もこ太郎の平成阿房列車 -16ページ目

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
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8時14分


姨捨から、傷心の私を拾ったのは、松本行き列車であった。


良い機会なので、初めての旅 の時から少し気になっていた駅を訪れてみることにした。



姨捨を発つと、善光寺平に別れを告げる直前に、スイッチバックらしい引き込み線が現れる。

これは桑ノ原信号場と同じく、スイッチバック形式の信号場(羽尾信号場)である。

しかし、平成20年3月のダイヤ改正以降、この信号場は使われていないらしい。


羽尾信号場を過ぎると、長いトンネルに入る。


そのトンネルを抜けたところに、目的の駅がある。

私はその駅で下車した。



「冠着駅」

駅名標を見ると、「かむりき」と読ませるのがわかる。

もこ太郎の平成阿房列車


相対式ホーム2面2線を有する駅。互いのホームは跨線橋で連絡される。

長いホームを有するこの駅は決して小さくはないが、下車したのは私一人。乗車した人はいなかった。

もこ太郎の平成阿房列車

非常に閑静な山奥にこの駅は存在した。


松本方面のホームは駅舎と出入り口があるが、長野方面のホームには小さな待合室以外には何もなく、草原と雑木林に囲まれている。


もこ太郎の平成阿房列車

駅から外に出てみると、民家は見られない。

これでは静かであるのも、乗客がいないのも頷ける。



駅から真っ直ぐ伸びている道を少し進んで振り返ると、

森の中にひっそり佇む木造の駅舎が非常に味わい深く浮かび上がっていた。

とても良い雰囲気だ。

秘境感も十分味わえるであろう。


もこ太郎の平成阿房列車

そして驚いたことに、こんな駅にも駅員がいたのである。


もこ太郎の平成阿房列車

駅員はJRの正社員ではなく、委託社員のようだ。


ホームで佇んでいると、383系の特急「しなの」が、静寂を劈くような猛スピードで名古屋に向かっていった。


もこ太郎の平成阿房列車

ホームには、朝の日光が惜しげもなく、目いっぱい眩しく降り注ぐ。


もこ太郎の平成阿房列車

今更ながら、昨日の夜、姨捨から最終列車でこの駅に移動して、ここで駅寝するのも良かったなと思った。


また一つ、思い出に残る駅に訪れることができて、気持ちも幾分か晴れた。


3分程の遅れを伴って、長野行きの列車が到着した。

私はその列車に乗り、帰宅の途につく。



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(今回の記事は、長い文章になっております。お時間に余裕のある時にお読み頂けたら幸いです)


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篠ノ井駅から、松本行きの列車に乗り込み、2駅行ったところに、その駅はある。



姨捨駅



初めての旅に訪れた時 は、真昼だった。
次は、必ず夜景を見に来たいと、ずっと願ってた…

今日は日もほぼ沈んでいる。
姨捨に向かう途中の車窓から、明かりが灯り始めた日本三大車窓、善光寺平の景色が徐々に広がっていく。


そして列車は、引き込み線に入り、スイッチバックで姨捨駅のホームに入線する。



ついに


帰ってきた…




言葉に表せないほどの、素晴らしい夜景が出迎えてくれた。

もこ太郎の平成阿房列車


吸い込まれるようにホームに足を踏み下ろした途端、涙が出てきそうになった…
感動もあるけど、それ以上に、私の心の中にある、煮詰まったものが全て溢れ出てくる…
初めて訪れた時と、気持ちが全く違う。
こんな筈じゃなかったんだけど…


しかし、何故だ?

ここに来ると、凄く心が洗われ、凄く素直な気持ちになれるような気がする。

ここで私の気持ちは偽れない。

それだけは、初めて訪れた時となんら変わりはない。




しばらくすると、遥か彼方で、花火があがった。
偶然にも、今日はどこかで花火大会が行われているようだ。
美しい夜景に、さらに彩が添えられる。
これ以上無いほどの美しい夜景た。



ホームには暫く、夜景を眺めに来たカップルや家族連れがいたが、午後10時を過ぎたあたりから人はほとんどいなくなった。

その頃からだ。

寒空の中、徐々に光が消えてゆく夜景を見ながら、とめどなく涙があふれてくる…









悔しい…


自分が情けない…







仕事は相変わらず、うだつが上がらない。

先週も先々週も、私に関わる人達全員に迷惑をかけ続けている…



「いい加減にしろよ!」

「みんな、こいつと同じミスをしたら、恥だと思え!」

「お前は普通ならばとっくに田舎の営業所に飛ばされてる身だ!

