もつ焼き松っちゃん おかみの記 -2ページ目

ストレスはマイナス要素だけではない

 ストレス社会と言われて久しいが、ともすると悪い要素だけが前面に出てくる。

確かにストレスが引き金になって病に発展するのは事実だし、決して心地よい

ものではない。


 私がストレスで参っている時は、夫も自分もよく分かる現象がある。とにかく、

よく食べる、いや食べ過ぎを分かっていて止められないのである。そして口内炎

が出来、胃がチクチク痛む。そしてやっと止めなきゃ、と食欲に歯止めをかける。


 馬鹿だなーと思うのだが、今まで結構繰り返してきた。頻繁ではないので助か

っているのだが、いい加減に賢くなれよ!と自分に言い聞かせている。


 シングル時代、仕事で心療内科の医師から、現代病ともいえる心の病とストレ

スの関係をうかがったことがある。


 ストレスを上手に乗り越えるには、基本的には考え過ぎない、ひとつのことに執

着し過ぎない、適当に忘れること。そして自分なりの解消法を持つことだという。


 逆にストレスがない社会はあり得ないし、ストレスがあるから自分を鼓舞し克己

心も生まれ、自分が成長するというプラス要因もあることを忘れてはいけない、と

も言ってらした。


 大事な要素だと思った。戦前、戦中、戦後を生きてきた先輩たちには生きること

に必死でストレスを感じている暇もなかった。高度成長期の産めよ増やせよの時

代から、低成長期に入り量より質への転換が進み、内面への洞察が進むや、恵

まれた世代独特の甘えがストレスの一言で自分を甘やかしてはいないだろうか。


 自分を大きく開く時には越えなければならない壁があり、そこへのチャレンジは

避けては通れないはずだ。酒を酌み交わしながら職場の現状を嘆く若い世代を

見ると、若かりし頃の自分の姿が浮かんでくる。どうか負けないで、頑張れ!とエー

ルを送るこの頃。

 

