今日の一曲!group_inou「CRISIS」―「意識の流れ」の音楽― | A Flood of Music

今日の一曲!group_inou「CRISIS」―「意識の流れ」の音楽―

 今回の「今日の一曲!」は、group_inouの「CRISIS」(2012)です。3rdアルバム『DAY』収録曲。

 

 

 本曲については過去にこの記事の中でも少しだけ語ったことがあって、「終始酔っ払いの譫言みたいな不安定なメロディ・フロウとキラキラしたバックトラックとのギャップがツボ」との寸評を載せていました。これは勿論僕の言葉で綴った感想ですが、今般のレビューに際して『bounce』に掲載されていたインタビューをネット上で読んだところ、文責者である澤田大輔さんの言にも「場末の呑み屋でクダを巻いているような独白」と一層にクレバーな表現があり、やはりそこに魅力の一端があるのは間違いないようです。

 

 本記事に於いては主にこの視点を、記事タイトルにある「意識の流れ」と関連付けて掘り下げたいと思います。…が、非常に個人的な知識体系の積み重ねがバックグラウンドにあるため、何処かの段階で「何言ってんだこいつ?」とクエスチョンが浮かぶ内容になっているかもしれないことをご容赦ください。本曲をきっかけに以下に名前を出す面々の作品にもふれてみたらいかがでしょうかと、布教活動に近いものが行われていると捉えれば気軽に読み進められると期待します。つまりはここからしばらく、グループイノウとは直接関係のない文章が続くということです。

 

 

 

 

 まずは引き合いとしてUnderworldの名前を出します。リビングレジェンドゆえにアーティスト解説は割愛とし、僕がどれだけ同グループに心酔しているかに関してもリンク先の各記事をご覧いただければ幸いです。その中から今この場に必要なエントリーは厳選すれば「Beaucoup Fish (2017 Reissue) / Underworld Pt.1」の一本だけで、別けても「Moaner」に対する記述に肝があります。以下、やや長めですがセルフ引用です。

 

カールの鬼気迫るボーカルも全くトラックに負けておらず、その独特な歌唱法について僕は昔からよく「お経のような」といった形容を用いていたのですが、どうやらもう少しスマートな言い方があったみたいで、エッセイから引用して'stream-of-consciousness'に絡めるのがベストな表現ですね。日本語に直せば「意識の流れ」で、心理学または文学に明るい方であれば馴染み深い用語ではないでしょうか。

 

 枢機は「意識の流れ」(英:Stream-of-consciousness)という言葉で、アンダーワールドの記事に限っても同様の使用例が他に2本()、別のアーティストの記事でも過去に3度の使用例があります()。この専門用語を初めて見知ったと言う方は今し方検索を試みたと、もしくは後で調べてみようと心に留めたと推測しますが、定義がなかなか腑に落ちなかったのではないかと、或いは真に得心のいく説明には辿り着けないかもしれないと、どの道もやもやした気持ちを抱えることになるでしょう。

 

 斯く言う僕も完全な理解をしているかと問われると怪しくて、アンダーワールドの都合3記事の場合は他人の使用(Robin Turnerのエッセイ)を下敷きにしているのでともかく、残る3例は果たして正しい使用法なのか自分でも確信が持てません。従って、本記事内ではそれが意味するところを明確にしようとはせず、各自で何となくでも文脈を理解したものと見做してしれっと続けますね。

 

 

 

 Wikipediaの「意識の流れ」のページには、同語が文学の技法として扱われてからの実例として幾つか著名作家の作品がリストされていますが、自身の浅学によってピンとくるものがなかったので、僕が読了したことのある本からの例示をしますと、筒井康隆の『虚人たち』がわかりやすくこれを実践していると思いました。同作を初めて読んだのはここ十年以内と記憶しており、当時は「意識の流れ」の概念も手法も全く知らなかったものの、後になって「本書の斬新過ぎる紙幅の使い方はまさにそれでは?」と知識のリンクが起きたのです。

 

 プロフィール記事の「好きな本は?」の答えのひとつに『残像に口紅を』を挙げている通り、筒井作品では実験的なものを殊更に好んでいて(かつては同じ質問に対して『虚人たち』と『夢の木坂分岐点』も挙げていたものの、「一作家につき一作品」のマイルールを設定した際に消してしまった次第です)、それらはなるたけ予備知識なしで読み始めるのが最良と考えているため、先達ては敢えて具体性を欠落させました。Wikipediaを見ると壮大なネタバレというか種明かしを喰らうので、本記事内容の当座の理解が目的であるならわざわざご覧になることは推奨しません。読書中ないし読破後に解説として参照するのが吉です。

 

 

 

