ブッダガヤ | バカのアフォリズム

ブッダガヤ


やどかり日記


親愛なる人たちへ

お元気ですか。
僕は今、インドのブッダガヤにいます。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いたと言われる場所です。
つまり仏教はここに生まれました。
仏教最大の聖地と呼べるでしょう。

穏やかで、過ごしやすい場所です。
騒がしすぎず、気候も爽やかです。

釈迦が悟りを開いた菩提樹の木がある場所には、現在寺院が建っています。
世界中から仏教徒がここにやって来ます。
僕が訪ねた時は、数千人の僧たちがお経を上げ、祈りを捧げていました。
それは凄まじい熱気で、僕は圧倒されました。

僕もその中に混じって、両手を合わせていました。
それは何とも心地良かったです。
また、釈迦が悟りを開いた菩提樹の下に座り、両手を合わせ、目を閉じました。
そして祈りを捧げました。

仏教の聖地はこれまでいくつか訪ねましたが、ブッダガヤは格別に良い場所でした。
他の聖地は仏教において重要な場所ではあるが、閑散としていて過去の遺物としか思えませんでした。
正直に言えば、それらは退屈な場所でした。

しかしブッダガヤは、今まさに、凄まじい熱気あふれる場所でした。
それは過去の遺物ではありませんでした。
今まさに、生き続け、呼吸をしている場所でした。

その後、ブッダガヤにある日本の寺院に行きました。
そこで座禅を体験しました。
和尚は宮城の塩釜からきた、臨済宗の坊さんでした。
座禅とお経を体験した後、お釈迦様についての話をしてくれました。
それは釈迦が悟りを開くに至った、考え方の変化についてのものでした。

釈迦は悟りを得るために、苦行に励みました。
苦しい方へ、苦しい方へと、修行を続けました。
しかし、命を落としかけた時、釈迦は気付いたのだそうです。
自分の修行は本来、悟りを得るためのものであったのに、
いつの間にか、苦しい体験をすることが、目的に摩り替わっていたと。

そして釈迦は、「中道」という境地に至るわけです。
苦行でもなく、楽な行でもない、その中間にこそ、歩むべき道があると。

それは僕のある疑問に対する、答えでもありました。
というのも、僕はブッダガヤに向かう列車の中で、一つの疑問を考えていました。
それは以下のようなものです。

釈迦は29で苦行の旅に出て、その果てに、35で悟りを開いたと言います。
しかし僕は、もっと長い年月をかけて、自転車で世界を旅した人を知ってますし、
この旅の最中でも、重い荷物を背負いながら、世界を自転車で旅している人に会いました。
彼らの旅だって、僕は十分な苦行だと思うのに、なぜ釈迦だけが悟れたのか?

しかし、もはや質問するまでもありませんでした。
悟りとは、苦行の果てに得られるものではなく、
その苦行を捨てられた時に、得られるものだということでしょう。

苦行の積み重ねの上に、悟りがあると思っていた僕もやはり、
苦行を課すこと自体が目的になっている部分があるのでしょう。
少し考えさせられました。

さて、昨日は久々に賑やかな夕食をとりました。

偶然出会った日本からの旅人たちと一緒に食事をしました。


再び出会うかわからない旅人同士の一期一会の出会いが、

モノクロームの一人旅に鮮やかな色彩を加えてくれます。


それではまた。

親愛なる人たちの元気を、仏教が生まれた菩提樹の下で祈ります。


ブッダガヤのネットカフェにて



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