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釜石鉱山、橋野鉄鉱山(2019.8.4)

murabie@釜石市です。

この時期が忙しい部署に今年度はいるのだけれど、夏の旅は意地でもって
感じで仕事を強制的に一段落させて、猛暑が続いたけれど早朝はさすがに
おとなしいなって感じの暑さの東京をあとにし、東北新幹線の客と
なりました。
昨日も普通に仕事だったので寝たのも遅いのに早起きしたものだから、
新幹線の車中ではずっと居眠りしていて、疎らに独特な形の屋根の小屋を
ちりばめる山あいの田園風景がいつのまにか車窓に広がるようになっていた
新花巻駅に降り、暑いといえば暑いけれど東京よりは遥かにましであることを
感じつつ、以前も訪れたことのある独特の構造の駅構内を
観察しながら無人駅扱いの釜石線ホームへ移動し、すぐにやってきた
快速はまゆり号に乗り込んで、そこそこ席の埋まっていた指定席の
乗客となり、薄曇りの青空のもとに広がるのどかな風景、時には山影に
囲まれて広大に田園が広がっていたり、時には周囲を囲む斜面も
農地となって明るい緑色が立体的に広がっていたり、険しい山道の
森の中を行くこともありましたが、山並みに囲まれた集落の中で、
有名らしいめがね橋を渡っていくと、渡っているという実感はほとんど
感じられないのだけれど、高い視線から山並みに囲まれて正面にそびえる
山の方へ続くかのように広がる集落の風景を一望できるところもあったり。

そんな釜石線の車窓を楽しみつつ、以前ここを訪れたときと同じように
遠野駅に降りたって、石造りの駅舎との再開を果たすことができました。
確か前回はレンタサイクルかなんかで、カッパ渕とか水車小屋とか
典型的な遠野の観光をしたような気がしますが、今日はちょっと
マニアックに、ネットで見つけたいくつかの鉱山の跡地を散策するために
駅から少し離れた所にある安いレンタカーを借り受けることにしていました。
何となく記憶に残っている駅周辺の市街地の、市役所とスーパーが
同居している箱物施設と素朴な商店街が同居する通りを歩き、古い木造の
建物が姿を見せる交差点で折れて、木で作られた馬の首が取り付けられている
シュールなベンチが備え付けられているバス停の佇む素朴な通りを進んで
道路より低い所を通っている線路を跨ぎ、早瀬川緑地という川岸の運動公園と
並行する道を歩いて、薄曇りの青空のもとの壮快な風景を楽しむことが
できました。

園地の先で線路が道路に寄り添ってきたあたりにいかつい自動車整備工場が
現れ、そこでレンタカーを借り受けることとなりました。
しきりに今年は暑い暑いと連発するおばさまの言葉に、東京に比べりゃ
涼しいものなのになあなんて思いながら、軽自動車を借り受けて、
直ちに線路沿いの大通りへと走りはじめました。
山並みに囲まれたのどかな田園風景の中に伸びる道を軽快に
足慣らしとばかりに疾走し、目的地へ向かう途上にある青笹という市街の
中にある、釜石線の隣駅の青笹駅へと立ち寄ってみました。
素朴な住宅街の中にある駅といった感じでしたが、国鉄バスかなんかの
待合室のような風情の、四角いコンクリート造りの駅舎と、列車が往来する
プラットホームとの間に路地が貫通しているという独特な構造となっていて、
適当に彷徨いつつ写真など撮りながら、集落と田園の境目にあるような
静かな雰囲気をしばし味わうことができました。

車に戻ってさらに田園の中へ、そして何やら大規模に切り開かれている
荒涼とした風景の中をも進んでいき、高速道路への道案内を拒否する
かのように折れ曲がっていって、次に現れた素朴な集落の中にある、
岩手上郷駅へと歩みを進めていきました。
こちらは駅舎があったかのような敷地が広がるのですが現状駅舎は存在せず、
ゲートだけが作られている入口の道から直接ホームに上がるような形の
小さな駅となっていました。
ちょうど列車が往来するところだったりしましたが、降りる人もごく少なく、
列車が出発してしまえばまた静かな風景へと戻ってしまうような駅が、
静かな住宅街と農地と、駅裏の森林が入り乱れる素朴な風景の一部として
静かに佇んでいたのでした。

集落の中から釜石鉱山の方へ分け入る路地を見つけるのに少し苦労して
しまいましたが、なんとか見つけることができ、のどかな田園風景が
少しずつ険しい表情を見せていく中をひた走っていきました。
途中現れた集落に入り込んでしまって民家の敷地で行き止まりになって
しまうなんていう失態もあったりしたのですが、渓流のような猫川を渡り
さらに険しさを増していく道を山間へと進んでいきます。
途中までは丘陵に迫られながらも疎らに木々がちりばめられる田園が
広がったりもしたのですが、あるところから道はダートになっていきました。
所々土台は舗装されているのかもなと思わされる程度の軽いダートが
しばらく続き、道を囲む木々越しには、佐比内ため池と思われる青い水面が
下界に覗くようになっていきます。

河岸に迫り出すような森の中へ誘うように、佐比内鉄鉱遺跡展望台なんていう
標柱が立っていたりしたので、ちょっと車を泊めて足を踏み入れてみたの
ですが、鳥居で守られた山神がいるのと、遺跡の説明があったくらいで、
展望が広がる所を見つけることは結局できずに終わりました。
ダートを引き続き進んでいくと現役の鉱山の施設へ分岐する道があり、
そしてさらに進めば大峰鉱山跡という目立たない標柱が立つ分岐点が
現れましたが、大峰鉱山跡へ進めそうな道はゲートが通せんぼしている
状態となっていました。

そしてここから釜石鉱山跡へ向かうダート道はさらに険しく、カーブも
傾斜も急になり転がる石たちも大きくなり、うっそうとした森の中や
森を抜けた明るい草原の中を進むダート道に車を進めれば、ものすごい
揺れや振動が伝わってきて、スピードに乗ることもできず、このまま進んで
行ったら帰ることができるのだろうかと心配になってしまうくらいでした。
いったん道が並走する猫川の流れとほぼ同じ高さとなり、見かけ上少し
道が広くなったように感じられるところが現れました。
目的とする釜石鉱山へ向かうダート道はさらに山道を進んでいましたが、
少し分け入ったところでものすごく不安にさせられるような振動を感じ、
これ以上は無理だと判断し、強引に切り返して、来た道を引き返す
判断をすることにしました。

下りは上りに比べれば、がたがたした振動こそ伝わってきたけれど、
不安を感じるようなことはなく、カーブに合わせてハンドルを切ったり、
シフトレバーやブレーキを下りの斜度に合わせて捌いていくのを楽しみながら
進んでいくことのできる道となっていました。
現役の鉱山施設が佇むあたりまで戻ると、道に寄り添う急斜面に採石場が
刻まれているのを見ることもできるようになりました。
佐比内溜池の姿を大きく見ることのできるところは道沿いには
なさそうでしたが、標柱の立つ分岐点から川に向かって下っていく道の
入口を見つけ、車を泊めて歩きで道を進んでみることにしました。
最初は下り坂だったのですが、歩みを進めると緑の壁のようなダムサイトが
姿を表し、すこしだけ蒸し暑さを感じるようになった中、ダムサイトに刻まれて
いる上り坂を上っていくと、その頂上の堰堤から、青々とした水面が、
採石場に削られている領域を含む深緑の山並みに囲まれて青空のもとに静かに
佇んでいる姿を大きく捉らえることができたのでした。

もう釜石鉱山は諦めるつもりで、ダート道を抜けてほぼ麓の長閑な田園まで
車を戻したのですが、電波状況が回復したのを機に再びネット検索を
かけてみると、やっぱりそんなに訪れるのが難しいところではなさそうで
ちょっと時間を浪費することになってしまうけれど、やっぱり車を戻して
車では入れなさそうな所は歩いてみようかと思い直しました。
今度は佐比内溜池への入口、佐比内鉄鉱所跡展望台、大峰鉱山跡などの
見所はすべてスルー、さらに険しくなったダート道の途中の、すこし
広くなったところまで車を進め、そこに車を置いてあとは歩いてみることに
したのです。

車で感じたのとそう変わらない緩やかな、でも砂利は大きいダートの
上り坂をゆっくりと、時には森の中から時には対岸の斜面の奥に採石場が
削られているのを見る明るい道となっていき、地図上で感じたほど長くは
感じられないまま、ちょっとした広場のようになっている目的地付近へと
歩みを進めることができました。

周囲を山並みに囲まれつつ、その山肌へ向かう道が複雑に分岐している
ような感じで、中には錆びきったレールが地面に埋もれているような
所もあり、フェンスで厳重に封鎖されている坑道への入口へと誘います。
フェンスぎりぎりまで近づくと、坑内から拭いているのか異様に冷たい
空気も感じることができます。
別の道はごつごつとした岩盤を露呈する急斜面へ続き、また別の道は
ダムのような堰堤へ向かって上り坂となり、また別の道は立入禁止の
ロープの張られる斜面への日てその上は鉄骨で封鎖された洞窟の
姿が見られ、また別の道は崖下に口を開く冷気を吹き出す小さな洞窟の
入口へと続いている、探せばいろいろと面白いものを見つけられる面白い
所になっていました。
古レールが誘う坑口の周辺に転がる岩石の中には、これもネットの情報で
知ったことではあるのだけれど、ガーネットということになるらしい
深紅の透明な結晶が茶色い石基の表面に見られる石を見つけることも
できました。とは言ってもネットに上がっているような見事なものは
見つけられず、本当にごく一部に砂粒のように見つかる程度でしか
ありませんでしたが……

こうして時間は予定よりかなり浪費した感じとなってしまいましたが、
それなりに釜石鉱山の旅を楽しむことができ、ここまで来たダート道を
ハンドル、ブレーキ、シフトレバーを駆使して楽しく下っていきました。
ダートを抜け、山に囲まれて姿を表した田園がだんだん広くなっていくのを
感じながら最終的には長閑な田園の中へと進んでいく道を青笹まで戻り、
今度は別の鉱山に向かうべく、別の山道を目指していきました。

県道釜石遠野線という道をたどって、さっきと同じように長閑だった田園が
だんだん険しい道へと変わっていくのを楽しんでいきました。
田園がもはや広がらなくなって完全に山道となった道は、所々かなり
細くなりながら、シワの寄った山並みを下界に見下ろす崖上の道にも
なっていきます。さっきと違ってダートになることはないので、純粋に
ハンドル、ブレーキ、シフトレバーを捌いて急カーブを一つ一つクリア
していくことを楽しんでいくことのできる道でした。
遠野市と釜石市との境になる笛吹峠は何やら義経関係の史跡になっている
所のようでしたが、ここを過ぎると道は下りに転じ、しばらくすると
実は世界遺産の一部ということのだったらしい、橋野鉄鉱山への入口を
示す看板の立つ分岐点へと進んでいきました。

ビジターセンターに車を止め、すこししか暑さを感じない外に出て
橋野鉄鉱山の領域へと歩みを進めていきました。
周囲を山肌に囲まれた谷間を上っていく遊歩道沿いに、長屋跡は点在し、
水路跡としてすこし削られた道に沿うように、いくつかの高炉の遺構が
静かに佇みます。
一番奥に佇む第一高炉は完全に復元といった風情で、刻まれた花崗岩が
綺麗にぴったりと接着されている感じの綺麗な石組みでしたが、これも
東日本大震災の時にずれてしまったのを修復したものらしく。
第二高炉の方は比べれば本当に昔使われていたものなのかなと感じ
させるかのように、中心部を囲む花崗岩には単純な隙間だけでなく
組み合わせるためにあえて刻んだ溝がはっきり確認できたり、中心部には
煉瓦が溶けた跡らしいものがはっきり花崗岩との境界線を刻んでいる
石が残されていたり。第一高炉共々、水路跡に接するように
水車跡にふいご跡が並んでいて、水力で空気を送り込んでいた巧妙な
仕組みを感じさせてくれます。
そして第二高炉に迫り来る斜面には、炉の構造を作った花崗岩を切り出した
跡も刻まれていたりします。この地は鉄分を含む岩石も取れ、還元剤や
燃料となる木炭も取れ、そして炉を作る花崗岩も取れて、高炉を作るには
持ってこいのところだったのだといいます。
少しくだったところには第二高炉と同じように往時の姿を感じさせて
くれるかのような第三高炉も花崗岩だけの姿を示してくれていました。

そんな感じで、途中大きなタイムロスもあったので、橋野鉄鉱山を後にする
頃には少しずつあたりまでに夕暮れの色が感じられ始める時間と
なっていました。
釜石遠野線へ戻って笛吹峠まで険しい峠道を上り、峠を越えたら今度は
下りとなって、ハンドル、ブレーキ、シフトレバーを捌いてカーブを一つ一つ
丁寧にこなしていくことに楽しさを感じながら、あるところで道は長閑な
田園の中へと復帰していったのでした。

最後にせっかくだから道の駅に寄っていこうと、遠野バイパスへ分け入って
市街地を大きく迂回し、快適にスピードを出せる幹線道路を少し西の方へと
進んで、遠野風の丘という道の駅へと車を進めていきました。
あまり時間は取れなかったのだけど、建物の奥へと進んでいくと、高台から
川沿いに山並みに囲まれながら青空のもとに広がる長閑な田園風景を
広々と見渡す展望台が設けられていました。
時間は合いませんでしたが、眼下には釜石線の線路の姿も見え、列車を
眺めるにもいい展望台ということであるようでした。

ここまできて車を帰す約束の時間にかなり迫っていたのですが、順調に
遠野の市街へと戻って行ったかと思いきや、最後に給油すべく訪れようとした
ガソリンスタンドが連続3件ほど悉く、日曜定休日だったりして……
おかげで返車の約束時間を15分ほど過ぎ、別に追加料金を請求されることは
なかったのだけれど、そこから歩いて遠野駅へと戻ることとなったので、
当初乗る予定だった釜石行きの列車には乗ることができず、次の1時間50分ほど
あとの列車まで遠野の町に滞在しなければならないこととなってしまいました。

もちろん今から他のところというのも厳しいものがあり、ただ駅の周辺を
散策するだけになってしまいましたが、さっき車でガソリンスタンドを
探して彷徨っているときに見つけた、古い建物が多く現れるあたりを
歩いてみることにしたのでした。
現役として店舗などに使われている黒壁ナマコ壁の建物もあるのですが、
遠野物語の館であるとか、蔵の道広場であるとか、綺麗に整備された建物も
少なくなかったりもします。それでも夕暮れが深まりさらに暑さを感じなく
なった街なかを、黒い河原屋根の建物や白い重厚な蔵の風情を味わいながら
のんびり散策するのは楽しいものでした。街中の一角には、柳田国男が
泊まったらしい旅館の跡にやはり重厚な蔵が残され、その周囲に現役の
旅館がたくさん集まっているような町並みも見つけることができました。
難点は日曜であるせいなのかもでしたが街が静かすぎて、ここで夕食を
食べていかなくてはいけなくなったのに、ちょっと食事のできる店を
探すのに苦労することになったことでした。

なんとか適当にラーメン屋を見つけることができて夕食にありつき、
釜石行きの快速列車の客となることができました。
あたりがだいぶ暗くなってきた時間で、車窓にはなんとかさっき
車の足慣らしで訪れた青笹駅や岩手上郷駅の周辺の姿を思い起こす
風景を見ることはできたのですが、それ以降はもう完全に暗くなってしまって、
トンネルで冷やされた列車の外側に結露が起こる様子くらいはわかりましたが、
大橋のオメガカーブなどの見どころを見ることは叶わず、すっかり夜になった
釜石駅へとたどり着いたのでした。

おそらく前来たときに1泊だけした宿に今回は7泊ほどお世話になることにし、
夜の町に買い出しに出かけたりもして、駅の周囲に広がる鉄工所が夜中でも
煙りを吐いて甲子川の河口の向こうに綺麗な姿を示しているのを見つけたり
したのですが、大通り沿いの建物は新しいものばかりのような感じで、
昔訪れたときの印象はとりあえず感じることができず、この街も3.11で
生まれ変わらざるをえなかった街だったのだということを、すこしだけ
感じる結果となったのでした。
宿にも襲った津波の高さを表す表示が設けられていたりします。
 

大平山、栃木市(2019.6.23)

murabie@自宅です。
ほぼ1か月前の、紫陽花旅の報告です。

梅雨入りから暫く経ち、梅雨寒もあったりしたけれど順調に夏の蒸し暑い
空気に包まれようとしてきた研究日、水滴に濡れたあじさいの花でも
愛でに行こうと思い立ち、早朝の東京をあとにしました。
明日が夏至というだけあって始発の時間でもすでに明るく、早朝にあっては
湿度は高めながらそこそこ涼しい気候のもと、今日は北千住から東武線の
下り列車に乗りこみました。まだ特急列車が走り出す前だったので通勤型の
区間急行列車で、小さい建物の屋根たちを見渡す新しい高架線上に走る
新しい日比谷線直通車両たちとすれ違いながらの旅のスタートとなりました。

北越谷で地平に下りても住宅街の中を進み、春日部を過ぎると少しだけ大きい
アパートの姿が目立つようになる一方で、みずみずしい緑色の田んぼも
大きく広がるようになってきましたが、雨もぱらつくようになってしまい、
予報がむしろ晴れ寄りであまり雨に対する備えをしていなかったことが
急に心配になってくる、どんよりとした空が田園の上に広大に広がるように
なっていきます。
栗橋でJRの線路を大きく跨いでから駅へと進入する風景には、JR側から見る
ことが多かったので新鮮な感覚となり、そのまま次の南栗橋へと進んで、
ここで終点となる通勤型の列車から東武日光行きのクロスシートの車両へと
乗り継ぎました。朝食を準備してくればよかったという後悔をすることの
できる旅行モードの汽車旅をようやく始めることができ、広大に広がる田園の
中に時々住宅街の広がる風景を楽しんでいくと、田園の中に島のように浮かぶ
ようだった丘陵の姿はだんだん大きくなって辺りを囲むようになっていき、
静和の辺りでは名前の通り船のような奇妙な形の岩舟山の姿も見られるように
なってきましたが、雲には低くガスがかかって、辺りは引き続きどんよりとした
雰囲気のままでした。

とりあえず大平山に向かうため、新大平下駅で下車してみました。
駅裏には日立の工場が広がり、そちら側にも改札口が開いていたりする一方、
屋根の柱には古いレールも使われていたりする静かな駅です。
ガスを纏った山並みの方に出てみると駅前には真新しいロータリーが
広がっているのですが、まだ時間も早いせいか人の姿もあまりなく、
線路に沿って駅を離れれば素朴な住宅街の中に、まだ支柱と針金しかない
葡萄畑とされる敷地も姿を現していました。
大通りへ出れば、静かな通り沿いに薄い緑色の洋館風の木造の建物が
病院の表札をあげて佇み、また周辺には重厚な木造の建物が点在して
いたりと、蔵の街として有名らしい栃木駅周辺からはそこそこ離れている
はずなのに、古めかしい味わいを感じる街並となります。
そんな古めかしい街並の間の道へ分け入り、さらに幅の広い大通りを
目指すと、前方に横たわる新緑の領域の目立つ大きな丘陵の足元に
列車が走り、綺麗だけれど小さな大平山駅に停車してたくさんの通勤客を
吐き出している所でした。

JRの線路に沿うように歩みを進めると、線路の向こうに壁のように横たわる
丘陵の足元には、新緑の葉を平面的に繁らせる葡萄畑が広がり、踏切を
渡ってそのすぐ近くまで歩みを進めると、まだ熟してはいないけれど
たくさんの緑の葡萄の実がたわわに実ろうとしているところでした。
さらに線路沿いに歩き進むと、線路側には水田がみずみずしく広がり、
丘陵は奥へと後退するけれど、引き換えに広大に葡萄畑が広がるようになり、
今は季節ではないけれどぶどう狩りに誘うたくさんの果樹園の看板が
目立つようになります。
交差する大通りはぶどう通りと名付けられているらしく、やはりたくさんの
葡萄畑に囲まれながら、奥に横たわる山並みを目指して伸びているようでした。

ぶどう通りを横断してさらに進むと、のどかな山里の住宅街の中に
寄り添ってきた丘陵の足元に小さな社と、客人神社への入口を示す鳥居が
姿を現してきました。
鳥居の奥には丘陵を上るように石段が伸びて、上っていけば道は鬱蒼とした
森に包まれるようになっていって、程なく森の中に小さい神殿が
ひっそりと佇んでいる所へと進んでいきます。
神殿には小さく大平山への道標があって、それに従って薄暗い山道を歩むと、
引き続き森の中をまっすぐ登る石段の入口が、横に並ぶ2つの鳥居とともに
現れました。
下界から見られた雲の中にでも入ったか、異様に湿度の高く感じられた
薄暗い杉林の中の静かな石段の道をゆっくりと歩み続け、時々森を抜ければ
道は崖上となって、折り重なる丘陵の間の谷底に道路や小さな集落が
現れるのを見渡したり、一旦立派に舗装された明るい林道と交差したりも
したのですが、基本的には延々と薄暗い道のみが続いていきます。

最後に明るい所まで石段を上り詰めていくと、青年の家かなにかの
施設が近くにある舗装された道へと合流しました。
小さい飲食店が佇むステージ状の駐車場からは、謙信平ということに
なるらしい、下界に広大に広がる関東平野の姿が眺められそうな感じでは
ありましたが、今日のところはすぐ近くに広がる田園や葡萄畑の
ビニールハウスの姿が見えるのみの、広大な明るい真っ白い世界ばかりが
広がるのみ。道路が進んでいく森も霧が立ち込めて、すべてがぼんやりと
白く煙っているようです。
道を彩るようにして、青や赤紫の花を豪勢に咲かせる紫陽花の姿にも
漸く出会うことができて、いろいろな形に咲く紫陽花の花の姿を楽しみながら
霧に煙る森の中の登り坂をゆっくりと上っていきました。

道はすぐに謙信平園地という所へ進みます。
飲食店の建物の見える舗装された道から崖面へ下るように分岐する遊歩道へ
分け入ってみれば、細い道沿いに迫り出すように赤紫や明るい青や紫や
紡錘形に花を集める白い紫陽花までもが、この時期ならではの華やかな
遊歩道を作っていました。花弁は色づいたばかりと見えてつやつやした
鮮やかな色を示し、付着する水滴もまたこの時期ならではのみずみずしさを
与えてくれていて、さほど広くない園地ではありましたがつかの間、
色とりどりの風景を存分に味わっていくことができました。
崖の上の舗装された道路へ戻ればこちらの道沿いも色とりどりの鮮やかな
紫陽花の花に彩られていましたが、道沿いにはいくつかの茶屋も軒を連ね、
まだ朝早かったけれど開店の準備が始まっていて、これからの賑わいを
予想させてくれます。ニワトリの鳴き声が災いを招くという言い伝えから
卵焼きや焼鳥が名物となったなんていう話もあったり。
そして飲食店の並ぶ道の反対側はやはり崖に面し、本当ならば広大に
関東平野が眺められるはずの所となるようで、飲食店が設けたたくさんの
ベンチが設けられていましたが、今日のところは真っ白い世界が広大に
広がるのみ。季節ごとに桜やつつじや紅葉などいろいろな姿を楽しめる所
らしいので、また別の季節に訪れて謙信平との再開を期すことを誓って
今日は紫陽花を見に来たと割り切ることにしました。

並ぶ茶屋の一番奥の店は、大平山神社へ登る坂道の入口となっていて、
ちょうど到着した団体客の喧騒に触れながら、紫陽花の鮮やかな花に彩られる
静かな森に囲まれた坂道をゆっくりと登ります。
途中に現れた崖下の駐車場の周りも、赤紫の紫陽花に囲まれて鮮やかな
雰囲気となり、その奥はあじさい坂であると思われる、思っていたよりも急な
石段の道と接していて、紫陽花に彩られる鮮やかな参道が立体的に展開する
風景を束の間楽しむことができました。

もとの森に囲まれた登り坂に戻ってあと少しだけ紫陽花の坂道を上れば、
斜面に設けられた小さいステージ状の境内に小さい綺麗な神殿がいくつか
密集する大平山神社へとたどり着きます。
拝殿に厄除けの輪くぐりも設けられ、整然と並ぶ提灯のようなものや
看板のようなものなどで装飾された屋根を持って崖下に鎮座する本宮を
中心として、さほど広くはないけれど素朴で静かな賑やかさを感じます。
ステージを奥まで進むと、地層にごつごつした節理の見られる崖面に
沿ってここにも茶屋が姿を見せ、その奥には真っ白な下界が広がる
展望台のような所も設けられていました。

さっきあじさい坂の石段から見上げた門のようなものは、参道を跨ぐ
橋のようになっていて、ステージ側から見れば橋の下から急な階段道が
現れるような形となり、展望が開けるわけではないけれど橋の上に昇れば
ここが斜面上に位置していることがよく把握できる、木々のてっぺんに
囲まれる風景が広がります。
斜面をまっすぐ急な石段で下るあじさい坂はさほど広い道ではありませんが、
白や紫、青や赤紫の紫陽花の花が装飾して、しっとりとした空気のもと、
おそらく一年で最も鮮やかな参道の風景となっていました。
写真を撮る人もたくさんいたけれど、それよりも下から登ってきた
観光客が皆、急な坂道に息を切らしているのが印象的でした。

