もつ焼き松っちゃん おかみの記

無口で頑固な店主のもとへ嫁ぎ新聞記者からもつ焼き屋のおかみへ転身。

ペンを串に持ち替え早10年。応援してくださる皆様のお陰で元気に奮闘中。

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春の香り

 例年になく寒い冬に、春の到来を楽しみにしていた人は多いはずだ。

昨年より親しくなった友人がふきのとうをたくさん届けてくださり、春の

香りを楽しもうと軽い衣でまずは天ぷらを楽しんだ。


 さっと衣を付け、ヘタをつまんで油に漬し、軽くゆすると、つぼみが満

開の花になる。いただいたモンゴルのが岩塩でいただいた。最高の味。


 旬のものをいただくと季節のありがたさを感じるもので、日本の四季

は本来人として生きる上での大切な情緒を養うものだ。忙しい日常の

中で心と体をリフレッシュする一時が、旬の食材を料理しながら得られ

感謝、感謝。友人にお礼を言った。


 あまりに量が多かったので細かく刻んでごま油で炒め、ふき味噌も

作った。これがまた美味。天ぷらによし、お茶漬けによし、なんにでも

合い、春の香りを乗せてくれる。


 友人はもっぱら酒のつまみになると喜んでくれた。小さめのたけの

こを買い求め、たけのこご飯に乗せてもけんかせず美味しい。姫皮

につけたらこれこそ酒のつまみと、一つの食材から生まれるハーモ

ニーは人を幸せにしてくれる。


 料理を作る楽しさはここにあるのだと実感する。

嘘は「方便」の域を出てはいけない

 俗によく使う「うそ」は、誰しもつくもので殊更取り上げるほどの

問題ではないのかもしれないが、この「うそ」こそ時代の混迷を更

に深める最大の要因である。


 原発問題にしろ、いまだに深刻な「オレオレ詐欺」にしても根っこ

はすべて「うそ」から始まっている。


 「うそも方便」は真実にたどり着くまでの過程にあって、深い教えを

すぐに受け止められない人々に段階を経ながら仮の教えを説いて、

最後に真実の教えへと導く。その過程での仮の教えを「方便」という。


 知らない方が良い、いわば「かわいいうそ」や患者が真実を知れ

ば滅入ってしまう場合のうそも方便と言えよう。しかし、人を馬鹿にし

たり、すぐに見破られるようなうそは、その人の人格を物語る。友情も

愛情にもひびが入る。


 最近こうした「うそ」が日常に多いことに悲しくなる。私は「それだけの

人」と思えばよい、と切り替えるが、夫の方はそうはいかない。難しい。


 頑ななまでに態度に顕してしまう。それを変えようと随分話し合った。

が、いまだに変わらない。でも、確かに夫は「うそ」を言わない。また、

お世辞も言わない。真っ直ぐな人だ。


 うそはばれた時に相手にどう映るかを考える余裕があれば、きっと、

悪質なうそはなくなるかも? と思うのだが~ でも無理かな~

本当の優しさと強さ

 先回「小善は自立の目を摘む」と書いたら、結構反響の声をいただいた。

手助けもほどほどを自覚された方が多かったようで、跡で役に立たなかっ

たことに気づいたと言う。


 私も以前、商店会がご一緒で閉店された方の話に「半分うそは分かりな

がらもお金を貸したことがある。指定した日に返さないばかりか、居丈高に

なり、こちらが悪いような錯覚にまで陥り、いい経験をした。


 子どもの借金を親が払ったことにより、いつまでたっても仮癖が直らず、

お金にだらしがないというケースはよく聞く話だが、いざ目の当たりにする

と、親の権威の失墜に悲しくなる。


 なぜ、きちんと言えないのか、「自分で借りた金は飲まず食わずで働いて

でも返せ」と。厳しいようだがこれが、ライオンが谷に子を突き落とすことだ。

成長を止めてしまう親の愛情のかけ方は、時代が豊かになってから増えて

きた。


 真の優しさは厳しい強さを伴っている。この辺を間違うといつまでたっても

親掛かりでしか生きていけない大人になってしまう。周りにこうしたケースが

多くなり、残念な思いを抱いている。自身の行動に責任を持ちたい。

小善は時に自立の芽を摘む

 時に体調の不調を気にしていた夫が「胆石だな」とつぶやき、その通り。

この夏は旅行に行くはずが長期の休暇となった。


 内視鏡での手術で30分ほどで終了。開腹しないため経過もよく、お盆

明けから営業を再開。待ってくれていたお客様に囲まれ、元気に働く夫

は殊の外うれしそうだ。


 先日、常連さんの誘いを受けて初来店された女性は、男性陣の間に挟

まれながらも、気後れすることなく、豪快さは見た目の美しさとはまるで違

うのだが、気持ちがよい。


 会計の際に、「今日はまさかの初参加だから」と男性陣が気を遣った。


 すると彼女は「私、こういうのあまり好きではないので」と一言。


 この一言に、私は「そうだ、男も女もこうじゃなきゃいけない」と心の中で

拍手。商売をしていると、奢り奢られという場面はいつもの光景。その関係

がうまくいっていれば問題ないが、時にバランスが崩れたりすると仲まで

