下賀茂、田牛、盥岬、弓ヶ浜(2020.2.24) | 旅の虫速報

下賀茂、田牛、盥岬、弓ヶ浜(2020.2.24)

murabie@自宅です。
遅くなってしまいましたが、3週間ほど前となってしまった連休の
1泊旅行2日目の報告です。

桜旅の2日目は、宿の周辺の下賀茂温泉街の散策から始めました。
宿の窓からも、明るくなった空を見れば、緑の丘陵に囲まれた底の部分に
ピンク色の領域が見られ、そして辺りにもうもうと湯煙が立ち上っている
様子が見られ、早速気分が盛り上がりました。

宿の裏口がすでに青野川の土手上の遊歩道となっていて、やや盛りを過ぎた
けれどピンク色を保っている河津桜の木が並木のように道沿いに立ち並んで
います。
昨日暗闇の中訪れ、幻想的にライトアップされた河津桜の木々の並んでいた
銀の湯橋の周りも今日は明るくなり、近辺に複数ある櫓の組まれた源泉から
盛んに湯煙が上がって、橋の上からは青野川と支流の二条川との合流地点が、
ピンクの河津桜と河原の黄色の菜の花に綺麗に彩られて、さらに複数の
湯煙にも装飾されて、明るい青空の下に壮快な景観を作り出していました。

街の中心部からは離れる方へ伸びる二条川の方に沿って、少し歩みを進めて
みました。
河津桜と菜の花、そして湯煙を上げる源泉に彩られる整備された遊歩道は、
すぐ先で道路が二条川を横断する橋により寸断されますが、
川沿いの桜並木はその先にも少しだけ続いています。
川を挟む丘陵が対岸側に近づいて、若干薄暗い風情となりますが、
北岸に並ぶ河津桜の木々に日が当たり、鮮やかな風景を作ります。
川の周辺は静かな住宅街となっているようでしたが、川岸にも
源泉があって、大量の湯煙を静かな住宅街に黙々と吐きつづけます。
桜並木が途切れた所で街の方へ川沿いを引き返せば、明るい土手には
鮮やかな河津桜と菜の花の道が伸び、日陰となる対岸には湯煙が
もうもうと上がる静かな住宅街を見渡すことができました。

一旦川沿いを合流地点まで引き返し、今度は北の方から流れてくる
青野川の西岸を北上します。
堤防上にも、花弁は落としても深紅の萼は残るために桜色というよりも
むしろ紅色を呈するようになった河津桜の木が並び、新緑の葉をたくさん
出している木もあるけれどときどきはまだ満開の木の姿も見ることが
できます。
そして対岸の岸辺には、むしろ今が盛りといった感じで大量の菜の花が、
鮮やかさを保つ桜並木の足元を、若草色と鮮やかな黄色で彩って、
人出はまだ多くないけれど、鮮やかな春の風景が川沿いに展開して
いたのでした。
川の反対側は市街の西側となり、順光を浴びた丘陵が青空の下に佇んで、
その足元に形成される小さな住宅街の中にも湯煙を上げつづける箇所が
見られたりします。
ビニールハウスの類も多く見られましたが、どうもメロンの栽培なんかも
ここで行われているようです。地熱というものが豊かな資源として
利用されている所でもあるようです。

時々堤防に設けられた階段を下りて、菜の花と河津桜の風景を
より菜の花が鮮やかに大きく広がるよう角度を変えて眺めてみたり
しながら堤防上の道を北上すれば、桜並木の北限となる前原橋にも
程なくたどり着きました。
橋から上流側を見れば、花の姿はなくなりましたが、広大に広がる朝の
青空の下に、所々建物を含みながら川沿いに広がる田園の中、
遠くに折り重なる山並みから流れくる青野川が緩やかに屈曲して
広々とした風景を作っている所を、爽やかに眺めることもできました。