 でもどの職場にいってもお前は使えないから、しょうがないからここにいるだけだ!」


私は何を言われても何も言い返せず、いつも下を向いたままだ。


仕事ができなくなったのは、離婚のせいだ。
軽度の鬱だと診断されたし、今の自分には目標もないし…
そう自分に言い聞かせていたつもりだが、

「お前はそうやって、いつも何かのせいにして、逃げているんだ!」


逃げてる…?そうか…
人に言われて初めて気づくなんて、情けない…

しかも、よりによって相手が会社の人間かよ…


じゃあ俺の今までの旅も、実は単なる現実逃避に過ぎないうことか?
俺が残してきた数々の旅の思い出も写真も、何にも意味が無いのか…?




親父にも言われた。
離婚のこと、借金のこと、電話で延々と…
そして最後に、


「せっかく良い大学出て、良い会社に就職できて、そのざまは何だ!?
 どこまでお前は甘ったれなんだ!?もう二度と帰ってくるな!!」


そう言われた時、俺は親父に何も言えなかった。




そして、それよりも何よりも、娘のこと…

ちょうど2歳半を迎えた頃だ…
今どこで何をやっているのだろう…
元気にしているのだろうか…


娘との、ほんの2年の間だが、思い出が次々と溢れてくる。




君がこの世に生を受けた瞬間に、元気よく産声を上げてくれて、涙が溢れた事。



君の初めての産湯は、私が与えてあげた。

私の二つの手のひらに収まるほどの小さい君を、洗面所に連れて行き私が恐る恐るガーゼで体を拭いてあげる。

君は騒ぐこともなく、とてもいい子にしていてくれた。



1歳の誕生日。一升餅を背負わせると、転ばないように必死で立っていた君。



初めて君を私の実家に連れて帰った時、親族みんなに愛された事。

散歩中君が一人で駆け出したかと思うと、自分で「マテマテー」と言って走って逃げた事。



そして、最後に二人きりの時間を過ごしたこの年のゴールデンウイーク。

二人で牧場に行って、草原で追いかけっこして少し坂になっているところで二人同時に転んで、いっぱい笑ったこと。


遊園地のプレイコーナーで、飽きもせずに2時間以上もオモチャに戯れていた君。

一つの事につい夢中になってしまうところは、私と同じだ。




そんな最愛の君が、今私の手元に居ない。




もう言葉もはっきりしてくる時期だし、おむつ離れの時期でもある…
私の中の君は、まだおむつ離れができなく、私が休みの日には、おむつ替えをしてあげていたところ、
そして言葉もかたことでしか話せないところで、君は私の脳裏で止まっている。






私がもっとしっかりしていれば、君に迷惑をかけることもなかったんだ…




…会いたい…



娘のことが、頭から離れない…



しかし、その気持ちとは裏腹に、私は彼女に二度と会えない。


別れた元妻が、法的手続きを取って、私と娘を会わせないようにしてしまった、

という話を、向こうの実家から聞かされていた。



最愛の人との死に別れは、ある程度あきらめもつく。

しかし、相手が生きているのに会えない事。

これ以上に辛いことは無い。


胸が張り裂けそうな思いだ。
全身鞭打ちを受けるような気分だ。


しかし、娘は私とは比べ物にならないほど、もっともっと辛い思いをしている筈。

幼い娘にこんな辛い思いをさせるなんて、私は犯罪者同然だ…

私は父親失格だ。




…娘よ…

…ごめん…






自問自答、葛藤の時間が、溢れ出る涙とともに、いつまでも続いた。






既に最終列車の出る時間になった。
ホームから発車する長野行き最終列車に向かって、私は言葉にならない叫び声をあげる。





・・・・・・・・・・!!!!!





   姨捨の景色よ


   夜空よ


   駅よ


   線路よ


   列車よ



   俺を取り巻くすべてよ



   教えてくれ

   どうすれば俺は強くなれる?
   どうすれば俺は甘ったれでなくなる?
   どうすれば俺は逃げなくなる?

   どうすれば俺はもっと「大人」になれる…?





そんなことをずっと考えながら、待合室のベンチに体を横たえる。
いつの間にか眠りについてしまった…











































2011年10月10日

夜が明けたとほぼ同じくして、目が覚めた。午前5時半。


もこ太郎の平成阿房列車


駅寝でここまで気持ちよく寝れたのは初めてだ。
昨日、そんなに泣き疲れていたのかな…?



