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かいマムと申します指差し

 

 

3人兄妹と共働きアラフォー夫婦のドタバタ珍道中を書いております。

 

 

2023年登場人物紹介はこちらからどうぞびっくりマーク

 

 

アメンバーはコメントを交わして仲良くなった方を承認させてもらっています。ご容赦ください。まずは気軽にコメントをどうぞ〜にっこり

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災についての記事になります。

現在の能登半島の状況とリンクし、ご不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、もし、お嫌だと少しでも思われたらここでそっとお閉じください。

 

 

 

続きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きです。

 

 

震災発生から2日目の夜に市からお弁当が配給されました。

 

 

 

文化センターの職員さんのご厚意でスープも作ってもらえました。

 

 

 

お弁当は冷たかったけど、

初日に自分で持ち出したお菓子少々、

初日の夜におにぎり

以降何も食べていなかったので、

 

 

 

 

五臓六腑に染み渡る

 

 

 

 

という言葉を実体験できました。

ご飯を食べるということは、日常を取り戻すための第一歩です。

 

 

 

 

 

2日目の夜の大人たちの話し合いの盗み聞きをするところによると、治安がとても悪くなっている、関西中から、いや下手したら全国から泥棒が来ているのではないか、見知らぬ人がいたら声かけをするべき、だ、子供たちは一人で外に出してはいけない、と。

 

 

 

 

 

私たちのマンションには反社会勢力の方が住んでいました。

 

 

 

 

ペット禁止のマンションで大型犬を2匹も飼い、奥さんとお子さんらしき人がいるのですが、苗字は別、と、子供心に壁を感じる人でした。

この方が、マンションの前に街宣車を常に停めて若い衆に交代で見張らせる、と言ってくれました。

 

 

 

効果は絶大だったと思います...。

 

 

 

 

 

また、当時は携帯電話を持っている人などほとんどおらず(阪神淡路大震災ののち、実は東京よりも関西地方の方があっという間に携帯電話の普及率が高まったそうです。)、親戚に無事を伝えたく公衆電話の長蛇の列に並ぶのですが、電話線も断線しているのか、繋がったり繋がらなかったりで...。

 

 

 

 

 

そんな中この反社会勢力の方、携帯電話をお持ちで、みんなに貸してくださったんですよね。当時は通話料がとても高かったので、とんでもない値段になっていたと思います。

 

 

 

 

 

マンションは完全に折れてしまいましたが、同じ敷地内に潰れた1.2階の会社の持つ倉庫があり、そちらは無事で施錠ができそうでした。空き巣の被害にあうのは目に見えているので、持ち出せる物をそちらに移せないか聞いてみよう、ということになりました。会社をどうするか当面分からないのでいいですよ、と二つ返事いただき、以降、家財の移動も作業の一つとなりました。その時に、新聞配達のかたは慌てて朝刊を落としていったけど無事だということも聞けました。

 

 

 

 

 

 

余震が続いていたので、倒壊を防ぐためにひと家族ずつ交代で入って家財を出すことになりました。避難所にもきのみきのままでみんな来てしまっていたので、生活するために物が必要でした。

 

 

 

 

なんでもひとつずつ話し合いながら進めることの重要性を知りました。

それと情報の真偽を見定めること。

 

 

 

 

 

 

2日目の夜にはもうお風呂に入りたかった。

お年頃でしたしね。

しかしそれは当面叶わぬ願いでした。

 

 

 

 

 

 

私はたまたま避難してすぐと生理の周期が重ならなかったので、苦労しなかったのですが、女性の方と赤ちゃんは生理用品とオムツは本当に必要です。衛生状況の悪化から健康を損ねるので。

 

 

 

 

 

3日目には順番に1家族30分ずつ家財の持ち出し作業をすることになりました。

私は小さい子たちを預かって避難所で保育園状態でした。(姉ももちろん保育の対象)

 

 

 

 

 

避難所に小学校の同級生が一人いて、男の子だったのですが、小学生の時には気の合う友人だったので、一緒に子供たちと遊びました。一人っ子のはずの彼が小さい子たちと遊び慣れているのをみてとても驚きました。束の間の安息でした。

 

 

 

 

今は中高生の避難者たちはSNSで互いの状況を話したりして心の安定をはかっている、というのをニュースで聞きましたが、思春期の子供たちにとって避難所は隔絶した場所で、同世代の友人とのコミュニケーションは非常に重要なのだと思います。

 

 

 

 

 

3日目からは1日に2回配給が来るようになりました。

 

 

 

 

お昼を食べに帰宅した母を警察が訪ねてきました。

 

 

 

 

独居の方で亡くなった方の身元がわからない。顔の確認に協力してほしいということでした。

 

 

 

 

なんせ6000人もの人が亡くなっているのです。

2〜3日目からは遺体を収容しておく場所が圧倒的に不足しました。

野鳥や獣害につながるので野ざらしにするわけには行きません。

 

 

 

 

私たちが通っていた小学校は初め避難所として使用されていましたが、体育館は遺体置き場に代わり、すでに避難所の引っ越しを余儀なくされる人が出ていました。母も小学校に身元の確認に行きました。

 

 

 

 

 

帰ってきた母にどうやった?と聞きました。

 

 

 

 

 

「わからん!多分そうですとしか言いようがないわ。だって顔ない人もおるんやもん、そんなん確認しろ言われたって無茶やで!」

 

 

 

 

(実母は同級生の親御さんの年代からはかなり上で、下手すると私にとってはおばあさん世代の人です。戦争経験者でB29から逃げたこともあるくらいの人なので、ご遺体をみてショックを受けるとかそういうことの全くない人です。ネグレクト、と何度も書いていますが、これも結果的にそうなっただけで、本人の戦後のハードボイルドな生い立ちからすると、そんなもん、という感じなのかもしれませんね。)

 

 

 

 

 

 

「あ、小学校にちいちゃんたち(マンションがガス爆発した幼馴染)おったで!!」

 

 

 

「ホンマか!よかったぁ、みんな元気やった?」

 

 

 

「うん家族みんな無事やったで、やけど、あっちはやっぱり暖房ないからきっついな。」

 

 

 

 

 

避難所に自家発電設備必須かもしれません。

 

 

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