もつ焼き松っちゃん おかみの記 -3ページ目

新語に赤信号?

 婚活や就活などの言葉にはだいぶ慣れたのだが、アルファベットでの

省略語には興味すら沸かない。なぜこのような言葉が生まれたのか?

と考えてしまう性格なので、流行とはいえ迎合したくないのが私なのだ。


 若い子達が使う「微妙」という言葉も意味合いが違うことに八としてしま

う。日本語には本来持っている意味があり、それが変わっていってしまう

のには、どうしてもこだわってしまう。それは私がモノを書いてきたからだ

けではなく、子どもの頃から難しい言葉や漢字を母が、漢字本来の意味

や言葉の意味を伝えながら教えてくれたからだと思う。


 40年以上を経ても母からの伝授は私の頭脳に鮮明に残っており、母は

教師以上に教え上手だったようにも思える。


 父が連帯保証人になり、それが元で全財産を失い、経済的に非常に苦

しい時代を経験したことがあった。友達が塾に通い出しても私は「行きた

い」とは言えない。そんな時も私の独学を支えてくれたのは母だった。


 もともと勉強家だったのだろう。母の話には不思議な魅力があり、成績

云々を超えた勉学の楽しさを与えてくれた。だから学校の授業よりも楽しく

高校時代は授業放棄のように通学をしない時期が続いた。


 「学校に行きなさい」などとは一言も言わず、私の自由を受け止めてくれ

た。一浪後、無事に大学に進学した私に、母からの特別な言葉はなかった

が、友人に「よかったわ。うれしい」と一言喜びを伝えていたことを後で知

った。


 当時の母の年齢をとうに超えてしまった私にそれができるかと思うと自信

がない。


 しかし、言葉の持つ意味合いだけは私の人生を形成してくれた要素でも

あるだけに,人に伝えていけるかな? 

平和への語らい

 平和をテーマに語ることが日常あまりないのが本音だ。しかし、

世界の各地では戦火が絶えず尊い命が犠牲になっている。


 先週の日曜日、友人と訪れた「平和の文化と子ども展」では、

子どもを取り巻く環境が映し出され、平和とは程遠い現状にある

世界の子どもたちの未来を思うと胸が傷んだ。


 自分の置かれた立場で平和のために何ができるのか? と問い

直したときに、所詮は自分の周りの人、家族や隣人、そして縁す

る人々を大切にし、仲良くしていくという当たり前のことからスター

トし、そこに帰着するのだと思った。


 戦渦にありながらも輝く瞳の奥には未来への希望をたたえた子

どもたちに、幸あれと祈らざるを得なかった。



ノイマイヤーの世界に魅了され

 2月15日にジョン・ノイマイヤーのハンブルクバレエを鑑賞。演目

は「人魚姫」。ただひたすら与えるだけの愛の悲しさに涙が溢れ、

人目をはばからず泣いてしまった。


 これまでもノイマイヤーの公演は毎回観てきたが、現代バレエの

芸術性の極みを感じさせる彼の舞台は分かりやすく、共感が広がり、

一度観た人の心を魅了してやまない。


 しばし余韻に浸りながら、帰途に就く道すがら夫に連絡。すると、

耳をつんざくような大声、しかも要領を得ない話にうんざり。あの感

動はどこへやら、厳しい現実(笑い)が待っていた。


 多忙な中、現実とかけ離れた瞬間を味わうのはストレス解消だけ

でなく、自分の内面をワンランクステップ・アップできたような気分が

する。今度はルーブル美術館展かな。齢を重ねるに従い、同じ絵でも

本でも感じ方が変わる。これがまたいいのだ。上野に行こう!

