Jヴィレッジ、双葉、浪江(2020.10.2) | 旅の虫速報

Jヴィレッジ、双葉、浪江(2020.10.2)

murabie@自宅です。遅くなりましたが先日の旅の2日目の報告です。

今日は昨日とはうって変わって爽やかな快晴となりました。
少し早めに宿を出て、広大に広がる青空のもと、深緑の丘陵に囲まれる
国道6号から、丘陵の中に通されたサイクリングロードを通り、
宿のすぐ近くの二ツ沼総合公園へと朝のお散歩に出ました。
高台の大通りから緑の中の緩やかな下り坂を下ると、鮮やかな緑色を呈する
パークゴルフ場が斜面の至る所に整備されている領域となり、
快晴の青空のもと、緑の斜面に囲まれて所々睡蓮の葉が茂る小さいため池が
高台の上の大きな建物を映しながら静かに広がっていました。
朝早くて東側から強い陽射しが差し込み、そのシルエットとなるようにして、
広野火力発電所の巨大な二つの煙突が印象的な姿で聳え立ち、また園の
シンボルとなるかのように、風車を模した大きな建物も佇みます。
二ツ沼の名前の通り、沼地はサイクリングロードによって2つの領域に
分かたれ、奥側、西側の沼の向こうは周囲を囲む壁のような丘陵と
広大な青空が順光に照らされて鮮やかな姿を見せ、その中腹を貫く国道6号に
早朝からたくさんの車が往来しています。

広大な園内は起伏に富んで、散歩道としてもいろいろな道を選択できるような
感じでしたが、緩やかな坂道を上って森を抜けていくと、さっき下から
見られた風車が展望デッキとなっている所へとたどり着きました。
朝一番の道はクモの巣が多いのが厄介でしたが、鉄製の階段を展望台まで
上り詰めてみれば、低地となっている園内には複雑な地形に順応するように
パークゴルフ場の緑の領域や穏やかに佇む二ツ沼、そして何やらたくさん並ぶ
温室が配され、丘陵に囲まれて南側に広がるのどかな風景へと続き、
その奥には弓なりに伸びる大通りの向こうに青い海の姿も白い空の下に
覗いていました。
東側の2つの煙突の姿もさらに大きく、奥の方にもう一つの煙突も小さく姿を
見せて、やはり逆光に強く照らされていて、
そして園地の北側を囲む深緑の丘の中には、すぐ近くとなるJヴィレッジの
電灯と思われる建造物の姿も覗いています。

展望台を降りてゆっくりと二ツ沼まで坂を下り、沼を囲む道の真ん中で
休息をとっていた2羽の真っ白なアヒルに見送られて園地をあとにして、
東西に延びる通りの反対側に見えた案内看板に従い、深緑の雑木林の
中に広がっているかのような、Jヴィレッジスタジアムの敷地へと
足を踏み入れました。
もちろん時間的に誰もいるわけのないひっそりとした雰囲気で、周囲や
入口を遮断する柵の間から、広大な快晴の青空のもとにすがすがしく広がる
広大な緑色のピッチが、J-VILLAGEという文字が浮かび上がるように作られて
いる巨大な観客席に囲まれて静かに佇んでいる様子を垣間見るだけ
見ていきました。

Jヴィレッジという施設は思っていたのとは違って一つにまとまっている
わけではどうもないようで、地図上に示されているJRの新しい駅の近くの
広大な緑地の方へ向かうには、一旦雑木林の外に出て、広野町のサッカー
グランドも広がる谷合に通された大きな県道を北上する必要がありました。
青空の元に緩やかにカーブして伸びる道は、程なく広野町と楢葉町との
境となるらしい谷を大きく跨ぎ越す橋へと差し掛かります。
山側には壁のような丘陵が立ちはだかり、谷底は雑多な樹木が繁って
流れているはずの川の姿も見当たりません。
そして海側を見れば正面に火力発電所の、さっきの二ツ沼からは遠くに
見えていた方の煙突と厳つい建物が逆光を浴び、谷の向こうには白い海の
姿ものぞき、そして火力発電所の乗る丘陵の足元に横たわるように、
Jヴィレッジ駅のホームとともに常磐線の線路の姿も見え、ちょうど
いわき行きの普通列車が通り掛かるところでした。

橋を渡って楢葉町の領域へ進むとすぐに、道沿いにJヴィレッジの施設が
広がるようになりました。マンションのような茶色の大きな建物が雑木林に
川って道沿いに現れ、分岐する通りへ分け入ってみれば、サッカーボールに
装飾された電灯が佇み、そして広大に広がる青空の元、緑色の広大な
ピッチが何面も広がって、巨大な宿泊棟も横たわる、広々とした空間が
広がっているところでした。
ピッチの向こうには室内練習場らしい白い丸みを帯びた独特な形の建物の
屋根も覗いています。
時間的なものか、どのピッチにも練習する人の姿は一切ありませんでしたが、
芝刈り機の音だけは広々とした空間に静かに響き渡りはじめていました。

