旅の虫速報 -5ページ目

妙高池の平スキー場(2019.1.29)

murabie@はくたか574号東京行きです。

少しばかり仕事で暖かい所へ行っていたのですが、その仕事も無事終了し、
やっぱりこっちの方がいいやと、雪を目指して夜中の東京を出発しました。
今日は昔々のスキー教室で半日だけ訪れたはずの妙高池の平というゲレンデを
目指して、大宮から北陸新幹線に乗り込みました。
高崎辺りまでは文句なしの快晴でしたが、赤城や榛名がどんよりとし、
そして北陸新幹線の領域へ進んでトンネルを抜けるたび、残雪の量は増えて
いきましたが、更埴市辺りまでは依然として空は快晴のままでした。
ところが長野が近づくと空も辺りの山並みも急速に白く染め上げられるように
なっていき、あっというまに白い世界へと変貌を遂げていきました。

ちらちらと粉雪が舞っていた長野駅で、元信越線の北しなの線の列車に
乗り換え、さらに山奥を目指します。
通学の高校生達で混雑している列車で北上し、屋根が白くなるくらい雪を
蓄えている住宅街やりんご畑の間を進んでいくにつれ、雪の量はどんどん
増えていき、辺りに舞う粉雪の量もどんどん増えているようでした。
牟礼で高校生がすべて下車すると車内は一気にがらがらになり、枝に
大量の雪を付着させた斜面が車窓に迫る真っ白い谷あいを列車は進んで
いきました。
そして県境を越えたところの妙高高原駅で下車すれば、小さい観光地といった
風情の駅にもやはり大量の粉雪が舞い、駅前広場にもたくさんの雪が
ふかふかにつもり、ショートブーツではちょっと厳しいかなという感じでも
ありました。
目的のスキー場が運営するシャトルバスに身を任せれば、大量の雪が
掻き分けられて回廊のようになった大通りを進んでいきます。
駅の周辺には小さい民家が集まったり、また少し進めば温泉街となるのか
民宿のような建物も集まるところも通っていきますが、雪の壁のせいで
街の表情が完全には伝わって来ない感じの、あくまで真っ白い世界を淡々と
マイクロバスは走っていきました。

たどり着いた池の平温泉スキー場にも、大量の粉雪が舞っていました。
安い分ちょっと不便な思いをして、ゲレンデの中ではなく周辺の民宿で
予約していたスキーをレンタルし、粉雪の舞いつづけるゲレンデへと
歩みを進めていきます。
目の前に乗場を構えるしらかばカプセルペアリフトに搭乗し、疎らに
杉の木の混ざる落葉樹の森の木々の枝に大量に雪が蓄えられている間を
進み、広大に広がる真っ白いゲレンデの上へと踊り出て、まずは
中級コースのカヤバゲレンデを堪能しようと考えたのですが、
待ち受けていたのは予想外の大量の深い新雪でした。
斜度自体は大したことはないのだけど、とにかく積もる雪はふかふかの
非圧雪オフピステ状態、体重のかけかたもだいぶ考えなくてはならず、
なんか前回やったものとは違う種類のウィンタースポーツをしているかの
ような感じになってしまいましたが、それはそれでまた楽しいものでした。

午前中は大量の粉雪が降りしきり、景色を楽しむこともできずひたすら
新雪と格闘することとなりました。
カヤバゲレンデを下までいくのをあきらめて、このゲレンデのメインとなる
池の平クワッドリフトに搭乗して、落葉樹のみとなった白い森から、
やはり広大なゲレンデを見て斜面を上るようになっていき、最上部へ出ると、
いくつかの中級コースへ足を踏み入れることができるようになっていました。
林の間を通されるようなガッシュタイナーコースも広々したコースに大量の
新雪が蓄えられ、下部はハッピーゲレンデという初級者コースにつながり
ましたが、斜度は緩斜面になってもやっぱり雪はふかふかしたままでした。
一番下まで行ってしまったらアルペンブリック第1ペアリフトで
ゲレンデ沿いを上り、池の平クワッドに乗り継ぐことができます。
山頂から右へ右へ、さらに深い森の中へ進むとやはりオフピステ状態の
ヤッホーコース。最後の急斜面は上級者扱いになっていましたが、
距離も短いし難無く下ることができました。動きはじめたアルペンブリック
第2リフトを使えば、麓の初級者コースに戻ることなく、上部の中級者
コースへ戻ることができます。
ゲレンデには中学生と思われるスキー教室や、自衛隊か警察かといった
感じの迷彩服の団体もいたりして、昼時に近づくにつれてゲレンデの雪も
自然に圧雪されていき、クワッドリフト沿いに広がる広い中級斜面の
クワッドコースなどで、ようやくスピードに乗ることを楽しめるようにも
なっていきました。カヤバゲレンデを迂回するように林間へ伸びる
中級斜面のやまばとコースや、その下に続く初級斜面のやまばと林間
コースも優雅に滑りを楽しむことのできるコースになっていました。
カヤバゲレンデの麓で昼食休憩にしようと考えたのですが、コンビニ
リフト券のおまけについてくる場内利用券が使える店が、東京にも
普通にあるゴーゴーカレーくらいだと言いやがるので、再びしらかば
カプセル、池の平クワッドと乗り継いで山上まで進んでから、
アルペンブリックゲレンデの方へ下りるべく、中級斜面のヤッホー
コースを下れば、ここは人通りが少ないみたいでお昼になっても
依然としてオフピステ状態、そしてその下に続く初級斜面のドリームコースも
またオフピステ状態となっていたのでした。

大きなホテルに付属しているっぽいレストランで人気メニューらしい
もち豚カツ焼きチーズカレーなるものをいただいて元気をつけている間に
あんなに降りしきっていた雪がぱたっと止み、あろう事か空には青空さえ
覗くようになるという、急激な天気の変化が起こっていきました。
午後はゲレンデも明るくなり、そして周辺の展望も大きく開けるようになって
より楽しく滑ることができるようになりました。
午後は池の平クワッドを中心にして上部の中級斜面をがんがん滑って
いくことにしたわけですが、雪の状態も適度に圧雪された軽い滑りやすい
感じで保たれて、そして何より、クワッドコースを経由して広大な斜面の
カヤバゲレンデを下っていけば、前方に雲を纏いながらそびえる
恐らく黒姫山に連なる山並みの懐に静かに、野尻湖の姿が真っ白い田んぼに
隣接して佇んでいて、谷底の皺にたくさんの樹木や疎らに小さい建物が
集まりながら白く染め上げられるパノラマが大きく広がり、野尻湖に向かって
飛び立つかのように滑ることを楽しむことができるようにも
なっていきました。
そしてクワッドリフトに搭乗して登っていけば、晴れた空に白い妙高山の姿が
白くない山に挟まれるようにして姿を現した一瞬も捉らえることが
できたのでした。

リフトが距離の割にあまり高速ではなく、1回乗ると10分奪われてしまう
ことがちょっともどかしくもあり、今回もようやく楽しみ方がわかった頃には
営業終了の時間が近づいてしまっていたのでした。
それでも今回は結構ぎりぎりまで楽しめる余裕があり、池の平クワッドの
営業が終わる頃に、夕暮れの色を帯びはじめたカヤバゲレンデを下まで下って
まだもう少し営業するしらかばカプセルペアで駄目押しにカヤバゲレンデの
滑走と野尻湖ビューを最後に楽しんで、無事今日のひとりスキーを締めくくる
こととなったのでした。

ここからアフタースキーの温泉に向かうべく、地図上ではそんなに遠くない
はずのランドマーク妙高という施設を訪れようとしたのですが、朝と違って
除雪された下り坂の道はがちがちに凍結し、しかも負担をかけすぎた膝には
思うように力を入れることがままならず、だいぶゆっくりと歩んでいくことと
なってしまいました。
杉木立の間に疎らに小さい民宿が姿を現す下り坂をゆっくりと交差点まで
下り、ランドマーク妙高という真新しい施設へと入場し、単純泉では
あるけれどそれなりにいいお湯の温泉に、露天風呂も含めてのんびりと
使っていくことができました。
運営者にアプレシオという文字が見えたのですが、時間制の入場料や、
館内でかかった経費をまとめて精算するシステム、休憩室に備えられた
ネット用パソコンにたくさんの漫画の本棚は、ネットカフェのノウハウが
活用されているのだなあといった感じでした。

で、のんびり湯に浸かり、火照った体を落ち着かせると、ちょうど
1時間コースが終わる時間となり、そして帰りの有料の市営バスの時間と
なっていて、辺りはすっかりと夜になっていましたが、再びちらちらと
舞い出した雪が該当に照らされて幻想的な風景を作り上げる中、
路面は除雪されても勢いの衰えない雪の壁に囲まれた回廊をバスは下り、
駅近くの小さい町並み、そして妙高高原駅へと夜道を進んだのでした。

夕食は何でもない駅前の大衆食堂で摂ることとし、そして雪は止んでも
雪を蓄えたままの駅周辺の歩道の乾いた雪を踏み締めて妙高高原駅へと
歩みを進め、がらがらの北しなの線に乗車して、牟礼以降は高校生で
賑わうようになった列車に身を任せ長野へ戻り、そして酒を買うくらいの
余裕しかなかった長野駅で帰りの新幹線へ乗り継いで、現実へ戻ろうと
しているところです。
 

キューピッドバレイスキー場(2019.1.14)

murabie@はくたか576号東京行きです。

路面が濡れていた朝の工業地帯をあとに、湯気を吐く厳つい工場に囲まれて
貨物列車も停泊する黒井駅からほくほく線直通の列車に乗り込みました。
工場や松原が車窓に現れるちょっと他とは違う感じの信越線から犀潟で
分岐し、ブルボンの工場に見送られてぐいぐい高架に登っていき、
あっという間に田んぼが広大に広がる風景の中を進むようになりました。
残雪はやはりほとんどなかったのですが、内陸を目指す列車がくびき駅で
田園を囲む丘陵の足元に差し掛かると、急に残雪が姿を現してきて、
トンネルを一つ超えればあっという間に、雪国へと逆戻りしていきました。

降り立った虫川大杉駅はまだ新しい感じの綺麗な駅でしたが、駅の
周りには街があるわけでもなく、丘陵に囲まれて、公園になってている
っぽい空地や田んぼが真っ白になって佇んでいました。
駅名の由来になってている虫川の大杉を見てみたい気もしましたが、
スキー場行きのシャトルバスがすぐに来てしまい、慌ただしく
乗り込みました。
バスは丘陵に囲まれて白い河原を広げる谷底の川に沿って走っていき、
駅の側よりも寧ろ賑やかな、小さい民家や商店をたくさん集める街並を
かすめ、真ん中が尖っているこのあたりの独特な形の屋根を持つ民家の
姿もたくさん目にしながら、最終的に家並みが途切れればひたすら
白い風景の中の坂道をカーブしながらぐいぐい登っていくようになって、
最後の民宿街の中に、その独特な形を模している屋根を載せた大きな
スキー場のセンターハウスを見つけていきました。

自分でいい感じのを選ぶ形式だったことになかなか気づけなかった
レンタルの手続きと着替えを済ませ、ゲレンデへと出発しました。
朝のうちは快晴といっていい程の広大な青空の広がる空模様、
輝く大きく真っ白なセンターゲレンデの背後に、右上がりの四角い形の
菱ヶ岳という真っ白な山がそびえ立ちますが、もろ逆光のシルエット
状態となっているのもなかなか悪くない姿です。
第1クワッドリフトに搭乗し、菱ヶ岳へ向かって、杉木立に囲まれる
センターゲレンデやプロムナードの広いゲレンデの上空を登って
リフトから下りれば、すり鉢のように急な白い斜面を覗き込むような
ゲレンデの向こうに、周辺の白い丘陵が折り畳まれるようになって
深緑の杉の木が押しピンのようにたくさん刺さっているような風景、
そしてその外側にはきっと米山とかの、2つ目立つ白い山を含む
ごつごつした山並みが連なる展望が望めました。

第1クワッドリフトをベースにすれば、中級扱いのプロムナードや、
初級扱いのエトワール、メモワールといったゲレンデへ進むことが
できます。
初級扱いでもそこそこ急な斜面となっていて、スピードに乗って
がんがんターンを繰り返すこともできるし、プロムナードでも
斜度はそう変わらないのだけど急斜面をたくさん楽しむことの
できるような感じで、最終的にはたくさんの人が楽しんでいる
センターゲレンデへと帰っていく形になります。

