの色が
現れてきた空のもとに連なる山肌に見守られる長閑な風景の中、遠くに
見えていた赤い田代橋が近づいてくると、次第に民家が集まって
きたのでした。

こうして蝋梅だけでなく寄の周辺の風情もなんだかんだしっかり楽しんだ
満足感とともに、田代向のバス停から新松田駅へと戻るバスに
乗り込みました。
予想通り超満員の状態でやってきましたが、運転手さんの判断で最前部に
載せてもらうことができ、窮屈な体制にはなりましたがバスの前面に
大きく広がる車窓を楽しむことができました。
田代向が寄の集落の南端となり、バスは森を切り開いた山道をのぼり、
採石場の削られた山を囲むようにカーブを切ると、今度は深く削られた
谷を横目に見ながら新興住宅街の中の下り坂を下って、谷底の国道246と
合流を果たして、そのまま谷底の大通りを、川の向こうに小田急の列車が
行き交うのを見ながら進んで高速をくぐると、唐突に明るい松田の街が
始まって、シルエットとなった富士山の姿を大きく見ながら、大きく見える
街の中を進んでいきました。

夕方になった松田の街に着き、時間的にもしかしたら以前河津桜を
見に来たときに入れなかった入浴施設に行けるかもと思って、松田の街から
川音川沿いの道へ進み、綺麗な私立高校の前を通って対岸にピンクに
染まった領域を見せる松田山の山肌を見ながら三角土手の方へと歩んだの
ですが、入浴施設はちょうど営業が終わったところで、そうか松田の人は
夜はお風呂に入らないんだったと思ったところまで、この間と全く同じ
経過をたどることとなりました。
歩いてここまで来る間にも夕暮れの色はどんどん深まっていって、
三角土手の広々とした河原の風景が、連なる山並みと富士山を背景として
雄大に広がり、酒匂川に架かる長大な鉄橋を小田急の列車が頻繁に
悠々と横断していくダイナミックな風景を暫し楽しみ、ぴょんぴょん橋
というらしい、一直線に飛び石の連なる橋を渡って遠巻きに大きな
山並みに囲まれる雄大な風景の中で、ごつごつした広い河原の中に流れる
水の勢いが見た目以上に激しいことを感じている間にも、辺りの夕暮れの
風情はさらに深まっていきました。
そしてそんな夕暮れの迫る松田の街に戻り、今回もJRの駅からの
特急列車に酒を片手に乗り込んで、小さな旅を終えたのでした。
 

鋸南町(2020.2.2)

murabie@自宅です。
またも、およそ2週間前の旅の報告となります。
最近筆の進みが遅くなってしまっております……


先週の旅の振り返りもまだなのに、先週の旅先のパンフレットで見つけた
鋸南町の水仙という見どころが妙に気になり、今週も旅に出てしまいました。
先週と違ってようやくやってきた穏やかな冬晴れという予報、先週より
すこし遅く家を出て、先週と同じように東西線に乗ると、行徳辺りで夜明けを
迎え、東の空に幻想的な朝焼けを見ることができました。

西船橋から総武線各停で千葉へ、そして内房線の館山行の列車へ乗り継ぎ
ましたが、高校生やサッカー少年の団体や行楽客が入り混じり、席が埋まる
くらいの混み具合となっていました。
先週歩んだ五井を過ぎると、こちらの車窓にも広大な田園が現れるように
なりましたが、こちらは暫くは住宅地メイン、でも姉ヶ崎を過ぎると
巨大だけど敷地が広大なせいかあまりいかつさは感じない、紅白の煙突を
いくつも並べる工場が広がり、また袖ケ浦を過ぎた所では広大に広がる
田園の向こうに大きな観覧車と真っ白な富士山が青空の下に姿を現しました。
君津辺りから周囲の住宅街は快晴の青空の下で丘陵に囲まれるようになり、
そして道は丘陵の間に分け入るようにもなって、起伏に富む山里の風景や
時には険しい山道のような車窓も現れてきます。
大貫を過ぎた辺りで集落の向こうに一瞬青々とした海の姿が見られたのを
皮切りに、暫くすすき野原の入り混じる山道を行ったけれど、上総湊の
辺りから、丘陵の間の道を抜けると青々とした東京湾の姿が大きく
車窓に広がるようになってきて、快晴の青空の下に広がる壮快な海原の
風景との出会いを楽しみながらの旅となっていったのでした。
そして浜金谷を過ぎて鋸山をくぐる長めのトンネルに入って安房の国へと
進み、素朴な民家の集まる保田の集落の向こうに港の海を望む風景を眺め、
安房勝山駅へと進みました。

自転車置場を装飾するようにちらほらピンクの花をつけはじめた頼朝桜の
木々が見られ、後ろを振り返れば鋸山が雄大に壁のように横たわり、
その他にも様々な形にとがる丘陵に囲まれる山里に静かに佇む駅は、
まだ朝早くて営業が始まらない無人駅のような状態でした。
駅前には銀行だけが大きな建物を示すだけの素朴な小さい街が広がります。
今日の目的地へ向かうコミュニティーバスの時間まで1時間くらい待ち時間が
あって、その間にこの安房勝山の市街を散策していくことにしました。

線路と平行に伸びる国道127号から住宅街の路地へと分け入れば、なんという
ことのない素朴な民家や時には飲食店、旅館なんかも集まるのだけど、
ここでもやはり屋根にブルーシートを乗せていたり、中にはけっこう
破壊されていたりする民家もあったりして、台風からの復興を願わずには
いられなくなってしまいます。町並みは小高い大黒山に見守られますが、
山の上にはお城のように小さい建物が佇んでいます。
住宅街には小さな旅館が紛れ込み、その敷地の縁にはピンクの花を
開きつつある頼朝桜の姿も見られました。

住宅街をまっすぐ進めば、程なく砂浜の海辺へと出ました。
小さい堤防の上に登れば、左手には大黒山の沖に、うがたれた洞門の
姿も見られる岩礁に囲まれた浮島が浮かび、青空の下に広大に広がる
海原の向こうには、頂上を雲の中に突っ込んでしまったけれど裾野が
真っ白に染まっている富士山の姿も素敵に眺めることができます。
右手には海へ伸びるように横たわる鋸山、そしてその対岸にはおそらく
三浦半島、久里浜辺りのいろいろな建造物があくまで小さく海岸沿いを
埋め尽くす様子が遠くに見られます。望遠レンズ越しに対岸を除けば、
水面付近は蜃気楼のように光が屈折して見えてきました。

砂浜を見ながら右手へ海沿いの遊歩道を進んでいくと、程なく沖へ防波堤や
テラスが伸びている所へと進み、時折穏やかな波が防波堤で軽くはじける中、
何人かの釣り人が穏やかな時を過ごしている所となりました。
今営業しているわけではない海の家のような商店の並ぶ方へ堤防を下りると、
源頼朝上陸の地という石碑が佇む所がありました。
戦いに敗れた源頼朝が逃れてきて上陸し、再起を誓った所ということに
なるようです。