対岸の、青野川の東側にはすぐ近くに丘陵が控えていましたが、
丘陵と川の流れに挟まれる大通り沿いには商店の類がひしめき合い、
無人化された古いバスターミナルも軒を連ねていたりしましたが、
歩く分にはやはり、土手の上の遊歩道が明るく鮮やかな春の雰囲気を
存分に味わえる感じになっていました。
盛りを過ぎた木も多いけれど、ピンク色の花弁を大量に残す木には
ヒヨドリだろうか大きめの鳥や、メジロと思われる小さい緑色の
鳥たちが群れを成して集まり、彼らのしぐさを望遠レンズで追っていると
なんだか楽しさを分けてもらえたようで、どんどん時間が過ぎていって
しまいます。
そして対岸からも見られていた、河原の広大な菜の花畑の中に下りて
いくこともできるようになっていて、黄緑と黄色とピンク色の春爛漫の
風景を大きな青空を背景として楽しむことのできる場所を、
たくさん見つけることができました。
土手の上に並ぶ河津桜の木々の中には標本木とされているものもあって、
周りの木々と同じ品種のはずですが、自信をもって太い枝葉を周囲に
伸ばしているようで、やはりまだまだたくさんの花弁を残して堂々と
土手の上に立ち尽くしていたのでした。

青野川の流れに沿って土手の上の鮮やかな道を南下すると、西から
二条川が合流してきて、その流れの方向に合わせるように青野川も
東へ向かって流れるようになります。
青空のもとに春らしいピンクの河津桜と黄緑黄色の菜の花が鮮やかな
風景を作るようになって、対岸に現れた銀の湯会館へ向かって
小さい銀の湯橋が架かり、スタート地点の宿の裏の土手へと戻ります。
引き続き反対側の東へ向かっても、ピンク色と黄色の作る川沿いの
麗らかな散歩道が土手の上に続いていきました。

土手の上の道を東の方へ進むと、青野川に斜めに架かる大通りの湯けむり橋、
そしてやや細い来の宮橋が立て続けに架かってきます。
道の駅にも近いこの辺りがさくらまつりの中心部に近い所となるようで、
桜の木に彩られる駐車場もあり、川沿いよりもむしろ道路沿いも鮮やかに
河津桜の並木と足元の菜の花畑に彩られていたりします。
来の宮橋の上から下流の方を見れば、青野川が深緑の丘陵に寄り添われ
ながら菜の花で黄色くなっている河原を伴ってゆったりと流れ行く
風景も見ることができるのですが、特に日当たりがよくて暖かい所と
なるのか、土手の上に並ぶ河津桜も、若草色の葉桜がメインとなって
しまっているように感じられました。
いくつかの独特な六角柱状の建物が集まる広場に出店がちりばめられて
いるような開放的な道の駅も寄り添う土手の上に並ぶ河津桜はやはり
盛りを過ぎているものが多いように感じられましたが、堤防の斜面から
川岸にまで広がる若草色と黄色の菜の花畑がむしろ主役となって、
明るい青空の下に鮮やかな風景を作っているようでした。

川岸の大きなホテルの袂に架かる次の九条橋よりさらに下流にも
堤防上に河津桜の並木は引き続き続いていましたが、ほぼ葉桜となって
いるように見られ、また堤防もしっかり護岸されて、川沿いの菜の花畑の
領域もあまり見られないようだったので、その先へ進むことはせず、
対岸の南岸に渡って、温泉街の中心部へ戻る方向に土手の上の道を
歩いていきました。
日が高くなってこちら側の桜並木も明るくなり、湯煙をもくもく上げる
源泉を持つ大きな温泉旅館に寄り添われる静かな桜並木の道を、
対岸で順光を浴びる土手の鮮やかな菜の花畑を木々の間に見て
のんびりと西へ歩みを進めます。

