もこ太郎の平成阿房列車 -15ページ目

もこ太郎の平成阿房列車

No Train,No Life!
生粋の「乗り鉄」がブログを書くとこうなる!!
私が行った鉄道の旅をレポートさせて頂いています!
私のブログをお読み頂いて、鉄道の旅に興味を持って頂けたら幸いです!

※以下の時刻は、2013年10月の時刻表に基づきます。


2013年10月19日


本庄 発   7:37
 ↓
 ↓  高崎線:860M
 ↓
深谷 着   7:46

(改札を抜け、階段に描かれたふっかちゃんを見学)


もこ太郎の平成阿房列車


深谷 発   7:57
 ↓
 ↓  高崎線:862M
 ↓
大宮 着   8:48


大宮 発   8:59
 ↓
 ↓  宇都宮線:545M
 ↓
小山 着   9:49


小山 発  10:09
 ↓
 ↓  水戸線:741M
 ↓
友部 着  11:13


友部 発  11:17
 ↓
 ↓  常磐線:1376M
 ↓
我孫子 着 12:23


(名物「から揚げそば」を食らう)


もこ太郎の平成阿房列車


我孫子 発 12:47
 ↓
 ↓  常磐線:2378M
 ↓
日暮里 着 13:16


日暮里 発 13:19
 ↓
 ↓  山手線:1254G
 ↓
新宿 着  13:40


新宿 発  13:44
 ↓
 ↓  中央線快速「青梅特快」:1329T
 ↓
立川 着  14:09(遅れ)


立川 発  14:16(遅れ)
 ↓
 ↓  中央線快速「中央特快」:1363T
 ↓
八王子 着 14:26(遅れ)


八王子 発 15:08
 ↓
 ↓  八高線:1571E
 ↓
高麗川 着 15:46


高麗川 発 16:12
 ↓
 ↓  八高線:243D
 ↓
倉賀野 着 17:34


倉賀野 発 17:46
 ↓
 ↓  高崎線:960M
 ↓
本庄 着  18:00



※本日支払った運賃:190円×2=380円
 (深谷~本庄 間の往復分)
 


もこ太郎の平成阿房列車





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投稿写真

我孫子駅と言えば、弥生軒5号店の「唐揚げそば」しか無いでしょう!?
ゲンコツ以上の大きさの唐揚げが2個乗っかって480円也。

食べてる途中、唐揚げがメインなのか、そばがメインなのか本気で分からなくなってきます!
もちろん完食!腹がはち切れそう(>人<;)


投稿写真

モハようこざいます‼
深谷駅北口では、ふっかちゃんがお見送りしてくれますY(o0ω0o)Y 
お金も無いので、これから大回りの旅に行ってきます!
それにしても、今朝の高崎線沿線、撮り鉄さんがたくさんいたのですが、今日はどんな子が走るのですか?


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「コ」の字型の、高崎駅0番線ホームを出発した2両編成の列車からは、左側の奥に広がるJRの、また左手前と右側に広がる上信電鉄の留置線、そしてそこに停留している車両が見渡せる。


広大なJRの留置線には、群馬県内の主力の115系や107系、八高線のキハ110系や特急車両の185系、最新鋭(当時)のE231系から電気機関車のEF510まで、さらに運が良ければD51やC61などの姿も拝むことができる。