 不況の嵐がより深刻の度を増す昨今だからこそ、気持ちを強く待たなければ生

き残れない。考えても解決しないことは上手に忘れよう!とも話した。きっといつか

本当の自分を評価してくれる日が必ず来るから、と。


病と共存

 夫が入院し、お客様には大変ご心配をおかけしたが、幸い軽度の

狭心症だったために10日で仕事復帰、2週間が経過した先週、日曜

の朝だった。軽い発作が起き、ニトロを含有したスプレーで発作が治

まった。


 友人に状況を話すと、「狭心症?  大丈夫。ニトロ持っていればい

いんだから、心配ないわ」の一言。それで思い出した。彼女のお連れ

合いは、心筋梗塞でよもや命を落とすところだったが、2箇所にバイ

パスを通し、10年たった今も元気に働いている。


 経験から出た言葉なのだろうか。ほんの一言、しかも配慮した言葉

とはいえない言葉なのに、私の不安も吹っ飛び、何よりの激励だった。


 何はともあれ、夫がシャッキリ。気持ちも前向きになった。相手を傷

付けまいとあれこれ考えた言葉でも、時に相手の心には深い傷になっ

てしまうことだってある。率直な言葉でも奥底に相手を思う心が伴った

時、不思議に届くものなのだろう。あらためて彼女の偉大さに感謝。


 病と共存する人生を歩んだ彼を支える私の役割は大変だが、気持ち

が通い合ってさえいれば、上手に乗り越えていけるはず。無理はでき

ないが、人生を楽しむ術はいくらでもある。病に負けないで生きる。今日

一日を大切にしていこうという、彼なりの深い決意が今朝も伺えた。

店主、3度目の入院、休業、そして退院

 シルバーウィークの最終日の朝、食事時に胸が苦しいと箸を止めた。

顔色が失せ、寒さと苦しさを訴える夫に「救急車を呼ぶ?」と聞くと「そうし

てくれ」と一言。既往症として脳梗塞がある旨は伝えたが、救急隊が心

電図の波形を見ながら「明らかに異常が見られますから心臓疾患だと

思います」とのことで、心臓専門の病院へ入院となった。


 酸素吸入をしているうちに「楽になったから大丈夫です」と入院を拒む夫

だが、「入院は誰も好きな人はいませんよ。命に関わる危険性があるん

ですから」との医師の言葉に仕方なく入院を承諾。当初の予定では、カテ

ーテルを血管に通し、狭窄がないかを調べ、症状によってはバルーン、ス

テント治療などの最新の技術を駆使していくため、30日ほどの入院と言わ

れた。


 「よし、店は2ヶ月休業」と腹が決まった。入院の準備と店の休業の準備を同

時に進めなければならない。3度目ともなれば、不思議なもので行程にも慣

れ、苦にならずにできる。作っておいた煮込みは友人が鍋ごと喜んで持って

いってくれた。通院しながらすべての作業を終え、深夜、独りになった部屋で

「入退院を繰り返す中で、徐々にお別れを教えてもらっているのかもしれない」

とも思った。突然の別れは悲しいが、病と共存しながら生きる人生は、別れと

いう現実の悲しみ、苦しみをある意味意識しながら生きているようだ。


 年の差のある結婚であり、自然の流れとして私が夫を看取る覚悟はできて

いる。だからこそ、二人でいる時間は大切にしたいし、彼が思い残すことのな

いようにしてあげたいと思う。


 そんな心の準備をしながら、検査日を迎えた。1時間ほどかかるはずが20分

で終わり、結果は予想したような心疾患は見受けられず、日本人に多い冠攣

縮性狭心症とのこと。明け方などに血管が収縮して苦しんだのではないかと

の診断。現時点での治療の必要はなく、薬の調整をしながら様子を見ること

になり、めでたく明日退院の運びとなった。


 常連のお客様には大変ご心配をおかけし、恐縮ですが、元気な体で戻れる

ので一安心。まるで救急車で旅行にでも行ったみたい。顔色のよくなった夫を

見ながら、こんなことを思えるのも結果がよかったからだとひたすら感謝。

店の暖簾が新しく

 変色し、年季の入った暖簾に「合羽橋に行くか?」との夫の一言。

そろそろ替え時だと思い、いつにしようか、と思案していたところに

常連のお客様より、会社の宣伝用に作ってくださるというありがた

いお話を頂戴した。名前入りの暖簾2枚と大判のコースターまで

無料で作っていただき、老朽化した店が華やいだようで、うれしい

限り。


 親しくしているご近所の居酒屋さんが、新調の暖簾に気づき、注

文したいので連絡をとってほしい、とのこれまたうれしい話。早速の

注文に会社にも喜んでいただき、一番のお返しができたようで私も

幸せな気分に浸った。


 以前、暖簾を求めに合羽橋に出向いたが「もつ焼き」と書いた暖

簾が見当たらない。聞くところによると、もつを自分でさばく職人が

激減し、手間のかかるもつ焼き屋を経営する人がいなくなったという。

「焼鳥はあるんだけどね」と言われ、特注すると高額になるため、無

地の暖簾を購入した。


 自分でさばいて串にさす作業は確かに大変な労力がかかる。若い

頃とは違い、年齢が嵩むほどに体には堪える。串に刺さった冷凍モ

ノを仕入れ、仕込みなしで経営する店が増えている中で、手さしを貫く

のも職人としての夫の誇りだと思う。


 先日、来店されたお客様が「大将は職人だね。職人は儲けを考えた