麓からゴンドラネージュに搭乗していくと、辺りのパノラマが
ぐんぐん広がっていくのを眺めながらのんびりと頂上をめざして
行くことができました。
登っていけば、周辺の丘陵の外側には雪のない直江津や、逆に
雪のある高田と思われる平野が妙高と思われる白いごつごつした
山並みに囲まれて広がり、そしてその平野の向こうには何やら
工場が湯気を吐いている背後に、青々とした日本海の姿も
現れるようになっていきました。
ゴンドラ降り場からは、初級のソレイユと中級のエトルという
コースが交錯して下り、素晴らしいパノラマの中へ飛び出すように
して急斜面をこなしていくことのできる、楽しいコースとなっていました。

第1クワッドを下り、プラザ2というレストハウスの前を素通りして
短い急斜面を下ると第2クワッドの乗場となり、
裸の落葉樹に囲まれるようになった白い道に動物の足跡がたくさん
刻まれているのをみながら登っていけば、さっきの中級コースエトルの
スタート地点の所に降り立つことができます。
結局はこの2つのリフトを乗り継ぐことでゴンドラと同等の機能を果たして
くれることに気がつき、今回はあまりゴンドラは使わないで、ひたすら
リフトを乗り継ぐことを楽しみました。

第2クワッドからは中上級という位置づけらしいラメールというコースにも
出ることができました。
スタート地点に立てば上越市の平野から日本海まで見渡すことのできる
素晴らしいパノラマに出会うことができ、斜度も若干急な感じでしかも
それが長く続くような感じになって、足にはいい感じで負担をかけられて、
綺麗にターンというわけにはいかなかったかもしれないけれど、
スピード感やターンの感覚をたっぷり楽しむことができるコースになって
いました。

そんな感じで、第2クワッドを中心に手応えのあるコースばかりを攻める
こともできたし、飽き足らなければ第1クワッドより下のコースまで
続けていろいろなパターンで長い距離を滑走することのできる、ここも
コンパクトなのにいろいろな楽しみ方のできる楽しいゲレンデ
だったのでした。

お昼にかけて晴れていた空はどんより曇ってしまいましたが、菱ヶ岳の
姿は寧ろ明るく真っ白に見えるようになりました。
しかし昼食を摂っているうちに辺りには雪が舞うようになり、菱ヶ岳も
雲の中に隠れるときもでてきました。
雪は長続きするわけではなく、時々青い領域が覗かれるようになる
空の姿とともに、雄大なパノラマを示しつづける展望の中へ飛び出すように
いろいろなコースを渡り歩いてはがんがんに膝を虐めていきました。
ラメールからのプロムナードはさすがにきついかなということを学習し、
ラメールのあとは初級コース、そして第2クワッドから一番下まで最初から
下りるつもりなんだったらソレイユで、白い世界を堪能しながら急坂を
爆走することを楽しんでと、例によって楽しみ方がわかってきたところで
残り時間がどんどん少なくなっていくわけです。
最後は大量の粉雪が舞うようになってしまい、展望を楽しむことはできなく
なったてしまったのですが、名残惜しさを感じながらラメール、エトル、
ソレイユと、昨日よりはふかふかで滑りやすい雪だった上の世界のゲレンデ
から、たくさんの人が滑ったシャーベット状の雪の領域へと、
帰り着いたのでした。

最後にセンターハウスから道1本だけ隔てたところに立っている雪だるま
温泉という日帰り温泉施設で、2日分貯まりまくっている膝の疲労を何とか
しようとのんびり過ごしていきました。
ヨウ化物イオンも含まれているらしい、塩分濃度の高い、若干黄金色に
色づいて、雪の湯という名前の由来なのか白い湯の花が舞っているお湯を
のんびりと楽しみ、露天風呂から営業が終わってリフトが泊まりゴンドラの
搬器を回収している様子が菱ヶ岳の足元に広がっている様子をのんびりと
眺め渡して過ごしていました。

のんびりしている間に辺りは夜へと変わっていき、最終のシャトルバスに
身を任せて、路肩に大量の雪が書き分けられている道をうとうとしながら
運ばれて、辺りは暗いけれど待合室は明るい虫川大杉駅へと進みました。
あとは帰路をたどるのみで、ここから東京へ戻るなら越後湯沢に出るのが
素直なのかも知れませんが、指定券が取れなかったわけではないけれど
シートマップはぎっちりと埋まっている状態、でも上越妙高駅にも
近いということに気がついて、遠回りにはなるけれど新幹線の座席にも
かなり余裕があるらしいということがわかり、急遽予約を取り直して
湯沢行きではなくすぐにやってくる犀潟行きの列車に乗る決断を
したわけです。

もう夜になっていたので車窓に何が見えるわけでもなかったのですが、
昨日乗ったのと同じ便のほくほく線から信越線へ同じように乗り継ぎ、
今日は黒井では降りずに直江津まで進み、経営が変わってから初めての
直江津駅でしたが雰囲気はほとんど変わっていないことを感じてから
すぐに発車するトキ鉄の妙高高原行きの列車に乗り込み、直江津には
ほとんど雪はなかったのに高田まで進むだけで線路に大量の雪が
残るようになったのを暗い車窓の中に見つけて、そのまま新幹線が
できてからは初めて訪れる上越妙高駅へと進んでいきました。

上越妙高駅ではとりあえず夕食を取り、あまり時間はありませんでしたが、
以前脇野田駅といっていた頃にここからを訪れたときの記憶を探しに
ちょっとだけ外にでてみました。
暗くてあまり様子はわからなかったし、線路あとがどれなのかを認識する
こともできずに終わってしまいましたが、線路と並走する県道に出れば
何となく以前訪れたときの雰囲気を思い出すことができたような
気がしました。

雪をたっぷり蓄えている空地に囲まれ、きらびやかに電飾された巨大な
新幹線駅へ生まれ変わった上越妙高も、前来たときは形はできていた
けれど工事中だったなあなんていうことを思い出す間もなく、駅に戻ったら
もう新幹線の発車間際になっていて、急いで酒だけ買い込んでやってきた
列車に飛び乗り、現実へ戻る道を進んでいるところです。
 

須原スキー場(2019.1.13)

murabie@上越市頸城区です。

新年の仕事が無事スタートし、ようやく連休を迎えることができたので、
今期初のひとりスキーへと旅立ってみました。

今日はスキーヤーで指定席がほぼすべて埋まっていた新潟行きの上越新幹線に
乗り込み、越後湯沢で大量に下車していって車両に数名を残すだけの
ようやく余裕のある汽車旅になったかと喜ぶも束の間、すぐ次に
たどり着いた浦佐駅でまず下車。そして上越線へ、さらに小出から
多分高校生の時以来の只見線の旅を初め、大きな川を渡って対岸の
小出の街並から白く大きな山並みに囲まれて広々と広がる真っ白な雪原と
化した田園の風景の中をのんびりと進んでいきました。
時々川も現れたりする雄大な風景、1日4便しかない超過疎路線だというのに
いまどきの軽快気動車でもワンマン列車でもなく、昔と変わらない雰囲気の
汽車旅に、短い時間でしたがどっぷり楽しんでしまいました。

車窓が少しずつ山道の雰囲気を帯びはじめた越後須原駅という無人駅に
降り立ち、素朴な民宿街や目黒家というらしい豪農の茅葺き屋根が立派な
建物が佇む中をすこしだけ歩けばすぐにたどり着いた、須原スキー場
という所を今期初のひとりスキーに選びました。
ちょうどリフトの営業が始まる辺りに訪れることができ、レンタルを
済ませて着替えてゲレンデに出れば、そびえる白い山の上の空に
青空の領域が開きはじめている所でした。

先に動きはじめた短い須原第一ロマンスリフトは搬器の形が自分は
見たことのないタイプ、背中で1本の支柱で釣られるので
掴める支柱がない感じだったりして。
ロマンスゲレンデは広大な初級者向け緩斜面といったイメージですが、
決してだらだらした感じではなくそれなりにスピードを出して、
折り重なるような山並みの足元に広がる谷底の白い田園へ向かって
楽しく滑り降りていくことができる、感覚を取り戻すのにもってこいと
いった感じでした。

そしてメインとなる須原フーディークワッドリフトに登場すれば、
ゲレンデのシンボル的な真っ白い山の斜面に広がる中級ゲレンデ達を
間近で大きく眺めたり、時々谷を越えては、折り重なった山並みに
たっぷりと雪が蓄えられている風景を楽しんだりすることができました。
ちょっと急斜面では土や地層が露呈してしまっているところも多い感じは
受けてしまいましたが。

須原フーディークワッドを下りた所はささやかな標注の立つ山頂で、
周囲の白いゲレンデや白い谷底、白い山並みが広々と見渡せる壮快な
所でした。
ここからリフトに沿って麓へ下るコースは、まず頑張りがいのある斜度の
中級ゲレンデがそれなりに長く続いていくジャイアントコースがあり、
午前中はちょっとがりがりした感じの雪ではありましたが、素晴らしい
展望の中へ飛び出して行けるかのような壮快な滑りを楽しむことが
できましたし、尾根の反対側に隠れるように進むアドベンチャーコースも
山陰のような所にはなりますが、やはりひざを鍛えることのできる斜度の
ゲレンデがそこそこ長く続いていきましたし、いくつか初級コースという
位置づけの細い迂回ルートが分岐していていろいろなコース取りを
楽しむこともできましたが、素直にアドベンチャー連絡コースという
名目上初級者コースとなっている道を下っていくと、最後に大きな
段差がこれでもかこれでもかといった感じで連続する、違った意味で
楽しく滑ることのできるコースとなっていました。

そして、山頂から反対側の斜面へ進めば、アルパインコースという、
真っ白な斜面が広大に開かれている所へと誘われ、ジャイアントコースや
アドベンチャーコースに比べると若干短いのだけれど、やはりひざを
適度に喜ばせられるような手応えのある斜度の斜面が続いて、
長大コースに疲れたときにちょうどいい感じだったり、また初級者コースと
なる迂回コースやスーパー迂回コースなんていうものも設けられていて、
気分によっては真っ白な緩斜面をたらたらと進んでいくこともできたり。

全体像はいかにも、地元民ご用達といった感じのコンパクトなスキー場
なんだけれど、それでもがんがんに鍛えられる中上級コースがいい感じで
配されていて、何度も何度も楽しく繰り返し滑っていくことができる、
いい感じのスキー場に来れたような気がして、うれしくなりました。

惜しむらくはちょっと食堂が小さい感じがして連休ともなればさすがに
空いてる席を見つけるのに苦労したということもあったりしました。
お昼前後は空も曇り、ちらちらと小雪が舞っては来ましたが、
それもすぐ止んでまた晴れ間が広がり、気温も上がって、
春スキーほどではないけれどそんな感じを受けてしまう、シャーベットの
ように柔らかくて重い雪になっていきました。
午前中で一通りのコースは巡れてしまいましたが、気に入った中級コース達を
午後もがんがん調子に乗って滑ってしまい、結構膝ががくがくするような
感覚にも陥ったりしています。

2時頃になんとつきたてお餅のサービスなんてものが催されて、
本当にもちつきが行われてきな粉餅が振る舞われたなんていうことも
あったりして、いろんな意味で楽しむことができたわけですが、
夕方が近づくに連れて快晴に近づいた明るい青空のもと、
アルパイン、ジャイアント、アドベンチャーの滑り応えのある
中級コースを何度も何度も、綺麗にターンを切れるよう練習しつつ
がんがん楽しんでいくことができたのでした。

4便しかない只見線の3便目に合わせるようにして、夕方になった
須原スキー場を後にし、重くなった足を引きずるようにしながら
素朴な民宿街や、白い庭の奥に佇む目黒家の様子を垣間見て
白い世界に囲まれた夕方の越後須原駅へ戻り、白い山並みに
接する空に夕焼けが現れて、その夕焼けへ向かうようにゆっくりと
歩みを進めていく只見線の列車に身を任せ、小出駅へと戻りました。
小出駅で接続する上越線の上り列車を待つわずかな時間の間に
辺りはどんどん暗くなっていきました。

せっかく連休なので明日も別のスキー場をはしごすることにし、
ようやく押さえることのできた宿のある黒井駅へ向かって、六日町駅から
ほくほく線の列車に乗り込みました。
辺りはもう完全に夜になっていましたが、外を走っているのかトンネルの
中なのかの区別もつきにくい車窓となっていました。
ただ手元のネットがつながりにくくなったことが、今長大トンネルの
真っ只中を進んでいるということを教えてくれたのでした。

