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この記事は「ジョーカー」の細部について情報をまとめ、検証する内容です。従って結末に至るまでネタバレしています。映画を未見の方はご注意ください。

1981年10月15日(木)ニューヨーク(ゴッサムシティ)

冒頭のラジオ・ニュースで、10月15日木曜日10時30分と示されています。

年月ははっきりと示されてはいないのですが、劇中で上映されている映画(「ミッドナイト・クロス」「ゾロ」)から、1981年とされています。

1981年10月15日は、実際に木曜日です。なので、映画が始まるのは1981年10月15日で確定ですね。

 

1981年10月15日の時点で、衛生局のストは18日目に及んでいます。

ゴミ回収が行われないまま既に18日も経っていて、街には1万トンのゴミが放置され、悪臭が立ち込め、ネズミも大量発生しています。

 

ニュースを聞きながら、「HA HA プロダクション」の楽屋で、アーサー・フレックはピエロのメイクをしています。

自分で口を引き上げ、笑う練習をするアーサー。目からは涙が流れてきて、メイクが流れて頬に黒い筋が残ります…。

 

ピエロの扮装をしたアーサーは、ケニーズ楽器店の閉店セールの宣伝の仕事をしています。

イエロー・キャブが走る街並みは…ほぼまんま、ニューヨークですね。

ここはゴッサムシティということになっているわけですが、ほぼ現実のニューヨークそのままの光景が映し出されていると言っていいと思います。

「バットマン」におけるゴッサムシティは、もともとニューヨークをモデルとして考案された架空の街です。

 

子供達に看板を奪われたアーサーは追いかけていき、ゴミだらけの路地裏で袋叩きにあいます。

画面いっぱいに巨大な文字で「JOKER」のタイトルが表示されます。

カウンセリングその1

アーサー・フレックの笑いを、映画は長々と映し出します。

アーサーはタバコを吸っています。この映画では、アーサーは本当にずーっとタバコを吸っています。何かを食べたり飲んだりするシーンもほとんどなく、タバコばかり延々と吸い続けています。その点でも本当に、「時代に反抗した映画」と言えますね。

冷ややかに見つめる黒人ソーシャルワーカーの名前は映画では一度も紹介されませんが、彼女の胸の名札にはデブラ・ケインという署名が読めます。

 

ここで、アーサーの最初のセリフになります。

「狂ってるのは俺か? それとも世間か?」

 

この部屋には壁に時計がかかっているのですが、11時11分を指しています。

時計を使ったメッセージといえば、映画「アス」を思い出します。

「アス」で11:11で示されていたのは、「エレミア書11章11節」でした。

それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。

罪にまみれた街に対して、神によって審判の災いが下される…という内容です。

 

この「11時11分の時計」は、映画の終わりで再び登場します。

アーサーが拘禁され、カウンセリングを受けている「精神病院の中」のシーンです。

つまり、映画は11時11分の時計によって始めと終わりをサンドイッチされています。

 

「11時11分」をネットで検索すると、いわゆるスピリチュアルな記事がいっぱい引っかかります。

「11:11は願いを実現させるマジックナンバー」とか。

「時計を見て11:11だといいことがある」とか、中には「11:11にツイートするとその内容が本当になる」なんていうおまじないも。

 

元ネタはカバラ数秘術だとか、タロットだとか、占星術だとか、いろいろありますが。

もともとオカルトは数に神秘的な意味を読み取ることが多いので、11:11のゾロ目が特別視されるというのもありそうなことではあります。

解釈で多いのは、「11:11は願望を実現させるゲートである」というもの。

 

映画のスタートと終わりに置かれた11:11は、願望実現の入り口と出口を示している。

つまり、「ジョーカー」の世界はアーサーの願望が現実になった(妄想)世界であって、時計はそのことを示しているとも考えられます。

 

デブラに日記を見せるよう促され、アーサーはノートを開きます。それは彼のコメディアンとしてのネタを記したネタ帳でもあります。

クローズアップされるジョークは、

I just hope my death make more cents than my life.

