四日市市内(2018.12.31) | 旅の虫速報

四日市市内(2018.12.31)

murabie@自宅です。

昨日の帰りの新幹線の中で発信できればと思っていたのですが完成に至らず、
帰宅してからの発信とさせていただきました。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。


10日間に渡った旅も昨日で最終日となりました。
チェックアウト時に宿に荷物を預け、ここまでの旅でまだ行けてなかった
スポットを拾う旅としました。
いつもは近鉄四日市駅に直行していましたが、まず早朝の近鉄四日市駅
付近のスポットを散策することにしました。天気は回復してくれましたが、
空気はめちゃくちゃ冷たい朝でした。

宿の近くの、おそらく深夜は賑やかになりそうな飲食店街にごみ収集車が
働いているのを見ながら歩き進み、まずは駅の近くの諏訪公園へ。
要するに諏訪神社のとなりに整備された公園といった感じですが、
よくわからないモニュメントのある池を中心とした静かな公園です。
園地の片隅には、四日市市子ども館として使われている、きっと最初は
他のすごい目的で造られたんだろうなと感じる重厚な煉瓦造りの建物が
建っていたり、その近くには多分戦前に作られたんだと思う何かの
石碑が堂々と建っていたりしました。
となりの諏訪神社も、境内社の真っ赤な稲荷神社とともに大きな神殿を
どっしりと構えていました。

近くには道幅の広い道路が交差点を成すとても明るい通りがあり、
そして商店街も駅周辺に交錯するいくつものアーケード街の一つとして
まだ朝早くて開いている店は一つもなかったものの、店が開けばきっと
賑やかになるんだろうなと想像することができました。

駅前の大通りは何度も通ったわけですが、近鉄のガードに沿って、
ガード下に四日市あすなろう鉄道の駅と車両が佇んでいるのを見ながら
すこし奥まで進んで、ガードをくぐると、そこに鵜森神社という、
初詣のための飾り付けが完璧に出来上がっている神社が佇んでいました。
神社そのものというよりも、実はここは戦国時代は浜田城というお城だった
らしく、そちらの復元にも手がかかっているらしく、となりの公園の敷地との
境界に、冠木門(かぶきもん)という、木材で組まれた城門が復元されて
いたりしました。
となりに広がる鵜の森公園は、広場にいくつかの遊歩道が巡らされたり、
茶室のようなものも佇んでいたりする、のんびり散歩することを楽しめそうな
雰囲気の、小さな公園でした。

周辺には大きなビルやマンションが集まる無機的この上ない通りでしたが、
駅から離れれば建物の大きさはすこしは小さくなっていき、道幅は変わらない
分上空には青空が大きく広がるようになって、西側を向いて歩みを進めれば
前方には鈴鹿山脈の雪を纏った精悍な姿が青空のもとに大きく広がりました。
そんな空の広い大通りを少し南下していき、今度は交差して東へ向かう
通りへと
分け入ってみると、道端に赤堀城あとというものが、小さい記念碑一つだけの
姿で歩道の片隅に小さく佇んでいる所がありました。もちろんそんなものが
なければ、ここが城跡だったということになど気づきようがないような
街の雰囲気です。

そして少し道を東へ進んだのち、路地みたいな道を南へ進むと、ようやく
辺りには小さい民家の姿も見られるようになって、その片隅に
あすなろう鉄道の、先日乗り歩いたときに唯一訪れることができていなかった
赤堀駅が静かに佇んでいました。
ここには簡単にさっき見つけた赤堀城のことについても説明されていて、
戦国時代の城で、実際にはけっこう大きい城だったらしいことを教えて
くれました。
また駅の近くには、用水路のような細い3つの川が合流する地点があり、
その辺りでは線路を走る列車も大きく見られる所で、すこしだけ写真撮影と
しゃれこんでみたのでした。

赤堀駅からあすなろう鉄道にすこしだけ乗車しました。基本的に住宅地の
裏側のようなところを走るのですが、川を渡るために高台に上れば鈴鹿山脈の
姿が爽やかに広がり、日永駅では三角形に大きくまたを開くレールに合わせた
ホームの姿と再開し、そのまま住宅街を進み、泊駅で下車しました。
先日は旧東海道の旅で、泊駅に近づいたところで道幅が旧に狭くなった
理由を、北側の道沿いに佇む名残の一本松が教えてくれた所だった
わけですが、今日はこの道に交差して港の方へ向かう大通りである、
どうも海軍道路などと呼ばれているらしい広大な大通りを行ってみました。
道沿いには郊外型の大型店舗や、運輸会社の倉庫なんかが立つのですが、
道に沿って、送電線の巨大な鉄塔も立ち並び、明るいそらのもとに連携して
送電線を渡した鉄塔は、前方のコンビナートのいかつい地帯へとさらに続いて
いるようでした。
今日が大晦日だからかもしれませんが、空は広大に明るく広がり、道も幅は
きわめて広いのだけど交通量は至って少なくて静かで、こんな道ばっかり
だったらいいのになという感じの爽やかな空気を感じる道で、
そんな道の片隅に、JRの南四日市駅が静かに佇んでいました。

