バカのアフォリズム -2ページ目

ニューデリー


やどかり日記


親愛なる人たちへ

お元気でしょうか。
僕は今、インドのニューデリーに来て数日が経ちました。

ニューデリーはインドの首都です。
大統領官邸や国会議事堂、また各国の大使館など、
政治に関する機関が集まっています。

西洋風の落ち着いた雰囲気を感じるのは、
イギリス人に設計された街だからでしょうか。
道路は広いし、地下鉄も走っています。

僕はインドに来て初めて、マクドナルドで食事をしました。
牛肉の代わりにチキンでしたけど、
雰囲気は他の国のマクドナルドと変わりませんでした。

やっぱりマックは美味かったです。
すごく混んでいて、インド人は立ったまま食べてました。
インド版のドナルドは、スティーブン・キングの『It』みたいでした...
(『It』‥ピエロが子供を襲う映画)

さて、僕にとって今回の旅のテーマは、陸路によるアジア横断でした。
インドからパキスタンへ入り、イランを経て、トルコに入る。
そしてアジアの最終地点であり、ヨーロッパのスタート地点でもあるイスタンブールまで行く。
空路ではなく、バスか鉄道といった陸路によって行く。

しかし今日、その目標を早くも断念させられました。

今朝、ニューデリーのパキスタン大使館へ行きました。
パキスタン入国のためには、ここでビザを発行してもらう必要があるのです。

ビザを出してくれるか、不安を抱えたまま大使館へ向かいました。
昨年は大洪水で国土の4分の一が浸水する被害を受けているし、
北部のアフガンとの国境地帯は相変わらず危険で、
つい数日前も少年による自爆テロがあったばかりでした。

とにかく必要書類とパスポートを持って、朝一番に大使館へ行ってみました。
受付で「日本人だがツーリストビザが欲しい」と伝えると、
「5番窓口へ並べ」と指示されました。
「並べ」と言うことは、並べばビザを発行してくれるということか?
僕は少し、期待を感じました。

窓口には、インド人だかパキスタン人だかが殺到していました。
並んで僕の番が来ると、「日本人だがツーリストビザが欲しい」と伝えました。
すると窓口の男は、こう言うのです。
「ツーリストビザが欲しければ、日本のパキスタン大使館へ行け!」
それを聞いて周囲のインド人だかパキスタン人が笑っている。
僕の後ろの男が、「ほら、聞いただろ!列から出て行けよ」と肩を突付いてくる。

僕は腹が立ち、食い下がりました。
「俺は今、デリーにいるんだ。日本のパキスタン大使館へ行けるわけがないだろ!」
しかし、こう言われ、終わりました。
「デリーのパキスタン大使館では外国人にビザを出さない。
どうしても入国したければ、自分の国にあるパキスタン大使館へ行き、相談しろ」

これでアジア横断は断念せざるをえなくなりました。

僕がアジアを陸路で横断したかった理由は、
アジアがヨーロッパへ変わってゆく姿を見かかったからでした。
陸路にこだわるのは、五感を使って、その道のりを感じたかったからです。
その距離感、空気、風景、匂い、温度、味、音などを通して、
その道のりを体に刻み込みたかったのです。

しかし、仕方がありません。
旅で最優先すべきは、ロマンよりも安全ですから。
僕を信じて送り出してくれた人たちを、裏切るわけにはいきません。

平和になってから改めて、中東を旅することにします。
一日でも早くこの地を旅できることを願いながら。

さて、この後どこへ向かうかです。
考えた結果、僕は空路でイスタンブールへ行くことにしました。
パキスタンとイランを飛び越えて、
とりあえずアジアの終点へ行くことにしました。
今、その手配を進めています。

アジア横断の夢は捨てがたいけど、
世界は僕の都合では動いていないということでしょう。
どうしようもない状況に拘らないことも、
世界を旅するなら学ばねばならない技術なのかも知れません。

世界は常に動いています。
生き物のように、大海原の波のように。
ガチガチの頭で波に乗ろうとしても、たぶん沈むだけでしょう。
柔軟な頭で、波乗りをしなければなりません。

何よりも愛すべき人たちを、裏切るわけには行きません。
無事に旅を終えることだけが、唯一の約束ですから。
嘘はつきません。
先日もインド人のドライバーに、
「俺は嘘は嫌いだ!」と文句を言ったばかりでした。

