大野、夜ノ森、富岡(2020.10.1) | 旅の虫速報

大野、夜ノ森、富岡(2020.10.1)

murabie@福島県広野町です。

いつもと違う感じだったけれどみんな頑張った職場の大きな行事が終わり、
気がつけば気候も良くなり、都民の日と研究日がつながり、gotoなんとかの
権利も行使できるようになりと好条件が重なりまくったところで、
本当だったら春に行きたかった、常磐線再開記念環境問題の勉強の旅に
出ることにしたわけです。
快晴の昨日とは違ってどんよりと曇りぱらぱら雨も舞うような状態だった
わけですが、とりあえず早朝のひたち号の客となり、うとうとしている間に
進んでいた日立のマークの大きな建物の並ぶ辺りから、時々鉛色の荒々しく
波を打ち寄せる海を垣間見つつ、丘陵の合間の険しい道や、遠巻きに
壁のような山並みに囲まれる、黄金色に変わりつつある広大な田んぼの
風景を見ていきます。
いわき駅で各駅停車に乗り継いでも同じような風景が続き、丘陵の間の
谷合を渡れば、荒れ地の中にひたすら伸びる道や、せせこましく田んぼの
広がる谷を見渡し、その先に鉛色の海が垣間見られる車窓となります。
以前訪れた三陸のように震災の爪痕が強く感じられるような車窓はあまり
多くはありませんでしたが、それでも海が見られれば頑丈な護岸で
固められていることが多く、特に富岡駅の駅裏には海側に広大に工事中の
ような荒れ地が広がっていたりもしました。

まずは大野という駅に降り立ってみました。
大熊町ということになる駅は無人駅でしたが真新しい立派なものでした。
地図上では福島第一原発の最寄り駅ということになるようでしたが、
まさに最前線となる東口の方へ進んでみると、駅の中から駅周辺に
丘陵に囲まれながら点在する民家の集落が見えるのですが、そこへ至る道は
ほぼ全て帰還困難区域のバリケードで封鎖されている状態でした。
駅のすぐ近くに見える大きなお屋敷の足元にバリケードが横たわり、
となりの草生している児童公園も封鎖され、その背後に小さい商店を
含みながら住宅地が広がっていましたが、路地への入口は悉く封鎖され
工事関係者のみがつち音を響かせている状態。
ついついいつもの癖で、通れそうな車道の上り坂を上って、駅の北方で
東西方向の通りと交差すれば、道幅の割に余りに多すぎるダンプトラックの
行列に出くわし、写真など撮りながら適当に彷徨っていたら実は歩行者は
立ち入ってはいけないところだったらしくてお巡りさんに優しく駅まで
連れ戻されたりなんていうこともあったりして。
結局駅の東側は、駅からは住宅街が見られたけれど、現状自由に
立ち入ることができるのはほぼ駅前広場のみという、ちょっと考えさせ
られてしまう状態だったりしたわけです。

駅の西側に歩みを進めて見るとこちらも、駅前に佇む大きな新しい建物に
至る道が封鎖され、線路と並行して南北に伸びるメインストリートに
面する建物の入口も全て閉鎖され、そしてネットで見たことがあるような
気がする、商店街の入口が閉鎖されてそのバリケードの中に朽ちかけた
商店が並び、道は草生して車も取り残されているという悲しみを誘う風景が
覗いていたりもします。
こちら側は、大熊町役場へ通じる道だけは自由に通れる状態になっていて、
元々の駅前の街並の中を少し折れ曲がりながら、素朴な民家が余裕をもって
並んでいる領域へと通じていたのですが、フェンスとバリケードで封鎖
されている住宅街の中には窓が外れたり瓦が乱れたりした痛々しい姿の
ものも少なくなく、駐車場も庭も草生してしまっています。コンビニのような
商店もまた例外ではなく、そして交差点に指しかかるたび、朽ちかけている
商店がバリケードの中に姿を現してくるのです。
フェンスとバリケードで囲まれているのはもしかしたら道路の方なのかもな
とか思えてしまう悲しい風景を作る大通りを南下していくと、ある所から
立入規制緩和区域ということになるようで、道に並ぶフェンスは姿を消し、
道沿いの新興住宅街へも自由に入れるようになっていきました。
しかし住宅街の中に分け入ったところで人の気配はほとんど感じられず、
至るところの道端や新しそうな民家の庭にも雑草はたっぷりと草生して、
悲しい風景をより大きく見ることができただけのような感じになって
しまっていたのでした。