紫陽花に囲まれる鮮やかな急坂をゆっくり下りつつ、頻繁に振り向いて
上方を眺めながら、上方にも下方にも立体的に展開する、紫陽花に彩られる
鮮やかな参道の風情を楽しみ、林道に面する所に立つ渋い赤色の
随神門をくぐってさらに急な階段を下っていくと、一旦紫陽花の姿は
消えうせ、鬱蒼とした森の中を下るのみの階段道となります。
道沿いには何やら昔の砦かなにかの跡らしい石垣もそびえ立っていたりは
しますが、紫陽花だけを目当てにしていると、高い所まで登らなければ
満喫できないところなんだったっけと感じてしまいます。
それでも石垣を通りすぎるとすぐに道は森を抜けて明るくなり、
石段の傾斜も緩やかになり、その緩やかな石段の道を囲むようにして、
両側から紫陽花の花が彩ってくる風景が展開するようになりました。
多くの観光客とは逆のルートをたどった格好になりましたが、ここからが
あじさい坂の本当の姿だったのかと思わせてくれるような、赤紫や青紫、
白色やそれこそ明月院ブルーを思い起こさせてくれる明るい青色など、
たくさんの色とりどりの紫陽花によって、曇り空のもとではありましたが
鮮やかな石段の道をのんびりと下っていくことができました。
道沿いには特に紫陽花が集中する領域に遊歩道が巡らされた小さい園地が
広がっていたり、小さい茶屋が紫陽花の花に囲まれていたり、少し奥まった
所には水の貯まった小さい池ができている洞窟が神域となっている所も
あったりして、紫陽花の花を広く見渡したりクローズアップしたり
だけではなくちょっとした寄り道を楽しむこともできる所でした。

あじさい坂の入口まで下ると、六角堂という独特な形のお堂が、小さく
開いた明るい空の下、深緑の丘陵を背景とし、境内やその周りにたくさん
咲き誇る紫陽花に彩られて静かに佇みます。あじさい坂の入口に立つ鳥居も
足元の紫陽花に彩られ、ちょうど降り出したにわか雨を避けるために
茶屋の屋根の下に避難していても、六角堂を彩るように広がる
鳥居の下や、その奥に連なる緩やかな石段を彩る紫陽花の風景を
のんびりと楽しんでいくことができたのでした。
あいにくの雨となってもその風景こそが美しいということを表すかのように、
傾斜が緩やかになった所から下に伸びる石段全体に、多くの観光客は集い
思い思いに紫陽花の姿を楽しんでいるところでした。

雨は一瞬強く降っただけですぐに止み、次は大中寺という所に
行ってみようと、六角堂の所であじさい坂から分岐するようにして
深い森の中へと伸びはじめる石段の道へと分け入りました。
石段が整備されて歩きやすいけれど、道は鬱蒼とした森に囲まれた
しっとりとした緑の雰囲気が続き、紫陽花のような鮮やかな色彩には欠ける
ひっそりとした緩やかな登り坂を登っていくと、程なく青年の家の近くで
舗装された林道と交差し、その道を少し進むだけで、さっきも通った
謙信平園地の近くの、客人神社から登ってきた登山道の出口へと戻りました。
そしてさっきと同じように森に囲まれた林道を謙信平の方へ歩み、
道の対岸の奥へ分岐する、歩行者専用だけれど舗装されている道へ進んで、
引き続き薄暗い森の中をずんずんと歩き進んでいきます。
途中階段道も現れたりしましたが、いつのまにか車も通れる林道へと合流し、
森を抜けた丘陵の斜面にそこそこ立派な墓地が広がっているのを見ると、
程なくその奥に、大中寺の境内が広がっているのを見つけることができました。
あんなにどんよりしていた空からは薄日が差し込むようになり、さっきまでは
比較的凌ぎやすい気温だったのに、昼が近づいて蒸し暑さを感じるほどに
なってきたところでした。

大中寺の参道もまた、山門へ向かって真っすぐ伸びる緩やかな傾斜の石段の
道となっていました。そしてその参道もまた、赤紫や紫の、様々な形の
花弁を持つ紫陽花の花に彩られていました。さっきの大平山神社の参道と
比べれば、道幅が広い分おとなしめといった感じの華やかさでは
ありましたが、下から山門を望むように眺めてみればやはりしっとりとした
この時期ならではの美しさを感じることができます。
山門をくぐって境内に入れば、丘陵に囲まれたさほど広くない領域に
点在する小さなお堂がそれぞれ花盛りの紫陽花に彩られていた他、
緑の葉を大量に繁らせる梅の木々に梅の実が大量に実っている所も
あったりします。

本堂は丘陵へ登る斜面の中腹に静かに佇んでいましたが、真っすぐそこへ
向かう苔むした石段は立入禁止となっています。傍らの案内板によれば、
ここは油坂と呼ばれ、昔照明用の燃料の油を持っていこうとした僧が
転落して、それ以来祟りがあると言われているとかいうことが説明されます。
ここをはじめとして七不思議と呼ばれる言い伝えが残されているお寺で
あるようで、探検気分で丘陵に囲まれた小さい境内を散策するのも
また楽しいものでした。本堂でもここで寝ていた人の向きがいつのまにか
反転していただとか、かまどに人が隠れていることに気付かず火を付けて
しまったので以来火を絶やさないようにしているとか、乱世において
匿ってもらおうとやってきた者がその願いを聞き入れられなかったので
井戸に馬の首を放り込んだとか、ちょっと怖い系の話が多いようでしたが、
そういうのを抜きにして考えれば、谷あいにひっそりと佇む静かな小さな
山寺といった風情で、お堂の庇に施された彫刻も細かく見事なものだったし、
緩やかな別の石段を下ってふと振り返れば、新緑の竹と鮮やかな紫陽花に
彩られた斜面上に、植物たちの陰に隠れるようにしてお堂が静かに佇んでいる
風景を見つけることもできました。

山門を出て、紫陽花に彩られた参道をゆっくりと引き返し、薄日が射して
蒸し暑さをも感じるようになった中、門前に少し開けた集落の、家並みの
間に口を開いていた、清水寺(せいすいじ)へのハイキングコースと
銘打たれている草生した細い路地へと分け入ってみました。
道はすぐに普通に車も通れる舗装された林道に合流し、丘陵の間へと
分け入って緩やかな登り坂となりましたが、どうやらこの道は
あじさい林道という愛称がつけられているようで、鬱蒼とした森の中に
通された道の路肩を、まだ幼い感じの小さい紫陽花の、わずかにしか
花を咲かせていない小さい葉の集まりが装飾していきます。
中には所有者の名前と思われる名札が添えられているものもあったり
しましたが、さっきまで楽しんだあじさい坂や大中寺の参道や境内を
思い出してしまうとちょっと早すぎて寂しい感じのしてしまう、
深い緑の薄暗い道が暫く続いていきました。

やがてこちらでも道沿いに切り開かれた明るい斜面に、紫陽花に彩られた
墓地が姿を現すようになると清水寺の境内へ近づいてきたことが感じられる
ようになり、道を彩る紫陽花の色も大きさもより豪勢になってきたことが
感じられるようになってきました。
斜面を削る渓流に架かる素朴な橋にも紫陽花が彩りを添え、遊歩道の通された
庭園のように整備された斜面もまた紫陽花に彩られて静かに佇みます。

道沿いの崖の上に佇む清水寺の本堂へ石段伝いに登って行っても、小さい
境内に佇むお堂は特に古さを感じさせるようなものでもない、どこにでも
ありそうな感じのものだったのですが、境内からはわずかに下界の展望が
木々越しに開けていて、霞みながらもさっきよりは少し晴れて広大に田園が
広がる様子を望むことができましたし、境内に接する道路の反対側には
藤棚を兼ねた簡単な展望台も設けられていて、目前に葡萄畑の
ビニールハウスを含みながら広大に広がる田畑中心の平野の姿を大きく
眺め渡すことができたのでした。

そして、さらに高台へ向かって緩やかな坂道が続き、ガクアジサイや
サツキツツジにも彩られている道をもう少しだけ頑張って登っていくと、
深紅に塗られた小さい観音堂が佇んで、やはり赤紫や青紫、
そして滝という名で呼ばれているらしい、山からの湧水が2本の竹筒から
流れ下っている所では真っ青な、それぞれ鮮やかに咲き誇る紫陽花に
彩られていました。
ここから木々の間を下界へ下る道は、ここに来るあじさい林道から斜面の
上の方へ続いていた道そのもので、紫陽花に彩られる静かな森の中の道を
下りながら丘陵の下に降りて境内を見上げれば、斜面いっぱいに梅の木が
植えられ、その上部に静かにお堂が佇むようなのどかな風景にも
出会うことができたのでした。

森の中の鬱蒼とした遊歩道の下り坂をゆっくりと下っていき、木々の
間や、墓地が現れ周辺の森が切り開かれた所から覗かれる下界の広大な
平野の風景へと次第に視点が近づいて、目前に広がる田畑や葡萄畑の中へと
次第に下っていることを感じつつ、蒸し暑い森を下ります。
白戸家戸長屋敷という史跡が存在するという情報だけを得ていたので、
木々の間から赤くて大きい、古めかしい造りだけれど蔵としては大きいような
気がする古民家のような建物が見つかった所で、それがもしかしてなどと
思い込んで、畑の傍らの下界へ連なる下り坂を下ってみたのですが、
どうやらそれではなかったようで、のどかな山里のような農地の真ん中へと
誘われることになりました。
あたりには葡萄畑が広がり、新大平下の駅前で見たような支柱のみで裸という
所はこのあたりには一切見られず、人の背ほどの柱から水平に渡されている
ワイヤーに絡み付くように新緑の葉が水平に広がって、自らが作る日蔭に
まだ成長しきっていない可愛さを感じさせる新緑の葡萄の房が大量に
ぶら下がり、その一部は熟しているのか、出荷用に紙袋に包まれている
様子をそこここで見ることができました。
地図で見るよりも若干長い距離を感じながら、ぶどう団地と呼ばれている
らしい広大な農園を横断する大通りまで出ていけば、いろいろな葡萄園の
存在を主張する看板達が並ぶ中に、新しく作られた感じの史料館となる
戸長屋敷が佇んでいました。

引き続き、JRの駅へ向かって広大な葡萄畑の間にひたすら真っすぐ通された
農道を進みました。空からは引き続き薄日が射していましたが、日蔭の
全くない道となり、空気は相変わらず若干かすんだ状態の、蒸し暑い
散歩道でしたが、かわいい未熟な葡萄達の姿を愛でながらのんびりと歩みを
進めていくと、さっきまで彷徨っていた林道を含んでいた丘陵は、精悍な
姿の、大平山から晃石山と横に長く連なるような山並みとなって
白い空を背景にそびえ立つようになっていきます。
所々農作業に勤しむ人たちの姿の疎らに見られる広大な葡萄畑の領域を
抜けると引き続き広大に水田が広がる領域となって、そびえ立つ山並みに
見守られるような長閑な農村の風景が暫く続いていったのでした。
そして農村を折れ曲がるように囲んでいた丘陵の足元に分け入れば、
辺りは大平山駅の周辺に広がる緑豊かな住宅街となっていきました。

大平山の散策を終えたあとは栃木へ行こうと思っていたのですが、
たどり着いたJRの大平下駅から出る次の列車は50分くらいあとらしく、
かといって駅周辺で遅めの昼食を摂れそうな店も見当たらなかったので、
朝歩いてきた道をそのまま東武の新大平下駅まで戻ってみれば、
ちょうどあと少しで下り列車がやってくる頃合いでした。
朝にも乗った昔は快速列車として使われていたクロスシートの車両に
再び乗ることができ、工場と丘陵に囲まれて住宅街を含みながら
広がる田園地帯の風景が、みるみるうちに建物の成長した市街地の風景へと
変わっていき、寄り添ってきたJRの線路とともに高架へ上って街並を
見渡すようになっていく車窓を束の間楽しみ、栃木駅へと降り立ちました。

時にしてお昼を大きく回った頃合いで、道幅は広く集まる建物も新しい
けれど隙間も多く至って静かな駅前を彷徨いながら、どこででも食える
ような昼食にようやくありつけて、暫く昼食休憩としているうちに、
空には分厚い黒い雲が立ち込めるようになり、辺りには不気味な薄暗さが
漂うようになっていました。
蔵の街大通りという名前の通りは、駅の近くではあまり名前のような
古めかしい雰囲気は感じられず、寧ろ1本裏側の横町のような歌麿通り
みつわ通りの方が、とりあえず昭和レトロ的な素朴な街並を見せてくれる
味わいを感じられる街道となっていて、コンクリート造りの街並に自然に
混ざるように重厚な瓦屋根の小さい建物も見られる素朴な商店や飲食店、
中にはほぼバナナしか売っていない青果店の姿なんかも見ることが
できました。

しかし空はみるみる暗く、雨粒もぽつぽつとしてきて、これはひと雨くるぞと
街の人の動きもそわそわとするようになってきました。
この街の象徴的な存在らしい巴波(うずま)川へ合流する水路に沿う
遊歩道に分け入り、古めかしい商店が疎らに現れる川沿いの道を早足で歩き、
水路が合流する辺りに広がる公園の中の、川に架かる橋の袂に佇む四阿に
駆け込んだ所で、空からはゲリラ豪雨のような大雨が降り注ぎ
はじめたのです。

たまたま通り掛かった下校中の高校生達も何人か飛び込んできて、
災難に遭った体ではあるけれど、なんかずぶ濡れになったことを楽しんで
いるかのような楽しげな会話をしていたりしましたが、
目の前で合流する川の流れや、それを囲む素朴な商店達の姿を背景にして
降り注ぐ雨の量は凄まじく、四阿の屋根からも大量の水滴が流れ落ち、
中にいても体を濡らさずに佇んでいることが難しいほどでした。

それにでも典型的なにわか雨で、暫く耐えているうちに雨の勢いは
弱まっていきました。
しっとりと濡れた巴波川沿いの道を歩けば、川岸に佇む紫陽花や柳並木が
濡れて光沢を示す石畳の道を彩り、流量の増した川の対岸には黒い板壁が
立ち並んでその奥に重厚な蔵の屋根と白壁が覗いている、栃木河岸と
呼ばれるらしいしっとりとした美しさの道が続いて、川岸には遊覧船で
あるらしい屋形船が係留される、古い街並の雰囲気を存分に感じさせる
所となっていました。
さっき四阿にお世話になったうずま川公園は、巴波川と水路が分かれる
所に広がる小さな公園でしたが、その水路の分岐点には瀬戸ヶ原堰と
いうらしい、円弧を描く堰と鉄板の並ぶ水門によって物々しい雰囲気が
作られ、そこに暗渠を流れてきたと見られる泥水が大量に吹き出して、
静かに佇む存在でありながら大量の水の流れをうまく捌いている堰の
頑張っている姿を暫し眺めていくことができました。

さっき真っ暗になった中歩いた、巴波川沿いの歩道を対岸に見るように
広がる園地や、ごく小さいだけど立派な幟が存在を示してくれている
鹽地蔵の姿を見つけつつ、みつわ通りへ戻り、新築されたのではと
思ってしまう程きれいな煉瓦造りの由緒ある写真館や、古めかしい
建物の奥に細い煙突の姿も見える銭湯の味わいある門構えなんかも見られる
遊歩道のようにブロックで舗装された通りを進めば、程なく直交する
銀座通りと交差します。
巴波川の方に折れればさっき川沿いに見た黒い板壁で囲まれている、
現在は塚田歴史伝説館ということにされているらしい、古い商家か何かの
敷地への入口があったり、川の対岸にも黒っぽい重厚な瓦屋根の
商店が川沿いの柳並木にしっとりと装飾されていたり、
大通り沿いにも大きい蔵のような建物が姿を見せ、
蔵の街の風情がどんどん強まってきたことを感じました。

そして、寧ろ昭和レトロといった感じのすすけたコンクリートの
大きな建物が寄り添っている銀座通りを川とは反対に進み、
路地沿いに特に綺麗にされたりしないままの白い蔵や煉瓦の蔵が
覗かれるのを見ながら、街を南北に貫いている蔵の街大通りへと
歩みを進めると、駅の近くでは見られなかった古めかしい板張りの古民家や
重厚な蔵造りの商店、時には洋館のようなものまで、
近代的な幅の広い交通量も多い通りなのに、古めかしい風情を感じさせて
くれる街並が現れてくれたのでした。
そのまま蔵の街大通りを北上すると、道沿いにはあまりこの街には
似つかわしくないような気がする大きなホテルや、実は市役所が同居して
いるらしい東武デパートなんかも姿を見せ、レトロな時代から
現代に至るまで市街の中心であり続けている街並の移り変わりを感じながら
のんびりと散策を進めることができました。

東武デパートの建つ交差点で東西方向の道へ折れ、すぐに交差する
日光例幣使街道という古い道へと歩みを進めてみました。
入口の所にも洋館風の石造りの建物に細かな装飾が施されていたりするのを
見つけることができましたが、さっきの大通りほど広くない素朴な道沿いに
ここでもやはり、重厚な瓦屋根の、白壁や灰色の蔵や板張りの商店や民家など
古い建物達が並んでしっとりとした味わいのある街並を作ります。
岡田資料館という武家屋敷の跡らしい白くて重厚な建物を中心とするように
たくさんの味わいのある板張りの古民家など古い建物が集まり、
その辺りに近づいてきた巴波川の流れの方へ、街道から離れるように
歩みを進めれば、翁島というらしい、対岸の鬱蒼とした森を擁する屋敷の
敷地に沿うようにして、水量を増して大量の泥水の流れとなっている
巴波川が、それでも昔から変わっていなさそうな味わいのある
川沿いの散歩道を作っていたのでした。

嘉右衛門町という、縁のある人名からつけられたらしい街道沿いの古い街に
戻り、陣屋跡を従えるような岡田資料館の代官屋敷の瓦屋根の門構えや、
肥料屋らしい大きな板張りの建物などの並ぶ、素朴で古い味わいのある街を
引き続き北上していくと、古い建物の出現する割合こそ減っていきましたが、
工事中の大きなヤマサみその工場の煙突が古い建物の間に覗いたり、
街道に沿う駐車場の敷地を囲んでいる古い建物たちの近くへ侵入することを
許してくれる薬局の掲示があって、それに甘えて大きな黄色い石積みの蔵や
白い土蔵の姿を間近で眺めてみたり、
また街道に戻れば油伝みそという工場の敷地に差し掛かり、
塀の向こうに重厚な瓦屋根の、街道沿いとは違う感じの建物が集まっている
様子を垣間見たりして、街道の雰囲気を満喫することができたのでした。

東西方向へ伸びる通りと交差した所で東へ向かい、大型スーパーの建つ
通りを進んでいき、蔵の街大通りを横断していくと、やたら大きな葉を
茂らせる木の並ぶ並木道となっていきます。
そうか栃木市だから栃の木なのかと妙に納得したりしながら
真っすぐ歩みを進めると、街道の突き当たりには、大きな山小屋のような
風情の東武の新栃木駅が現れました。
ポテト焼きそばなんかも普通に扱っているっぽい素朴な飲食店も姿を見せ
JRの駅よりもなんだか親しみやすい雰囲気を駅前の街並に感じつつ、
表敬訪問だけ終えてそのまま来た道を戻っていきました。
時にして6時を超えてしまい辺りは徐々に薄暗くなり、今日もかなり
歩きすぎたかななどと思いながら、栃の木の並木道から嘉右衛門町の古くて
しっとりとした味わい深い街並の姿をもう一度のんびりと歩き進み、
蔵の街大通りへは戻らずに、ここにもあった薄い黄緑色の洋館風の木造の
病院の前の路地をのんびり散策して、現れた巴波川を渡ってさらに住宅地を
歩き進み、県庁堀川という細い水路の流れる所までやってきました。

地図上では不自然なまでに長方形の区画を作っている県庁堀はきわめて細い
水路でしかありませんでしたが、おそらくさっき一緒に雨宿りした高校生
たちが通っている所なんだろうという感じの高校があり、その敷地には
板張りの洋風の建物が静かに佇んで、大正モダンって感じの風情を
薄暗い空の元に作り出していました。
同じ学校なのか別なのかはわかりませんが大きな体育館も佇む県庁堀の
内側の区画を、お堀に沿うように南下しながら眺めていくと、その前方には
またも立派な薄緑色の、旧県庁であるらしい洋館風の木造の建物が、
工事の塀に取り囲まれながら静かに薄暗い空の元に佇んでいました。
県庁堀はこの辺りで流路が曲げられたり、旧県庁の裏で直角に
折れ曲がったり、近くの巴波川と繋ぐ水路が直角に分岐したりと、
いかにも人工河川といった風情を見せましたが、耳を澄ませば強制的に
空気を水に送り込むような音が聞こえ、水面をよく見れば大きな鯉が
水路を囲む壁の藻でも舐め取っているかのような姿を見つけることが
できました。もう夕方であるせいなのかそれ以外の川面は静かでは
ありましたが、昼間はこの辺りはたくさんの鯉たちと戯れることが
できる所みたいで、餌を売っている店もちらほら見られたりします。

県庁堀と巴波川を繋ぐ水路に沿ってここにも横山郷土館とされている、
古い建物の黒い板壁が並んでいて、水路沿いには船着き場のあとであった
ことを示す掲示物もありましたが、
アオサギが佇む巴波川に沿う遊歩道へ進めば、その商家は大きな松の木に
寄り添われて、古い商家と銀行が合築されているらしい、石積みの2つの蔵の
間に瓦屋根の重厚な木造の建物が挟まれている感じの、古めかしい重厚な
姿を示し、柳と紫陽花に彩られる川沿いの遊歩道の風景をさらにしっとりと
したものへと仕上げます。
そんな味わいのある風景を見ながらのんびり川沿いの遊歩道を歩き進めば
次の橋はさっき歩いた栃木河岸の黒い板壁を見渡せる所となり、
さっきに比べれば水の勢いこそ弱まったけれどまだ豊かな水を流す
川岸に係留されている屋形船型の遊覧船に、障子の中で江戸時代の人が
宴を楽しんでいるシルエットが描かれているのをほほえましく眺めながら
歩き続ければ、瀬戸ヶ原堰が川の流れに弧を描いている、さっき
雨宿りをしたうずま川公園にもすぐにたどり着いてしまったのでした。

最後に、さっき見つけたみつわ通り沿いの古い銭湯に立ち寄って、
木造のレトロな雰囲気の中で多少熱かったお湯にのんびり浸かり、
その間に完全に夜になってしまったみつわ通りをJRの栃木駅へ向かって
引き返していきました。
結局かなり盛りだくさんな旅となってしまって、見れてない建物や
歩けていない街道もまだまだ残っているような感じを抱いたままとなって
しまったのですが、最後は東武の特急列車で短時間ながら優雅な時を
過ごしつつ、夜の東京へと戻っていきました。

 

気賀、金指、天竜二俣(2019.5.3)

murabie@自宅です。
疲労の蓄積によりお休みをいただいておりました、
一連の旅の最終日、一昨日の報告をさせていただきます。

今日でずっと泊まっていた豊橋の宿を引き払い、昨日より若干曇りみの強い
青空の元、今日は大荷物を背負って豊橋駅に向かい、そのまま昨日と同じ
ように東海道線の下り列車から新所原で天竜浜名湖鉄道線に乗り継ぎました。
昨日は湖を観察することをメインにしましたが、今日はそれ以外をと思い、
有形文化財に指定されている駅舎のある駅でも巡ってみようかしらなんて
軽く考えていました。

とりあえず昨日の車窓を復習しつつ、新緑の眩しい森林の道、新緑の山あいの
みかん畑等がメインとなる車窓を楽しみましたが、通しで乗ってみるほど
車窓に大きく浜名湖の青々した湖面が広がるシーンは決して多くなく、
高台から住宅街越しに垣間見られることの方が普通だったように
感じられました。
それでも三ヶ日駅から都筑駅へ向かうところ、それに寸座から西気賀へ
向かうところでは割と浜名湖の姿を大きく楽しむことができましたが、
広大に広がる穏やかな湖面の姿を満喫するためには、昨日のように旅するのが
正解だったんだなあなんて感じながらの旅路となりました。
西気賀を過ぎて歩きで見ていない最後の湖面の姿を大きく車窓に見て、
ここから先は丘陵に囲まれるのどかな田園が広がるようになりました。
湖越しに昨日見えていた余り大きくない赤いアーチ橋が集落に現れると
間もなく気賀駅となります。

気賀駅は駅舎もなんでしょうが、ホームも古めかしい木造の味わい深いもので、
しかも関所の街であることを強調するように、赤い幔幕が屋根の下に渡されて
います。
駅舎では観光協会の人がレンタサイクルの拠点を作っていたり、飲食店も
入居したりしたていましたが、それでも無人駅扱いだったりします。

とりあえず駅舎やその周辺の文化財でも愛でて次の列車に乗ろうとか軽く
考えていたのだけれど、マップを手に入れるとやっぱり見てみたいところが
いっぱい見つかって、今日は大荷物を背負ったままで動きにくかったの
ですが、頑張りたくなってしまうのです。
関所に繋がっていたらしい要害堀跡は何となくわかりますが、
隣接する赤池様という、水場が整備されていた小公園は、実は市街地にある
細江神社のご神体が遠くから流れ着いた現場だったということは
あとで知ることとなったし、
昭和レトロ的な匂いを若干感じる大通りの交差点に気賀関所跡の碑と看板を
見つけても屋根の実物が残されているということに気づいたのは後だったし、
やはり文化財となっているらしい、大通りを跨ぐ線路のコンクリートの橋梁も
見えるところがすべてではなく隣の道にかかっている部分も含めて
らしかったりと、なんだか精彩を欠く観光の仕方になってしまい、
駅裏に回り込んでみれば何のことはない郊外型の店舗の集まる平凡な街で、
その先駅を取りすぎたところにある見世物の方の気賀関所あとの方は
なんだか金を払って入場する気になれない雰囲気でそのまま駅に引き返して
そんな状態でちょうど次の列車の時間になってしまい、こんなんじゃあ
悔いばかり残るぞと思い直して、1本出発予定を遅らせて市街地をもう一周
することにしたのでした。

