小湊鉄道沿線(2020.1.26) | 旅の虫速報

小湊鉄道沿線(2020.1.26)

murabie@自宅です。
またも約2週間前の旅の報告です。

週末は天気が悪いという長期予報に、今週末はおとなしくしていようかと
思っていたところ、数日前からいい方に予報が変わり、仕事も大きなものが
片付くタイミングでもあって、これは旅に出るしかないと、前日に切符の
手配まで済ませてしまいました。
しかしいざ当日を迎えてみると、なんとまあしとしとと雨が……

そんなわけで雨の中のスタート、途中までは2週間前の旅と同じく
東西線で西船橋を目指しましたが、2週間前よりもかなり早く家を出たため、
地上に出ても辺りはまだ夜のまま、そして総武線に乗り継いでも変わらず、
千葉から内房線の列車に乗り継ぐころようやく辺りは明るくなりはじめ、
工業地帯を見ながら京成線とともに高架を進んでいた車窓が、程なくして
地平に下り、隙間の田畑や荒れ地の多い住宅地を進むようになっていくのを
眺め、五井駅へと進みます。

五井駅から今日は小湊鉄道線に乗り継ぎ、時々車体を大きく揺らしながら
ごとごとと、あっという間に広大に黄色い田んぼがいっぱいに広がるように
なった風景の中を走っていく古い列車に身を任せていきました。
時々島のように現れる丘陵の足元や斜面に住宅地が広がり、その近くに
設けられた小さい駅のホームで立ち止まっては、あまりクッションの
効いていない感じの大きな動作音と衝撃を伴ってドアが開閉され、
住宅街の反対に広がる広大な黄色い田んぼを見せてくれます。
時々この間の台風で吹き飛ばされたのか、屋根の一部にビニールシートを
載せる民家や駅舎も姿を見せる中、立ち止まる駅には味わいのある古い
駅舎が立って、無人化されて設けられた真新しい券売機が寂しく待合室に
佇んでいるような風景に、しきりに雨粒が落ち続けます。

内陸に進むにつれ、遠巻きだった山並みの姿が大きくなり、列車は
丘陵の合間の起伏に富む山里を経由することも多くなって、上総牛久を
過ぎると、土の斜面に地層を見せる切り通しや荒れた雑木林、竹林を
通過しながら、近くに丘陵を控えてのどかに広がる里山の風景を多く
見かけるようになっていきました。
そして列車は高滝ダムの一部となる幅の広い水路を跨ぎ越したり、
荒れ地の向こうに広々と広がる湖面を見たりしながら、高滝ダムの領域を
通過していきます。

当初の目論見では高滝駅の無人レンタサイクルを借りて、ダム湖の周りを
集回しようかと思っていたのですが、雨が止む気配を見せないので、
里見駅から歩いていく作戦に変更することにしました。
古い駅舎のこぢんまりしたホームで、タブレット交換していく小さな
列車を見送り、持参した携帯用長靴に履き替えて、しとしとと降る雨の中
散策を開始します。

線路と並行する大通りは里山の起伏に富む道を伸びていますが、時間がまだ
早かったせいもあるのか、車の往来も少なくひっそりとしていました。
駅近くの消防署にはなぜか仮面ライダーが立ち尽くしていたりもします。
路地へと分け入り、狭いわけではない構内に列車が静かに休んでいる
里見駅を丘陵の足元に見る踏切を越え、里山の集落へと歩みを進めていくと、
家並みが途切れて丘の足元に田んぼが広がった所に、モニュメントとして
残されている感じの短い線路が姿を現しました。
万田野線という砂利採取のための貨物線の跡地ということのようで、
線路の敷地自体は立ちはだかる丘の中に伸びていて、割と綺麗に草木が
取り除かれていたので、長靴の威を借りて森の中へと歩みを進めてみました。