 前置きは以上で、ここから「CRISIS」の魅力に迫っていきます。先に一点だけ注釈を付けておきたいのは、本曲の歌詞カードに照らして音源との聴き比べを行ってみると、その内容にいくつかの漏れが確認出来るということです。つまり「歌詞カードに記載されていない歌詞」の存在について言っているわけですが、当ブログに於いて歌詞の引用は二重引用符(" ")でマークされるので、以降で単に鍵括弧(「 」)で囲われている歌詞が出てきたとしたら、それは自分で聴き取って文字に起こしたものだとご了承ください。

 

 

 イントロはなく、"ある程度剥き出しでもいいんじゃないかな/ほのかに強烈 激しめ風のやつ/やさしいだろ? これがやさしさだって"という教訓めいた歌詞から幕を開けます。続く一節は聴き取りに迷い、自戒のトーンによるセルフツッコミ「って何言ってんだ俺は」だとしたら自問自答の中に遅疑逡巡が窺えますし、怒り心頭に発する畳み掛けのモノローグ「って言ってんだ俺は」だとしたら発話者は相当に御冠だと解釈可能です。再度"ある程度~"のスタンザを挟み、今度は歌詞上は"やさしいよ~"でありながら実際には「あ~やさしいやさしい やさしいよ~」と投げ遣り気味の発声で優しさが説かれ、前出の自説に心底同意と言わんばかりのマイルドな声音の"わかるよなぁ"で一転して平静を取り戻します。

 

 メロが変わって歌詞内容も展開し、"なんてこったい それはいったい/ところがどっこい どうになかならねぇかな"と儘ならぬ現実に直面し、"ガチなんすか? ガチだよ/じゃあ久しぶりにガチなんすね"と対話形式で本気度が示され、"どうにもならない こんな時には"でいよいよ解決策が示される…というところで肝心のオチがどうにも聴き取れません。「えいこうそうせい」的な響きに聴こえるのですが、日本語なのか外国語なのかも判別不能です。Twitterでもこの点を疑問に感じている方がいたので、続く「ちょっとわかんないかなぁ 難しい」も、この聴き取り難さへのメタ的な言及なのではと勘繰ってしまいます。「だけどさぁ わかっちゃうから」と続けられても、僕には未だにわかりません。笑

 

 

 ここまでに引用したフレーズだけを見ても、「意識の流れ」に結び付けて語ろうとした意図は何となく察せるのではないでしょうか。登場人物が複数居て現実に言葉が交わされていると考えることも勿論出来ますが(特に"ガチ"のくだりは)、それよりも全てが内的独白と捉えたほうが面白いですよね。それを前提に状況をイメージしてみるに、歌詞上の主人公は「誰かを怒ろう」ないし「誰かを諭そう」としているのではないかと踏んでいます。なぜなら"ある程度~"のスタンスを即ち"やさしさ"と位置付ける人物像として思い付くのは、「愛の鞭」を是としている人間だからです。子供への躾や人材育成のシーンでは賛否両論あるというか今のご時世では否が多いと思うものの、明らかに間違った状況に自ら身を窶そうとしてしている人を諫めるための叱責ならば一理あると考えられ、たとえば「悪徳商法にそれと気付かずのめり込んでいる身内」に愛の鞭を振るうのであれば、それはなるほど"やさしさ"だと僕は思います。

 

 わざわざこの例えを出したのは、続く歌詞がまさにその典型だからです。"不思議な詐欺に逢ったんです/と回想する目はどこか穏やか/騙されたんじゃないと思うけど/たしかに金が無い/貯蓄が無くなっているのは/確かだからやっぱり"と、とりわけ最初の一行は詐欺事件のドキュメンタリーやニュースの特集コーナーで変声機とモザイク越しに語られる被害者の言の如き空恐ろしさがあります。「騙された!」と怒りに転じていない点がなお怖くて、"不思議な詐欺"なる表現に窺える防衛機制と"騙されたんじゃないと思うけど"との常套句が、当該人物が陥っている「CRISIS」の深刻さを物語るキーワードです。文脈を考えれば"やっぱり"の後に「騙された!」が来るのでしょうけど(少し語気も荒いですしね)、曲後半にあたる1:40~の新展開には音楽的な面も含めて開き直りの境地に入っているかような脳内お花畑感があります。

 

 

