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この記事は「ジョーカー」の細部について情報をまとめ、検証する内容です。従って結末に至るまでネタバレしています。映画を未見の方はご注意ください。

この記事は「ジョーカー」ネタバレ徹底解説その1並びに

「ジョーカー」ネタバレ徹底解説その2の続きです。

ペニーの殺害

翌朝、1981年10月23日金曜日?…この辺りにくると日付も曖昧ですが。

ペニーという名前を、「嫌な名前だ」とアーサーは言います。

Pennyは英国通貨の1ペニー、アメリカでは1セントコインの意味になります。要は小銭。Pennywise(ペニーワイズ)は一文惜しみ。「イット」に登場する殺人ピエロの名前です。

Pennyworth(ペニーワース)なら1ペニーで買える程度、つまり少額の。バットマンの執事はアルフレッド・ペニーワースですね。

 

アーサーは一人ごとを続けます。

「僕の笑いは病気だ、僕はおかしいと皆が言う。違う。これが本当の僕だ」

「何がハッピーだ。幸せなんて一度もなかった」

「人生は悲劇だと思っていた。今わかった。人生は喜劇だ」

 

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」チャップリンの名言です。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」カール・マルクス

「二度目は悲劇。三度目は喜劇というが…」サクラ先生

 

「ジョーカー」という映画自体が、まさしくそのような両面性を持っていますね。

アーサーにぐっと感情移入して観れば、虐待されて育った男が様々な世間の差別を受けて、やがて精神の均衡を崩し、重大な犯罪を犯すに至る悲劇

距離をおいて観れば、やることなすこと失敗ばかりのピエロが、ドタバタ騒ぎの果てに妄想の世界で悪のヒーローになる喜劇

 

アーサーは枕を押し当てて、ペニーを窒息死させます。

例によって、誰も駆けつけては来ない。アーサーは誰にも見つからず逃げおおせて、アパートに帰ったようです。

この後、ランドルたちが「ペニーの死を知って、心配して」酒を持ってアーサーを訪ねてくるシーンがあるので、ペニーの死はとりあえず疑われず、自然死として扱われたようです。

…が、そんなことあり得るでしょうか?

枕を使った窒息死と、そうでない死との区別くらいつくのではないでしょうか。ましてや、アーサーは警察にマークされている状況です。

最終的にギャリー刑事とバーク刑事がアーサーの元を訪ねてくるのですが、それは遅すぎるように思われます。

この辺りの展開も、どこか現実離れしたものを感じさせます。

ノック・ノック

家に帰ったアーサーは、マレー・フランクリン・ショーのビデオを再生して、ゲスト出演時の練習を始めます。

「マレー、呼んでくれてありがとう。ずっと夢だった」

ここはいかにもコメディを思わせるシーンですが、母親殺しの直後だというのが怖いところですね。

 

リクエストされて、アーサーはジョークを披露します。

「ノック・ノック…」拳銃を出す。(笑い)

自分の頭を撃ち抜く。(笑い)

想像の中の喝采を浴びて、アーサーは満足そうな笑みを浮かべます。

 

この時点では、アーサーがテレビで披露しようとしたネタは「自殺」でした。

テレビの生放送中に拳銃自殺した人としては、1974年にニュースを読んだ直後に自分を撃って死んだキャスターのクリスティーン・チュバックがいます。アーサーは草分けではないわけです。

生放送中の殺人といえば、日本の豊田商事事件などがありますが…。バラエティ番組でゲストが司会者を殺した例なんてのはないようです。

ザッツ・ライフ

これは…それまでのシーンから時間が飛んで、1981年10月29日木曜日、でしょうか。

この日がマレー・フランクリン・ショーの放送日なのでそうなるはず…なのですが、ちょっと不自然ではあります。

 

フランク・シナトラ“That’s Life”に合わせて、アーサーが髪を緑に染め、顔にピエロのメイクを施していく…ジョーカーになっていきます。

 