日本海側の線路に合流しようとする頃、辺りにはこともあろうに雨が
降り出してしまいました。あんなにあった残雪もすっかりと姿を消して
しまったところの黒井駅で下車してみれば、辺りはむしろ工業地帯とか
運輸会社の倉庫とかそんな物々しい雰囲気だったりして、きっと本当は
そういうお仕事のための宿なんだろうなという感じの所で一晩を
過ごすことにしたわけです。

 

西丹沢 (2018.11.23)へのリンク

murabie@自宅です。

最近なんだか旅に出ると見聞の密度が昔より上がっているみたいで、
旅から帰るまでに速報を仕上げることができないことが増えておりまして、
今回も遅くなりましたが1ヶ月半ほど前の報告をさせていただきたく存じます。

なお、旅の日よりだいぶ時間がたってしまいましたことから、
本文は帰宅後に投稿された体とし、本日1/6の記事からリンクを張らせて
いただくという形をとらせていただきます。

こちらをクリックしてくださいませ
https://ameblo.jp/murabie/entry-12431014930.html

 

鳥沢、猿橋、梁川、四方津(2018.11.20)へのリンク

murabie@自宅です。

最近なんだか旅に出ると見聞の密度が昔より上がっているみたいで、
旅から帰るまでに速報を仕上げることができないことが増えておりまして、
今回も遅くなりましたが1ヶ月半ほど前の報告をさせていただきたく存じます。

なお、旅の日よりだいぶ時間がたってしまいましたことから、
本文は帰宅後に投稿された体とし、本日1/6の記事からリンクを張らせて
いただくという形をとらせていただきます。

こちらをクリックしてくださいませ
https://ameblo.jp/murabie/entry-12431014669.html

 

四日市市内(2018.12.31)

murabie@自宅です。

昨日の帰りの新幹線の中で発信できればと思っていたのですが完成に至らず、
帰宅してからの発信とさせていただきました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


10日間に渡った旅も昨日で最終日となりました。
チェックアウト時に宿に荷物を預け、ここまでの旅でまだ行けてなかった
スポットを拾う旅としました。
いつもは近鉄四日市駅に直行していましたが、まず早朝の近鉄四日市駅
付近のスポットを散策することにしました。天気は回復してくれましたが、
空気はめちゃくちゃ冷たい朝でした。

宿の近くの、おそらく深夜は賑やかになりそうな飲食店街にごみ収集車が
働いているのを見ながら歩き進み、まずは駅の近くの諏訪公園へ。
要するに諏訪神社のとなりに整備された公園といった感じですが、
よくわからないモニュメントのある池を中心とした静かな公園です。
園地の片隅には、四日市市子ども館として使われている、きっと最初は
他のすごい目的で造られたんだろうなと感じる重厚な煉瓦造りの建物が
建っていたり、その近くには多分戦前に作られたんだと思う何かの
石碑が堂々と建っていたりしました。
となりの諏訪神社も、境内社の真っ赤な稲荷神社とともに大きな神殿を
どっしりと構えていました。

近くには道幅の広い道路が交差点を成すとても明るい通りがあり、
そして商店街も駅周辺に交錯するいくつものアーケード街の一つとして
まだ朝早くて開いている店は一つもなかったものの、店が開けばきっと
賑やかになるんだろうなと想像することができました。

駅前の大通りは何度も通ったわけですが、近鉄のガードに沿って、
ガード下に四日市あすなろう鉄道の駅と車両が佇んでいるのを見ながら
すこし奥まで進んで、ガードをくぐると、そこに鵜森神社という、
初詣のための飾り付けが完璧に出来上がっている神社が佇んでいました。
神社そのものというよりも、実はここは戦国時代は浜田城というお城だった
らしく、そちらの復元にも手がかかっているらしく、となりの公園の敷地との
境界に、冠木門(かぶきもん)という、木材で組まれた城門が復元されて
いたりしました。
となりに広がる鵜の森公園は、広場にいくつかの遊歩道が巡らされたり、
茶室のようなものも佇んでいたりする、のんびり散歩することを楽しめそうな
雰囲気の、小さな公園でした。

周辺には大きなビルやマンションが集まる無機的この上ない通りでしたが、
駅から離れれば建物の大きさはすこしは小さくなっていき、道幅は変わらない
分上空には青空が大きく広がるようになって、西側を向いて歩みを進めれば
前方には鈴鹿山脈の雪を纏った精悍な姿が青空のもとに大きく広がりました。
そんな空の広い大通りを少し南下していき、今度は交差して東へ向かう
通りへと
分け入ってみると、道端に赤堀城あとというものが、小さい記念碑一つだけの
姿で歩道の片隅に小さく佇んでいる所がありました。もちろんそんなものが
なければ、ここが城跡だったということになど気づきようがないような
街の雰囲気です。

そして少し道を東へ進んだのち、路地みたいな道を南へ進むと、ようやく
辺りには小さい民家の姿も見られるようになって、その片隅に
あすなろう鉄道の、先日乗り歩いたときに唯一訪れることができていなかった
赤堀駅が静かに佇んでいました。
ここには簡単にさっき見つけた赤堀城のことについても説明されていて、
戦国時代の城で、実際にはけっこう大きい城だったらしいことを教えて
くれました。
また駅の近くには、用水路のような細い3つの川が合流する地点があり、
その辺りでは線路を走る列車も大きく見られる所で、すこしだけ写真撮影と
しゃれこんでみたのでした。

赤堀駅からあすなろう鉄道にすこしだけ乗車しました。基本的に住宅地の
裏側のようなところを走るのですが、川を渡るために高台に上れば鈴鹿山脈の
姿が爽やかに広がり、日永駅では三角形に大きくまたを開くレールに合わせた
ホームの姿と再開し、そのまま住宅街を進み、泊駅で下車しました。
先日は旧東海道の旅で、泊駅に近づいたところで道幅が旧に狭くなった
理由を、北側の道沿いに佇む名残の一本松が教えてくれた所だった
わけですが、今日はこの道に交差して港の方へ向かう大通りである、
どうも海軍道路などと呼ばれているらしい広大な大通りを行ってみました。
道沿いには郊外型の大型店舗や、運輸会社の倉庫なんかが立つのですが、
道に沿って、送電線の巨大な鉄塔も立ち並び、明るいそらのもとに連携して
送電線を渡した鉄塔は、前方のコンビナートのいかつい地帯へとさらに続いて
いるようでした。
今日が大晦日だからかもしれませんが、空は広大に明るく広がり、道も幅は
きわめて広いのだけど交通量は至って少なくて静かで、こんな道ばっかり
だったらいいのになという感じの爽やかな空気を感じる道で、
そんな道の片隅に、JRの南四日市駅が静かに佇んでいました。

駅裏は工場の建物や倉庫に囲まれ、構内には何本も線路が引かれる貨物駅
的な雰囲気を持つ大きな駅でしたが、今日は構内に貨物列車の姿はなく、
そして駅舎も大きいけれどいつからか無人駅となってしまってひっそりと
している状態、今日は今日という日のせいか、他に列車を待つ客の姿を
一切見ることができませんでした。

やってきた四日市行きの列車は伊勢鉄道から乗り入れて来る列車でした。
いかつい工場の間の線路を走ってきた列車は、聞いていた通り
四日市駅では駅本屋から大きく外れたホームに到着しました。
伊勢鉄道線内から乗っていた客はここで四日市までの運賃を運転士に
払って連絡乗車券を受けとるという方式であることはネットにも多数
実例が上がっていたわけですが、JR線内だけの乗車の場合は、
JRで払ってくださいと言われて整理券を持たされて下車させられるという
ネットで見つけることのできなかった扱いを知ることができたのでした。
もっとも、富田浜までと申告したからという疑いを棄却しきれていない
わけですが……

そして伊勢鉄道から普通列車への乗り継ぎもあまり考慮されていない
みたいで、四日市駅では何もすることもなく20分以上待たされることに
なりました。
乗り継いだ四日市始発のワンマン普通列車は、工業地帯のいかつい建物を
大きく見て、そして海沿いの四日市ドームや競輪場の姿を見ながら
軽快に走っていきました。

先日は富田の方から歩いてきた旅の終着点として訪れたような無人駅の
富田浜駅に降り立ち、先日見たかつての海岸線の雰囲気を恐らく
教えてくれている松並木の所から、先日は訪れられなかったその先の
道を歩んでみることにしたわけです。

道はすぐに、港の方へ向かう道と交差し、霞橋という橋を渡って対岸に
渡ると、四角い四日市港ポートビルの姿がさらに大きく望まれるように
なっていきます。
大通り沿いにも化学メーカーの厳ついプラントが並びますが、その対岸に
霞港公園という芝生の広場が主体の公園、シドニー公園という大きな遊具が
主体の庭園が並び、ポートビルも含めて歩道橋でつながっているという
構造になっていました。
ポートビルは先日訪れた日から閉まっているということは情報を得ていた
わけですが、基本的には家族連れが遊びに来て楽しいときを過ごすことの
できる公園ということになっているようです。

もう一度霞橋を渡って本土側に戻り、四日市方面へ海岸線を伝っていくと、
さらにたくさんの家族連れで賑やかな園地が広がりました。
ロングビーチ公園という、一般名詞ではなく友好都市の名前をつけている
公園らしく、そのお相手と関係あるのか、説明がなかったので
わかりませんが、黒く塗られた石油の掘削機械のような感じのする
てこ状の機械が展示されていました。
近くの広場は霞ゆめくじらという、海から頭を出したクジラの形の
遊具が設けられ、たくさんの家族連れが思い思いの時を過ごす空間と
なっていました。
海岸沿いの岸壁はロングビーチ通りという名前がつけられ、固有名詞で
なかったとしたら、これをビーチと言いますかとあきれてしまいそうな
完全にコンクリートで固められたまっすぐ続く岸壁の道で、対岸には
厳つい化学工場の金属剥き出しの配管の建造物や紅白の煙突から
こんな日なのに、広大な青空に向かってしきりに湯気を吹き出している
コンビナートの風景と、四角いポートビルの姿がいつでも眺められました。

ロングビーチ公園は程なく終了し、道も海沿いに行くことは一旦できなく
なりましたが、現れた立派なテニスコートを通りすぎ、その次に現れた
これまた立派な四日市ドームという施設が現れたところで、また海沿いに
出ることができるようになり、さっきよりも海への出口に近づきながら、
ゲートのように配管が上空を渡されている厳つい風景が作られているのに、
広大な明るい空のもとに、そんな風景も穏やかなものになって佇んでいる
港の風景を楽しみながら、次に出会った川の河口までの道をのんびりと
歩んで行ったのでした。

目論見ではここから近鉄の阿倉川駅まで歩いていこうと考えていたのですが、
歩道のつながりがネットの地図だけではよくわからずにゴミだらけの川の
河原を伝っていったりしながら、非常に交通量の多い国道23号を横断するのに
とても苦労させられたりとか、川沿いに進んでいこうと思ったのに、
地図では道が続いているように見えたJRの線路との交差地点で実際には
道は完全に分断されていて撮り鉄達の活動場所と化していたりとか、
大変な思いをし、四日市ドームや競輪場に囲まれるたんぼの中の道を延々と
歩いてようやく線路をくぐれる道を見つけることができ、線路の西側に
でてみれば、そこは富士電機の関連会社が集まる工業地帯でした。
あるけどもあるけども風景の傾向が変わらないまっすぐな道をやっとの思いで
越えていき、郊外型の大型店の姿も見られる国道1号と合流を果たした後は
交通量の多い道を伝って、すこし内陸には入り込んだ所にある阿倉川駅へと
たどり着くことができました。

阿倉川駅の周辺には高台に素朴な住宅街と新興住宅街が入り混じるような
感じとなっていました。
この住宅街の中に、イヌナシという梨の原種や、それと梨との中間のような
アイナシという種が自生している場所があるという情報を得て、その場所を
訪れることにしたわけです。

まずは西阿倉川アイナシ自生地というところを訪問すべく歩みを進めます。
ダラダラした上り坂といった感じで、疲労感の割には進む距離が稼げない
という感じになってしまっていましたが、何でもない住宅街に珍しく
現れた木造瓦屋根の建物の所で折れ曲がり、初詣の準備が進められてる
小さい神社を横目に見てさらに進んでいくと、丘陵の縁のような所の
住宅街の中に、その場所は広がっていました。
ただしその場所は柵で囲まれて入口には鍵がかけられ、鍵を借りれば
見学は出来るシステムにはなっていたようでしたが、その鍵を借りに行く
のも、何だかここから遠く離れたお宅へお邪魔しなければならないようで、
ちょっと気軽に訪れられる感じではない残念な訪問となってしまいました。