駅裏は工場の建物や倉庫に囲まれ、構内には何本も線路が引かれる貨物駅
的な雰囲気を持つ大きな駅でしたが、今日は構内に貨物列車の姿はなく、
そして駅舎も大きいけれどいつからか無人駅となってしまってひっそりと
している状態、今日は今日という日のせいか、他に列車を待つ客の姿を
一切見ることができませんでした。

やってきた四日市行きの列車は伊勢鉄道から乗り入れて来る列車でした。
いかつい工場の間の線路を走ってきた列車は、聞いていた通り
四日市駅では駅本屋から大きく外れたホームに到着しました。
伊勢鉄道線内から乗っていた客はここで四日市までの運賃を運転士に
払って連絡乗車券を受けとるという方式であることはネットにも多数
実例が上がっていたわけですが、JR線内だけの乗車の場合は、
JRで払ってくださいと言われて整理券を持たされて下車させられるという
ネットで見つけることのできなかった扱いを知ることができたのでした。
もっとも、富田浜までと申告したからという疑いを棄却しきれていない
わけですが……

そして伊勢鉄道から普通列車への乗り継ぎもあまり考慮されていない
みたいで、四日市駅では何もすることもなく20分以上待たされることに
なりました。
乗り継いだ四日市始発のワンマン普通列車は、工業地帯のいかつい建物を
大きく見て、そして海沿いの四日市ドームや競輪場の姿を見ながら
軽快に走っていきました。

先日は富田の方から歩いてきた旅の終着点として訪れたような無人駅の
富田浜駅に降り立ち、先日見たかつての海岸線の雰囲気を恐らく
教えてくれている松並木の所から、先日は訪れられなかったその先の
道を歩んでみることにしたわけです。

道はすぐに、港の方へ向かう道と交差し、霞橋という橋を渡って対岸に
渡ると、四角い四日市港ポートビルの姿がさらに大きく望まれるように
なっていきます。
大通り沿いにも化学メーカーの厳ついプラントが並びますが、その対岸に
霞港公園という芝生の広場が主体の公園、シドニー公園という大きな遊具が
主体の庭園が並び、ポートビルも含めて歩道橋でつながっているという
構造になっていました。
ポートビルは先日訪れた日から閉まっているということは情報を得ていた
わけですが、基本的には家族連れが遊びに来て楽しいときを過ごすことの
できる公園ということになっているようです。

もう一度霞橋を渡って本土側に戻り、四日市方面へ海岸線を伝っていくと、
さらにたくさんの家族連れで賑やかな園地が広がりました。
ロングビーチ公園という、一般名詞ではなく友好都市の名前をつけている
公園らしく、そのお相手と関係あるのか、説明がなかったので
わかりませんが、黒く塗られた石油の掘削機械のような感じのする
てこ状の機械が展示されていました。
近くの広場は霞ゆめくじらという、海から頭を出したクジラの形の
遊具が設けられ、たくさんの家族連れが思い思いの時を過ごす空間と
なっていました。
海岸沿いの岸壁はロングビーチ通りという名前がつけられ、固有名詞で
なかったとしたら、これをビーチと言いますかとあきれてしまいそうな
完全にコンクリートで固められたまっすぐ続く岸壁の道で、対岸には
厳つい化学工場の金属剥き出しの配管の建造物や紅白の煙突から
こんな日なのに、広大な青空に向かってしきりに湯気を吹き出している
コンビナートの風景と、四角いポートビルの姿がいつでも眺められました。

ロングビーチ公園は程なく終了し、道も海沿いに行くことは一旦できなく
なりましたが、現れた立派なテニスコートを通りすぎ、その次に現れた
これまた立派な四日市ドームという施設が現れたところで、また海沿いに
出ることができるようになり、さっきよりも海への出口に近づきながら、
ゲートのように配管が上空を渡されている厳つい風景が作られているのに、
広大な明るい空のもとに、そんな風景も穏やかなものになって佇んでいる
港の風景を楽しみながら、次に出会った川の河口までの道をのんびりと
歩んで行ったのでした。

