It (2017 アメリカ)

監督:アンディ・ムスキエティ

原作:スティーヴン・キング

ジェイデン・リーバハー、ビル・スカルスガルド、フィン・ウォルフハード、ソフィア・リリス

 

 

①キングらしい青春映画の傑作!

 

まず最初に、傑作です!と言っておきたい。スティーヴン・キング原作の映画、本当に誇張でなくゴマンとありますが、その中でもシャイニングとか、ショーシャンクとか、キャリーとかの傑作の部類に入ると言えるんじゃないでしょうか。

キングの小説の魅力ってたくさんあるんだけど、その中の一つに、いわゆる「スタンド・バイ・ミー」的青春映画要素。アメリカの若者たちのある時間を切り取って、それをとても魅力的に見せてくれる。キラキラと楽しくってそれでいてどこかシビアな暗さも含んでいて、ずいぶん文化の違う僕たち日本人もなぜかノスタルジーを刺激されてしまう、青春映画としての魅力。それが今回、高いレベルで完成されていると思います。

 

原作は現代(大人時代)と過去(子供時代)を行き来しながら、並行して描いていく構成で、文庫本で4冊にもなる大作。今作は子供編だけなので半分の量ですが、それでも結構なボリュームがあります。主人公格の子供たちだけでも7人もいて、そのそれぞれに重い背景や事情があり、それが物語と密接に絡んでくる。それを限られた時間で描き分けないといけないわけだから、なかなか大変な作業だったと思いますが、この映画はそれが見事に成功しているんですよ。

確かに駆け足に感じるところもありますが、しかし原作を上手く改変して、限られた尺の中でわかりやすく伝わるように描いています。物語のディテールは映画というメディアに合うように大胆に変えながら、それぞれの登場人物たちの描き込みという「IT」にとって大事なポイントは決して外さず押さえている。弟を失ったビルの痛み、ベンの孤独、ベバリーのハードな境遇、エディの自立へ至る過程など、短い時間でもきっちり伝わる描き方だったと思います。ビルの弟ジョージィへの切ない思いは、むしろ原作より厚く深く描かれていたんじゃないでしょうか。

 

"負け犬クラブ"の7人の子供たち、それぞれの事情は本当にシビアなんですよね。死とか、セックスとか、差別とか、あるいは病んでいる大人とか、一筋縄でいかないシビアな状況ばかり。これもキングらしさなんですが、子供であってもキツい現実を突きつけている。(なんかリッチーだけ何もなかった気がしますがそれはさておき)

 

そういうキツさ、暗さをきちんと描きながら、でも夏休みに子供であることの楽しさ、嬉しさ、かけがえのなさもイキイキと描いている。パンツいっちょで唾飛ばしするとか、くだらないワイ談を言い合うとか、そういう小学生男子ならではのバカバカしい楽しさがちゃんと再現されてます。そこに女の子が入ってくる時の、まだ本気でどうのこうの感じるまでの歳じゃないけど、やっぱり否めないドキドキ。(ベバリーだけ大人っぽ過ぎて浮いてるように見えますが、でもこれはベバリーが実際に大人だからなんですね。ベバリーは子供でありたいと思っているんだけど)

 

そういうくだらなさ、バカバカしさは永遠に続くように思えるのだけど、でもその影には既に大人世界の暗い現実があって、彼らもじきに、それに直面して大人にならなければならない。そういう瀬戸際に彼らがいることがわかるから、キラキラした夏を描いていてもとても切ない

 

原作は1986年に出た小説なので、現在が1985年、過去である子供時代は(キングが実際に子供時代を過ごした)1958年になっています。今回、30年後に映画化するにあたって、一気に時制を現在に合わせる大胆な改変が行われています。子供時代は50年代ではなく、1989年に変更されました。

ラジカセ聴いてたり、テレビゲームやってたりと言った80年代描写が入ることで、原作にあった「古き良き時代」的ノスタルジー要素は薄くなり、やや軽くポップなノリになっています。しかし、どうしても早足にならざるを得ない映画版の構成には、軽く疾走感のある80年代のムードがよくマッチしているように思います。

特に悪役であるヘンリー・バワーズなどは、80年代的な「ビョーキ」要素が入ることで、急に破滅に向かって行く展開に説得力が増しているんじゃないでしょうか。

 