道の途中には、対岸にも案内のあった、ガマから生まれ代わった人の
伝説のあるらしい慈雲寺というお寺が、丘陵の足元に静かに佇んで
いましたが、今でも池にはガマがたくさん住んでいるというくだりは、
実は庭園の砂でできた池の中にガマの焼き物がたくさん備えられている
ということだったりして……
引き続き、メジロやヒヨドリの集うほのぼのした河津桜の並木道を、
川の対岸に明るい菜の花畑と、葉桜になりかけている河津桜と、
熱帯植物園の椰子の木が集中する姿も見られる対岸の丘陵の足元に
広がる街並の姿を見ながらのんびりと歩み、気がつけばお昼時に
なりつつあったスタート地点まで戻っていきました。

温泉街を後にするためのバスの時間までしばらくあったので、
せっかくなので宿の近く、今日のスタート地点の近くになぜか佇む
熱帯植物園にもお邪魔してみることにしました。入場無料でもあったので。
温泉地の地熱を利用したということにおそらくなるんだと思いますが、
入場してみるとまさに温室の中、蒸し暑い中にたくさんの植物が
ジャングルのように密生していて、普段鉢植えでしか見ることのないような
つやつやした葉を持っていたり、派手な花を咲かせていたりする熱帯の
植物が土の上にたくさん生えている中を彷徨い歩くことができるようには
なっていました。
しかし通路はあまり広くなくて他に客がいるとあまり自由に動き回る
わけにもいかず、そして何より春の雰囲気とはいえ一応肌寒さの感じられる
外の気候に合わせた服装でいたので、熱中症の危機を感じてしまうくらいの
蒸し暑さを感じてしまい、満足に見物することなく逃げ出すように
外の世界へ飛び出してしまったのでした。

最後にもう一度堤防の上の華やかな河津桜の道を歩んで、道の駅の近くにある
九条橋というバス停から、下田駅の方へ向かうバスに乗り込みました。
バスは丘陵の足元の薄暗い雰囲気の大通りを行き、基本的に川からは距離を
置きながら走っていきましたが、建物の隙間からは堤防上にときどき姿を
見せる河津桜の姿が見られたり、大きな公園が広がればその向こうに堤防
らしきものが横たわるのが見られたりもしました。しかしやはり、
ずっと歩いていけるほどに華やかな桜並木が続いているわけではないように
感じられました。

石廊崎の方からやってくるバス路線と合流する地点にある日野(ひんの)と
いう所で一旦下車しました。
周囲は様々な形の丘陵に囲まれる谷あいとなっていましたが、道沿いに
広がる広大な敷地に、大量の菜の花が咲き誇って、真っ黄色の世界が広大に
展開しているところでした。
桜のピンク色はなくなりましたが、ここもさくらまつりの会場の一部と
されていて、昨日真っ暗になってしまっていたバスからでも何となく
雰囲気の感じられた所でもあったのですが、実際に訪れてみれば、
河津桜並木とはまた違った、暖かそうな穏やかな世界が広大に広がって
いる中に鳥や虫のように漂いつづけることができたような、不思議な
感覚を得ることができました。

広大な菜の花畑の中には木道も通されていますが、本当にいいのかどうか
よくわからないながら、当然のように木道から下りてちょっとした隙間の
間へ、柔らかい独特な感触の土を踏みながら彷徨い出す人もたくさんいて、
たくさんの人が思い思いに黄色一色の穏やかな風景を楽しんで
いるところでした。
そして広大な菜の花畑を貫いて反対側へ進むと、北の方から流れてきた
細い流れと合流してさらに豊かな流れを見せるようになった青野川の
堤防が接していました。
堤防の上の道からは、様々な形の丘陵に囲まれて広がる菜の花畑を一望
することができ、また堤防上の桜並木の中にときどき河津桜が混ざっていて、
忘れそうになったピンク色の華やかな姿を思い起こすこともできました。
河口にも近いようで、南へ向かう豊かな流れの進む先には青空が大きく
開く下に次の大きな橋が架かる、明るい風景が広がっていました。

こうして春らしい雰囲気を満喫し、午後になった日野のバス停から
下田駅の方へ向かうバスに乗り込みました。
バスは周りを丘陵に囲まれて広がる長閑な里山の中を進んでいきましたが、
程なく南伊豆町と下田市との境が近づくと若干険しい山道の様相となり、
銭瓶峠へと進んでいきます。
峠を過ぎて下田市に入ると、相変わらず辺りは丘陵に囲まれたままでしたが、
道沿いに比較的高密度で小さい建物が集まるようになり、吉佐美(きさみ)の
集落へと進んでいきます。