視線を上に向ければ、高架上に上越・長野新幹線も走っている。


しかしその手前の上信電鉄の留置線には、JRと比べるとかなり小ぢんまりと、ひっそりと上信線の車両が鳴りを潜めているように見える。

中には、何年も動かしていないのが一目で分かるほどの、朽ち果てた車両もいる。

その車両の中にはいろいろな道具や機材が積み込まれているようで、既に物置として第2の人生を送っているようだ。

そして、上信線では貨物営業は廃止になっているが、その時の名残である貨車がいまだに何両か留置されている。



それにしても、まったく多様多種の車両が集うここ高崎駅。

群馬・栃木・茨城の関東北部3県は、それぞれがライバル視する傾向があるらしいが、高崎駅の面白さに関しては、宇都宮駅も水戸駅もかなわないところではないだろうか。




高崎線と別れた線路は、密集した住宅の僅かな隙間を縫うように敷かれている。

その線路を頼りに車両は住宅の隙間を抜け、大小の踏切をいくつかやり過ごして、高崎からあっという間に隣の駅に到着する。



「南高崎(みなみたかさき)駅」


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単式ホーム1面1線を有する、小さな無人駅。

駅の周りには住宅やマンションが立ち並んでいて、そちらに目を取られているとこの駅の存在に気付かないほどの小規模な駅だ。


もこ太郎の平成阿房列車


この南高崎駅は、開業当時は駅の住所から「下和田駅」と名乗っていたらしい。


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それにしても、同じ「高崎」を名乗りながら、一大ターミナルの高崎駅とここまで異なる駅も面白い。



もこ太郎の平成阿房列車


ここは、特筆すべき事柄も無い駅であった。

しかし、そういう事でさえも、実際に下車しなければ分からない事である。


あと18もの駅を残しているのだ。

それらの駅全てが、この駅よりも面白いと考えれば、これからが楽しみだ。



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前回の旅 は、振り返ってみればとにかく自分の乗りたい路線を乗りたいように乗るという、非常に気楽な、悪く言ってしまえば「だらけた」旅であった。


阿房列車を走らせる場合は、やはりストイックな目的を伴ったものでなくては「阿房列車」と言えない。



鉄道の日記念きっぷの有効期限最終日にあたる2011年10月16日。

鉄道ファンはこぞってJRを乗り鉄する日であろうが、そんなことを尻目に私はあるローカル民鉄路線の全駅下車を目指す。


しかも今回は、過去の銚子電鉄 、そしてひたちなか海浜鉄道湊線 の時の旅よりもハードルを2段階ほど上げてみる。

何せ銚子電鉄の全10駅の2倍、20もの駅を一日で全部降りてしまおうというのだ。

普通の人間がやらない、やりたくないようなことをやらなければ、「阿房列車」の名が廃る。



今回全駅降り潰しを目指す路線とは、



上信電鉄



群馬スタンプラリーの旅 にて既に乗り潰しを達成してる路線である。

今回再びこの路線を選ぶ理由は、
10月は鉄道の日、そして群馬県民の日があるため、一日フリー切符が平常より割安になっている事

(普段は2160円だか、10月は1700円)、

風情のある駅がたくさんあること、

自宅から近いこと、
等があげられる。


今回は、前回下車した駅も再び降りることにする。


しかしそれだけだと、いつもと変わらない旅になってしまう。

今回は終点の下仁田で、名物をお土産にでも買って来ることにしよう。




5時52分

天気は少し曇りがちである。

丁度一週間前と同じように、本庄駅から高崎線の下り始発列車に乗り込む。


20分で、人もまばらな高崎駅に到着する。

JRの改札を抜け、上信電鉄の改札がある0番線ホームに向かう。


もこ太郎の平成阿房列車

窓口で、今回の旅の命となるフリー切符を購入する。


もこ太郎の平成阿房列車


上信電鉄上信線の全駅制覇を行うに当たって、過去の旅で使用してきた、いわゆる「3駅進んで1駅下がる」戦法を今回の旅でも使用する。

(詳細は過去の記事 を参照されたい)

しかし今回20もの駅を紹介する関係上、高崎駅から順番に駅を紹介することにする。

(実際に降りた順に駅を紹介していると、記事をお読み頂く方にはもちろん、記事を書いている当本人すら混乱してきそうである為)


駅員の誘導にしたがって、高崎発下仁田行きの列車が入線してくる。


もこ太郎の平成阿房列車

上信電鉄の列車は全てユニークなラッピングが施されている。

これから乗る列車は、群馬に本社のある「マンナンライフ」のラッピングカーだ。


もこ太郎の平成阿房列車

6時41分


いよいよ全20駅下車への挑戦が始まる。



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丸山変電所を後にした私は、碓氷峠に向かって、再び上り坂が続く遊歩道を突き進みます。