原作がキングならではの執拗な書き込みによって構築されたハイパーボリューム作品なので、135分の長尺をもってしても収まりきっていない感はやはり感じます。子供たちが夏を共に過ごして絆を深めていく描写はもっと濃密に見たかったし、一人一人の紹介もきちんと伝わるとは言えやはり駆け足。弟の死に責任を感じ、両親の愛を失って傷つき、だからこそITとの戦いにがむしゃらに突き進んで行かざるを得ないビルの心情も、もっと深く描いて欲しかった…という思いは残ります。

でも、それじゃたぶん2時間強の枠には収まらないし、登場人物を削るとか、別種の改変が必要になったでしょう。

今回、あえてそれをせず、7人の「サークル」をきちんと保って描いたのは、やっぱり原作へのリスペクトゆえだろうと思います。

7人の子供たちはみんなキャラが立っていて、原作を未読でも誰が誰かわからなくなることはないと思います。子役たちもみんな素晴らしくて、その力も大きく寄与しています。

 

②キングらしいてんこ盛りのサービス精神!

 

スティーヴン・キングの小説のもう一つの特徴が、常に過剰であること。サービス精神旺盛過ぎ!と思えるような、やり過ぎ感溢れる怪異描写があります。

リアリティを構築するために大勢の人々の日常生活をびっしりと詳細に書き込み、人々の心情や背景を執拗に肉付けしていって、更にそこにコレデモカと言わんばかりに怪異描写を畳み掛ける。そういう作風だから、キングの小説は常にハイパーボリュームで、(何度も映画化されるのだけど)映画の枠に収めるのは難しいんですね。

 

「IT」は特にその時期のキングが集大成を目指した作品だけに、怪異のボリュームも物凄いことになっています。7人の子供たちそれぞれが、個人的に怪異を体験する。行方不明になる子供たちを襲う怪異や、デリーの町を歴史的に襲ってきた怪異も並行して描かれる。そしてそこから、7人が揃って立ち向かう怪異のつるべ打ちに突入していく。

「IT」はそもそも形のない怪物なので、襲われる子供がいちばん怖いと思うものの形をとる。原作は50年代の設定なので、ミイラ男とか狼男とか、ベタなユニバーサルモンスターが次々登場してきます。これは、吸血鬼とか幽霊屋敷とか、古典的な恐怖要素を現代風にリメイクして「モダンホラー」というジャンルを確立してきたキングの総決算でもあるんですね。

 

その他にも日本の特撮映画から飛び出してきた巨大怪鳥とか、動き出すポール・バニヤンの像とか、やり過ぎ感溢れるモンスターが原作には登場します。これをそのままやると映画では失笑になってしまうわけで、映画は80年代への変更という点を上手く利用して、絵の中の不気味な女とか病気で爛れた男とか、ジャパニーズホラーの影響以降のホラーらしい日本的なリアル感のある怪物に変更しています。

 

そして、原作よりも前面に出ているのが作品のビジュアルイメージともなっているピエロです。ここ数年、90年のテレビ版のピエロが「怖い映像」としてネットで頻出したり、本物の殺人ピエロが出現したり、半ば都市伝説化していたり、「ITのピエロ」の存在感は増していますね。今回の映画化は、そんな潮流に逆に乗っかったものとも言えそうです。

基本がピエロなので、出現シーンがすべて「悪趣味な悪ふざけ」になっています。大仰なドッキリ演出、いかにもな怖がらせ、そう言ったホラーの見せ場演出が「ピエロなので」正当化されていて、ただでさえボリューム過多な恐怖シーンが更にこってりと、サービス満点に盛られています。

 

恐怖シーンの数自体も多いし、そのそれぞれがたっぷりと盛られています。結果、楽しいのは楽しいんだけど、やや両刃の剣的な面もあって。

ヤバい場所に閉じ込められて、めちゃ怖いピエロが出現して、そいつが牙を剥いてワーッ!と襲ってくる……けど死なずに生き延びる……というシーンがあまりにも多く繰り返されるので、ちょっと敵の恐怖が薄れてしまうきらいがあります。