1時間しか許されていないということを忘れてしまいそうになる、穏やかな
天気の下に広がる穏やかな海原の風景を楽しみながら、来た方へ戻るように
砂浜沿いの道を南下し、浮島の方へと歩みを進めてみました。
静かに佇む飲食店を過ぎると、ごく小さい松原が道を囲み、そびえ立つ
大黒山へ向かうように歩んでいくと、山から流れてきた佐久間川を越える
橋へと差し掛かっていきます。
佐久間川はすぐ先で河口となり、その先には岩礁のように沖に浮かぶ
傾城島というらしい小島が浮かんで、順光を浴びてやはり崖面の地層を
はっきりと現して、軽い波を浴びながら佇んでいるのを見ることができます。

切り立つ大黒山の足元には、営業していない飲食店がいくつか並び、
崖にはフェンスで覆われた海蝕洞がいくつか見られましたが、ここに昔
水族館があったということを、小さな観光案内看板が教えてくれました。
佐久間川の河口でもある突端へと進めば、明るい空の下に傾城島、浮島を
浮かべる明るい海が広大に広がって穏やかな波を寄せる風景が大きく
広がって、歩いてきた海岸線の後ろに横たわる丘陵と素朴な街に寄り添われる
明るく穏やかな風景が広がっていたのでした。

あまりの風景の雄大さについつい時間を忘れそうになり、駅に戻らなくては
いけない時間となっていて、佐久間川沿いに伸びる道の周りの素朴な
住宅街の中に大黒山への登山口となる道への分岐点があったのをとりあえず
記憶に留めつつ、あとは早足で住宅街を抜けて国道に戻り、佐久間川を橋で
渡って安房勝山駅の周りの小さい素朴な町並みへと帰っていきました。

安房勝山駅に戻ると循環式のコミュニティーバスの発車時刻となり、駅には
時計回りの青バス、そして反時計回りの赤バスが立て続けにやってきて、
赤バスの方に乗り込むと、なんと平成32年の日付の整理券が……。
バスはさっき急いで歩いてきた道を少し引き返しつつ、勝山の漁港の周りの
街をかすめ、丘陵のちりばめられる長閑な田園の中の大通りを進みます。
一旦路地に分け入り、田畑や子供達の集まる小さいサッカー場を経て
せせこましく岩山に囲まれるように広がっていくつかの鳥居が路地を跨ぐ、
小さい港の集落のある岩井袋という所へ立ち寄った後、
また勝山の街まで戻り、海辺の明るい風景を背景にお城のような建物を乗せる
大黒山を青空の下に大きく見て、町並みの中でようやく山奥へ向かう道へ
分岐していきます。
山並みに囲まれた田園の足元に続く素朴な住宅街を進めば、水平に規則的に
削られた姿を示す山も青空の下に佇んで、入り組んだ道を進めば富士山と
並ぶようにそびえる大黒山の姿をまた見つけたりもしながら、高速道路を
くぐって、ときどきは険しい山道の雰囲気にもなるなか、長閑な山里を
ひた走っていきます。大通りをなぞるだけでなく、かなり頻繁に、しかも
長い距離をかけて菜の花畑の間の路地もたどり、いろいろな集落を
掠めていきます。

旧佐久間小学校の辺りでは再び長閑な里山の風景が大きく広がりました。
日帰り温泉もあったりするらしい長閑な集落を通りすぎ、里山の中に
現れる集落をこまめに訪れ、大崩(おくずれ)入口という所へ
向かうと、いよいよ道に寄り添う斜面いっぱいに何かの畑のように整然と
大量の水仙が育つ風景が見られるようになっていきました。
道端に水仙が群生するような所もあり、頼朝桜も開きかけ、緑に白が
点々とする水仙畑を彩ります。進めば進むほど道は険しくなりましたが、
そんな山道の道端にも当たり前に存在する雑草のように、水仙が
点々と花を咲かすようになっていきました。
だいぶ長い距離を寄り道して訪れた奥山から道を引き返し、今度は
谷底に続いていく長閑な里山の疎らな集落にやはり水仙の群落が
現れる風景を見て、最後に佐久間ダムへ向かう山道へと進みます。
道沿いの斜面や道端を固めるように、水仙は緑の葉の中に白い花を
咲かせ、山並みが奥へと凹めばその斜面いっぱいに、菜の花畑や
水仙畑が広がる風景が代わる代わる現れて、シャッターを切る手が
止まらなくなってしまいました。
そしていよいよ現れた佐久間ダムの湖面を大きく見渡し、湖畔の小さな
バス停へと進んでいきました。

バス停からは、周囲を大きくぐるりと取り囲む丘陵達の中心に佇む広大な
佐久間ダムの姿を一望することができます。
水自体は何かしらの点検作業のようでかなり少なくなり、黄土色となって
河原の土砂もよく見えて、決して綺麗とは言えない状態でしたが、
雑木林の広がる山肌の一部は木々が切り開かれ、対岸には斜面のかなり
高い所へ展望台が設けられ、階段道も整備され、その足元の湖面へは
橋が途切れたような細長いテラスも設けられています。
そして、斜面の隙間の至る所を埋め尽くすかのように、大量の水仙が、
緑の細長い葉を大量に繁らせ、白と黄色の花を大量に咲かせていたのです。
道路に寄り添う斜面の至る所に、また湖面へ下る坂道を下れば
湖を直接囲む斜面いっぱいに、緑と白の水仙畑が広大に広がります。
そしてその水仙畑を彩るように、頼朝桜がピンク色の花をちらほらと
咲かせはじめている所でした。

湖岸を周回する道を進めばやはり、なんでもない斜面にも道端にも
大量の水仙が咲き誇り、時々いい匂いも漂ってきます。
あとで行こうと思っている をくずれ水仙郷への道標の立つ谷底も
大量の水仙に埋め尽くされ、また仮設のような鉄骨組の階段を斜面の上へ
登れば、丘陵に取り囲まれる佐久間ダムの湖面を広々と眺められた
ばかりでなく、尾根の反対側に分け入っていくような細い水面が
壁のようにきわめて高い山達に囲まれているような風景にも出会うことが
できました。

湖畔に下れば売店もある小さい親水公園となっていて、湖水面に迫り出す
ボードウォークも設けられ、切り立つような斜面に囲まれる湖水面の姿を
より間近で楽しむこともできますし、
遊歩道に従って歩みを進めれば、湖を大きく跨ぐ新長尾橋の下をくぐって、
入江のように細くなった水面が、高く切り立つ丘陵に囲まれる風景の
広がる辺りに出ていきます。
湖畔にはやはりいっぱいに水仙の白い花が咲き乱れ、その中や、高台を
通過する道路沿い、さらにその背後の斜面にも、白梅や紅梅が満開に近く
咲き誇り、また頼朝桜も開きはじめ、時には菜の花の姿も見られる、
穏やかな快晴の青空の下に沢山の花の咲く明るい風景となっていました。
そんな風景を大きく眺めることもできますし、そして水仙の群落の間に
足を踏み入れて、大量の水仙の花に囲まれながら、細く伸びる水面の
対岸の斜面にも水仙の群落が横たわる風景を楽しむこともできました。

水仙の中の道を親水公園まで戻って新長尾橋を渡ると、ダムの本体側の
広々とした風景だけでなく、きわめて背の高い壁のような、もはや
山と言っていいレベルの丘陵が、表面を雑木林や竹林に覆われて様々な緑色を
呈して青空の下に立ちはだかるその足元に、歩いてきた入江が佇んでいる
風景に出会うことができます。
そして入江を横断した対岸にも園地が広がって、湖岸にも、広場にも、
また寄り添ってくる大きな斜面のかなり高い所にまでも、大量の水仙の花が
咲き誇って、いい香りのほのかに漂うなか、さっき歩いた対岸に浮き桟橋を
浮かべている細長い湖水面の穏やかな姿を楽しむことができました。