この近辺にはもう一つ、東阿倉川イヌナシ自生地という所があるという
情報を、阿倉川駅に掲示された地図を見て初めて知ったのですが、
せっかくなのでそちらのほうも訪れてみることにしました。
複雑に路地の交錯する住宅街でまっすぐ進むことができず、新興住宅街を
大きく迂回したりしなければなりませんでしたが、学校の敷地の脇を通って
その敷地を囲うように折れ曲がっていくと、こちらの方は柵などなく、
小さいけれど開放的な園地で、栽培されているアイナシの木も、
自生しているイヌナシの木も、間近に大きく見ることができるように
なっていました。
園地に生えている木々はほぼすべて葉を落とした状態になっていましたが、
アイナシの木には疎らに数cm程度の実が、そしてイヌナシの木には1 cm未満
程度の木が無数に実っていました。大きさは小さいのだけれど形は本当に
よく知っている梨の実をそのまま小さくしたようで、色もよくある梨の実の
茶色い感じがそのままといった感じでした。国指定の天然記念物ということ
らしく、さっきのアイナシ自生地のような扱いがもしかしたら本当なのかも
しれませんが、ここではそんな貴重なものを間近で見ることができて、
歩いてきてよかったという喜びを強く感じることができました。

街なかに戻り、単純な住宅街というわけではなく、大きくてきれいな病院が
たくさん立地していたり、業務用スーパーもあり、また今日は無人でしたが
特定の日に市場として使われるらしい建造物もあったりする阿倉川の街を
いったん駅付近まで戻り、さらに北隣の霞ヶ浦駅へ向かって歩みを進めて
みました。さっき通ってきた四日市ドームの辺りの公園たちの地名も霞ヶ浦で
あり、そこへの近鉄線での最寄り駅でもあり、訪れておかなくては
いけないかなと考えたわけです。

阿倉川駅をあとにして比較的すぐのところに、ほぼ相似形の2つの橋が
連続して線路を跨いでいる所がありました。
その橋の袂は羽津城址ということになっていて、建造物が残されている
わけではないのですが、線路の両側にまたがる形で橋の上も含めて芝生が
敷かれて遊具もいくつか置かれた、子供のいい遊び場となっていました。
特に海側は周囲の街に比べて高台となるため、周囲の建物の屋根越しに
海岸のコンビナートのいかつい建造物の姿や、さっき歩いてきた富士電機の
工場たちの姿も大きな空のもとに爽やかに見渡すことができました。

城跡をあとにして新興住宅街の中の道を進んでいくと、志で神社(「低」から
にんべんをとった字・機種依存文字らしいので……)という、杜の中の
けっこう大きな神社の境内に、妻恋稲荷という、ヤマトタケルの伝説が
もとになっているらしい命名の真っ赤な鳥居の並ぶ真っ赤な神殿の神社が
建っていて、境内の周辺の住宅地の中には志で神社古墳という、石が古墳の
石室のように組まれたものがひっそり佇んでいる所もありました。
そして何かの工場の大きい敷地もたくさん見られたりする住宅地を進んで、
広大な青空のもと、静かな雰囲気の中にたたずむ霞ヶ浦駅へと
たどり着いたのでした。

霞ヶ浦駅から近鉄線を南下する列車に乗り込み、わずかな乗車時間でも
いい加減疲れたたまっていたかうとうとしてしまいましたが、今回の旅の
最後の訪問地にするつもりで、北楠(くす)駅へと降り立ちました。
夕暮れの色が次第に濃くなっていく冷たい風の中、どこにでもありそうな
住宅街の中を海の方へ向かって歩いていくと、住宅街が途切れて田んぼが
少し広がったその先に、楠中央緑地公園が広がっていました。

広大な芝生の広場の片隅には、円錐形の築山が佇んでいて、冷たい風の中
山の上に登ってみれば、周囲の展望が意外に広々と広がる所でした。
広大な公園の全貌はもちろん、その周囲に広がるのどかな田園や、四日市へ
続く広大な住宅街、それを取り囲むようにして市街の西側に並ぶ鈴鹿山脈の
姿へ、ちょうど夕陽となった太陽の光球が刻一刻近づこうとしている
ところでした。
また海側の方にも大きな工場の建物がたくさん集まり、四日市の方には
紅白の煙突や金属の配管むき出しの工場がたくさん姿を見せ、その背後
すぐのところに青々と海の姿を見ることができました。
海は四日市の工業地帯の向こうにも深く切れ込み、その奥には長島
スパーランドの特徴的な遊具の姿や、名古屋の港湾に架かる橋のような
ものまで見渡せ、その背後にも頭を白く染めた山の姿を見ることができます。
冷たい風が強く吹きすさぶ所ではありましたが、夕暮れ空のもとに素敵な
展望と出会うことができました。

辺りが刻一刻暗くなっていく中、築山を下って公園内の遊歩道をかすめて
園地の南側へ広がる大きな工場の建物が集まる領域へと進んでいき、
すぐ近くで河口を開く大きな川の流れを、新五味塚橋というとても大きな橋で
海、街、田園、山並のすべての風景を大きく見渡して横断し、
対岸の住宅密集地へと歩みを進めていきました。

住宅街の中の細い路地を折れ曲がりながら歩き進んでいくと、ほどなく
宮崎本店という酒造会社の、古い木造の黒く塗られた板張りの大きな建物が
密集する領域へと進んでいきました。
キンミヤ焼酎と言われてようやく思い出した所だったりしましたが、
宮の雪という日本酒も作っていた所だと初めて知りました。
六角形の中に宮の字が配されたキンミヤ焼酎のマークが大きく描かれている
蔵もあり、レンガ造りの煙突もあり、黒い建物で囲まれた中から、大きな
タンクや金属の配管のいかつい工場の片鱗が垣間見られたりするしっとりした
雰囲気の古い街並みを適当に彷徨ううちに、辺りはどんどん暗くなって
いきました。

ここまでくると隣の楠(くす)駅の方が近くなっていて、夕暮れの道を
まっすぐ楠駅に向かっていきました。
今日は外で温泉は無理だなと思っていた所だったのですが、帰り道の途上に、
何でもない普通の小さい銭湯を見つけてしまい、残り時間は少なかったの
ですが、せっかくなので今年最後のお風呂にしようと立ち寄っていきました。
楠温泉という看板を上げていましたが、普通の銭湯のことを温泉と呼ぶ地方が
少なからずあるということは承知していたので、古めかしい普通の銭湯として
楽しんでいくことができました。地元の人たちにも愛用されている銭湯の
ようで小さい浴槽にたくさんの人が集まっていましたが、今日もずっと
歩きっぱなしでパンパンになっていたような感じがした足がだいぶ軽くなった
ような気持ちになることができました。

外に出ると、風呂に入っている間に辺りは夜に変わっていました。
最後に、最初列車でここを通った時に見た宝焼酎の工場の入口に立っている
大きな焼酎の瓶の像の所を訪れて写真に収め、楠駅から四日市へ戻る
普通列車へと乗り込んだのでした。
いったん近鉄四日市へ戻って預けていた荷物を回収し、奮発して特急料金を
払い、特急列車で30分程度の贅沢を味わい名古屋へ、そして今年最後の
年越しスパゲッティということで名古屋駅の中であんかけスパゲッティを
食して、最終の東京行きこだま号の客となったのでした。
紅白なんかまったく考慮に入れない旅となったのですが、夜の上りの東海道
新幹線でこんなことってあるのかというくらい車内は終始ガラガラの状態、
東京に着いてから何を思ったか竹橋まで大荷物をしょって歩くという
暴挙に出たのだけど、普通にイルミネーションのともる東京駅の周辺も
歩いている人はごく少なく、皇居も静まり返り、竹橋駅もひっそりとして、
乗りついだ東西線も西武線も楽に着席できてしまう状態でした。
日付が変わって少ししたころに無事帰宅となりました。
 

三岐鉄道北勢線沿線(2018.12.30)

murabie@四日市市です。

今朝はそれなりに晴れて路面も濡れてなく、昨日一昨日のような
濡れる天気にはならなさそうでしたが、空気は冷たいままでした。

今日はまず近鉄の急行列車に乗って桑名まで来て、改造中の構内を
移動し、西桑名駅からナローゲージの三岐鉄道北勢線の旅に出発しました。
先日のあすなろう鉄道の車両は新しく作られたものっぽかったのですが、
こちらの車両はきっと近鉄が運営していた頃からのものなんだろうと
想像できる、少なくとも車内はあまりきれいじゃない、そして走行音も
きっと釣りかけ駆動のうるさいやつで……
列車は畑の多い民家の間を行くのが基本となりましたが、西別所や
在良、七和など大きな工場が線路により沿う所もあり、そして先へ進めば
田園の占める割合が多くなっていき、ついには先日の三岐線の車窓からも
見えたのと同じ形の山並みが背後に控えながら広大な田園が広がるように
なっていきました。先へ進めば進むほど、田園に残る雪の量は増えていき、
そして今日も空から新たにちらちらばらばらと結構な勢いで雪が舞う
ときもありました。

最初に乗った電車がたまたま楚原行きだったので、まずは楚原駅に
下車しました。駅の回りには時々木造瓦屋根の古めかしい建物が
現れる静かな街です。
まずはそんな古い建物の間に時々雪を纏った畑が現れたり、学校の
校庭の向こうに白い山並みが覗いたりする街を抜けて、あるところから
急坂を下ってダートの道を行くと、北勢線の線路がコンクリート作りの橋で
路地を跨いでいる所がありました。その橋はねじりまんぽと呼ばれるらしい、
コンクリートブロックが捻れた形に組み合わされてできているものでした。
ちょうど列車がその上を通るところだったのですこし待って写真におさめ、

さらにダートの道を進んでいくと、再び舗装された道に出て、辺りには
広大な白くなったたんぼが広がりその奥にイオンもあったりする街並が
白い山並みを背景として広がるようになる所に出ていきます。
その辺りで白いたんぼ越しに北勢線の線路を見てみると、俗称はめがね橋と
いうらしいのですが一つ多いような気がする3連アーチのコンクリート橋を
通っているところでした。
ここでも寒空の元少待てば列車がやってきて、古い構造物の上を走る古い
路線の古い車両の姿に出会うことができました。
すぐ近くにはナローゲージが急カーブを切る所があって、そこで踏切を
渡ってたどり着くことのできる小さい八幡神社が、丘陵の足元に静かに
佇んで、初詣客を迎える準備が着々と進んでいるところでした。

また時々パラパラと雪というよりはみぞれが降ってくるような天気
でしたが、来た道をそのまま一旦楚原駅へ戻り、今度は北側へ進んで
いなべ市役所のある辺りのだだっ広くうら寂しい通りへ進み、広大に
広がる真っ白になったたんぼの向こうに白い山並みが控えている
風景や、前方の緑の丘陵に五重塔を丸くしたような塔が建っている
のを見ながら進んで行き、その塔が建っている丘陵に上って、員弁大池
というダム湖の周りに作られているいなべ公園を訪れました。

園地にたどりついたとたんにダム湖の噴水に出迎えられるなんていう
こともあったりしたわけですが、穏やかな湖面が常緑樹や裸の落葉樹に
囲まれている静かな公園です。
折しも日が高くなって気温が上がってきたせいか、周囲の丘陵の中に
通された遊歩道を歩めば、雪解けで道は当然濡れていたりぬかるんで
いたりするし、そして何より、頭上の樹木の枝の上に蓄えられた
雪が溶けて、雨が降るように水が垂れてくるだけならまだしも、
時には凍ったままの雪の固まりが頭上から落下してくるという、
決して歩きやすいコンディションではありませんでした。

やっとの思いでたどりついた丘陵の上の展望公園には、
いなべシンボルタワーというらしい、街中からも見えていた丸くなった
五重塔が建っていました。
3層目まで階段道ができて展望台となっていて、上ってみれば
公園の様子はもちろん、周辺の白い山並み、白い丘陵に囲まれた
白い街並が海の方まで続き、海岸沿いのコンビナートが水蒸気を吐きながら
明るい水平線を背景にして佇んでいる風景を見渡すことができました。