 "ムッシュムッシュ ムラムラ/ひたすら がむしゃら"と懐かしい台詞に続き、"しごき いさめる そして いなし かわす/まさぐる 湿地帯"と来て、この語群から連想してしまうのはどうしても下ネタな世界観です。"月並みですけど 身近な人には言えない小さな気遣い"と俄に含蓄のある歌詞を挟み、"1%の勘違い それもレモン水の領収書"との情報が加わると、上掲の詐欺は「ぼったくりバー」での出来事だったのだろうかと想像出来ます。以降はほぼラップセクションと言えるため、それにあわせてか歌詞も非常に断片的です。"ステーキのヒレ肉 楽しむ/ヒット痛い 犬 遠吠えスタイル/3サイズ 現代 被害妄想/レモン水の領収書 ナニカノ集合体デス"と始めの数行だけで、これまでのようにストーリーの輪郭を漠然とでも描き出すのが難しくなるのですが、状況に鑑みてなるたけロジカルにこのカオスな内容を説明しようとするならば、酔っ払って羽目を外した記憶が翌日途切れ途切れに思い起こされるといった感覚でしょうかね。

 

 しかし、こう捉えるよりも一層据りが好いであろう見方も提示しておきますと、「英語詞を無理矢理日本語に起こしている」もしくは「英語詞に聴こえるように日本語を連ねている」として頭を切り替えれば、言葉のうえでは意味不明でもその響きには並々ならぬこだわりが鏤められている気がしてきます。とりわけラストの"大勢に 訊き 説く 指定して 強引したい/耳に浸り 撃つ 封印 憎悪/ふいにカミソリ 不利 削ぐ/フィーリング サイン/泳ぐ シリコンプールに君臨さ/荒れる 脱ぐ夜 お澄ましは哀しい/ピンチ 仕返しの講演中"では、一流のフロウが披露されていると大絶賛です。この点は過去に別の記事でも語っていて、「旋律やフロウの面から見ても、「CRISIS」(2012)の"ふいにカミソリ"以降(中略)で、よりメロディらしさが顕となって複雑性が増すという構成は、かなり練られた上でのアウトプットだと認識しています」との評は、本曲のみならずグループイノウのトラックに普遍的に存在する魅力であると再度主張しておきます。

 

 

 一応最初から最後まで通時的に楽曲を分析してきましたが、歌詞内容と節回しに終始して音楽的な言及に乏しいので何点か補足させてください。先に「曲後半にあたる1:40~の新展開」と書いた通り、その時点を境に本曲は二分出来ます。前半部は跳ね感のあるベースラインとメロディアスなシンセが特徴的で、そのポップさとキャッチーさに反して不安定な動きを見せるボーカルラインと文意が曖昧な言葉繰り(総合して「アルコールが入っている感じ」)とのギャップが面白いと言えるつくりです。後半部は「開き直りの境地」または「脳内お花畑」と形容したように、現実逃避に打って付けの音楽として機能するダンスミュージックのマナーが優勢となります。1:40からのグリッターなシンセリフを軸とする陶酔感と、2:07からはコーラスが;2:21からはクラップがインしてくる積み重ね式のビートメイキングには、「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」的な気分を煽られることでしょう。

 

 2:36からは言わば後半部に於ける新展開で、間奏の入りからラップ終わりまで鳴り続けるウワモノが役割として神楽笛らしく振る舞っている点で、和の趣が顕になるという意外性に襲われます。これはともすると唐突なアプローチに映るかもしれませんが、記事冒頭で紹介した『bounce』のインタビューにはcpの言葉として「演歌を自分なりに解釈した」のが本曲である旨が述べられているので、日本的なファクターの挿入は寧ろ自然です。ジャンル名で表そうとすれば「エレクトロ・ヒップホップ」が適切なサウンドにも拘らず、随所には確かに日本人のDNAに訴えかけてくるものがあるため、先程は代表的に阿波踊りのフレーズを引用してみました。また、『OTOTOY』上のインタビューでは記者の西澤裕郎さんが本曲に野猿っぽさを見出していて、ご両人はピンときていなかったものの嘗て野猿の楽曲をレビューしたことのある自分としては、言われてみれば共通項があるような気はするとフォローしておきます。リンク先でも「歌謡風というか演歌調というか何処か日本的」との感想を述べていますしね。

 

 

 

 

 以上、group_inouは「CRISIS」のレビューでした。「非常に個人的な知識体系の積み重ねがバックグラウンドにある」と予め断ってはおきましたが、参考に例示したアーティストおよび作家を全く知らずとも、本曲に対する細かいツボが少しでも多く伝わってれば幸いです。…と言いつつ、最後には「よく知っている人向け」の一考を載せてまとめとします。

 