吉佐美の集落でお弁当代わりに買ったおにぎりを食べながら、集落の中に
流れる大賀茂川に沿う道を、海の方へ向かって歩き出しました。
川の流れはやはり丘陵に囲まれていましたが、比較的多くの建物が集まる
住宅街となっていて、盛りの過ぎた河津桜の姿も道沿いにときどき姿を
見せてくれます。
川沿いにひたすら進めば、今は完全に裸になってしまっているハマボウと
いう樹木の密生する湿地の上に渡された木道となっていくのですが、
工事中のようでちょっと残念な思いをしました。
川の周りの集落の崖沿いにはひっそりと、立派な神殿を構える八幡神社が
佇んでいましたが、イスノキというらしい、つやつやした葉の常緑樹の
巨木が鬱蒼とした雰囲気の日陰を作っていました。

川沿いの道は歩めなかったので集落の中の車道を進むと、道は川から離れ、
丘陵の足元の田園を通過していきます。高台には大きな立派なペンションの
ような施設が現れ、背の高い椰子の並木に囲まれる駐車場を奥まで進むと、
大賀茂川と再会することができました。
川幅の広がったように見える川岸は裸のハマボウが密生する湿地となり、
その様子をはまぼう橋という吊橋の遊歩道の上から見渡すことができます。
ハマボウの林の中に巡らされた遊歩道は工事中のようでしたが、下流の
方を見ればすぐ近くが河口となり、むしろ湿地が広々と目立つ流れと
なっていました。河口の近くには蛙のようにも見えるごつごつした巨岩が
佇み、沖合には灯台を載せた平たい島も浮かんで、青々とした海原が
青空に大きく浮かぶ清々しい海岸となります。
その岩礁から離れるように南へ進めば、大浜というらしい砂浜が
短いながらのびていき、爪木崎となるらしい長い陸地を北側に見据えて
大きな岩礁を浮かべ、そして昨日ほど三角形の利島の姿はよくは見られ
なかったけれど、沖合に灯台を乗せる小さい岩礁のような島が浮かんで
いるのをはっきりと見ることのできる美しい海岸線を、
束の間楽しむことができました。

運動公園が谷間に広がる丘に寄り添われる海岸の道は、再び海の上に
大きくて綺麗な岩礁が現れて砂浜が途切れるとともに、高台の上へと
登ってトンネルへ進んでいきましたが、カーブと坂道が同時にやってくる
険しい道は、少し前方や振り向いて後方を見ると、まさに切り立つ岩盤に
トンネルがくり抜かれているといった感じの険しい表情を見せてくれます。
そして気がつけば道はかなり高い崖の上に達していて、海原が広がっている
のはわかるけれど海岸線の様子を窺うことができないほどになります。
海岸線が山の方へ窪めば、さらに高台に造成されているらしい別荘地への
入口が口を開いて、背後の山並みの間へ続く登り坂が始まっていたり、
また海岸へ向かっても急な下り坂の私道が分岐して、おそらく崖下に
垣間見られた集落へと向かっていったりします。
碁石浜というらしいこの辺りを進めば、崖下には地層を露呈しながら
切り立つ崖の足元に短い砂浜が青々とした海辺に接する風景を
垣間見ることのできる所も見つかります。

そんな高台の風景を楽しみながらいくつかトンネルを越えていくと、
サンドスキー場という見所への入口が見つかりました。
高台の巨岩の間の隙間のような所から始まる急な階段道に顔を出せば
かなり高い所から急斜面の足元の短い海岸線を見渡せる急峻な斜面の
上部になっていて、左手の急な斜面を埋め尽くすように、
大きな砂丘ができている一角がありました。
海の方から吹き上げられ堆積した砂がちょうど崩れ落ちずに残る角度で
あるということで、そり遊びに興じる家族連れの姿も見られる、
自然の作る遊び場となっていましたが、砂丘の上にさらに切り立つ
白い崖にもはっきりとした地層を見ることができます。