切り開かれた竹薮の中に通された遊歩道のような道に、レールそのものを
見つけることはできませんでしたが、草むらに埋もれるように側溝が
伏せられていたり、コンクリートの壁が崖に沿っていたり、
何かはわからないけれど錆び付いた鉄でできた何かが転がっていたり、
そして周囲を囲む森の木々の隙間から外界の道路とその向こうに壁のように
立ちはだかる丘が見え、その道路が線路と同じくらいの高さに寄り添って
きた辺りで、廃線あとの敷地の幅がすこし広がって、貨物駅的なものが
あったかのような雰囲気を一瞬醸し出して、竹薮に遮られていました。
しとしと雨に竹薮も濡らされるしっとりとした静かな風景でした。
来た道を戻り、線路のモニュメントを通り越すと、道はさらに里見駅の方へ
民家とビニールハウスの間に伸びていて、前方には里見駅に止まる列車の
姿も見られましたが、溜池のように水溜まりが広がっていて、
歩き進むのは断念しました。
あとでネットで見てみると、何年か前まではわざとらしいモニュメントでは
なく、当時のままのレールが草むらに埋もれている状態だったみたいで、
その時代の姿も見てみたかったなと思っているところです。

仮面ライダーのいる大通りへ戻る直前、踏切を渡らずに短い坂道を下ると、
地図上では複雑な形の池が一カ所に集中しているような所となりましたが、
実際には水量はきわめて少なく、里山の集落となっている高台に囲まれて
黄色い荒れ地が広がるのみとなっていました。
踏切を渡って大通りへ戻ると、道はすぐに橋となり、左手には小湊鉄道の
線路がその荒れ地のような遊水地を跨いでいる風景が広がり、そして右手は
砂地となっている河原に囲まれた細い川が大きく屈曲している周りに
整備された護岸と園地が大きく広がる風景となっていました。
水上テラスと釣り広場という名前がつけられていて、護岸の上部から
水平に伸びるテラスから、細い川の流れを大袈裟なくらい大きく守る
護岸の園地を大きく見渡すことができるようになっていて、また対岸に
橋を渡っても、川沿いに四阿の立つ小さい園地が表れて、そのテラスを
中心として大きく広がる園地を眺めることができるようになっていました。
細い川はすぐ先で、高滝ダムへ向けて川幅を広げながら高い崖の足元を
ゆったりと流れる養老川へと合流していました。
雨は降り続き人の姿はほぼ見られない状態でしたが、足を止めて暫し静かな
時を過ごすことのできる園地でした。

引き続き、地図上では養老川沿いに伸びているように見える道路を北上
してみました。
実際には川から離れた高台となり、丘陵に囲まれてのどかに田んぼの広がる
里山の風情となっていて、小さい公園に佇む遊具がアクセントとなる
素朴な静かな風景となります。
そして切り通しのような下り坂を過ぎると、一気に川幅を増して高滝湖と
なった養老川が、若干重機が入っている姿ながらも、大きく広がった空の
元に、大きな姿をゆったりと横たえていました。

すぐ近くに丘が寄り添い、その足元に田畑や運動場などが広がる湖岸の
道を、降り続く雨に打たれながら歩み、幅を広げた高滝湖を横切る
境橋に差し掛かると、その北側に大きく広がる湖面の奥には赤いアーチ橋が、
そして近くの丘となっている湖岸にも何やら鉄骨の厳つい構造物が
見られるようになり、その背景の丘の斜面にも複雑に道路が刻まれ
鉄橋が配されるような、雄大な風景が現れました。
対岸に渡っても高滝湖は引き続き大きな灰色の空の下に大きな湖面を
現し続けました。時々崖の上に田んぼが広がって湖面から離されるときも
ありましたが、レイクラインという大通りは入江のように入り組む湖岸線の
上を大きく橋で跨ぎ越し、さらに悠々とした水辺の風景を広げていきました。

橋を越えたレイクラインは湖へ迫り出す丘陵の間へと入り、湖岸からは暫し
離れて、農家の立派な蔵の姿も見られる高台の山里の間を進み、
峠を越えて下りに差し掛かった所に、市原湖畔美術館の領地が姿を
現しました。
丘の上に建つコンクリートの独特な形の建物の周りに広がる庭にも
いくつかのいろいろな形の展示物がちりばめられていて、そんな庭が
そのまま湖面に面する高台の広場となって、広々と湖面を見渡す
穏やかな所となっていました。
すぐ近くで赤いアーチ橋の加茂橋が湖面を横切り、その袂となる
所に小さいけれど建物も集まって賑やかそうな雰囲気となる小さな園地が
広がって、入江のような湖面にたくさんの小舟を浮かべ、岸壁に設けられた
ビニールハウスのようなものの中にはたくさんの釣り人の姿も見ることが
できます。近くには真っ赤で大きな鳥居が、丘陵の足元の湖面上に
佇んでいる様子も見られます。