嫉妬と虚栄心

 スイスの哲学者・ヒルティーは「人間のすべての性質のなかで、

嫉妬は一番みにくいもの、虚栄心は一番危険なものである。心の

中のこの二匹の蛇からのがれることは、素晴らしくこころよいもの

である」と述べている。


 人間を探求し抜いた先哲の言葉は心を揺さぶる強さがある。嫉

妬の文字になぜ「女」が付いているのか? 私的には「これは女性差

別から来ている」と言いたいところで、男の嫉妬も大変なものだ。

とりわけ、仕事上で部下の女性が頭角を現してきたりすると、今ま

で見せもしなかった嫉妬をあらわにするということで、パワーハラス

メントに苦しむ女性が増えている。


 男女平等の実現のためには女性が働き続けることが大事だが、

それもままならぬ状況が労働現場にはあるようだ。まして現在のよ

うな不況の波が押し寄せてくれば、女性は職場から締め出されか

ねない実情もある。


 嫉妬や自分を大きく見せたいという虚栄心は誰しも持っているもの

で心しなくてはいけない。酒の酔いも手伝って話が膨らむ人に出くわ

すこともしばしばだが、まだかわいいもので許せる範囲が多い。


 しかしあまりに突拍子もない話には「大丈夫かな?」と心配になるこ

ともあったりで、これも職業柄身に付いたものかもしれないが、自ら

を戒めることもでき、今の自分の立場にも感謝できる。


 あれほどもてはやされたヒルズ族が消え、小室哲也が逮捕され、

時代が変わってきたことを自覚している人は多いと思う。「濡れ手で

粟」とは決して思わないが、途方もない上昇志向に自分の足元を見

失った姿は哀れだ。


 今いる場所で賢明に生き抜くこと、それが人間として一番大事なこと。

さあ、仕込みを頑張ろう!