それではまた。
元気にお過ごしください。

メインバザールのネットカフェにて

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名もない出会い


やどかり日記

名も聞かぬ友へ

君とはあの夜、一緒に食事をしただけだけど、
あの時、君と話したことを、
僕は次の日も電車の中で、ずっと考えていました。

君が学校へ行けなくなり、
そして、旅に出たという話は、
ある時期の僕を思い出させました。

僕もその頃、ひどく落ちこぼれ、
自惚れが強いぶんだけ、大きく自信を失いました。
絶望を感じていました。

それから僕の旅が始まりました。
僕の旅は、苦しさからの逃亡でした。
出口のない迷路を、僕は彷徨いました。

やがて僕の旅は、、
自分を見つめる哲学へと変わりました。
僕の気持ちも変わり始めました。

そして僕の旅は、
許せなかったものを許すための巡礼へと変わりました。
許すごとに、痛みが和らぐのを知りました。

旅の意味が変わるたびに、僕の気持ちも変わりました。
やがてその旅が、
自信を失っていた人間の、新しい誇りとなりました。

君は今、まさに痛みの中にいることを、
僕に語ってくれました。
僕はかつての自分に再会した想いでした。

どうか、旅路を一歩一歩と進みながら、
一つ一つで構わないから、
許せなかったことを、許していってほしいと願います。


許すことは負けることではありません。
一つ許せたら、その分だけ、
君が大きくなったと思ってほしいのです。

君が再び社会に戻るとき、
周囲の人たちは、相変わらず鈍感に、
君を傷つけると思います。

我慢を強いられる場面は多々あるでしょう。
人間である限り、腹も立つでしょう。
それは許しがたいことかもしれません。

でも、その時は、
どうか君が尊い旅を経てきたが故に、
彼らよりも大きく振舞ってほしいと願います。

それは理不尽でしょう。
しかし、そこで彼らの自尊心を傷つけない振る舞いができたなら、
君は遥かに大きな人だと思います。

僕は君だけに、我慢を強いているのではありません。
僕が願っているのは、
どうか君の人生を腐らせないでほしいということです。

考え方一つで、
人生を腐らせることもできれば、
花を咲かせることもできるのです。

自分に誇りを持つならなおさら、
小さなことに囚われて、
人生を腐らせるのは悔しいことです。

どうぞ焦らず、必要な時間をかけながら、
君が変わってゆくことを僕は願います。
時間をかけて築いたものは、簡単には壊れません。

僕は君の未来を信じています。
君らしい素敵な人生を生きてください。
どうか今日を旅路を大切に。

Have a nice day.


名も名乗らぬ旅人より


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アーグラー

バカのアフォリズム


親愛なる人たちへ


お元気ですか。
日本は全国的に厳しい冬だと聞いています。

僕は今、インドのアーグラーにいます。
この町はインド旅行のハイライトです。
そう、タージマハルがある町です。

タージマハルは圧巻でした。
大理石の色合いといい、
直線と曲線による輪郭といい、
壁面の緻密な装飾といい、
設計は実に数学的であり、
細部の装飾は実に職人的でありました。

そして見るものを圧倒する大きさと、立体感。
近くではカメラに収まらないほど巨大で、
また四方どこから見ても同じ形に見える立体構造なのです。

そんなに巨大でありながら、
内部にあるのは大きな空間が一つだけです。
その壁面には緻密な装飾が贅沢に施されています。
そして、その空間の中央あるのは棺です。

そう、タージマハルは皇帝が妻のために作った巨大な墓なのです。
22年の歳月と莫大な費用を費やして建設したそうです。
それにより国は傾き、皇帝は幽閉される結果となりました。

しかしそのタージマハルが、今では世界中の旅行者を集め、
インド観光一番の稼ぎ頭になっているのだから面白いです。

実はタージマハルの入場料は、外国人だとかなり高額です。
現地人だと20ルピーなのに、外国人だと750ルピーです。
だからアグラに来ても、タージマハルに入場しない旅行者は結構います。

入場しない代わりに、ホテルの屋上から見るのです。
多くのホテルが、屋上からタージマハルが見れるように作られています。
僕のホテルからもタージマハルがきれいに見えました。
僕も最初、これで満足しようかとも思いました。