2週目の市街周遊はとりあえず路地に入って白い蔵の姿を愛でた後、
昭和レトロの大通りに進み、さらに市街の背後に控える丘陵を登るような
坂道へと進んで行きました。
単なる地震の神様として有名という説明だけだった細江神社は新緑の
ご神木の森に佇む古いお社でしかなかったのですが、最初は浜名湖の
海への出口付近にあったものが大津波によって1度ならず2度までも
流されてしまい、さっきの赤池様の所に漂着したものなのだとか。
そして同じ境内の隣に佇んでいた藺草神社も、単に藺草産業の振興に感謝
というだけでなく、その大津波をかぶって使い物にならなくなった田んぼでも
栽培できるものとして琉球から導入されたという言われがあるのだと聞くと、
これらの神社が隣同士であることに重要な意味を感じずにはいられなく
なってきました。

近くには吉野家旅館という、ある画家の生家とされている建物がありました。
背の高い茅葺き屋根の建物が青空の元に爽快に建ち、そして新緑の眩しい
穏やかな庭園が、背後の丘陵の新緑とマッチして明るい雰囲気を作り出して
いました。
そして少しだけ坂を上ると、犬くぐり道という古い街道の跡地に、気賀の
関所の地元民対策のお目こぼしとして設けられていたという犬くぐり門が
復元されていて、実際に通ってみることができるようになっていました。
垂らされている莚の下をくぐれば、通ったものは犬と見なされチェックの
対象外になる、という謎ルールが真面目に運用されていた時代がなんだが
いとおしいものに感じられてしまいます。

そして斜面の住宅街の路地に分け入り小学校の敷地の方へ進むと、ここに
あった昔のお屋敷、気賀関所を運営していた実力者の屋敷の名残であるという
椎の木が孤立しながら新緑を吹いていて、さらにせせこましい、ほんとに
通っていいんだろうかといった感じの細い路地を進んでいくと、気賀関所の
重厚な瓦屋根の一部分がいまだに住居に使われているという所を
ようやく見つけることができたのでした。

そして文化財となっているらしい線路のコンクリート橋梁も、見逃していた
隣の部分も含めてもう一度見学することができて、一部すすけていたりも
しましたが、昭和レトロの街の雰囲気を演出するのに一役買っている感じが
していましたし、散策しながら鰻やさんのいい匂いを味わうことも
できたし、制限高さ1.6 mの橋梁なんていうのも見つけることができたし、
2周してみてようやく満足に観光できたような感覚を得ることができました。
もちろんすべてを見ることができたわけでもなく、気賀関所もそうだけど、
戦の時にたくさんの首が晒されたという畷とか、興味をそそられるけれど
見れていないものはまだまだたくさん、またの機会への宿題ということで。

もうだいぶ暑ささえ感じるようになった中にやってきた次の掛川行きの
列車に乗りこんで、引き続き丘陵に囲まれるのどかな田園地帯を走り、
次に文化財の駅がある金指駅に降り立ちました。
ここは駅舎も待合室部分はレトロな味わいを感じるのだけど建て増しの
部分が普通に新しくて、そこにピザ屋なんかが入っていたりする駅ですが、
ここも駅のホームの柱、そして駅前に出たところで見つかる
コンクリート製の給水塔が珍しいもののようでした。

ここも案内を見ると興味をそそられる見どころはいくつかあるのですが、
手頃に行けそうだった實相寺という所を目指して見ることにしました。
駅から道なりに北上すれば行けそうで、駅前の交差点には小さな市神様
というお社があったり、道すがらにはここにも金指関所跡なんていう
史跡が見つかったりもしましたが、目的地へ向かう道は次第に険しい
登り坂となって、大荷物を背負った身にはきつい旅となってしまいました。
道沿いに並ぶ建物は時々瓦屋根の古いものが混ざりますが基本的には
どこにでもありそうな感じのもの、しかし建物の向こうに見える景色は
次第に下界の広大なパノラマになっていきます。
特に展望台というわけではないのですが、たどり着いた實相寺の門前からは
丘陵に寄り添われて住宅街や田園が広大に広がっている展望が開けました。

實相寺は明るい空のもとに開けた境内に古いお堂や燈籠が配される
明るい雰囲気のお寺でしたが、その片隅にある枯山水庭園が見どころと
なっているようでした。
新緑の雰囲気の中、正面には3つの峰の連なる築山の上に木々が植えられ
山肌にはいろいろな形や大きさの岩石が複雑に配され、また手前には
松の木を擁する島のような領域が配され、隙間の玉砂利には綺麗な
模様が描かれ、築山の背後の墓地の塔や、さらに大きな丘陵なんかも
借景ということになるようです。
この手のものにしては珍しく無料で見学でき、自動放送で説明を受ける
ことができたのですが、山肌に配される岩石の一つ一つに、仏教観であるとか
滝であるとか鯉であるとか鶴であるとか亀であるとかいろいろ理由付けが
されていたり、玉砂利を海に見立てて本堂を背負った亀が出島を浮かべる
大海原に出向しようとしているとかいろいろな説明や解釈がつけられて
いるようで、やはり日本庭園というのはいろいろな要素が凝縮されている
味わい深いものなのだなあと改めて感じる結果となったのでした。

歩いてきた素朴な住宅街の中のきつい坂道をゆっくりと下り、
お昼時になった金指駅で次の列車を待てば、やってきたのは昨日も乗った
湘南色、みかん列車でした。
降りたい駅は他にもあったのですが、こんな感じで駅を降りるごとに行きたい
所が増えてしまうと、日程がいくらあっても足りなくなってしまうような
気がして、いろいろ我慢して次に降りるのは見どころがたくさんあることが
わかりきっている天竜二俣駅にすることにし、少し長い時間、観光客で
混雑した列車に身を任せることにしました。
列車は基本的には新緑の丘陵に囲まれた田園のどかな風景と、新緑のまぶしい
森林の中の道を行き、途中のフルーツパークという駅では臨時に駅員が
配置されていますという放送が入るほど、なるほどおそらくそこへ繰り出す
家族連れがそれなりに下車していきましたが、その辺りでは森林の中を進む
ことがメインとなっていきます。
そして森を抜けて宮口、岩水寺と進んでいくにつれて辺りには少しずつ
新興住宅の姿が増えていき、西鹿島では遠州鉄道線への乗り換え駅なのに
下車客の集札は運転士がやることになっているようで結構時間がかかって
いたもののだいぶ乗客の数は減少していきました。

天浜線側と違って何本も線路を持ち、何両も赤い電車が泊まり、
洗車機なんかも堂々とする遠州鉄道線の構内を横目に、西鹿島駅を出て
住宅街を進むと間もなく、列車は天竜川を渡ります。
有名な大きな川でしたが、広い砂利の河原の間をゆったり流れる川は
折り重なる山並みを削ったかのように山の間から流れ来ていて、
平行する道路の橋は鉄橋なんだけれど、吊り橋のように左右に
盛り上がっている部分を持つ独創的な形をしていました。
そして天竜川を囲んでいた大きな丘陵がそのまま市街の周囲を囲むように
なり、その足元のような所の住宅街にある二俣本町駅を出て、
山並みに囲まれる住宅街の中を流れてきた二俣川を渡り、天竜二俣駅へと
進んでいきました。

小高い丘陵に囲まれるような天竜二俣駅も、古めかしい雰囲気のホームや
駅舎を持ち、駅の周囲には古い車両が展示されていたり、本物のトロッコで
遊べる所があったり、奥の方にはこの駅の売りということになるらしい、
転車台を擁しているらしい車庫にたくさんの車両が泊まっていたり
するのが見て取れ、黒っぽくて天井の高い木造の駅舎は、転車台ツアーの
おかげでたくさんの家族連れをひきつけて賑わっています。
コインロッカーに大荷物を預けて外へ出てみれば、駅前にはSLが静態保存
される公園もあり、駅近くには旧光明電鉄の二俣口駅の跡地ということらしい、
草むしかけてはいるけれど階段や段差から明らかにそうだとわかる
ホームの遺構が、小さい案内看板とイメージ的な駅名標ともに残されている
所もあります。

荷物は軽くなったけど足のまめがひどく、ここまでの疲労が蓄積されて
ピークに達した状態でもあり、歩くペースはこれまでにないくらい
かなりゆっくりとしたものとなっていました。
この旅でここまでに訪れてきた街のような、遠巻きに新緑の丘陵に囲まれて
いるような雰囲気とは違う、すぐ近くに険しい丘陵に迫られて大きな建物が
せせこましく並んで薄暗い感じさえ受けてしまう街なかを歩んで、市街を
貫く二俣川を双竜橋で渡れば、新緑の河原の間に水はゆったり流れ、
近くには赤い上竜橋が、里山の新緑を背景にして映えていて、川の中には
水遊びに興じる家族連れの姿も見られる麗らかな風景が展開していました。
橋を渡り、静かで素朴な路地を分け入ってひっそりとした木陰のような所へ
進むと、小さい二俣本町駅が静かに佇みます。周囲を素朴な住宅街に囲まれ
天竜二俣駅よりも需要はありそうな感じですが、こちらは無人駅のようです。

大通りから外れたまま、素朴な住宅街の中の道をあくまでゆっくりと、
さっき列車から見た天竜川に向かって歩いていきました。
本当だったら市街を囲む高い丘陵の上に城跡なんかもあったりするよう
だったので、間違いなく遊歩道にも分け入る選択をするところでしたが、
今日に限ってはどうしてもそんな無理をする気分にはなれず、素直に
トンネルをくぐって街並みの外へと歩みを進めました。

トンネルを出ると小さい神社の敷地があってその向こうで線路もトンネルから
出てきて、そのまま天竜川鉄橋へと続いていました。
緑色の鉄橋の向こうには空が大きく広がって、その下には白く節理の発達した
岩盤を点在させながら玉砂利の様な石を敷き詰める河原が広がる間に、
天竜川の葵水面がゆったりと流れる姿を見ることができました。
橋は鉄骨で囲まれるトラス橋と特に何にも囲まれないガーダー橋が連続する
珍しいらしい構造であり、その巨大な橋梁にたった1両の小さい天浜線の列車が
トコトコと走っていくのをちょうど見送ることができました。
一方列車からも見られたように、車道の方は吊り橋のような形に
鉄骨が組まれた独創的な形の銀色の鉄橋となり、そこにぴったりと寄り添う
ような形で細い歩行者用の吊り橋のような形の橋も架けられて、鉄道の緑の
橋が架かる天竜川の風景を大きく眺めながらのんびりと渡っていくことが
できます。
しかしどうしても上流側の天竜川の姿を何にも邪魔されない形で
見てみたくて、街に戻る道は狭い車道側を無理に歩くことにして
しまいました。途中路線バスにあおられてしまう場面もあったりして
申し訳なかったのですが、下流側とは違い、新緑のまだら模様の山並みが
とても高く大きく川沿いに立ちはだかって折り重なるように佇み、
川の流れはその山並みの間から玉砂利の河原の間を複雑に折れ曲がりながら
谷を削ってきたかのように流れてきて、下流側のゆったりした風景に
比べだいぶダイナミックな山間の雰囲気を強く醸し出しているようでした。

そんな感じで長大な天竜川に架かる橋を往復して二俣の方へ戻り、鳥羽山を
越える前に川沿いに少し広がる集落の中にあった、かつて筏問屋だったらしい
田代家という古民家を通りがかり、重厚な木造の建物に庭園が寄り添って
丘陵の影の集落に静かに佇んでいる雰囲気だけを感じ取ったのち、さっき
通った現代のメインストリートとは異なる位置にあった、鳥羽山洞門という
レンガ造りのトンネルへと突入しました。
さっきくぐったトンネルも涼しく通過できたのですがこちらのトンネルも
涼しさなら負けておらず、そして入り口だけでなく内部も、一部補強されては
いるもののほとんどがレンガが規則正しく組み合わされて造られていて、
照明もあるわけではない薄暗い雰囲気でしたが、レトロな風情を感じながら
のんびり歩くことができる道を見つけられたうれしさを感じました。
涼しいトンネルを抜けてまた暑い市街地に戻ったわけですが、
メインストリートには気温の電光表示板があって、なんと30℃を表示して
いる所でした。どうりで体力を奪われそうなくらいの暑さを感じたわけです。

適当に水分を補給しつつ、さっきも一端を通りがかった市街地の中心部を
貫いているらしいクローバー通りというメインストリートに差し掛かり、
この通りを中心にして路地に分け入ったりしながら、街並みの雰囲気を
味わってみることにしました。
メインストリート沿いには昭和レトロの雰囲気を色濃く漂わせている
無機的な四角いコンクリート造りの建物が点在していたり、そんな中に
古めかしい板張り瓦屋根の木造の建物があったり、ツタの絡まる古い蔵が
見つかったり、レンガ造りの建物があったり、重厚な木造瓦屋根の古い旅館が
あったり、蔵を伴う洋風の板張りの医院があったり、いくつもの古い蔵が
集まる一角があったり、木造の古い建物が連なる細くて短い路地が
あったりと、いろいろなタイプの古い建物が楽しく歩くことのできる街並みを
作り出してくれていて、足が悲鳴を上げているのを我慢しながら、
それでものんびりと散策を楽しむことができました。

ふらふら彷徨いながら何となく、すぐ近くを丘陵に囲まれて広がる市街の
北端の近くまで到達していて、駅へ戻るために街の裏手に流れる二俣川沿いの
道を今度はたどることにしました。
川の対岸には背の高い巨大な、岩肌を露呈するほど急峻に立ちはだかる岩盤が
対を成して佇んで、二俣川の流れはその間に短いながら清冽な渓谷を刻んで
流れ来たのち、穏やかな姿に変わって、新緑に囲まれる街なかを南下する
ようになります。

街並みは複雑に入り組む丘陵が凹んだ部分へも侵入していましたが、
嘯月橋という橋を渡り、学校の敷地に沿って東側の丘陵の足元を目指して
進んで行くと、駅でもらった手持ちの地図では旧光明電鉄の二俣町駅跡と
される所となります。しかしさっき最初に確認した、天竜二俣駅近くの
二俣口駅とは異なり、遺構の類は全くもって見つけることができません。
ここから、当時その線路が通っていたと思われる辺りを探ってみるべく、
寄り添う丘陵の足元をたどり、丘の上にあるらしい、この地で生まれた画家の
美術館らしい巨大な施設への入口を無視して通過し、丘陵が再び
二俣川沿いまでせり出してくると川沿いの斜面に境内地や墓地を広げるように
現れた栄林寺というお寺の門前を通過していくと、道は小さい住宅街へと
続いていき、その一角の小さい民家の裏手に寄り添う丘陵に、ようやく
旧光明電鉄の遺構であるらしいトンネルの入り口を見つけることが
できました。
入り口はすのこのようなもので塞がれ、中の様子はうかがえません。
そして住宅地の路地をそのまま、丘陵の形をなぞるように進んで行けば、
二俣川の支流となる細い水路沿いの住宅地の裏手に佇む山肌の、
民家の完全に敷地内となっているような所に、そのトンネルの出口の跡が
存在しているらしいことだけを確認することができました。

ここまでくると最初の天竜二俣駅もすぐ近くとなっていました。
転車台の見学ツアーなどとっくの昔に終了しましたといった風情で、駅前も
さっきに比べると打って変わってひっそりと静まり返ってしまっていました。
駅構内をもう少し味わってみたい気持ちもありましたが、次の西鹿島方面の
列車の時間が実はすぐに迫っていて、1本逃すと1時間開いてしまい、行動が
制約されそうな気がしたので、やむを得ず急いでロッカーから荷物を
取り出して、慌ただしく列車に乗りこんだのでした。

丘陵に囲まれた薄暗い二俣の素朴な市街地からトンネルを抜け、
雄大な天竜川を悠々と渡ると、対岸には新興住宅街のような家並みが現れる
ようになり、遠州鉄道線と接続する西鹿島駅へ戻ります。
ここで下車し、あとは浜松へ向って移動するのみとなりましたが、もうかなり
疲労が蓄積してしまっており、天浜線と違って12分ごとに列車が出発
するという素晴らしい状況の遠州鉄道線の列車にも乗らず、きれいな駅舎と
広々した駅前広場の周りに伸びる広い道路上に、ここでも昭和レトロ的な
雰囲気を醸し出す四角い小さいコンクリートの建物たちが、あまり交通量の
多くないひっそりした街並みをつくっていることだけ観察して、あとは
遠州鉄道線の列車を待つ人たちと一緒にベンチに座ってぐったりと休憩して
過ごしたのでした。

辺りに夕方の雰囲気が漂い始めたころ、遠州鉄道線の新浜松行きの赤い電車に
乗りこみました。
車窓の風景はさほど大きく変わることもなく、所々小さな田畑も内包しながら
基本的には素朴な住宅街ばかりが続いていきます。
美薗中央公園という駅では沿線に木立の爽やかそうな園地が寄り添い、
浜北という駅では駅前に大きな公共施設の建物がそびえ、
自動車学校前という駅では沿線に教習コースが寄り添ったりもするのですが
住宅街を貫く車窓という基調はほとんど変わらないまま、
自動車学校前を過ぎて暫くしたあたりから、線路は高架となって、浜松の
大きな街並みを高台から見渡す車窓へと変わっていきます。

浜松から新幹線に乗る前に最後にひと風呂浴びていこうとは思っていて、
駅から少し歩く少し高いスーパー銭湯とどちらにするかずっと考えて
いたのですが、疲労具合を考え、駅からほど近い古い銭湯の方を選択する
ことにして、曳馬(ひくま)駅で下車することにしました。
コンクリート造りの真新しいぴかぴかといった感じの駅は、例えば
モノレールや新交通システムの駅のような感じで幹線道路の真上に立地し、
そこから階段を下って、周辺の素朴な住宅街へ進んでいくと、
割とわかりやすい通り沿いに素朴な銭湯が佇んでいました。
先日の愛知県内の銭湯よりも静岡県になることで料金が安くなりましたが、
設備も雰囲気も大きくは変わらず、のんびりとお湯に浸かっていくことが
でき、そして近くには浜松の市内ということで餃子を食べることができる
中華料理屋もあったりして、浜松駅に着いてから道に迷ってさらに
疲れるよりはと、ここで夕食まで済ませてしまうことにしたのでした。

昨日の豊橋の餃子よりもやや小粒だけど皮は同じようにぱりぱり、そして
辛味づけに唐辛子の粉が大量に沈むラー油を使うのもよく似ているといった
感想を持ちながら浜松の餃子をおいしく頂いて店をあとにすると、辺りには
だいぶ夕暮れが迫った薄暗い雰囲気になっていました。
実はここまで乗ってきた遠州鉄道の列車にも法被の人がそこそこ乗ってきて
いたのですが、お店のテレビでも浜松まつりの生中継が流されていて、
そして駅に向かえば駅の下の大通りに交通規制がかけられていて、遠くから、
祭囃子が、というよりはなんか野球の応援のような感じの盛り上がりが
聞こえてくるような状態となっていました。
列車の方は普段の2両編成が倍増の4両編成になっていたために異常な混雑が
発生するようなことはありませんでしたが、法被姿の客も増え、車窓から
見渡せる夜になった浜松の街にはやはり野球の応援のようなお囃子が響き、
法被の人々が大通りに集って踊る様子も見られるようになりました。

列車が新浜松駅に着くと、お手数ですが階段で改札口へ降りてくださいと
いう、事情を知らない人間にとっては何当たり前のことを言うんだといった
感じの放送が流れたりしたのですが、要は普段とダイヤが違うのか、
普段使われていない、エレベーターもエスカレーターもないホームに
到着したということらしいです。改札口も本来とは別に小さいのが
設けられている状態でした。

そしてそんなお祭りの賑やかな雰囲気は、遠州鉄道の新浜松駅の周りにも
広がっていました。すぐ近くのJRの駅まで、大きな建物が集まった中に
たくさんの人々も集まり、JRの線路と並行するような大通りには、華やかな
山車も響き渡るお囃子の中にゆっくりと往来して、楽しそうな雰囲気に
駅周辺の街全体が包まれていたような感じでした。

そんな感じで疲労が極限に達しそうな、少し歩くだけで悲鳴を上げる
まめのできた足をゆっくり引きずりながら新幹線の構内の待合室に入り、
東京行きのこだま号の中でもうとうとして過ごすばかり、そしてわずかな
節約のために帰りももうちょっとだけ頑張って、小田原からロマンスカーに
乗り継ぎ、深夜の新宿へと進んで行ったのでした。

 

奥浜名湖湖畔(2019.5.2)

murabie@豊橋市です。
久しぶりにすっきりと晴れ上がり、空気もとても心地好い日となりました。

今日はまず東海道線の上り列車に乗り、昨日とはうって変わって青空の元に
凛々しい姿を見せる立岩の姿を愛でて新所原まで移動して、天竜浜名湖鉄道の
沿線の、浜名湖の風景に出会える駅を巡る旅を始めました。
新所原駅を出た列車は新緑の眩しい森の中や、丘陵に囲まれた田園の中に
大きな工場が佇んでいる風景を見て、地図上では最初に浜名湖の湖岸と触れる
知波田駅に降り立ちました。

知波田駅の駅舎には歯医者が入居していました。線路と並走する国道の道幅は
広いけれど辺りの建物は決して大きくはなく、穏やかな青空の元に静かな
街が広がっています。
街並を囲むように新緑のパッチワークの山肌を示す丘陵達が佇んでいました
が、先日風雨の中訪れた赤岩に近い多米峠の静岡県側の出口に当たるようで、
丘陵の形も赤岩で見たのと似ていたし、同じ山を反対側から見ているのだと
理解できました。

市街を貫く川にかかる線路の鉄橋を見ると、その向こうには青々とした
浜名湖の湖面が確かに存在していて、湖面を大きく見られる所を探すべく、
大通りから湖側に広がる住宅街へ伸びる路地へと分け入ってみました。
家並みの間の農地の奥に広がる草むらの間に、プライベート船着き場と
見られる小さい出入り口のような所もあったりして狭い範囲で湖面に触れる
こともできましたが、路地をさらに奥に進むことで、道は大きな青々した
湖面に直接触れることとなりました。
青い空の元に広がる青々した湖面は様々な大きさの深緑の丘陵に囲まれ、
特に対岸となる所には造船所のような鉄骨も見られたりしていましたが、
松見が浦というらしい、浜名湖のさらに奥まった湾状の所であるようで、
複雑な形の湖が静かに佇みます。
湖岸には孤立するような1本の大木に白い花が大量に咲いていて、
ナンジャモンジャの木と呼ばれるヒトツバタゴの木らしいのですが、
緑の葉を出したうえに細長い白い花を大量につけていて、穏やかな気候の
もとに華やいだ雰囲気を作っていました。

湖面を囲む対岸の程近そうな所に車がたくさん往来している道路が
見られて、せっかくなのでそこにも足を伸ばして違う角度で湖を見てみようと
考えました。
一旦集落を抜けて国道へ戻り、新緑の丘陵に囲まれる真新しい鉄道の
コンクリート橋をくぐっていくと、程なく国道は青々した湖面にそって
伸びるようになりました。
車の交通量も多かったけれど、それ以上にバイクや自転車の交通量も多く、
輪行のターゲットになりやすいところだということを強く感じさせられ
ましたが、複雑に入り組む丘陵に囲まれて広がる湖面の中には牡蛎の
養殖棚のようなものが集まる所があり、貝殻が積まれているところも
あったりします。
そして湖面を囲む湖岸の中にはさっき歩いてきた道のナンジャモンジャの
木の姿も見ることができ、穏やかな風景が広がっていたのでした。

ある程度の所まで湖岸を歩いて引き返し、1時間前の便よりも賑やかになった
知波田駅から、引き続き上り列車に乗り込みました。
列車は少しだけ歩いた道を垣間見つつ山道へと分け入り、眩しい新緑の道や
周囲の丘陵の斜面に広がるみかん畑などの姿を見て、尾奈から街並越しに
再び湖面の姿を見ることができるようになりました。
街並やリゾートホテルの集まる湖岸沿いに垣間見るような感じではあり、
奥浜名湖駅を過ぎると車窓はみかん畑ベースになり、2つの川が合流しつつ
浜名湖に注ごうとしている所を鉄橋で跨ぎ越して、列車は三ヶ日駅へと
歩みを進めていきます。

古めかしい黒光りした木造の駅舎に軽く鳴り響く風鈴の音が心地好い
気候となっていたりして、朝には必要だった上着もリュックの中に
しまい込んでしまうことになりました。
駅をあとにしてここまでの道を逆走するように、列車でも跨いだ水路を
大きい橋で跨ぎ越すと、大通りはほぼ湖面に寄り添うように続くように
なって、青空の元に広大に広がるおだやかな青い湖面を眺め渡すことが
できるようになります。
三ヶ日の市街の背後にそびえる山並みは大きいものでしたが、猪鼻湖という
浜名湖の奥の一部が陸地に囲まれている領域は、さほど高い山並みに
囲まれるわけでもなく、そしてさっきの松見が浦ほど陸地も入り組んでいる
わけでもなく、きわめて穏やかな湖面が広々と広がります。