崖の上の園地からそのまま湖面上に迫り出すようにして、橋が途中で
行き止まりになるようなテラスが設けられ、対岸に赤い加茂橋を見据えて
その反対側にも広大な湖面を広げる高滝湖の姿を爽快に眺めることが
できます。湖上には美術館の展示の一環なのか、トンボやら蝶やら、
巨大な昆虫の像がいくつか点在します。
そして対岸からも目立つ存在だった、鉄骨が組まれたような厳つい建造物が
園内に大きくそびえ立ちます。
藤原式揚水機というらしい、以前から高台に養老川の水を送るために
用いられていた施設のモニュメントらしく、塔の下の水場と塔の頂上を
結ぶように循環するらしい、大きな角度を持っている巨大なベルトコンベアー
に水を蓄える無数の小さい鉄製の箱が取り付けられているような感じのもの。
今は稼動している様子は展示していないようでしたが、塔の中には階段が
設けられ、高滝湖をより高い所から大きく広々と眺め渡すことができる
展望台として機能していて、傘をさしながらではあったけれど、昆虫の像や
小さいボートが浮かぶ穏やかで広大な湖面に時折、アーチ橋をくぐるように
小舟が往来する姿を、暫し堪能することができました。

湖畔美術館の中には入らずに園地をあとにし、レイクラインに戻って
引き続き湖畔を周遊する歩き旅に戻ります。
園地から見られた、たくさんの小舟と釣り人を集める小さい公園へは
スワンボートをいくつか浮かべて丘陵の間へ分け入る入江を橋で跨げば
すぐにたどり着くことができます。
ふれあいの広場という湖畔の園地そのものはこぢんまりしているのだけど、
駐車場にはたくさんの車が止まっていて、対岸に湖畔美術館の丘陵を
見据えていくつかの桟橋が湖岸に並び、直接見られる人の姿は天気のせいか
多くないのだけれど、むしろ湖上に浮かぶ小舟やビニールハウスのような
建造物の中から、賑わいが伝わってくるようです。
崖の上から見られた真っ赤な大鳥居も湖岸のすぐ近くの水上に浮かび、
複雑に入り組む陸地に囲まれながら広がる湖水面に身近に触れ合うことの
できる穏やかな園地です。

レイクラインに戻り、高滝駅の方角へ向かい、湖面を大きく跨ぐ赤い
アーチ橋の加茂橋を渡っていきました。
歩いてきた方向の、湖畔美術館の崖に寄り添われて南側に大きく広がる
湖面も穏やかでしたが、少し規模を縮小しながらもまだまだ大きく広がる
北側の湖面の姿も橋の上からは大きく見渡すことができます。
さっきの公園とともにワカサギ釣りの名所らしく、湖上にはたくさんの
釣り人を乗せた小さいボートがいくつか停泊していましたが、基本的には
動きのない静かな湖の風景が、やはり穏やかに広がりました。
対岸に渡った所にそびえる高台には、綺麗に整備された高滝神社が現れ、
石段を上っていけば、森に囲まれた高台にはきらびやかに装飾の施された
小さいけれど立派な鮮やかな丹の色の神殿が佇みます。
高台となる境内の片隅に現れる、アーチ橋のかかる湖の風景も
暫しのんびりと楽しむことができました。

高滝神社を載せる丘を越えていけば高滝駅ということのようでしたが、まだ
時間には余裕があったので、せっかくだからダムサイトを目指して引き続き
湖岸をなぞるような道をたどり、釣り人を乗せる小舟をいくつか浮かべる
穏やかで広々と広がる湖面が赤いアーチ橋を背景にして広がる風景を
のんびりと楽しんでいきました。
対岸にそびえる丘陵の中腹に大きな道路が刻まれているのを見ながら、
そこへ向かうように湖面を跨ぐ橋の袂を通過していくと、広大だった湖面は
急に水路のように細くなって、左手へ崖の足元に屈曲していきます。
もっとも列車からは豊かな水面であるように見られた程度の広さは保って
いて、線路をくぐり大通りを横断して、細くなりながらもさらに続く湖面の
岸をなぞっていきます。
対岸に連なる崖の中には小さい取水場が佇み、そんな川のような湖水面を
湖畔に現れた湖展望園地から望むことができます。

