塩尻にて、淡いブルーに塗装された115系の車両に乗り込んだ。
シートが70パーセント程埋まった状態で、列車は長野に向けて発車した。
塩尻駅から松本駅までの区間は、すでに2度通っている。
前日のムーンライト信州。そして白馬から岡谷まで向かう時。
今回が3回目であることから、しっかりと車窓を目に焼き付けておくつもりだった。
しかし残念なことに、またこの区間で眠くなってしまったらしい。
南松本駅に貨物列車がたくさん停留されていたこと以外はあまり覚えていない。
松本駅で列車は20分あまり停車した。
降りる乗客と乗り込んでくる乗客の数はほぼ同等だったらしく、乗車率は変わり映えしなかった。
松本を出発した列車は単線に入る。
しばらくは山と川に挟まれたわずかなスペースを、国道19号線と並走する。
松本の隣駅「田沢」と、さらにその隣の「明科」の区間だけは複線となっている。
明科を過ぎるとまたすぐ単線となり、長いトンネルに入る。
しばらくは険しい山の中を分け入るように列車は走る。
途中で停車する駅は木造のひなびた感じの駅舎が多い。
しかし思わずそれらに見とれてしまう。
途中停車した駅の駅名標には「かむりき」という文字。冠着と書くらしい。
北海道のような、アイヌ語の当て字のような駅名だな。
そう思いつつ車内から駅の周りを見回してみると、民家は無く、静かな森の中に駅は存在した。
この駅の駅舎もまた木造で、周りの静かな雰囲気と非常によくマッチしていた。
いよいよ今日の目的地は次の駅だ。
列車がトンネルを抜けたところで、車内放送がかかる。
と同時に、車窓には素晴らしい風景が広がってくる。
乗客がいっせいにカメラを構える。
列車はゆっくり駅のホームに入線する。
2線2面相対式のホームの反対側には、既に茅野行きの上り列車が発車を待っていた。
ドアを手動で開け、ホームに降りる。
前日の小和田とは違い、ここで降りる乗客がかなりいた為、今回は何の抵抗もなく下車できた。
ここは…
姨捨(おばすて)駅
さてこの駅は大変だ。とにかく書くことがたくさんある。
まずはどうしても耳に残る、駅名の由来。
諸説あるようだが、概要は次のとおりである。
昔々、この辺りの国の殿様は、年寄りが大嫌いで「六十歳以上になった者は山奥に捨てよ」というおふれが出ていたらしい。
この辺りに住んでいた一人の若者が、自分を養ってくれた伯母を母のように慕い、大切にしていたのだが、伯母は70歳になっていた。
若者は泣く泣く伯母を背負って、姨捨山に捨てに行ったが、後ろ髪がひかれ一人で帰る気になれぬと、若者はそっと引き返し、伯母を背負って帰った。
その老婆によって国は救われ、以降お年寄りは大切に扱われるようになった…
かなり話を端折ったが、姨捨駅にはその「姨捨伝説」が綴られた資料などが残されている。
可能であれば、ぜひ駅まで足を運んで確認して頂きたい。
そして、この駅は全国でも非常に珍しくなった「スイッチバック」の駅。
この辺りは急斜面に線路が引かれている。
スイッチバックとは、急斜面の勾配を緩和するための工夫なのである。
話は、蒸気機関車がメインで走っていた時代までさかのぼる。
その蒸気機関車は、今の電車などと比べるとずいぶん非力であった。
なので例えば登り傾斜の途中で停車などしてしまったら、そこから発車出来なくなるという事態に陥ってしまう。
それを回避するために、傾斜の途中で平坦な引き込み線を作り、平坦な場所で客の乗降や給水等を行っていたのである。
技術向上により、今はスイッチバックが廃止される傾向にあるのだが、ここ姨捨駅は残されている。
姨捨駅のホームをよく見てみると、列車が進入してきた反対側に、車止めが設置されている。
そして私が今乗ってきた列車が次の駅に向けて発車した。
その行方であるが、まず今まで進んでいた方向と反対方向に進む。
しばらく進むと、冠着から続いている線路の脇にまた別の線路があり、列車はそちらの線路に入って停車する。
またしばらくすると、今度は今まで進んでいた方向に発車し、ホームの脇を抜けて次の駅に向かっていった。
普段は見れない光景に、私は少し興奮してしまった。
それから、この駅最大の特徴は、ホームから見渡せる絶景。
善光寺平を一望できることから、北海道の狩勝峠、九州の矢岳越えと並び「日本三大車窓」の一つに挙げられる。
この日はうっすらともやがかかっており、万全な風景は望めなかった。
しかしその景色の素晴らしさは、とても言葉にはできなかった。
この駅で下車した人はほぼ全員、列車に乗車したままの人も大半は、カメラをフル稼働させていた。
面白いのは、ホームに設置されたベンチだ。
普通は線路側を向いているのだが、この駅のベンチは線路の反対側の景色に向けて設置されている。
ホーム、景色の次は、駅舎を観察してみよう。
この駅も木造の駅舎だが、近年リニューアル工事がされたらしく、大正時代に設計された駅舎が復元されたということである。
窓口やチッキも再現されたものであろう。
事務室と思われる部屋は解放され、そこで地元のボランティアと思われる人たちが、駅に訪れた人たちをもてなしていた。
駅の外に出てみると、バス停等は存在するが、近くに民家もなく非常に静かな印象であった。
それにしても、ここは長閑だ。心が落ち着く…
先日の小和田もそうだが、ここに来れて良かった。心からそう思えた。
願わくば、この場所にずっと居たい…
しかし1時間余りの滞在時間は、あまりにも短く感じた。
無情にも次の長野行き列車が、定刻通りホームに入線してきた。
もちろん、また来るよ。次は、夜景を見に来たい。
乗車した列車は、先ほどホームから見送った列車と全く同じ、スイッチバック独特の動作を行いながら、長野に向かって発車した。