そして再び湖岸に下り、今度は湖岸を一周する遊歩道へと歩みを進めました。
積もっていた雪が溶けかけた状態で全く足を濡らさずに歩くということが
困難な状態ではありましたが、さくら橋という朱色のアーチ橋から
真っ白なままのピクニック広場を経て、きく橋という浮き桟橋のような
湖面にまさに浮かんでいる橋を進んで湖面をまた違った角度から
眺めた後、この前の伊坂ダムとはまた違い基本的には森林に入っても
ちらちら湖面を望むことができる程度には湖岸により添っている道を
進み、木々が途切れた所では緑色の穏やかな湖面を大きく眺めることも
できるようになっていました。
きじ橋を渡り道はほぼ湖面によりそって進むようになり、最初に歩いた
朱色のアーチのさくら橋を対岸に、背後の丘陵の上にシンボルタワーも
現れる風景を望むことができるようになっていきました。
そして道は来るときに下からも見上げた堰堤の上に通された道となり、
白くなった田園や住宅街の姿を見渡しながら、のんびり散策することの
できる所でした。

こうしてそこそこ長い時間をいなべ公園で過ごすこととなったので、
楚原駅へ戻る道の風景は、同じ道を歩いているはずなのに、だいぶ雪の量を
少なくして土の色が目立つようになってきた印象を受けました。
楚原駅に着いたところでちょうど西桑名行きの列車が発車する所だったので
飛び乗って、やはりだいぶ土の色が目立つようになった広大な田園の風景を
望みながら、2つめの東員駅まで歩みを進めました。

東員駅は確か、距離の近い2駅を中間地点に強引に統合してできた新駅で、
車窓には駅間の不自然な所に集落があったり列車の車庫があったりと、
不思議な車窓が展開していたのですが、果たして強引に作った駅の周囲は
白い山並みが囲む、遠巻きに集落に見守られていることはわかるけれど、
基本的には広大な田園ばかりが広がる駅になっていました。

爽やかなばかりで何があるわけでもない駅前の広大な、ほぼ雪が消えて
土だけになった田園の中を歩き、東員町役場の足元を通り抜けていくと、
その敷地に隣接するように、中部公園という、大きな遊具の集まる領域の
周りに広大な芝生や、川を渡ると川と繋がる池が掘られていてその周囲に
芝生が広がる園地ができていました。

水鳥も羽を休めたり時々思い出したように飛び立ったりしている穏やかな
水辺の風景を眺めながらのんびりと散策し、園地を貫いて歩みを進めて
いくと、緩やかな上り坂を上り、古めかしい木造の建物が多く集まる
住宅密集地へと進んで行きます。中にいると住宅密集地だと感じられますが
高台の縁に歩みを進めると、丘陵に囲まれながら高速道路など疎らな
人工建造物達とともに田園が広大に広がる山里の風景にも
出会うことができます。
そんな高台の住宅街の中に、猪名部神社という、社は大きいわけでは
ないのですがきれいで、比較的広い境内に爽やかな杜を持つ神社が
佇んでいました。

そしてさらに住宅街を奥の方へ進むと、幽静館という建物の周りに
作られた広場になぜか三岐線仕様の北大社駅の隣駅表示板が
展示されていたりしました。
もしかしたらこの集落のかつての最寄り駅が、統合されて廃止
されたらしい北大社駅だったのかも知れません。おそらくいろいろな
思いが交錯したはずで、当時の地元の人達の思いとか気持ちとかいう
ものが何となく聞こえて来るように感じられた所でした。

集落をあとに、中央公園に戻って再び湖岸を散策、そして東員町役場から
なんでもない広大な田園の中を歩いて東員駅まで戻り、そしていい天気に
なったのでたんぼの中を走る北勢線の列車の写真でも撮っていこうと
考え、次の列車で一駅だけ上り方向に進んで穴太(あのう)駅に降り立ち、
駅周辺に広大に広がるたんぼの中にある踏切付近で1時間ほど滞在する
ことにしました。
滞在する間に、たんぼを囲む白い山の姿、おそらく石灰岩を掘って
広大に削られ多面に雪が積もって真っ白な山の姿が、雲を纏いながら
よりはっきりと見られるようになっていきました。
続いて下り列車で東員の反対側の隣駅である大泉駅に下車し、駅に隣接
して営まれているうりぼうという道の駅とよく似た施設に足を踏み入れて
見たのですが、地場産品が多く扱われてはいましたが如何せん小さい施設で、
ここで時間をつぶすのはちょっと厳しいかなといった印象だけを受ける
結果となりました。

そしてやってきたこの路線終着の阿下喜行きの列車に乗り込んで、楚原よりも
先の区間に今日初めて足を踏み入れることになりました。
とは言っても最初の方の、ねじりまんぽ、めがね橋の辺りはさっき歩いて
訪れていたわけですが、その先へ進むと、広大に広がる田園に、さらに
姿を大きくした白い山の姿を見ながらゆっくり進むようになっていきました。
そして列車は田園を囲む丘陵の上へと分け入り、ここまでの車窓からすると
珍しい感じの、森の中を通り抜けていく山道といった感じの車窓となり、
ようやく次の麻生田(おうだ)駅へとたどり着きました。

麻生田駅の周りの集落は森に囲まれて、珍しく茶畑がそこいらに見られる所と
なっていました。
うっそうとした森に囲まれる墓地の中を通過して、急坂を下っていくと、
北勢線の線路の下に、洞門口という、Uの字を逆さまにしたようなトンネルが
口を開いていたのでした。
薄暗い森の中、すこしだけ待機して、洞門口の上を通過する列車の姿を
見送った後、引き続き坂道を下っていくと、すぐに下界の白い集落の中へと
出ることができました。ここでは雪の姿もまだ残っていて、すぐ近くに
大きく控える山並みの姿を望むことができます。
広がっていた、駅名になっている麻生田の集落にも重厚な瓦屋根の民家が
たくさん現れていて、時間があったならのんびり散策するのもありかなと
言った感想を持つことのできる集落でした。

麻生田駅から最後の一駅間を下り列車に乗っていくと、うっそうとした
林の中を走っていた列車はいつの間にか、周囲を丘陵に囲まれて、さらに
大きくなった白い山並みに見守られながら広がる、谷底に広がるのどかな
山里の風景の中を進んでいったのでした。

終点の阿下喜駅にたどりついた頃には、そろそろ辺りに夕暮れの雰囲気が
漂いはじめたかなといった感じでした。
駅は谷底のような所にあり、辺りには田園というか、空地を多く含む広大な
土地が広がり、控える白い山並みの姿はこれまでになく大きな姿を現して
くれています。
メインストリートは割と急な上り坂になっていて、道沿いにはたくさんの
古めかしい瓦屋根の建物が民家や商店として姿を現してきます。
市街地の北側には大きなお寺も静かに佇み、そしてどう見てもかつては
学校だったかのような、校庭のような広場の奥に佇む大きな校舎のような
建造物が佇んでいるところも見つけることができました。
路地に分け入っても雰囲気が大きく変わることはなく、木造瓦屋根の
民家達や商店達が現れてきて、その中には由緒は古いけれど建物は割と新しい
お寺の建物が含まれていたりとか、いろいろなものを見つけ感じながら
散策を楽しむことのできる街となっているようでした。

そして最後に谷底の空地に作られたかのような阿下喜温泉に訪れ、日帰り
入浴をしていくことにしました
何と言うことはない単純泉ではあったけれど、温度の違う内湯に露天風呂も
備付けられ、疲れきった足をのんびりとほぐしていくことができるように
なっていました。
多少名残惜しい感じもしましたが、宿へ戻る時間ということも考え、
すぐに出る西桑名行きの列車に乗り込み、辺りはすでに夕暮れとなって
車窓風景を楽しんでいくことが不可能な時間となっていて、ついつい
列車の揺れが心地良くてほとんどの区間を居眠りして過ごすことと
なってしまったのでした。

そして最後に戻ってきた桑名駅で、昭和の雰囲気を色濃く残す駅ビルの中に
夕食の摂れそうな飲食店街を見つけることができ、実は名古屋名物だった
オムレツのように卵焼きを一緒に焼いたナポリタンをいただいてから、
宿へと戻る帰路へ着いたのでした。

 

富田、長島、弥富(2018.12.29)

murabie@四日市市です。都合により今日から違う宿へ。

今日も昨日と同じように、雪が時には激しく舞うような天気で、
四日市をあとにした近鉄線の車窓にも、民家の瓦屋根や広大な
たんぼ、富田の貨物駅が昨日見たよりもさらに白く
染め上げられている状態でした。

今日は近鉄名古屋線の沿線を巡ってみることにして、まずは川越富洲原駅に
降り立ちました。
真新しい橋上駅で綺麗に整備されていたのですが、駅周辺の山茶花の生け垣、
駐輪場に止められた自転車、そのほかいろいろな所に雪が積もっていました。
駅は川越町にあるのですが、海へ向かって歩いていくと、あるところで
色つきで綺麗だった道路の舗装があからさまに特徴のないものにかわるという
露骨な境界線が現れて、四日市市へと入っていきます。
辺りにはなんでもない住宅街が広がりますが、程なくその中へ港が切れ込んで
くるところが現れます。地図上では二股に別れるように切れ込む細い水路の
一つで、固められた岸壁の上にはマンションと並び、コンビナートの煙突の
姿も現れてきます。
そして再び若干の古い建物が現れる大通りを行けば程なく、
二股のもう片方の水路が、高い堤防に囲まれるようにして現れました。
堤防の中に入れば、辺りには小さい舟がたくさん停泊していて、
水路の周りや出口の方には無機的な建造物がいろいろ集まってきます。

水路のどんづまりの所も高い堤防で囲まれ、近くには噴水のある小公園が
あり、そこには伊勢湾台風最大潮位標というモニュメントが現れます。
その高さは港を囲む堤防の高さとだいたい同じくらいになっているので、
きっと災害後に整備されたんだろうと想像できます。
この公園に接するようにして、けんかまつりなる行事と関係あるらしい
飛鳥神社の森と力石が奉納されている綺麗な社殿、そして隣の龍泉寺という
大きなお寺が、なぜか広大な道に続くように佇んでいて、濡れた路面が
ちょうど顔を覗かせるタイミングとなった太陽に強く照らされて
とても眩しい状態になっていました。

公園には排水機場なのか巨大で厳つい建造物が建ち、そしてここから、
かつて運河だった堀割を再生利用している整備された遊歩道が始まって
いました。水路沿いに木々が植えられていたり丘陵や滝のようなものが
造られていたりと、ブロックごとにテーマがあるらしかったのですが、
水路に架かる橋の上には雪が積もっていて、今日こそ履いていた長靴で
踏み締めれば柔らかい感覚を感じることができました。

せせらぎ広場というらしい水路の末端から、国道1号の、道幅は広いけれど
特に何と言うこともない道を歩いていくと、程なく三岐鉄道の本社ビルと
三岐鉄道の貨物線が乗り入れて貨物駅としての意味合いが強い富田駅が
現れました。なんかお社が佇んでいる駐車場が、貨物線の線路のすぐ
側まで広がっていたので、もとの三岐鉄道のホームに三岐の電気機関車に
引かれてきたセメント列車が止まって、JRのディーゼル機関車に
付け替えられる様子を見ることもできたりしました。
駅前すぐには広大なイオンが建ち、その敷地にそってさっきのせせらぎ
広場の方へ戻る方向に歩みを進めると、昔使われていた赤レンガ倉庫が
道路沿いにしずかにたたずんでいました。どうも倉庫自体は今は
イオンタウンの一部みたいな位置づけになっているみたいで、
飲食店とかそのほかの施設として使われていたり、そのとなりには、
赤レンガ倉庫を模して新しく作られた建物にサイゼリヤが営業して
いたりとかいうこともあったりするようでした。

旅各駅としては無人駅だったJRの富田駅の構内に入り、もともと
改札内の跨線橋だったはずのものが自由通路として使われている
ような感じでしたが、反対側は名古屋方面のホームに直接下りて
いるという、昔の姿を知らないのだけどそんなことで
いいんだろうかと思ってしまうような構造になっていたりします。
駅の反対側には古めかしい木造瓦屋根の建物が多く集まるしっとりした
雰囲気の静かな街になっていて、路地を通り抜けて賑やかな雰囲気の
大通りへ進むと、昨日通り掛かった近鉄富田駅にもすぐ出ることが
できました。

近鉄富田駅をあとに、ちょっと道に迷ったりしながら、由緒はあるらしい
けれど近代的な小さいビルのような冨田山長興寺や、古川町という所に
水路に架かるコンクリートだけど古めかしく作られた橋が架けられて
到達できる、クジラのお祭りに関係しているらしい鳥出神社などを経由
していくと、さっき通ったせせらぎ通りの終点にもう一度たどり着き
時々ぱらぱらと雪が舞う中、ここから東富田の古めかしい重厚な建物が
密集する領域を彷徨っていきました。
やがてたくさんの車が往来する国道を横断する歩道橋を渡って
楽に到達できる富双緑地が現れました。
ようは広大な芝生の広場を横切っていくと、港の青々とした運河の
向こうに厳つい工場の建物や四日市港ポートビルというらしい四角い
建物の姿が、たまたま広がっていた青空のもとに佇んで、吐き出す
水蒸気が一定の方向に流れる、雄大で穏やかな港の風景を楽しむことが
できました。