ら職人じゃなくなるんだよね。今時珍しい存在ですよ」と言って下さった。

夫に聞こえたのかどうかは分からない。聞こえたとしても黙っている人

だから、やっぱり職人なのだろう。


 そう思いつつ、二人で仕込みをする時間が少しでも長く、と願う昨今だ。

子どもたちを育む環境

 子育て経験のない私が子どもの教育を考えるきっかけができ、今、

真剣に悩んでいる。私たちが育った環境と現在が大きく食い違ってい

ることが大きな要因だ。子どもの数が激減し、親も教師も子どもに集

中するのは仕方ないとしても、モンスターペアレントや親たちに対応し

きれずうつ病になる教師の増加など、過去にはあまり見られなかった

現状がどこにでもあることを知った。


 「お受験」などという言葉が流行りだしてから急速な変化が訪れたよ

うに思う。懐古趣味ではないが、昔は1クラスの人数も多く、担任教師

は大変だっただろうが、今よりはトラブルも少なく、成績だけで人を決

めつけたりしない優しさがあちこちに見られた。


 成績はダメでも体育ができるだけですごくモテたり、またちょっとお笑

い系に近いギャグで人気を博すクラスメートに心癒されたりと、いい思

い出は尽きない。


 当時は高度成長期、時代はまだまだ貧しく、社会全体が目標に向か

い進んだ時代。進み方の良し悪しは置いておくが、現代のように生活の

ベースが豊かな時代とはまったく違うのも当たり前なのだろう。百年に一

度の不景気とはいっても、物質的な豊かさの中で育った世代が親なのだ

から、飢えることを知らない世代を育む難しさは相当なものだ。


 学ぶ楽しさを教える教育、今、私はそのことを感じている。成績優秀で、

有名大学を出ても人間としての魅力に乏しかったり人格が問われる人間

はいくらでもいる。学ぶ楽しさを覚えれば、すべてに通じるはずだ。変にマ

ニュアル化された人間を作り出しても教育の意味はない。


 そう思うと私の人生の中で大きな影響を与えてくれたのは一人の教師と

母だったように思う。今、私が関わっている一人の少年の成長を心から祈

り、母と子がこれからも幸せのメロディーを奏でていけるよう見守っていき

たい。




旅立ち

 昨日は当店のお客様がめでたくゴールインし、新たな人生を二人で歩む

ことになったお祝いに、仲間でサプライズのウエディングパーティー挙行。

総勢20名のにぎやかな催しとなった。私たち夫婦は両親以上の年齢(?)で

もあり、若い人たちに混じりながら、会の進行・司会を私が務め、4時間を

超えるパーティだったが、顔見知りのメンバーの少しずつではあっても成

長の姿が感じ取られ、不思議に疲れを感じなかった。酒に弱い夫も昨夜は

結構飲んだようで、普段はかかないいびきがすごかった。楽しかった様子が

寝顔で分かる。


 結婚に関して、私は必ず二つのことを話すようにしている。


 ひとつは夫婦は一番身近にいる他人であるということ。甘え過ぎてはいけ

ない。そして傷つけ過ぎてもいけないということ。


 もうひとつは、恋は一瞬だが、愛は永遠であるということ。燃え上がり恋

はすべてばら色だが一瞬。結婚すると生活という難題の連続。華やいでい

たばら色はすぐに色あせ、苛立ちや憎しみや不満などが心を支配する。


 「結婚ってこれで良かったのか?」と自問自答の日々もあるだろう。


 でも、結婚というのは互いに愛を育み、愛情を深めていく共同作業。歩み

寄り、理解し合う長い道のりだ。時に色濃く、そして薄くなったりを繰り返しな

がら二人の創造の世界は続く。糸を紡ぎ、布へと織り上げていく作業は根気

がいる。でもそこを逃げずに営む中に悲しみも喜びもすべてを包含する素敵な

グラデーションが描かれ、他に類例を見ないオリジナルの世界が創出されるの

だ。


 一日一日を大切に。



いたずらに自分を追い込まない

 完璧にすべてをこなさないと気が済まない人は結構多い。一つでも

やり残しがあったり、ちょっとのミスがあっただけで自分を追い込んで

しまい、病かな? と思わせるような言動に、こちらが戸惑うこともたび

たびある。


 気持ちは痛いほど分かるが、あまりいたずらに自分を追い込まない

こと。人生の目標は大切だが、できないこともあれば、加齢によりスピ

ードが落ちることもある。


 友人が、どうも以前と違う感じがして気になり、心療内科に行ったと

ころ、「病気ではありませんよ。敢えて病名を付けろと言うなら、退行

性のうつ症状、もしくは初老性のうつ症状ですね。心配いりませんよ。

あまり気にしないことが大事です」と言われた。


 彼女曰く「ま、いいか」と口に出して自分に言い聞かせるようにしてい

るらしい。それが結構いいのだという。自分をあまり縛らず、無理な目

標は立てずに楽なラインを引いたら、こなしていけることが多くなり、気

持ちが楽になった、と言う。


 悩んだ末の工夫で明るい表情が戻ってきた。とてもうれしい。


 私も彼女に倣って「ま、いいか」と言うようにしている。自分に対しても、

夫に対しても。そして大事なのは周囲の人に対しても、この寛容の精神

は大切だろう。言うべきことは言っても、あとは許してあげる。そう心がけ

ていこうと思う。

  