しかし、それではどうしてもタージマハルを見た実感が得られませんでした。
それで迷った挙句に入場したわけです。
でも、入場して本当に良かったと思いました。

タージマハルに近づけば近づくほど、その凄みは全身に迫ってきました。
それはタージマハルの前に立ってみない限り、わからない感覚でした。

さて、タージマハルを見に来たという、インド人の若者と少し話しました。
彼はここから300キロ離れた町からやって来たと言います。
僕の旅の話をすると、彼は凄く羨ましそうにこう言います。

「君の方が、僕よりもインドの色んな場所を見ている。
 僕は今日、初めてタージマハルを見た。
 君のようにガンジスもブッダガヤも行ったことがない」

ガンジスやタージマハルなどは、世界的に有名です。
しかし多くのインド人は、それらを見たことがないのです。
むしろ外国人旅行者の方が、それらを見ているのです。
経済的な余裕がない多くのインド人は、自分の町から出たことすらないのです。

僕は彼と話して、インド人が20ルピーなのに対し、
外国人が入場料に750ルピー払うのは、仕方ない気がしました。

その金額は、日本でいえば映画館の入場料くらいでしょうか。
そもそも国が傾くほどの建築費用がかかってますから、決して高くはないのかも知れません。

何だか最後はお金の話になってしまいました。
しかしお金持ちの外国人の方が、自分の国をたくさん見ているというのは、僕が逆の立場なら、どう感じるのでしょう。

また一方で、僕はお金持ちの外国人に生まれ、
世界を旅できることに感謝せねばならないのだけど。

それでは。
日本ではまだまだ厳しい冬が続くと思いますが、
どうぞ雪による事故や風邪などに気をつけながら、
元気にお過ごしください。

See You !

アーグラーのネットカフェにて


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ブッダガヤ


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親愛なる人たちへ

お元気ですか。
僕は今、インドのブッダガヤにいます。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いたと言われる場所です。
つまり仏教はここに生まれました。
仏教最大の聖地と呼べるでしょう。

穏やかで、過ごしやすい場所です。
騒がしすぎず、気候も爽やかです。

釈迦が悟りを開いた菩提樹の木がある場所には、現在寺院が建っています。
世界中から仏教徒がここにやって来ます。
僕が訪ねた時は、数千人の僧たちがお経を上げ、祈りを捧げていました。
それは凄まじい熱気で、僕は圧倒されました。

僕もその中に混じって、両手を合わせていました。
それは何とも心地良かったです。
また、釈迦が悟りを開いた菩提樹の下に座り、両手を合わせ、目を閉じました。
そして祈りを捧げました。

仏教の聖地はこれまでいくつか訪ねましたが、ブッダガヤは格別に良い場所でした。
他の聖地は仏教において重要な場所ではあるが、閑散としていて過去の遺物としか思えませんでした。
正直に言えば、それらは退屈な場所でした。

しかしブッダガヤは、今まさに、凄まじい熱気あふれる場所でした。
それは過去の遺物ではありませんでした。
今まさに、生き続け、呼吸をしている場所でした。

その後、ブッダガヤにある日本の寺院に行きました。
そこで座禅を体験しました。
和尚は宮城の塩釜からきた、臨済宗の坊さんでした。
座禅とお経を体験した後、お釈迦様についての話をしてくれました。
それは釈迦が悟りを開くに至った、考え方の変化についてのものでした。

釈迦は悟りを得るために、苦行に励みました。
苦しい方へ、苦しい方へと、修行を続けました。
しかし、命を落としかけた時、釈迦は気付いたのだそうです。
自分の修行は本来、悟りを得るためのものであったのに、
いつの間にか、苦しい体験をすることが、目的に摩り替わっていたと。

そして釈迦は、「中道」という境地に至るわけです。
苦行でもなく、楽な行でもない、その中間にこそ、歩むべき道があると。

それは僕のある疑問に対する、答えでもありました。
というのも、僕はブッダガヤに向かう列車の中で、一つの疑問を考えていました。
それは以下のようなものです。

釈迦は29で苦行の旅に出て、その果てに、35で悟りを開いたと言います。
しかし僕は、もっと長い年月をかけて、自転車で世界を旅した人を知ってますし、
この旅の最中でも、重い荷物を背負いながら、世界を自転車で旅している人に会いました。
彼らの旅だって、僕は十分な苦行だと思うのに、なぜ釈迦だけが悟れたのか?