確かに、あれだけ泣いたのは、最初の妻を病気で失ったとき以来かもしれない…

その時は、もうこんなに涙を流すことは今後無いだろうと思ったものだが…




景色を見ると、街の明かりが消え、朝日が昇り街を照らし始める。

朝靄が、絶景の眺望を邪魔するようだ。


もこ太郎の平成阿房列車


私は駅を離れ、少し周辺を散策してみることにした。


すがすがしい朝だ。

稲刈りの終わった「田毎の月」とも呼ばれている棚田が、一面黄色に色映える。


もこ太郎の平成阿房列車


今年の役目を終えた何体かの案山子が、うつろ気に立ち尽くしているように見えた。


もこ太郎の平成阿房列車


民家の庭で、大勢の猫と戯れる老婆の姿。


もこ太郎の平成阿房列車


駅の近くにある小さな公園のそばで立ち話をする住民。


もこ太郎の平成阿房列車

途中で神社を見つけた。

進んで参拝など今までしたこともなかった私が、この日ばかりは参拝しようという気になった。



いつものせわしく時間だけがさっさと過ぎ去る朝はここには無い。

現実とかけ離れた朝がここにはあった。



ふと駅の方に目をやると、始発列車が走っていた。


もこ太郎の平成阿房列車


駅に戻り、列車がやってくる時間が近づく。


もこ太郎の平成阿房列車

私は決心した。
こんな素晴らしい景色に、こんなに弱い、情けない自分を見せられない。
それは恥であるとともに、この景色に対して失礼だ…


私がもっと強い大人になるまで、私は姨捨には戻らない。


大人になる方法は、まだ何にも分かっていない。

けど、次に来るときは、きっと強く、もっと大人になってくる。


それまでは戻ってこない。でも必ず、必ず戻ってくる、約束する。


姨捨駅との別れ際に、乗車駅証明証をもらうことにした。

何気なくもらったものだが、そうだ、これを私のお守りにしよう。
そして、これを見るたびに、駅で過ごした一夜のことを思い出さなければいけない。

決してあの夜の事を忘れてはいけない。

もこ太郎の平成阿房列車


そう心に誓って、姨捨駅を後にする…

しかし…
姨捨駅と別れる時、やはりまたほろっと来てしまった…


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本文はここから


小さい頃は、


新幹線の整備士さん


になりたいって言ってたような気がします・・・


運転手や車掌じゃなく、整備士に目をつけていた幼少の私は、当時から変わり者たんですねぇ~(^▽^;)



しかし今や、


新幹線大嫌い


になってしまいました…


過去の記事 で理屈っぽい理由を述べておりますが、

正直な理由は…



特急料金が高い!

フリー切符が使えない!


といったところでしょうか…?(・・;)



それに新幹線って、時間短縮の為に乗ってるようなもので、

何だか「自由に乗る物」でなく、「スケジュールに合わせて乗らされる物」ってイメージが強いんですよね~…



そんな私も、昔の0系、100系、200系なんかは、やっぱり思い入れが強いです。

私の世代って、新幹線といえばあの顔ですから!!



写真は、引退直前の200系です。


もこ太郎の平成阿房列車


以上、偏屈オヤジのたわ言でした~m(u_u)m

2011年10月9日



朝5時半の、人もまばらな本庄駅。

鉄道の日記念きっぷを握りしめて、また阿房列車を走らせようとしている自分がいる。


少々曇ってるせいか、さほど寒さは感じられない。
今日はいい天気になるだろうか…


さあ、今日は再びあの駅に行く…いや、「帰る」んだ…



目的地に向け、高崎線下り始発列車に乗って、倉賀野駅で下車。
ここで、今回初乗車となる地方交通線「八高線(はちこうせん)」の列車に乗り換える。

途中の乗り換えを挟んで、八王子まで向かう。

もこ太郎の平成阿房列車


高崎~高麗川(こまがわ)間は、単線・非電化路線。
キハ110系のディーゼル音が心地好い。


4人用でない、2人用のクロスシートに腰掛け、外の様子を伺う。
車窓からは、朝日の光りが降り注ぐ。

もこ太郎の平成阿房列車

八高線の高崎~高麗川間は、しばらく田園の真っ只中をゆっくり走る。
老人が犬の散歩をしている。のどかだ…
私の家の近くにも、こんな素晴らしい路線があったんだな…
たとえ朝日が眩しくても、カーテンを閉めるなんてできない。