素朴な里の集落に寄り添われる湖岸の道を進み、広い川のような湖水面が
右へ屈曲するのを見て、湖面にかかる小佐貫橋という細い橋を渡ると、
住宅地の奥にはついにダムの堰堤が見られるようになりました。
再び幅を広げたような気がする湖面の向こうには、切り開かれた斜面に
若干の建造物が集まって、桃色の花の咲く領域も確認できる丘陵が
寄り添います。
そして小さな公園に出迎えられるようにたどり着いた堰堤の上を歩き進めば、
湖面はまた大きく広がり、そしてダムの外側にはコンクリートに固められた
斜面の下に、深い渓谷を削るように川の流れが進んでいるのを見下ろすことが
できました。

深い渓谷を囲むような長閑な里山は、しとしと雨の続く天候の中薄暗く
静まり返りますが、谷あいを大きく跨ぎ越すような高速道路の橋には頻繁に
車の往来が見られます。
養老川の下流の方へ、寄り添う丘陵の足元に伸びる大通りを進み、
高速道路をくぐって、山深い雰囲気の道を少し進んで、丘陵が奥へ
へこんだような小さな谷に小さい民家が集まっている集落の中の
緩い坂道へと歩みを進めていくと、背後に深い森を擁する集落の最奥部に
シャッターを下ろした小さい十一面観音堂と並んで、煤けたコンクリートで
築かれた頑丈そうな小さいお堂が立っていました。
そのお堂の窓ガラス越しに、中に静かに座っている山口の木造地蔵菩薩座像
という、日本一大きいらしいお地蔵様を見ることができます。
山懐に抱かれる静かな集落を象徴するかのように、綺麗に保たれている
穏やかな姿に暫し足を止めました。

丘陵の足元の道を高滝ダムヘ戻り、最後に高滝駅へ向かって、高滝湖の
西岸に沿う、大きいけれど静かな通りを南下していきました。
ダムの堰堤の近くには高滝ダム記念館の建物、そしてその周りに公園が
整備され、養老川の深い谷の周りに広がる里の風景を見渡せる四阿が
建っていたり、ダム湖を囲む丘陵の斜面にはテニスコートが整備されて
いたりします。テニスコートに隣接する切り開かれた斜面には墓地が
広がって、対岸からも見られた紅梅の花の領域が斜面に張り付いて
列を成します。本体のお寺である長泉寺も、切り開かれた丘陵の斜面に
開放的な雰囲気で佇みます。
道路沿いに広がる湖面は雨模様の空の下に穏やかに佇み、所々に藤棚の
ようなものを擁する細い展望台のような敷地を伴い、特に道が湖面と
別れる、屈曲する水面の南西端にくると少し大きい展望テラスが
設けられています。
しかし穏やかそうに見える湖面を覗き込むと、ブロックの積まれた護岸に
触れる水面には大量の細い倒木や倒竹が浮かび、また護岸の上にまで
打ち上げられていたりします。これも台風被害なのかなと思うと、
改めて被害の大きさを感じてしまいます。

高滝湖と別れた道は、高い壁のような丘陵達に囲まれながらカーブを切り、
郵便局やコンビニなどが高滝神社を載せる丘陵の足元に集まる
小さい集落へと続いていきました。
この静かな集落の中に、古めかしい木造駅舎の無人駅となっている高滝駅も
やはり静かに佇みます。
次に乗る予定の列車まで少し時間があり、近くのコンビニでおにぎりを
買い込み、誰もやって来ない静かな寒い待合室で昼食を摂ることとしました。
人は誰も来なかったけれど、不意に改札口を黒猫が一匹くぐってきて、
駅舎内の椅子にちょこんと座り込み、寛いでいる様子で体中の毛繕いを
始めたり、つぶらな瞳でこちらを注目したり、小さい鳴き声をあげたり
してきました。
特に構ってあげたわけでなく、ただおにぎりを食べながらそのかわいい姿を
微笑ましく眺めていただけでしたが、暫くくつろいだ黒猫は最後に
挨拶のつもりなのか、座っていた私の足に寄ってきて体を1回だけこすりつけ、
駅の入口から外へと静かに立ち去っていったのでした。