迫力のある斜面の風景の中、急な階段を注意深く波打ち際まで下ります。
斜面の足元に広がる海岸は砂浜かといえばそういうこともなく、
丸くて大きくも小さくもない石が積み重ねられ、ちょっと歩くと隙間に
足を取られたり、石が不安定に動いたりする、気をつけても歩きにくい
海岸となり、海と反対側には切り立つような大きな砂丘が佇みます。
サンドスキー場から続くような崖の中腹には直線的に掘られた石切場の
跡が見られ、そして海底の地層の変遷を現しているらしい地層を見せる
巨大な岩礁の足元に広がる磯浜へ出れば、北側の爪木崎の方に伸びる
海岸線が青々とした綺麗な姿を見せてくれていました。

再び急な階段道を崖の上まで戻ると、すぐ隣が龍宮窟というもう一つ
別の見所となっていました。
崖に穿たれた巨大な海蝕洞の天井が崩落して天窓ができているというもの
らしく、洞窟の中へ下る階段道もあれば、崖の上に登る遊歩道も設けられて
います。
暖地性ということなのか、幹が細く白っぽくつやつやした葉をたくさん
茂らせる樹木の見られる森の中、遊歩道は階段道を上っていき、木々の
間からは青々と澄み渡る海原や、眼下の田牛(とうじ)の漁港の集落から
石廊崎へ向かう海岸線が、快晴の空のもとに明るく広がります。

天窓の周りを巡るように通されている遊歩道の道沿いには所々、
柵を伴った展望台が設けられて、崩落した天窓の下に穿たれている
巨大な洞窟の姿を、いろいろな角度から見ることができるように
なっていました。
この洞窟は海から侵入した波が二股に分かれるように岩を削ってできた
ものであるということで、天窓からのぞき込むと洞窟全体がハートの
形をしているように見える、というのが、この地がたくさんの人を
集める景勝地となっている一因であるようでしたが、
確かに自然の造形の神秘のようなものを感じることができます。

森の中の遊歩道は起伏に富んでいましたが、半周回ってハート型の
反対側へ回り込むと、反対側の崖の上からはさっき訪れたサンドスキー場と
石切り場の穿たれた岩礁、そしてその周りに大小さまざまな岩礁を浮かべて
広がる青々した海原を一望することもできました。
サンドスキー場を楽しそうに滑り降りるそりや、穏やかな海の風景を、
ここからも暫し楽しんでいくことができました。

遊歩道を一周して入口へと戻り、今度は地下へもぐるような急な階段を
ゆっくりと下っていきました。
道はいったん短いトンネルとなり、ほどなく大きく薄暗い洞窟の中へと
たどりつきます。
それなりの数の観光客を集める、小さい岩がごろごろと転がる短い海岸が、
複雑な地層を露呈しながら壁のように立ちはだかる岩盤に囲まれ、
正面に小さく空いた三角形の洞門からわずかにのぞかれる外界の青い海が、
時折さざ波を寄せてきます。
そしてぽっかりと大きく空いた天窓の上には、広大な青い空が広がり、
天窓の周辺は、さっき歩いてきた遊歩道と同じ樹木が囲みます。
苔のような緑藻が育つ波打ち際に寄せてくる静かな波が、
静かでどこか不思議な空間を作り上げているようでした。

龍宮窟の見学を終えて、再び崖の上の道へ戻りました。
南へ向かうと、前方に伸びる下り坂の向こうに、田牛(とうじ)の漁村の
集落に寄り添われながら、穏やかな海岸線がまっすぐに伸びている所でした。
坂道を海と同じ高さまで下ると、ハート形の標柱がユニークな
龍宮窟バス停が、素朴で小さい待合小屋を伴って静かに海岸に立ち、
そしてそこから少しだけ、砂利浜の海岸沿いに歩みを進めると、
陸側に集落が発達し始めた所で、転回場の片隅に柱1本だけの標柱が立つ
下田からのバスの終点となる田牛バス停が静かに佇んでいました。