しかし、もはや質問するまでもありませんでした。
悟りとは、苦行の果てに得られるものではなく、
その苦行を捨てられた時に、得られるものだということでしょう。

苦行の積み重ねの上に、悟りがあると思っていた僕もやはり、
苦行を課すこと自体が目的になっている部分があるのでしょう。
少し考えさせられました。

さて、昨日は久々に賑やかな夕食をとりました。

偶然出会った日本からの旅人たちと一緒に食事をしました。


再び出会うかわからない旅人同士の一期一会の出会いが、

モノクロームの一人旅に鮮やかな色彩を加えてくれます。


それではまた。

親愛なる人たちの元気を、仏教が生まれた菩提樹の下で祈ります。


ブッダガヤのネットカフェにて



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ダージリン


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親愛なる人たちへ

お元気ですか。
僕は今、インドのダージリンにいます。
あの紅茶でお馴染みのダージリンです。

この町は、標高2000メートル以上の場所にあります。
この時期は、震えるほどの寒さです。
シーズンオフで、観光客もほとんどいません。

面白い登山鉄道が走っていて、世界遺産にも登録されているそうです。
この標高2000メートルの町まで、登山列車が80キロばかりの距離を、真っ黒い煙を上げながら7時間半くらいかけて登るのだそうです。

僕も一駅だけ乗ってみました。
スピードは、歩く速度に毛が生えたくらいでしょうか。
人々の生活するすぐ脇を、そんなスピードで走ります。
無邪気に手を振る子供に、十分手を振り返すことのできるスピードです。

しかしこの町で一番僕が驚くのは、急斜面に建てられた家々です。
ダージリンの町はヒマラヤに連なる尾根の上にあるのですが、
家々は尾根から急に下る斜面に建てられているのです。
傾斜は60度以上あるのではないでしょうか。

昔「ジェンガ」というゲームがありましたが、
間違った斜面を削ったら、まるでジェンガのように、
一気に土砂崩れで家々が崩れ落ちるのではないかと不安になります。

そんな山の斜面はまるで迷路のようです。
家々が立ち並び、たまに家と家との間に、細い階段が果てしなく続いている。
たぶんあれを通って目的の建物まで行くのでしょう。

落ち着いた雰囲気の町です。
人々もガツガツしていません。
実際いろんな人種の人がいて、
チベット人や、色が白くて僕らに顔立ちの似た人たちも多いです。
チベットの寺院があり、ヒンドゥー教の色が濃いインドとは雰囲気が全然違います。

地図を見てもわかると思います。
一応インドの属していますが、
チベットやネパールやブータンのすぐ近くです。

条件がよければヒマラヤ山脈を展望できるのですが、
僕が来てからずっと曇った日が続いています。
雲の上なので、なかなか視界が晴れることが難しいようです。

僕は相変わらず体調を崩したままなので、
次の移動まで紅茶でも飲みながらコンディションを整えたいと思います。
インドの移動は体力の消耗、大です。
無理なコンディションで臨むと、地獄を見ます。
コルカタからダージリンまでの移動で、僕は地獄を見ました。
そして懲りました。

旅では無理はいけません。
それが自分に返ってくることを知りました。

親愛なる人たちの心身の健康を願います。
幸せは、無理をする限り得られません。

では、また。

ダージリンのネットカフェにて


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コルカタの思い出



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親愛なる人たちへ

お変わりありませんか。
僕は今、コルカタにいます。
ずっと体調を崩しています。
とうとう下痢になってしまいました。

下痢の苦しみは、昨年東南アジアを旅した時に痛いほど味わったので、
今回は気をつけていました。
衛生的なものを食べ、充分に睡眠を取っていました。
それでもダメでした。
水や食べ物のせいではなく、環境の変化によるものでしょう。

下痢はアジアを旅するなら避けられないことかも知れませんが、
これが笑えないほど苦しいのです。
ただ便がゆるいだけじゃなく、意識は朦朧とするし、
全身は風邪のひき始めみたく痛むのです。

そして何よりも怖いのは、出先で突然、激しい便意に襲われることです。
僕は昨日、地獄を味わいました。
観光中に、突然便意に襲われたのです。

「何でこんなところで、こんな時に!」
もう、自分のケツを蹴り上げたい思いでした。

インドの街は、探しても大便ができるトイレがないのです。
もう、宿まで戻るしかありませんでした。
しかし、そこは宿から4キロ近く離れた地点です。

僕は拳を握り締めて、必死に歩きました。
観に来たはずの西洋風の建造物なんて、もうどうでもよく見えました。
クソの役にも立たないと思いました。
便所の方が、よっぽど立派な建造物だと思いました。