景色が見れないなんて勿体ない。


倉賀野から1時間半程度で高麗川に到着。


もこ太郎の平成阿房列車

高麗川~八王子間は電化路線となる。

ここで205系に乗り換えだ。

もこ太郎の平成阿房列車


ここからの区間は雰囲気が一変し、車内も風景も急に都会っぽくなる。

あまり好きな雰囲気ではなくなった。

高麗川から50分程で八王子に到着。

大きな駅だ。人もせわしなく動いている。

もこ太郎の平成阿房列車

中央本線で、八王子から2駅隣の高尾に移動する。


高尾駅は、高尾山の登山者の玄関口となる。

3・4番線ホームには、巨大な天狗の顔面の石像が設置されている。


もこ太郎の平成阿房列車


今日は日曜日。

高尾で下りる乗客の大半は登山者のようだ。

その人たちは、京王高尾線乗り場に向かう。


そんな登山者をよそに、私は臨時列車「ホリデー快速ビューやまなし号」に乗り込む。

もこ太郎の平成阿房列車

高尾を過ぎた中央本線は、山の中をひた走る。

トンネルも非常に多く、「地下鉄中央本線」などと呼んでみたくなるほどだ…

しかしトンネルを抜けるたびに、山々の素晴らしい景色が広がる。

心が洗われる。

どこまで走っても山景色が広がる…
トンネル内はつまらないが、山の景色はどれだけ見ていても飽きが来ない。



2時間ほどで、終点「小淵沢(こぶちざわ)」に到着。

もこ太郎の平成阿房列車

小さな駅舎の前には沢山の人。さすが日曜日の観光地だ。
昼時だったので、駅舎の中にある立ち食い蕎麦屋で、蕎麦でも頂こうと思う。

そしたら、長い行列ができている…

何でもこの蕎麦屋は、度々メディアに取り上げられるほど有名な店だとか。

しかし、まだ先は長い。ここで昼食を取っておきたい。
行列に並ぶのはあまり好きじゃないが、無理矢理並んで蕎麦を平らげた。


ここから、前から気になっていた路線に乗ってみる。


小海線(こうみせん)


海とは全く縁のない、山梨県と長野県を結ぶ地方交通線で、何でもJRで1番高い標高を走るのだとか…

この路線については、後日報告しようと思う。

もこ太郎の平成阿房列車



小淵沢から2時間余りで、終着駅「小諸(こもろ)」に到着した。


もこ太郎の平成阿房列車


小諸から、しなの鉄道長野行きに乗り換える。
思えばこのしなの鉄道、元は高崎から碓氷峠を経て走る、信越本線だったのだ…

ここからは鉄道の日記念きっぷは使えない。



しなの鉄道の、グレーとワイン色にラッピングされた115系に揺られて、途中の「篠ノ井(しののい)」で下車。


もこ太郎の平成阿房列車


信越本線、篠ノ井線、しなの鉄道の接続駅だが、あまり人もいなくて静かな駅だ。

この頃にはもう日も暮れようとしていた。

もこ太郎の平成阿房列車

今日もここまで、ずいぶん長い時間列車に乗ってきたものだ。


さあ、目的地はもうすぐだ…
私は導かれるようにして、長野色の115系に乗り込む。




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回想、といってもほんの昨日(2013年9月7日)の出来事ですm(_ _ )m


18きっぷの残った最後の1回分で、休日おでかけパス では行けない所で日帰りできるような所に行きたいな~、

と考えた結果、

本庄から片道約4時間掛けて、山梨県甲州市まで行ってきました。


もこ太郎の平成阿房列車

訪れたのは、中央本線の

「勝沼ぶどう郷駅」

もこ太郎の平成阿房列車

駅名が示す通り、この駅がある甲州市勝沼町は、ぶどうの名産地として有名です。


島式ホーム1面2線を有するこの駅は、ホームが高台の上に設置されており、改札へはホームの階段を下って向かいます。



ホームを降りて東側を見ると、すぐそばまで迫る勢いの、連なる山々の風景。


もこ太郎の平成阿房列車


そして、西側を見ると勝沼の街を一望できる絶景が広がります。


もこ太郎の平成阿房列車

首都圏では決して見れない景色です!!



この駅に訪れた理由ですが、それは2つ。



まずは、駅のそばにある鉄道遺産を訪れること。



駅前に出ると、非常に小さいロータリーは観光客でごった返しておりました!


もこ太郎の平成阿房列車

観光客のみなさんは、駅から見える小高い丘に建てられた観光施設「ぶどうの丘」行きのバス、あるいはタクシーを待っていたようです。

この駅、特急などの優等列車の停車は非常に少ないのですが、みなさん鈍行でここまで来られたのでしょうか?ご苦労様です!

(ちなみに上の写真は、観光客がずいぶん減った時に撮影したものです)



私は、そんなことをよそに、駅のすぐそばの公園に向かいます。


するとまず、静態保存されたEF64の出迎えを受けます。


もこ太郎の平成阿房列車

このEF64 18は、昭和41年5月に製造され、平成17年3月まで、この中央本線を走り続けたそうです。

単線の中央本線を知る、非常に貴重なELだとか。

ぶどうやワイン産業など、地域の発展に果たした役割は計り知れないものがある、とのことです!!