おにぎりを食べている間に、あんなに降っていた雨は上がり、
やがて細いレールに音を響かせて、台風被害の名残で今日まで養老渓谷
止まりという下り列車が、丘陵に囲まれた里山の小さい駅にやってきました。
さっきの早朝便よりも少しだけ乗客を増やしてやってきた列車は、
高滝湖を垣間見ながら農村をとことこと進み、さっき訪れた里見駅で
交換待ち合わせで暫し停車します。
暫し撮影会状態となった小さい駅をあとにした列車は、険しさを増した
山道を進むようになり、飯給(いたぶ)駅の辺りでは長閑な里山の風景と
なったけれど、基本的には雑木林や竹林、時には切通のような道を
進んで、やはり長閑な里山の農村の風景の広がる月崎駅へと進んでいきます。

月崎駅の駅舎は新しく塗り変えられてはいるけれどやはり小さい木造で、
ひっそりとした無人駅なのだけど、祝チバニアンという文字が大きく
書かれた横断幕のような模造紙で装飾され、無人の駅事務室にも
チバニアンという地質時代区分名が採用されたことを報じる地元紙の
新聞記事が誇らしげに掲示されていました。
かといって客がたくさんいるわけでもなく、駅舎も、駅に隣接して枕木で
作られた遊歩道や勾配標がいくつか並んでいる広場で構成される小さい
公園のような敷地も、そしてその周りの集落も、ただ静かに静まり返るのみ。
駅前の集落の中の1軒として佇むコンビニのような商店で切符が売られたり
レンタサイクルが受け付けられたりはしているようだったけれど、
雨がまた降り出してもいけないと、また長靴のまま歩き旅を続ける
ことにしました。

傘をさす必要がなくなった分、気持ちはだいぶ楽になることができました。
線路と平行するように伸びている道はやはり丘陵に寄り添われ、反対側に
農村は広がるけれどやはり薄暗い静かな雰囲気を作り出します。
丘陵の足元に沿って伸びる道は線路を踏切で渡ってなお続きますが、
途中の山肌に永昌寺トンネルという、将棋の駒のような断面の手掘りの
トンネルが口を開いていました。
道沿いに少し民家の集まる集落が形成され、ほどなく道は大通りと交差し、
大通りを南下するように折れていくと、蛇行して丘陵を深く削り取るように
流れる養老川を越える橋に進んでいきます。
橋の下の河原には農地を多く含みながら民家が集まってのどかな里山の
集落が広がり、橋の上からはそんな長閑な風景を大きく見渡すことが
できました。

橋を渡ると道はコンクリートで固められた法面が壁のように取り囲む切通しを
通過していき、その切通しを脱出する所が、チバニアン地層への道の分岐点と
なっているようでした。
丘陵に囲まれて田んぼが広がる風景の中からいったん丘陵の森の中へと
上っていき、急ごしらえの案内看板の類の集まるところを通過すると、道は
今度は森の中を下っていくようになります。
深い谷の底へ下るような道はそこそこ急坂となり、道沿いの森が途切れた
所からは、おそらく川が削った低地が奥へ広大な谷のように広がっていく
様を眺め渡せるようにもなりました。
谷底が近づくと細い川をまたぐ小さい橋が現れましたが、川の水路は
手掘りらしいトンネルをくぐってきて、水の下の岩盤には大小様々の
ポットホールが穿たれているのを見ることができ、また水路沿いに広がる
田んぼの奥には何やら小さい滝が激しく水を落としている様子も
見つけることができました。

最後に道は鬱蒼とした森の中を貫く遊歩道となり、仮設のような階段を
通って河原に降りることができるようになっていて、壁のように高く
そびえ立つ山並みが深く削られたような谷の底に豊かに水が流れる
養老川の流れにたどり着くことができました。
川を囲む岩盤の表面には竹林が育っていましたが、大量の竹の伸びる向きが
明らかに乱されているように見え、これも台風被害かと感じたのですが、
チバニアンの一番重要な地層が露呈している地点の近くの崖も、その上の
竹林とともに崩落した痛々しい姿となっており、そこへ上る階段道の
近辺も部分的にブルーシートやロープがかけられていたりもします。