激しい苦しみでした。
宿までの4キロが、果てしない距離に思われました。
それなのに、インドは人も車もやたら多く、スムーズに歩けないのです。

そこに日本人をカモにするタクシーや物売りが声を掛けてくる。
「Where you go?」とボッタクリのタクシー運転手。
「便所に決まってんだろ!」と思いました。

さらに食い物屋のオヤジ。
お盆にたくさんのミートパイみたいなのを乗せて、「食べないか?」と勧めてくる。
「この僕が、ものを食べたそうな顔をしてますか?」と質問したくなりました。
通り過ぎると、後ろから「What you want?」と声を掛けてくる。
「この顔を見ろ!顔に書いてあるだろ!」と思いました。

宿まで1キロの地点で、限界が来ました。
「もうすぐだ」という思いに、体が勝手に緩み始めました。
冷や汗から、僕は半泣きに変わりました。

そして、とうとう宿のある通りまで来た時、
まだ宿に着いていないのに、
僕の体は「宿に着いた!」と勝手に勘違いを始めました。

宿は建物の4階にあり、急な階段が果てしなく感じられました。
一段づつ階段を上るたびに、ケツの筋肉が緩み、
パンツが重くなり、湿ってゆくのです。
僕はしみじみと思いました。
「ああ、どうして人生って、こんなに辛いものなのだろう」と。

僕の部屋の鍵はなかなか開かないのですが、
この日はいつになく開かないのです。
20秒くらい開きませんでした。

トイレに駆け込み、便座のない便器にしゃがんだ時、
僕は動物的な雄叫びを上げていました。
その声に反応してか、ネズミが二匹、部屋を駆け回っていました。
僕は意味もなく、「このクソ野郎!」とネズミに怒鳴りつけました。

地獄でした。
アジアを旅するなら、下痢は避けられないとすれば、
これも旅の一ページなのでしょう。

体が元気ならば、どんな汚い宿だろうとスヤスヤ眠れます。
体が元気ならば、どんな汚い場所に行こうとも、笑っていられます。
どんな乗り心地の悪い鉄道であろうと、何であろうと。

でも、体が不具合ならば、
どんな素敵な場所に行こうとも、
どんな素敵な宿に泊まろうとも、笑えない。

「体こそが最大の宿である」と痛感しました。
また1つ、旅から僕は学びました。

ありがとう。
このブログを、僕のパンツに捧げます。

サダルストリートのネットカフェにて


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コルカタ


やどかり日記




日本の皆さん、旅で会った方々、ナマステ。
僕は今朝、バラナシから、インドのコルカタという街に着きました。

結局、バラナシには5泊しました。
毎日、何となくガンガー(ガンジス河)に足を運び、人々の営みを眺め続けました。
そして、やはり火葬場で多くの時間を過ごしました。
火葬を見ていると、インド人の大学生に言われました。
「お兄さん、せっかくバラナシに来たなら、しっかり自分の人生を見つめ、そしてカルマについて学んで帰らなければ来た意味ないよ」と。

どのインド人も、カルマについて考えています。
死後の生まれ変わりについて考えながら、日々を生きています。
僕は死が隠された、日本から来ました。
日本では、死を隠したまま、死んでゆくことが何となく幸せのような気がします。
しかしインドでは、死を見つめて、日々を生きているのです。

死を見つめずに、死んでゆくこと。
死を見つめながら、生きてゆくこと。

それが日本とインドの違いの1つだと思います。
どちらが良いのかは、わかりません。


さて、コルカタまでは鉄道で来ました。
昨日の夕方、バラナシを出発し、鉄道の中で一泊しました。

インドの鉄道には、怖いイメージがあり、無事に移動できるか心配でした。
僕の取った席は「スリーピング」というクラスの、安い席でした。
一応、横になれるそうです。

鉄道は20分遅れてホームに入ってきました。
僕の乗り込む車両は戦争みたいな、大混乱でした。
その車両は、地元のインド人が利用する席で、あまり旅行者はいませんでした。
車両に乗り込むなり、人と荷物で身動きが取れません。
人の熱気と、汗の臭いと、蒸し暑さ。
僕は揉みくちゃになりながら、自分の席へ辿り着きました。