三ヶ日駅を離れてずんずん道を進んでも湖面の風景が大きく変わることはなく、
ただ行く湖岸の道の先に大きなホテルが立ちはだかるようになり、
道もちょくちょく内陸に入りながら、大きく広がる湖面との再開を喜ぶように
なっていきました。
大きなホテルにたどり着く直前で内陸側の住宅街へと分け入れば、
家並みの間にみかん畑も結構含まれていることが見て取れ、
そしてやや奥まった薄暗い所に、ホーム一本のみの小さい奥浜名湖駅が
お客を引き寄せながら静かに佇んでいたのでした。

引き続き湖岸線をなぞる国道に戻って先を進んでいくと、ホテルの敷地が
切れた所で見られた海にはボートがたくさん浮かんでのんびりした風景と
なっていたりしました。
さっきまでみたいにべったり海岸沿いのみを通るというわけでもなく、
森の木々の間や駐車場の片隅から垣間見られたりとか、時には少しだけ
長く湖面が道路に接し湖岸が護岸されていたりもしましたが、湖水の雰囲気は
大きく変わることはなく、常に穏やかな風景を示しつづけます。

やがてみかん畑の斜面を背景にして瓦屋根の集落が集まるようになり、
白い木造瓦屋根の尾奈駅が現れてきました。
駅舎も昭和の匂いを感じるものでしたが、隣り合う公衆便所が、
魚籠から首を出す2匹の鰻の姿になっているという、何とも言えない駅です。

次に乗りたい列車の時間まで少し間があったので、湖岸沿いをさらに
南下してみることにしましたが、やはりずっと湖面に沿ったままという
わけにはいかず、畑のすみや木々の間から湖面を望むことが
メインとなりました。
それでも蜜柑狩り農園が斜面上に切り開かれていて民宿もあったりする
所では、みかん型の公衆便所が設けられ、その少し先にはたくさんの
小さいボートが保管されている湖岸があって、ボート越しに穏やかに
広がる湖岸を眺めることができたのでした。

尾奈駅から上り列車に乗り込み、高台から集落の間に穏やかな湖面を見る
車窓をもう一度楽しみ、三ヶ日駅を過ぎてからは一瞬湖面を大きく見ることの
できるところもありましたが、基本的には山道を進むように
なっていきました。
そして浜名湖佐久米駅が近づくと遠くに穏やかそうな湖面が見えてきて、
さぞ大きく湖面が広がるのかと思いきや、高速道路の橋脚が突如出現し、
景観を邪魔されたまま、浜名湖佐久米駅へとたどり着きました。

浜名湖佐久米駅は明らかに線路の近くまで湖水が迫っている、間違いなく
湖岸の駅なのだけど、すぐ近くに巨大な高速道路が通ってしまっているため、
湖の穏やかな風景を感じることができない残念な駅だったりします。
駅舎には喫茶店が入居していて、カレーの匂いが漂ってきたり、定食の
鯖の味噌煮の匂いが漂ってきたりする素朴な雰囲気の駅になっています。
ちょうどお昼時となったのですが、お昼のメロディーを街中に流す装置が
接触不良でも起こしているのか、どうにも大音響の雑音にしか聞こえない
何とも残念な街だったりします。
駅前には青空の元に新緑のパッチワークの山肌が広がり、その麓に瓦屋根の
民家や大きなお寺も集まる素朴な集落となっていましたが、大通りに面して
いるそのような建物である姫街道資料館という施設が最近閉鎖されて
手付かずのまま残されているという残念さも持つ街だったりします。

とりあえず雄大な湖面の風景を見つけるのが先だと駅をあとにして、
高速道路をくぐると、確かに丘陵に囲まれて穏やかな湖面が広がる
風景が広がっていて、高速道路よりもさらに高い所に頭を出す
佐久米の丘陵の足元に青々した湖面が広がる風景も悪いものでは
ないように感じました。湖の中では地元の漁民と思われる人たちが
蜆かきと思われる作業をしているところでした。

すぐ近くの湖岸にはここにもリゾートホテルが立ち尽くしていたり
したわけですが、その敷地に隣接する神社の境内へ歩みを進めると、
家族連れがのんびりと湖水と戯れるのどかな風景が、広大な湖の
風景の一部となっていました。
そしてさらに大通りを奥へ進むと、通りと湖面が接する辺りから、
どうやら潮干狩りの会場となっていたようで、道路にはたくさんの車が
駐車され、たくさんの家族連れが穏やかに広がる湖面の一角で戯れて
いるという、何とものどかな風景が広がっていました。
穏やかな湖面を囲む丘陵の対岸には、おそらく舘山寺温泉のものと思われる
巨大な観覧車や、そこからとなりの丘陵にかかるロープウェーと終点の
大きな建物の姿もはっきりと確認することができました。

舘山寺温泉まで見渡せる穏やかな湖面にゆっくりとした時間が流れている
風景をしばし堪能してから浜名湖佐久米駅へ戻り、寸座峠に差し掛かって
坂を上って行く道路と並行してそれなりに険しそうな道を少し進んで、
峠を越え、高台から瓦屋根の集落越しに丘陵で囲まれた青々した海の
姿を見渡せる寸座駅へと進みました。

待合室しかない小さい寸座駅から、線路の下をくぐるような坂道を
下っていくと、湖岸にはすぐにたどり着くことができました。
寸座駅の辺りは新緑の丘陵をバックにして集落が広がる、入江の
最奥部といった風情になっていて、湖岸沿いに歩き進むに連れ、湖の風景は
どんどん穏やかになっていきました。領域としては引佐細江ということに
なるようで、比較的広大な湖面を見ることのできるところのようです。

少しだけ湖岸を南下してみましたが、南下を続けると湖畔の田畑や駐車場から
湖面を眺めるのがメインとなってしまうようになります。それでも、さっき
見られた舘山寺温泉のものと見られる建物の姿がより大きく見られた
ところがあり、その風景に欠けていた観覧車の姿も見つけることができるかも
知れないと、湖岸沿いの道をさらに南下してみることにしました。
ある程度進むと湖岸には何やら教会のような施設が広い面積を占める施設を
形成していて、しかも確かに観覧車の姿を見ることはできましたが、
その姿はまたも高速道路の巨大な橋に邪魔されているという結果になって
しまったのでした。
確かに地図上では舘山寺温泉までかなり近いらしいことはわかったのですが。

一旦来た湖岸の道をそのまま寸座駅へ戻って行きましたが、今後の
スケジュールを考え、頑張ってとなりの西気賀駅まで歩いて進んでみることに
してみました。足のまめがひどくてちょっと大変ではありましたが。
寸座の集落を抜けた道はすぐに湖岸沿いに出て、青空の元に青く広大に
広がる湖面を大きく眺め渡しながらのんびりと散策していくことができました。
引佐細江といいながら周囲の丘陵は、無数の鉄塔を刺されながら小さく広がる
のみの、穏やかで広大な湖面の姿をしばし堪能していくことができました

暫くすると向山のみさきという、地図上では少しだけ陸地が湖の方へ突出して
いるだけの所があり、小さい貸し別荘が小さい休憩所を設けているところと
なっていました。もちろん青空の元に湖の青々した風景をのんびり
眺めることのできるところでしたが、私的な観光安内地図が掲示されていて、
これから向かおうとしている西気賀駅の所で湖に突出している陸地、自分も
地図で見て奇妙に感じていた所が、昨日上皇となった陛下が9回ほど訪れて
いてプリンス岬と呼ばれているのだと記されていたりしたのです。

引き続き穏やかな湖岸に沿う道を進んでいくと、道路の方が大きくカーブを
切るところに法面を含めてツツジの花壇が成長しはじめている所があり、
湖岸も観光地仕様に固められて何やら石碑の類も点在する所になって
いきます。そしてなぜか湖岸には踏切や腕木式信号機を玄関先に立たせる
普通の電機屋が現れたりもしてくれました。

そんな感じで推移した道ではありましたが基本的には穏やかな湖面に
接したまま、西気賀駅の周辺の集落へと進んで行き、そして例の
プリンス岬への入口も見つけることができました。
特に案内があったわけではなく、あくまで普通の住宅が海岸に面して
続くだけでしたが、やがてたどり着いた突端にも特に案内はなく、
ただ三方を青い穏やかな海原に囲まれた穏やかな岬で、地元の中学生
男子達がゆっくり過ぎる時の流れを適当にやり過ごしている、
そんなのどかな岬となっていたのでした。
突出する半島の反対側には何やら整備された庭園のようなものが
作られていたのですが、敢えて立入禁止の措置がされていて、
ここに至る経緯がどのようなものなのか、ちょっと気になってしまいました。

地図上で線路が浜名湖に接しているのはだいたいここまでで、あとは
ちょっと早いけど温泉にも使っていこうかと思っていたこともあり、
まだまだ明るい時間でしたが少しずつ引き返し始めることにしました。
駅舎にフランス料理屋の入っている、文化遺産になっているらしい
西気賀駅から列車に乗れば、列車からも寸座から歩いてきた道を部分的に
なぞっていき、穏やかな青い湖面の姿を大きく見られるところもありました。
そして峠越えでは森の中を進んだり、浜名湖佐久米では高速道路に
邪魔された景観を見つけたりと、ここまでの道を復習するように歩みを進め、
まだ下りていなかった都筑駅へと降り立ちました。

焼きたてパン屋の入っている都筑駅をあとにして、線路と並走する坂道を
下っていけばすぐに、県道扱いとなっている浜名湖周遊自転車道への入口が
見つかりました。
今日ここまで、湖岸をなぞる道であってもそれがすなわち大通りであることが
ほとんどで、車だけでなくバイクや自転車も引っ切りなしに私を追い越して
行くことが多かったわけですが、時間も若干夕方に近づいたこともあるのか
自転車の数もさほど多くはなく、車に煽られることもない、のんびりと湖岸を
散策できる素晴らしい道に出会うことができました。

湖はつねに自転車道に接して大きく広がり、基本的には空も湖水も青々とした
穏やかさを保っていましたが、太陽が近づいているさっきの奥浜名湖駅近くの
リゾートホテルが建っている辺りは余りに眩しい白っぽい世界になって
いました。
湖に迫り出す陸地の外縁を丁寧になぞるような自転車道に身を任せるように
穏やかな湖面を堪能しつつ歩みを進めていきます。
やがて自転車道は、湖岸の丘陵の麓に開発された別荘街へと誘われて
いきました。一般的な住宅街の建物とはだいぶ違う個性的な建物達が、
一般的な住宅街よりもゆとりを持って配置されており、
メインストリートに進めばツツジの生け垣が道を鮮やかに飾り立てて
いるところでした。

行こうと思っていた温泉はこの団地の中にある巨大なかんぽの宿だったの
ですが、いざ敷地に入ってみると、まだようやく夕方と言えるかどうかと
いった時間だったにもかかわらず、連休中は2時で受付終了と冷たく
追い返される結果になってしまったのです。
普通一般的な人々が風呂に入るのはもう少し遅い時間だと信じていた
私は、まだ早すぎると言われるならともかく、一瞬全く理解ができない状態に
陥ってしまいました……。
近辺の他の日帰り入浴ができる施設の検索も試みましたがどこも
リゾートホテル価格だし、旅路のほうも今日見たかったものは一通り
見終わった感じにもなっていたし、今日はちょっと早めに宿に戻ろうと
決めたのでした。

そんなわけで都筑駅から下り列車に乗り込み、時々車窓に大きく
穏やかな浜名湖の青々した姿を見ることができたものの、眩しい新緑の
森の中を走る風景の方が見られる機会が多かった車窓を復習しつつ、
少しずつ夕暮れの雰囲気を濃くしていく車窓を楽しみ、新所原駅へ、
そして東海道本線に乗り継ぎ、新所原駅からはもろに逆光に見えていた
立岩が、前を通りすぎると今度は順光に変わって凛々しい姿を見せるように
なったのを楽しみつつ、豊橋駅へと戻って行ったのでした。

ネットで検索して、ここ豊橋は餃子も有名だということを知り、人気店らしい
西口にある小さい店の行列に加わって持ち帰り餃子を購入し、今日の夕食は
部屋で摂ることに決めたのでした。
 

船町、二川、新所原、下地(2019.5.1)

murabie@豊橋市です。
昨日に引き続き今日もぐずつき気味という天気予報、出発の時点では
雨は降っていなかったけれど一応長靴や雨傘を準備しての出発です。

今朝はまず飯田線の列車に乗り込み、線路がたくさん並ぶ中を
住宅地に囲まれながら一駅だけ進み、船町駅に降り立ちました。
豊橋から数駅間は飯田線と名鉄線が線路を共用しているという
鉄道なんとかの常識はだいぶ前から知ってはいたのですが、その区間の
途中駅に降りたことはなかったので、今回その辺りをちょっと研究して
みようかなあなんて思ったわけです。

そういうわけで、ホームに降り立ってもしばらくは外に出ず、細いホームに
行き交う列車の姿、特に完全にJRの駅でありながら名鉄の赤い列車が
平気でかっ飛ばしていくという姿を今回何度も目の当たりにすることができ、
とても満足することができました。
駅は近くの豊川に架かる橋を渡るために高台に上ったところにあるため、
周囲に集まるマンションや家並み、使われていないレールが伸びる
コンテナ駅の姿を高台から見渡す格好となります。

駅の周辺に広がる何でもない住宅街に歩みを進め、豊川の堤防の上に
上ってみれば、どんよりした空の下ではありましたが広大な空の下に
緩やかに蛇行するゆったりした豊かな川の流れが大きく広がりました。
北島河川敷公園という小さい公園が葉桜に囲まれていましたが、
川の流れのすぐ先には昨日訪れたとよばしや、その先に大きい警察署の
建物に寄り沿われて川沿いの崖の上に佇んでいる吉田城の姿も
見ることができました。

吉田城とは反対の方に歩みを進めれば、豊かな川の流れの中では何人かの
人々がシジミ取りか何かをしているのどかな風景となっていました。
堤防上の道は豊川を渡る鉄橋で途切れてしまいますが、園地となる広い
河原へ下っていて、JR持ちの線路に名鉄の列車が駆け抜けるのを下から
見上げたり、模型と同じような形の古めかしい橋脚が並んでいたりするのを
見て、線路の反対側へと進んでいきます。
どうもこのあたり、川遊びのできる場所というらしいことになっている
みたいで、早くも車で乗りつける家族連れの姿をたくさん見ることに
なりました。

在来線だけでなく、その先に架かる新幹線の橋にも引っ切りなしに
列車が往来していて、ちょっとした遊び場となっている在来線と新幹線の
間の川岸の風景を楽しみつつ、堤防の外側に広がる住宅街へと歩みを
進めていきました。
パレット倉庫などのいかつい建造物も紛れ込んでいましたが、基本的には
何でもない住宅街で、ただその住宅街を囲むような線路に引っ切りなしに
列車の往来する音が響き渡る所でした。

思いのほか長居することができた船町での滞在を終え、飯田線で豊橋に
戻り、引き続き東海道本線の上り列車に乗り継いで、大きな工場の姿も
紛れ込む住宅街を進み、隣の二川駅へと進んでいきました。
宿場町として有名らしく、ホームの壁や駅舎の外装もきっと意識して
作られたんだろうなといった感じだったりするほか、並走する新幹線の
姿を駅舎の中から大きく見ることのできる駅でもあったりします。
そして駅の北側には、きのう赤岩口の辺りで見られたのと同じような形の
丘陵が控え、新緑の斑模様を示しています。

調べれば調べるほど見どころがたくさん見つかる駅だったりしましたが、
まず最初に岩屋緑地を訪れてみることにしました。
駅をあとに歩みを進めればすぐに、こんもりした新緑の丘陵のてっぺんに
展望台らしき建造物を載せている丘陵の姿を見ることができます。
そしてそれと隣り合うようにして裸の岩礁のような丘があり、観音像らしき
ものが裸の岩礁の上に立ち尽くしている様子も見つけることができます。

岩屋緑地は展望台を載せる丘陵の足元に広がる、新緑の眩しい木々に囲まれた
公園でしたが、その一角のうっそうとした薄ぐらい森の中の緩い上り坂を
上っていくと、程なくして岩屋観音というお寺の入口が現れました。
お寺の境内にはいくつかお堂も立つのですが、地層を荒々しく露呈した
険しく切り立つ山肌の中に、小さい観音像がいくつも埋め込まれるように
佇んでいたり、すこし奥へ進むとその岩盤がすこしえぐられて
浅いけれど大きな洞窟状になっているところがあって、そこにも観音像が
たくさん佇んでいたりしました。

その荒々しく切り立つ岩山の裏手に回り込むと、頂上の観音像のところへ
向かう道なき道が通されていました。
一応しっかりとした鎖が道筋を示してくれてはいましたが、ごつごつした
岩の面がそのままになっていて、すこしでも安定なところを見つけて足を
踏み締めながら、渡された鎖をしっかり掴んでゆっくりと着実に
上っていく必要のある道で、恐怖感も感じるのだけど、辺りの風景は
みるみる間に素晴らしい展望へと変化していったのです。
頂上に展望台を載せる小山は、新緑の斑模様となりながら隣に静かに
佇む存在となり、そして参道の時点から、二川駅周辺や豊橋の方に小さい
建物が密集して広がる展望が広がりはじめていたのです。

観音像にたどり着けば、眼下には周辺の街並が広範囲に広がり、そして
その街並を突っ切るようにして引っ切りなしに新幹線が往来します。
曇り空なのであんまり遠くの山並みは見えないのだけど、町並みの
向こうには、渥美半島の北側の工場群や丘陵の姿もうっすらと望めた
ような気がしました。
そして隣の山や眼下の森林は眩しいばかりの新緑の葉を繁らせていました。
スリリングな参道、スリリングな頂上ではありましたが、それだけに
周囲に広がる展望は素晴らしいものでした。

下りの道もチェーンを頼りにごつごつした岩場の間をゆっくり下ることと
なりました。
下界の岩屋緑地の片隅には豊橋市地下資源館という、職業柄ちょっと
そそられる感じの博物館があるようで、さっきの観音様の乗る地層を
露呈した岩盤などのこの地の地形地質について知見があるのかなと
思って入場してはみたのですが、内容は鉱物資源やエネルギー資源に
関する一般的なものっていう感じが強かった気がします。その分、
親子で遊べる科学おもちゃなどが人気を博してはいたようでした。

お昼近くになり、小雨がぽつぽつしてきた感じはありましたがまだ
傘をささなくても何とかなるレベルでした。
一旦西側から駅前へ戻り、そのまま東側へと歩みを進め、旧東海道
二川宿の街並を散策してみることにしました。

最初は新緑の丘陵に見守られながらもどこにでもありそうな街並が
広がるのですが、道路の道幅がある所から急に狭くなり、なんとなく宿場町に
突入したことを感じさせてくれます。
でもかといって建物が急に古臭くなるというわけではなく所々に格子戸を
備えた古めかしい瓦屋根の建物がちりばめられるといった感じで、新しい
建物も積極的に古めかしく造るようなことにはなっておらず、むしろ
新興住宅街の建物そのものといった感じのものもあったりしました。
それでも二川宿の紋章の入った暖簾を玄関先に掲げるという形で
統一した街並を造ろうとしていることは感じられました。

本陣の近くまで進んでいくとさすがに古めかしい建物の頻度も上がって
いきましたが、当時存在していた旅籠の名前を玄関先に掲示するという
工夫がされているようでした。
本陣の中は有料ということで敷居が高いかと思いきや、道路からでも
内部の一部分は見ることができるような作りになっていたりして。
しっとりとした旅情を強く感じられる領域ともなっていましたが、
それでもむしろ昭和レトロ的なコンクリート建造物が存在感を示している
箇所もあり、そんな建物が精肉店となって揚げたてのコロッケの匂いを
辺りに漂わせていたりもしていました。
近くには駒屋という商家の建物の中が公開されていて、黒い柱や壁に囲まれた
建物に畳が敷き詰められ、簡単な庭園となっている中庭の側を渡り廊下が
通過し、そして離れの渡り廊下からは明るい外の世界、塀で囲まれた中に
古めかしい味わいのある蔵がいくつか佇んでいて飲食店や駄菓子屋として
用いられている風景を眺めることのできる、昔から変わらないのんびりした
時の流れを感じさせてくれる雰囲気が漂うところでした。

小雨がぱらつくようになった曇り空のもと、とりあえず宿場町の古い雰囲気を
端から端まで一通り楽しんでから、同じ道をのんびりと駅へ向かって
引き換えしていきました。
引き続き駅の反対側へと移動し、駅から程近いところにあるらしい、
のんほいパークとよばれているらしい公園をめざすことにしました。

地図上で見る限り広大な公園であるように見え、散策するところとして
支障はないものだと思い込んでしまっていましたが、実はその領域
全体が豊橋市動植物園という有料施設となっていて、
しかも引き返すなどということも考えず気がついたら入場料の
支払いまで済ませてしまっていたりして。

中は有料なだけあってよく整備された遊び場となっていて、たくさんの
家族連れでごった返している状態でした。
とりあえず園地の中心で目立っている展望台の頂上へ、エレベーターで
上っていけば、周囲にはさっきの岩屋緑地に岩屋観音も佇んでいるのが
見られる二川から豊橋の街並の風景が広大に広がっているのを
見ることができました。
眼下の公園は新緑の領域が斑に混ざり合い、周囲の丘陵の中にはさっき
訪れた展望台のある丘陵や岩屋観音を載せるごつごつした岩礁のような
山の姿も見ることができ、さっき岩屋観音のところから見たのと同じように
眼下の街並を新幹線が超高速で突っ切っていく風景を楽しむことが
できました。

雨脚はここに来てさらに強まり、さすがに傘の準備と、靴を長靴に履き替える
作業が必要となってしまいました。
とりあえず長居はできないなりに、重要な部分を落とさないように散策して
見ようといろいろ試みて見たわけです。
まずは園内のメインストリート、若草色の葉が繁りはじめている
ラクウショウの並木道を行けば、噴水から発する水路も整備されている道に
たくさんの家族連れが往来し、おそらく恐竜関係の展示もされていると
思われる自然史博物館の近くへと進んでいきます。
自然史博物館の庭には等身大の恐竜の模型の姿がラクウショウの森の中に
佇んでいました。

動物園の領域へ進めば、閉鎖領域も含めるとものすごい数の動物と会えそうな
感じではあったけれど、今回はざっくりと、簡単に会えるものとだけ
会っていくという方針で、フクロウ達、めちゃくちゃかわいいコツメカワウソ、
のどかに広がる大沢池、極地動物館のアザラシやペンギン、シマウマ、カバ、
マンドリルと、全部見れない割にはそこそこ満足できるルートをたどり、
そして植物園へ回ってボート池を眺めたり、水路や小さい池に広がる
モネの睡蓮池であるとか日本庭園であるとかの穏やかな水辺の風景を
楽しむことができました。

そんな感じで下調べが不足していたんだろうといったことは重々承知の上で
予定よりも見どころが多くて長居時間を滞在することになった二川の街を
あとにし、東海道線の上り列車に乗り込んで一駅、実は静岡県に入った
ところとなる新所原駅へと降り立ちました。

正直、新所原では県境が踏めればいいやくらいの気持ちでいたのですが、
昔青春18切符旅で通過したときの新所原駅には何やら県境を示すものが
ホーム上に会ったような気がしたものだったけど、今日訪れた長い
ホームにそのような標注の類を見つけることはできず。
でも駅の外に出れば県境を示すカントリーサインは大通り沿いにすぐに
見つけることのできるくらいの難易度の低さだったりするわけです。

でもさすがにそれだけでこの街の探訪を終えてしまうのも、といった感じで
ネット検索していると、豊橋市側に少し進んだ所に立岩という山があるらしく、
県道上をさらに進んでいくことで、屹立した岩盤を擁する小さな山の姿を
見つけることができました

周辺には立岩の名をかたるパチンコ屋や飲食店もあったりしましたが、
その場所に近づくほど、屹立する岩盤の表面の姿はよりはっきりと
見て取れるようになってきましたし、道路の反対に佇んでいるはずという
椀かせ岩というものも、案内は全く存在しなかったのだけど、田んぼが
広がる中にあって自然岩が大規模に露呈しているところとして認識して
あげることができたのでした。
あとは新所原駅に戻りながら、集落の中の道へ迂回して、立岩をより大きく
あるいはより美しく見ることのできるところを探して、小さい公園や、
佇む溜池の辺りも検討してみたりして、ただちょっと訪れただけのはずの
所に大きな思い出を刻んでいくことができたような気がしました。

夕刻に差し掛かった頃、新所原駅から下り列車に乗り込んで豊橋まで
歩みを進め、引き続き飯田線へ乗り換え、飯田線と名鉄線の共用区間上の
もう一つの駅である下地駅へと進んでいきました。
さっきの船町駅から広大な豊川を渡ってすぐの所にある駅であり、
ホームの南端に立てばゆったりと蛇行して流れる豊川の流れの先に
吉田城の姿も何とか確認できるような駅です。
船町と違って上下線のホームが離れているような感じで、余裕を持って
列車を追えるような感じがして、ここでもしばし名鉄線の列車が
堂々と通過していく風景を追い求めてしまいました。

辺りには夕暮れの姿が現れはじめた頃でしたが、下地駅をあとに一瞬だけ
豊川の堤防に上ってゆったりとした川の流れの姿を愛でたあと、
何でもない住宅街が田園風景と入り混じるような路地を散策していき、
瓜郷遺跡というらしい所へと進んでいきました。
眩しい黄緑のは桜に囲まれる小さい公園の中に、弥生式の住居が復活して
展示されているだけの静かなところだったりしました。