地層は川の流れに沿って切り立つようにかなり平面的に露呈しており、
その足元には川の水の流れに洗われたように、ごつごつした岩盤が
広がります。
そして露呈する地層には部分的に、学術研究のために岩盤が採取された
あとの穴がたくさん開いていたり、杭がたくさん打たれたりしています。
これ全体がチバニアンであるかのように、何も勉強せずに来てしまうと
思ってしまいそうな感じでしたが、どうも大部分の岩盤はチバニアンより
前の時代の、現在と地磁気の磁極が完全に逆転していた時代のもののようで。
大事なのはこの崖の上部に77万年前らしい明確な断層が横切っていて、これが
目印となり、その上部にみられる地層がまさに磁極の逆転が徐々に進んだ
時代、すなわちチバニアン時代に堆積したものなのだと。
ただ単に川の流れと川の削った崖の風景に間近で触れ合える所として
訪れるのも悪くない所だと思いますが、地球の歴史を教えてくれているらしい
貴重なものがそんな中にひっそりと隠れているということが、なんだか
不思議で素敵なことであるように感じたひと時を、時々崖の上から
降りてきては戻っていく観光客たちとともに、しばし谷底で
過ごしていました。

通ってきた森の中には河原へ下る別の道も設けられていましたが、その道は
さっきの水路の河口へ続く、ぬかるんだ険しい道となっていました。
水路の河口まで下りきると、水路を通した手掘りのトンネルがここにも
みられ、そして川の流れはほぼ川を囲む崖に直接接していて、
ここもチバニアン地層への入口と案内されるのだけど、こここそ長靴を
履いていなければ通れないという、案内通りの道になっていて、もしかしたら
ちょっと前まではここがメインルートだったのかもしれません。
もちろん長靴を履いていたので、ばっちり川に浸かって歩いてもう一度
チバニアン地層まで歩いていくという経験もでき、養老川の風景に文字通り
どっぷりと浸かることができたのでした。

養老川をあとにして坂道を上り、基本的には来た道をたどりつつ、畑を
横切る仮設の鉄骨の道を通って駐車場に寄り道し、それなりの数の車の止まる
敷地に設けられたプレハブのビジターセンターに立ち寄ったりもしながら、
里山の長閑な風景をもう一度味わって月崎駅へ戻る方向へ歩みを進めました。
そして、往路で見つけた永昌寺トンネルへと分け入り、隣の飯給駅を目指す
道を進んでみることにしました。

将棋の駒のような断面の手掘りのトンネルを通りぬけると、辺りはなんでも
ない杉林が広がって、あまり風景に変化のない淡々とした、それでも起伏には
富んでいる山道となっていきます。
道沿いの杉林の中にふと、パワースポットであるらしい「浦臼川のドンドン」
というものの存在を示す、パソコンで印刷した紙だけのような粗末な案内板を
見つけ、なんとなく惹かれるものを感じて誘われるままに森の中へと歩みを
進めてしまいました。

長靴でよかったとまた思わされた、ぬかるんでよく滑る森の中の斜面を
下ると、水のほとんど流れていない川の跡のような谷底の周りに広がる、
やはりぬかるんだ草地が細長く広がっていました。
そしてその草地を、谷に沿うように奥まで歩き進むと、草地は崖となって
途切れ、視界を妨げるような竹藪の奥の高い崖の足元に水の姿が垣間見られ、
川を流れる水の音もあたりに響くようになってきました。
普通に歩けそうな道は途切れてしまっていて、正直これだけだったら
労力の割にはがっかりだなとか思いながら、持参のタブレットに頼ると、
その先へ進んだ人の記事を見つけ、改めて辺りを見渡してみると、谷の底に
もしかしたら道かもしれない竹藪の隙間が見られました。

伸びる方向が激しく乱された竹藪の中を、何度も足を滑らせながら、長靴を
泥だらけにしながら下り、転びそうになって竹を掴んだらその竹も抜けて
しまったりというひどい道ではありましたがなんとか、そこそこ豊かに
水を流す浦臼川の河原に降り立つことができました。
川は、高く切り立つ崖に穿たれた、さっき歩いてきたのと同じような
将棋の駒のような断面のトンネルを流れてきたようで、響いていた音も
トンネルの中から聞こえてきたもののようでした。
明るい所に出た川の流れはあくまで清らかで、引き続き高い崖の足元に
沿って流れ進んでいるようで、この先に道はなかったのでただそのきれいな
姿を静かに見送るだけとなりました。