ダム湖の本体の方もまた、新長尾橋を過ぎると、互いに距離を狭めた背の高い
丘陵達の作る谷底にはまる細さとなり、水路か小川と言っていいレベルと
なっていきました。
川を囲む斜面にもいっぱいに水仙の花が咲き、湖水面の上に折れ曲がりながら
渡されている遊歩道の橋へ歩みを進めれば、谷間にいっぱいに水仙の葉や花が
敷き詰められている風景となっていきます。その中にちらほら花を
咲かせ始めた頼朝桜の姿も混ざります。

遊歩道の橋を渡った対岸は、展望台の乗る切り開かれた山となり、やはり
広大な斜面いっぱいに広がる水仙の姿を楽しみながら、斜面を切り返し
ながら上っていくことができ、対岸からはあの上まで登るとしたら
大変な思いをしそうだなと感じていたのに、いざ足を踏み入れれば
いつの間にかかなり高い所にまで登っていて、ダム湖の姿がどこからでも
大きく眺め渡せるようになっていきました。

2段に分かれる展望台からは、さっきの新長尾橋が跨ぐ入江を正面に見る
格好となり、対岸にはかなり背が高く見える、様々な緑色に塗られた斜面に
所々農村の小さな建物が点在する様子も、順光のもとにはっきりと
見て取ることができる爽快な風景となり、
また広大に広がる青空の下、水量の少ない泥水のような色を呈する
ダム湖がやはり壁のような丘陵達に囲まれながら大きく広がっていましたが、
その末端となる堰堤が水面を直線的に区切っている様も大きく視界に
現れてきていました。

展望公園の足元の湖岸は、対岸から見られた、橋が途中で切断されたような
テラスが湖面へ伸びる親水公園となり、斜面上を複雑に折れ曲がって伸びる
階段状の木道から、やはり水仙が群生する風景を楽しむことができましたし、
隣接する駐車場を囲むか部のような斜面にも、水仙の群生を見ることが
できましたが、本来この斜面に伸びている階段の遊歩道は、台風の名残か
工事中となっているようでした。

堰堤の方へ湖畔の道をたどって歩みを進めると、道に迫る丘陵には
鬱蒼とした雑木林が広がるようになりました。それでも湖側に少し広がる
崖の上の平地や、その下の斜面には、至る所に水仙の群落を
見ることができます。
堰堤の入口に進めば、ダム湖のかなり下の方に深緑の丘陵を深く削る渓谷も
見ることができましたが、堰堤そのものは斜面の足元に相対するような
構造となり、堰堤上の道はそのままさっきバスで通った道へと合流して
いきます。
そして入り組む丘陵へはまり込む入江を金銅橋で渡り、かなり深い渓谷の
上に架かるアーチ状の水道橋と、湖水面を囲む壁のような丘陵にやはり
水仙の群生を広げる園地の姿を見渡して対岸へ進むと程なく、
丘陵の上へ登っていく道と湖岸を巡る道との分岐点に立つバス停へと
帰り着き、湖畔一周散策を完了させることができたのでした。

もう一度湖畔の道をたどって親水公園の方へと歩み、その途中の山側に
広がっていた、をくずれ水仙郷への道標も立つ谷合に蛇行しながら
続く遊歩道を上り、点在する梅や咲きかけの頼朝桜に彩られて
谷底いっぱいに広がる水仙畑の風景を堪能していきました。
歩いているうちに、対岸の展望台から見てかなり高いものであるように
感じていた丘陵の一番上にまで登り進んでいて、谷底を見ればダム湖の
姿もまた綺麗に見ることができました。

遊歩道は大崩へ向かう循環バスの通る道へと合流し、引き続きその道を
たどって高台の里山を歩んでいきます。
道端やちょっとした斜面に水仙が群生する風景は変わりませんが、木々が
切り払われている所も多く、下界に広がる雑木林や、ダムの湖畔からは
見上げるほど高いところに見られたはずの里山の農村の集落を逆に
高台から見下ろすようになった風景を所々で楽しみながら、大きな青空の
もとで山並みに囲まれる車道をたどって進んでいきます。

やがてやはり水仙の群落が斜面いっぱいに広がる所で現れた道路の分岐点の
所に、大型バスが団体客を下ろしている駐車場が現れ、売店となる
建物に「をくずれ水仙郷」という文字が大きく書かれているのを見つける
ことができました。
丘陵の急斜面に広がる水仙畑を高台から見渡せるような所にある
駐車場でしたが、その縁からは周囲を取り囲む山並の向こうに、なんと
霞みながらも伊豆大島の姿まで見えていたりします。

をくずれ水仙郷という名前のつけられているこの辺りは、特に園地の
ように整備されていたりはせず、ただ単に至る所に存在する農村の庭先や
農地に大量の水仙が咲き誇るのを、道路を歩きながら楽しむことが
できるようになっている感じの所でした。
交差点から大崩のバスターミナルの方へ向かって里山の道を進めば、
道に寄り添う斜面や、道から見下ろす谷合に広がる長閑な農村の至る所に
緑の細い葉の上に白い花をつけた大量の水仙が咲き誇る風景が広がります。
大崩のバスターミナルの辺りも極めて長閑な里山の風景となり、
共演する菜の花や咲きかけの頼朝桜の姿も所々に見られ、実は台風の爪痕が
ひどく残っている感じだった由緒のある神社や、ちょっとした谷底にたたずむ
民家や田畑の作る長閑な里山の集落に、至る所に大量の水仙が咲き誇る
風景を、いい香りと穏やかな暖かさと共に、暫し堪能することができました。

この時期だけ運行される臨時便の時刻に合わせて大崩のバスターミナルに
向かい、赤バスだけど循環はしないらしい便に乗り込みました。
バスはをくずれ水仙郷入口付近に集まるたくさんの車と人を避け、
かなり低い所に現れたダムの姿を一瞬見下ろした後トンネルに入り、里山の
山道を下っていきます。
正面に削られた山の姿を大きく捉えながら、バスは小さな菜の花畑の広がる
山道を行き、採石場を過ぎてさらに急な山道を下っていきます。水仙の姿は
大規模に群落を構成するほどではなくなりましたが、それでも道端を
よく見ていくと、所々に引き続き大量の白い花が集まっている所を
見つけることもできました。
小保田まで下ると山深い雰囲気は緩和されて長閑な集落が広がるようになり、
山並みに囲まれて水田が立体的に現れる街道に古い民家の集まる風景と
なっていきます。
丘陵は道からは離れて長閑な里山の風景が長く続くようになってきましたが、
水仙の群落も引き続き所々に見られ、高速道路をくぐっていくと、建物の
現れる密度も高まり徐々に市街地の様相を呈してきました。