しかし、僕のベッドには既に荷物が置かれていました。
インド人のオッサンが、なぜか僕と同じ席のチケットを持っています。
オッサンは英語が通じず、なぜオッサンが同じチケットを持っているのか、状況がわからない。
僕もその席を手放したら翌朝まで寝る場所がなくなるので、必死に抗議しましたが、全く通じません。
やがて周囲のギャラリーまでが「お前がどこか行け」とオッサンの味方をする。
しかし、やって来た車掌に状況を話すと、僕は別の席へ移動することになりました。

移動した先は、エアコンの効いた、値段の高い車両でした。
僕は得した気で、自分のベッドを探しました。
しかし、指定された席は、寝る時の枕や毛布の置き場所となっており、ガッカリ。
僕は布団の入った押入れに潜り込むように、何とかベッドに潜り込みました。
(就寝の頃、枕と毛布が配布されてからは、快適でした)

鉄道のデッキで外を眺めていた時、インド人青年に話しかけられました。
僕は話しかけてくる全インド人に対して警戒しているのですが、彼は真面目に日本のビジネスについて、知りたがっていました。
頭の良さそうな、インドの青年実業家みたいな印象でした。
しかし、僕の英語力が足りなくて、彼の質問を充分に理解できませんでした。
また、僕の英語力を理解した彼が、易しい質問を投げかけてくれるのですが、それに充分に応えられる英語力も、足りませんでした。
残念で、情けなく、悔しい思いをしました。

最後に彼が投げかけた、シンプルな質問に対して、変な答えをした自分を、恥じました。
彼はインドの印象について、訊ねました。
それに対して、僕はすごく、馬鹿な、低レベルな返答しかできませんでした。
「インドの印象は、すごく自由だと感じる。日本では、この自由を感じない」

言った後、僕は何て馬鹿なことを言ったんだと思いました。
頭の中で、こんな声が聞こえてきました。
「では、インド人にとって、このインドは自由なのか。
 職業も、身分も、結婚相手も、すべてカーストで決まってしまう。
 好きに選べない。
 そのインドの印象が、自由なのか?」
 
職業も結婚相手も好きに決められて、身分制度もない国からやって来て、
「僕の国は不自由だ、君の国は自由で素晴らしい」
そんなことを抜かした自分を、僕は恥じました。


コルカタには予定よりも2時間早く到着しました。
街は物や人に溢れ、活気があります。
道路も広く、バラナシから来ると都会だと感じます。

それでも、道路脇の湧き水で人々は身体を洗ったり、洗濯をしたりしている。
日本で考えると、三車線の道路の歩道で、人々が石鹸で身体や衣服を洗ったりしているわけです。
日本じゃ考えられなけど、インドだとそれが自然な光景として写るのが不思議です。

今日からしばらく、この東インド、コルカタの街で過ごすつもりです。
また、体験談や感じたこと、考えたことなどをレポートします。
よろしければまた、ブログでお会いしましょう。
お元気で。

サダルストリートのネットカフェにて



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バラナシ


やどかり日記




日本の皆さん、そして旅で出会った方々、ナマステ。
僕は今、インドのバラナシにいます。

数日前、ネパールのポカラを出発し、インド国境近くのルンビニを訪ねました。

ここは釈迦が生まれたところです。
面白い場所ではありませんが、仏教の聖地として世界遺産にもなっています。

その後、国境を越え、インドに入国しました。

さっそくお金を騙そうとするインド人の出迎えに会いました。
何とか騙されずにローカルバスに乗り込み12時間、バラナシに着きました。
バスの車窓から見る限り、ネパールと変わらない風景でした。

しかし、その後、ネパールとは明らかに違うことを実感しました。

行く先々で、インド人は僕を騙そうとするのです。
常にその攻防戦であり、この緊張感はネパールではありませんでした。

例えば、今さっきの出来事です。

ガンジスの辺を歩いている僕に、オジサンが「髭を剃ってやる」と言うのです。
「いくらだ?」と聞くと「10ルピー」
「絶対10ルピー以上払わないぞ、髭剃りだけだぞ」と念を押してから、やってもらいました。
気持ちよく髭を剃ってくれました。
日本の床屋と同じです。気持ちのよい、職人の技でした。