あとはこの近くにあるスーパー銭湯に寄って行くだけといった感じで
田園の広がる路地を進んでいったのですが、地図を検索したときに
どう読めばいいのだろうと考えてしまった満光寺というお寺の存在が
示されたので、ちょっと寄り道をしてみることにしました。
差し掛かったところ駐車場も広く、山門もなくて柱のあとを示すものが
路面に穿たれているだけという、街の中にありながら荒涼とした雰囲気の、
とりあえず本堂だけは立派な形で佇み、その周囲には大事にされて
いるらしい小さい鐘の吊されるお堂が立っていたりします。
しかし山門がないせいか、どこのお寺でもあるようななんとか山なになに寺
みたいな標札の類が一切見つからず、お寺の名前を示しているものは
駐車場のところで手書きされた満光寺という文字のみ、
やっぱり本当にそういうふうに読むんだけど敢えてごにょごにょしているんだ
なんていう妄想ばかりが掻き立てられてしまう結果となりました。

ここから程近い所にあるスーパー銭湯で高濃度炭酸泉を含むいろいろな
お風呂を楽しみ、なんとか雨も上がってくれた夕方の農村をのんびりと歩いて
豊川のほとりの下地駅へと帰還、飯田線の列車に乗り込んで豊橋へと無事に
戻ることができました。
今日の夕食は駅そばの類なんだけれど、壺屋のきしめんを楽しむことに
したのでした。
 

豊橋鉄道東田本線沿線(2019.4.30)

murabie@豊橋市です。

今日はあいにくの雨となってしまいましたが、一応雨対策の装備を簡単に
整え、長靴と折り畳み傘とともに豊橋の街へと出発しました。

今日は一日を路面電車の沿線で過ごすことにしていましたが、
朝の便は部活に出かける高校生達の団体乗車があったりして、結構な混雑、
こんな天気だと窓がしっかりと曇ってしまい、あまりのんびりと旅を楽しむ
ような風情ではないままでした。
まず最初に坂道となる石畳の軌道を往来する電車の姿でも愛でようと、
東田坂上駅で下車し、一つ手前の前畑駅へ向かってゆっくりと歩き進むと、
下り坂となって視界いっぱいに石畳の軌道が広がって、街の中心部に比べれば
おとなしいのだけど、無機的な大きな建物が幅の広い道の外側を固める
風景の中に、小さな電車が上ってきたり下っていったりする風景を、
雨模様ながらしばし楽しむことができましたし、坂の上の方を振り返れば、
遠くから小さい電車が下ってきて目の前を勢いよく通りすぎていく様子も
楽しむことができたのでした。

前畑駅から乗り込んだ電車がたまたま赤岩口行きだったので、そのまま
終点まで乗り通すことにしました。
客は少なくなったとはいえ窓は曇ったままでしたが、前面を見ていれば、
競輪場前から単線区間になって道幅がさらに狭まった大通りのど真ん中を
ゆっくり走っていく風景を楽しむことができます。
井原の分岐は思っていたよりシンプルな構造で、引き続き単線のまま
大通りを進み、雨に煙りながら新緑の丘陵の姿が近くに寄り添うようになって
終点の赤岩口駅へたどり着きました。

駅に隣接するようにして車庫があって、いくつかの車両が休んでいるところ
でしたが、線路は駅の先へ少しだけ伸び、車庫からの線路と合流して少し
伸びてから唐突に途切れていました。
車庫の中で入れ替えをするときには一旦列車が本線との合流地点、すなわち
道路にまで出てきてから戻っていくというダイナミックな光景が展開し、
もしかして見学客へのサービスかと思わされるくらいの迫力を感じました。

周辺の見どころとなる赤岩寺へはバスに乗った方が便利なような宣伝
でしたが、駅の近くを流れる浅倉川のほとりには遊歩道が通されていて、
まあここならお手軽かと、長靴を履いていることをいいことに水溜まりなど
気にすることもなくずんずんと歩き始めてしまいました。
ほんの少し前ならきっと桜の名所と言われていたのだと思われる道は、
葉桜の新緑のみずみずしい色に囲まれていて、木々の合間から覗かれる
川は、斜面に刻まれた段差を飛沫をあげながら清冽に流れ下っていました。
最初地理がわかってなかったときは、また赤岩口に戻ってバスに乗るでも
いいかとか思っていたのですが、進めば進むほど、多米西町とか赤岩寺に
近づいているかのような住居表示を見ることができて、雨は厳しくなって
来たけれど、不思議な安心感を感じながら、新緑の遊歩道や新緑の川原の
風景をのんびりと楽しむことができました。

川沿いの新興住宅街の中に現れる小さな公園や大きな公園で、さらに
新緑の風景を見つけながら適宜休憩を取りつつ歩みを進めていき、
ついに、北側に新緑の山肌を大きく広げる山並みを控えつつ、赤岩寺の方へ
進んでいく道を見つけることができ、新興住宅の中の静かな大通りを歩んで
いきました。
何やら多国籍な雰囲気の商店が現れる交差点をさらに、正面に立ちはだかる
丘陵の足元へ向かって歩みを進めると、広く開けた空の下に古めかしい
山門が佇みます。

いかつい顔と体の仁王像を山道の両側に見て、遅咲きの桜さえ葉桜に変わり
つつある並木道の山道をさらに進み、鯉の生きる小さな池に
黄色いコウホネの花が咲いているのを見つけつつ、真っ赤な山門から
境内へと進むと、古めかしい木造のお堂がいくつか、明るい空の下に
丘陵の斑な新緑の山肌を背景にして佇みます。
新緑の森の中へ急な角度で上っていく石段があったり車道が伸びていたり
して、本当に面白いところはさらに奥の方にあるような気もしましたが、
単純に雨なだけでなく風も強くて折り畳み傘が全く役に立たない状態で
無理はできないだろうと、今日はおとなしく退散することにしました。

風雨の勢いがおさまらない中、程近くにあるという情報を得ていた
旧多米小学校の校舎を利用した民俗資料収蔵室へ、何度も傘の骨を
おられる強風の中を堪え、体をずぶ濡れにしながら訪れたのですが、
開館しているのは土日だけということのようで今日は通せんぼされて
しまいました。
大通り側に回り込んで、水浸しの校庭の奥に古めかしい横に長い木造の
校舎がひっそりと佇んでいる風景を見ることはできましたが、建物の
中に入って紹介された写真の風景を目にすることは、どうも今日は
できないようでした。

そんな感じですっかりずぶ濡れになってしまった多米西町の散策を切り上げ、
ちょうどやってきた赤岩口行きのバスに飛び乗って、素朴な道に大きな店が
姿を見せる大通りをひた走るバスに身を任せて赤岩口へ戻り、
すぐに路面電車に乗り継いで、曇っている窓から単線区間、複線区間の車窓を
垣間見つつ、豊橋公園前駅で電車から降り立ちました。

このあたり市役所を初めとした官庁街のようで、寄り添う建物も大きく
でもこの天気で人通りは多いわけではなくひっそりとした雰囲気の中、
まず近くに見つけた安久美神戸神明社という神社を訪れました。
周囲をビルに囲まれながらよく守られている神木たちが明るい新緑の葉を
繁らせている厳かな雰囲気の中に、大きくて古めかしい木造の神殿や、
そのほかいくつかの木造の厳かな神殿が集まっているところでした。
その一つの中では、鬼まつりの紹介らしく、等身大の鬼の人形が外に向かって
立ち尽くしている所もあったりしました。

明るい大きな通りに出て、欅などの新緑が眩しいばかりの黄緑色の明るい
葉を繁らせている豊橋公園の領域へと歩みを進めていきました。
雨の勢いこそ弱まったもののまだ風も強く、まだ傘を手放すことはできない
状態でしたが、テニスコートなどの運動場の集まる新緑の薄暗い通りを
進んでいき、明るく切り開かれた駐車場から、一旦園地を北側に
脱出するような薄ぐらい遊歩道へと歩みを進めてみました。

ひっそりとした薄暗い道をたどると、城の北側に流れる川に架かる橋を
見つけることができました。
細いながら大量の水を流す朝倉川が、大量の褐色の水を流しながら大きく
屈曲する豊川へ合流する地点となっていて、対岸のカーブの内側となる
所にも芦の茂る湿地が発達している様子が見て取れます。

一旦城内の領域へ戻ると、新緑の木々に囲まれて薄暗い中に遊歩道が
通される園地となっていましたが、吉田城跡の三の丸というステージ状の
領域を経て、石段の道を越えていくと、本丸跡の領域へと誘われていきます。
周囲を石垣に囲まれながら、葉桜や新緑の木が新緑の芝生の上に育ち、
一番奥には鉄櫓と呼ばれるらしい白い立派なお城の建物がそびえ立って
いる所でしたが、その隣の火薬庫跡とかいうステージへ登ると、
大きく屈曲する豊川の大きな流れを見渡すことのできる展望台のように
なっていました。
近くには石垣の中を急な角度で下っていくことができるような石段が
設けられていて、豊川の流れのほとりまで下ると、新緑の森に囲まれて
古めかしい石段の上に白く立派な櫓が建っている風景を見上げることが
できるようになっていたのでした。
このあたり、石段に用いられている石に刻印が刻まれているということを
わかるようにした掲示物がそこかしこに設けられていて、実際に刻印を
探しながら楽しく散策することができるようになっていました。

雨の勢いは弱まりながらもまだ強風のもとに小粒の雨が舞い続ける
コンディションの下、吉田城趾の領域を抜けて新緑の森のような豊橋公園を
あとにし、さっき鉄櫓の展望台から見えた豊川に架かる吉田大橋へと
歩みを進めてみました。
道すがら、城内にも説明のあった歩兵連帯とやらの、煉瓦造りの門が現役の
中学校の片隅に佇んでいたりもしましたが、
吉田大橋に差し掛かれば、橋の下をゆったり流れる大きな流れの向こうに、
うっそうとした森に囲まれながら吉田城の鉄櫓の姿が堂々と立ち尽くす姿を
眺めることができました。
対岸の、屈曲して流れる川に突き出すような、芦の繁った河原の側にも
進むことはでき、その辺りからも吉田城の立派な姿を見ることのできる
スポットを確かに見つけることができました。

吉田大橋から豊川の下流の方へ向かう領域にもいろいろと史跡の類が
あるようだったので、強風と霧雨の舞う中引き続き散策を続けました。
橋の袂のすぐ近くにあった吉田神社は何ていうことのない小さいお社
でしたが、手筒花火の発祥の地とされているらしく。
適当に周辺の住宅地を彷徨いつつ大通りに出れば、西惣門跡という、
小さい門が復元されている所があり、そこから川へ向かって川沿いの
道を進めば、次の本当の東海道のとよばしという橋の袂に、湊町公園という
築島弁天社という池の上の弁天様を祀る小さい公園が開いていたりするのを
見つけることもできました。
交差している路地を複雑にたどっている東海道の道標を参考にしつつ
大きい建物を集めながら静かに佇む町並みをたどっていくと、札木という
電停に近づいた辺りでは通り沿いに吉田宿脇本陣跡や本陣跡といった史跡も
見つけることができたのでした。

札木駅にやってきた次の下り電車に乗り込み、雨の勢いは収まったけれど
湿度の高い車内の雰囲気に堪えながら、官庁街から素朴な複線区間、そして
単線区間へと進んでいき、2つの路線が分岐する井原駅で下車してみました。
分岐する前後ともすべての方向が単線なので配線は至って単純で、道路の
真ん中に続く単線区間に走る電車の姿をそれぞれ眺めて楽しんだり、
そこから一つ手前の競輪場前駅へ戻るように歩みを進めながら、単線区間から
複線区間へ向かう列車の往来の仕組みを学んだり、建物が集まる中に強引に
引き込んだような車両2つ分だけのスペースを持つ市内電車営業所に待機する
列車の姿を見つけたりしていました。

競輪場前駅から下りの運動公園前行きの電車に乗り、井原で分岐して
郊外型の飲食店舗の集まる通りの真ん中を少しだけ進んで、
やはり線路が唐突に途切れている運動公園前駅へとたどり着きました。
駅のすぐ近くには岩田運動公園という広大な施設があり、テニスコートや
野球場の間に巡らされる道には新緑の銀杏並木が茂る明るい雰囲気と
なっていたりします。
ようやく傘をささずに園内を散策できるほどに天候は回復してくれ、
新緑の森に包まれてツツジの花が華やかな雰囲気を作る遊歩道を通過して
表れた、水神池という池の周りの雰囲気を楽しむことができました。
池に注ぐ水路の部分や周辺の一部にはヨシがうっそうと繁っていたり
したのですが、あまり段差のない池の周りの緑地から水面のすぐ近くに
佇んでみれば、雨が収まってよりくっきり見られるようになった、石巻山と
いうらしい尖った山や、赤岩寺の背景にそびえ立っていた、斜面を斑な新緑に
彩られている丘の姿を背景として穏やかに広大な湖面が広がる風景を
のんびりと楽しむことのできる所でした。

さほど大きくはない池の周りをのんびり散策しながら、葉桜などの新緑と
穏やかな湖面のコラボを楽しみながら水神池の散策を終え、電停へ戻って、
上り列車に身を任せ、複線区間へ立ち入った次の駅の東田という駅に
降り立ってみました。
下りて見たところが実はここは安全地帯のない駅、電停を示す道路の
ペイントが並走する車道の向こうに塗られていて、わけもわからず
降り立っていたところ、危ないですから渡ってくださいと放送で注意される
一幕もあったりと。そんなコンプライアンスも何もあったもんじゃないって
感じの古きよき電停の姿をしばし様々な角度から愛でていたのでした。

東田駅から北側の住宅街へと歩みを進めてしばらく進むと、仁連木という
交差点が現れ、そこからすぐ近くの大口公園という園地が実は仁連木城の
城跡だったりしました。もちろん建物は一切残っていないのだけれど、
敷地を囲むような土塁のようなものや、ステージを区切る空堀のような
ものの存在は何となく見て取れ、それらが特に広場として整備されている
わけではなさそうなうっそうとした新緑に包まれている、小さな公園の
姿に出会うことができました。

ここからは豊橋競輪場はすぐ近くでしたが、今日は場外車券場として
機能していたらしく、解放されて金網越しに望まれるバンクはひっそりと
するばかりだったけれど、城内にはおじさんの姿がたくさん見られたり
しました。
隣の東田球場との間に通された歩道を歩み、少なくとも野球場の方は
ツツジの花に彩られて華やかな遊歩道となっているのを見ながら
歩みを進めると、道は浅倉川の河岸へと誘われていきました。
街中の川の流れといった感じで、固められた護岸の底にそこそこ豊かな
水量が飛沫をあげながら流れていく風情を楽しむことができたのですが、
河岸の斜面にはたくさんのツツジの花が植えられ、特に川に架かる橋の
近くの河岸は、ピンク色のツツジの絨毯が敷き詰められているかのような
風景を楽しむことができる状態となっていたのでした。

ここまできて辺りは次第に曇り空ながら夕暮れの風情を示すように
なってきて、最寄りの駅だった井原駅へと歩みを進め、最後に市内電車の
車窓を復習すべく、駅前行きの列車へと身を任せたのでした。
競輪場前までは単線区間で差ほど広くない大通りの真ん中を通り抜け、
通りすぎると傷んだアスファルトで固められた複線区間となり、道幅は
少しは広がりましたが、ペイントのみの電停の東田を過ぎ、東田坂上の
石畳の坂道に差し掛かって道幅はようやく少しだけ広く感じられるように
なり、東八町を過ぎるとセンターポールが築かれて辺りは急激に大きな
官庁街へと成長を遂げて、黄色い花が中央分離帯に咲き誇るようになり、
左折すると黄色い花は見られなくなったけれど、相変わらずの緑地の
中央分離帯が札木から新川と続き、そして豊橋駅へ方向を変えるようになって
最後の駅前大通電停を過ぎると一駅間だけ緑化軌道となっていて、そのまま
賑やかとなった駅前電停へと進んで行ったのでした。

今日は豊橋駅構内の食堂で、前から目を付けていた豊橋カレーうどんを
夕食とすることにしました。
いい感じで辛いルーが使われていて嬉しかったのですが、麺の下に、
すこし固められたとろろご飯が隠されていて、混ぜないでという注意に
従っていれば、麺を一通り食した後にとろろご飯を発掘できて、
余ったカレールーが二度おいしいという仕掛けになっていたようで、
単純においしかったのだけど、その意図を充分に感じることができたような
気がしました。
そして食後もう一度電車に乗って市役所前駅で降り、今日も近くの銭湯に
お世話になることにして、昨日よりも若干クラシックな雰囲気を漂わせる
タイル張りの浴槽で、今日ものんびり温まり、すっかり暗くなった街を
薄着でのんびり散策して宿へと戻ることができたのでした。

そしてテレビをつければどの局も、新元号とか新時代とかそんな話題で。
平成最後の日のうちに投稿できませんでしたが、
今後ともよろしくお願いいたします。
 

豊橋鉄道渥美線沿線(2019.4.29)

murabie@豊橋市です。

生憎の曇り空となってしまいましたが、予定通り今日は豊橋鉄道渥美線の
沿線を散策することにしました。
新豊橋駅から豊橋の賑やかな街並を抜け、愛知大学と時習館高校に挟まれた
しっとりした車窓、南栄からのうっそうとした松原の車窓を見て、
まずは高師駅に下車しました。

検車区に止まっているいくつかの列車を愛でた後、高師緑地という、
列車からはうっそうとした松原に見えた園地へと歩みを進めます。
園地に足を踏み入れれば、周辺は確かにうっそうとした松原で、
樹齢の古そうな、ごつごつしていたり複雑な形に枝を伸ばしていたりする
松の木もたくさんあったのだけれど、広大に広がる芝生の広場もあり、
それを囲む木々も決して松の木ばかりではなく、今が一番みずみずしい、
新緑の黄緑の葉を繁らせている木々の姿もたくさんあったり、低木層では
つつじの紫や白の花も鮮やかだったりします。
何やら子供達の試合の行われている軟式野球場の近くに通る車道には
メタセコイアの並木道ができていて、まっすぐ立つ背が高い木々が連続する
道に、やはり新緑の葉が繁り始めていたり。
何やら馬が飼われている牧場もあったりして、決してうっそうとした松原
だけの公園ではないということを、散策することで存分に感じることが
できましたし、線路際で少し待てば目の前を列車が駆け抜けていく迫力ある
風景も楽しむことができました。

そして、かつて豊橋鉄道の線路から分岐していたと思われる引き込み線の
あととなる緩やかなカーブを描く森の中の遊歩道をたどっていくと、
園地から出たところで、工事中の柵に囲まれながらではありましたが、
レールがまだ地面に埋め込まれたままになっている所を見つけることが
できました。
周辺の閑静な住宅街を迂回して、その線路の行く先を追いかけてみると、
立入禁止の柵で囲まれた宅地造成地が現れて、柵から出てきた引き込み線も
その造成地の直前で途切れてしまっていました。かつてあったらしい
ユニチカの工場の跡地が、何やら住宅地か何かに生まれ変わろうとしている
所を見つけることができました。

高師緑地に戻るともはや南栄駅に近い園の北端となってしまいましたが、
園地は大通りの対岸にも広がっているようでした。
対岸もやはり新緑の木々に囲まれる広場が広がる領域となっていたのですが、
水のない川の道に沿うように窪地に下る遊歩道があり、その先は、
芝生の緑地に囲まれるようにして静かに佇む、水のない池となっていました。
その名も空池という所で、今のように穏やかなときは単なるのどかな遊歩道と
なっているだけの所でしたが、そこかしこにある、大雨の時は立ち入らない
ようにという警告看板を見るにつけ、不謹慎ながら、その時はどんな風景に
なってしまうのだろうと考え込んでしまうのでした。

大通り沿いに古めかしい米屋の建物が紛れ込んでいたりする南栄の通りに
佇む工事中の南栄駅から列車に乗り2駅、切通のような薄暗い森から広大な
田園の中へと歩みを進めた芦原駅に降り立ちました。
別に名所があるわけでもない、ただもしかしたらのどかな風景の中を走る
列車の姿でも見られそうな感じがしたというだけの所でしたが、
線路の西側に出てみても、確かに段丘の上の住宅街に見守られる段丘の下の
広大な田園は広がったけれど、近くを流れているはずの梅田川の堤防の上に
登る道を見つけきらない状態となってしまいました。
まあのどかな風景なのは間違いないと納得して、川を渡っている
コンクリートの橋の上を走る列車の姿を楽しみはしましたが、駅へ戻る
道すがら、強引に堤防の上に登れそうな入口を見つけて、叢を掻き分けて
みれば、ゆったりとしていた川の姿を用や組み付けることができたのでした。

堤防上の道は線路の下をくぐるように続いていて、線路の東側へと回り込んで
みれば、遠くにイオンの姿をアクセントとしつつ、のどかに流れる川の姿を
より美しく楽しむことができるところとなっていました。
そして堤防上ではなぜか、おそらくここに居を構える買いたい業者か何かの
ものらしいのですが、山羊が河岸の草を貪っている姿にも出会うことができ、
駅へ戻る道すがら、コンクリートの橋を渡る列車や、芦原駅を出てこれから
橋に向かう列車の姿を、葉桜の姿とともに楽しむことができたのでした。

最後に切通を下って芦原駅へやってくる列車の姿をカメラにおさめた後、
下り列車に乗り込み、橋を渡って次の植田駅へ進みます。
梅田川の対岸に渡っただけといった感じでしたが、駅から河岸までの間には
水田だけでなく菜の花のような黄色い花を咲かせるキャベツ畑も広がり、
線路の反対側の変電施設の小さい鉄塔群を背景にして、キャベツ畑の中から
川を渡る橋へ登ろうとする列車の姿を見ることができ、適当に場所を
変えながら、のどかな風景の中を走る列車の姿を探していました。

田園をあとに次の向ヶ丘駅の方へ向かうと河岸段丘を登る格好になって、
水の張られたばかりの水田と学校が集まる道を進んでいくと、植田大池の
堤防が現れます。
堤防の上に上れば、フェンス越しにではありましたが、民家に囲まれながら
穏やかに広い水面を広げる池の姿を広々と眺め渡すことができました。
岸辺を周回できるような道はなさそうでしたが、すぐ近くにうっそうとした
こんもりとした小山が控える所までの短い岸辺を歩くことができるように
なっていました。
数匹のミドリガメが湖水を泳ぎながら鼻だけを空気中に出している愛らしい
姿を愛でつつ、池により沿う照葉樹林の中の石段を上れば、森の中に忠魂碑が
佇んでいるだけの所だったりもしましたが、石段の途中からは池の姿を
一望することができるようにもなっていました。

岸辺を一周できる道はなさそうだったので、素直に最短距離を次の向ヶ丘駅へ
向かうべく歩いていきました。
大通り沿いも湖岸も新興住宅地のような風情で、道沿いに普通に立つ
お医者さんの敷地が向ヶ丘駅への入口となっている状態でした。
駅の近くの湖岸には小さい広場のような公園があって、その奥は植田大池の
岸辺に接していて、対岸となるさっき訪れた照葉樹林の丘の姿までが
見渡せる、穏やかな水面が広がっているのを眺め渡すことができ、
そしてその湖岸に儲けられた藤棚に植えられた藤も、今まさに花盛りといった
風情となっているのを見つけることができたのでした。

向ヶ丘駅から、住宅地の間を進みながら巨大なバイパス道路をくぐっていく
列車に乗って、次の大清水駅に降り立ちました。
駅の周辺に広がる素朴な街並を北の方へ抜けていくと、大通り沿いには
岸辺を遊歩道で修飾された小さい溜池が現れました。
市の公共施設の方へ進む通りを横断すると別の溜池に関係する厳つい施設が
現れ、さらに大通りを横断して頭上を通過するバイパス道路の下へ進むと
また溜池があって、バイパス道路の橋脚が溜池の中心部に連なるように
林立していました。
岸辺が草生している溜池の水面を眺めながら歩みを進めると、公共施設の
駐車場が橋脚の周辺に広がり、その片隅に、花菖蒲公園というらしい小さい
園地が広がっていました。
この辺りかつては湿地が多く広がり、花菖蒲も群生していたようなのですが、
開発によって失われていったものを、わずかな面積ながら復活させることが
できたとかで、大事にされているもののようでした。
花菖蒲の季節にはまだ早いものの、細長い葉を元気良くぐんぐん繁らせていて、
少し待てば華やかな風景となっていくのだと思われます。

小さな溜池の周囲に巡らされた遊歩道の花壇や葉桜の風景を楽しみつつ、
踏切を往来する列車の姿も楽しみつつ、大清水駅へと戻って行き、
蔵王山に見守られる広大な水田の中をひた走る列車に身を任せて、
2駅先の杉山駅へと降り立ちました。

昔ながらの駄菓子屋さんが乗車券の販売を受託している小さな駅を
あとにすると、広大に広がる水を張ったばかりの水田や菜の花を
咲かせたキャベツ畑の間を歩いていくこととなります。
そんなのどかな風景はたとえ大通りに出ても変わることなく、
引き続き広大な風景の向こうの高台の新興住宅街の足元にかわいい
列車が行き交う姿を見ながら歩みを進めていくことになります。
北側の田畑の向こうには蔵王山の姿も大きく横たわります。