もとの南北方向の大通りへ戻ると、道沿いにJヴィレッジ駅の入口が
姿を現しました。白い大きな鳥が羽を広げているような形の屋根の下に
真新しい無人の駅舎が静かに佇んでいる小さい駅で、
改札口のフロアを囲む柵の向こうには、谷の対岸の丘陵の上に佇む
火力発電所の姿がとても大きく見えています。
谷底に設けられているホームへ出るには長い階段を下っていく必要があり、
ホーム自体も上下線の線路が別々にトンネルに入ろうとして分かれていく
所に設けられていて、複雑な形状となり、ホームから駅舎の方へ振り返れば
視界に入る面積の大部分が装飾された階段となっている、
他に似た感じの構造の駅を思い浮かべることが難しい感じがします。
駅はさらに深い谷を跨ぎ、高い丘の上に乗る火力発電所の背後には
谷の向こうに海がのぞき、山側の頭上高いところにはさっき渡ってきた
大きな橋が谷を大きく跨いでいます。

暫く待ってやってきた下り原ノ町行きの列車に乗り込みました。
通勤通学の時間でありながらさほど混雑することもなく、それでも
停まる駅ごとに客が降りていく程度には乗客を乗せている列車が、
丘陵の間をすり抜け、丘陵の合間に広がる田園を見渡しながら走ります。
昨日も同じ区間を通っていますが、今日は快晴となり、下界に広がる
風景が昨日よりも色鮮やかに眺められ、ほんとだったら黄金色になって
いるはずの田んぼが、1Fに近づいていくにつれ、荒れ地となって雑草の
生い茂る緑色の広大な風景となっていき、その中に屈曲しながら道路が
通されて海の方へ通じている所も見つけることができました。

昨日下車した富岡、夜ノ森、大野を通り過ぎ、今日はその北の双葉駅に
降り立ちました。
双葉駅の東口へと出てみれば、周囲は立ち入り規制緩和区域ということに
なっていて、大野や夜ノ森のように道路を固めるようにフェンスや
バリケードが設けられるような事態にはなっていないようでしたが、
大きそうに見える駅前の街並の建物をよく見れば見るほど、壁や瓦屋根の
損傷、そして歩道のタイルの隙間から元気に伸びる雑草の姿ばかりが
目に付いてしまう、帰って悲しさを誘う風景が広がっていました。
以前ニュースで見た通り、真新しい駅舎の隣には、発震時刻を示したままの
時計が残る震災前のオレンジ色の駅舎が休憩所のように利用され、
レールが剥がされてしまった駅舎側のホームにも出られるような構造に
なっていました。

快晴の明るい青空の元、東口に広がる街へと歩みを進めてみました。
バリケードが存在しないので、いつもの旅のように交差する路地にも
気軽に入り込めてしまうのですが、表通り以上に、瓦屋根が崩れ
玄関や庭先に雑草が生い茂っている放棄されたような民家の姿を
たくさん目にしてしまいます。取り壊されて空地になっている所もあり、
荒涼とした感じをさらに強く呈し、一里塚跡なんていう標柱も、空地となった
住宅街に寂しく佇むのみ。
交通量の多い国道6号を、綺麗に保たれている地下道でくぐると、大きな
病院や薬局、集合住宅などの大きめの建物が道沿いに並ぶ領域となりましたが
歩道も傷み、そして大病院の建物も封鎖されて人の気配はなく、その玄関にも
大量の雑草が茂るばかりです。

そのまま海の方へ歩みを続けると、街並は途切れ、辺りには広大な荒れ地が
広がるようになっていきます。
巨大な農協の施設が建っているので、きっと本当は広大に田んぼが広がって
いるはずの所だと想像でき、本当だったら一面黄金色の風景になっているはず
なんだよなあと思いながら、意外と強かった日差しのもとをまっすぐ歩き、
久しぶりに暑いという感覚を覚えました。
海にも近いので、もしかしたら津波にさらわれた痕ということになるのかも
しれませんが、いずれにしても長い間放置されたままの田園の中、
ぽつんと立つ2つの大きな建物を目指して延々と歩いていきます。

やがて、道はおそらく公園として整備されはじめたのか、真新しい道の
周りに工事中の区画の目立つ領域へと進み、その中心となるように佇む
真新しい建物である、東日本大震災原子力災害伝承館という、10日程前に
オープンしたばかりの施設へとたどり着きます。
昨日の東電の施設とは違い有料施設となりますが、中はやはり動画が
多用され、あの日やその後に続く日にこの地で起こったことを、原発に
限らず様々な観点で伝えてくれます。
昨日の施設では触れられていなかったような気がする、風評被害についての
ことにも触れられていたり、そして日常生活が突然破壊されたことを示す
近隣の小学校や高校で放置されていたものの展示や、猪に荒らされた
民家の襖や缶詰など、おそらくここの近辺でしか起こっていない被害に
ついても知ることができる所でした。