しかしです。

髭が剃り終ると、ものすごく自然に、頭のマッサージに移行するのです。
僕は敏感に反応しました。
絶対ここから先は、別料金だ!と。
僕は必死に「NO! オンリーシェービング!
NO!NO!!」とオッサンを止めました。
僕は10ルピーを差し出し、「いい仕事だ」と言うと、「いい仕事だと思うならもっと払え」とオッサンは言います。
僕は「10ルピーと約束したろ」とそれ以上払いませんでした。

するとオッサンは、今度はなぜか「キスさせろ」と言ってきます。

「俺のキスはラッキーキスだ。
バッドキスならNO!で構わないが、俺のキスはラッキーキスなんだ!」と言うのです。
ここまでくると、いったい何が目的なのかわかりません。
僕は「ラッキーキスはノーサンキューだ!」と言って逃げました。

まあインドでは、こんな攻防の連続です。


しかし、ガンジスの風景は、本当に言葉にしがたいものでした。

ガンジスの辺は群像劇です。
沐浴する人、洗濯する人、凧揚げする子供。
昼寝する野犬、糞尿をたれる牛、餌を探す山羊。
食事する人、絵を描く人、髪を切る人、拝む人、腰掛ける人、寝てる人。
ガンジスを眺めに来た、僕のような外国人。

そんな中で、火葬が行われます。

死体は次々に運ばれてきて、焼かれていきます。
10ほどの火が常に燃えていました。
薪の上に寝かされた死体は、2~3時間ほどで薪と一緒に灰になり、骨も何も残りません。
ガンジスの、群像劇のひとつです。

肉体は不確かなものだと思いました。

2~3時間もすれば、どれも例外なく灰になってしまうのです。

この世に存在するためには、肉体が必要です。

でも、肉体はこの世に存在する手段に過ぎません。

肉体の奥にあるものを見つめたいと思いました。

不確かな肉体よりも、確かなものが何なのか、考えたいと思いました。

ただその「確かなもの」は、ただガンジスを眺めていても悟れないでしょう。

何日、焼かれる死体を眺め続けても、悟れないでしょう。
ガンジスで沐浴したって、悟れないでしょう。

だから、あと数日ガンジスを眺めたら、次の町へ移動します。

ただダラダラして、限りある肉体を持て余したくありませんから。

確かなものなんて存在するのかわかりません。

それでも確かなものを探し続けます。
不確かな肉体が、灰になる前に。

皆さんの健康を願います。

皆さんと触れ合えるのも、肉体があるおかげですから。
ご自愛ください。
では、また。

バラナシのネットカフェにて



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ポカラ迷走


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皆さん、ご機嫌いかがですか。
僕は今、落胆しています。

本当なら今頃、トレッキングをしているはずでした。


昨夜、レストランで日本人の知り合いができました。

その人にトレッキングに誘われ、僕も行くことにしたのです。
僕はトレッキングに興味はあったけど、一人旅だから参加できずにいました。
その人は一人でトレッキングに参加することを決めていました。
でも、二人の方が楽しいからと、僕を誘ってくれたのでした。
僕も誰かいれば、ぜひ参加したかったので、嬉しい誘いでした。

出発は早朝でした。

その人のホテルから、5時45分に出発でした。
僕は絶対に寝坊したくないので、しっかり目覚ましを4時30分にセットして寝ました。
でも、ワクワクして結局寝つけないまま、起きる時間となりました。

5時には僕のホテルを出ました。

その人のホテルまでは10分くらいのはずです。
遅れたくないので、早めに出ました。

しかしです!

町に出て、驚きました。
真っ暗なのです!
街頭もなく、どの建物にも明かりが着いていない。
日の出前のポカラは、明かりがなく、真っ暗だったのです。

「やばいな」と思いながらその人のホテルを探しました。

しかし、真っ暗だと、まったく土地勘がわからない。
そのうえ、印象もぜんぜん違う。
必死に探しました。
でも行ったり来たり、行き過ぎたり戻ったり。
でも、ぜんぜんわからない。