コンビニのある大通りの交差点から海へ向かう道へ分岐すると、
唐突にしっかりした堤防上の道へと進み、干潟状になっていた
対岸との間の細い加工のような領域を経て、あまり綺麗な色ではない海の
上にはなだらかな曲線を描く大きな橋が架かって、その向こうにいくつか
風力発電の風車を浮かべる工業地帯の風情となります。
蔵王山は海の上に浮かぶように佇むようになり、堤防の内側にも細い水路を
擁しているのを、新緑の雑多な木々の間に認めながら、のどかに大きく
広がる丘陵に囲まれた広大な水面の姿を愛でつつ、堤防上の道をのんびりと
散策していきました。
堤防の内側の水路は福住排水機場の所で少し豊かな水辺の風景を広げたり
していましたが、基本的には広大に広がる田園風景の一部となりつつ、
その最奥部の丘陵の上の新興住宅地に見守られながら時折列車が駆け
抜けていく風景を、のどかな田園風景の元に形作りつづけていました。

程なく堤防の外側の海は、用水路の小川の河口となって、干潟からヨシの
茂る湿地となっていき、海の上に浮かぶようだった蔵王山も、黄色い花を
満開に咲かせるキャベツ畑の上に浮かぶようになっていきました。
堤防に囲まれて蛇行してヨシの間を蛇行して流れる小川には水鳥達が
安らぎを得ているところでした。
この小川が豊橋市と田原市の境界となっているようで、豊橋市側は
水田が広がるのに田原市側は見事に黄色いキャベツ畑が広がっている
のを不思議に感じつつ、小川に沿って大通りへ戻ると、
ようこそ豊橋市へ、ようこそ田原市へという独特のカントリー
サインが道路上に現れるのどかな雰囲気となっていて、引き続き広大な
田園の中の道を、周囲を囲む丘陵へ向かって歩みを進めていけば、広大な
新興住宅街を控えるやぐま台という所へと誘われていったのでした。

やぐま台駅から列車に乗って、広大に広がる赤茶色の畑の風景から、一旦
うっそうとした生やしとなる切通の道を進んで神戸から田原の瓦屋根の
街並へ突入し、昨日も訪れた三河田原駅へとたどり着きました。
田原駅をあとに直ちに街並へと歩みを進めていきます。重厚な瓦屋根の
民家の集まる領域を、昨日も訪れた城宝寺の敷地を周回するように
進んでいき、大通り沿いに一際高い蔵を擁する田原まつり会館で早速一息
つくことにしてしまいました。
関内にはからくり山車の実物が展示されていたり、この地の有名な行事らしい
けんか凧についての展示もされていたりと、動きはないながら、この地の
活気を感じさせてくれるものだったように思います。

引き続き、城下町らしく路地が複雑に配されている中に実は新興住宅地が結構
広がっていたりする領域を歩んでいき、田原城惣門跡という史跡を訪れました。
現存するのは石垣のみのようでしたが、その上にはかつて渡辺華山が民を
飢饉から救ったという報民蔵が復元されていたりします。
隣接する大手公園は芝生の広場と思いきや、その周辺に若干ながら和風庭園が
開けていたりして、のんびり散策を楽しむことができるようになっていました。

高台の方へのぼっていくと、白い木造の洋館の雰囲気の、田原福祉専門学校の
建物が現れ、そのすぐ近くに、池の原公園という園地が姿を表します。
正門の背後には蔵王山が立派な姿を見背、つつじの花咲く園内の茶室では
華やかにお点前が披露されていたりするようでした。
園内には渡辺華山という先見の明を持ちながら生き残ることのできなかった
殿様の生き様を記したレリーフがあったり、自刃する前の1年程を過ごした
幽居が復元されていたりする、小さいけれど重意味を持つ園地となって
いたのでした。

そして住宅地の中の緩い坂を上っていくと、立派な土壁が現れて、
華山神社という新しい神社が大きい鳥居を構え、神殿の背景にやはり
蔵王山が立派な姿を示したりしていました。
ここから田原城跡の領域もすぐ近くに現れました。

桜門という立派な山門の周りに、お堀の名残の2つの池が復元されていて、
桜門をくぐると二の丸櫓という白く大きな重厚な建物が建ち、その周辺が
市の博物館として整備されている領域となっていました。
そこから山道沿いにはうっそうとした竹林が茂る空堀がうがたれていて、
その先の天主台の領域となる部分には、巴江神社という、どこにでもありそう
だけど立派な大きな神社が穏やかに佇んでいたのでした。

桜門の外側には交差点に小さい園地があって、風情のある櫓風の建造物の
中に公衆電話が設けられていたり、そこから大通りへ向かって整備された道を
歩んでいけば、交差点には同じように櫓風の建物が時計台となっていたり
しました。
住宅街の中の道をそのまま直進すると、はなの木広場という、周囲こそ
遊歩道で囲まれるもののなんでもない広大な運動広場が現れ、道をはさんだ
対岸には大きなショッピングセンターが現れて、広大な駐車場を奥までいくと、
新緑の斑な蔵王山の山肌が大きく広がる向こうに、広大に水田が広がって
いる風景と出会うことができたのでした。

歩みを進めれば、そんな田園風景を横切るような汐川という、
河口の近いせいかあまり動きのないゆったりとした川の流れに架かる橋を
渡ることとなりました。
蔵王山に連なるいくつかの丘陵に見守られるような穏やかな水面の風景を
のんびり楽しみつつ路地へと進み、次に交差した大通りに郊外型の店舗が
たくさん集まっているのを見つけたものの、すぐ近くに気配を感じた
神戸駅へたどり着くためには、少し大回りをして線路の反対側へ踏切を
横切っていく必要があるようでした。

ようやくたどり着いた、工場の裏手と新興住宅街の間に佇むような
神戸駅から上りの列車に乗り、丘陵の間の切通のような道を少し進んで
次の豊島駅へ降り立ちました。
駅の裏のうっそうとした照葉樹林にはとてもよく目立つ八柱神社が佇み、
上ってみれば、下界からでも見られた、真新しい立派な大きな神殿が
森に囲まれていて、ステージの片側はフェンスで囲まれながらも
展望台のように切り開かれ、ビニールハウスをいくつも抱える広大な
畑の風景を見渡すことができました。

一旦駅へと戻り、ひっそりとした集落の中を引き続き散策しました。
用水路を横断し、東部小学校の敷地に寄り添う緑地帯へ進むと、
ビオとうぶと名付けられていた、ようは自然の働きを生かしたビオトープが
設けられていて、緑の斜面に囲まれてひっそりと芦のむした小川が流れて
いるような所があったりしました。
蜆川という、草生した瓦に囲まれる細い川の流れを渡ると、その流れの先には
蔵王山が静かに佇んでいる風景となっていて、その足元に線路が通り、列車が
通れば一瞬のどかな世界が広がるかのような風情となります。
近くには公民館と併設されるように交通公園が設けられ、立派に機能する
信号機やレプリカの踏切なんかも配された小さい公園となっていたのでした。

夕暮れに差し掛かって、蒸し暑さを感じた昼間の空気も消えうせ
朝と同じように若干の肌寒さを感じるようになった中、豊島駅から上り列車に
乗り込みました。
まだ下りていない駅も若干残っていたけれど、もう途中下車の旅は終了する
ことにして、のどかなキャベツ畑や水田の風景から住宅街、松原や
薄ぐらい大学の風景から市街地へと移り変わっていく車窓を見せる列車に
身を任せていきました。

最後に大型スーパーで飲み物の買い出しをするために、新豊橋の一つ手前の
柳生橋駅で途中下車していきました。
JRの線路を跨ぎ越したところで柳生川を横断するところにある小さい駅で、
近くにはJRの踏切や新幹線の高架線も通っていて、いろいろな列車の姿を
楽しむことのできる所です。
あとは豊橋を目指すだけとなった大通りを横断し、柳生川に沿う
遊歩道のような道を歩んでいけば、のどかな川沿いの風景の対岸には、
確かオブラートで包まれたゼリーを作っている会社だったかの工場が
佇んでいたりして、目指していた大型スーパーに近づくと、葉桜が歩道を
覆うように枝を伸ばしていたりする、のんびり散策を楽しむことのできる
道が川沿いに続いていたのでした。

こうして長かった旅を締めくくるべく、柳生橋駅から一駅だけ列車に乗って
新豊橋駅まで戻り、いつもより少し早めにたどり着いた宿に
買い込んだ飲み物を置いた後、天気予報通り夕方になってぽつぽつ雨粒が
舞い始めた夕方の街へ出て、明日で閉店の予告が出ている三河トンコツを
標榜するラーメン屋に入って、三河といえば味噌という言葉に騙されてみたら
味噌ラーメンの味ってこんなに薄かったっけと感じてしまうちょっと
期待外れな結果となったりもしたのだけど、だんだん暗くなっていく
電車通りで大量の車とともに街中を走る路面電車の姿を愛でながら、市街地の
路地を入ったところにある古めかしい銭湯で一風呂浴びてのんびり温まり、
夜になった街を宿へと戻って、長かった今日の旅を締めくくったのでした。
 

渥美半島、赤羽根、伊良湖岬(2019.4.28)

murabie@豊橋市です。
この春休みは仕事の旅を楽しんだくらいで、独り旅に出ることが
できなかったので、今年限りの10連休は絶対に旅に出るぞと決意し、
昨日の晩、連休前の仕事が完結していないにもかかわらず、予定通りに
強引に夜の東京を出発してしまいました。

寒の戻りの東京をあとに、混雑していたロマンスカーに乗り、
曇り空に多摩川が幻想的な夕暮れの風景を作り上げているのを見ながら
しまいにはがらがらになってしまった汽車旅を楽しみつつ小田原へ、
そしてやっぱり混雑していたこだま号に乗り継ぎ、
昨晩から豊橋に滞在しています。

今日は天気がよかったので、前から行きたいと思っていた渥美半島へ
旅に出ることにしました。
青空の元に大きなビルが集まる中に瓦屋根の建物も紛れ込んでいたりする
早朝の静かな豊橋の街をあとに、新豊橋駅からまずは豊橋鉄道の列車に
乗り込みます。
小さい建物の集まる市街地を、こまめに停車しながら列車は進んでいき、
愛知大学と時習館高校の敷地に挟まれた薄暗い雰囲気、南栄と高師の間の
薄暗い松原の風景を通過していき、街並の勢いは次第に弱まって、
少し曇った広大な青空の元に、水を張ったばかりの眩しい田んぼと
赤茶色の畑が広大に広がるのどかな風景へと変わっていき、時折小さい
街を通過しつつ、遠くの方にいくつか風力発電の風車が並ぶのを見つけつつ
のどかな風景の中を進んでいきます。
終点に近づくとのどかな田園は新緑が斑模様を成している丘陵に囲まれる
ようになっていき、蔵王山というらしいその丘陵は次第に大きく
姿を示すようになっていきました。

終点の三河田原駅は明るく切り開かれたような感じの所に真新しい駅舎を
擁する駅で、バス乗り場となるロータリーも真新しく、そして道路の対岸に
あるララグランとかいう施設も真新しい、明るい雰囲気の感じられる所です。
ここからすぐに伊良湖岬へ向かうバスに乗り継ぐこともできたのですが、
バスのダイヤを調べると、併せて行こうと思っていた赤羽根の方に行く
伊良湖支線のダイヤが午後は使いにくくなりそうな感じだったので、
先に赤羽根に行ってお昼前にここに戻ってくることを計画し、支線のバスに
乗り込みました。

バスは田原の街を回り込み、大きなショッピングセンターから味わいのある
瓦屋根の民家までいろいろな建物が寄せ集められる市街の中心部を抜けると、
青空の元に広がる広大なのどかな田園風景の中を進むようになりました。
水の張られたばかりの水田もありましたが、このあたりで目立つのは緑の
濃い葉を繁らせるキャベツ畑、しかも種を採るために栽培していると見え、
菜の花のような黄色い花が咲いている所もそこかしこにあったりしたのです。
そして高松という所へ進むと、大通り沿いに集まる建物の向こうには海の姿も
見られるようになり、赤羽根の集落が道沿いに広がるのを通過して、大きく
掘り込まれた入江に小さな漁船がたくさんの停泊する静かな赤羽根港へと
進んでいきます。

赤羽根港というバス停で下車し、静かな港の周囲をなぞるように歩みを
進め、港に隣接する道の駅を目印にして進んでいくと、港の入江は連なる
丘陵に寄り添われて、小舟を伴い穏やかに横たわっているようでした。
港の出口を囲む堤防は海へ長く突き出し、岸壁にはたくさんの釣り人が
集っている、穏やかな時の流れる海岸となっていましたが、
その岸壁を端とする砂浜が、ここから照葉樹林に寄り添われながら長く
連なり始めていたのです。
太平洋ロングビーチという名前のつけられた、半島南部の外海となる
長い砂浜には、比較的頻繁に強く波が寄せ、砂浜の石や貝殻をつねに
揺さぶりながら洗いつづけていて、サーフボードを楽しんだり
釣りを楽しんだりする人々を横目に、柔らかい砂浜の上をゆっくり、
ゆっくりと、田原に戻る方向にのんびりと歩きつづけたのでした。

遠くからも見えていた、沖合にごつごつした岩礁として浮かぶ弥八島の
辺りまで長い砂浜は続いていて、延々弥八島へ向かって歩みを進めると、
サーフボードに興じる人々の数は次第に増加していき、広大だった砂浜も
だんだん狭くなっていって、海岸に迫り出す丘陵と合流するように
一旦終わりを告げ、沖合には大きくなった弥八島の姿を見ることが
できるようになって、高台から振り返れば、最初の赤羽根港の海へ突き出す
ような堤防を一番奥とするようにして長く伸びる砂浜の姿を一望できる
素晴らしい海岸の風景を望むことができました。
津波の避難所のような風情の弥八島海浜公園という高台の園地へ、
照葉樹林の間に通された真新しい階段道を上れば、さらに高い所から、
青空の元に広がるロングビーチの美しい風景を一望することが
できたのでした。

長い砂浜は弥八島を過ぎると再び始まっているようでしたが、
きりがなくなりそうだったので切り上げ、道なりに高台の大通りへと
戻り、近くにあった高松一色というバス停から田原の方へ戻るバスに
乗り込みました。
バスは丘陵に囲まれたのどかな田園をひた走って田原の街へ戻っていきます。

伊良湖岬への道を急ぐという考え方もあったのですが、田原の道の駅にも
寄ってみたかったので、駅前で降りずに乗ったバスの終点となる
渥美病院までそのまま乗り続けてしまいました。
病院もそうだけれどすぐ近くの道の駅、それに周辺の街並も、いかにも
最近新しく作られましたといった感じの新しそうな街並だったりします。
物産店が主となる道の駅はそれなりに賑わっているように見られ、赤羽根港
直送の釜揚げシラス丼なんていう宣伝文句にそそられもしましたが、
食事を摂る程の時間の余裕はなさそうで、雰囲気だけ味わって退出し、
新しい街並を三河田原駅へと戻ることにしました。

大きな集合住宅や医療関係の大きな施設が集まる領域を歩いていき、
大通りから川沿いの遊歩道へと歩みを進めば、こちらも綺麗に整備された
すっかり葉桜になっている桜並木と、代わって華やかな雰囲気を醸し出す
ようになったつつじの生け垣に彩られた、のんびり歩くことを楽しむことの
できる道となっていました。
三河田原駅に通じる道と交差してもなお川沿いの遊歩道は続いていて、
正面に蔵王山の姿を見据える美しい川の風景に沿うように桜並木も
続いているように見られました。桜の季節の風景も見てみたいものです。

そして次のバスの時間まで適当に駅の近くを散策すると、瓦屋根の建物が
集まっていた路地の奥に、城宝寺という小さなお寺が佇んでいるのを
見つけることができました。
小さい境内の中に小山を擁していて、その上には弁天さんが鎮座していたり
するのですが、実は古墳であるらしく、厳重に格子状の門で塞がれた穴蔵が
山の麓にに口を開いていたりする所でした。

駅に戻り、豊橋駅から少し遅れてやってきた伊良湖岬行きのバスに
乗り込みました。
バスは途中までさっきのバスと同じ道を進み、丘陵に囲まれた広大な田園の
風景を眺め渡した後、程なくして、さっきのロングビーチとは違う、
三河湾側の、半島北側の海岸線を見つけ、しばし海岸沿いを疾走して
いきました。単に激しく波の寄せるだけだった南側とはまた違い、海上には
三河湾につき出す半島なのか浮かぶ島なのかよくわかりませんでしたが
陸地の影が海上に浮かび、時折小さな港が開けるのを見ながら快適に
走っていくようになりました。

バスはやがて海岸を離れ、時にはそこそこ規模の大きい市街を通過する
こともありましたが、照葉樹林の新緑が斑な丘陵の足元に広がる畑や、
時には温室がたくさん並ぶような風景を進んでいき、最後に大型のリゾート
ホテルなんかも姿を現してきた中を進んで、表面に照葉樹林の敷き詰められた
小山に囲まれて綺麗なターミナルを擁する港の中の伊良湖岬バス停へと
たどり着いたのでした。

空は生憎曇り空に変わってしまいましたが、周辺の見所をできるだけ巡るべく
フェリーの切符売り場で扱っているレンタサイクルを借り受けることに
しました。
自転車用の道は港の一角から立派な橋となって、港を囲む照葉樹林の丘陵の
中へと伸び、新緑も芽吹く照葉樹林に囲まれたダラダラした上り坂を
上りながら、所々木々の切れ間から三河湾の、いくつも大きな島影を
浮かべた穏やかな海原の風景が望まれるのを励みにゆっくりと進みます。

ほどなく高台で海を行き交う船達に指令を出す伊勢湾海上交通センターへ
続く道と合流すると道は下りに転じましたが、さらに海岸へ向かう下り坂へ
分岐すると、万葉歌碑のある所の近くから、急峻な階段道が崖下へと下って
いて、自転車を置いて分け入ってみれば眼下の海岸には
さほど大きくはないけれど堂々とした白い伊良湖岬灯台の姿が現れました。
灯台が見守る海の沖合には半島なのか島なのかわからないけれど、人の
生活感の感じられる大きな島影が浮かび、その間の海に小舟や、大きな
タンカーまでもが悠々と往来する風景をしばし楽しむことができました。
比較的近くに現れる濃い島影の奥に控えている陸地は、伊勢なのでしょうか。

再び照葉樹林の中の急な階段道を息を切らして上った後、また自転車に
跨がって、照葉樹林の中の下り坂を下っていきました。
程なく視界は急激に開け、正面遠くにこんもりとしながら海へ突き出す
崖の上に立派なホテルを載せている岩盤を見据え、その足元の海に
小さく見える日出(ひい)の石門が浮かんでいるのを見渡しながら、
そこまでの海岸にさほど長くはないながら繰り返し波の寄せる
砂浜の海岸線が伸びているのを見つけることができました。
恋路ヶ浜という名前らしく、その名前が若者を集めているのか、
下界からはバイクのエンジン音がひっきりなしに轟いてきましたが、
坂道を下り着ると、たくさんの人々が集う駐車場と穏やかな海岸の姿を
大きく眺めることのできるところにたどり着き、曇り空のもと、
繰り返し波を寄せる海との触れ合いを楽しむことができました。

引き続き自転車道を進んでいくと、全面にそびえていた高い崖の上へと道は
誘われていきました。照葉樹林の足元のダラダラとした登り坂を延々と
上らされることとなり、息も切れ切れとなってしまいましたが、先へ進めば
進むほど、木々の切れ間に広がる海原の風景は、よりダイナミックなものへと
変化していくように感じられました。
さほど長くなかった恋路ヶ浜の先には、伊良湖岬の先端に佇む存在であった
照葉樹林の小山が佇んで陸繋島のような形となり、くびれている陸地の
向こうにも海が見られ、まさに渥美半島の先端となっている様子がはっきりと
見渡せるようになり、周囲の島影とともに海原を囲む雄大な三河湾の
風景が形作られているのを、なんでもない道路際からのんびりと眺め渡す
ことができるようになっていたのでした。

やがて高台の巨大なホテルの足元を過ぎた頃、沖合に浮かぶ日出の石門へと
向かうと思われる急な下り坂が自転車道に寄り添ってきました。
自転車を置いて徒歩で、照葉樹林の中の急な下り坂を下っていくと、
木々の切れ間からは渥美半島の南側の海岸である片浜十三里という長い長い
砂浜の海岸線が奥へと続いている風景を一望することができる所があって、
さらに坂を下れば、島崎藤村の椰子の実の歌の舞台となっていることと関係の
あるらしい小公園を経て、戦時中の何やら軍事施設の跡地を利用したらしい
高台の展望台へとたどり着き、沖合の岩礁として浮かんでいる日出の石門の
姿を眺めることのできる所となっていたのでした。

椰子の実の記念碑の所から階段道を途中まで下って、片浜十三里の長く続く
美しい砂浜の姿を大きく眺め渡した後、自転車道に復帰してみると、
なんだか照葉樹林の奥深くまで大きく迂回していくような薄暗い道と
なってしまっていましたが、道なりにとりあえず下り坂だったので、
まあいいやとスピードに乗って下り坂を快走していくと、
片浜十三里に沿って続く整備された砂浜の海岸線の片隅へと降り立つ
ことができました。
日出の石門の姿を最後にもう一度見てから、まっすぐ続く海岸線に並行して
伸びる自転車道を進んでいきましたが、許された残り時間と相談して、
あまり奥の方へは行かないで三河湾側の海岸線を目指すことにして、
ある所で海岸線を離れる決意をしました。

海岸線をあとに内陸の方へ向かって自転車を進めると、新緑の斑模様の
丘陵の足元に、温室団地と言われているらしくたくさんのビニールハウスの
類が集まっている道へと進んでいきました。
ビニールハウスの間を敷き詰めるのは菜の花のような花が大量に咲いている
キャベツ畑達で、そんな畑達が周囲を埋め尽くす風景の中をのんびりと走って
いくと、程なくさっきバスで走った国道へと道は続いていきます。

そして残り時間を考えて、バス道をそのまま岬の方へ戻ることとして、
キャベツ畑の間を通されたような国道に沿って進み、途中照葉樹林の丘の
足元に広がる、もう完全に黄色い茎の先に大量の実をつけている状態となった
菜の花畑の間を通される道を進んで行って、伊良湖シーパークという巨大な
リゾートホテルの足元へと進んでいきました。

ホテルの近くには糟谷磯丸園地という所があって、期待して訪れたものの
何と言うことのない石碑の周りに松の木に満ちた遊歩道の巡らされた小さい
園地が広がるのみの所だったりしてちょっとがっかりしてしまったのですが、
渥美半島の先端となる辺りの海岸線に沿って少しだけ、火力発電所のある
辺りへ向かって、松原に接する砂浜の海岸線に自転車を走らせ、三河湾の
穏やかに島影を浮かべる海原の風景を楽しんでいくことができたのでした。

そして最後に、さっきの田原の道の駅でもらった割引券を行使すべく
リゾートホテルへと戻って温泉の日帰り入浴をすることにして、
浴場の大きな窓から、渥美半島の先端を擁する小高い照葉樹林の
山に囲まれて穏やかに広がる港の風景を一望しながら、のんびりとした
入浴を楽しむことができました。

なんとか閉店間際の道の駅に無事に戻って自転車を帰すことができ、
そしてすぐにやってきた帰りのバスに乗り継ぐことができました。
バスは半島の先端の、ビニールハウスをたくさん抱きながら、
菜の花のような花を咲かせたキャベツ畑の広がる風景の中を走り、
時には素朴な瓦屋根の建物が集まる集落や、新しい大きな集落の中、
時には穏やかな三河湾を見渡す海岸沿いを進んでいって、
温室の多く佇むのどかな風景から市街地へと歩みを進め、
三河田原駅へと進んでいきました。
そして夕暮れの風情が濃くなっていく中、豊橋鉄道の列車へと乗り継ぎ、
曇り空の中地平線の付近だけには鮮やかなオレンジ色の領域を見せるように
なった空の元に広がるのどかな田園風景を楽しみつつ、高師の松原や
愛知大学の校内の薄暗い風景を経由して豊橋の街並へと戻って行きながら
辺りがどんどん薄暗くなっていくのを眺めて行ったのでした。

とりあえず夜の風景が完成した豊橋の街で、名古屋風の
あんかけスパゲッティーを楽しめる店を見つけて夕食を摂って、
無事にホテルへと戻ることができました。
 

白石川堤一目千本桜、船岡城址(2019.4.14)

murabie@ホームウェイ3号箱根湯本ゆき%次の旅です。
2週間ほど前の、華やかな桜の旅の報告です。遅くなってすみません。

春休みが忙しい部署に所属している関係で、今年の春休みは仕事の旅行以外
気ままな旅に出ることもできず、新年度の仕事が始まってしまいました。
東京の桜はもうかなり散ってしまいましたが、以前から目を付けていた
白石川堤の一目千本桜や船岡城址の桜が満開になったという知らせを受け、
ろくに休めていない中の貴重な休日を、久々の一人旅に費やすことに
しました。

暖かくなるという予報に合わせたら若干肌寒さを感じてしまいましたが
冬の旅と同じ時刻でもだいぶ薄明るくなっていた東京をあとに、
うとうとしながら東北新幹線に身を任せて福島へ、そして普通列車に
乗り継いで、山並みに囲まれるのどかな田園にピンク色の花をつける
桃の木の畑を見ながら県境に差し掛かって標高を上げ、貝田駅辺りから
望まれる壮快な盆地の展望を見て軽く山道へと進んで、再びのどかな
風景の中へ進めば今度は青空のもと、台形状にも見える山塊の上部を
白く染めた蔵王の山並みが背後に控えるようになっていきました。
白石を過ぎて白石川の川面に寄り添ったり、周囲の湿地のようになっている
土地の中を進んだりし、北白川を過ぎて川沿いの堤防上に満開の桜の並木が
見られるようになってきて、列車は大河原駅へ進んでいきます。