海岸に沿って伸びる道はその先に現れる岩礁に遮られるように途切れて
いましたが、小さい素朴な民家の集まる集落の中の路地へ分け入りつつ
坂を登っていくと、そこそこしっかり固められている感じのする
手掘りのトンネルが岩盤を貫き、道はそのまま、常緑樹の林の間へと
伸びていくようになりました。
道沿いには時々民家や農地、そして河津桜に彩られたペンションのような
建物も現れたりしながら、道の高度はどんどん上がっていき、木々の
間からはまた、大きな岩礁を浮かべる青々とした海原も垣間見られるように
なっていきます。

道はほどなく駐車場となって車止めが現れましたが、遊歩道はそのまま
盥岬へ向かって進んでいきます。
林を抜けて高台の海沿いに出ると、高く切り立つ陸地から少しだけ離れた
海上にこんもりとした山のような形の遠国(おんごく)島が現れ、
そして細い水路を隔てて切り立つ本土側の崖の足元には、三日月の大洞と
呼ばれるらしい、斜面となっている白い岩肌に海蝕洞が彫り込まれて
確かに上弦の三日月のような形に見ることのできる洞穴を見つけることが
できました。
地層を露呈しながら聳え立つ岩礁を浮かべる海は、ここでも深い青色に
透き通りながら、明るい青空のもとに穏やかに広がっていました。

程なく舗装された道は途切れ、引き続き階段道となって、鬱蒼とした
森の中へと登り始めます。この森もまた暖地性の、あまり幹の太くない
常緑樹が主となり、薄暗い雰囲気の中に遊歩道は険しく伸びていきます。
アップダウンも激しくカーブも多い森の中の道沿いにはやがて、
椿の木が多く現れるようになってきました。
椿園として紹介される領域となり、案内によればちょうど今頃が
見どころということになるようで、確かに大きな花をたくさんつけている
木も多く見られたのですが、椿も盛りを過ぎてしまったと見え、むしろ
足もとに落ちてしまった花の塊や花びらの欠片の方が目立つ有様
だったりします。

やがてそんな鬱蒼とした森の中に、タライ岬入口という案内看板が
姿を現してきました。
ここからタライ岬へはいろいろな楽しみ方ができそうな3通りの遊歩道が
通じているとのことでしたが、体力的な面から一番楽に目的地に到達
できそうな、その名もらくらくコースという道をたどっていきました。
ここまでと同じような鬱蒼とした常緑樹の中の道を、
多少のアップダウンは我慢しつつのんびりと歩みを進めていき、
最後に森を抜け、なぜか現れた日向ぼっこする猫の姿を横目に、
明るい空と青い海へ向かって突き出す陸地の突端へと進みました。

南へ突き出すように伸びる陸地には、海からの強い風が吹き付け、
穏やかそうに見える海もよく見ればしきりに波を立てています。
北東側へ延びる海岸線はごつごつと複雑に入り組み、はるか遠くになった
爪木崎の方まで、順光を浴びて爽快な姿を広げています。
正面はただひたすら何もない、青い大海原が広がります。
伊豆諸島の姿は今日は残念ながら見られないようでしたが、さほど遠くない
沖合にいくつか、岩礁のようにも見えるけれど灯台を乗せているものもある
小さい島が浮かんでいるのを見つけることができます。