そのうち、5時30分になってしまいました。

ここからはダッシュでした。
真っ暗なポカラの町を、ひたすら走り続けました。

やがて約束の時間を過ぎてしまいました。

おそらく僕が来るのを待っているでしょう。
誠意だと思って必死に走って探しました。
でも、暗くてまったくホテルが見つからないのです。

6時になりました。

何度も通ったある通りです。
そのホテルのゲートが開き、電気がついていました。
その光景が、昨夜の印象と重なりました。
僕はホテルに飛び込みました。
「車は?」と聞くと、
「今出たところだ」と言われました。

残念な気持ちと、何よりも約束を裏切ってしまった申し訳ない気持ちで、自分のホテルに戻りました。

早朝が真っ暗だということを考慮に入れるべきでした。
そして、もっとしっかりホテルの場所と、名前とを確認しておくべきでした。
本当に自分の注意力の足りなさを、悔いました。

力なくベッドに横になると、トレッキングで見るはずだった日の出が、部屋の窓から見えました。

今頃一人でトレッキングに行った、その人のことを想いました。
本当に申し訳なくて、残念で、力が抜けました。

日の出前のポカラで、トレッキング分のカロリーを消費しました。

そのうえ、約束を破る、残念な結果となってしまいました。
申し訳なくて、申し訳なくて、とにかく申し訳なくて、これを書いています。

その人が、もしこれを読んでいたなら、こう伝えたいです。

本当に、昨日誘ってくれて、ありがとう。
嬉しかったです。

ポカラのネットカフェにて



やどかり日記


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ポカラ


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日本の皆さん、ご機嫌いかがですか。
僕は今、ポカラに居ます。

すごく良いところです。
チェックインした部屋の窓からは、マチャプチャレとアンナプルナ連峰が見えます。
7000~8000メートルの山々です。
日当たりの良い屋上やテラスからも、よく山が見えます。

町へ出ると、きれいな湖があります。
その湖に沿ってレストランや土産物屋が並んでいます。
すごく雰囲気が良く、嬉しい気持ちになりました。

旅行会社も多く、旅行者はここを基点に、トレッキングに出かけたり、パラグライダーをしたりするようです。
僕はバイクを借りて、湖に沿って走りました。
視界にはヒマラヤの山々や、パラグライダーで空を飛ぶ人たちが見えました。

観光のエリアは狭く、すぐに現地の生活区に入りました。
観光エリアとは一転して、何もない、「貧しい」エリアです。
しかし、あちこちで子供たちが無邪気に遊ぶ姿を見かけます。
その側では、放し飼いの鶏や、牛や山羊。たまに豚。
子供たちの元気な姿を見ると、「貧しい」という表現が、一方的な見方であることを知らされる思いがします。
彼らは別に、貧しいとは思っていないと思います。

男の子は大抵、「サザエさん」のカツオみたいです。
何かいたずらをして、よくお母さんに怒られています。
何だか微笑ましく、この町の生活水準と同じくらいだった頃の日本を想像してみます。
きっと、そんな時代もあったのでしょう。

沿道で日向ぼっこをしている人の姿もよく見かけます。
僕もここでは、のんびりと過ごしたいと思いました。
日当たりのいいホテルのテラスで、僕は日向ぼっこしながら本を読むことにしました。
風は心地よく吹いていて、ホテルの庭からラジオが何気なく流れていて、たまに遠くから牛の鳴き声がブリブリブリと聞こえてくる。
その鳴き声が、乾いた音を出すサックスプレイヤーの低音みたいに聞こえます。

のどかな町です。
皆さんはのんびりしたい時、誰にも邪魔されずに、心からのんびりできる場所があるでしょうか。
僕には、意外とそういう場所は少ないように思えます。
だからポカラみたいな、心からゆっくりできる町に出会うと、すごく印象に残ります。
(他では、タイのチェンマイや、ラオスのバンビエンなどがそうです)

何もしないことが許される場所というのは、逆に貴重だと思います。
そこには決まって、人間の原点みたいな光景があるのです。

僕は基本的に、人間の経済活動を肯定しています。
人間が経済活動を行うことは、宿命だと思っています。

しかし、いつでも迷っています。
その迷いが、僕を旅へとかき立てます。

ポカラはいい町です。
しかし僕には、ポカラでのんびり過ごすのは50歳くらいになってからでいい。
もっとストイックな旅がしたいから、少し休んだら次の町へ行くつもりです。

皆さんもオンとオフ、アクセルとブレーキをバランスよく、
どうか体や心を壊さないよう、
健康にお過ごしください。

それではまた!

ポカラのネットカフェにて


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