神戸動物王国のビントロング
レイさんが東山のビントロングの画像ではどんな動物かわからないとご指摘受けましたので
ご覧ください。
尻尾切れていますが
伊藤圭介の特別室が東山動植物園にあります。
伊藤 圭介(いとう けいすけ、1803年2月18日(享和3年1月27日)- 1901年(明治34年)1月20日)は、幕末から明治期の本草学者・蘭学者・博物学者・医学者。日本初の理学博士。男爵。「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作った事でも知られる。尾張国名古屋(現愛知県名古屋市)出身。名は舜民、清 … 詳細
昨日東山動植物園で「海を渡った伊藤圭介資料とシンガポール植物園」の講座がありました。
尾張藩の植物学者伊藤圭介の資料がシンガポール植物園で展示されました
ちょうど、シンガポール植物園で東山植物園園長がお世話になったシンガポール植物園の方が顔出したのに、
気が利かない
挨拶してもらえばよかったのに、
講演内容は写真見せるだけで、、、誰も質問しない、
先日のNPOのうららたちアジアゾウの飼育員さんの話とは大違いで誰も質問もしない
今日の画像はシンガポールの動物園や広大な世界遺産植物園へ行った時のもの。。
盆栽コーナー
イタリアやイギリスで観た、沈床ガーデンもありました。
シンガポール植物園 | アジア, シンガポール | 世界遺産ガイド (world-heritage.net)
シンガポール植物園の歴史は、イギリス植民地時代の1822年にシンガポールの建設の父と呼ばれるラッフルズによって、実験植物園が設立されたことに始まります。
ラッフルズはイギリスの植民地行政官で、この植物園は彼が果物、野菜、香辛料などの栽培に関する研究を行うためのものでした。実験的に造られたこの植物園は1829年に閉園。
1859年に農業園芸協会によって現在のシンガポール植物園が設立されました。開園後はイギリスのキュー王立植物園から協力を得て、東南アジアにおける植物研究所として本格的に研究が開始。特にゴムの木やランの研究が積極的に行われます。
10年以上にも及ぶ研究の結果、プランテーションで効率的なゴムの生産技術が開発されました。これこそが、シンガポールの発展につながるものでした。現在でもシンガポール植物園は、科学、研究、植物保存などにおいて重要な拠点になっています。
続期はリンク先へどうぞ。
世界遺産登録の経緯
シンガポールはチャンギ空港から蝶など見せてくれるし、このマリーナベイは巨大で腰が抜けるほどでした。
有名なホテルのプールも見学だけはしました。
同感です、自然権は憲法蹂躙してもその上にあります。
健康な人にワク必要⁉
原発は普段から放射能漏れているし、事故は淫靡されるし、、故郷、自然は残酷に奪われます、いつもありがとうございます。
戦争屋のポチには退場してもらわないと pic.twitter.com/HXdnDS6U5R
— まるこ@改憲反対 (@99efe049e058449) March 4, 2023