道の駅保田小学校の所でバスを降り、しばしたくさんの人で賑わう施設を
見学することにしました。
ようは小学校の校舎と跡地をそのまま活用している感じのようでしたが、
校庭部分は舗装されて大きな駐車場となり、校舎の表面にもいろいろ
手が入っているので、異様に横に長いことを除けば新しい施設に見えなくも
ありません。
それでも建物の中に入り、これは確かに後者だと感じる階段を登り、
確かに学校っぽい雰囲気の廊下をたどって2階へ進み、ベランダ部分が
健在で囲まれたような所へ進むと、外壁や埋め込まれた大きな時計が
確かに学校の建物っぽさを感じさせてくれました。
宿泊施設とされているらしい教室には畳と簡易的なベッドが設けられて
いましたが、連絡事項を書く欄の作られている黒板などはまさに教室で、
所々子供たちの机やランドセル、ピアノや跳び箱なんかも置かれています。
売店も出ていてたくさんの人が集まり、おそらく現役時代にはなかったで
あろう賑やかな風景の中に、学校であった名残をたくさん見つけることの
できる面白い道の駅でした。

保田小学校をあとにしてバスの通る道をそのままなぞって歩いていくと、
道沿いには小さい民家や商店の並ぶ街となって、踏切の手前には、屋根の
ビニールシートが痛々しい、小さい保田神社も佇みます。
踏切を渡った辺りが保田の街の中心部となるようで、路地に分け入れば
住宅地となり、同じように小さいけれど古めかしい神殿の立つ加茂神社の
境内を掠めつつ更に分け入れば、丘陵と青空に囲まれる小さな駅だった
保田駅の姿も現れました。

保田駅をあとに、いくつかの飲食店が軒を連ねる駅前通りを経由して
保田の街並みの中心にある大きな交差点へと進み、いったん海の方へと
寄り道をしてみました。
浮世絵の菱川師宣の生誕地という場所が住宅の間にせせこましく現れたりも
しましたが、穏やかな砂浜の海岸にもすぐにたどり着くことができました。
お昼を大きく過ぎて海からの光は逆光となり、富士山も見られなくなって
沖に浮かぶ岩礁たちの姿もシルエットとなっていましたが、海に突き出す
ように横たわる鋸山に見守られる海の姿は相変わらず穏やかなものでした。

できるだけ海に沿うように、大通りを南下していくと、ほどなく海側には
保田の漁港が現れてきて、ちょっとした厳つい施設が海沿いに並ぶ中に
大小さまざまなたくさんの船が集まる風景となっていきます。
陸側にも田畑を内包する集落が続きましたが、背後にたたずんでいた丘陵は
南下するほど道路に近づいてきて、その足元に内房線の列車も時々
姿を見せてくれます。
厳つい港の中にはばんやという漁協直営の飲食店や入浴施設があったり、
更に南下していくと菱川師宣記念館の敷地に、また別の今度はとても小さい
道の駅が現れ、その敷地からもやはり穏やかで青い逆光の海が大きく
広がったりたりと、港町の雰囲気が続いていきました。

佐久間ダム湖で予定外に長時間楽しむことができた感じで、空には若干
夕暮れの雰囲気が漂い始める時間となっていましたが、最後にもう一つの
見どころの江月水仙ロードを歩くべく、保田駅の方へ戻って、丘陵に囲まれた
小さくて素朴な集落の中へと進み、ちょうど特急列車が横切った踏切を
越えて、水仙ロードを山奥へと歩き始めました。
緩やかな上り坂となっている道を進んでいくにつれ、集落を囲んでいた
深緑の丘陵の姿はまた道に近づいて、辺りは次第にまた里山の風情となって
行きます。

高速道路をくぐる辺りで振り返ると、里山の集落の奥の遠くの方に
さっきまでいた海原の姿が広がるような所もあったりしましたが、
所々に水仙の群落を見て小さい川沿いに伸びていた道はだんだん山深い
雰囲気に包まれるようになっていきます。
丘陵に囲まれて小さい建物の点在する里山の風景の中に、次第に
至る所に大量の水仙が咲き誇るようになっていき、川沿いのちょっとした
隙間にも、寄り添ってくる斜面や、その中にステージのように設けられた
平地にもやはり大量の水仙が見られるようになっていって、所々
梅の花や咲き始めた頼朝桜にも彩られるようになっていきます。
頼朝関係の史跡の存在を現す立て看板が見られたり、富士山に座って
東京湾に足をつけていたという、デーデッポという名の巨人の足跡と
いわれる窪地か何かへの入口を示す立て看板もあったりしたのですが、
だんだんと夕暮れの風情が強まってきていたこともあり、寄り道はせずに
ひたすら、水仙の香りの漂う長閑な里山の道を進んでいきました。

やがて道沿いのステージ状の平地に、水仙ひろばという、なんということは
ないちょっとした、丘陵の足元で水仙畑に触れ合える小さいスペースも
現れたりしましたが、緩やかな上り坂だった道の傾斜もだんだん厳しくなり、
鬱蒼とした杉林を貫くようにもなっていきました。
杉林を抜けると斜面上にまた、水仙畑がちりばめられる中に古めかしくて
小さい素朴な民家の集まる里山の風景が広がる所に出て行き、なんという
ことのない地蔵堂を目印にして、奥へ凹んだ丘陵の谷合に所々田園を
隠し持つような雑木林が広がる風景を広々と見渡せる所も現れたりしました。
地蔵堂の近くに立つ無人販売所には梅干しも売られていて、思わず購入
してしまいましたが、昔ながらのものすごく塩辛い、それでも実はふっくらと
して口に含めばほろほろと実が種から離れてくれるような味わいを
楽しむことができました。

そして道は峠に近づき、さらに険しさを増しながら杉林へ分け入りました。
江月山頂とされる辺りの森の中へ続く坂道へ分け入っても、山頂の碑の
類を見つけることはできませんでしたが、切り開かれた森の斜面いっぱいに
小さい水仙の花が敷き詰められる風景となり、そして山の裏側に、おそらく
さっきバスで通った佐久間の辺りの長閑な里山の風景を広々と展望することが
できて、一通り目的を達することができた爽快感を感じることができました。
山頂をあとにする頃には辺りはだいぶ薄暗くなってきて、登ってきた道を
基本的にそのまま下って、里山の集落から杉林、そして山間の田園を、
水仙畑に囲まれながら下っていくと、前方の空は夕暮れのオレンジ色を
大きく示すようになっていったのでした。

空はここまで快晴で来ていましたが、西の空の水平線付近には雲が浮かび、
夕焼け空は限定的な美しさを示すに留まっていましたが、保田の集落に
戻るまでに、辺りの夕暮れはさらに深まり続けていきました。
最後にさっき歩いた海沿いのばんやという漁協直営の飲食店に立ち寄って
海のものを夕食とし、そして人工泉ではあるけれどお風呂に入ることの
できる施設にも立ち寄ってのんびりと過ごすうちに辺りは完全に夜となり、
保田駅に戻るまでの海沿いの道には、東京湾の向こうのおそらく三浦半島
辺りの海岸に並ぶ光の粒が点々と並ぶ夜景が見られるようになっていって、
窓口営業が終わってしまいひっそりとしてしまった保田駅から、
帰り道を歩み始めたのでした。
 

小湊鉄道沿線(2020.1.26)

murabie@自宅です。
またも約2週間前の旅の報告です。

週末は天気が悪いという長期予報に、今週末はおとなしくしていようかと
思っていたところ、数日前からいい方に予報が変わり、仕事も大きなものが
片付くタイミングでもあって、これは旅に出るしかないと、前日に切符の
手配まで済ませてしまいました。
しかしいざ当日を迎えてみると、なんとまあしとしとと雨が……