ひびが入ることにもなりかねない。


 女性の中には奢られるのは特権のような気持ちを持っている人も少なくな

い。自分で稼いだ金で飲んでこそ一人前の人間だ。男女両性に通じること

だが、過度のご馳走はその人の自立の目を摘むことにもなりかねない。そ

れは仏法で説くところの小善である。


 当たり前になると御礼すら言わなくなる。時に小遣いまで頂き平然として

いるケースが結構あることに悲しくなる。


 シングル時代、私もまるで親父顔で飲んだものだが、お金に関しては人間

の本性が出ると両親から厳しく言われ育った。今は感謝している。


 来店された女性も素敵だったが、囲む男性たちもみな自立した大人の関係

を保ち、会話が盛り上がる。聞いていても楽しくなる。


 そんな関係が末永く続きますように。若い世代から元気をいただいた一日だ

った。


 

無理せず、維持する難しさ

 先日、某テレビ局から、取材を申し込まれた。即座にお断りをした。

夫が三度の入退院を繰り返し、一昨年は本当に閉店を考えた。それ

でも店に対する愛着が強かったのだろう。「お店、閉じようか?」との私

の問いかけに「俺はやるよ」の一言。


 開店して30数年を経ても同じ商品をウリにして、元気に頑張れる、

そのこと自体がうれしい気さえする。バブルがはじけ、客数が減り、ど

うするかと悩んだ時も、「ウチはもつの専門店だ、メニューの工夫など

要らない。もつを前面に出すんだ」


 この彼の一言で私の腹も決まった。若者向けの見かけコジャレタ店

はいくらでもある。でも、味はどうもイマイチ、というのはよく聞く話だ。


 本物にこだわる、その姿勢はやっぱり職人だと思う。「もう少し、愛想

が遣えないものか?」と思うことはしばしばだが、それを言うと機嫌が悪

くなるので、最近はあまり言わないようにしている。


 齢を重ねるごとに少しずつ衰えを見せ、元気に店に立てるのもそんな

に長くはないかもしれない。そう思うと、この店は彼の店だから、好きに

すればいい、とも。


 そんな体力との戦いのような毎日なのに、「テレビ見て来ました」との

大勢のお客様を相手にとても体が続かない。そこで、三度も承諾のため

にご来店いただいたのだがお断りをした次第である。


 猛暑の今夏も健康に留意し、無理せず頑張る、これでいきたい。

10年ぶりの語らい

 久方ぶりに友人と六本木で会食。思えば10年ほどの歳月が流れていた。

自分のブランドを立ち上げ、デザイナーとして今もバリバリの彼女は、もちろ

年齢を感じさせない。


 シングル時代、私は彼女の服を着て仕事をしていた。素材の良さ、デザイ

ンの斬新さ、すべてが私の好みと合い、楽しんで仕事をこなした日々が懐か

しい。


 服装一つで仕事ができるかどうか分かるという。その人のスタイルは名刺と

同じだ。センスが悪ければ、仕事も同程度とみなされる。不思議だが、服装は

すべてを映し出すもの。いつちもおしゃれな人は、料理も上手だし、家の中も

きれいに工夫が施されている。


 若い頃、彼女のお陰でモノを選ぶ目を養うことができ、今は昔ほどの贅沢は

できなくても、安物に手を出したりせずに身の丈にあった服装選びができるこ

とに感謝している。


 先日、彼女から「上手にトレンドを取り入れおしゃれしているのはうれしいけど、

とにかく痩せなさい。限界に来ているわよ」の一言。


 遂に来た、という感じ。ありがたい。太り過ぎは気になっていたが、どこか自分

に甘い生活をしていたことに反省。


 「おいしい」生活も食べ過ぎていてはストレス解消で食べているに過ぎない。夫

が食餌療法をしているのに申し訳ない、との思いで今は楽しく痩せられるように

努力の日々。いつまでも美しくとは言えないが、老いを上手に迎え入れ、そこそ

こに若く美しくありたいものだ。 

プレゼント選び

 人それぞれに記念日があり、祝う気持ちを贈り物にする習慣は嫌がる

人もいるが、それなりに意味はあると思う。私は気持ちを形にする、そこ

に楽しみと喜びを感じる。相手の人柄や趣味などを考えながら喜んでい

ただく瞬間の顔すら想像て選ぶようにしている。


 その方のイメージを描くようなものに出合えた瞬間も楽しい。そんな私

のこだわりを感じてくれる知人は、やはり同じように私の好みを知ってて

憎いくらいの演出をしてくれる。


 基本は相手を思う気持ち、これに尽きる。おざなりの贈り物は不思議に

分かってしまう。金額の高い、低いではない。むしろ手頃なものであるべ

きだと思う。そこに真心を表現する。それがその人の感性であり、センス

を感じさせるのだ。


 贈り物一つで人間としての成熟度が表れると思う。器好きの私ども夫婦に

いつも素敵な器をプレゼントしてくれる友人がいる。日常に使うものだからこ

そ、その方の顔が浮かび、センスの良さとその真心に感謝。日常を彩る瞬間

は、さわやかな香りさえ漂う。そんな人生を送れることにも感謝、感謝。


 

