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かいマムと申します
3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。
2023年登場人物紹介はこちらからどうぞ
アメンバーはコメントを交わして仲良くなった方を承認させてもらっています。ご容赦ください。まずは気軽にコメントをどうぞ〜
阪神淡路大震災についての記事になります。
現在の能登半島の状況とリンクし、ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、もし、お嫌だと少しでも思われたらここでそっとお閉じください。
続きです。
続きです。
3日目の夜、大阪の事務所に行った父が立花駅(尼崎)から芦屋駅までをまた歩いて帰ってきました。
事務所で自分だけさっぱりシャワーを浴びてきていました。
「立花までは2号線(国道)もガタガタやし、えらいことなんやが、淀川超えて、梅田はなんともない。びっくりするくらい普通や。もう日常や。大阪では神戸のことなんか関係なくみんな普通に仕事しとる。これはオレも、もう東京の方にもいかなあかん」
うわぁ....でたぁ...。
家のこと完全放置。
障害のある姉も、突っ走り気味の母も全放置です。
しかも人命救助のためとかでなく、自分の事業が〜っていう話です。
4日目にも父は普通に大阪の事務所に行きました。
「スーツと革靴出しといて」とだけ言い残して。
全壊した家からスーツを発掘しとけということです、シュールすぎますね。
父はその後、全壊した家屋から二度と家財を掘り出すことはしませんでした。
そればかりか、夜は事務所に自分だけ泊まってもはや避難所に帰ることもなかったのです。
父の「大阪は普通や!!」発言は避難所の中で波紋を呼びました。
みんな苦しい、みんな悲惨だ、みんなで助け合わないと、という空気が、それこそみんなの心を支えていたのに、川を一本隔てた大阪では、なんか大変なんやな〜、と日常が繰り広げられている、というのです。
避難所に、「え、オレも私も会社行かないとあかんのかな??」的な空気も父のせいで湧き上がりました。
また、4日目にモヤモヤしながら家財堀をしていると外から「マムさーんマムさんはいらっしゃいますかー」とでっかい声で呼ばれました。なんと、警察官です。え、私何かしたかな?
「兵庫県警の〇〇と申します。本日は〇〇さんの依頼により、安否確認に参りました!」
「へ?」
なんと、当時私が通学していた私立中学に、母が私の安否連絡を怠っていたのです。学校中で安否確認ができないのが私だけだったそうで同級生のお父さんに県警の大変お偉いさんがいらっしゃいまして、職権濫用で探してくださったのです。
こんっの非常事態に警官という貴重な人材を浪費するハメになるなんて....母を責めました。私は母から見て、自立している大人と認識されているらしく、私のことで何かしてあげる必要というのを一切感知していなかったそうです。(義務教育課程ですので、法的に親の責任を問える案件です。)
とにかく無事であることと、申し訳ないことこの上ないのですぐにご自分のお仕事に戻っていただくよう警察官の方にお伝えしました。
毎日肉体労働と埃っぽさで神経がすり減っていく中、5日目には前述のおじいさんのように避難所を離脱する方も現れ始めました。
私たちも5日目にはお風呂の限界を感じて、吹田市の母の友人宅にお風呂を借りにいくことになりました。
芦屋から立花までやく10kmを歩いて、立花と大阪の間に電車が動いているのを見たのがまずショックでした。
う、動いてる!!!
JR神戸線のすぐ近くに住んでいて、幹線として昼夜を分かたず常に音を立てていた線路がずーーーっと静寂だったのです。久しぶりの電車の音にドキドキしました。
そして梅田について、仰天しました。
父の言う通り、本当になんともないのです。
ザ、日常
女性はメイクしてスカートでハイヒール履いて、綺麗なコートにフワフワのマフラーでした。百貨店のショーウィンドウも煌びやかで鮮やかで、今この空間に5日間風呂に入っていないの、絶対私たちだけ!!!!
私たちはといえば、靴は発掘できたものを選ぶ余地もなくあるものを履いて、着る物も引っ張り出せたものを着て、とにかく寒さがしのげれば!という状態。毎日の発掘作業で全体的に埃っぽく、しかも洗濯が一切できていなかったのでお風呂を借りるお宅で洗濯をさせてもらおうと思って、大量の汚れ物も持ってきていました。
また、避難所で貴重書類の保管などが不可能だったため、お風呂を借りるお友達のうちで預かってもらうことになっていたため、まさにこの日ズタボロで一家の貴重品を持って移動する流浪の家族になっていました。
それでも被災地ではその格好で別に浮くこともなくフツーだったのですが、梅田にきた私たちは、本やマンガで見たことのある戦後引揚者そのものだったのです。
神戸は湧水の豊な地です。
いわゆる六甲のおいしい水。
普通の銭湯でも井戸と薪でお湯を沸かしているところが多くあります。ボイラーの復旧ができ次第、こうした銭湯の多くが被災地で無料でお風呂の提供をしていました。残念ながらお隣の大阪で被災者に風呂を無償提供しようという動きは一度もなく、(あったとしても神戸の被災者にその情報が伝わることはなく)私たちも知り合いが住む千里中央(大阪でもだいぶ北、神戸からかなり遠い)まで出かけたのです。
お風呂を借りに。
自衛隊の仮設風呂が設営されたのは震災から2週間以上経ってからだったのではないかと思います。しかも1日に400人しか入れず、私たちの避難所からは交通手段のない遠い場所にそれは設置されました。入浴順序が混乱を極めていたため、私たちは1週間おきにこちらのお宅にお風呂を借りに来ることになりました。
大阪に来ると、お金を払えばレストランで温かいものが食べられる。
電気もガスも水道も通ってる。
往復20km歩くことなどなんとも思いません。
(あねちゃんには相当キツそうでした。)
まるで異世界転生でもしてるような気分でした。
どちらが異世界でどちらが現実世界なのかもわかりませんが。
父は震災発生から1週間ほどで東京のマンションに行ってしまいました。
ワンマン社長だったので、オレがいないと会社が!と言ってましたが、本音を言うと避難所がもうこれ以上耐えられず、逃げたんだな、と思います、多分。彼は、東日本大震災の時には放射能汚染が!と言って、あっという間に芦屋に帰りましたので。
下水道設備も1週間では当然復旧できず、川の水を汲んで流していた室内のトイレも下水の支線が詰まってしまい、使用不可能になりました。なんとか、市からの仮説トイレが間に合いましたが、1月の寒空に雨や雪が降っても外までトイレに行かなくてはいけないこと、初めての汲み取り式だ、匂いに閉口したこと、夜中は懐中電灯を持って汲み取り式のトイレに行くのの恐ろしいことといったらありませんでした。後から聞いた話では、トイレで若い女性が襲われる事件も多発していたそうです。娘さんのいるご家庭では本当に気を抜かないでいただきたいです。私も肝に銘じています。
最後に誤解のないよう付け加えたいのですが、大阪の人が冷たいわけではなく、むしろ人情家の人の多い土地柄だと思いますが、断層地震というものがあまりにもピンポイントに断層の走っているところのみを破壊するので、被害がほとんどなかった大阪では、神戸が復興までに何年もかかる壊滅状態であるということを一般市民の方が理解できなかったのです。
現に阪南人の夫と結婚してのち、え?阪神淡路大震災?何か大変やったっけ?という認識だったので。
まさに対岸の火事ならぬ対岸の地震だったのです。
今日は4000字超えました。
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