フランク・シナトラは1915年生まれのアメリカの歌手。「マイ・ウェイ」「ニューヨーク・ニューヨーク」「夜のストレンジャー」などのヒット曲で知られ、1930年代から90年代まで、アメリカのポピュラー・ミュージック界のトップスターであり続けました。

「地上より永遠に」でアカデミー助演男優賞を受賞するなど、俳優としての活動も知られています。

一方で、イタリアン・マフィアとの深い関係が生涯を通じてささやかれ、「ゴッドファーザー」の人気歌手ジョニー・フォンテーンのエピソードはシナトラがモデルとされています。

「あるハリウッド映画」の役を得るためにプロデューサーを脅迫し、ベッドに馬の首を放り込むシーンが鮮烈に思い出されますね。あれです。

「ザッツ・ライフ」は1966年に全米4位を記録したヒット曲です。

 

That's life that's what people say

You're riding high in April

Shot down in May

But I know I'm gonna change that tune

When I'm back on top, back on top in June

 

それが人生、人々は言う

4月には絶好調でも

5月には落ち込んでる

でも気分は変えられる

6月にはトップに返り咲くのさ

 

I said, that's life and as funny as it may seem

Some people get their kicks

Stompin' on a dream

But I don't let it, let it get me down

'Cause this fine old world it keeps spinnin' around

 

それが人生 滑稽に見えるとしても

夢を踏みつける人々がいる

でも僕は落ち込まされはしないよ

なぜってこの古い世界はずっと回り続けているのだから

 

髪を緑に染め、顔を白塗りにして、アーサーはジョーカーへと変貌していきます。

ジョーカーの外見は、オリジナルのコミックや第1作の映画では「化学薬品庫に落ちて皮膚がただれた結果、そんな外見に変貌した」ということになっていました。

本作では、アーサーは「ジョーカーのコスプレをしている」みたいに見えます。

本作の中で誰もアーサーに「バットマンのジョーカーみたいだな!」と突っ込まないのは、本作の世界がバットマンの世界だからなのか、それとも本作の世界にバットマンが存在しないからなのか、あるいは突っ込まれていないことがアーサーの妄想であって本当は突っ込まれているのか、それは定かではありません。

 

映画「ジョーカー」のコンセプトの元になっているコミック「バットマン:キリングジョーク」(1988)では、ジョーカーのオリジン(の一つ)が描かれています。

「キリングジョーク」では、売れないコメディアンだった男は生活のために窃盗犯に参加しますが、その直前に事故で妻子を失い、犯罪の仲間にも裏切られ、バットマンに追い詰められた男は工場の排水の中に飛び込んで逃れ、ジョーカーの外見へと変貌します。

「キリングジョーク」では、「最悪な1日」によって平凡な男が狂気に陥ってしまいます。4月には絶好調でも、5月には落ち込んでいるようなものです。

そして気分を変えることで、6月にはトップに返り咲く…悪ふざけの王ジョーカーとして生まれ変わるのです。

ランドル殺し

アーサーはペニーの若い頃の写真を見ています。その裏には、「すてきな笑顔だ T.W.」とあります。

T.W.はトーマス・ウェインですね。トーマスはペニーとの関係を否定しましたが、この写真を見る限り、まったく何の関係もなかったとは思えません。

トーマスがアーサーの父親であるかどうかはともかく、若き日のトーマスが若き日のペニーと遊んで、そして捨てたことは確かなんじゃないでしょうか。

トーマスにとっては数ある女たちの一人で、本気で忘れちゃってるのかもしれないですが。

一方にとってはすぐ忘れちゃうくらいの軽い出来事が、一方にとっては人生を左右する重大な出来事である…というような齟齬はままあるものです。特に、貧富の差が大きくある場合には。

 

アパートに、ランドルゲイリーが訪ねてきます。

二人はワインの瓶を下げてきています。アーサーの母ペニーの死を知って…ということなのですが、ということはペニーの死は特に疑われることなく処理されたことになります。

それにしては遺体の引き取りもお葬式も何もなかったのですが。省略された数日間で、それらの描写が飛ばされたのでしょうか。

 