すでに先客が数名いて、ELと戯れる、ほほえましい光景を見受けることができました(笑)


もこ太郎の平成阿房列車


公園を抜けると、遺構への入り口がありました。


もこ太郎の平成阿房列車


階段を上ると、中央本線のトンネルの隣に、もう一つのトンネルと、レールの跡がありました。


もこ太郎の平成阿房列車


これが目的の鉄道遺産「大日影トンネル遊歩道」です。


大日影トンネルは、八王子と甲府を結ぶ、非常に重要な役割を担うトンネルの一つでした。

輸送量の増大に合わせ1931年(昭和6年)に同区間は電化、1968年(昭和43年)に複線化、その際に単線で作られた大日影トンネルは下り専用とされました。

1997年(平成9年)に、線形改良等のため隣に新大日影トンネル上下線が開通、大日影トンネルは用途を廃止されました。

2005年(平成17年)にJR東日本から旧勝沼町へ無償譲渡され、2007年(平成19年)3月に遊歩道として整備されました。

(一部ウィキペディアより引用)


レールの上を歩けるというだけでテンションがMAXになってしまう私!

さっそくトンネルの向こう側まで歩いて行ってみようと思います!!


しかし案内表をよく見てみると、トンネルの全長は1367.8m、トンネルを抜けるのに徒歩30分掛かるとのこと!


1時間後には折り返しの列車が来てしまうため、大急ぎで歩くことに!!


もこ太郎の平成阿房列車

トンネルは綺麗に真っ直ぐにのびていて、トンネルに入った瞬間から、出口の光がはっきり見えるほどです!

しかし、ひたすら出口に向かって歩いても出口の光は一向に近づいてきません!


トンネルの退避スペースには、トンネルにまつわる説明が書かれたプレートが掲げられています。


もこ太郎の平成阿房列車


そして、トンネルには現役時代に使用されていた標識等がそのまま残されています。


もこ太郎の平成阿房列車


私の大好きな勾配標もありました!


もこ太郎の平成阿房列車


25パーミル!なかなかの勾配ですな!!

(でも、こうして写真に収めてみると、ちょっと怖いな…(°д°;) )


涼しいトンネルの中、汗だくになりながら、超早足でわずか15分たらずで出口に到着!!


もこ太郎の平成阿房列車

(写真の女性は、カップルでトンネル探索中に記念撮影してました。彼らも、歩くのが超早かった(゚ー゚; )


トンネルを抜けると鉄橋があり、さらに向こうにはもう一つ、トンネルの跡がありそうです!


もこ太郎の平成阿房列車

このトンネルは旧深沢トンネル。

現在は「トンネルワインカーヴ」と呼ばれており、ワインの貯蔵庫として使用されているとのことです!

(カーヴとは貯蔵庫を意味するフランス語だそうです)


もこ太郎の平成阿房列車


ちなみにトンネルワインカーヴは一般開放されていません。

トンネルワインカーヴの隣に休憩所兼案内所があり、そこで頼めば一般客も見学できますが、入口から数十メートルまでとのこと。

そこから奥は、契約者か、契約しているワイナリの案内がないと入れないそうです。



私は時間が無かったので、トンネルワインカーヴにも入らずそのままトンボ返り!


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車


またもや15分足らずでトンネルを抜けました!!

トンネルを抜ける瞬間、タイミングよく列車が来ました!


もこ太郎の平成阿房列車


さてこれから、この駅に訪れた二つ目の目的を果たします!


もちろん、勝沼名産のぶどうを頂くことです!!!


近くのぶどう直売所を訪れ、ぶどうを試食させて頂きます!!

うん!先日近くのスーパーで買った巨峰よりも全然甘い!!


ちなみに試食中、手で皮を剥いている私を見て売店のお兄さんが、

「こっちではこうやって食べるんですよ~」

といって、ぶどうを皮ごと口にほうばり、うまい具合に皮だけ出していました!

そういや、先日「秘密のケンミンSHOW!」で見たばっかりだったな…(笑)


1房お土産に買って帰りました!!650円也!!

近くのスーパーの巨峰は、1房もっと高かったような…


もこ太郎の平成阿房列車



そして、駅に戻って、今回の最大の目的だったかもしれない「アレ」を売店で購入…


もこ太郎の平成阿房列車



ほろ酔い気分で勝沼を後にするのでした~



雨が心配されましたが、幸い天候にも恵まれた今回の駅訪問の旅。

今度は「ぶどうの丘」に行ってみたいです!!