仕事を通し見えること

 こう猛暑が続くと体力だけは自信のある私でも、いささか辛さを実感。

仕込を終えての食事作りは、火を扱うので敬遠したくなる。ご近所に夫

婦でお昼をいただきに行くことが増えた。


 そんな時に無意識のうちに二人とも採り皿を遠慮させていただく。何

故そうなったのかは商売柄としか言いようがないのだが、飲食業は、

一品の価格の中に光熱費、水道代、おしぼり等が含まれている店は

そう多くはない。高い価格でそれなりのサービスを提供するのは当た

り前だが、これほどの不況下にそんな商売は続かない。


 一皿汚すたびにコストがかさむことを考えてしまうのはむしろマナー

だとさえ思ってしまう今の自分に、シングル時代とのあまりの差に驚き

ながらも逆にうれしく思う昨今だ。


 一皿3本で200円の当店のもつ焼き、他店と比べても安いと思う。3

人で来店され、「すみません。採り皿3枚お願いします」との横柄な一

言。3枚の皿にお出ししても平然と言い切る。


 「申し訳ありませんが当店は一皿ごとお出ししていますから皆さんに

ご協力いただいています」と申し上げ、それでも一皿お出しした。すると

その皿に抜いた串を入れていたのだ。


 互いに「先生」と呼び合うようなステータスのある方なのだろうがその

割に、場所をはばからぬ大きな声で、言葉遣いにもぎょっとしてしまう

こともあり、久し振りに憤りに震えた。下町のもつ焼き屋に来たのなら、

雰囲気くらい感じ取ってほしい。それが客側にとってのマナーではない

のか、と言い切ってしまう私だからいけないのかな?  


 殿様商売と言われても結構、相手を思いやれないような生き方は必ず

どこかでほころび始める。些細なところに人間の真の姿が現れる。店に

立って13年、仕事を通し見えることは、かつて取材をしていた頃よりもシ

ビアに私に人生の真髄を教えてくれるようで本当にありがたい限りだ。


 心の通い合う関係を作り上げる、生意気なようだがそんな店でありたい

と願っている。

道東の雄大かつ神秘的な自然を満喫

 連休を少しずらして、横浜の妹夫婦と4人で久しぶりに北海道旅行

を楽しんできた。夫が脳梗塞を患い、5年間は遠出を控えるように言

われて5年を経過。病状も良好で許可をもらい、大好きな道東の旅を

チョイス。


 屈斜路湖畔にたたずむプリンスホテルから見る景色は絶景で、日常

の疲れやストレスを一掃してくれる。北海道の良さは、やはり雄大で神

秘的な自然。人間が手を加えていないところに心惹かれるから、リピー

ターが多いのだろう。


 シングル時代は仕事柄ほぼ全国を訪れているが、道東を超える自然

と出会うことはなかった。道東が初めての夫もはまってしまったらしく、

「夏にまた来ようね」と言うと、頷いていた。


 サロマ湖からオホーツクの海を一望しながら小清水原生花園に。降

り始めた雨を気にしながら、摩周湖へ向かったが、深い霧で前方が見え

ない。展望台から眺める風景は真っ白な霧に包まれ、紺碧の湖は姿を

現さなかったが、それも一興。かつて見た青々とした湖面を思い出しなが

ら、すがすがしい気分に浸れた。


 帰宅するなりまたいつもの生活だが、3日間の旅が与えてくれた癒しの

空間は、確かな心の充足感となっている。


 自然への感謝、自然と共存することの偉大さを改めて実感した旅とな

った。

病から教わること

 私どもの周囲でも、病気で入退院を繰り返す方が増えている。

家族に病人を抱えて初めて分かることがある。


 その一つが病がもたらす言い様のない不安である。病気の種類

によっては、死を連想させる不安であったり、治療期間によっては

経済的な不安も大きい。


 生老病死は人間が避けることのできない苦しみであり、それをど

う克服するかは人生最大のテーマであり、哲学の範疇になろうか。


 夫がこの5年間に3回の入退院を繰り返し、支える私はある種、こ

の間に学んだことがある。年齢さも影響してのことだが、様態がど

うもおかしい、という時には冷静に判断すること。病によっては一刻

を争う場合がある。この判断を誤ると重篤になりかねない。


 脳梗塞の時も、敗血症の時も、そして昨年の狭心症の時も、二人

とも非常に冷静に判断し、救急車を呼んだ。救急隊にも医師にも、

「よくこの状態で来ましたね。重篤にならずに済みますよ」と褒められ

た。


 初期症状を見逃さず、きちんと対応することが大事だが、体の変調

を敏感に感じ取る夫であったことと、多少ではあっても年の若い、元

気な私がいたから、即断即決で事無きを得たのだと思う。


 ベッドの上でまだまだ使命があることを自覚して戻ってきた夫が、

「病になった初めて病人の苦しみが分かった」とポツリ。


 病によって人生の大切なテーマ、同じ目線に立って悩むことを学ん

だのだと思う。人生に感謝!

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