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途中で、トロッコ列車「シェルパくん」とすれ違うタイミングがあり、私はカメラを片手に、そしてもう片方の手でトロッコ列車に向かって手を振るのでした。




そして丸山変電所から10分余りで、シェルパくんの終点、「とうげのゆ」駅に着きました。


ここには日帰り温泉施設「峠の湯」があるのです。

しかし大変残念なことに、平成25年7月31日未明、この施設は火災に見舞われ、施設は半焼してしまいました。

けが人がいなかったという事は不幸中の幸いですが、それ以降は休館を余儀なくされています。

この施設はアプトの道を歩く人たちにとっては憩いの場として利用されていただけに、一刻も早い営業再開を願うばかりです。

(写真は、改修中の「峠の湯」施設)


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アプトの道はさらに続きます。


アスファルトで舗装された区間はここまで。

この先は土がむき出しの山道になります。

もこ太郎の平成阿房列車

途中、幾重にも連なるトンネルを抜け、


もこ太郎の平成阿房列車


碓氷湖の絶景を見渡したり、


もこ太郎の平成阿房列車


そんなこんなで30分以上は歩いたでしょうか…?


気持ちは良いけど、時間が経つにつれて日差しが徐々に強くなってくる。

トンネル以外には日光を遮るものは全くなく、帽子代わりにハンドタオルを頭にターバン状に巻きつける

(これが私の夏の鉄活スタイルになっています。帽子が全然似合わないもので(^▽^;))。

それでも66.7パーミルの急勾配を上り続けるという行為も重なって、吹き出る汗の勢いは衰えを見せない。



数えて5つめの長めのトンネルを抜けると、何だか大きな橋の上に出てきました。


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そう、この橋こそが、「鉄道スペシャリストが選ぶ鉄道遺産ランキング」第一位に輝く(「旅と鉄道」2012年7月号より)、

「碓氷第三橋梁」、通称「めがね橋」です!!


もこ太郎の平成阿房列車


下からめがね橋を見上げると、そのレンガ造りの雄大な姿には圧倒されます。

長さは91m、高さは31mで、わが国最大規模のレンガ造りのアーチ橋ということですが、それにしても100年以上も前にこのような立派でスタイリッシュな建造物がつくられたなんて、にわかに信じ難い事です!


めがね橋の上から北側を望むと、はるか彼方に信越線の新線の廃線跡が見られます。


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そして私はめがね橋をも後にして、さらに奥へ奥へ進んでゆきます!!




再び現れる幾重のトンネルを抜け、その先にあった物は、巨大な廃墟…



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これこそが今回の旅の最終目的地、「熊ノ平駅」跡です。


横川~軽井沢の区間が開通した当初、ここは給水給炭所として設置されましたが、ほどなくして駅に昇格。

しかし大正時代に大規模な脱線事故、そして戦後間もない頃に大規模な土砂崩れに駅が巻き込まれるという2度の悲劇が、ここ熊ノ平で起きてしまったのです。

その悲劇で多数の命が奪われることになり、今では駅のそばに慰霊碑もたてられています。

昭和40年代に熊ノ平は信号場に降格。

そして横川~軽井沢の区間が廃線となったと同時に、この信号場も廃止となりました。


(ちなみに廃墟となっている白い建物は、変電所跡です)


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さて、アプトの道もここで終点!

熊ノ平駅はアプトの道の折り返し地点となっているのです!



私はさらに欲張って、このまま軽井沢まで歩いて行ってやろうか!?

と思ったのですが…




国道18号(旧道)まで降りて行ってみると、

「碓氷峠 7.0km」の案内…


国道に歩道も無さそうだし、この時点で相当足にも負担がかかっている…

あきらめてアプトの道を引き返すことに…



これにて、「アプトの道」完全制覇!!

全長約13kmの道のりは長かったですが、制覇した後の達成感は言葉では言い表せないものですよ!

(翌日から3日くらいは筋肉痛が抜けませんでしたが…)







オマケ:

アプトの道制覇後、横川駅に戻るとこんな子がいましたよ(・ω・)b


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この日は、信越本線にD51クンが走る日だったのですね!