これは "sense"と"cents"をかけたギャグ。

"sense"であれば、「私の死が、私の人生よりも意味のあるものであってほしい」というような意味になります。

"cents"に変わると、「私の死が、私の人生よりも金を稼げるものであってほしい」という意味に変わります。そういうジョークですね。

 

アーサーとソーシャルワーカーの会話から、アーサーが精神病院に入院していたことがわかります。それも、暴力的であったために、監禁されるという形だったことも。

退院後も、アーサーは薬を7種類も飲み続けています。

一瞬インサートされる精神病院のシーンで、「白い部屋」に監禁されて頭を壁に打ち付けるアーサーの上にある時計は、やっぱり11時11分を指しています。

このカウンセリングのシーンが、監禁されているアーサーが思い描いている妄想であることが示唆されているようです。

バスの親子

バスで、アーサーは前の席に座った黒人の男の子を笑わせますが、その母親に怪しまれてしまいます。

アーサーは笑い出し、母親に持ち歩いているカードを渡します。「笑うのは病気です。脳および精神の損傷で突然笑い出します」と書かれているカードです。

 

このシーン、ラストカットでは子供の姿が見当たりません。あるいは、子供は最初からいなかったのかもしれないと思わせるシーンになっています。

階段と、アーサーのアパート

アーサーのアパートは、長い階段を上ったところにあります。

この階段は、ニューヨークのブロンクス、シェイクスピア・アベニューからアンダーソン・アベニューに上がっていく階段が、ロケに使用されています。

映画の公開後、この場所は「聖地」となって、ジョーカーのコスプレをした人々が次々と訪れているようです。

 

この階段は「エクソシスト」の階段も連想させますね。「エクソシスト」の舞台はワシントンD.C.のジョージタウンなので、エクソシストの階段はニューヨークではなくジョージタウンにあります。

 

ゴッサムシティ設定を無視すれば、アーサーのアパートはこの階段を上がった辺り。つまりブロンクスのアンダーソン・アベニュー沿いにあることになります。

 

アーサーはアパートの一室で、年老いた母親であるペニー・フレックと2人暮らしです。

ペニーは毎日、トーマス・ウェインからの手紙を待っています。

彼女は30年前、大富豪であるトーマス・ウェインの屋敷で働いていました。そのことから、トーマスが現在の貧困生活から救ってくれると信じています。

 

ペニーはアーサーのことをハッピーと呼びます。現実には、アーサーは「これまでの人生でハッピーだったことなんて一度もない」にもかかわらず。

ハッピーという呼び名には、アーサーの笑ってしまう病気のことが含まれているわけですが、アーサーがそんな病気になった原因を誰が作ったのかを考えれば、ペニーがアーサーをハッピーと呼ぶことはとんでもなく皮肉なことになっていきます。

ペニー本人は、もうそんなことを忘れてしまっているわけですが。

マレー・フランクリン・ショー

アーサーとペニーの楽しみは、テレビでマレー・フランクリン・ショーを見ることです。

番組は、ゴッサムシティのNBCスタジオから放送されています。NBCはアメリカの3大ネットワークの一つです。ネットワークの本部はニューヨーク・マンハッタンのロックフェラー・センターに置かれています。

 

マレー・フランクリンを演じるのはロバート・デ・ニーロ

「キング・オブ・コメディ」(1982)でデ・ニーロが演じたルパート・パプキンは、コメディアンに憧れる男でした。彼は憧れのあまり、人気司会者を誘拐します。

彼が妄想癖を持っていて、常に現実と妄想が入り混じる映画になっているということも、「ジョーカー」の大きなヒントになっていると言えますね。

テレビの人気司会者であるマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)は、ルパート・パプキンが夢を叶えた姿であるとも言えるし、ルパートの妄想の中の存在であるとも言えるわけです。

 

マレー・フランクリン・ショーに魅了されるうちに、アーサーは自分が番組の観覧席にいる妄想に取り込まれていきます。

妄想の中で彼はマレーに暖かく認められ、観衆の拍手を浴びて、ヒーローになります。

マレーはアーサーに、「君が息子だったら名声も捨てる」と言ってくれます。

つまり、アーサーは常に「父親」を求め続けているのです。

ランドルの拳銃

翌日、HA HA プロダクションの楽屋。

1981年10月16日金曜日ということになりますね。

同僚のランドルが、アーサーに護身用の拳銃をくれます。

 

ランドルが拳銃をくれたのは、ただ親切心からだったのかもしれませんが、後にアーサーがクビにされるときには、ランドルは「アーサーの方から買いたいと持ちかけた」と嘘をついています。

