姨捨駅で自問自答の一夜を過ごし
、冠着駅
に立ち寄った後、篠ノ井線で長野駅までやって来た。
ここから、帰りにもう一つ、気になっていた路線に乗ってみた。
飯山線(いいやません)
飯山線は、96.7Kmの路線距離の中に、起点の長野駅、終点の越後川口駅を含めて31の駅を有する。
長野~新潟を結ぶ路線は、信越本線が代表格として挙げられるが、日本海沿いを走る前者とは異なり、飯山線は路線のほとんどが谷沿いの山間部を走る。
この山間部は、冬は日本有数の豪雪地帯となり、昭和20年2月には森宮野原駅において最高積雪量7m85cmを記録し、それを示す標柱が駅構内に建つという。
夏は夏で、大雨による土砂災害にしばしば襲われる。
2011年、東日本大震災の翌日早朝に発生した長野県北部地震(栄村で震度6強を記録)、そして豪雨により2度不通となった時期があったが、9月16日に全線復旧した。
私は復旧直後の飯山線に乗車できて、幸運だったかもしれない。
信越本線で海を見ながら帰るルートも考えたが、幹線路線より全線単線・非電化のこの地方交通線のほうが私の性に合ってる気がしたので、今回の選択となった。
長野駅の4番線ホームで出発を待つキハ110系に乗り込む。
10時15分
定刻通り、キハ110系は、終点の十日町に向けて出発した。
長野駅のすぐそばには広大な車両基地があり、そこへ列車を導く為の線路が、何本も地面に張り巡らされている。
私の乗った列車は、進むべき線路を選びながら、右に左に車体を揺らしながらゆっくり進んでいく。
長野駅の隣の北長野駅を出てから、線路は単線となる。
さらにそこから2つ先の豊野駅までは、信越本線と同じ線路の上を走る。
豊野から先は信越本線と別れを告げ、車窓には林檎の木が一面広がる景色が映し出される。
いかにも信州といった風景である。
信濃浅野駅を過ぎ、大きく左カーブを曲がりきったあたりから、進行方向右側に千曲川(ちくまがわ~長野県内の呼称で、新潟県内では「信濃川(しなのがわ)」になる)の流れが姿を現してくる。
ここから飯山線は、しばらくこの千曲川~信濃川に沿って進んで行くことになる。
それにしても、千曲川の流れは写真を撮るのも忘れさせるほどの、あまりにも雄大な流れである。
わたらせ渓谷鐵道から見る渡良瀬川とは、また全然違う印象を受ける。
立ヶ花(たてがはな)駅で下車すれば、ホームからこの雄大な流れを存分に味わうことができるだろう。
飯山線こそ、この大河にちなんで「千曲川線」と呼ばせるほうがより印象的で、集客も見込めるのではないか?
(「千曲市」はこの一帯よりかなり離れたところにあるので「千曲線」とは呼べないだろう)
もし飯山線が第3セクターなどに転換した場合は、会社又は路線の名前にぜひ「千曲川」の文字を入れて欲しい。
ただし、そんな事になったら18きっぷが使えなくなる為あまり考えたく無いのだが…
途中の戸狩野沢温泉(とがりのざわおんせん)駅で長めの停車を行う。
ここまで2両編成で走ってきた列車だが、そのうち1両がここで切り離される。
私は不運にも、切り離されてこの駅で置いてけぼりにされる方の車両に乗っていたので、慌てて別の車両に乗り換える。
せっかく今回の旅で気に入った、4人用でなく2人用のクロスシートに座っていたのだが、車両を移り変わるとクロスシートは満席状態。
泣く泣くロングシートに腰かけることとなった。
長野から2時間あまりかけて、途中の十日町(とおかまち)駅で一旦終点となる。
この駅は飯山線と、北越急行ほくほく線が接続している。
ここからほくほく線に乗れば、越後湯沢までショートカットができる。
しかしそうすると、JRの路線で無いので鉄道の日記念きっぷが使えない、またこの際だから飯山線を完乗したい、という理由で遠回りを承知で飯山線を乗り継ぐ事にする。
越後川口駅行きの列車が出るまでしばらく時間があるから、駅から出てみる事にした。
すると駅舎の入口に、達筆(と言っていいのか?)な「十日町駅」の文字の看板が掲げられている。
看板をよく見ると、どうやらその文字は片岡鶴太郎氏によって描かれたらしい。
それにしても、十日町駅と鶴太郎氏の関係って何だろう?何か縁でもあるのだろうか?
(その謎は、後の旅にて解明される)
13時29分
仕切り直して、列車は十日町から越後川口に向けて出発した。
一度、豪雪の中を走る列車にも乗ってみたい…
そう思いつつ、列車は30分足らずで越後川口駅に到着。
無事に飯山線完乗を達成できた。
その後は、上越線~高崎線経由で帰宅し、今回の旅で鉄道の日記念きっぷを使い切ることができた。