心癒す紫陽花の花

 先日、友人が庭に咲く紫陽花の花をついでだからと言って届けて

くれた。ちょうど花をきらせていただけにすぐに花瓶に生け、部屋に

飾った。たちどころにいつもの変哲のない部屋が生き生きと蘇った

感さえした。


 仕事を終え帰宅すると、一番喜んだのは夫だった。顔に似合わず、

部屋を彩る花々には、いつもの疲れが癒されるらしい。


 時間があると私も花屋の店先でしばし花に見惚れ、花瓶の色や形

を思い浮かべながら買い求めることがある。花の命は短いが、その

短さ故に命を吹き込む力が強いのかも知れない。


 俗に言う「一期一会」は一瞬の出会いが人生を運命づける意味合

いを持つ。茶の心はその一瞬にすべての心を凝縮させるもてなしを

示唆している。


 古の先達は時間を永遠ならしめる為の心の置き方を教えてくれた

のだと思う。人と人との出会いを大切にする、気配りを忘れない、こ

の当たり前のことを軽視してはいけないと、紫陽花を届けてくれた友

人の温かい心に感謝。

親しき仲にも礼儀あり

 こじゃれた店が下町にも増え、当店のような「リフォームの必要あり」

というような店は本当に少なくなった。

 

 「いいんだよ、これが」と言って下さるお客様に支えられて不況の波も

苦にならずに楽しく仕事に向かえることに日々感謝。


 先日、常連のお客様が「自分で稼いで飲むからおいしいんで、おごら

れっぱなしで平気というのは正直ムカつくよね」とポツリ。


 返答を求められたので「私もそう思うわ。人から何かをしてもらうことが

当たり前になってはいけない。親しき仲にも礼儀あり」と答えた。


 俗によく言う「酒の席だから」もほどほど。限度というものがある。人様に

不快感を与えてはやはりレッドカード。「つまらないことをいうな」と言いた

い気持ちも分かるが、そのつまらないことで親の教育や家族まで云々さ

れるのも現実だ。ゆき過ぎたら心から謝罪する、ご馳走になったらきちん

とお礼を言う。この当たり前のことができない人があまりに増えている。


 こんなことを言うと、私もずいぶん年をとったのかな? と思うのだが、これ

は時代に関係ないはず。


 1週間ほど前、結婚が決まったカップルが挨拶かたがた来店。親友が


 「驚いたよ。飲みに行くと言うと彼女が飲み代をきちんと渡すらしいんだ。

それって、いいよね。その配慮が可愛いよ」と。


 微笑ましい瞬間だった。人間が大人へと自立していく過程は見ていてと

ても新鮮だ。

プライド

 プライドのない人間はいない。人間としての真のプライドをどこで

表していくかでその人の価値観が分かるような気がする。


 当店のような赤提灯の店は、あからさまに本性をむき出しにする

方もいらして(本当に数少ないのですが)、私も表情に出さなければ

大人? と言われるのかもしれないが、そうはいかない時もある。


 昨年のことだが、見た目はきちんとしたサラリーマンの二人連れ

が来店。近所の葬儀で軽くお清めをした後の来店だったらしく、ほ

ろ酔いだった。


「お奨めは?」との言葉を聞いた隣の女性客がこれまた酔いも手伝

って「ここは何でもおいしいけど、一番はママさんです」と冗談を言

った。すると

 

 「それではひとつそのママさんをいただきましょうか?」


 「当店はそういう店ではございませんので、お間違いではありませ

んか」


 と、眼光鋭く言い放ったところ、酔っていた客が申し訳なさそうな顔

をして、多分、私の推測する普段の仕事顔に戻った。


 こんなエピソードはどこの店にもある話だろうが、それを許さないの

は、私の価値観でもあり、女性を蔑視するような発言は、酒の席でも

許されないと思う。


 俗に言う「あの店は客層が悪い」とよく聞く話だが、来店された方が

気持ちよく飲んで食べていけるようにと配慮するのは当たり前のこと。


 「松っちゃんは客層がいいから、女性でも行ける」と言われるのは、私

ども夫婦が酔い過ぎたお客様の来店をきちんとお断りするなど、目に見

えないところでの気配りは欠かせない。


 こうした生意気のようだがポリシーのようなものがその店を形成してい

くような気がする。