東富田の街へ戻り、引き続き古めかしい建物の多い重厚な街を進んで
いくと、水路沿いに富田の一本松という、ちょっと曲がっているけれど
昔のそのままではない2代目になったらしい美しい松の木一本が堂々と
佇んでいるところを見つけることができました。
水路にはすぐ近くに厳つい水門が建ち、堤防で囲まれた水路の出口へ
進むとここにも小さい舟が集まる港が形成されていました。

街は富田浜元町へと進み、古めかしい建物はそんなには現れなく
なりましたが、水路の出口となる排水機場を伴う厳つい港の辺りからは
通り沿いに松並木が続くようになりました。
もしかしたらかつてはこのあたりが海岸で、港側の方は埋立地ということ
なのかもしれません。文学碑の類もいくつかあり、何となく昔はリゾート地
だったんだということが感じられる道の散策をしばし楽しむことが
できました。
住宅地を内陸の方へ抜けるとJRの富田浜駅がありましたが、乗れる列車が
ちょうど出発してしまって次の列車まで30分ほど開いてしまったので、
一旦港まで戻ってみました。小さい舟のたくさん停泊する入江を伝って
広大な運河沿いに出れば、四角いポートビルの姿がさらに
大きく見られ、また広い水路の向こうには引き続き水蒸気を吐く
コンビナートの姿も穏やかに見ることができました。

富田浜駅から昼前のワンマン列車に乗り、住宅の裏手のような道を通って
富田へ、三岐線の線路との絡みを見た後、住宅地と工場の間のような道を
通って朝日へ、そして田園を経由して広い川を渡り桑名へ、さらに揖斐川、
そして堤防だけで隔てられた長良川を立てつづけに渡って、他のところで
は消えていたけれどたんぼにまだわずかに雪の残っている長島駅へと
進んでいきます。

JRの長島駅は短い屋根しかない駅でしたが、すぐ近くにある近鉄の
長島駅の方は駅舎もあり、ロータリーもある普通の駅だったりします。
裏側のJR駅のさらに裏手に出ると、わずかに民家をない方する田園地帯と
なり、その中に建つわずかな民家の中には、先日学んだ輪中の中の民家の
構造の名残を残しているような、石垣を組んでかさ上げした上に建っている
ものがこのあたり結構あるように感じられました。

本当ならいろいろな所をじっくり見て回りたかったところですが、折あしく
空からは雪というよりも気温が上がってみぞれとなったものが大量に
降ってきて、しかも風も強く吹き傘を指してもあまり役に立たないという
ちょっと気ままな放浪には向かないコンディションになってしまいました。
一応木曽川の堤防に上れば、広大な水面の向こうに対岸の桑名の街の様子、
線路のみ波側に回り込んでもう一度回り込めば、宇宙人の基地のように
丸いものが川の上に規則的に並ぶ木曽川河口堤の様子も見ることができ、
また堤防沿いには松尾芭蕉にゆかりのあるらしい小さいお寺が、石碑は
ともかく山門もお堂も真新しかったり、他のゆかりのある小さいお寺も
すぐ近くに建っていたりする所があったり、ゆっくり楽しんでみたい
所ではありましたが、冷たい風の中でずぶ濡れになってしまった思い出
だけが残る結果となってしまいました。
たんぼを抜けて内陸へ進むと、あまり輪中と言う感じのしない素朴な
古めかしい建物もある住宅街となり、その中心付近には学校も建つの
ですが、どうやらそこは城跡だったらしく、近くのお寺には山門を
移築してできたものがある所もあったりしたのでした。

長島駅に戻る頃にはみぞれは止んだけれど、吹きっ晒しの中で
列車を待つのはちょっときつい感じのする駅でした。
JRのホームにやってきた上り列車に乗り込み、悠々と木曽川を
渡って、先日は名鉄線経由でたどり着いたJR弥富駅に、今日は
JR線経由でたどり着いたのでした。

駅前の定食屋で遅めの昼食を取った後、寒空の中でしたが、
今日こそ、金魚の街を散策しにいきました。
駅前にペットボトルで作られた金魚の像が立っていたりしたのですが、
駅の南側に出て適当に国道1号線沿いを歩いてみると、道沿いにも路地の
奥の方にも、時には浜乙女のあのキャラクターが描かれた工場倉庫を
背景としながら、小さくて四角くて、鳥避けのために細いワイヤーが
平行に無数に張られている池がたくさん集まっている所が見つかりました。
道路沿いには金魚を売る直売所や、メダカヤ釣り餌なども含めたものを
売る店がいくつか見られたりします。
時々体やカメラを濡らす雨が強い風とともにやってくるのに堪えながら
冷たい風にも耐え、路地の隅にも新興住宅街の中にも現れる金魚池を
見つけては、住宅街を縦横に歩き進んでいきました。
以前訪れた大和郡山でも同じような風景を楽しみましたが、その時は
小さな池でもわりと赤い金魚の群れが外からでも確認できたものでしたが
今日あまり金魚の群れに会うことができなかったような気がしたのは、
やっぱりこの厳しい天候のせいなのでしょうか。

住宅街を複雑に進みながら何となく南の方へ進んで行き、南端の
川のそばにある金魚卸売市場なんていう施設を通り掛かりましたが、
時期的なものか、夕刻が近づいて来ている時間のせいか、ひとけの全く
感じられない施設になっていました。
並走する細いけれど大量の水を緩やかに流す水路に厳つい水門が立っている
ところから海沿いへ向かい、何やら園地の駐車場が開けているのを通過して、
木曽川の堤防の方へ向かうと、四角く刻まれた工事中の港にたくさんの
小さい舟が停泊していているところでした。
このあたりに、愛知県と三重県木曽岬町との境界が走っていて、
地図で確認したその路地を歩いて2県跨がりなんてことをやってみたり
してしまったわけです。

木曽岬町も深く巡ってみたい所ではありましたが、残された時間はあまり
長くなく、今日の旅の最後として、この近くにある鍋田川温泉という所で
日帰り入浴をしていくことにしました。
一応食塩泉ということになるんでしょうが、うっすら黄金色に色づいて
いる温泉で、湯冷めしにくいとかいろいろな特徴があるお湯のようです。
大きな施設ではありませんでしたが露天風呂もあり、旅館がメインである
所にしては地元の人たちの利用も多いようで、県境ということが意識されて
いるのかどうかわからないけれど、気軽に訪れて楽しむことのできる所で
あったように感じられました。

すっかり温まり、さっきまでは外を歩くのがとても寒く感じられたの
ですが、暖まっているうちに夜になった外にでて、コミバスを待つために
吹きっ晒しの外に出ても、辛さを全く感じずに済みました。
木曽岬町が運営するコミバスはマイクロバスでやってきて、さっき少し
歩いた県境の路地を走って愛知県へ進んで、弥富市内の賑やかな通りを
進んで行きましたが、途中立ち寄った大病院から新たな乗客を拾っていて、
町営のコミバスが他の自治体で客を乗せる例ってそんなにあったかしら
なんて考えてしまったりしました。

バスは近鉄弥富駅行きということでしたがきっとJRや名鉄の客にも
配慮して踏切を渡ったところまで行き、駅の入口の目の前に止まって
くれました。
あとは近鉄電車で、真っ暗になった道を四日市へと戻っていくのみでした。
夕食に調子に乗って四日市のトンテキをダブルで食ってしまい、
苦しいひと時を過ごしています。
ホテルで見たケーブルテレビの画面では、コミュニティーFMの音声とともに
鈴鹿市四日市あるいは三岐鉄道や北勢線沿線の道路交通の要所の定点カメラの
映像が流されていて、今回の旅のいろいろなシーンが思い出されたり、
ことに旅の最初の方の鈴鹿市内の映像には、なつかしささえ感じられたり
してしまったのでした。
 

三岐鉄道線沿線(2018.12.28)

murabie@四日市市です。

テレビでしきりに年末寒波到来と言っていた通り、今日は四日市にも
ちらちらと粉雪が舞う状態となっていました。
今日は三岐鉄道の沿線を攻めようと思って、近鉄富田に向かって
急行列車に乗ったのですが、霞ケ浦の辺りで大きく広がる田園に
雪が舞い、たんぼもうっすら雪化粧していました。
そして近鉄富田駅での乗り換えのときにも辺りに粉雪が舞いました。

近鉄富田駅から、最近まで西武線にいたような気がする車両に乗り、
JR線や貨物線との複雑な絡みを見た後、素朴な民家の集まる中を
進むようになったところで、まずは平津(へいづ)という駅に
降り立ちました。

駅をあとにすると、いきなり古い木造瓦屋根の重厚な民家や商店が
細い駅前通沿いにひしめく風景に出会い、短い駅前通りを抜けると、
前方に名神高速の高架が横切る所にでました。
千代田橋で川を渡ると、下流の方には四日市の水蒸気を吐く煙突の
姿をいくつか含むコンビナートの姿が、上空を厚い雲に覆われながら
水平線付近だけ明るいオレンジ色を呈している空を写す、砂の河原の
中を蛇行する川の流れとともに、幻想的に浮かび上がっていたのでした。

名神高速をくぐって、前方にそびえる笹の明るい黄緑色を呈している
丘陵の足元へ歩みを進めると、丘陵の丈夫にあるらしい神社への
入口が表れ、さらに丘陵の付け根に沿って進めば、おそらく人工的な
平面的な斜面に「伊坂ダム」という文字が生け垣で刻まれて
いるのが見つかり、道は林の中へ入ってそのダムの築堤の上を
目指す坂道となっていきました。

築堤上には伊坂ダムサイクルパークということになっていましたが、
ようはダムを周回する遊歩道を行くために自転車を貸し出す準備が
されているということで、別に歩いて回っても差し支えないようでした。
まだ貸出が始まる前の時間だったということもあり、案内に従って
反時計回りにダム湖の周囲を周回してみることにしました。
しかしどうも、ダム湖だから周囲の地形が複雑になって、湖岸を
なぞるような遊歩道は作りにくかったと見え、道はむしろダムの
周囲を囲む森林の中を進んで時々湖面を拝むことができるといった
感じになっていたのです。

それはそれで、時々紅葉の名残を残す鮮やかな暖色の領域を見つける
こともできたし、特別許可を受けて活動している高校のカヌー部の
生徒が一生懸命整備をしている基地の近くを通ることもできたり
したので悪くはなかったのですが、この湖の水面のことをじっくり
見て楽しんでいる気分になれたのは、コースも終盤に差し掛かった、
隣接する子供向けの園地の側を通るようになった所だけだった
気がします。最後のここだけは、ずっと広大に広がる湖面に
寄り添ったまま、目前の穏やかな湖岸の風景や、ここまで歩いてきた
奥の方の複雑な湖岸線を描く森林に覆われた湖の風景を見渡しながら
堰堤の上を散策することができました。
そして堰堤の上からは湖面だけでなく、四日市の方の街並も展望する
ことができ、不安定な空模様の中に浮かぶ幻想的な姿をしばし楽しむ
ことができたのでした。

竹林の中の下り坂を下って、何やら古墳もたくさんあるらしい丘陵の
足元を通過して、帰りは程近い隣の暁学園前駅に出ようと思って、
たんぼのど真ん中の道に踊り出てみれば、今日はこの天気だから
吹きさらしの風に吹かれて寒いことこの上ないって感じでした。
川の対岸におそらく駅名になっている学校の校舎を載せている
丘陵が浮かび、その足元に集まる住宅街の屋根は、他のところに
比べてかなり白くなっているように見受けられました。
暁学園前駅はきっと三岐鉄道の中では新しめな駅と思われ、
他の古めかしい小さい駅とは異なり、真新しい感じの天井の高い
建物となっていて、暖房完備の待合室が備わっているのもうれしくて、
その中に閉じこもりながら、外界に襲ってきた吹雪の凄まじい様子を
ぼーっと眺めて過ごすこともできました。

