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3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。

 

 

2023年登場人物紹介はこちらからどうぞびっくりマーク

 

 

アメンバーはコメントを交わして仲良くなった方を承認させてもらっています。ご容赦ください。まずは気軽にコメントをどうぞ〜にっこり

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災についての記事になります。

現在の能登半島の状況とリンクし、ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、もし、お嫌だと少しでも思われたらここでそっとお閉じください。

 

 

 

続きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『1月17日を忘れたことはない⑩』ご訪問いただきありがとうございます。かいマムと申します  3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。  2023年登場人物紹介は…リンクameblo.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日で最終回となります。

 

 

多くの方に毎日読んでいただけたこと、ありがたく思います。

全15回毎回3000~4000字だったので薄めの新書くらい書きました。

 

 

 

 

本一冊書けるくらい溜まってたんだな、と自分でも驚きました。

そしてリサーチ(体験)が済んでたら2週間で本って書けちゃうんだなと新たな発見でした。

 

 

 

 

 

地震発生から、避難、避難所の生活、復興への過程について私の知っている「生(なま)」なことを書いてきたつもりです。インタビュアーに、お気持ちはいかがでしょうか?と聞かれて、これまで私が書いてきたような、生々しい話をカメラの前でできる人は日本人にはちょっといないはずです。

 

 

 

 

災害時には人間のいろんな側面が悲喜こもごもに錯綜します。

本当は普段だって錯綜してるんだけれども、日常というルーティンの枠の中に押し込められていたものが、日常が破壊されることによって噴出するのです。

 

 

 

 

中学生だったマムは日常が破壊されたおかげで、隷属的な家族関係から、いつか出ていくのだ、という意思を固めることができました。高校生活の間に自立のための資金作り、勉強という準備をすることができたので、東京への進学を機に私は人生をやり直すことができました。そういう意味で私にとっては震災は禊であり、生涯忘れえぬ日です。

 

 

 

 

あの日が生涯忘れ得ぬ日な人は大勢います。

 

 

 

みなそれぞれ違う意味で忘れ得ぬ日なのです。

 

 

 

 

そして、今、雪のふる中、厳しい被災生活を送っておられる能登半島の皆さんにとっても忘れようもない日々になるのだと思います。

 

 

 

 

気にかけている、必要な援助があればいつでも申し出てほしい、私たちももまた、忘れてないよ、そういう思いが被災地の皆さんに伝わって支えになったらいいなと思います。現在も兵庫県が災害発生時にいち早く専門家チームを現地派遣できるのは、私たちがあの日々を忘れられないからなのです。

 

 

 

 

復興には何年もの歳月がかかります。

喪失感は繰り返し襲ってくるでしょう。

 

 

それでも人は生きたいと思える限り生き続けるのです。

生きることが復興なのです。

 

 

 

 

最後になりましたが、このトピックをきっかけにご自身の家庭の防災について再考された方が多かったようなので、防災について書かせてください。

 

 

 

 

 

 

 

防災に絶対解はありません。

安直にこれを備えていれば大丈夫、ということはないのです。

防災準備の前に考えなくてはいけないことがあります。

 

 

 

お住まいの家のスペック

 

地盤の強度は?耐震強度や蓄電池太陽光発電などの災害設備は?特にガス機器に地震の揺れを感知したら自動で火が消えるセーフティがついているかどうか。

 

 

 

 

お住まいの地区の地理的条件

 

海岸線なのか、崖の上なのか、川のそばなのか、木造住宅の密集する地域なのか

 

 

 

 

 

災害が起きた日の気候的条件

 

夏なのか、冬なのか、台風なのか、雪なのか

 

 

 

お住まいの地域の避難所の状況

 

歩いていける避難所なのか?歩いて何分かかる避難所なのか、避難所に自家発電設備はあるのか、避難所の定員は何名なのか?東京都の場合、人口に対して圧倒的に避難所が不足しています。タワマンに関しては避難所への収容対象外としている区もあるくらいです。

 

 

 

 

避難する家族の身体的条件

 

避難所までの距離、交通手段によって自力で避難できるのか否か、介助が必要な家族がいる場合、高齢者、乳幼児、その人たちを介助すると荷物はほとんど持てなくなる、という覚悟を決めねばなりません。持ち物がかなり厳選されるはずです。またペットのいる方は、避難所がペットも避難可のところなのか、そうじゃない場合どうするのか、ということも考えておいたほうが良いです。

 

 

 

 

どの時間帯に災害が起きるか?

 

就労就学の家族がいる場合、どの順番でむかえにいくか、災害時のお迎えのルールなどが団体ごとに決まっているはずです。子供が複数いて、一人が就労先で帰宅困難になった場合、お迎えが不可能、なんてことも起こり得ます。防災訓練の時に、そういうことを想定すること、またそういう時にはどうしたらいいか、先生に質問しておくことはとても重要です。

 

 

 

普段の防犯上見えるところでは危ないのですが、住所氏名親の連絡先、持病のあるお子さんだったら持病への対応、かかりつけ病院などの書いてある紙を、パッとは見えないけれど、よく探したらわかるところに携行させたほうが良いです。

 

 

 

親と子が生き別れる可能性も大いにあります。

 

 

 

 

 

 

そもそもなんの災害に備えるの?

 

 

地震、台風、津波、地震による類焼火災、土砂崩れ、河川の決壊による洪水....

お住まいの地域、お住まいの家の条件によって備えられる災害と備えられない災害があるはずです。このケースではこう、という想定が防災では重要なはずです。

 

 

 

マム家も家を買う時に、すぐ近くのネームバリューのある高級住宅地にするか、今の駅近のところにするか迷いました。しかし高級住宅地の方には古い木造家屋が多く、年配の方も多くお住まいで、類焼火災からは逃げようがない、と思ったのと、高級住宅地って大体高台にあるのですが、確かに洪水からは有利だが、いざ避難となった際に私が子供を3人抱ええて坂道を避難できると思えませんでした。

 

 

 

 

 

 

総括すると、「物」の前に「事」を考えることが防災なのだと思います。

災害発生時、少ない情報の中で普段からこうだった場合こうしよう、という決断ができていることは生存率に直結します。

 

 

もちろん物はあることに越したことはないのだけれど、事態によって必要な物は変わってくるのでこれを買えば安心ということはおそらく永遠にないのです。

 

 

 

 

 

マム家の場合、管轄避難所はきぃまるの通う小学校です。

自家発電設備はなし、体育館は1Fなため、洪水で避難するとなると2Fと3F教室になりますが、そもそも2クラスしかない極小小学校なので、人口的に近隣住民が十分に避難することができません。

 

 

 

 

我が家はまだ新築でそれなりの耐震強度を取得してますので、自宅避難が可能な限り自宅避難をする予定で備えています。土地を買う際に過去200年分の災害記録を区役所と郷土資料館で調べました。昭和に一度40cmの床上浸水の記録があり、基礎を40cm上げました。洪水の際には1Fを失うことも想定しています。

 

 

 

 

 

「物」の前に「事」

 

 

 

そんなこと言ってもイメージつかないよ〜という方はNHKが南海トラフを想定して作ったドラマがわかりやすいかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

キャンプジャンルじゃないよな〜でもどのジャンルでもなさそうだ、と思ってお引っ越しできずに全15回綴りました。

 

 

 

 

 

長々と読んでいきただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

 

能登半島の皆様が日常を取り戻す日が一刻も早くきますように。

 

 

 

かいマム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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