もこ太郎の平成阿房列車


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下り列車は平磯駅で私を拾い、終着駅に向けて出発した。


先ほど下車した磯崎駅を過ぎると、左へ右へ緩やかにカーブを続けながら、車窓は住宅街、雑木林、芋畑と、短い区間の中で目まぐるしく変化していく。



そして14時17分
列車は徐々にスピードダウンしながら、プラットホームに入線し、停車した。


ここが終点、 
「阿字ヶ浦(あじがうら)駅」


もこ太郎の平成阿房列車


駅名標は、ひたちなか市を代表する海の幸アンコウをはじめ、漁に関するデザインが施されている。


ホームに降りてまず目に入るのは、非常に長いホーム。


もこ太郎の平成阿房列車


これはかつての国鉄時代、駅から歩いて5分程度の位置にある、阿字ヶ浦海水浴場に訪れる人達の為に、上野から直通で急行列車が乗り入れていた時期があり、その名残であるとの事だ。
現在はホームの途中に仕切りが立てられていて、長いホームの端まで行くことは不可能である。
そしてホームの列車が停止する位置だけ、改修が行われている。


ホームの向こう側に車止めがあり、その後ろには枕木が積み上げられている。


もこ太郎の平成阿房列車

ホームは島式で2本の線路に挟まれているが、そのうち1本は使用されていないようだ。
さらにそれとは別に留置線も敷かれているが、それも使用されなくなってかなりの時間が経っているようだ。


ホームから、新しく設置されたのが一目でわかるバリアフリーのスロープを下り、使われていない線路を跨いで駅の外に出てみる。
駅前にはバス停があり、駅周辺には民家が点在する。


もこ太郎の平成阿房列車

しかし、この駅も非常に静かな印象だ。
駅舎も木造で、良い雰囲気を醸し出している。
何よりも、駅舎に掲げられた鄙びた駅名標が何とも言えない味わいを与えてくれる。


もこ太郎の平成阿房列車


曇り空も相まって、言葉にできない、心地よい哀愁感に浸ることができた。


現在は無人駅だが、かつては有人駅らしく、窓口の跡がかなり綺麗な状態で残っている。


もこ太郎の平成阿房列車

さらに駅の事務室は、運転手の休憩所代わりに今も使われているらしい。


もこ太郎の平成阿房列車

駅に到着してから30分足らずで、列車は勝田方面へ折り返してしまう。
もう少しこの終着駅の雰囲気を味わっていたかったが、仕方なく引き上げることにした。



これにて今回の旅の目的は達成された。



ひたちなか海浜鉄道湊線を完乗、並びに全駅下車を達成した上での総評だが、
まずは湊線の歴史に触れなければならないだろう。


湊線は、大正初期には開業され、昭和初期には現在の勝田~阿字ヶ浦間が全通となった。
昭和19年には、茨城交通がこの湊線の運営を開始し、長い間親しまれ続けてきた路線だが平成20年、経営不振により廃線が決定。
しかし地元住民や湊線ファンの廃線反対の熱い声により、湊線は存続されることになる。
運営はひたちなか海浜鉄道に譲渡され、湊線は新たな船出を迎えた。




そんな矢先、2011年3月11日の東日本大震災により、路線は被災してしまう。



あの田園の中に真っ直ぐ伸びた線路は、地震によって至る所でひん曲げられてしまった。
バラストが広範囲にわたり崩れ落ち、線路が宙に浮いてしまった箇所もあった。
路線は甚大な被害を受け、運行休止を余儀なくされてしまう。


しかし、ここでも地元住民や社員は諦めなかった。
熱心な復旧工事が進められ、7月23日、見事に全線復旧を成し遂げたのである。


湊線は、三陸鉄道や気仙沼線、大船渡線等と比較すれば、被害は微々たるものだったかもしれない。
しかし、被災して真っ先に復興を成し遂げた路線であることは間違いないのである。
今まで決定的な廃線の危機を迎え、その度その危機を乗り越えてきた路線である。




山陰本線が「偉大なるローカル路線」と称されるのであれば、
私はこの湊線を、地元に愛され続ける「奇跡のローカル路線」と称したい。




今でも私の脳裏には、那珂湊駅で唄を披露する年輩シンガーの後ろに掲げられていた、「ガンバレ!湊線」の横断幕の文字
そして、殿山駅のフクロウのモニュメントの袂に掲げられた「ありがとう湊線」の文字が残り続けている。


そんなひたちなか海浜鉄道も、今年で発足5周年、湊線としては、開業百周年を迎える。
これから何十年も、地元住民に愛されながら、ひたちなか市を走り続けて欲しいと願うばかりである。