目論見ではここから近鉄の阿倉川駅まで歩いていこうと考えていたのですが、
歩道のつながりがネットの地図だけではよくわからずにゴミだらけの川の
河原を伝っていったりしながら、非常に交通量の多い国道23号を横断するのに
とても苦労させられたりとか、川沿いに進んでいこうと思ったのに、
地図では道が続いているように見えたJRの線路との交差地点で実際には
道は完全に分断されていて撮り鉄達の活動場所と化していたりとか、
大変な思いをし、四日市ドームや競輪場に囲まれるたんぼの中の道を延々と
歩いてようやく線路をくぐれる道を見つけることができ、線路の西側に
でてみれば、そこは富士電機の関連会社が集まる工業地帯でした。
あるけどもあるけども風景の傾向が変わらないまっすぐな道をやっとの思いで
越えていき、郊外型の大型店の姿も見られる国道1号と合流を果たした後は
交通量の多い道を伝って、すこし内陸には入り込んだ所にある阿倉川駅へと
たどり着くことができました。

阿倉川駅の周辺には高台に素朴な住宅街と新興住宅街が入り混じるような
感じとなっていました。
この住宅街の中に、イヌナシという梨の原種や、それと梨との中間のような
アイナシという種が自生している場所があるという情報を得て、その場所を
訪れることにしたわけです。

まずは西阿倉川アイナシ自生地というところを訪問すべく歩みを進めます。
ダラダラした上り坂といった感じで、疲労感の割には進む距離が稼げない
という感じになってしまっていましたが、何でもない住宅街に珍しく
現れた木造瓦屋根の建物の所で折れ曲がり、初詣の準備が進められてる
小さい神社を横目に見てさらに進んでいくと、丘陵の縁のような所の
住宅街の中に、その場所は広がっていました。
ただしその場所は柵で囲まれて入口には鍵がかけられ、鍵を借りれば
見学は出来るシステムにはなっていたようでしたが、その鍵を借りに行く
のも、何だかここから遠く離れたお宅へお邪魔しなければならないようで、
ちょっと気軽に訪れられる感じではない残念な訪問となってしまいました。

この近辺にはもう一つ、東阿倉川イヌナシ自生地という所があるという
情報を、阿倉川駅に掲示された地図を見て初めて知ったのですが、
せっかくなのでそちらのほうも訪れてみることにしました。
複雑に路地の交錯する住宅街でまっすぐ進むことができず、新興住宅街を
大きく迂回したりしなければなりませんでしたが、学校の敷地の脇を通って
その敷地を囲うように折れ曲がっていくと、こちらの方は柵などなく、
小さいけれど開放的な園地で、栽培されているアイナシの木も、
自生しているイヌナシの木も、間近に大きく見ることができるように
なっていました。
園地に生えている木々はほぼすべて葉を落とした状態になっていましたが、
アイナシの木には疎らに数cm程度の実が、そしてイヌナシの木には1 cm未満
程度の木が無数に実っていました。大きさは小さいのだけれど形は本当に
よく知っている梨の実をそのまま小さくしたようで、色もよくある梨の実の
茶色い感じがそのままといった感じでした。国指定の天然記念物ということ
らしく、さっきのアイナシ自生地のような扱いがもしかしたら本当なのかも
しれませんが、ここではそんな貴重なものを間近で見ることができて、
歩いてきてよかったという喜びを強く感じることができました。

街なかに戻り、単純な住宅街というわけではなく、大きくてきれいな病院が
たくさん立地していたり、業務用スーパーもあり、また今日は無人でしたが
特定の日に市場として使われるらしい建造物もあったりする阿倉川の街を
いったん駅付近まで戻り、さらに北隣の霞ヶ浦駅へ向かって歩みを進めて
みました。さっき通ってきた四日市ドームの辺りの公園たちの地名も霞ヶ浦で
あり、そこへの近鉄線での最寄り駅でもあり、訪れておかなくては
いけないかなと考えたわけです。

阿倉川駅をあとにして比較的すぐのところに、ほぼ相似形の2つの橋が
連続して線路を跨いでいる所がありました。
その橋の袂は羽津城址ということになっていて、建造物が残されている
わけではないのですが、線路の両側にまたがる形で橋の上も含めて芝生が
敷かれて遊具もいくつか置かれた、子供のいい遊び場となっていました。
特に海側は周囲の街に比べて高台となるため、周囲の建物の屋根越しに
海岸のコンビナートのいかつい建造物の姿や、さっき歩いてきた富士電機の
工場たちの姿も大きな空のもとに爽やかに見渡すことができました。

城跡をあとにして新興住宅街の中の道を進んでいくと、志で神社(「低」から
にんべんをとった字・機種依存文字らしいので……)という、杜の中の
けっこう大きな神社の境内に、妻恋稲荷という、ヤマトタケルの伝説が
もとになっているらしい命名の真っ赤な鳥居の並ぶ真っ赤な神殿の神社が
建っていて、境内の周辺の住宅地の中には志で神社古墳という、石が古墳の
石室のように組まれたものがひっそり佇んでいる所もありました。
そして何かの工場の大きい敷地もたくさん見られたりする住宅地を進んで、
広大な青空のもと、静かな雰囲気の中にたたずむ霞ヶ浦駅へと
たどり着いたのでした。