大野駅に戻って上り列車に乗り、一駅戻って隣の夜ノ森駅に降り立ちました。
堀割の底に通されたような線路を囲む土手には、震災前にはツツジの花が
大量に咲き誇っていたらしいのですが、今の斜面は草生す中にかろうじて
ツツジの幼木の姿が見られるのみ。
堀割を跨ぐようにして作られた真新しい駅舎を、住宅街のある方の
東口へと出てみれば、駅前から東へまっすぐ続くメインストリートはここでも、
フェンスとバリケードに固められている状態でした。
おそらく駅前で一番目だっていたのであろう商店も、朽ちかけたたくさんの
自販機と、丸型ポストとともにフェンスに囲まれ、駅前広場もまたフェンスに
囲まれ、その向こうには決して古くないアパートや、瓦が崩れた民家が
すぐそこに佇み、そしてメインストリート沿いにも、解体が進んだのか
空地こそ多いのだけれど、充分住めそうな民家もたくさんフェンスに
囲まれながら並んでいて、そしてバリケードで封鎖された交差点では、
やはりその向こうに朽ちかけた商店の姿がのぞきます。

道は程なく、南北方向へ伸びる大通りと交差していきます。
この道の道沿いは立派な桜並木となり、特に南の方へ伸びる道を覗き込めば
さながら桜のトンネルのような雰囲気を感じることができ、是非とも桜の
季節に再訪してみたいと強く感じることとなりました。
交差点はロータリーのようになり、開花標本木なんていう特別な桜の木も
佇んでいたりしましたが、その奥に続く住宅街への入口はやはり
バリケードで封鎖されたままでした。
南北方向の道を北上すると、道沿いではリフレなんとかという巨大な
施設が解体作業中だったりしましたが、合流する路地はやはり悉く
バリケードで封鎖され、道沿いの建物も新しそうだけどよく見ると
朽ちかけている悲しい姿を晒しています。
次に東西方向の大通りと交差する所では、北にも東にもバリケードが
設けられてしまい、西へ進むしかない状態となっていたわけですが、
バリケードの東側にはトンネルのように鬱蒼と茂る桜並木が除き、
北側には小さい商店の類も姿を見せるひっそりとした住宅街が
覗いていました。
その道を道なりに西へ向かえば、朽ちかけた商店や、山門だけを残した
日蓮宗のお寺がフェンスに囲まれているのを見て、常磐線の線路を跨ぐ
橋へと進んでいきます。

線路の西側は一転、避難指示が解除された区域ということになって、
あれほど物々しい雰囲気を作っていたフェンスもバリケードも一切消えうせ、
遠巻きに壁のような丘陵に囲まれて田園が広がりながら、駅の近くには
そこそこ建物の姿も見られる風景となっていきます。
そして線路に寄り添う道には、巨大な桜の木がうっそうとした桜並木を
作っています。桜の季節にここに来れば、桜のトンネルを駆け抜ける列車の
姿に出会うことができそうな気がしましたが、今日も緑のトンネルを
列車が通りすぎていく風景に出会うことができました。
夜ノ森駅の西口もこの道沿いに口を開き、新しく駅前広場も造成されて
いるところでしたが、東側のような住宅街が発達しているわけでもなく、
しばらくはひっそりとし続けてくれそうな感じがします。

駅の南側で線路を跨ぐ橋を渡って線路の東側へ回り込むと、そこは帰還困難
区域ではなくて普通にガソリンスタンドが営業していたりしたのですが、
路地を北側に分け入ると、帰還困難区域との境界にまたフェンスが
横たわって、瓦の乱れた民家が佇んでいるのをフェンス越しに眺める道と
なっていたわけです。
ほんのわずかな差で帰宅困難区域から逃れた南側には真新しい集合住宅の
類も姿を見せていましたが、一方で草生して放棄されたような建物もあり、
このフェンスはいったい何を明確化する存在なのだろうかと、答えの出ない
疑問にしばらく悩まされながら、領域の境界となる路地を歩んでいきました。