また中根でのんびりした時間を過ごし、那珂湊で海の幸を食べに訪れたいものである。
湊線に再び乗車しに来る事を約束して、ひたちなか市を後にした。



もこ太郎の平成阿房列車


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13時31分


那珂湊駅から下り列車に乗りこむ。
本日三度目の、殿山までのカーブを通過し、殿山駅をやり過ごす。



金上から那珂湊の区間は、一面の田園が広がったが、殿山から先は、一変して一面の畑が広がる。


殿山から二つ隣の駅で下車する。
ここの駅名標が、畑で何を栽培しているのかを教えてくれた。


「磯崎(いそざき)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

駅名標のデザインが示す通り、畑で栽培しているのはさつま芋である。
ホームからも、芋畑が広がっているのを目の当たりにできる。


もこ太郎の平成阿房列車

単式ホーム1面1線と、プレハブで作ったような(実際にはプレハブではない)小さな駅舎を有する無人駅。
駅舎の中は待合室になっており、自動券売機が設置されている。
駅はカーブの途中で作られており、ホームが湾曲している。


もこ太郎の平成阿房列車

線路を挟んでホームの反対側は芋畑が広がり、ホーム側は民家が点在している。
駅前にはバス停と小さなベンチが設置されている。


もこ太郎の平成阿房列車

しかし、ここも殿山駅と同じく、非常に静かだ。
列車を降りてから、次の列車が来るまで、私以外の誰かがこの駅を訪れたかどうかの記憶も定かでないほどである。



勝田行きの列車に乗り込み、勝田方面に一駅戻る。


「平磯(ひらいそ)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

駅名標のデザインは、駅の近くにあるという「平磯太陽観測センター」の電波望遠鏡、そしてクジラ…
このクジラは、駅近くの平磯海水浴場の海上にいるクジラの浮島で、その名も「大ちゃん」というらしい。
ひたちなか市民には、この大ちゃんはなじみのキャラクターだとか。


駅は単式ホーム1面1線の小さな無人駅。
この駅も平磯と同じ、カーブの途中で作られている駅だ。


もこ太郎の平成阿房列車

ところで、この駅の駅舎はスーパーマーケットが一体になった建物というふうに聞いていたのだが、どうやらその建物は解体されてしまったらしい。
駅舎の代わりに、真新しいトイレと自動券売機があった。


もこ太郎の平成阿房列車

そして、更地の上には住宅が建築されていた。
超駅前一等地の家である。


駅から出ようとすると、駅前にはかなり威勢の良い中学くらいの男子が複数人、駅の前でたむろっていた。
ある意味茨城らしい風景ではあるが、あまり彼らに関わりたく無い為、結局ホームから一歩も出れなかった…



気が付けば、残す駅もあと一つ。
いよいよ最後の駅に向かって、下り列車に乗り込む。


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おととし去年と、7月から9月という期間に発売された
「ぐんまワンデーパスSP」
「ぐんまツーデーパスSP」。



私の第2旅 と、第4旅 で登場した切符です。
群馬県内の、新幹線を含む(ほぼ)全ての鉄道に1日、あるいは2日間乗り放題になるという、かなり強力なフリー切符。



残念ながら今年の夏は、この切符の発売について、JR東日本からの発表はありませんでした…
この夏は、少々寂しい思いを過ごしたものでした…




しかし9月に入って突然発表がありました!!


なんと今年は、10月から12月という期間で、本切符が利用可能という事に!!!




こんな展開は、予想だにしていなかった!!


私にとって、非常に思い入れのあるこの切符の突然の発表について、
あまりの嬉しさに、こうやって皆様に情報を提供している次第でございます!!




秋といえば、わ鐵沿線や吾妻線沿線の紅葉が見所です!
冬の群馬の温泉も、オツなものでしょう!
もちろん、この時期もD51 498やC61 20は元気に走りますよ!!

この時期に合わせて、各民鉄もイベント列車を増発するかもしれません!!



私は、これを機会に上電の全駅降り潰しでもしてみようかな~?
真冬の土合駅にも訪れてみようかな~?



と、すでに今からワクワクモードなもこ太郎です!!!



え?またスタンプラリーの冒険するかって!?
う~ん、やったとしても、次回はほどほどにしときます…(汗)



この記事をお読み頂いた皆様、今年の秋~冬は、ぜひぜひ群馬にお越しくださいませ!!
(from埼玉県民)



詳細はこちらこちら



画像は、そんなわけで上電の中央前橋駅での一コマ。


もこ太郎の平成阿房列車








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投稿写真

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これから「ムーンライトえちご」で新潟へ!
今回はマイミクの人と二人旅!
(あ、mixiもやってるもんで…)
この夏は、信州、ながら、えちご、の全てのムーンライトに乗車しました!!