そんなわけで雨の中のスタート、途中までは2週間前の旅と同じく
東西線で西船橋を目指しましたが、2週間前よりもかなり早く家を出たため、
地上に出ても辺りはまだ夜のまま、そして総武線に乗り継いでも変わらず、
千葉から内房線の列車に乗り継ぐころようやく辺りは明るくなりはじめ、
工業地帯を見ながら京成線とともに高架を進んでいた車窓が、程なくして
地平に下り、隙間の田畑や荒れ地の多い住宅地を進むようになっていくのを
眺め、五井駅へと進みます。

五井駅から今日は小湊鉄道線に乗り継ぎ、時々車体を大きく揺らしながら
ごとごとと、あっという間に広大に黄色い田んぼがいっぱいに広がるように
なった風景の中を走っていく古い列車に身を任せていきました。
時々島のように現れる丘陵の足元や斜面に住宅地が広がり、その近くに
設けられた小さい駅のホームで立ち止まっては、あまりクッションの
効いていない感じの大きな動作音と衝撃を伴ってドアが開閉され、
住宅街の反対に広がる広大な黄色い田んぼを見せてくれます。
時々この間の台風で吹き飛ばされたのか、屋根の一部にビニールシートを
載せる民家や駅舎も姿を見せる中、立ち止まる駅には味わいのある古い
駅舎が立って、無人化されて設けられた真新しい券売機が寂しく待合室に
佇んでいるような風景に、しきりに雨粒が落ち続けます。

内陸に進むにつれ、遠巻きだった山並みの姿が大きくなり、列車は
丘陵の合間の起伏に富む山里を経由することも多くなって、上総牛久を
過ぎると、土の斜面に地層を見せる切り通しや荒れた雑木林、竹林を
通過しながら、近くに丘陵を控えてのどかに広がる里山の風景を多く
見かけるようになっていきました。
そして列車は高滝ダムの一部となる幅の広い水路を跨ぎ越したり、
荒れ地の向こうに広々と広がる湖面を見たりしながら、高滝ダムの領域を
通過していきます。

当初の目論見では高滝駅の無人レンタサイクルを借りて、ダム湖の周りを
集回しようかと思っていたのですが、雨が止む気配を見せないので、
里見駅から歩いていく作戦に変更することにしました。
古い駅舎のこぢんまりしたホームで、タブレット交換していく小さな
列車を見送り、持参した携帯用長靴に履き替えて、しとしとと降る雨の中
散策を開始します。

線路と並行する大通りは里山の起伏に富む道を伸びていますが、時間がまだ
早かったせいもあるのか、車の往来も少なくひっそりとしていました。
駅近くの消防署にはなぜか仮面ライダーが立ち尽くしていたりもします。
路地へと分け入り、狭いわけではない構内に列車が静かに休んでいる
里見駅を丘陵の足元に見る踏切を越え、里山の集落へと歩みを進めていくと、
家並みが途切れて丘の足元に田んぼが広がった所に、モニュメントとして
残されている感じの短い線路が姿を現しました。
万田野線という砂利採取のための貨物線の跡地ということのようで、
線路の敷地自体は立ちはだかる丘の中に伸びていて、割と綺麗に草木が
取り除かれていたので、長靴の威を借りて森の中へと歩みを進めてみました。

切り開かれた竹薮の中に通された遊歩道のような道に、レールそのものを
見つけることはできませんでしたが、草むらに埋もれるように側溝が
伏せられていたり、コンクリートの壁が崖に沿っていたり、
何かはわからないけれど錆び付いた鉄でできた何かが転がっていたり、
そして周囲を囲む森の木々の隙間から外界の道路とその向こうに壁のように
立ちはだかる丘が見え、その道路が線路と同じくらいの高さに寄り添って
きた辺りで、廃線あとの敷地の幅がすこし広がって、貨物駅的なものが
あったかのような雰囲気を一瞬醸し出して、竹薮に遮られていました。
しとしと雨に竹薮も濡らされるしっとりとした静かな風景でした。
来た道を戻り、線路のモニュメントを通り越すと、道はさらに里見駅の方へ
民家とビニールハウスの間に伸びていて、前方には里見駅に止まる列車の
姿も見られましたが、溜池のように水溜まりが広がっていて、
歩き進むのは断念しました。
あとでネットで見てみると、何年か前まではわざとらしいモニュメントでは
なく、当時のままのレールが草むらに埋もれている状態だったみたいで、
その時代の姿も見てみたかったなと思っているところです。

仮面ライダーのいる大通りへ戻る直前、踏切を渡らずに短い坂道を下ると、
地図上では複雑な形の池が一カ所に集中しているような所となりましたが、
実際には水量はきわめて少なく、里山の集落となっている高台に囲まれて
黄色い荒れ地が広がるのみとなっていました。
踏切を渡って大通りへ戻ると、道はすぐに橋となり、左手には小湊鉄道の
線路がその荒れ地のような遊水地を跨いでいる風景が広がり、そして右手は
砂地となっている河原に囲まれた細い川が大きく屈曲している周りに
整備された護岸と園地が大きく広がる風景となっていました。
水上テラスと釣り広場という名前がつけられていて、護岸の上部から
水平に伸びるテラスから、細い川の流れを大袈裟なくらい大きく守る
護岸の園地を大きく見渡すことができるようになっていて、また対岸に
橋を渡っても、川沿いに四阿の立つ小さい園地が表れて、そのテラスを
中心として大きく広がる園地を眺めることができるようになっていました。
細い川はすぐ先で、高滝ダムへ向けて川幅を広げながら高い崖の足元を
ゆったりと流れる養老川へと合流していました。
雨は降り続き人の姿はほぼ見られない状態でしたが、足を止めて暫し静かな
時を過ごすことのできる園地でした。

引き続き、地図上では養老川沿いに伸びているように見える道路を北上
してみました。
実際には川から離れた高台となり、丘陵に囲まれてのどかに田んぼの広がる
里山の風情となっていて、小さい公園に佇む遊具がアクセントとなる
素朴な静かな風景となります。
そして切り通しのような下り坂を過ぎると、一気に川幅を増して高滝湖と
なった養老川が、若干重機が入っている姿ながらも、大きく広がった空の
元に、大きな姿をゆったりと横たえていました。

すぐ近くに丘が寄り添い、その足元に田畑や運動場などが広がる湖岸の
道を、降り続く雨に打たれながら歩み、幅を広げた高滝湖を横切る
境橋に差し掛かると、その北側に大きく広がる湖面の奥には赤いアーチ橋が、
そして近くの丘となっている湖岸にも何やら鉄骨の厳つい構造物が
見られるようになり、その背景の丘の斜面にも複雑に道路が刻まれ
鉄橋が配されるような、雄大な風景が現れました。
対岸に渡っても高滝湖は引き続き大きな灰色の空の下に大きな湖面を
現し続けました。時々崖の上に田んぼが広がって湖面から離されるときも
ありましたが、レイクラインという大通りは入江のように入り組む湖岸線の
上を大きく橋で跨ぎ越し、さらに悠々とした水辺の風景を広げていきました。