ペニーの件は口実のようなもので、ランドルは拳銃の件を心配しています。警官がアーサーについて聞きにきたので、拳銃について口裏合わせをしたいというのがランドルの本心です。

しかし、アーサーは迷いなくランドルをハサミで刺し殺してしまいます。すごい早業。

チャイムが鳴ると同時にハサミを忍ばせ、二人を招き入れた時に玄関の鍵を閉めているので、アーサーは殺る気満々ですね。

 

アーサーがここまでランドルに殺意を燃やしている…頭を壁に何度も思いっきり打ち付けて殺すほど…のはちょっと不可解に思えます。ゲイリーが「どうしてだ?」と叫ぶように。

アーサーに(親切心から?)拳銃をくれて、小者らしい保身から会社に嘘を言ったり、口裏合わせを持ちかけたりする。ランドルという人物は、いかにもありがちな「そこまでの悪意はないけれど、結果人に害悪をもたらし、そのことをごまかす人物」として描かれているように思えます。

要するに、ランドルはごくありがちな「普通の人」なんですよね。我々のような。

悪に加担するでもなく、善のために立つでもなく、中途半端に物事に関わって、アーサーのような人に迷惑を押し付ける人物。

…って、それも逆恨みなんですけどね。

 

アーサーはゲイリーは殺しません。「優しかったのは君だけだ」とアーサーは言います。それが本当かどうかはわかりませんが。

アーサーはゲイリーを襲う真似をして彼をビビらせたて笑ったりして、やっていることはランドルの「小人差別ジョーク」とそれほど変わらないような気もします。

玄関の鍵に手が届かず、アーサーに開けてもらわねばならない…という下りも、これまるっきり差別ネタコントの1シーンですね。

要するにもうこの辺りから、アーサーのやることなすことジョークになります。それは死や殺人、差別を含む悪趣味ジョークです。

「悪趣味ジョークを行う者」がジョーカーです、文字通り。「バットマンのヴィラン」ではなくて、文字通り「ジョークを行う者/ジョーカー」になっているんですね、ここでのアーサーは。

ロックンロール・パート2

多分この映画で最も有名なシーン。階段を降りるジョーカーのシーンです。

赤いスーツを身につけ、ついに「完成」したジョーカーが、ゲイリー・グリッター「ロックンロール・パート2」の強烈なリズムに合わせて、踊りながら階段を降りていきます。

ここまで、アーサーの好む古き良きオールド・ポップスのみが流れていたのに、ここに来て突如グラムロックの喧騒が鳴り響きます。それだけにカタルシスもすごいんですが。

音楽の好みからして、ここでのアーサーがジョーカーという別人格に生まれ変わっていることを示しています。

 

ゲイリー・グリッターはイギリスのグラムロック歌手。「ロックンロール・パート1&2」は1972年に発売されたシングル曲です。A面(PART 1)はボーカルが入っていますが、B面(PART 2)はインスト。映画に使われたのはPART 2の方です。

むしろインストの方がヒットし、ノリの良さから、スポーツのイベントなどで多用されるようになりました。

ゲイリー・グリッターは大量の児童ポルノを所持していたことから1999年に有罪になり、2006年にも東南アジアでの児童売春容疑で有罪になっています。さらに、2015年には少女への性的虐待の容疑で懲役16年を言い渡されています。

…という、一癖も二癖もある人物の楽曲です。「ジョーカー」の使用楽曲はそういうのが多いですね…。

 

ゲイリー・グリッターが児童性愛者で服役中であり、そういう人物の楽曲を使用する(使用料を支払う)ことに批判の声もあるようですが、作品は作品! その作者がどんな人かは無関係!ではないでしょうか。

そうでなければ、人生のどこかで犯罪を犯した人物の生み出した作品は、未来永劫封印抹殺されてしまうことになります。それって焚書と何が違うのでしょう?