この旅の物語を最初からお読み頂ける場合は、こちらをクリック



12時10分


殿山駅から勝田行き列車に乗って一駅戻る。
殿山駅を訪れる際に左に曲がって通過してきたカーブを、今度は右に大きく曲がり、列車は駅に停車した。



「那珂湊(なかみなと)駅」


もこ太郎の平成阿房列車

単式と島式ホーム2面3線を有するこの駅では、全ての列車の交換が行われ、湊線の主要駅となっている。
駅名標も、鉄道にちなんだデザインとなっている。


もこ太郎の平成阿房列車


ホームに降りると、キハ3710とは異なる、いろんな種類の車両が停留されているのが目に入る。
この駅には、ひたちなか海浜鉄道の車両基地である機関区が隣接されている。


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車


もこ太郎の平成阿房列車


それにしても、この日は不運だった。
停留されている珍しい車両は、この日1両たりとも運行されていなかったからだ。


1番線ホームに備え付けられている上屋は非常に味わい深く、その木造の柱などに歴史を感じさせられる。


もこ太郎の平成阿房列車

駅舎の中は待合室になっており、そこで年輩の流し風のミュージシャンが、気持ち良さそうに唄を披露していた。


もこ太郎の平成阿房列車

外に出てみると、駅舎は木造で大変良い雰囲気を持っていた。
今年で開業百年を迎えるこの駅は「歴史と伝統のある駅で開業当時の面影を残した駅」という理由で「関東の駅百選」に選定されている。


もこ太郎の平成阿房列車

ところでこの駅を訪れた時は既に昼時であった。
昼食はもう決めていた。



ひたちなか市と言えば港町。
港町と言えば海の幸である。



駅から東へ10分ほど歩いたところに、那珂湊漁港に隣接する「那珂湊おさかな市場」があるという。
せっかくなので少し寄り道して、昼食に海の幸を頂くことにした。



市場に向かって歩いていると、道路には車が渋滞の列をなしていた。
車のナンバーを1台1台見ていくと、いろんな地名が見られる。
この近辺の「水戸」ナンバーは殆ど見られず、茨城以外の関東のナンバーが7割程度、東北のナンバーが2割、それ以外のナンバーが1割程度を占めていたと思われる。
彼らは、市場の駐車場の空きを狙って行列を作っていたのだ。


列車で来れば渋滞なんぞ関係ないのに、と一人得意になって市場に足をそそくさと運ぶ。



この「おさかな市場」は、水揚げされたばかりの魚介類が豊富に取り揃えられており、はるばる多方面から新鮮で非常にリーズナブルな魚を求めてやって来る人が後を絶えないという。


市場にたどり着き、そこに足を踏み入れるとまず感じるのは潮の香り。


もこ太郎の平成阿房列車

そして、溢れんばかりの人、人、人…


もこ太郎の平成阿房列車

天候は良くないが、この日は日曜日。市場としても書き入れ時であろう。


それにしてもこの辺の地域も、あの大震災で被災し、少なからず被害を被っている筈である。
しかしこの活気を見ると、被災したことなど全く感じさせられない。
あの震災から半年で、よくここまで復興できたものだと感心させられる。
私は人混みは苦手だが、こういった活気のある光景を眺めるのは嫌いではない。


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車



さて私は、海の幸を味わえる店を散策する事にする。


そして、



1軒の回転寿司屋に入った。



この広大な海を目の当たりにしても、私の貧乏性は変わらないようだ…


無論回転寿司屋の中も超満員。
何組かのグループが行列を作っていたが、単独の私はすぐさまカウンターの1席に通された。
一人旅の特権である。


早速寿司を頂こう。
とにかくネタがでかい。
どんどん寿司が、私の胃袋の中に詰め込まれていく。



しかし…


寿司は美味いのに、店員の対応が雑なような気がした。
いくら忙しいからと言っても、仕事はきっちりやってもらわないと、店全体の印象がどうしてもマイナスになってしまい損だと思うのだが…



次来たとき、おそらくこの店はパスである。
店の紹介も控えておこう。


いかんともしがたい満腹感で店をあとにし、しばらく市場の雰囲気を味わってると、あっという間に列車の時間が来た。
急いでおさかな市場を後にし、那珂湊駅に戻る。


もこ太郎の平成阿房列車


さてこの那珂湊駅、名物駅長がいると聞いていたのだが…

列車が来る時間が近づき、改札が始まった。
ホームに入ると、我が物顔で歩く1匹の黒猫が居た…

彼こそが、この駅の名物駅長、「おさむ」である。


もこ太郎の平成阿房列車


名前の由来は、説明を受けなくても分かった。


昭和40年代半ばにヒットした「黒猫のタンゴ」。
それを歌ったのは「皆川おさむ」。


これ以上の説明は不要であろう。
日本に、いったい何匹の「おさむ」がいるのかは不明であるが。


数年前から那珂湊駅に住み付き、現在は1番線ホームに「指定席」のサボのある専用のベッドも与えられ、集客の役割を期待されている。


もこ太郎の平成阿房列車

構内の踏切を渡り、島式ホームから下りの列車に乗り込む。



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