今年もよろしくお願いします

 新春を寿ぐどころか、乾燥による火災が相次ぎ、悲しい知らせに胸が傷む。

私共も火を扱う仕事だけに、火の元には細心の注意を払っているが、年末に

夫が煮込みの鍋に火を入れているうちに、他の仕事を始め、うっかり。2階に

上がって異様な匂いに気がつきあわてて店に下りると鍋が真っ黒。


 幸い火が付かなかったものの、肝を冷やす出来事だった。気の緩みと、年

齢による物忘れは誰でも経験することだが、命に関わるものだけに互いに声

を掛け合うことが大切。煩いようでも,事が起きてからでは遅いのでお互いに

声を発するようにしている。


 元旦から一点の曇りもない晴天だが、強い北風が不景気の波に拍車をかけ

ているようで、寒さが身にこたえた人も多いはず。今年は本当に辛抱する年だ

と思う。


 若いお客さんが「僕たち世代はバブルを知らないから、結構辛抱強いと思う

よ」と。


 なるほど。バブルの絶頂期を生きてきたのは私たちかもしれない。今思うと、

本当に贅沢をしていた。だから、何を買うにしても値札を見るたびに「安い」と

感嘆してしまう。バブルの名残だ。これ、反省しきり。


 とにかくもあらたまの年を迎え、今年も精一杯賢明に、明るく、楽しく、そして

充実した1年に。人生という布を仕上げるべく糸をつむぎ織り上げる作業を手を

抜かずに続けていきたいと思う。今年もよろしくお願い申し上げます。

1年間、お世話になりました

 例年以上に多忙だった本年、頑張っていても所詮1日にできる範囲は

決まっているようなもので、先送りされてきたことを済ませると大晦日。

年賀状もこれから、それと大掃除の残りも少しあった、などと考えている

うちにもう夕方になってしまった。


 忙しさに振り回された時もあったけど、それでも元気に乗り越えられた

ことに感謝。夫も病に負けずに挑戦の心を持てたことに感謝。すべてを

受け入れ、肯定できる人生でありたいと思う。人生は突然のようであって

も、その人にとって必要なこと、必然的なことのほうが多いもの。


 年を重ねるにしたがってそのことが分かるようになった。だからこそ、そ

の時、その時を大切にしなければならない。


世間では明年は100年に1度の不景気と騒がれている。暗い時代を明る

くする処方箋はないものかと思うが、難しいようだ。せめて心だけは明るく

他者をも癒せる輝きを放っていけたらと思う。


 1年間お世話になりました。よいお年をお迎えください。

師走の慌しさ

 商売をしていると年中忙しいのだが、師走の忙しさはやはり半端ではない。

頭が混乱して、どこまで終わっているかも分からずに同じことを何度も繰り

返してしまったり、というようなことが多くなり、呆れ返ってしまう日々が続いて

いる。


 どこかで冷静にならなくては、なとどは思っているが、時間に追われっぱな

しでそうもいかない。家族間のトラブルなら修正は利くが、他人様を巻き込ん

でしまってはいけないので、ストレスも倍増する毎日だ。


 こんな時、愛嬌のある人ならニッコリ微笑んで終わってしまうこともしばしば

だろうと思うが、夫の無愛想な顔ではそれもままならず、私がカバーしないと、

と思ったりで、これも結構大変なのだが、最近気づいたのは、そんな夫を理解

してくれるお客様が増えたこと。これはありがたい限りで感謝の思いでいっぱ

いである。気持を引きづらないで済む分、とても楽になった。


 定年をとうに過ぎた夫が、体も丈夫でないのに仕事を続ける苦労はこれまた

大変。いつ店を閉じようかと思案時の私ども夫婦が、お客様に愛され少しでも

長く店を続けるためには、夫のストレスを軽減してあげることかな、とも思う。


 毎朝夫の顔を見ながら、今日も元気でいることに感謝しながら、結婚が遅か

った分、一緒にいられる時間だけはせめても気持ちのよいひと時にしてあげな

くては、と思う昨今である。

 

時代の変容

 いつの間にかヒルズ族なる言葉が消えたかと思っていたら、小室哲也が逮捕

され、時代の寵児としてもてはやされた人間の栄耀栄華のはかなさにちょっと

寂しさを感じているのは私だけだろうか。


 「濡れ手で粟」などと言われ、日本一、そして世界へと触手を伸ばし挫折。人間

そこそこで満足する、満ち足りることを知ることがとても大切なのだとは思う。しか

し、それは並の人間だから言えることで秀でた才能を持っている人間に果たして

可能かというとこれまた難しいのではないかと思う。かくなれば、自分が並の人間

であったことを喜ぶべきなのかと、また微妙な響きに苦笑したり。


 時代はバブル崩壊を超える不景気。寒さが一段と強まる時期に追い討ちをかけ

るような経済不況は庶民の暮らしに暗い影を落とし始めた。


 何があってもへこたれずに、笑いを忘れぬ人生でありたい。より賢明さが求めら

れる時代だからこそ、女性の出番。家計のやりくりに知恵を働かせよう。

久しぶりに二人の妹と楽しいひととき

 先日、横浜に住む末の妹のお姑さんが亡くなり、急ぎ福井へ向かいました。

長野に住むすぐ下の妹と福井駅で待ち合わせ、式場に駆けつけると、懐かし

い妹夫婦の姿が目に入りました。


 大往生で新たな旅立ちをされたと伺い、お顔もまるですやすやと眠っている

ようで生前の優しいお人柄がしのばれました。


 お通夜も滞りなく終了し、せっかく福井まで足を伸ばしたのだからおいしい海

の幸でもいただこうと話がまとまり、タクシーの運転手さんのご推奨の割烹料

理店に向かいました。


 季節はやっぱりカニ、それと普段は食すことが難しいノドグロの塩焼き、お勧

めの刺身の盛り合わせと,どれも本当に美味、思わず舌鼓を打つ一品でした。


 それぞれが結婚し、離れて暮らすようになって久しいのですが、やはり姉妹

ならではの、温もりのある会話に時の経つのも忘れ、気が付くと夜中の三時。


 すでに両親も他界し、こうして妹たちと話す機会も徐々に減っていくのだろうと

思うと、葬儀によって親族が集うことの意味もまた違ってくるような気がしました。

血のつながりなのかと思いますが、会えば一緒に暮らしていた当時がすぐに蘇

ります。


 「お互い年をとったね」とは思いつつも心は昔とちっとも変わっていないところが

本当に不思議。金町に戻っていつもの日常がまた始まりました。


暮らしを彩る植物

 植え替えの時期を逸してはいけないと思い、慌ててデンドロとベンジャミン、

ゴムの木を大きな鉢に植え替えた。朝から緑の色合いなどが気になり、スト

レス解消でやっているがあまり気にするようでは逆にストレスになるかな?、

などと思いながらも止められないところが実に自分らしいと感嘆してしまう。


 先日いただいたコーヒーの苗木もしっかりとグリーンが冴えてきて部屋の雰

囲気もちょっぴり変わってきた。疲れて帰ってきた自分を癒してくれるこれらの

植物は、私の愛情をたっぷり受けてきっと大きく育っていくような気がする。


 ベンジャミンは葉っぱから根を出させ今では立派な観葉植物に育ち、私の思

い出の一鉢だ。人間も同じでどれだけ心を砕き、愛情をかけたかが、その人の

成長に大きく影響を与えると思う。癒されたいと思うなら、自らが他人を癒せる

人になることが大事だと思う。それなくしては癒されていることも感じなくなって

しまう。損得だけでは図れない人間の情を紡いでいくことがとても大事になって

きた。人間はひとりでは生きていけないのだから。