橋を越えたレイクラインは湖へ迫り出す丘陵の間へと入り、湖岸からは暫し
離れて、農家の立派な蔵の姿も見られる高台の山里の間を進み、
峠を越えて下りに差し掛かった所に、市原湖畔美術館の領地が姿を
現しました。
丘の上に建つコンクリートの独特な形の建物の周りに広がる庭にも
いくつかのいろいろな形の展示物がちりばめられていて、そんな庭が
そのまま湖面に面する高台の広場となって、広々と湖面を見渡す
穏やかな所となっていました。
すぐ近くで赤いアーチ橋の加茂橋が湖面を横切り、その袂となる
所に小さいけれど建物も集まって賑やかそうな雰囲気となる小さな園地が
広がって、入江のような湖面にたくさんの小舟を浮かべ、岸壁に設けられた
ビニールハウスのようなものの中にはたくさんの釣り人の姿も見ることが
できます。近くには真っ赤で大きな鳥居が、丘陵の足元の湖面上に
佇んでいる様子も見られます。

崖の上の園地からそのまま湖面上に迫り出すようにして、橋が途中で
行き止まりになるようなテラスが設けられ、対岸に赤い加茂橋を見据えて
その反対側にも広大な湖面を広げる高滝湖の姿を爽快に眺めることが
できます。湖上には美術館の展示の一環なのか、トンボやら蝶やら、
巨大な昆虫の像がいくつか点在します。
そして対岸からも目立つ存在だった、鉄骨が組まれたような厳つい建造物が
園内に大きくそびえ立ちます。
藤原式揚水機というらしい、以前から高台に養老川の水を送るために
用いられていた施設のモニュメントらしく、塔の下の水場と塔の頂上を
結ぶように循環するらしい、大きな角度を持っている巨大なベルトコンベアー
に水を蓄える無数の小さい鉄製の箱が取り付けられているような感じのもの。
今は稼動している様子は展示していないようでしたが、塔の中には階段が
設けられ、高滝湖をより高い所から大きく広々と眺め渡すことができる
展望台として機能していて、傘をさしながらではあったけれど、昆虫の像や
小さいボートが浮かぶ穏やかで広大な湖面に時折、アーチ橋をくぐるように
小舟が往来する姿を、暫し堪能することができました。

湖畔美術館の中には入らずに園地をあとにし、レイクラインに戻って
引き続き湖畔を周遊する歩き旅に戻ります。
園地から見られた、たくさんの小舟と釣り人を集める小さい公園へは
スワンボートをいくつか浮かべて丘陵の間へ分け入る入江を橋で跨げば
すぐにたどり着くことができます。
ふれあいの広場という湖畔の園地そのものはこぢんまりしているのだけど、
駐車場にはたくさんの車が止まっていて、対岸に湖畔美術館の丘陵を
見据えていくつかの桟橋が湖岸に並び、直接見られる人の姿は天気のせいか
多くないのだけれど、むしろ湖上に浮かぶ小舟やビニールハウスのような
建造物の中から、賑わいが伝わってくるようです。
崖の上から見られた真っ赤な大鳥居も湖岸のすぐ近くの水上に浮かび、
複雑に入り組む陸地に囲まれながら広がる湖水面に身近に触れ合うことの
できる穏やかな園地です。

レイクラインに戻り、高滝駅の方角へ向かい、湖面を大きく跨ぐ赤い
アーチ橋の加茂橋を渡っていきました。
歩いてきた方向の、湖畔美術館の崖に寄り添われて南側に大きく広がる
湖面も穏やかでしたが、少し規模を縮小しながらもまだまだ大きく広がる
北側の湖面の姿も橋の上からは大きく見渡すことができます。
さっきの公園とともにワカサギ釣りの名所らしく、湖上にはたくさんの
釣り人を乗せた小さいボートがいくつか停泊していましたが、基本的には
動きのない静かな湖の風景が、やはり穏やかに広がりました。
対岸に渡った所にそびえる高台には、綺麗に整備された高滝神社が現れ、
石段を上っていけば、森に囲まれた高台にはきらびやかに装飾の施された
小さいけれど立派な鮮やかな丹の色の神殿が佇みます。
高台となる境内の片隅に現れる、アーチ橋のかかる湖の風景も
暫しのんびりと楽しむことができました。

高滝神社を載せる丘を越えていけば高滝駅ということのようでしたが、まだ
時間には余裕があったので、せっかくだからダムサイトを目指して引き続き
湖岸をなぞるような道をたどり、釣り人を乗せる小舟をいくつか浮かべる
穏やかで広々と広がる湖面が赤いアーチ橋を背景にして広がる風景を
のんびりと楽しんでいきました。
対岸にそびえる丘陵の中腹に大きな道路が刻まれているのを見ながら、
そこへ向かうように湖面を跨ぐ橋の袂を通過していくと、広大だった湖面は
急に水路のように細くなって、左手へ崖の足元に屈曲していきます。
もっとも列車からは豊かな水面であるように見られた程度の広さは保って
いて、線路をくぐり大通りを横断して、細くなりながらもさらに続く湖面の
岸をなぞっていきます。
対岸に連なる崖の中には小さい取水場が佇み、そんな川のような湖水面を
湖畔に現れた湖展望園地から望むことができます。

素朴な里の集落に寄り添われる湖岸の道を進み、広い川のような湖水面が
右へ屈曲するのを見て、湖面にかかる小佐貫橋という細い橋を渡ると、
住宅地の奥にはついにダムの堰堤が見られるようになりました。
再び幅を広げたような気がする湖面の向こうには、切り開かれた斜面に
若干の建造物が集まって、桃色の花の咲く領域も確認できる丘陵が
寄り添います。
そして小さな公園に出迎えられるようにたどり着いた堰堤の上を歩き進めば、
湖面はまた大きく広がり、そしてダムの外側にはコンクリートに固められた
斜面の下に、深い渓谷を削るように川の流れが進んでいるのを見下ろすことが
できました。

深い渓谷を囲むような長閑な里山は、しとしと雨の続く天候の中薄暗く
静まり返りますが、谷あいを大きく跨ぎ越すような高速道路の橋には頻繁に
車の往来が見られます。
養老川の下流の方へ、寄り添う丘陵の足元に伸びる大通りを進み、
高速道路をくぐって、山深い雰囲気の道を少し進んで、丘陵が奥へ
へこんだような小さな谷に小さい民家が集まっている集落の中の
緩い坂道へと歩みを進めていくと、背後に深い森を擁する集落の最奥部に
シャッターを下ろした小さい十一面観音堂と並んで、煤けたコンクリートで
築かれた頑丈そうな小さいお堂が立っていました。
そのお堂の窓ガラス越しに、中に静かに座っている山口の木造地蔵菩薩座像
という、日本一大きいらしいお地蔵様を見ることができます。
山懐に抱かれる静かな集落を象徴するかのように、綺麗に保たれている
穏やかな姿に暫し足を止めました。