そして、この岬からの眺望として最も素晴らしさを感じたのは、
逆光となっていたのが残念でしたが、南東方向の海の姿でした。
陸地は複雑に入り組み、大きな岩礁も浮かび、ここからもほど近い隣の
逢ヶ浜(おうがはま)の、洞門のようになっているものも含めさまざまな形の
岩礁が、大きな岩礁に囲まれた入江のような海に姿を見せてくれるような
荒々しい海岸線が、太陽の光を強く反射しながら広がります。
その背景には茶色い細いベルトのようなおそらく弓ヶ浜の姿が見え、
伊豆半島の本体のごつごつした丘陵が、沿岸の小さい岩礁に装飾されながら
さらに明るい海へ伸びてシルエットとなり、おそらく石廊崎へと向かいます。
その伊豆半島の丘陵の上には、大量の風力発電の風車が佇んでいるのも
見つけることができました。
ここまで長い距離を歩いてきた結果見つけることのできた、あまりに爽快な
風景を、猫と共にしばしのんびりと楽しむことができたのでした。

帰りも同じらくらくコースを通って、森の中の遊歩道へ戻れば、
ここから先の弓ヶ浜へ向かう道は、下る一方となって、ここまでの地図上の
距離感からすればだいぶ早いペースで、森を抜けて次の逢ヶ浜へと進んで
いきました。
遊歩道は逢ヶ浜の末端に切り立つ崖の上から、重機で固められている
最中の砂利浜を見渡して最後の下り坂となり、さほど長くはない砂利浜が
屈曲して伸びて明るい海に接している海岸へと下っていきます。
歩いてきた崖は海へ伸び、足元には玄武岩の柱状節理のような地層も
見られたり、その先端は荒々しく削られていくつかの岩礁に分かれて並んで、
盥岬から見られた洞門のような岩礁が実は三角形を作っていたりするのも
ここからは大きく眺めることができます。
後で見つけた案内によれば、三角形型の洞門はハイヒールみたいな岩と
紹介されていたり、玄武岩の柱状節理はどこかで見た枕状節理のように
放射状の広がりを見せていたりしたものらしく、もっとじっくり見ていっても
良かったかもなと後で思ったりもしました。
少し夕暮れの色を帯びてきたような気がする青空のもとに波を寄せながら
穏やかに広がる大きな青い海の上には、いくつか三角形状の大きな岩礁も
浮かび、そんな美しい海岸線を作る砂利浜をのんびりと散策していきました。

道は車も通ることのできる普通の路地へと戻り、逢ヶ浜の末端となる海岸に
立っていた丘陵をよけるように内陸の林の中へと進みました。
道沿いには温泉宿というよりペンションといった方がいい感じの建物が
いくつか現れ、庭の生垣となる椿がそこそこきれいにピンクの花を咲かせて
いたりする道となっていて、そして何やら大きなホテルの建物が現れると、
そのホテルの敷地となるのか松原の足元に水仙が敷き詰められる領域が
現れて、木々越しに弓ヶ浜の海岸が見られるようになっていきました。

たどり着いた弓ヶ浜は、夕暮れの色をさらに濃くした逆光の海原に面する
名前の通りに弓なりの砂浜が長く続く所でした。
東の方を振り返れば、海に切り立つ丘陵が順光を浴び、通りがかった
大きなホテルとおそらくその敷地のたくさんのヤシの木で囲まれる一角を
麓にして、足もとを侵食されてごつごつとさせながら砂浜の末端を区切り、
そして西側の前方にもこんもりとした丘陵が連なっていましたが、
弓なりの海岸は極めて広大な砂浜を伴って雄大に広がり、対峙する広大な
大海原から寄せる穏やかな波を受け続けていました。
海岸線と並行に続く松原の向こうには、大小さまざまな弓ヶ浜温泉の
建物の集まる街並みとなり、夏場に海水浴場の入口となる辺りに開ける
若干の店の形跡を見せる辺りには、夕日を浴びて居眠りする猫の姿も
見られる、穏やかな夕暮れの海辺の街となっていました。

ここまでの道とだいぶ違って、歩けども歩けども風景の大勢があまり
変化しないスケールの大きい風景であるようにも感じられましたが、
それでも西側の末端まで砂浜沿いの遊歩道をのんびりと歩んでいけば、
歩いてきたホテルのある丘陵も次第に遠景となり、海原も順光を浴びる
ようになって、より穏やかな夕暮れの広大な海の風景を見つけることが
できました。