隣には双葉町産業交流センターという、昨日オープンしたばかりらしい、
オフィスなどがいくつか入居する新しい大きな施設が佇みます。
屋上が展望台になっていて、辺りの様子を広々と見渡すことができ、
歩いてきた荒れ地が広大に広がる領域の奥に街並が広がって遠巻きに丘陵に
囲まれている様子や、東側に広大に広がる工事中の領域の向こうに清々しく
海原が波を上げながら広がっている様子を、爽快に眺め渡すことができます。
しかし南側に横たわる丘陵の足元には整然と、おそらく廃棄物の納められて
いる巨大な容器が並び、辺りに巡らされる道をよく見るとそちらの方へ
伸びる道の途中にはバリケードが築かれて通行止めとなっているようでした。
その丘の谷間にわずかに煙突のような構造物がのぞき、案内によれば
それが福島第一原発が建つ方向だというので、もしかしたら現状1Fの姿を
誰でも垣間見ることができる唯一の場所ということになるのかもしれません。
館内には食堂やフードコートもあります。昨日の宿で見たニュースでも
報じられた、現状双葉町で唯一の飲食店ということになるらしいところで、
以前は駅の近くで営業していたと報じられていたハンバーガーを昼食に。
素朴な味に、戻りつつある平和を感じたり。

午後になり、さらに明るくなった青空の元、平らな荒れ地が広々とする
所から、民家や集合住宅など大小様々な建物が雑草に侵略されている
住宅街へと歩み、双葉駅の周辺へと戻っていきました。
駅から伸びるメインストリートだけでなく、周囲には商店などが集まる
小さい街が形成されていたようなのですが、商店は崩れかけ、神社の境内も
封鎖されたまま。そして大きくて綺麗に見える図書館も、玄関の周りの
タイルには雑草が繁り、入口の自動ドアも反応する気配は感じられません
でした。

午後になり、やってきた下り列車に乗りこんで、ここまでと同じように
丘陵を避けながら合間に広がる広大な荒れ地の風景を見渡す車窓を見て、
次の浪江駅に降り立ちました。
昭和の国鉄の息吹を感じるような、新しくないコンクリートの駅舎は
立派でしたが無人駅になってしまっているようでした。
ここまでくると立ち入りの規制が解除されて久しい領域となり、
行く手を阻むものはなくなるはずだったのですが、駅の周辺の集落に
営業している店舗はあまりなく、ホテルも建築業者に借り上げられ、
そして何より、空地ばかりが目立ってしまう風景となっていたのです。
規制が解除されて時間が経ったおかげで、整理が進んでしまう一方、
新しく生まれ変わるというモードにはなりきれていない、苦しさのような
雰囲気を強く感じます。
建て直されたと見える新しい郵便局の建物の傍らに、震災で犠牲になった
郵便局員の名前が刻まれた碑が建っているのが、なんとも言えず哀しいです。

街の東側を南北方向に伸びる国道6号に向かい、街の北側で東西方向に
伸びる大通りに出ると、車道よりもむしろだだっ広い感じの歩道が
寄り添い独特の雰囲気を作りますが、営業しているコンビニや飲食店も
現れて寧ろ明るい雰囲気となっていきます。
中には封鎖されたままの大きなお寺が静かな杜の中に佇んでいたりも
して悲しさを誘いましたが、その道が国道6号にぶつかる交差点に、
真新しくて大きな道の駅ができていました。
駐車場にうけどんというらしい、なんかいくら丼を頭に乗せている
巨大な空気人形が佇んでいたりしましたが、物産展や飲食店が普通に
営業する賑やかな道の駅です。
国道6号には大量の大きな車がひっきりなしに往来し続ける一方、裏手には
請戸川が丘陵に囲まれるように緑豊かな中を流れるのどかな風景も
広がっています。

今回の旅で他に訪れたい所はもう思いつかなかったのですが、帰郷する
ための列車の便は結局予約していた夕方のものまでない状態だったので、
復興市場も並ぶ近くの大きな町役場で、近辺の店で買い込んだ飲み物など
飲みつつ暫し休息を取り、夕方の色が街中に少し現れてきた頃もう一度
道の駅へ戻って、早めの夕食として気になっていたなみえ焼きそばという
ものをいただくことにしました。
弾力のある太麺にソースの濃い味付け、そして一味唐辛子をたっぷりかけて
好みの辛さで食べることができる、なかなかおいしい夕食となりました。

そして道の駅をあとにする頃には、すでに辺りは夕暮れの色がだいぶ濃く
なってしまっていました。さっきとは違う東西方向の、さっきよりも街の
風情を本当なら色濃く感じられる素朴な大通りといった感じの道を西へ
進めば、進行方向に夕陽が現れ夕焼け空が広がるのですが、肝心の街並みは
ここでもやはりすき間ばかりが目立つ状態でした。
程なく夕日を浴びてシルエットとなる浪江駅の駅舎へとたどり着き、
辺りがだんだん薄暗くなるころにやってきた、品川行きのひたち号に
乗り込めば、辺りはあっという間に夜になってしまい、そして品川までの
3時間半の汽車旅は、ほとんど居眠りをして過ごすばかりと
なってしまったのでした。