駅に着く直前に下り列車は出発してしまっていて、次の西藤原行きは
1時間くらいないという事態に陥っていましたが、途中の保々駅止まりの
列車はすぐに来るようだったので、とりあえず保々まで行ってみる
ことにしました。
列車はほぼがらがらの状態でやってきて、激しく雪の舞う川沿いや、
丘陵の足元のたんぼの間を進んでいきました。たんぼにはここでも
うっすらと雪が積もりはじめていました。
保々駅が近づくと車庫が現れ、いろいろなタイプの車両や機関車が
佇んでいるのを見ることができました。

以前として激しく雪の舞う保々駅の周りはむしろ田園ばかりでした。
次の列車の時間までの短い間に駅の周囲を適当に散策しても、小さい
工場の敷地があるくらいのものでした。
近くを流れる朝明川の堤防の方へ進めば、堤防沿いには桜並木がならび、
そして砂地の河原の中を蛇行して流れる川に架かる橋を渡れば、
その対岸にようやく集落らしい、民家の密集する領域が現れたのでした。
歩いている内に雪の粒はさらに大きく、準備していた長靴をうっかり
宿においてきてしまったことを後悔する結果になり始めていました。

保々駅から引き続き下り列車の旅を続けました。
雪の降り方は完全に真冬の、日本海からのすじ状の雲によってもたらされる
もので、激しく降る時間と全く降らない時間がはっきりする傾向が見られ、
どうやら雪の止み間に差し掛かったと見え、空には青い領域も大きく見られる
ようになってきました。そして、確かに寒いのだけど雪が残るほどの寒さでは
ないということなのか、雪が止んでしまえばたんぼに積もるかと思われた雪も
なくなってしまう傾向にあるようで、周辺の丘陵の木々や竹林が白く雪化粧
してはいましたが、たんぼの雪化粧は溶かされてしまったようでした。
そして三里を出ると、右手のたんぼの背後には霧に煙りながら山脈の影も
姿を表すようになってきました。

駅の構内に機関車、タンク車や貨車が展示されている丹生川駅で足を止める
ことにしてみました。実際はレールは本線とは分断されていて、貨車鉄道
博物館の展示物ということになっているようで、博物館自体は休館でしたが、
敷地に入ったり展示されている列車を間近でみることに制限はないという
スタンスのようでした。
折しも空には晴れ間も現れ、西側の空にはさっきまで隠れていた山並みの
姿が、真っ白になって姿を現してきました。
最も線路寄りの山は、おそらく石灰岩の採掘されたあとなのでしょう、
不自然に多数の平行線が水平に走る山容を示し、立ち並ぶほかの山並みに
比べ不自然に真っ白な姿を示しています。
そんな爽やかささえ感じられるようになった空のもと、本線には、
ちょうど本物のセメント貨物列車が上り下りと立て続けにやってきて
機関車に牽引されながら悠々と走っていったのでした。

滞在している短い時間はいい天気を保っていましたが、次の下り列車の
時間になる頃には、空はまたどんよりと曇るようになって、
乗り込んだ列車の車窓にはまた、大量の雪が舞う風景が展開するように
なっていきました。
伊勢治田(はった)駅の構内は車両こそいないものの何本ものレールの
敷かれた広い構内を持ち、引き続き隙間のたんぼを多く含む住宅街を
進むと再びたくさんの線路を持つ東藤原駅へと進みました。
ホームの反対側にセメント列車が止まっているような駅を過ぎるとすぐに、
列車は金属の配管を剥き出しにしながら水蒸気を吐くセメント工場の
中を進むようになっていきます。
程なく工場を抜ければ、山あいののどかな田園が雪に煙る風景となって、
たんぼも白く染まりはじめる風景となり、列車は終点の西藤原駅へと
進んでいきました。

西藤原駅に着く頃には、外にはちょっと外出することがためらわれて
しまうレベルの大雪が外を舞っている状態でした。
駅のホームにも古い機関車が展示されていたり、駅舎自体も機関車や
客車を模したものになっていたり、駅に隣接する公園に広がる
ミニ鉄道の敷地が真っ白に雪に埋もれていたりしましたが、それらを
じっくりと楽しめる余裕はちょっと持てない状況でした。
それでも移動しないわけには行かないと、意を決して大雪の舞う
西藤原の市街地へでてみれば、大きなお寺も含み古い木造瓦屋根の
重厚な民家が集まる素朴な街並が大量に舞う雪の白色に染まる
それなりに味わいのある風景に接することができました。

隣の西野尻駅へ向かって引き続き歩みを続けると、雪化粧を始めた
田園が同じく白く染まりつつある森林に囲まれる風景となっていき、
程なく線路から少し離れた所に立派な森を抱く八幡神社が佇んで
いるのを見つけることができました。
この神社の鳥居の周辺に西野尻の集落ができて、屋根が白く染められた
民家と小さい畑が入り混じり、その集落を囲む森林との境目に、
駅舎のない完全無人駅の西野尻駅がひっそりと佇んでいたのでした。

西野尻駅にやってきた上り列車に乗り込むと、一旦弱まるかと思われた
雪の勢いは再び強くなって、さっきは晴れていた丹生川駅付近も白く
雪に煙っている状態でした。
三里(みさと)駅に降り立ってはみましたが、やはり外に出ることが
躊躇される空模様となってしまい、激しく降りつける雪の姿を見ながら
しばし駅で待機していました。

意を決して駅の外にでて、両が池という所へ向かうべく、駅の裏手に
広がる旧町役場の周辺の素朴な集落を進みました。
家並みはもちろん、家並みの隙間に現れる茶畑や、重厚な民家の
庭先に選定された樹木や、満開に花を開く山茶花の木もまた、うっすらと
雪を纏った姿を見せてくれます。
道は程なく、簡単な切り通しのような道を通って大通りと合流し、
その先はどこにでもありそうな、大小様々な民家や商店が姿を表す
雑多な通りとなっていきました。

南北方向の大通りへ折れていって大型店舗をやり過ごし、程なくして
道は両が池の中を貫く所へと進んでいきます。
左手の池は水を抜かれて残念な姿を晒していましたが、右手の池は
豊かに水を蓄え、紅葉の名残を残す林を載せた丘陵に囲まれ、
おそらく伸びているであろう遊歩道のものなのか、雪を載せたあずまやが
姿を見せていたりする中、湖面はあくまで穏やかに横たわり、水鳥達も
湖面をのんびりと行き交っていきます。
残念な姿の方の池には隣接して両が池公園という園地が広がり、
なんだか陸上のトラックのような姿をして雪に埋もれていたのですが、
どうやらここである時期には草競馬が催されるらしく。
園地の隣には両が池牧場なる施設もあったりしましたが、立入禁止と
なっていて、今現在ここで馬が飼育されているのかどうかは
わからないままでした。

近くに見つけたイートインコーナーつきのコンビニで休憩しているうちに
行きはほぼ止み、空には晴れ間も広がるようになりました。
同じ道を帰るのは芸がないと考え、地図を見れば縁起のよさそうな
大安という駅にも程近いということがわかったので、そちらの道を
行くことにしたのですが、単純に切り開かれた林の中だったり、
特に特徴の見当たらない小さい新興住宅地だったりと、往路に比べると
特に面白い道でもありませんでした。
それでも大安駅に近づいてくると、大きな競技場の集まる運動公園
的な所に差し掛かり、道沿いにも飲食店の姿が現れたり、
近くを流れる宇賀川という河川沿いには自然水族館と銘打って、
森の中に設けられた池の側面をガラス張りにして観察できるように
した施設が現れたりしました。もっとも寧ろ貝が大きく成長し、
時期的なものか魚の姿はごく小さいものしか確認できませんでしたが。
このあたりから山並みに囲まれて広がっているように感じられた
集落の中の大安駅を目指していけば、なぜか枯れてもそのままに
なっている大豆畑の奥に、図書館を併設して綺麗な煉瓦造りに
整備された大安駅が佇んでいたのでした。

大安駅から上り列車に乗って、次は北勢公園中央口駅という駅に
降り立ちました。ここも駅名となっている観光施設へのアクセスを
意識したのか、新しく作られた駅舎、それこそ関鉄やら小湊やらで
見かけたような感じの綺麗で天井の高い駅舎となっていました。
駅名となっている公園へのアクセスは完全なる新興住宅街の中の
つまらない道を行くことになり、そして公園自体もなんでもない
森を強引に切り開いて作ったような感じが漂ってくる、広くて
綺麗ではあるんだけどひとけもなくて寂しい感じが否めないもの
だったような気がします。芝生の広場や噴水の池、水鳥達の戯れる
広大な溜池が紅葉の名残を残す森に囲まれる風景は一応広がりましたが、
そういう領域を抜けてしまうと、駐車場や広場と言いながら実のところ
閉鎖されていたりまだ建設中だったりしてしまう、敷地は広大なのに
なんだかなあといった感じが否めない公園だったように感じました。
この公園が本気を出す時期の景観はどうなるのか、
気になるところではあります。

公園をあとにして、帰り道は梅戸井駅を目指してみることにしました。
森の中に開いていた出口から、森の中の道を谷底に向かって下ると
谷底にはたんぼが広がって、その背景の白くなった山並みの姿も
見ることができます。
高台に上ればまた別に田園が広がり、信号を超えると素朴な集落と
なって、なぜか広い道路の真ん中にソーラーパネルが敷き詰められて
いたりもしたのですが、ここからさらに森を越えていくと、
丘陵に囲まれた谷底のような所に、高速道路を中心として広い範囲に
民家が集中して広がる風景にも出会うことができたのでした。

そんな素朴な住宅街の中にある梅戸井駅へとたどり着けば、
辺りはみるみる間に夜になっていき、地元の下品な中学生達の
ゴールデンタイムとなっているかのようでした。
足が濡れていたせいもあったのかもですが、今日の夜風は格段に
冷たく感じられ、そんな中にようやくやってきた列車に身を任せて
近鉄富田へと向かって戻っていったのでした。
 

湯の山温泉、御在所岳、近鉄湯の山線沿線(2018.12.27)

murabie@四日市市です。

今日は昨日よりいい天気になりそうな感じに晴れた朝となりました。
今日は近鉄湯の山線方面を攻めるということだけを決めていて、
まあとりあえず御在所山でしょうといった適当な感じで、まずは終点まで
乗り通すことにしました。
大都会の四日市をあとに、御在所岳や鈴鹿山脈がの方へ本線から別れて
高架線を進み、次第に建物の大きさが小さくなっていき、中川原で地平に
下ると辺りは通常の民家が集まるようになっていきます。
伊勢川島辺りから車窓には広大な田園が広がることが多くなり、田園の背景に
控える山並みの姿もどんどん大きくなって、桜駅など住宅街は広がっても
畑を多く含む密度の小さいものとなっていきます。
菰野へ進んでからは家並みが途切れることはあまりなくなり、大羽根園を
過ぎて、高速道路のきれいな高架線をくぐり抜けていくと、列車は丘陵の
足元にある湯の山温泉駅へと進んでいきました。

湯の山温泉駅は観光地仕様の大きい駅といった感じになっていましたが、
まだ時間が早くてひっそりとした雰囲気でした。
駅の周辺には土産物屋や飲食店は数件佇むのみ、住宅の姿も多くなく、
人の姿自体がほとんど見られない感じです。
失敗だったのは、ここからロープウェイ乗り場へ向かうバスの時間を
調べてなかったことで、接続しているだろうくらいに思っていたら実は、
次のバスまでまだ1時間以上あることがわかったりして、
駅にはタクシーも常駐しているのでどうしようか迷いましたが、
今日もまずは歩き旅から始めてみようと、ロープウェー乗り場へ
向かって歩きはじめました。

駅をあとにして坂道を上りはじめると、いくつかの宿泊施設や会社の
保養所など、稀に飲食店なども道沿いや路地を入ったところに現れて
きますが、基本的には周囲には常緑樹の林が続いていきます。
いつのまにか川の流れにも寄り添われていて、花崗岩らしい白く大きな
岩石が河原にごろごろしているのが印象的な姿となります。
よくありがちな歓迎湯の山温泉というアーチをくぐり更に緩やかな
坂道を上りつづけていきますが、街を歩くのと違って歩けども歩けども
風景に変化があまりないというのが辛いところです。
バス停名を記す板が取り外された状態のものが立っているところがあって、
てっきり駅から温泉へ向かうバスも通っている道だと思い込んで
いたのですが、つい最近かもしか大橋という新しい道ができたために
そっちを通ることになって、この道はバス道ではなくなり停留所も
休止中なのだと。バスにのっていては見ることのなかった風景を
見ながら歩いていたということに初めて気づきました。