どおりで、横川に来るまでかぶりつきで乗ってたら、たくさんの撮り鉄がいたわけだ!




でも…

個人的に私は…


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この子の方が好みだったりします(・・;)







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もこ太郎の平成阿房列車


もこ太郎の平成阿房列車

突然ですが問題です!この駅はどこでしょうか?


非常に短い単式ホーム1面1線を有し、駅舎も待合室もベンチも雨避けも、そしてトイレすらありません!

駅の周りは深緑に囲まれており、大きな赤レンガの建物以外、何にもありません!



これは相当ハイレベルな秘境駅!!!

なのにwebで検索してみても全然引っかからない!!


どういう事!?

なぜ全く注目されていないの!?












え~、すいません、説明いたします。

実はこの駅、とある施設内の園内遊具として扱われている路線の駅なのです。

だから時刻表に載らないのは当たり前なのですね(汗)


しかしあなどるなかれ!

この線路、実は1997年までは鉄道事業法に基づく正規の鉄道の線路だったんです!





虎ノ口駅、もとい、安中駅を訪れた(前回の記事 を参照)その足で、ついでに信越本線の終点、横川まで行ってみました。

そして第4旅 で訪れた、「碓氷峠鉄道文化むら」(以下「文化むら」)までやって来ました。


もこ太郎の平成阿房列車


今回は入園はせずに、文化むらの脇に向かいます。


もこ太郎の平成阿房列車

ここから遊歩道が設置されています。

その名も「アプトの道」。

信越本線の横川~軽井沢間(碓氷線/横軽線と呼ばれた区間)の廃線跡が現在、遊歩道として整備されているのです。

さらにその廃線になった下りの線路の方は、文化むらから2.6km先まで、園内遊具として扱われるトロッコ列車「シェルパくん」が走るのです!



ここから「まるやま」駅までは徒歩で向かいます。


文化むらの脇を抜けていると、園内に展示されている車両の数々を見渡すことができます。


もこ太郎の平成阿房列車


天候に恵まれたのは良いが、あまり暑くなってもらっても困るなぁ…


と思いつつ遊歩道を進んでいくと、運転体験できるEF63を横目に、溝を蓋する鉄板の代わりにアプトのラックレールが使われているのを発見!


もこ太郎の平成阿房列車



そして、昔は信越本線、今は文化むらの施設の一つとなっている線路と並んで、ひたすら真っ直ぐ遊歩道が伸びていきます。

遊歩道の周は大自然に囲まれて、私と同じく遊歩道を歩く人以外の、生命の気配は全く感じられません!


もこ太郎の平成阿房列車


ちなみにこの遊歩道、昔の信越本線の上り車線線路がそのまま残された状態で、線路の周りをアスファルトで固めて道が作られているのです。




上信越自動車道の真下をくぐったりして、上り坂をひたすら歩くこと約15分。

なんだか大きなレンガの建物と、とっても小さな駅が見えてきました。


もこ太郎の平成阿房列車


このレンガの建物こそが、鉄道文化遺産「旧丸山変電所」です!


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ここは国鉄が全国で初めて造った変電所で、明治45年に建設されたということです(平成14年7月に改修されています)。

国内で初めて電化された路線の、心臓部の役割をここで果たしていたわけです!

残念ながら、建物の中には入れないので、ご注意ください。



その丸山変電所の向かいにあるのが、トロッコ列車「シェルパくん」の駅「まるやま」なわけです。


しかしこの「まるやま」駅、現在は緊急停車駅となったため乗降はできません。

ご注意ください。



もこ太郎の平成阿房列車

丸山変電所を後にした私は、再び上り坂の道を突き進み、次の目的地に向かうことにしました…



(つづく)







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まずは、以下の動画をご覧ください。



ダイワハウスの、歴代仮面ライダー達と上野樹里さんが共演するCMの最新版です。
テレビで既にこのCMをご覧になっている方も多いのではないでしょうか?