また、ゲイリーに小人ネタの差別的な冗談を投げつけたりしてますね。

 

ところで、後の展開を考えると、ここでランドルから拳銃をもらうこと自体、妄想だった可能性があります。

何の金銭も要求せずランドルがいきなり拳銃をくれるというのも、考えてみればなんか変です。

もしそうであれば、これ以降の拳銃がらみのシーンはすべて(ほぼすべて)、アーサーの妄想であるということになります。

 

プロダクションの経営者ホイト・ヴォーンは、アーサーがケニーズ楽器店の閉店セールの看板を失ったことを問題にして、返さないと給料から差っ引くと通告します。

彼のお説教を聞くうちに、アーサーの顔はどんどん笑顔になっていきます。彼は怒りや失望とともに笑顔になっていくのです。

そしてその直後、アーサーは路地裏でゴミ箱を蹴っ飛ばすことになります。

ソフィーとの出会い

アパートのエレベーターの中で、アーサーは同じフロアの住人であるソフィー・デュモンドに出会います。ソフィーは娘のジジと2人で暮らしている、黒人のシングルマザーです。

エレベーターは途中で止まってしまい、ソフィーは娘と「この建物サイテー」と言い合います。

アーサーと目があったソフィーは、指で自分のこめかみを撃ち抜く…拳銃自殺する…まねごとをして見せます。

これは「タクシードライバー」(1976)で、ポン引きたちを皆殺しにしたトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)警官たちにして見せるしぐさですね。

廊下でアーサーはソフィーを呼び止め、自身も同じしぐさをして見せます。

 

テレビで流れている白黒映画はフレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース主演の1937年のミュージカル映画「踊らん哉」(Shall We Dance)

流れている歌は"Slap The Bass"です。

アーサーは古い映画や音楽が好きなんですね。彼が1981年のリアルタイムな映画や音楽を楽しんでいるシーンはまったくありません。

 

アーサーは歌に合わせて踊り出し、思わず拳銃を発射してしまって、慌てふためくことになります。

びっくりしてぶっ倒れるアーサー。母親の声に慌てて返事して、テレビのボリュームを大きくして。ここ、いかにもコメディ映画の1シーンのようですね。

ストーキング

翌日、1981年10月17日土曜日

フードを目深にかぶり、アーサーはソフィーの後を尾行します。

列車に乗って後をつけていき、"WILLIAM ST."と表示のある通りに至ります。

「ウィリアム・ストリート」はニューヨークのマンハッタンにありますね。

「ウィリアム・ストリート」は「ダークナイト・ライジング」でウォール・ストリートの代わりとして、戦闘シーンの撮影が行われた場所です。

Pogo's

アーサーはコメディ・クラブ"Pogo's"を訪れ、舞台で行われるコメディアンのショーを見ながら、ノートにメモをとっています。

研究熱心ですが、アーサーの笑うタイミングは周囲の人とズレまくってますね。同じタイミングで笑うときには、いかにも合わせてるように嘘くさい笑いになってます。

コメディアン志望のアーサーですが…致命的にセンスがない、ということはここでもう現れています。

 

ポゴは道化師の名前で、「殺人ピエロ」として有名なシリアルキラー、ジョン・ウェイン・ゲイシーが扮していたピエロでもあります。

日曜にはピエロのポゴに扮して子供達を笑わせていたゲイシーは、33人の少年を犯し、拷問して殺害していました。

スティーブン・キングの「IT」のモデルの1人とも言われています。

ゲイシーは死刑になるまでの獄中で、ピエロのポゴの絵を描き続けました。その絵は高値で取引され、ジョニー・デップも所有しているとのことです。

 

その夜、自宅で、アーサーはタバコを吸いながらノートを描き続けています。BGMは不協和音になり、彼の精神状態が崩れていることを示しています。

「精神障害者にとっての困難は、世間の目だ。心の病などないと訴えてくる。普通の人のようにしてろと」

 