時々並走する川の対岸に現れる大きな宿泊施設の姿に励まされながら
延々と歩きつづけ、1時間くらい建った頃、山道に温泉街にありがちな
小さい商店などの生きている建物が集中する領域にたどり着きました。
バス路線の変更の影響で、この場所にあったバスターミナルも休止、
バスはここから10分ほど歩くことになるロープウェー乗り場に直接
乗り入れることになったのだと。この温泉街にとってはかなり痛手の
変更なのではなかろうかと、周囲に広がる商店達を見て感じます。

ロープウェーにも乗りたかったのですが、この湯の山温泉の温泉街自体も
味わって生きたくて、引き続き歩きつづけることにしました。
それにしても強く感じたのは、とにかく急な坂道ばかりということです。
ここからロープウェー乗り場に向かうのも、商店の並ぶ急坂を上り、さらに
急な階段道へ入らなければならないようでした。

ロープウェーを後回しにして温泉街の奥を目指して行くと、涙橋という
橋が架かり、谷底から周囲の斜面に疎らにホテルが建っていたり、
ロープウェーの駅が佇んでいたりする風景を見上げるような感じに
なりましたが、どうもここは大石内蔵助が京の遊郭で遊びほうけるふりを
しているときに、飽きたらここに来たみたいな感じでけっこうゆかりが
深いところらしく、橋の名前も大石内蔵助がらみのの逸話に由来して
いるらしいです。

小さな商店や大きなホテルが立ち並ぶ山肌の下の道から、橋を渡って
温泉街のメインストリートへ進む道もまた、アップダウンがきつい
道だったりします。気づいたのは、生きているホテルに混ざって、
至るところ朽ちていたりガラスが割られたりしている廃墟となった
ホテルの姿もけっこう多く存在しているということでした。
誘い橋という大石主税にゆかりのあるらしい橋を過ぎ、白い岩石が
ごろごろする三滝川の流れに沿う温泉街の道をさらに進むと、
流れの中に巨大な岩が鎮座しているところがありました。
この岩の周りは大石公園という小公園として整備され、赤い橋が
かかって、しっとりとした温泉街の散歩道の風情を盛り上げています。
公園の名前はあくまで大きな石があるからで大石内蔵助とは
関係ないらしいのですが、大石内蔵助もこの場所が好きだったようです。

温泉街の中心に戻る道は、遊歩道のような裏道をいきました。
生きている建物や廃墟の建物の入り混じる細い道にそっていくと、
真新しいきれいな三嶽寺というお寺が、切り開かれた斜面に寄り添われて
佇みます。
切り開かれた斜面にはいくつかのお堂が立って階段で結ばれ、
沢の上に迫り出すように小さい不動明王像が立っていたりします。
山の奥へ階段道で分け入ると、森で包まれた道の途中に湯元があって、
こんこんとお湯がわき出す様子は排水溝のようなところにしか
見られなかったけれど、小さいお社が建てられて大事にされていると
いうことが感じられます。

遊歩道に戻ると階段道となり、四日市の町並みが広がるパノラマも
垣間見られたりするのを見つけ、引き続き急な階段道をゆっくりと
踏み締めるように下って、さっき一回通ったところへ戻りました。
ここから温泉街を囲む反対側の丘陵へ進み、蒼滝という見どころへ
向かうことを試みましたが、階段は急な上に、この夏だかの水害の
影響が残っているようで道は歩きにくく、すでにたくさん歩いて
足も疲れていたこともあり、今回は訪れないことにしました。
最後に近くの三滝川の中州のような、中之島公園を訪れました。
単純に橋がかかって島へ渡れるというだけでなく、この川に
ごろごろしている白くて丸い大きな石が確かによく見ると
黒い粒々も含んでいる花崗岩であることがわかったということも
ありましたが、地図上ではさらに対岸に渡ることができるはずの
ところが、落橋のため通行止めと書かれて橋自体がなくなって
しまっていたのでした。
何というか、廃墟も多かったけれど、大雨被害からまだ完全に
立ち直れていないということもあるのかもななんて思ってしまいました。

ロープウェーの駅に行くのにも急な階段道を上っていく必要が
ありました。しかも、頻繁に運転していたような印象があったのですが、
今日は強風のため30分感覚になっているということで、少し待たされることに
なってしまいました。
待ち時間に売店で売っていた大石焼という柔らかいせんべいというものを
食べてみました。せんべいというよりはパンとかパンケーキといった方が
近い感じで、ごまや山椒の風味も感じるほんのり甘い食べ物でした。

時間になって御在所ロープウェーのゴンドラに乗り込み、山登りを
始めました。温泉街や四日市の町並みのパノラマはみるみる広がって
いき、四日市だけでなくその背後の伊勢湾が対岸まで見渡せるような
広範囲のパノラマに感動すること仕切りだったし、眼下に広がる
温泉街も、山懐に抱かれるようにして、川が刻んだ深い屈曲する谷の
斜面全体に張り付くような立体感のある街だということがよくわかる
感じとなりました。
しかし高度が上がってくるとまず辺りには粉雪が激しく舞い始め、
風の音も大きく聞こえ、そしてみるみる内に雲の中に突っ込んで
しまい、辺りの風景を伺うことなどできなくなってしまい、
かろうじて近くの山肌に白い岩石がごつごつ切り立っていることや、
斜面を埋め尽くす笹の葉に粉雪が積もっていることくらいしか
見えるものがない真っ白な世界となっていきました。

そんな天候だったので当然、山上遊園駅の周辺は極寒の世界でした。
建物の中や、食堂のテラスから外を見てもなにも見えないわけですが、
冷たい風は吹きすさび、テラスの隅にも粉雪が積もります。
こんな状態では外にでても意味はないかなとか思ってしまい、
外にでることを躊躇してしまっていましたが、意を決して外に
でてみると、今雪が降っているわけではなかったので、風の冷たさに
堪えれば全然なんでもない感じでした。
展望台に立ってみてもなにも見えませんでしたが、遊歩道の石の間や
階段の隅に積もる粉雪や、笹の葉に積もる雪、足元の石や苔の上に
積もる雪と、私にとって今年初めての雪の風景を満喫することが
できました。
そして辺りの葉を落とした木々の細い枝には、ところによって雪や
氷が付着して、この地の名物であるらしい樹氷へと成長しはじめて
いるところも見ることができました。

そんな風景を見ながら山上遊園のロープウェー駅に近い辺りに絞って
彷徨い歩けば、年明けに開業予定だというスキー場の小さいゲレンデに
雪が積もりはじめていたり、そりゲレンデの方にも雪がそこそこ積もって
今年初めての雪を踏む感触を楽しむことができたり、また路地を分け入れば、
みずばしょう池というらしい、今の時期なにも生えてはいないのだけど、
斜面に囲まれて池が静かに佇んで、その周りを囲む斜面にうっすらと雪が
積もりつつあるような風景を、冷たい風に堪えながら楽しむことが
できたのでした。

本当だったら今日は泊まっていたリフトを使って本当の山頂を訪れ、
三重と滋賀の境を踏んでみたり、琵琶湖を眺めてみたりもしてみたかったの
ですが、さすがにそれはまたの機会かなということにしてロープウェー駅へ
戻っていきました。
下りの便にも少し待ち合わせ時間があって、せっかくだから昼食を摂って
しまおうと食堂に入り、御在所名物という言葉を信じて昨日の夜に続いて
カレーうどんを食べることにしたわけです。
今日のはどうも、太めで柔らかい麺だったので、もしかしたら伊勢うどんの
麺だったのかもしれないです。

下りのロープウェーでは前面展望の席を取ることができたのですが、
依然として辺りは真っ白なままでした。それでも上りの時よりも雲は
薄くなったのか、日本一高いらしい6番鉄塔の辺りまでくると辺りは
嘘のように晴れ上がって、四日市やその周辺のおそらく名古屋も
目に入っている広範囲の街やその奥の伊勢湾のパノラマを、
感激しつつ長時間楽しむことができたのでした。
ゴンドラが冷えてしまっていたせいか窓が曇りがちで写真が
撮りにくかったのがちょっと残念です。

温泉街に戻り、せっかくなので日帰り入浴をしていくことにして、
案内を見て料金が安めの所が、あまり遠くの上ったり下ったりしないと
いけないような所ではない近場にあることがわかったので、すこしだけ
緩やかな坂を下ってそこへ向かうと、実はかもしか大橋のたもとの
すぐ近くで、下界の街のパノラマを大きく楽しむことのできる
所でした。折しも温泉街に舞っていた小雪か小雨かが止んだところで
虹が下界に向かってくっきりはっきりと姿を現したところでした。
露天風呂のないところでしたが、浴室の窓から街に舞い散る小雨か
小雪の様子や、空で生まれたり育ったり流れたりする雲の様子も
楽しんで眺めることができました。
浴後外にでてみると天気はさらによくなったようで、御在所岳の山頂の
ロープウェー駅の様子もはっきり確認できて、下りてから回復するなんて
ツキがないわと思ったりしたわけです。

そして山を下るバスに乗り込んで、かもしか大橋を渡るバスから
四日市の町並みのパノラマを楽しみ、あとは基本的には切り開かれた
林ばかりが続く道に、時々キャンプ場や宿泊施設、稀に飲食店を
見たりしながら、海側の森の向こうにちらちら四日市の展望を
垣間見つつ、清気橋で今朝歩いた道に戻り、バスの足なら本当に
あっという間に、湯の山温泉駅へと帰り着いたのでした。

四日市行きの湯の山線の列車がすぐに接続してくれたので、
飛び乗って、残りの時間は適当に線内で面白そうな所に行ってみる
旅に切り替えることにしました。
まずは中菰野という駅に降り立ち、御在所岳の姿を望める素朴な住宅街から
大通りにでてすぐのところにある道の駅に行って見たのですが、
これがまた、売店一つだけの小さい道の駅で、売っているものもそんなに
多いわけでもなさそうで、ここで長い時間を過ごすのは無理だと判断して
すぐに駅へ戻ることにしました。最も広い駐車場から御在所岳の姿を
眺めるくらいはできて、6番鉄塔の白い姿も充分に判別できることを
確認できました。

次の便で菰野町を抜け、広大な田園を走っていき、桜駅に降り立ちました。
駅前に小さい商店が疎らに立つ、住宅街が主体の駅でしたが、
この街には智積養水という昔から使われていた水路が巡らされていて、
その清らかな流れを追いかけて西勝寺というお寺を訪れると、
その山門の前の水路にたくさんの大小様々の鯉が泳いでいて、
地元の人たちに餌付けをされているところでした。
いろいろな色や模様の鯉が入り乱れ、ゆったり泳いだり、時には
激しく暴れるような泳ぎ方をしながら、餌のパンや麩に群がったり、
食べ残されて浮かんでいたものを見つけた鯉が悠々とゲットしていたりと、
ここでしか見られないシーンでは決してないとは思うのですが、楽しい一時を
過ごすことができました。
西勝寺の境内には引石という、かつて川の両岸に据付けられていて、その間に
縄をかけて渡る人が手すりがわりに使ったと言われているらしい細い四角柱の
石が飾られていて昔の雰囲気を教えてくれていたり、近くには椿岸神社という
杜の発達した神社があったりと、史跡の類の多いところでした。

そして夕暮れの色が濃くなってきた頃再び四日市行きの列車に乗り、
広大な田園を囲む丘陵にまさに夕陽の光球が沈もうとしている雄大な風景を
みて、伊勢川島という駅に降り立ちました。
高台に新興住宅地のある駅でしたがそちらは避けて、昔からありそうな神社の
杜の足元を通って素朴な住宅街の方へ進み、大きなお寺の前を通過しつつ、
鹿化川の千本桜の辺りを訪れてみました。
ここもあるはずの橋がなくて、当分の間通行止めなんてされていたりも
していたりするところです。この時期桜並木を見ても仕方がないのですが、
近くの公園からは夕暮れの色を濃くした御在所岳や鈴鹿山脈の山並みの姿を
望むことができ、そしてやはり季節外れな感はありましたが、自然のように
たくさんの植物が繁っているホタル水路なるものが整備されていて、
もうだいぶ夜の風情となった中、一部水の貯まっている所は街灯にも
照らされて幻想的な風景となっていました。
そして周囲の重厚な古い木造の建物が集まる住宅街に立つ大きなお寺の
境内の高台に上ってみると、辺りはほぼ夜になってしまったのだけど、
山並みの近くの空だけはまだオレンジ色の領域を残している、しかし
その周りの町並みには明かりが点り始めているという、これまた
幻想的な夜景に出会うことができたのでした。

こうして夜になった伊勢川島駅をあとに最後に近鉄湯の山線に乗り、
四日市へと帰っていきました。