CMの冒頭で、歴代ライダー達が上野さんと駅で待ち合わせをしている場面がありますよね!?
その名も「虎ノ口」駅!!


私も、その虎ノ口駅にちょっくら行ってみました!!


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そうそう!
まさにこの駅!!
CMと同じ、味わい深い木造の駅舎が印象的な駅です!!


でも…
ごめんなさ~い(;^_^A

駅舎に掲げられている、あの「虎ノ口」の駅名標が屋根に隠れちゃってますね~…


さあ、気を取り直して駅舎に近づいて、駅名標を見上げてみると…

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あれ…?




え~、失礼しました(。-人-。)


実は「虎ノ口」なんて駅は、この世に実在しません!

で、CMに写っていた駅は…


この、群馬県内にある信越本線の「安中」駅なのです!!!

$もこ太郎の平成阿房列車


実は私、以前に一度安中駅に下車した事があり、その時の駅舎の印象を覚えていたので、
初めてこのCMを見たとき、一発で安中駅であることを見抜いてしまったわけです…


ただし、駅を出た後の場面は、少なくとも安中駅周辺ではなさそうです。

というのも、駅前には幹線道路の国道18号が走っていますし、あんなに密集した住宅地は駅周辺にはなかったように思います…


そしてこの安中駅で、私が好きな風景を臨むことができるのです。

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ちょっと分かりにくいかもしれませんが、駅の後方の山の斜面に、広大なコンビナートが建っているのです。
これは東邦亜鉛の精錬所です。
この風景は、安中で下車すればもちろん、列車に乗っていても、自動車で18号を走っていても臨むことができるのです。

$もこ太郎の平成阿房列車

しかしこの光景、なんだか「天空の城ラピュタ」に出てきそうな一場面ではありませんか?
この光景を初めて見た人は、絶対感動すると思います!

ここは穴場のおススメスポット!
この光景を見るためだけに、この安中で下車しても損はしないと思います!!

$もこ太郎の平成阿房列車

お暇であれば、ここに歴代仮面ライダーが来たことを想像しながら、安中駅に来てください!!


(ちなみに「虎ノ口駅 = 安中駅」については、過去の記事でも書かせて頂いております)





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もこ太郎の平成阿房列車

姨捨駅で自問自答の一夜を過ごし冠着駅 に立ち寄った後、篠ノ井線で長野駅までやって来た。
ここから、帰りにもう一つ、気になっていた路線に乗ってみた。



飯山線(いいやません)



飯山線は、96.7Kmの路線距離の中に、起点の長野駅、終点の越後川口駅を含めて31の駅を有する。
長野~新潟を結ぶ路線は、信越本線が代表格として挙げられるが、日本海沿いを走る前者とは異なり、飯山線は路線のほとんどが谷沿いの山間部を走る。
この山間部は、冬は日本有数の豪雪地帯となり、昭和20年2月には森宮野原駅において最高積雪量7m85cmを記録し、それを示す標柱が駅構内に建つという。


夏は夏で、大雨による土砂災害にしばしば襲われる。
2011年、東日本大震災の翌日早朝に発生した長野県北部地震(栄村で震度6強を記録)、そして豪雨により2度不通となった時期があったが、9月16日に全線復旧した。
私は復旧直後の飯山線に乗車できて、幸運だったかもしれない。



信越本線で海を見ながら帰るルートも考えたが、幹線路線より全線単線・非電化のこの地方交通線のほうが私の性に合ってる気がしたので、今回の選択となった。


長野駅の4番線ホームで出発を待つキハ110系に乗り込む。



10時15分

定刻通り、キハ110系は、終点の十日町に向けて出発した。


長野駅のすぐそばには広大な車両基地があり、そこへ列車を導く為の線路が、何本も地面に張り巡らされている。
私の乗った列車は、進むべき線路を選びながら、右に左に車体を揺らしながらゆっくり進んでいく。