バスの時間までの間に日帰り温泉でもと考えてはいたのですが、案内地図の
中に、北限のマングローブという気になる記述を見つけてしまったので、
刻一刻夕暮れの色が濃くなっていく空のもと、さらに歩みを続けました。
弓なりの砂浜の末端は、奥に見えていた連なる丘陵の足元を流れてきた
青野川の河口となっていて、防波堤で囲まれるようになった川沿いの、
その防波堤の内側を歩いていけば、港と同じような機能を持つのか、
たくさんの漁船がコンクリートで囲まれた川沿いに並びます。
対岸にも防波堤よりはるかに高い丘陵が背景となって、その足元にいかつい
漁業施設が点在するのを見ながらのんびりと川沿いを遡り、四角く大きく
彫り込まれた船溜まりを迂回しながらさらに北上すると、
川沿いの湿地に、常緑樹のメヒルギという小さい樹木が密生する一角を
見つけることができました。
一角の植生はメヒルギのほかに、今は裸であるハマボウの細い枝も大きな
領域を占めているようです。ハマボウはさっき歩いてきた大賀茂川でも
群落を見たわけですが、それもまたマングローブを構成する樹木であると
案内看板が教えてくれました。

対岸の丘陵越しに夕陽が強く照りつけるようになった青野川をあとに、
その東側に広がる住宅街の中を、水路沿いから路地へ、そしてまた別の
路地へと彷徨い歩き、下田へ帰るバスの出る休暇村バス停を目指しました。
素朴な民家の密集する住宅街といった風情の街並みでしたが、
民家だと思っていた建物のほとんどが、小さい民宿となっているようで、
細い路地から路地へ、よく見れば様々な大きさだった建物の周りに
育ついろいろな木々や作物の姿を楽しみながら、中には比較的大きい
ホテルといっていいレベルの建物が廃墟と化している所もあったり
するのに驚きながら、次第ににぎやかになっていく街並みの中心部へと
向かっていきました。
休暇村バス停は、むしろさっき通りがかった弓ヶ浜の東の端に近い所に
ある、巨大できれいな宿泊施設の足元にひっそりとたたずんでいて、
石廊崎からやってきていったんこの場所に立ち寄る形のバスを
迎え入れるころ、辺りは少しずつ暗くなり始めました。

下田行きのバスは、やはり素朴な住宅街のような風情の温泉民宿街の
なかの通りを進み、一旦青野川に寄り添って堤防上の河津桜の姿も
垣間見つつ、川から離れるとさっきの広大な菜の花畑の日野へと
進んでいきました。菜の花畑もだいぶ夕暮れが深まってきた感じでしたが
だいぶ人は少なくなったとはいえまだまだそれなりの人が畑の中に
繰り出しているように見えました。
そしてさっきバスで通った山里の道をもう一度走り、銭瓶峠を越えて
下田市へ進み、終点が近づいてもトンネルがあったり坂道がきつかったり
する険しい道をたどって、だいぶ暗くなった伊豆急下田駅へと進みました。

そして最後に、私の高校時代あたりに華々しくデビューしたもののこれまで
乗る機会が全くなかったスーパービュー踊り子号という特急列車が
まもなく引退するという話を聞いたもので、せっかくなのでお名残乗車しつつ
帰路に就くことにしたわけです。
もう外の風景を楽しむことは難しいくらい外は暗くなってしまいましたが、
独独の形の車両の中で、大きな窓に囲まれてゆったりと過ごすことのできる
座席に座り、普通車だけど贅沢な汽車旅を楽しむことができました。
内装を見る限りはまだまだ現役で働けそうな感じの列車にしばし身を任せ、
JR区間に乗り入れると料金が跳ね上がることから、伊東駅で下車することに
したわけですが、それでも1時間は贅沢な時間を過ごすことができて、
あとは余韻に浸りながら夜になった伊東線、東海道線と普通列車を乗り継ぎ、
そして最後は小田急ロマンスカーで、贅沢で高密度な旅を
締めくくったのでした。