 本記事で「意識の流れ」をキーにUnderworldとの紐付けを行った背景には、「アンダーワールドに近い日本人アーティストって誰だろう?」と自分で設定した疑問があり、その解として「グループイノウが相応しいと思った」からというコンテクストがあるのです。最終的に文学用語に着地させているところから推察可能かもしれませんが、この比較は音楽的なものに基いているわけではありません。とはいえ、大きな括りで電子音楽を奏でている部分では共通していますし、そもそも比較対象を電子音楽界隈にのみ求めたことは否定しないでおきます。ただ、目下の文脈で重要なのはくどいほど連呼している「意識の流れ」であるため、音楽に於いてそれを感じ取れる要素の「歌詞内容」と「節回し・フロウ」こそが、両者を「近い」とカテゴライズする根拠です。

 

 グループイノウの歌詞世界およびcpのユニークな歌い方については本記事で既に説明済であることに加えて、アンダーワールドはKarlの独特な歌唱法に関しても本記事内への引用と各種リンク先の中で「意識の流れ」に結び付けて語ってあるので、最後に解説すべきは「アンダーワールドの歌詞世界」となります。この記事がいちばん歌詞解釈に文章を割いており、詳細はリンク先を参照していただきたいのですが、アンダーワールドの歌詞はシンプルに言って「難解」です。そのことをリスナー側から捉えた意見として、以下に当該記事の結びをセルフ引用します。

 

 様々な方向からのアプローチで歌詞を理解しようと試みてみましたが、「…で、結局何の歌なんだ?」としか言えない、まとまりのない文章になってしまいました。とはいえこの曖昧さこそがアンダーワールドの歌詞の面白さでもあるので、本記事に書かれていることが何かしらの取っ掛かりになれば幸いです。その実全くのナンセンスでも、裏にありそうな何かを探してこうして深読みをするのも一興であるとまとめます。

 

 奇しくも、過去のグループイノウの記事でも僕は「こうしてなるべくロジカルに考えてみたところで、その実全てナンセンスなんじゃないかと言えちゃうところも、group_inouの魅力だとして記事を終えます」と述べていて、無意識下でも両者に近しい美点を見出していたとわかる一致に我ながら驚きです。

 

 

 

 具体例を出してみましょう。アンダーワールドで最も有名なアンセムナンバー「Born Slippy .NUXX」(1995)ですら、論理的に歌詞内容を読み解こうとすると実に骨が折れます。洋楽好きの方なら訪問したことがあるかもしれない個人サイト『LyricList』にも同曲のページがあり、そこに原詞を引用しつつの和訳が掲載されているのでぜひともご覧いただきたいです。管理人・まーしゃるさんの真摯さが窺える日本語解釈で、断片的な語句と文から巧みにストーリーを抽出出来ていると思います。

 

 「NUXX」については更に本記事で紹介すべき理由があり、『LyricList』でも英語版Wikipediaでもふれられている情報且つ後者にはソースもある(『The Guardian』上でのインタビュー)ので信憑性は高いと思いますが、同曲は'intended to sound like an alcoholic's internal dialogue, and that Karl Hyde was an alcoholic at the time.'だそうなので、まさに「酔っ払いの譫言」に他ならない内容なのです。モノローグではなくダイアローグなので逐語訳的に内的独白に置き換えるのはおかしい気がするものの、自分しか出て来ない内面について言うのであれば接頭辞がどちらでも似たようなものではないでしょうか。

 

 

 この対比で明らかになるのは「CRISIS」と「NUXX」の類似性で、それをグループイノウとアンダーワールドの作家性にまでシフトさせるのは拡大解釈かもしれません。しかし、「意識の流れ」的なアプローチが窺える点で両者に近しさがあることは、他のトラックで例示しても同様の証明が可能となるはずです。

 

 「なんとなく意味がわかりそうでわからない歌詞」を書いているアーティストならば別に珍しくないと思いますし、例えば文学技法としてのカットアップを作詞に多用すればそのアウトプットは非常に独特なものとなるでしょう。やや暴論気味ですが、要するに偶然性に委ねればその実何も考えていなくても意味深長な歌詞世界は構築出来てしまうのです。単に作為的な歌詞が嫌いという表現者はこの手のAleatoricismに頼るのもひとつの解決策ではあるけれども、かといって全く支離滅裂な内容にはしたくないと悩む表現者とっては、「意識の流れ」こそが持って来いの技法だとおすすめします。こちらは言わば「なんとなく意味がわからなさそうでわかる歌詞」で、時には理屈に沿わない予想外の動線を描く思考の変遷をそのまま提示することで、ロジカルな部分とイロジカルな部分が混在し、受け手に奥行のある解釈をさせられるのです。グループイノウとアンダーワールドの魅力の一端はまさにここにあり、思考は必ずしも合理的には働かないということに人間らしさを見出せるようなリスナーは、殊更に彼らの音楽を気に入るだろうと結びます。