丘陵の足元の道を高滝ダムヘ戻り、最後に高滝駅へ向かって、高滝湖の
西岸に沿う、大きいけれど静かな通りを南下していきました。
ダムの堰堤の近くには高滝ダム記念館の建物、そしてその周りに公園が
整備され、養老川の深い谷の周りに広がる里の風景を見渡せる四阿が
建っていたり、ダム湖を囲む丘陵の斜面にはテニスコートが整備されて
いたりします。テニスコートに隣接する切り開かれた斜面には墓地が
広がって、対岸からも見られた紅梅の花の領域が斜面に張り付いて
列を成します。本体のお寺である長泉寺も、切り開かれた丘陵の斜面に
開放的な雰囲気で佇みます。
道路沿いに広がる湖面は雨模様の空の下に穏やかに佇み、所々に藤棚の
ようなものを擁する細い展望台のような敷地を伴い、特に道が湖面と
別れる、屈曲する水面の南西端にくると少し大きい展望テラスが
設けられています。
しかし穏やかそうに見える湖面を覗き込むと、ブロックの積まれた護岸に
触れる水面には大量の細い倒木や倒竹が浮かび、また護岸の上にまで
打ち上げられていたりします。これも台風被害なのかなと思うと、
改めて被害の大きさを感じてしまいます。

高滝湖と別れた道は、高い壁のような丘陵達に囲まれながらカーブを切り、
郵便局やコンビニなどが高滝神社を載せる丘陵の足元に集まる
小さい集落へと続いていきました。
この静かな集落の中に、古めかしい木造駅舎の無人駅となっている高滝駅も
やはり静かに佇みます。
次に乗る予定の列車まで少し時間があり、近くのコンビニでおにぎりを
買い込み、誰もやって来ない静かな寒い待合室で昼食を摂ることとしました。
人は誰も来なかったけれど、不意に改札口を黒猫が一匹くぐってきて、
駅舎内の椅子にちょこんと座り込み、寛いでいる様子で体中の毛繕いを
始めたり、つぶらな瞳でこちらを注目したり、小さい鳴き声をあげたり
してきました。
特に構ってあげたわけでなく、ただおにぎりを食べながらそのかわいい姿を
微笑ましく眺めていただけでしたが、暫くくつろいだ黒猫は最後に
挨拶のつもりなのか、座っていた私の足に寄ってきて体を1回だけこすりつけ、
駅の入口から外へと静かに立ち去っていったのでした。

おにぎりを食べている間に、あんなに降っていた雨は上がり、
やがて細いレールに音を響かせて、台風被害の名残で今日まで養老渓谷
止まりという下り列車が、丘陵に囲まれた里山の小さい駅にやってきました。
さっきの早朝便よりも少しだけ乗客を増やしてやってきた列車は、
高滝湖を垣間見ながら農村をとことこと進み、さっき訪れた里見駅で
交換待ち合わせで暫し停車します。
暫し撮影会状態となった小さい駅をあとにした列車は、険しさを増した
山道を進むようになり、飯給(いたぶ)駅の辺りでは長閑な里山の風景と
なったけれど、基本的には雑木林や竹林、時には切通のような道を
進んで、やはり長閑な里山の農村の風景の広がる月崎駅へと進んでいきます。

月崎駅の駅舎は新しく塗り変えられてはいるけれどやはり小さい木造で、
ひっそりとした無人駅なのだけど、祝チバニアンという文字が大きく
書かれた横断幕のような模造紙で装飾され、無人の駅事務室にも
チバニアンという地質時代区分名が採用されたことを報じる地元紙の
新聞記事が誇らしげに掲示されていました。
かといって客がたくさんいるわけでもなく、駅舎も、駅に隣接して枕木で
作られた遊歩道や勾配標がいくつか並んでいる広場で構成される小さい
公園のような敷地も、そしてその周りの集落も、ただ静かに静まり返るのみ。
駅前の集落の中の1軒として佇むコンビニのような商店で切符が売られたり
レンタサイクルが受け付けられたりはしているようだったけれど、
雨がまた降り出してもいけないと、また長靴のまま歩き旅を続ける
ことにしました。

傘をさす必要がなくなった分、気持ちはだいぶ楽になることができました。
線路と平行するように伸びている道はやはり丘陵に寄り添われ、反対側に
農村は広がるけれどやはり薄暗い静かな雰囲気を作り出します。
丘陵の足元に沿って伸びる道は線路を踏切で渡ってなお続きますが、
途中の山肌に永昌寺トンネルという、将棋の駒のような断面の手掘りの
トンネルが口を開いていました。
道沿いに少し民家の集まる集落が形成され、ほどなく道は大通りと交差し、
大通りを南下するように折れていくと、蛇行して丘陵を深く削り取るように
流れる養老川を越える橋に進んでいきます。
橋の下の河原には農地を多く含みながら民家が集まってのどかな里山の
集落が広がり、橋の上からはそんな長閑な風景を大きく見渡すことが
できました。

橋を渡ると道はコンクリートで固められた法面が壁のように取り囲む切通しを
通過していき、その切通しを脱出する所が、チバニアン地層への道の分岐点と
なっているようでした。
丘陵に囲まれて田んぼが広がる風景の中からいったん丘陵の森の中へと
上っていき、急ごしらえの案内看板の類の集まるところを通過すると、道は
今度は森の中を下っていくようになります。
深い谷の底へ下るような道はそこそこ急坂となり、道沿いの森が途切れた
所からは、おそらく川が削った低地が奥へ広大な谷のように広がっていく
様を眺め渡せるようにもなりました。
谷底が近づくと細い川をまたぐ小さい橋が現れましたが、川の水路は
手掘りらしいトンネルをくぐってきて、水の下の岩盤には大小様々の
ポットホールが穿たれているのを見ることができ、また水路沿いに広がる
田んぼの奥には何やら小さい滝が激しく水を落としている様子も
見つけることができました。

最後に道は鬱蒼とした森の中を貫く遊歩道となり、仮設のような階段を
通って河原に降りることができるようになっていて、壁のように高く
そびえ立つ山並みが深く削られたような谷の底に豊かに水が流れる
養老川の流れにたどり着くことができました。
川を囲む岩盤の表面には竹林が育っていましたが、大量の竹の伸びる向きが
明らかに乱されているように見え、これも台風被害かと感じたのですが、
チバニアンの一番重要な地層が露呈している地点の近くの崖も、その上の
竹林とともに崩落した痛々しい姿となっており、そこへ上る階段道の
近辺も部分的にブルーシートやロープがかけられていたりもします。

地層は川の流れに沿って切り立つようにかなり平面的に露呈しており、
その足元には川の水の流れに洗われたように、ごつごつした岩盤が
広がります。
そして露呈する地層には部分的に、学術研究のために岩盤が採取された
あとの穴がたくさん開いていたり、杭がたくさん打たれたりしています。
これ全体がチバニアンであるかのように、何も勉強せずに来てしまうと
思ってしまいそうな感じでしたが、どうも大部分の岩盤はチバニアンより
前の時代の、現在と地磁気の磁極が完全に逆転していた時代のもののようで。
大事なのはこの崖の上部に77万年前らしい明確な断層が横切っていて、これが
目印となり、その上部にみられる地層がまさに磁極の逆転が徐々に進んだ
時代、すなわちチバニアン時代に堆積したものなのだと。
ただ単に川の流れと川の削った崖の風景に間近で触れ合える所として
訪れるのも悪くない所だと思いますが、地球の歴史を教えてくれているらしい
貴重なものがそんな中にひっそりと隠れているということが、なんだか
不思議で素敵なことであるように感じたひと時を、時々崖の上から
降りてきては戻っていく観光客たちとともに、しばし谷底で
過ごしていました。