激しくぬかるむ小さい河岸段丘のような草地から森の中へ、長靴やズボンを
激しく汚しながら来た道を戻っていき、舗装されている道に戻って引き続き
杉林の中を飯給駅の方へ向かっていきます。
林が一旦途切れた所で小湊鉄道のか細い線路と一瞬並走したのち、車止めの
現れた道へとさらに入り込み、大量の落ち葉や枯れ枝が堆積するように
なってところどころ樹木の伸び方や崖面の乱れているところも見られたりする
台風に荒らされたままっぽい森の中の上り坂を進んでいくと、将棋の駒の
形ではない丸っこく短い柿木台第二トンネルを通っていきます。
そして下りに転じたけれど引き続き鬱蒼とした杉林の中を延びる道を進み、
林を抜けて低湿地の広大な田んぼを高台から見渡す格好となると、田んぼに
面する崖の上の道が大きく崩壊したままになっていて、さっきの車止めの
意味を否応なく理解させられることとなりました。

わずかばかりの集落をあとにして道は再び杉林へ進み、今度は再び
将棋の駒の形をしているトンネルとして姿を現した、少し長めの柿木台第一
トンネルを抜けていき、別の田園や里山の集落へと、立て続けに表れた
手掘りのトンネルたちを探検できる道を存分に楽しむことができました。
そして小湊鉄道の線路を踏切で渡り、林を抜けて集落を越え、
地図上では飯給駅にほど近い地点へと進むと、さっきよりもさらに広々と、
丘陵に囲まれて大きく広がる田園を見渡すことのできる所となっていました。

交差する通りを右に折れれば飯給駅へ向かうようでしたが、引き続き直進し、
丘陵の足元の斜面上に伸びる集落の中の道を進んで行って、斜面を登る
緩やかな坂道を登っていくと、上り詰めた高台に、真高寺というお寺の
立派な2層構造の山門が、道をまたぐようにして静かにたたずんでいました。
お寺自体はどこにでもありそうな小さい禅寺でしたが、丘陵を背景にして
静かにたたずむお堂の姿は曇り空のもとにしっとりとした風景を作り、
そして来た道を振り返れば、下界の集落の向こうに丘陵に囲まれた長閑な
田園が広々と広がっている悠々とした風景も見つけることができました。

そして最後に集落の中の緩やかな下り坂を下って、軽く森を掠める大通りに
合流して飯給駅へと向かっていきました。
森を抜け、のどかな田園風景が姿を現したちょうどその場所に踏切が現れ、
線路沿いに田んぼの中の道を行けばすぐに、小さい無人駅が佇んでいました。
駅そのものはなんでもない古い建物なのに、なぜかトイレはきれい、しかも
女性用トイレは日本一大きいトイレということで、広い敷地が大きな壁で
ぐるりと取り囲まれている構造になっているという何とも不思議な駅
でしたが、それよりも不思議に感じられたのは、いわゆるネズミ取りという
やつか、1台のパトカーが大きなトイレの陰でじっと立ち止まって、
たまにしか車の往来しない踏切をずっと監視していたことでした。

こうして今日も予定以上に歩き回ってすっかり疲れてしまったけれど
いろいろ楽しめた旅を終え、辺りに夕暮れの色の漂い始めた飯給駅に
やってきた上り列車に最後に身を任せることとなりました。
なぜかすべての乗客が2両目にいて、1両目は貸し切り状態となっていたの
ですが、ただちに検札にやってきた車掌さんに、暖房の効きが弱いのでと
2両目への移動を勧められるという、最後まで何とも長閑な列車でした。
山深い道から徐々に平野の田園風景へとスケールの広がっていく風景は
刻一刻と暗くなっていき、上総牛久駅で暫く交換待ちをしている間に
辺りの風景はほぼ夜になってしまって、あとは時々現れる光の粒くらいしか
車窓には現れなくなっていきました。
そして夜になった五井駅から総武快速線へと乗り継ぎ、そのまま帰路を
歩んでいったのでした。