無機的なスーパーの建物に占領される大河原駅の駅前広場や短い大通りには
さくら祭りの幟がはためき、まだ朝早くて人通りはさほどでもなかったけれど
お巡りさん達は交通整理の準備に取り掛かっているところでした。
短い大通りを進めばすぐに白石川に架かる尾形橋となります。対岸には
昭和レトロといった感じの古いコンクリートでできた建物による短い
商店街が続き、川岸にも商店やお寺が並んでその向こうに青空のもと
蔵王の白い頂きが覗いています。
満開の桜並木はむしろ川を渡る前の岸辺に並び、橋の上からは穏やかな川の
流れを縁取るようにして満開の花を咲かせる桜の木が、青空のもとに華やかな
風景を作っていました。
そして川岸の広場は臨時の駐車場となってたくさんの車が泊まり、そして
イベント会場となる河原の広場には出店がいくつか並び、すでにおいしそうな
匂いを漂わせはじめている所でした。

桜の花を楽しみたければ、出店の並ぶ広場となる川岸や堤防の斜面から
堤防上を埋め尽くすたくさんの満開の木々を見上げつつのんびり散策する
こともできるし、堤防上の道に登ってトンネルのように道上に満開の
枝を伸ばしている桜の木々の足元をたどりつつ、その間から川面と
対岸の街並の向こうにそびえる蔵王の姿を眺めていくこともできます。
まだ朝ではあったけれどそろそろ客が増えはじめる時間となって、
さほど広くないけれど華やかな堤防上の道にはたくさんの人々が集まる
ようになっていきました。

下流の方へ進んで次の末広歩道橋というところで対岸に渡ってみると、
桜並木のなかった対岸にも満開の桜並木が出現して、広い川面の両岸に
見事に華やかな桜並木が並んでいる風景を眺めることができるように
なりました。
両岸とも小高い丘に背後を固められながら、青空のもと、穏やかな川の
流れを囲むように満開の桜並木が並び、対岸に渡ってその並木が始まる
所まで歩みを進めてみれば、ひとめ最多の千本桜と呼ばれているらしい
絶景ポイントとなっていて、満開の桜の木々の間から、満開の桜並木に
囲まれる穏やかで広い川の流れが青空のもとに佇んでいるのを
のんびりと眺めることのできる素敵な所となっていたのでした。
川面には小さい屋形船なんかも行き交い、春らしい雰囲気を演出します。

とりあえず大河原駅から散策をスタートしたのだけれど、現地で地図を
確認すると、この桜並木は実は川沿いにかなりな額続いているもので
あるらしく、上流側の末端は隣の北白川駅の近くとなっているよう
だったので、一旦増えてきた人込みに逆らうようにして大河原駅へ戻り
上り列車に一駅だけ乗って、華やかな桜の雰囲気から、落ち着いた山間の
のどかな田園風景へと変わったところにある北白川駅へと移動しました。
駅裏には丘陵に囲まれたのどかな田園が広がり、線路に沿って花開いた
幹の細い桜のが並ぶ北白川駅は静かな無人駅でしたが、小さい小綺麗な
駅舎の周りには素朴な住宅街が広がって、麗らかな日差しを受けていました。
農地と民家の入り混じる集落の中に佇む小さな祠は、たった1本の、しかし
樹齢の長そうな立派な桜の木に寄り添われ、春らしい農村の風景を彩ります。

集落の中の道を抜けると、道は白石川に架かる新北白川橋というらしい橋に
差し掛かります。大河原駅付近の賑やかそうな雰囲気とは一線を画する
新緑が芽吹きはじめている細い木々が集まる河原に囲まれる白石川が
ゆったりと流れ、背景の青空には頭の白い蔵王の山並みが佇む、
静かでのどかな勇壮な風景となっていました。

白石川を渡ると国道4号線に合流しますが、道路の対岸に合掌をしている
ような大きな岩盤が露呈しているのが目を引くほかはやはり、
青空の元に深緑の丘陵の続く静かな風景となっていました。
交差点の辺りだけは蔵王町ということのようでしたが、国道に沿って
大河原駅の方へ歩みを進めるとすぐに大河原町へと戻ります。

ほどなく国道に沿って立ち尽くす小高い丘の深緑の中腹には、白い花の開いた
桜の領域が点在するようになっていきます。
大高山という丘の上へ登る坂道へ分け入ると、道に迫り出すように丘から
桜の木が白く染められた枝を伸ばし、そして高台に刻まれている道沿いには
桜並木が華やかな雰囲気を作り出しています。
坂を登り切ると、大高神社という、さほど大きいわけではないけれど立派な
神殿を持つお社が、満開の桜の木々に囲まれて花吹雪を浴びて静かに
佇んでいるところでした。
道はさっきしたから見上げた桜並木の間へ続き、さらに山の中へ向かって
折れ曲がっていって、何やらやはりたくさんの桜の木々に囲まれた華やいだ
領域に、水道の施設らしき建物と駐車場が現れました。
大河原の街の方角には桜の木々に囲まれた下り坂が伸び、その先には
丘陵に囲まれるようにして平野に建物の集まる街並が広がっているのを
眺め渡すことができました。
北白川駅の方角にも、華やかな桜といった感じではないけれど、
丘陵に囲まれたのどかな農村といった風情の集落の中にさっき渡ってきた
白石川に架かる橋の姿が目立つ展望が、まだ裸の木々に彩られていました。

華やかだけど静かな桜並木の道から、たくさんの桜に包まれた大高神社へ
戻り、麗らかな陽気だけれど狛犬の足元の日陰に先日の寒の戻りの名残と
思われる残雪が見つけられる境内を横切って、
南部鉄器で作られたらしい赤さび色の鳥居をくぐって、春爛漫と
いった雰囲気の桜の石段を下って赤い大鳥居から外へ出れば、大高山の
丘陵の斜面全体に桜の木々が広がっている白くて華やかな風景が青空の元に
佇む風景に出会うことができたのでした。
再び国道沿いに歩みを進めれば、交通量は確かに多いのだけれど
街の喧騒といった感じではない静かで青空が広々広がるのどかな風景となり、
大高山の姿は離れて見てもやはり青空の元に華やかな姿を示していて、
しばし振り返りながらその春らしい姿を楽しんでいくことができました。

疎らに大きな建物が現れるものの基本的には田んぼに寄り添われる国道から
分岐するようにして、並行する白石川の堤防上へ続く歩道が現れ、
分け入ってみればここから、満開の桜並木が始まりました。
川の流れからは遠く、堤防の内側には若草色に芽吹いた木々が生える
湿地や畑ばかりが目立つ状態でしたが、堤防上の歩道に沿ってそんな河原の
風景や、外側に広がるのどかな風景を彩るように、満開の桜の木が並んで
春の華やかな風景を作り出していました。
桜の木々の幹はさっき大河原駅付近で見たものに比べると細くて、
もしかしたらそっちに比べて歴史は浅い桜並木なのかもしれず、
さっきすこし触れた人ごみのような喧騒とも無縁で、堤防の内側の
のどかな風景や、外側に広がる田畑やレンゲの花が咲いて紫色に
なっている牧草地などが彩られている風景を楽しみつつ、のんびりと
歩みを進めていくことができました。
川の外側には運送会社や住宅地の建物の上に除く、蔵王の山並みの
白くなった高層の部分も姿を現していました。
川の流れは見えないけれど、対岸の堤防には列車からも見えた、
さらに幹の細い桜並木が頑張って満開の花を咲かせている様子も
見て取れ、そして静かな中に時折列車の音が響いてきて、旅客列車や
貨物列車の姿も時々見つけることができました。

やがて道は金ヶ瀬さくら大橋という橋へ進んでいきます。
跨線橋と連続するようで大きな2つのアーチを青空の下に描く橋の姿を
見て、道路を横断していくと、堤防上の遊歩道からは、満開の桜並木の
駐車場、白鳥飛来地ということで公園のように整備された川岸の向こうに、
カヌーを楽しむ姿も見られる穏やかな広々とした水面が広がるようになって、
散策、そして宴会という意味での花見を楽しむ人の姿も大幅に増加
しましたが、それでも穏やかさを失わない大きな水辺の風景が
満開の桜並木に彩られる爽快な風景となっていきました。
河原の園地に下りれば、堤防の上に桜並木が広がり、その上の青空の
もとに白い蔵王の山並みの姿が控えるような風景にも出会うことが
できました。

堤防に繋がって外側の道を跨ぐように架かるコンクリートの橋を渡ると
華やかな桜の木々に囲まれる道を経て、大河原公園という園地となります。
周囲を住宅街に囲まれた園地には、頂上に一本立ちする樹木を従える
芝生の築山があって、頂上に上れば青空の元、桜並木を従える白石川の
姿や、住宅街の背景の大きな蔵王の山並みの姿を眺めることが
できるところでした。
運動公園的な広場も隣接していて、スケートボードか何かのイベントも
行われていたようです。

堤防上の道へ戻り、引き続き大河原の方へ向かって、満開の桜並木の道を
のんびり散策していきました。お昼時が近づいて散策に繰り出す人々の
数も増えてきたように感じられます。川の流れを囲む対岸の堤防上には
幼い桜並木が頑張って満開の花を咲かせ、その向こうには時折旅客だけでなく
貨物列車の姿も往来していきます。
やがて対岸の桜並木がこちら側と遜色ないくらい大きな樹木によって
構成されるようになって、こちら側の桜並木が一旦何やら野球の試合の
行われている野球場をもって途切れると、大河原の市街の中心部で白石川に
架かっている大河原大橋へと進んでいきます。
前方を見ればひときわ大量の満開の桜並木の集まる領域の背後に、白い観音像を
乗せている船岡城址の小山と、その左手に隣り合う韮神山が青空のもとに
穏やかに佇みます。

桜並木が途切れて街並の小さな建物が直接川面に接するようになった川岸を
避けるようにして大河原大橋を渡れば、すぐ近くに最初に渡った尾形橋が
すぐ近くに架かり、駐車場となっている川岸の堤防上には、ここまでの
ものより幹の太くごつごつしている立派な桜の木がたくさん並んで、
さらに華やかな雰囲気を作っていました。船岡城址の山は大量の桜の背後に
そびえ立ち、そしてゆったりとした川の流れは韮神山の方へ続いていきます。
隣り合う児童公園もまた満開の桜で囲まれ、たくさんの人々が麗らかな春の
雰囲気を楽しんでいるところでしたし、橋のたもとにある記念碑も
1本の複雑な枝振りを示す桜の木に寄り添われ、青空の元にそびえる蔵王の姿を
引き立てているかのようでした。
しかしここから大河原の市街へ続く堤防上の道は、大渋滞となって
いました。細い道で桜の木と車と、斜面に集う人々の間を掻き分けるように
歩くことになってしまいましたが、満開の枝の間に見られる対岸の、
味噌醤油の工場なんかも見られる素朴な街並が白い山並みの姿とともに
穏やかな姿を見せているのを横目にして、さらに賑やかさを増している
大河原の中心部へと歩みを進めました。

今日最初に渡った尾形橋の辺りにも、さっきとは比べものにならないくらい
大量の花見客が訪れていて、その先のイベント会場のようだった駅側の
河原も大量の人でごった返しているようでした。
イベントの放送なんかも轟く川沿いから尾形橋をまた渡って対岸に進み、
魚屋さんがイカ焼きなんか売っていたりするコンクリート造りのレトロな
雰囲気のメインストリートから、なまこ壁の白い立派な倉の隣に静かに
樹木の茂る邸宅が佇む大地主の邸宅であるらしい佐藤家という所を
覗いてみたり、また川沿いに戻って華やかなイベント会場の豊かな桜並木を
対岸にして川沿いの家並みを少し歩き、対岸からも見られていた、
桜を従える大きなお堂の繁昌院という、庭やお堂で軽くイベントも
行われている案外開放的だったお寺を訪れたり、対岸からまさに屋形船が
出港していたりする風景を楽しんでいきました。

そしてさっきひとめ最多の桜並木の所へ行くために往復した末広歩道橋を
再び渡り、幹の太くごつごつした立派な桜の木々が大量の花を咲かせて
立ち並ぶ堤防上の道を、さらに船岡城址へ向かってのんびりと歩みを
進めていきました。
豊かな流れの対岸にはさっき訪れた桜並木が始まり、堤防の下の河原に
所々農地が開かれながら、白い蔵王の山並みを背景にして桜並木が
続く華やかな道をしばしのんびり散策していきます。

ほどなくして、豊かな川の流れをせき止めるようにして対岸との間に
横たわる韮神堰が流れの中に現れ、堤防の下の河原も大きく開けた所へと
道は進んでいきます。
河原に下りて、広大に広がる川面が落差の小さい滝を無数に平行に
作り上げている堰を目の前にすれば、午後になって少しずつ雲の量を
増しているけれどまだまだ青さを保っている広大な青空が広がって、
対岸の堤防の上に並ぶ豊かに満開の花を咲かせた桜の並木に彩られ、
そんな穏やかな風景を見守るように、頂きを白くした蔵王の山並みが
悠々とした姿を見せる、爽快な春の風景が大きく広がっていたのでした。
気温も快適な暖かさで、蔵王の姿も早朝に見たものに比べ、白い領域が
心なしか狭く、中腹の凹みに印影のように刻まれていたスキー場の姿も
よりはっきりと灰色の山腹に浮かび上がっていました。

引き続き満開のさくらに彩られる堤防上の道を進むと、大河原町から
隣の柴田町への領域へと進み、堤防の反対側には萩の月の工場とともに、
線路が寄り添うようになって、東北本線の電車や時には貨物列車の姿も
花を咲かせた桜の枝に彩られながら大きく姿を見ることができるように
なっていきます。
線路の向こうには引き続き船岡城址の、頂上に巨大な観音様を抱く丘陵が
控え、観音様の足元にたくさんの人々が集っているのが確認できるように
なってきました。

ほどなく堤防には細い水路が寄り添ってきて、白石川側だけでなく、
その水路の堤防上にも華やかに満開の桜が並び、その水路の作る堀割に
ピンクだけでなく黄色や紫など、様々な色の花を咲かせる花壇が
広がるようになってきました。
白石川千桜公園というらしく、華やかな堀割の水路沿いに巡らされた
遊歩道を散策して細い川面と触れ合うこともできるし、もとの白石川の
堤防に上れば堀割の小さい谷がすべて華やかな風景となっているのを
見渡すことができます。
そして谷の向こうには、船岡城址の小山がそびえ立って、中腹に設けられた
展望台にも堤防上と同じようにたくさんの人々がつどい、両方の賑やかな
風景を橋渡しするかのように堤からしばた千桜橋という大きな歩道橋が
架かってその上にもたくさんの人が集い、その橋への入口付近にもたくさんの
出店が立ち、あえて避けてきた大河原駅近くのイベント会場程ではないにせよ、
桜の木々が作り出す春の一大イベントといった感じの大にぎわいの雰囲気が
作られているところでした。

丘陵上の船岡城址へ向かうべく、しばた千桜橋の階段道へと足を
踏み入れれば、まずは下流側を向かう踊り場となって、白石川の下流の方、
船岡駅の方角と思われる展望が大きく広がりました。
くすんだ色の空のもと、田畑となった広い河原に接して白石川はゆったりと
流れゆき、前方に架かる大きなアーチ状の橋までの堤防に満開の桜が並んで
その向こうにはおそらく仙台港付近となると思われる工業地帯の厳つい
建造物が垣間見られていました。

眼下の白石川の流れに、千桜公園の堀割を作ってきた細い流れが合流して
いるのを眺めながら、人並みを掻き分けるようにさらに歩道橋を進むと、
次の踊り場は、千桜公園の堀割を一望できる展望台のようになって
いました。
両側の堤防にたっぷりと満開の桜が花開いているのに囲まれながら、
谷底にもいろいろな色の花がたくさん咲いている、絵画のような
美しさを示す谷の後ろには、満開の桜の木々の向こうに蔵王の
山並みの白い頭も曇り空ながらはっきりと姿を示していました。

そして歩道橋は眼下に大にぎわいの華やかな川堤を見て、船岡城址に向かい
線路と道路を大きく跨ぎ越していきます。
歩道橋を渡るたくさんの人々が、線路の上で立ち止まり、丘陵に囲まれて
川堤の上にまっすぐ伸びる桜並木にぴったりと寄り添う線路に
カメラを向けています。
実はここは撮り鉄達にとっても有名な所だったということを後に知ることと
なりましたが、見るからにそういった感じのする人たちが多かったようには
感じられず、むしろたくさんの普通の観光客が手持ちのカメラで思い思いに
この春の華やかな風景を楽しんでいるような感じで、
そんな華やかな線路に列車が往来すれば、主役登場とばかりに盛り上がる、
劇場の客席のような風情となっていました。
空こそくすんでしまいましたが、蔵王のそびえる大きな空のもとに
まっすぐ並ぶ満開の桜と並走する線路を駆け抜ける列車の姿を
賑わいの中、楽しむことができたのでした。

歩道橋は船岡城址の展望台よりも少し低い所に接続していて、展望台へ
登るには、山肌の切り開かれた斜面を大きく蛇行する遊歩道をたどっていく
必要がありました。
遊歩道からもしばた千桜橋の周りに広がる満開の桜に彩られた華やかな
展望を望むことができ、人通りこそ多かったけれど長い道を延々と歩いて、
城跡のステージ状の領域へと歩みを進めていきます。

知らなかったことでしたが、ここは昔の朝ドラの舞台となった所らしくて、
展望台となっているステージには大きな樅の木が1本、真っ直ぐ天を衝くように
立ち尽くしていて、その周りを囲むような展望台からは、さっきの千桜橋を
見下ろすようなさらに高いところからの展望を楽しむことができました。
下流側の展望には川の流れを囲む船岡の街並も大きく広がり、桜並木に
囲まれた川も丘陵に囲まれながら街並を貫いてさらに勇壮な雰囲気を作り、
上流側も、線路と並行する桜並木の向こうにさらに白石川の流れと対岸の
桜並木が見られるようになって、さらに華やかさの増した風景の中を
列車が走っていくようになったのでした。

展望台の周りの切り開かれた所には疎らに細い木々が植えられて、桜とは
また違ういろいろな色の花を咲かせて、斜面上から眺められる下界の船岡の
街並の展望を彩っていました。
大河原の方からも見られた、小山の頂上に立っていた観音像へは
まだもう少し高い所へ登る必要があるようでしたが、そこへ向かう斜面も
大河原側とは違って桜色に染められて広がっているようでした。

いろいろな色の濃さの桜の木々に彩られる園地の中の遊歩道をたどり、
調べながら気になっていたスロープカーの乗り場を目指してみました。
さっきの展望台よりも一段下がった、きっと何の丸かの跡なんだと
想像できる駐車場の周りはソメイヨシノとは違ういろいろな濃さの
桜の花に囲まれて華やぎ、片隅には観光協会か何かの大きな建物が
あって、食べ歩ける食料が売られてたくさんの人を集めているような
所でしたが、スロープカーの乗り場には長い行列ができていました。
どうも全線単線で、2両連結とはいえ小さい搬器が往復運動するだけの
交通機関であるようで、発車の案内があっても列の進み具合はごく短く、
心折れそうにもなったものでしたが、この交通機関を利用してみたいと
いうのがこの地を選んだ理由でもあったので、ひたすら我慢することに。

そしておそらく1時間くらい待った頃、ようやく小さい駅舎に入ることが
できました。
大きな窓越しには桜の花がたっぷりと咲き誇る斜面が広がり、その中に
通された軌道を伝って、桜の花の間から緑色の搬器が下ってきて、
ようやく乗車と相成りました。
山側を望むように立ち席ながら場所を取ることができ、
ゆっくりゆっくりと、華やかな桜のトンネルの中の急斜面を上っていく
様子が窓の向こうに大きく展開しているのを見ながら、
軌道が突然途切れた所に、寒空のもと屋根だけを持って佇む山頂の駅へと
たどり着きました。

駅の辺りからも、白石川の下流の方向に広がる船岡の街を貫きながら
桜の花に囲まれる川の流れの展望がさっきよりもより広大に広がっている
様子が、さらに山上の満開の桜に彩られているのを見渡せたのですが、
巨大な観音像の立つ山頂へ向かって、まだ葉を出したばかりのアジサイが
植えられている坂道の遊歩道を上っていくと、やがて巨大な観音像の
周りに軽食が摂れるようになっているステージ状の賑やかな領域へと
たどり着きました。

ステージそのものも、満開の大量の桜に彩られた華やかな雰囲気でしたが、
観音像を中心とするステージの周囲を周回するように巡らされる崖上の道を
巡れば、周囲の素晴らしい展望を目にすることができました。

白石川の下流の方角を望めば、さすがに曇り空といった様相になって
しまった空のもと、丘陵に囲まれて建物の集まる街並を蛇行しながら貫く
川の流れが、ある所まで満開の桜並木に隙間なく縁取られていましたが、
流れは桜並木が途切れてもなお蛇行しながら奥へ進みつづけ、その先には
うっすらと、おそらく仙台港の周りとなると思われるいかつい工場群の
姿までもを捉えることのできる、スケールの大きい美しい展望に
出会うことができました。

そして、対岸の韮神山との間に桜並木に囲まれた白石川と、桜並木を
跨ぐように並行する線路を跨ぐしばた千桜橋にたくさんの人々が
集まって賑わっている様子を眺めながら、大河原の方へと歩みを
進めてみました。
ここまで歩いてきた長い川堤の桜並木はやはり蛇行しながら、
萩の月の工場をはじめとしてよりたくさんの建物が丘陵に囲まれた
平地に広がる街並を貫いていて、曇り空になってしまった
大きな空の元に姿を示す蔵王の山並みに見守られる、勇壮な展望と
なっていました。
望遠レンズを伸ばせば、大河原駅やその周りの華やかで賑やかな雰囲気を
垣間見ることができ、また延々と歩いてきた堤防上の道の様子もわかり、
あいにく空は曇ってしまったけれど、蔵王の山並みを大きく正面に見据え、
満開の桜の木々が蛇行する花道を大きな街の中に築いているかのような、
スケールの大きい展望を、暫しのんびり楽しむことができたのでした。

屋根だけのスロープカーのホームへ戻り、華やかな桜のトンネルをくぐって
登ってきた搬器を出迎えて乗車し、再び混雑する中、船岡側の桜の展望を
車窓から楽しみつつ山麓の駅へ戻っていきました。
駅裏の坂を少しだけ登ると、正面にスロープカーの登る斜面を
大きく見ることのできるステージのような所があり、折り返して山を
登っていく搬器が斜面いっぱいの桜の中へ吸い込まれて消えていく様子を
見送った後、おもちゃのような城門をくぐって、大量の満開の桜に囲まれて
たくさんの出店にたくさんの人々が引き寄せられている三の丸広場から、
大量の桜の花に囲まれて斜面を下る桜坂という道をのんびりと下って
何やら大きい公共施設や古めかしく作られた図書館の佇んでいたりする
大手門があった辺りの家並みの中へと進み、そして小高く切り立つ
深緑の丘陵の所々に桜の彩りが見られるのを左手に見て街を抜け、
桜並木と線路に並行する大通りを進んで、さっきのしばた千桜橋へと
戻っていきました。
千桜橋の上に上れば、だいぶ曇ってしまったけれど蔵王の姿はまだ
堂々としている大きな空のもとに、桜並木をともなってまっすぐ伸びる
線路の上で、さっきよりもさらにたくさんの人がカメラを持って
待ち構えているところで、少しだけ待ってみると、桜並木のレールには
明らかに臨時列車であるなにやら青い客車列車が、赤い機関車に牽かれて
通りすぎて行ったのでした。

久しぶりに堤防の上の桜並木に戻り、引き続き連なるごつごつして太い
桜の木々を満開の花が彩っている艶やかな道を、船岡の方へ向かって
歩きつづけました。並行する線路には時折、普通電車だけでなく
貨物列車も姿を現して、小高い船岡城址の山に見守られて走り去ります。
ほどなく線路は堤防から遠ざかり、背の高い建物や静態保存されている
機関車に寄り添われる船岡駅周辺の街並へと吸い込まれていきましたが、
桜の花の勢いの衰えることのない堤防にはさくら歩道橋というアーチ状の
橋が架かり、ここからさらに先の白石川の河原を対岸まで一周するように
巡らされるさくら回廊という遊歩道が始まるところでした。

船岡城址からだいぶ離れ、人通りも落ち着きを見せ、もう夕方という時間と
なって辺りも少しずつ薄暗くなっていく中、ここまでと同じような
ごつごつして樹齢を感じさせる太さの幹に大量の桜の花が華やかに咲き誇る
桜並木の中を引き続きゆっくりと歩いていきました。
正面に見えていた緑色の水道橋の姿がどんどん大きくなってきた頃、
桜並木の中に、日本一のソメイヨシノの巨木であるという、一際ごつごつした
姿を見せながらやはり満開の桜を身に纏っている古そうな木の姿を
見つけることができたのでした。