 

これまでのシーンでは常に、アーサーが疲れ切って階段を登るところばかりが描写されていました。下るシーンはここが初めてで、それがジョーカー爆誕のシーンとなります。

多くの映画では、階段は上昇と下降のメタファーとして使われます。多くの場合、生まれ変わりや再生は階段を登っていくことで表現されますが、ジョーカーの場合は下っていくことで誕生するんですね。

地道な日常を生きることは、長い階段を一歩一歩登るようなもの…という比喩とも受け取れます。

毎日欠かさず、登り続けることは辛い。

しかし、それを踏み外し、階段を駆け下りるのは一瞬である、ということ。

 

ところで、赤いスーツはジョーカーの伝統を微妙に破っています。1966年の「バットマン」でも、1989年の「バットマン」でも、「ダークナイト」でも、ジョーカーは紫のジャケットを着ています。赤いジャケットは意図的な伝統破壊の一例と言えます。

警官を逃れて

階段の上にいたギャリティ刑事とバーク刑事に呼び止められ、アーサー/ジョーカーはスタコラサッサと逃げ出します。

その走り方は冒頭のシーンと同様、ピエロ特有のドタバタ走りですね。冒頭シーンではデカ足をつけてたけど、ここではつけてないはずだけど。

もうこの辺からも、わざとやってるのでは…?という疑いを感じさせるところになってます。

タクシーに跳ね上げられても、また立ち上がって逃げていく。

 

アーサーは高架上の駅から列車に乗ります。「18 Avenue」という表示が見えますが、実際のニューヨーク・ブロンクスでシェイクスピア・アベニューから列車に乗るなら「167 Street Station」でしょうか。

ロケが行われたのはブルックリンの18th Avenue Stationになります。

 

列車の中はピエロの面を被ったデモ参加者でいっぱい。アーサーはまんまとその中に紛れ込みます。

バーク刑事が拳銃を奪われて撃たれ、アーサーは駆けつける警官たちを尻目に堂々と駅を出ていきます。その姿は自信に満ち溢れています。

Put On A Happy Face

マレー・フランクリン・ショーの楽屋の鏡には、口紅で書かれたと思しき「Put On A Happy Face」の文字があります。

「Put On A Happy Face」は劇中には登場しませんが、これもミュージカルの主題歌のタイトルです。1961年初演のブロードウェイ・ミュージカル「バイバイ・バーディー」の中で、楽観的であるように勧める歌として登場します。

この言葉は、ペニーがアーサーに言って聞かせた言葉でした。いつでも笑顔でいなさい、という前向きな言葉です。この映画の中の他のあれこれと同じように、それも皮肉なジョークに聞こえてきます。虐待されても、どんなに不幸でも笑ってごまかしなさいという教えにも聞こえるからです。

 

番組のプロデューサーとマレー・フランクリンがやってきて、アーサーと挨拶をします。プロデューサーはアーサーがピエロの格好をしている…ピエロのデモが続き、今日また警官がピエロに撃たれたという時に…のを問題視しますが、マレーは構わないと言います。

マレーに、アーサーは自身をジョーカーと呼ぶように頼みます。アーサーのVTRが流された時、マレーが彼をジョーカーと呼んだからです。

 

ジョーカーという呼び名はトランプのカードに由来しますが、トランプのジョーカーに描かれているのは宮廷道化師(ジェスター)です。

トランプの大抵のゲームではジョーカーは最強であり、すべてのカードに勝つワイルドカードです。

トランプにおけるジョーカーは、タロットにおける愚者(The Fool)と呼応しています。そのどちらも期限は宮廷道化師であり、王族を笑わせる存在であるとともに、普通の人には不可能な王族への批判を笑いにくるめて公言する存在でもありました。だから、王(King)よりも強いカードなんですね。

 

次はいよいよ本番!の、マレー・フランクリン・ショーです。

「ジョーカー」ネタバレ徹底解説その4へ続きます。