長野駅の隣の北長野駅を出てから、線路は単線となる。
さらにそこから2つ先の豊野駅までは、信越本線と同じ線路の上を走る。


豊野から先は信越本線と別れを告げ、車窓には林檎の木が一面広がる景色が映し出される。
いかにも信州といった風景である。


信濃浅野駅を過ぎ、大きく左カーブを曲がりきったあたりから、進行方向右側に千曲川(ちくまがわ~長野県内の呼称で、新潟県内では「信濃川(しなのがわ)」になる)の流れが姿を現してくる。

ここから飯山線は、しばらくこの千曲川~信濃川に沿って進んで行くことになる。



それにしても、千曲川の流れは写真を撮るのも忘れさせるほどの、あまりにも雄大な流れである。
わたらせ渓谷鐵道から見る渡良瀬川とは、また全然違う印象を受ける。
立ヶ花(たてがはな)駅で下車すれば、ホームからこの雄大な流れを存分に味わうことができるだろう。
飯山線こそ、この大河にちなんで「千曲川線」と呼ばせるほうがより印象的で、集客も見込めるのではないか?
(「千曲市」はこの一帯よりかなり離れたところにあるので「千曲線」とは呼べないだろう)
もし飯山線が第3セクターなどに転換した場合は、会社又は路線の名前にぜひ「千曲川」の文字を入れて欲しい。
ただし、そんな事になったら18きっぷが使えなくなる為あまり考えたく無いのだが…



途中の戸狩野沢温泉(とがりのざわおんせん)駅で長めの停車を行う。
ここまで2両編成で走ってきた列車だが、そのうち1両がここで切り離される。


もこ太郎の平成阿房列車


私は不運にも、切り離されてこの駅で置いてけぼりにされる方の車両に乗っていたので、慌てて別の車両に乗り換える。
せっかく今回の旅で気に入った、4人用でなく2人用のクロスシートに座っていたのだが、車両を移り変わるとクロスシートは満席状態。
泣く泣くロングシートに腰かけることとなった。



長野から2時間あまりかけて、途中の十日町(とおかまち)駅で一旦終点となる。


もこ太郎の平成阿房列車


この駅は飯山線と、北越急行ほくほく線が接続している。
ここからほくほく線に乗れば、越後湯沢までショートカットができる。
しかしそうすると、JRの路線で無いので鉄道の日記念きっぷが使えない、またこの際だから飯山線を完乗したい、という理由で遠回りを承知で飯山線を乗り継ぐ事にする。
越後川口駅行きの列車が出るまでしばらく時間があるから、駅から出てみる事にした。


すると駅舎の入口に、達筆(と言っていいのか?)な「十日町駅」の文字の看板が掲げられている。
看板をよく見ると、どうやらその文字は片岡鶴太郎氏によって描かれたらしい。


もこ太郎の平成阿房列車


それにしても、十日町駅と鶴太郎氏の関係って何だろう?何か縁でもあるのだろうか?

(その謎は、後の旅にて解明される)



13時29分
仕切り直して、列車は十日町から越後川口に向けて出発した。


もこ太郎の平成阿房列車

一度、豪雪の中を走る列車にも乗ってみたい…


もこ太郎の平成阿房列車


そう思いつつ、列車は30分足らずで越後川口駅に到着。
無事に飯山線完乗を達成できた。


その後は、上越線~高崎線経由で帰宅し、今回の旅で鉄道の日記念きっぷを使い切ることができた。




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話が前後してしまったが、今回の旅の目的は、姨捨駅で夜景を見ることであった。