ほどなく、北白川駅の付近から延々10キロくらい続いてきた感のある
白石川堤の桜並木もようやく途切れ、水道橋と並行して架かるさくら船岡
大橋を渡って対岸に向かえば、桜の花が斜面上に広がっている船岡城址の
小山が住宅街の向こうの空の元に静かに佇んでいるのを、白石川の上から
眺めることができたのでした。
対岸側は折れ曲がる川の流れに沿って、たくさんの桜に彩られる河原の
運動公園のようなものがさらに続いているように見えましたが、
時間もあり、さすがに疲労が溜まったこともあり、素直に船岡駅へ
戻るべく、対岸の堤防上の桜並木の道を最後にのんびりと歩みました。
桜の木々の間隔はここまで歩いてきた対岸の道に比べると広がっている
ように感じられ、大きく穏やかな川面が対岸に並ぶたくさんの満開の
桜の木に彩られるような風景を眺めながら、のんびりと船岡駅の方へ
向かって歩みを進めていき、最後にさくら歩道橋を渡っていけば、
上流側には桜並木の堤防に寄り添うようにして、白い観音像を頂上に抱く
船岡城址の桜に彩られた山の姿が見られる、幻想的な絵のような大河の
風景を楽しむことができたのでした。

当初の目論見では白石城にも行こうと考えていましたが、船岡駅に戻る
頃にはもう辺りには夕暮れの色が濃く漂うようになってしまっていて、
おとなしく帰路に就くことにしたのでした。
船岡駅から乗り込んだ上り列車は、しばた千桜橋の上からたくさんの人々に
見送られながら、桜並木の華やかな道を大河原駅まで快適に走り、あとは
往路と同じ道を戻るように、丘陵に囲まれた湿地や、幼い木々が懸命に
満開の花を咲かせていた白石川の堤防を見ながら東北本線を上っていき、
白石を過ぎて県境にかかって、越河貝田の雄大な盆地の風景にさしかかる
ころには、だいぶ辺りは暗くなってしまっていたのでした。
最後に福島駅でツアーのチケットを行使して夕食を摂り、混雑する新幹線の
乗客となって、たくさんの華やかな風景に触れることのできた余韻を存分に
味わいつつ、現実へ戻る旅路を歩んだのでした。
 

長瀞秩父(2019.2.5)

murabie@自宅です。
およそ2週間前の旅の報告をさせていただきたく。

この時期でないと見られないものをいくつか見に行きたくて
早朝の東京をあとに、いつもとは逆方向に、西武線を下って秩父方面を
めざしてみました。
飯能まで下ってようやく辺りは明るくなりはじめ、切り立つ山並みに囲まれた
谷あいにおさまっている小さい農村の集落が高台から見渡せるような山道を
進んでいきます。
線路端や寄り添う斜面にわずかに残雪が点々とするのが一時的に見られる
ようになった芦ヶ久保を抜け、辺りを囲んでいた山並みが遠ざかり、
武甲山の姿も大きく見られるようになり、大小様々な建物が現れるようになり、
羊山公園の乗る丘陵を回り込んで、列車は秩父の町並みへ進みます。

大きくていかにも観光地仕様の西武秩父駅もまだ朝早すぎてひっそりと
する中、細い路地を通り抜けて秩父鉄道の御花畑駅へと進み、続いて
秩父鉄道の羽生行きの列車に乗り込みました。
列車は程なく秩父の町並みを抜け、針葉樹と広葉樹の領域が斑に刻まれる
山並みに囲まれて疎らに建物が現れる長閑な風景の中を進みます。
空には青空が広がる爽やかな車窓に、大きなセメント工場に併設される
貨物駅が現れたり、駅が近づけば市街地がわずかばかり発達し、
発車すればまた長閑な雰囲気となるような風景を楽しんでいきます。
親鼻を過ぎて荒川の流れを大きく跨ぎ越すと、左手にはロープウェーが
架けられている宝登山の姿が青空の元に大きく現れてきました。

木造の古めかしいけれどきれいで小さい駅舎の長瀞駅は、周辺をいかにも
観光地といった風情で細い路地沿いにたくさん商店を並べて彩られて
いたのですが、やはりまだ時間が早くてひっそりとしたままでした。
緩やかな登り坂となる大通りは宝登山へ向かって伸び、宝登山神社への
参道であることを表す白い大鳥居が青空の元に静かにそびえ立ちます。
交差点には早くも、山頂で見たかった蝋梅が黄色いつやつやした小さい
花をたくさんつけて出迎えてくれます。
大鳥居をくぐると松並木の道となり、引き続きいくつか商店が疎らに
立ち並ぶ緩やかな登り坂が続きました。

大通りは青空の元に宝登山がそびえるのを正面に見るロータリーで
途切れ、宝登山神社の神域へと続きます。
広い道に面するように白い鳥居が立ち、うっそうとした杉木立に囲まれて
さほど大きくもないのだけれどよく見ると鮮やかにたくさんの色を使って
細かく彫刻が施されている神殿が静かに佇んでいました。
隣接するお寺の墓地の縁を掠めて登山道へ下り、登り坂に分け入って
駐車場を横切ると、大きなたたずまいのロープウェーの駅が佇みます。
まだ営業開始まで1時間半くらい間があって、人影は疎らでしたが、
駅舎の周辺には出店となるテントも立ち、これからの賑わいを想像させます。

ロープウェーが動き出すよりもだいぶ早く着いてしまうことは想定済みで、
当初の目論見通り、登山道を歩いて山頂を目指すことにしました。
登山道といっても車も通れるほどの幅のある、固められた砂利道といった
感じであり、あまり森の中といった感じでもなく、つねに明るい青空の元に
伸びる緩やかな登り坂といった感じで、さすがに着込んできた上着を
脱いでしまって、楽しくゆっくり歩き進むことのできる道でした。
二次林であるらしい裸の落葉樹の森や、時々は檜や杉などの針葉樹の
うっそうとした薄暗い森の中を通過しつつ、標高が上がっていけば道端に
わずかに残雪の姿も見られるようになって、そして斜面の縁から下界に
丘陵に囲まれて田園や民家が集まる展望も時々見られるようになっていきます。
そして宝登山小動物園の近くまで登ってくると、折り重なる丘陵の表面が
裸の落葉樹の領域の中に人工的に直線的に区切られるように針葉樹の領域が
混ぜ込まれるパッチワーク状になって、長瀞の田園や町並みを囲んでいる
下界の展望が青空の元に広大に広がるのを眺め渡すことができるように
なりました。

清々しい展望をあとにして最後に林の中の道へ分け入ると、すぐに
庭園のように切り開かれた斜面が現れ、高台に佇む白い大鳥居へ向かって
急な石段が屈曲しながら伸びていました。
石段を登って鳥居をくぐると鬱蒼とした薄暗い杉林となり、その中に
小さい三角形状の屋根を持つお社が、鳥居と狛オオカミに守られて
静かに佇んでいたのでした。
これが宝登山神社の奥宮ということらしく、鬱蒼とした深い森の中の
雰囲気でありながら、参道の周りは割と大きく切り開かれた広場の
ようになって、茶屋も設けられていたりして、
そしてその周囲は森の切り開かれた明るい斜面となって、たくさんの
蝋梅の木が小さい黄色い光沢のある花をたくさん咲かせているロウバイ園と
なっていたのです。

蝋梅の木は例えば桜のように豪勢な咲き方をするわけではなく、満開と
いいながらも園地の全景を見ると立ち並ぶ裸の木の細い枝が若干黄色く
色づいているような印象だったのですが、でも近づいて見れば確かに
黄色い花がたくさん開いていて、上空の青空を背景にすればとても華やいだ
表情を店、カメラにおさめればフレームはとても鮮やかに彩られて
いきます。
そんな蝋梅の木々が植えられた遊歩道をたどり、奥宮を包む杉林との境界の
緩やかな登り坂を上ると、ちょっとした休憩のできる広場となっている
宝登山の山頂へとたどり着きます。

山頂からは期待通りに下界の展望が素晴らしく広がりました。
快晴だったはずの空は少し霞んできて雲も現れてきて、展望は若干霞んだ
感じになっていましたが、雲間に何とか姿を見せる尖った武甲山に背後を
押さえられ、蛇行するように流れる荒川が丘陵に囲まれて、その周囲に
たくさんの小さい建物が集まったり、様々な形で個性を示す橋梁が川の
流れに架かったりして、秩父の方へ続く町並みが山並みに囲まれている
展望を、蝋梅園の黄色い木々たちをフレームとして眺めることができました。
斜面上に蝋梅の木々の間を縫うように伸びる遊歩道をたどりながら、
秩父の町並みや、すぐ近くで丘陵に囲まれて広がる長瀞の田園を様々な
角度から眺めることのできる蝋梅園を適当に彷徨いながら、冷たい空気の
中に鮮やかな彩りを示す風情を堪能しつつ、ロープウェーの山頂駅の方へ
向かって坂を下っていくと、梅百花園という園地も隣接していて、
こちらのほうもまだまだ咲き始めといった感じではありましたが、白や
濃いピンク色の花を咲かせはじめている梅の木が、秩父の町並みの
パノラマを鮮やかに彩りはじめようとしているところを見つけることが
できたのでした。

動きはじめたロープウェーは山麓からたくさんの人を運んできて、静かだった
山頂が少しずつ賑やかになっていく中、山頂駅から山麓へ下るロープウェーに
乗り込みました。
他の乗客は1人しかいない状態で、目の前に広がる谷間のような風景の谷底へ
落ち込むように下っていく風景をほぼ独り占めにしつつ、ロープウェーは
1時間かけて歩いた道をわずか5分程度で山麓まで下っていきました。
さっきはひっそりしていた山麓駅の改札の前には沢山の人たちが列を為して、
準備中だったテントも露店の営業を初め、一気に賑やかな雰囲気に変貌を
遂げていたのでした。
長瀞駅との間に運行されている無料のシャトルバスも動きはじめており、
帰りは一人で乗り込むことができました。
バスは歩いてきた松並木の広々した参道をそのまま下り、これから山頂へ
向かうと思われる沢山の人たちとすれ違いつつ、長瀞駅へと向かいました。

長瀞駅の周りに現れる、先日テレビでも見たばかりの、いかにも観光客向けに
整備された、小さな飲食店や土産物屋の密集する、ブロックで舗装された
細い路地の下り坂を下っていくと、すぐに荒川のほとりの岩畳の入口へと
たどり着きます。
澄み渡る青空の元、長瀞の名の通りなのか穏やかに広く広がる水面が
平面で囲まれたような幾何学的立体状の巨大な岩盤に寄り添われて佇む
壮快な風景が広がります。
穏やかな水面にこたつ船らしい小舟が待機していたり、岩畳の末端で
くつろぐ観光客が僅かにいたりもしましたが、今日のところは人影も
疎らな静かな雰囲気となっていました。

何回か来たことはあるところでしたが、せっかくなので岩畳の上にも
足を伸ばしてみることにしました。平面上に削られて層状の模様を示す
結晶片岩の岩の上の道は、畳という言葉ほど平面ではなく歩きやすいわけでは
ありませんでしたが、川の流れの方へ進めば対岸には赤壁と呼ばれる
切り立つ巨大な岩盤が森林に囲まれ、川の流れから離れれば
流路跡であるらしい細長い池のような水溜まりが湿地状になっていたりする
のを見ることもでき、そんな岩畳の上を登ったり下ったりしながら荒々しい
独特の雰囲気を満喫していきました。

岩畳を抜けて普通の川岸の道へ進むと林の中の遊歩道といった風情となり、
木々越しに所々荒々しい岩盤が露呈している段丘に囲まれている川の流れを
見ながら進んでいきます。そんな川岸の岩盤の奥に秩父鉄道の鉄橋が
垣間見られるようになってきた辺りに、虎岩という見所も現れます。
岩畳の辺りの岩盤は深い青緑といった感じでしたが、このあたりは明るい
緑色の岩盤が支配的で、その中に濃いこげ茶色のやはり層状に模様が刻まれた
岩盤が現れているところが、確かに虎のような模様となっているところです。
ずいぶん久しぶりに訪れた長瀞の独特の自然の風景を、今回今までになく
じっくりと味わっていくことができたような気がしました。

ここまでくると上長瀞駅のすぐ近くで、舗装された広い道に土産物屋が
並んでいる観光地のような風景もすぐに終わり、背後に宝登山を配置して
レトロな雰囲気を醸し出している大きいけれどひっそりした駅舎が
すぐに現れました。
線路は駅のすぐ近くで荒川を跨いでいて、すこしだけ坂を下ってたどり着く、
段丘上の道からは草むら越しに、煉瓦で組まれた橋脚が並ぶのを
垣間見ることができました。

いつのまにかお昼前になっていた上長瀞駅から秩父鉄道の三峰口行きの
列車に乗り、落葉樹と針葉樹のパッチワークを成す山に囲まれる
農村や集落、セメント工場などを見ながら、切り刻まれた姿の武甲山が
どんどん大きくなっていく道を秩父の町並みの方へ戻り、さらに奥を
目指して武甲山の裏側へと回り込んでいきます。
車窓は西武線と同じように段丘に囲まれてせせこましく農村が広がったり
時々丘陵に囲まれた盆地のように市街地が広く広がったりしていき、
最後に何本も線路を並べる広い構内の広がる三峰口駅へと進みます。

三峰口の小さいけれど味わいのある瓦屋根の駅舎を出ると、線路と並行する
細い道沿いに商店や飲食店が狭い範囲でしたが密集する街並となって
いました。
線路は駅を通りすぎてもまとまりながらまだすこし奥へ伸びていて、
踏切を渡れば、あまりに谷が深すぎて水面は見えないけれど急な崖が
控えていることがわかる広場のような所もありました。
近くには秩父鉄道がつくっている車両公園という園地が、駅の反対側に
当たるところに広がっていて、何種類かの古い貨車が佇んでいたり、
SLが使っているターンテーブルを目の前で見ることができた一方、
すっかり錆び付いてしまっている古い電車が展示されていたりするのが
再び広がった青空の元、かえって寂しさを誘っているようでした。

駅前の小さい街にやってきたバスに乗り、さらに山奥を目指しました。
三峯神社行きの急行バスにはそこそこ多くの人がすでに乗っていて
せっかくの深い谷に沿って山道を行く路線でありながら、山側の
座席となってしまって、車窓風景の醍醐味を味わえないまま
険しい山道を淡々と進むバスに身を任せることとなりました。
かつて三峯神社に登るロープウェーがあった大輪や、旧大滝村の
中心部の辺りなど、時々建物が集まって街並が形成されることも
ある車窓を束の間楽しみつつ、バスはさらに険しさを増す道を
進みます。
あとで訪れようと思っている三十槌の氷柱への最寄となる三十槌バス停では
乗客の半分くらいが下車し、ようやく谷側の席に移ることができて、
木々越しにすでに、切り立つ斜面を覆うように成長した氷の固まりが
垣間見られたりもしていました。

そしてバスはやはり多少の集落ができていた秩父湖へと進み、
深い谷を塞いで直立する二瀬ダムのダムサイトを見つけると、その堰堤の上の
細い道へと分け入って進むようになりました。
せっかく谷側の席に移ったのに見事な湖面はさっきまで山側だった右手へ
移ってしまうという惨めな状態になってしまいましたが、凍りつきながら
深い谷底に敷き詰められる静かな湖面を反対の窓の向こうに見て、
さらに険しくなって斜面をぐいぐい登るようになったバスに身を任せました。
時にはヘアピンカーブを切り、下界の深い谷の展望もバスの右から左へ、
また右へと移っていき、流れているはずの川の水面など望むべくもない
深い谷の中腹に、通ってきた覚えのある集落が小さく貼りついているのを
見つけたりしつつバスは谷沿いの道を延々と登っていきました。

薄曇りの空の元に霞んだ山並みに囲まれた幻想的な風景の中の深い谷沿いに
設けられた駐車場でバス路線は終点となりました。
バスを下りて、斜面に張り付くような階段道を登って、車道と並行して戻る
方向の高台の道を歩き進むと、道は背の高い杉の木達に囲まれた鬱蒼とした
雰囲気の中へと突き進み、いくつかの飲食店が集まる所で巨大な白い鳥居の
立つ大きな参道が分岐していきます。
三輪鳥居というらしい、大きな門の両側にそれぞれ小さな門が寄り添う形の
他ではあまり見ない巨大な鳥居は、ここでも狛オオカミに守られています。
さらに鬱蒼とするようになった森の中の参道を少し進むと、交差する道に
細かく鮮やかな装飾を施されながら全体が丹の色を呈しているきらびやかな
山門が立つのが見られるようになり、正面に立ちはだかる丘の上には
大きな手を挙げるヤマトタケルのブロンズ像が佇む所となりました。

敢えて山門とは反対方向の階段道を登るとすぐに、奥宮遙拝所というらしい
展望台があって、複雑な形の山頂を示す大きな山を正面に見据えるのですが、
その山の足元に、大きく開けた青空の元に遠く山並みに囲まれながら
秩父の街並が、細かい建物を密集させるようにして広大に広がっている、
壮快な展望が広がっているのに出会うこともできました。

鬱蒼とした杜の中に戻り、きらびやかな山門をくぐって、やや下り坂となる
参道をたどっていくと、程なくして杜の中には本殿へ向かって伸びる
階段道を覆う鳥居が姿を表しました。
そしてその階段道を登っていけば、凍結に備えて水がなくなっている代わりに
小さいお祓いに使うあれが使えるように置かれている手水舎を経て、
山門と同様に細かい装飾がたくさん施された、三峯神社の紅の神殿が、
鬱蒼とした杜に囲まれて静かに佇んでいました。
今朝訪れた宝登山神社の神殿にも、また以前訪れたことのある秩父神社の
神殿にも細かい装飾がたくさん施されていたので、秩父の神様には何か
そのような細かい装飾が好きなのか、それともそれを必要とする
何かがあるのかな、なんて想像を巡らせながら、参道よりも一段高台となる
神殿の乗るステージをさまようと、さっきの手水舎にも、また森の中に
整然と並ぶ小さいお社達も、丹の色鮮やかだったり装飾が刻まれていたり
するのを見つけることができました。
また神殿の隣には、地酒の類や狛オオカミのぬいぐるみなんかもたくさん
売られている小さい土産物屋を取り込んだ高級旅館のような宿坊が
大きな真新しい建物を示し、日帰り温泉入浴なんていうのも受け付けていたり
するようでした。

今日は別に寄っていきたい温泉があったのでここでは入浴はせず、引き続き
山上の境内地を散策して行くことにしました。
大きな杉の木の立ち並ぶ鬱蒼とした杜の中の道を進んでいくと、異なる種類で
あるように見える2本の木が密着しながら空へ伸びている縁結びの木のような
ものが神格化されていたり、さらに高いところにある小さいきれいな神殿へ
向かう石段の道が開かれていたりしました。
そして白い大鳥居をくぐると境内地は出て、葉を落とした落葉樹も多くなる
領域へと進んでいきます。舗装された道のほか、斜面上に大量の落ち葉が
堆積する明るい林の中に複雑に巡らされた遊歩道もたくさん通されています。
どうやら裸の木々はツツジであるようで、案内によれば連休辺りに来れば
また今とは違った鮮やかな森の風景に出会うことができるようでした。
また舗装された道沿いには、今はその姿を見ることはできないけれど、
カタクリの群生地とされる領域がフェンスに囲まれているところもあって、
いろいろな季節にまた訪れてみたくなる所でした。

三峯山の山頂とされるところにはそれらしい案内はなく、ただ芝生の小さい
広場が開かれ片隅に測量点があるのみでしたが、下りに転じた舗装された道を
下ると、一つしか建物はないのだけど明らかに人工的に切り開かれた小さい
ステージ状の領域を見つけることができました。
おそらくここは昔、麓の参道口の大輪から登ってきていたロープウェーの
駅のあとであると思われ、自然に帰すために植えられているのか、ステージの
周囲で花のような形に葉を繁らせているのと同じ石楠花の幼木が点々と息づく
駅の跡地へ歩みを進めると、おそらく索道が通っていた急斜面の下には
谷底のような所に大輪の街が見られ、そしてその奥には再び、遠巻きに
山並みに囲まれた秩父の街並が大きく広がっている展望を見ることが
できたのでした。

ツツジや石楠花が花盛りとなる連休辺りにまた来てみたいな、でも道が
渋滞したりするかもな、なんでロープウェーは廃止されちゃったんだろう、
なんてことに思いを馳せながら、舗装された明るい三峯公園の中の道から、
背の高い杉木立が深く薄暗い杜を造る三峯神社の境内へ戻り、
さっき歩いた道に並行する一段低い道を進んで、さっき通った山の中の
きれいな神殿へ向かう石段や縁結びの木、そして大きな建物が集まって
いそうな感じが深い杜の奥から垣間見られる神域を下から見上げるように
進んでいって、飲食店が集まってささやかな賑わいを見せる白く巨大な
三輪鳥居のところまで戻っていきました。
帰りのバスの時間まで余裕があったので、遅めの時間になっていたけれど
昼食を取ることにし、わらじカツ丼は夕食に取っておくことにして、
別の秩父名物であるらしい、くるみ汁ざるそばなる香ばしい食べ物を
いただきつつ、歩きづめだった体を休ませていきました。

帰りのバスの時間に合わせるようにして引き続き参道を下ってバスに
乗り込み、秩父駅へ向かって深い谷に沿う山道を下っていくバスに身を任せ、
今度こそは秩父湖、二瀬ダム側の席で、さほど広いわけではない谷底の形に
合わせるようにして凍りついた水面を静かに広げるダム湖の姿を眺めて
行くことができました。
最後に往路と同じように、二瀬ダムの堰堤上の細い道を横断して秩父湖と
別れを告げ、引き続き深い谷に沿いながらも時々集落も姿を見せるように
なった山道を進みました。

往路の車窓からも垣間見られていた、谷を囲む崖面を覆うような氷柱を
訪れるため、三十槌(みそつち)バス停に降り立ちました。
普段はキャンプ場への入口となるところのようで、飲食店や大きい駐車場も
設けられ、夕暮れの色が現れてきて薄暗くなった中にあってもたくさんの
人を集めているところでした。
園地に入らずとも、駐車場自体が川に対して高いところにあり、
川沿いはボードウォークのようなちょっとした展望台となっていて、
正面に立ちはだかる崖の面に高いところから幕を下ろしたように
氷の壁が覆いかぶさるような、普段あまり見ることのない冬の風景が
形作られていました。

有料区画となる河原へ降り立てば、段丘に囲まれて広がる残雪の残る
ごつごつした河原と細い川の流れの向こうに、やはり大きな氷の壁を
見据えることができます。
さっき駐車場から見たのは人工的に作られたものだったようでしたが、
それよりも高さは小規模になるものの、同じくらいの幅に広がっている
天然氷柱の領域も、目の前に大きく見ることができます。
岩盤の間から染み出す天然の岩清水が凍りついてこのような形になったのだと
言いますが、おそらく時間もかかったであろう、この時期にしか見ることの
できない自然の造形を見ることができて、当初の目的を達成できた
喜びを感じることができました。

川の中に設けられた短い遊歩道を少し進み、川を囲む段丘の崖の一部が
氷柱の集まった氷の固まりで覆われているのを川の流れの奥に見るように
なっていった頃、崖の上のキャンプ場へ登る急坂が現れ、
それと並行するように、幅の狭い氷柱が現れました。
自然に任せて作られたさっきの、まっすぐ垂れ下がる氷の集まりとはちょっと
異なる感じの、なんかムラのある氷の付き方だと感じたのですが、
並行する急坂を登って崖の上にでてみると、パイプから細かく水が噴射されて
いる人工的に作られた氷柱だったようでした。むしろさっき見ることができた
人工氷柱の作り方を教えてもらえたような気がして、こちらはこちらで
氷の上から谷底の水面を見下ろすような景観も含めて
楽しむことができたのでした。

たくさんの人たちとともに園内を数往復して、巨大な氷柱の迫力を満喫して
いるうちに、辺りはだんだんと薄暗くなっていきました。
あとすこしでライトアップの時間にもなるようでしたが、そこまで楽しんで
しまうと駅へ戻るバスがなくなってしまうのであきらめ、三十槌バス停から
深い谷に沿っていくバスに乗り込みました。
バスは旧大滝村の中心部に差し掛かって、役場だった大きな建物や小さい
商店、郵便局なども現れる街道を進み、一際大きな建物も現れてきた道の駅の
所にある大滝温泉遊湯館というところへ進んでいきます。

道の駅として駐車場の周りに物産館などの建物が集まる所でしたが、夕暮れが
深まりそれらはほぼ閉館しているようで、温泉施設のみが営業している時間と
なっていました。
浴場は2層になっていて、脱衣所から直接入れる所は室内の岩風呂となり、
露天風呂のあるフロアへ移動するには裸のまま薄寒い階段を降りなければ
ならないという構造にはなっていましたが、露天風呂からはもちろん、
室内の岩風呂からも大きなガラス越しに目の前に、段丘に囲まれて流れる
荒川のさほど大きくない流れを見ながらのんびりと湯に浸かることが
できました。肌がつるつるになる湯であるように感じたのですが、
塩分が濃い泉質であるようでした。

湯に浸かってのんびりしている間に辺りはほぼ夜になり、暗闇になった中を
走ってきた、三峰口駅へ戻る最終バスに乗り込みました。
急行便でもなくてすべてのバス停の名前を読み上げていきましたが、
もはや辺りに何か見られる時間でもなく、暗闇の中を疾走していくバスに
身を任せるのみでした。
そしてやはり暗くなってしまった三峰口駅から乗り込んだ秩父鉄道の
電車も、夜汽車の風情を示しながら真っ暗な中をゆっくりと歩むのみでした。
最後に御花畑駅から西武秩父駅へ戻り、観光客向けの駅構内のフードコートで
せっかくだからわらじカツ丼と、ここまで我慢してきた味噌ポテトを夕食に
いただいて、お腹も満足した状態でカップ地酒まで買い込んで、
帰りは所沢までしか乗れないけれど特急列車に乗って、優雅な帰り道を
歩んでいったのでした。