程なくさっきの南北方向の、桜並木のトンネルの大通りへと合流します。
大通りの対岸には、ぱっと見普通に営業してそうに見えるヨークベニマルの
ショッピングセンターのようなものがフェンスに囲まれています。
その向こうには溜池を中心とする園地のようなものが広がっている
ようでしたが、草生した駐車場の向こうに明るい雰囲気だけは覗くのだけど、
その様子を伺うことは能わず、南へ移動してみても、草生した集合住宅が
フェンスの向こうに立ち並ぶばかりでした。
ここから南の方へ伸びる大通りも桜並木のトンネルに囲まれていて、
やはりここは桜の季節にくるべきところだと、改めて感じながら、
さっきのロータリーの交差点経由で、夜ノ森駅へと戻っていきました。

なんだかこの夜ノ森の街というのが、さっきの大野駅周辺以上に、
帰宅困難区域というのを強く感じさせてくれたような存在であった
ことを感じながら、しばらく待ってやってきた上り列車に乗り込み、
丘陵を抜けた高台から見渡した街並を訪れるべく、駅裏に荒れ地と堤防で
固められた海岸を擁する富岡駅へと降り立ちました。

富岡駅は海に近いだけあって、震災の時には駅舎が流出する被害に
遭ったらしく、去年三陸で見た、駅前に隙間の多い新しい住宅街が
広がるような荒涼とした風景がここにも広がっているということを
感じることができました。
丘陵に囲まれるように広がるそんな新しい住宅街の中の新しい道を
のんびりと歩んで、学校やショッピングセンターなども佇む丘陵の足元へと
歩みを進めていくと、市街の中心のような所に洋館風の建物が現れ、
そこが気になっていた東京電力の廃炉資料館という施設でした。
かつてはエネルギー館とかいう子供達を遊ばせる施設だったらしいのですが、
数年前にリニューアルしたもののようです。
コロナの影響で自由参観はできず少し待たされてツアーに参加する
形態となりましたが、東電の謝罪や反省の言葉から始まる映像が館内展示に
多用され、震災の日に福島第一原発で何が起こったのか、何ができたけど
何ができなかったのかということを、おそらく真摯に正しく伝えてくれて
いました。
そして原子炉が現在どのような状態になっているのか、これからどのように
廃炉へと向かっていくのか、どのような機械やロボットを用いて内部を
調査しているのか、作業に従事する人たちはどのような装備で臨んで
いるのかなど、福島第一原発に関するいろいろなことを学ぶことができた
ような気がしました。

帰りは国道6号経由で、駅前の荒涼とした市街を囲む丘の上の展望台の
ような小公園から、堤防の向こうに広がる海原の姿を垣間見つつ、
富岡駅へと戻って、最後にまた上り列車に乗って2駅ほど上り、
夕暮れに襲われつつあった木戸駅へと降り立ちました。
今日ここまで見てきたような震災の爪痕のような風景にはここでは
出会うことはなく、ただとても重厚な瓦屋根のお屋敷のような民家に
固められる通りを進むうちに辺りはどんどん暗くなっていって、
住宅街を抜けると谷底に黄金色の小さい田んぼが広がりながら、
その向こうにはきらびやかで奇妙な形の道の駅がライトアップされる
ようになっているのが見られるようになり、そちらへ向かって歩みを
進めれば、丘陵に囲まれて佇んでいた溜池に道の駅の姿が映し出される
幻想的な風景にも出会うことができました。
夕方で終わってしまうことなくちゃんと夜まで営業しているフードコートで
夕食を摂り、また温泉施設もしっかりと利用して、すっかり夜になった
工業地帯に寄り添われる真っ暗な国道を南下し、いつの間にか雲の取れた空に
浮かぶ仲秋の名月を楽しみつつ、Jヴィレッジへの入口を通過して
たどり着いた宿でのんびりと過ごしているところです。