2011年10月9日

私は鉄道の日記念きっぷを使って、姨捨まで行くことにした。


乗り放題の、鉄道の日記念きっぷを使うという理由から、始発から目いっぱい列車に乗りたかった。

しかしそうすると、本庄から最速で14時過ぎには姨捨に着いてしまう計算になる。


なので、なるべく大回りして姨捨を訪れたかった。


東京まで出て(或いは湘南新宿ラインを使用して)東海道線経由で、富士から身延線に乗り入れ、甲府~松本を経由する、

或いは上越線経由で、越後川口から飯山線に乗り入れ、長野を経由する。

どちらのルートでも姨捨には夕方以降に訪れることになり、普通に考えれば上記のどちらかのルートを進むことになるだろう。


しかし私は、幹線路線ではなく、なるべく地方交通線を優先して乗ってみたかった。

その結果、序章 で記載した、1日で地方交通線2本を完乗できるような、少々奇をてらったルートになってしまった。



八高線経由で八王子、そこから中央本線で小淵沢まで移動した。


島式ホームを2つ有する小淵沢駅は、1、2番線が中央本線、3番線は退避線でホームは無く、4、5番線が小海線のホームとなっている。



今回は、この小海線に乗ってみようと思った。
終点「小諸駅」まで単線・非電化のこの路線は「八ヶ岳高原線」という愛称からもわかるが、かなり標高の高いところを走るとの事。



4、5番線に移動してみると、明らかに1、2番線と様子が異なる。


ポップな印象の標識が取り付けられている駅名標、


もこ太郎の平成阿房列車

ホーム上に設置されている、ログハウス風の売店。


もこ太郎の平成阿房列車


既に観光路線の様相を呈している。


そして4番線には、見慣れない車両が出発を待っていた。


もこ太郎の平成阿房列車


この車両は「キハE200系」。

これは世界で初めての営業用の、そしてJR東日本で唯一の「ハイブリッド鉄道車両」ということである。

車の世界だけでなく、鉄道の世界においてもCO2問題の取り組みは進んでいるようだ。


もこ太郎の平成阿房列車


発車は蓄電池の電力を使って、通常走行での加速時はディーゼルを使って、ブレーキの時に充電する…
あまり詳しくは無いが、ハイブリッド自動車と同じ原理かと思われる。

このキハE200系は、小海線でしか運営されていないようだ。


もこ太郎の平成阿房列車


車内に限っては、今朝八高線で乗ってきたキハ110系と同じ構造をしているようだ。

私は4人用でなく、2人用のクロスシートに、進行方向を向いて腰かける。


発車時間が近づくと、観光客らしい人たちが続々と乗車してくる。

たちまち車内は満員になってしまった。




13時14分

キハE200系は、小諸に向けて出発した。


発車は想像を超えるほどの静寂性だ。

ディーゼルカーであることを、微塵も感じさせない。


小淵沢駅を発つと、列車はしばらく中央本線の線路と並走するが、この間は小海線の線路だけ、勾配を上っていく。

ほどなくして中央本線と別れを告げるが如く、列車は大きくゆっくり右に旋回を始める。

180度程回転を続け、ようやく直線に入った後も、勾配を上り続けながら隣の駅「甲斐小泉(かいこいずみ)駅」に到着する。

この駅は既に標高1000mを超えている。


その後も列車はどんどん勾配を上っていく。

気圧の変化のせいか、トンネルに入った時のような違和感が時々耳に走る。

車窓は非常に清々しい景色を映し続ける。


もこ太郎の平成阿房列車


日本を代表するリゾート避暑地「清里(きよさと)」を通過したあと、テープの車内放送にて案内が入る。



「次は、空に一番近い駅、野辺山です」



その野辺山駅に到着。


もこ太郎の平成阿房列車


少し長めの停車時間があったので、一旦下車してみた。

車内放送の「空に一番近い駅」という意味は、ホームに降りてみると分かった。


もこ太郎の平成阿房列車

この野辺山駅は、「標高が日本一高い鉄道の駅」という事だ。

確かにホームに立っていると、空気が冷たく感じる。


それにしても標高1345.67mとは、キリのいい数字だ。


改札を抜け駅舎を見てみると、洋風の建物は澄んだ空気の高原に誇らしげに佇むようであった。


もこ太郎の平成阿房列車


この小海線、日本中の標高の高い駅10傑のうち、9駅を有するという、まさに高原鉄道だ。


野辺山を過ぎた後も、信州の山中を進む小海線、緑の映える景色がいつまでも広がり続ける。


もこ太郎の平成阿房列車

もこ太郎の平成阿房列車

2時間余りの高原の大パノラマは、姨捨にたどり着く前に、私の心をずいぶん癒してくれた。


ぜひもう一度乗ってみたい路線である。



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