霞ヶ浦駅から近鉄線を南下する列車に乗り込み、わずかな乗車時間でも
いい加減疲れたたまっていたかうとうとしてしまいましたが、今回の旅の
最後の訪問地にするつもりで、北楠(くす)駅へと降り立ちました。
夕暮れの色が次第に濃くなっていく冷たい風の中、どこにでもありそうな
住宅街の中を海の方へ向かって歩いていくと、住宅街が途切れて田んぼが
少し広がったその先に、楠中央緑地公園が広がっていました。

広大な芝生の広場の片隅には、円錐形の築山が佇んでいて、冷たい風の中
山の上に登ってみれば、周囲の展望が意外に広々と広がる所でした。
広大な公園の全貌はもちろん、その周囲に広がるのどかな田園や、四日市へ
続く広大な住宅街、それを取り囲むようにして市街の西側に並ぶ鈴鹿山脈の
姿へ、ちょうど夕陽となった太陽の光球が刻一刻近づこうとしている
ところでした。
また海側の方にも大きな工場の建物がたくさん集まり、四日市の方には
紅白の煙突や金属の配管むき出しの工場がたくさん姿を見せ、その背後
すぐのところに青々と海の姿を見ることができました。
海は四日市の工業地帯の向こうにも深く切れ込み、その奥には長島
スパーランドの特徴的な遊具の姿や、名古屋の港湾に架かる橋のような
ものまで見渡せ、その背後にも頭を白く染めた山の姿を見ることができます。
冷たい風が強く吹きすさぶ所ではありましたが、夕暮れ空のもとに素敵な
展望と出会うことができました。

辺りが刻一刻暗くなっていく中、築山を下って公園内の遊歩道をかすめて
園地の南側へ広がる大きな工場の建物が集まる領域へと進んでいき、
すぐ近くで河口を開く大きな川の流れを、新五味塚橋というとても大きな橋で
海、街、田園、山並のすべての風景を大きく見渡して横断し、
対岸の住宅密集地へと歩みを進めていきました。

住宅街の中の細い路地を折れ曲がりながら歩き進んでいくと、ほどなく
宮崎本店という酒造会社の、古い木造の黒く塗られた板張りの大きな建物が
密集する領域へと進んでいきました。
キンミヤ焼酎と言われてようやく思い出した所だったりしましたが、
宮の雪という日本酒も作っていた所だと初めて知りました。
六角形の中に宮の字が配されたキンミヤ焼酎のマークが大きく描かれている
蔵もあり、レンガ造りの煙突もあり、黒い建物で囲まれた中から、大きな
タンクや金属の配管のいかつい工場の片鱗が垣間見られたりするしっとりした
雰囲気の古い街並みを適当に彷徨ううちに、辺りはどんどん暗くなって
いきました。

ここまでくると隣の楠(くす)駅の方が近くなっていて、夕暮れの道を
まっすぐ楠駅に向かっていきました。
今日は外で温泉は無理だなと思っていた所だったのですが、帰り道の途上に、
何でもない普通の小さい銭湯を見つけてしまい、残り時間は少なかったの
ですが、せっかくなので今年最後のお風呂にしようと立ち寄っていきました。
楠温泉という看板を上げていましたが、普通の銭湯のことを温泉と呼ぶ地方が
少なからずあるということは承知していたので、古めかしい普通の銭湯として
楽しんでいくことができました。地元の人たちにも愛用されている銭湯の
ようで小さい浴槽にたくさんの人が集まっていましたが、今日もずっと
歩きっぱなしでパンパンになっていたような感じがした足がだいぶ軽くなった
ような気持ちになることができました。

外に出ると、風呂に入っている間に辺りは夜に変わっていました。
最後に、最初列車でここを通った時に見た宝焼酎の工場の入口に立っている
大きな焼酎の瓶の像の所を訪れて写真に収め、楠駅から四日市へ戻る
普通列車へと乗り込んだのでした。
いったん近鉄四日市へ戻って預けていた荷物を回収し、奮発して特急料金を
払い、特急列車で30分程度の贅沢を味わい名古屋へ、そして今年最後の
年越しスパゲッティということで名古屋駅の中であんかけスパゲッティを
食して、最終の東京行きこだま号の客となったのでした。
紅白なんかまったく考慮に入れない旅となったのですが、夜の上りの東海道
新幹線でこんなことってあるのかというくらい車内は終始ガラガラの状態、
東京に着いてから何を思ったか竹橋まで大荷物をしょって歩くという
暴挙に出たのだけど、普通にイルミネーションのともる東京駅の周辺も
歩いている人はごく少なく、皇居も静まり返り、竹橋駅もひっそりとして、
乗りついだ東西線も西武線も楽に着席できてしまう状態でした。
日付が変わって少ししたころに無事帰宅となりました。