通ってきた森の中には河原へ下る別の道も設けられていましたが、その道は
さっきの水路の河口へ続く、ぬかるんだ険しい道となっていました。
水路の河口まで下りきると、水路を通した手掘りのトンネルがここにも
みられ、そして川の流れはほぼ川を囲む崖に直接接していて、
ここもチバニアン地層への入口と案内されるのだけど、こここそ長靴を
履いていなければ通れないという、案内通りの道になっていて、もしかしたら
ちょっと前まではここがメインルートだったのかもしれません。
もちろん長靴を履いていたので、ばっちり川に浸かって歩いてもう一度
チバニアン地層まで歩いていくという経験もでき、養老川の風景に文字通り
どっぷりと浸かることができたのでした。

養老川をあとにして坂道を上り、基本的には来た道をたどりつつ、畑を
横切る仮設の鉄骨の道を通って駐車場に寄り道し、それなりの数の車の止まる
敷地に設けられたプレハブのビジターセンターに立ち寄ったりもしながら、
里山の長閑な風景をもう一度味わって月崎駅へ戻る方向へ歩みを進めました。
そして、往路で見つけた永昌寺トンネルへと分け入り、隣の飯給駅を目指す
道を進んでみることにしました。

将棋の駒のような断面の手掘りのトンネルを通りぬけると、辺りはなんでも
ない杉林が広がって、あまり風景に変化のない淡々とした、それでも起伏には
富んでいる山道となっていきます。
道沿いの杉林の中にふと、パワースポットであるらしい「浦臼川のドンドン」
というものの存在を示す、パソコンで印刷した紙だけのような粗末な案内板を
見つけ、なんとなく惹かれるものを感じて誘われるままに森の中へと歩みを
進めてしまいました。

長靴でよかったとまた思わされた、ぬかるんでよく滑る森の中の斜面を
下ると、水のほとんど流れていない川の跡のような谷底の周りに広がる、
やはりぬかるんだ草地が細長く広がっていました。
そしてその草地を、谷に沿うように奥まで歩き進むと、草地は崖となって
途切れ、視界を妨げるような竹藪の奥の高い崖の足元に水の姿が垣間見られ、
川を流れる水の音もあたりに響くようになってきました。
普通に歩けそうな道は途切れてしまっていて、正直これだけだったら
労力の割にはがっかりだなとか思いながら、持参のタブレットに頼ると、
その先へ進んだ人の記事を見つけ、改めて辺りを見渡してみると、谷の底に
もしかしたら道かもしれない竹藪の隙間が見られました。

伸びる方向が激しく乱された竹藪の中を、何度も足を滑らせながら、長靴を
泥だらけにしながら下り、転びそうになって竹を掴んだらその竹も抜けて
しまったりというひどい道ではありましたがなんとか、そこそこ豊かに
水を流す浦臼川の河原に降り立つことができました。
川は、高く切り立つ崖に穿たれた、さっき歩いてきたのと同じような
将棋の駒のような断面のトンネルを流れてきたようで、響いていた音も
トンネルの中から聞こえてきたもののようでした。
明るい所に出た川の流れはあくまで清らかで、引き続き高い崖の足元に
沿って流れ進んでいるようで、この先に道はなかったのでただそのきれいな
姿を静かに見送るだけとなりました。

激しくぬかるむ小さい河岸段丘のような草地から森の中へ、長靴やズボンを
激しく汚しながら来た道を戻っていき、舗装されている道に戻って引き続き
杉林の中を飯給駅の方へ向かっていきます。
林が一旦途切れた所で小湊鉄道のか細い線路と一瞬並走したのち、車止めの
現れた道へとさらに入り込み、大量の落ち葉や枯れ枝が堆積するように
なってところどころ樹木の伸び方や崖面の乱れているところも見られたりする
台風に荒らされたままっぽい森の中の上り坂を進んでいくと、将棋の駒の
形ではない丸っこく短い柿木台第二トンネルを通っていきます。
そして下りに転じたけれど引き続き鬱蒼とした杉林の中を延びる道を進み、
林を抜けて低湿地の広大な田んぼを高台から見渡す格好となると、田んぼに
面する崖の上の道が大きく崩壊したままになっていて、さっきの車止めの
意味を否応なく理解させられることとなりました。

わずかばかりの集落をあとにして道は再び杉林へ進み、今度は再び
将棋の駒の形をしているトンネルとして姿を現した、少し長めの柿木台第一
トンネルを抜けていき、別の田園や里山の集落へと、立て続けに表れた
手掘りのトンネルたちを探検できる道を存分に楽しむことができました。
そして小湊鉄道の線路を踏切で渡り、林を抜けて集落を越え、
地図上では飯給駅にほど近い地点へと進むと、さっきよりもさらに広々と、
丘陵に囲まれて大きく広がる田園を見渡すことのできる所となっていました。

交差する通りを右に折れれば飯給駅へ向かうようでしたが、引き続き直進し、
丘陵の足元の斜面上に伸びる集落の中の道を進んで行って、斜面を登る
緩やかな坂道を登っていくと、上り詰めた高台に、真高寺というお寺の
立派な2層構造の山門が、道をまたぐようにして静かにたたずんでいました。
お寺自体はどこにでもありそうな小さい禅寺でしたが、丘陵を背景にして
静かにたたずむお堂の姿は曇り空のもとにしっとりとした風景を作り、
そして来た道を振り返れば、下界の集落の向こうに丘陵に囲まれた長閑な
田園が広々と広がっている悠々とした風景も見つけることができました。

そして最後に集落の中の緩やかな下り坂を下って、軽く森を掠める大通りに
合流して飯給駅へと向かっていきました。
森を抜け、のどかな田園風景が姿を現したちょうどその場所に踏切が現れ、
線路沿いに田んぼの中の道を行けばすぐに、小さい無人駅が佇んでいました。
駅そのものはなんでもない古い建物なのに、なぜかトイレはきれい、しかも
女性用トイレは日本一大きいトイレということで、広い敷地が大きな壁で
ぐるりと取り囲まれている構造になっているという何とも不思議な駅
でしたが、それよりも不思議に感じられたのは、いわゆるネズミ取りという
やつか、1台のパトカーが大きなトイレの陰でじっと立ち止まって、
たまにしか車の往来しない踏切をずっと監視していたことでした。

こうして今日も予定以上に歩き回ってすっかり疲れてしまったけれど
いろいろ楽しめた旅を終え、辺りに夕暮れの色の漂い始めた飯給駅に
やってきた上り列車に最後に身を任せることとなりました。
なぜかすべての乗客が2両目にいて、1両目は貸し切り状態となっていたの
ですが、ただちに検札にやってきた車掌さんに、暖房の効きが弱いのでと
2両目への移動を勧められるという、最後まで何とも長閑な列車でした。
山深い道から徐々に平野の田園風景へとスケールの広がっていく風景は
刻一刻と暗くなっていき、上総牛久駅で暫く交換待ちをしている間に
辺りの風景はほぼ夜になってしまって、あとは時々現れる光の粒くらいしか
車窓には現れなくなっていきました。
そして夜になった五井駅から総武快速線へと乗り継ぎ、そのまま帰路を
歩んでいったのでした。

 

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