ソフィーが部屋を訪ねてきて、「私を尾行した?」と尋ねます。このピンチを、アーサーは彼女を笑わせることで切り抜けます。

「面白い人ね」と認められ、アーサーはソフィーをライブに誘います。

…ですが、このシーンはまるごとアーサーの妄想です。ソフィーはアーサーを訪ねてきてはおらず、アーサーとソフィーの交流も始まりません。

小児病棟

1981年10月18日日曜日

アーサーは病院の小児病棟で、入院している子供達のためのピエロをやっています。

出し物は「幸せなら手を叩こう」で、そこそこ受けているようです。

でも、途中で拳銃を落とし、みんなをドン引きさせてしまいます。このシーンも、アーサーのごまかしを含めて、ベタなコメディ・シーンになっています。

 

その件によって、アーサーはさっそくプロダクションからクビを言い渡されてしまいます。

ランドルは「先週アーサーが28口径を買おうとした」とホイト・ヴォーンに報告したようです。

 

ここでのランドルの証言…「アーサーが拳銃を買いたいと言った(でも本当は売ってない)」の方が事実で、ランドルが拳銃をくれたという劇中の描写の方が妄想であった可能性があります。

その場合、アーサーが病院で落としたのは本当にコントの小道具だったことになりますね。

アーサーは「ウケると思って」わざと銃を落としたのです。

なぜそんなことをしたかというと、前日のPogo’sで、「下ネタや過激なネタがウケる」と学んでしまったからですね。アーサーはとことん、TPOがわからないのです。

地下鉄の殺人

クビにされ、傷心のアーサーはピエロの扮装のまま地下鉄に乗っています。

3人のスーツ姿の若いサラリーマンが、酔っ払っているのか、乗客の女性に絡んでいます。フライドポテトを投げつけて。

そこでアーサーの発作が起こり、彼は笑い出します。男たちがアーサーに気をとられたすきに女性は逃げ出し、男たちはアーサーに狙いをつけます。

 

男たちがジョーカーに暴力を振るうときに歌う歌は、フランク・シナトラのスタンダード・ナンバー”Send In The Clowns"

スティーヴン・ソンドハイム作のミュージカル”A Little Night Music”の中で歌われる曲です。

 

Isn't it rich?

Are we a pair?

Me here at last on the ground

You in mid-air

Send in the clowns

 

素敵じゃない? 似合いの2人でしょ?

私はここにきた でもあなたには届かない

笑ってよ とんだピエロよね

 

ミュージカル・ナンバーを歌いながらの暴力。「時計じかけのオレンジ」を思わせるシーンです。

「時計じかけのオレンジ」では主人公が「雨に唄えば」を歌いながら暴行を行います。

しかし、本作ではアーサーが反撃します。彼は拳銃を発砲し、瞬く間に男たちのうちの2人を撃ち殺してしまいます。

 

列車は9番街駅に停車し、残った一人は逃げ出し、アーサーは追いかけてホームで彼を背中から射殺します。

9番街駅はニューヨークではブルックリンに位置しています。

この地下ホームは、1975年以来使用されていません。

使用されていないホームでの撮影なので誰もいないわけですが、劇中世界ではこれだけ派手に発砲して、誰にも止められないのは奇妙ではあります。

この銃撃シーンもまた、アーサーの妄想なのかもしれません。

 

1981年の若いサラリーマンが、シナトラの古いスタンダード・ナンバーを歌うでしょうか?

アーサーなら、歌うでしょうね。彼は古いミュージカルや往年のスタンダードのファンだから。

つまりこの歌も、このシーンがアーサーの妄想であるヒントだと解釈できます。


男を射殺した後、アーサーが駆け抜けるトンネルはマンハッタン・ブリッジのマンハッタン側にあるアンダーパス

その後、トイレに逃げ込んだアーサーは、うっとりとしたように踊り出します。

このシーンは、ホアキン・フェニックスのアドリブだったそうです。どう撮影するかに行き詰まったトッド・フィリップスは、音楽のヒルドゥル・グーナドッティルによって録音されていたチェロのスコアをホアキンに聴かせました。音楽にインスパイアを得たホアキンはダンスを始め、慌ててカメラが回されて、あのシーンが収録されました。

 

殺人によって高揚したアーサーはアパートに帰り、ソフィーの部屋に直行して彼女にキスします。

男らしいシーン!ですが、これは妄想であることが後に示されます。

 

「ジョーカー」ネタバレ徹底解説その2に続きます。

 

 

 

 

 

 

本作のいちばん大きなインスパイア元となるとこの映画でしょうね。

 

 

指で自分の頭をちゅどーん!…の元ネタ。

 

アーサーがテレビで観る映画。