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かいマムと申します指差し

 

 

3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。

 

 

2023年登場人物紹介はこちらからどうぞびっくりマーク

 

 

アメンバーはコメントを交わして仲良くなった方を承認させてもらっています。ご容赦ください。まずは気軽にコメントをどうぞ〜にっこり

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災についての記事になります。

現在の能登半島の状況とリンクし、ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、もし、お嫌だと少しでも思われたらここでそっとお閉じください。

 

 

 

続きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マム!窓空いたぞ!これはえらいことや。」

 

 

父が叫んでいました。

 

 

 

子供部屋は廊下に面していて、窓から外に出られるのです。

窓から見る外の世界がいつもと違います。

世界が斜めっています。

(マンションが折れて斜めってる。)

 

 

 

 

 

 

 

「お父さんこれ、斜めってる?なんか低い?どうなってるん?」

 

 

 

 

「これは下が潰れてるな。お前たちまだ出るなよ」

 

 

 

 

父が窓から廊下に出て、階段を見に行きました。

母も飛び出して行きました。(ちゅけと一緒で頭に血が登ったら考えるより先に飛び出して行きたいお祭り女です。片親が出てったら片親は子供のそばにいるべきなどという理性が働きません。)

 

 

 

 

 

またか、とため息をついてマムは大人しくしてる自閉症の姉ちゃんに、今確認してるから怪我したらあかんからこっから動いたらあかんよ、と言って、リビングで姉ちゃんの薬を探すことにしました。

 

 

 

 

 

避難するなら絶対に姉の薬が必要なのです。

飛び出す前に親がやるべきことだと思います。

 

 

 

 

 

防災意識が低く避難袋などという備えがなかったので、私の部活バッグがちょうど色々入っていて都合が良く、そこに姉ちゃんの薬と障害者手帳だけなんとか見つけて詰め込みました。

 

 

 

 

マンション中の人が廊下に出てきて大騒ぎを始めました。

我が家は3階だったのですが、メインの階段は1.2階が完全に潰れて埋もれてそこから出ることはできません。

階段が潰れて瓦礫で埋もれている光景は結構ショックでした。

 

 

 

 

外についてる非常階段を何人かの男性で通行可能か見に行きました。

 

 

 

 

1.2階が潰れて全体的に建物が斜めに傾げている状態だったので、非常階段も最後の部分が70~80cm浮いて本来基礎に埋まっていたはずの鉄筋が浮き上がってる状態でした。

 

 

 

 

父たちは余震と建物の倒壊の危険をこの時初めて知り、外に出るぞ!!!とみんな外に出ることになりました。

 

 

 

 

 

阪神淡路の教訓が生きて、今でこそ地震が起きたことを具体的に想定した避難訓練が、学校や会社で行われていると思いますが、これに加えて津波が来ることを想定していたら、こんなのんびりと確認してから避難しようか〜では命が危ないのだ、と、今ならわかります。

 

 

 

 

 

東日本大震災の時に、津波への古い教えが残っていて、何をおいてでも即時高台へ避難した方が多かったことは本当にすごいことだと思います。それでもたくさんの尊い命が失われました。

 

 

 

 

 

この当時の関西地方の人たちは本当にどうしていいかわからなかったのです。

 

 

 

 

 

以降災害が起きるたびに、兵庫県の防災チームがほぼ一番に被災地入りし続けています。今回も1月2日には防災担当職員が現地入りし、即時調査、必要なチームの要請を行い、3日には専門家チームをヘリで派遣、その後も適材適所に人的支援、物資支援を行っています。

 

 

 

 

あの地震で初動の重要性をまざまざと思い知った結果なのだな、といつもニュースをみて感心しています。

 

 

 

 

また、被害の少ない近隣他県からの援助こそ重要(実は阪神淡路の時には連携がうまくいかず、被害の大きかった兵庫県に対し、大阪府などは迅速な援助ができなかったという苦い経験があります。)という経験を生かし、災害時における広域応援協定を呼びかけたのも兵庫県です。災害が起きる前から、有事にはどの県がどのように援助に動くか、ということを事前に話し合っておこう、という呼びかけを行ったのです。

 

 

 

 

 

 

 

さて、しばらくすると、小さい頃よく預けられていた、上の階のおばちゃんがセクシーネグリジェのまま、降りてきて「マムちゃん大丈夫やからね、大丈夫やからね、大丈夫やからね、大丈夫やからね!」と叫んでいました。正直めっちゃびっくりしました。いや、おばちゃん落ち着こ、先、着替えよ、と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

大正の関東大震災の時には多くの女性が和服で救助されると下から丸見えになってしまうので、救助を拒んで亡くなったという記録があるそうですが、明らかにパジャマというよりは、部屋着程度な感じで寝るのも防災の一環なのかもしれないですね。

 

 

 

 

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