いや、理由はちゃんと描かれているんですけどね。ITは恐怖を食らうから、相手をさんざん脅かして骨の髄まで怖がらせてからじゃないと殺さない。ビルたちには7人の絆があるから、本当の恐怖からギリギリのところで逃れられている。…ということではあるんだけど、ちょっと同じような寸止めシーンが多過ぎるのは否めない。

……なんだけど、そういう「ちょっとやり過ぎ」な過剰感も含めて、キングらしいとも言えるんですね。キングの小説自体が過剰の塊みたいなもんだから。

キングの小説を、そのスピリットに忠実に映画化すると、どうしても「シャイニング」みたいな余白の多い作風にはならない。隙間という隙間に、詰め込めるだけのサービスを詰め込んだような、ぎっしり大盛り弁当みたいな作品になる。その意味でも、これは本当にキングらしい作品に仕上がっていたと思います。

 

③感動的な映画でもあります

 

そういう基本的に大にぎわいな映画ではありますが、でも原作の静謐な部分、キングのこれまた一面である、繊細な文学性の部分も押さえていると感じました。その点も、良かったです。

 

冒頭の船のシーン。お母さんがピアノを弾いていて、これは原作では「エリーゼのために」だったんだけど映画では少し調子外れな、不気味さを漂わせるものになっていて。風邪をひいて寝込んでいるけど弟のために船を作ってやるお兄ちゃんと、お兄ちゃんのことが大好きでしょうがない弟の関係が、言葉少ないシーンの中でもちゃんと伝わって。

船をもらったジョージィが、お兄ちゃんにぎゅっと抱きつくんですね。原作では確か、「そんなふうに抱きつくなんて久しぶりだった。でもなぜかそうしたくなった。そして、それが最後になった」というような記述があって。もうそのシーンだけで、泣きそうになっていました。

 

ジョージィが船を「それ」と呼んで、ビルが「船は女性名詞で、彼女って呼ぶんだ」と訂正する。それが、「それ」と呼ばれる怪物への伏線になっている。通常英語で命ある(と思える)ものを呼ぶ時の、「」でも「彼女」でもなく「それ」と呼ぶしかない怪物。

 

そして、最後、この会話が、ビルがITの化けたジョージィを見破るシーンに繋がる。これは原作にないオリジナルなシーンだったんじゃないかな。とても上手い伏線の使い方だったと思います。

(原作は読み返さずに記憶で書いてるので、原作にあるシーンだったらすみません)

すべてが終わった後で、ジョージィのレインコートを抱きしめるビルに、みんなが優しく寄り添う。ここも、原作とは少し違うけれどいいシーンだったと思います。ITとの対決は力押しの印象で、原作にあった神秘性は皆無だったけれど、いたずらに話を大きくしないでビルとジョージィの関係に絞るためのあえての改変だったかもしれません。ITの正体も含めて、その辺はチャプター2の大人編に持ち越しなのかも。

 

キングの「IT」って、30年も昔の本になってしまって、さすがに新鮮味は失せたけれど、当時は本当に「凄い本」っていう印象があったんですよ。

それこそ89年頃、第一次キングブームというか、新潮文庫とかで次々本が出てた時代がありまして。でもまだ出てない、「なんかキングの集大成の、凄い本があるらしい」って。なかなか日本語訳が出なくって、読みたくてやきもきした記憶が残ってます。

 

日本語訳ではほとんどわからないんだけど、怪物が「IT」と呼ばれるのにも文学的な仕掛けがあって。英語では「それ」という意味で使う以外でも、あらゆる箇所に「It」が入り込むから、「変幻自在であらゆる場所に隠れている」ITの設定が、本のテキスト全体で再現されているという、物凄い仕掛けがされていて。

文学作品としても、確かにエポックメイキングな作品だったのです。

 

それが30年を経て今さら映画化されるだけでも嬉しいのですが、出来上がった作品が本当に原作への敬意に満ちた、それでいて創意もいっぱい詰まったものだったので、すっかり嬉しくなってしまいました。

僕が観に行ったレイトショーは若いお客さんでいっぱいで、ヒットしてるようなのも嬉しい限り。いつになく若い客層でなんだかざわざわ騒がしく、マナーはあんまり…だったのですが、それも含めてキング体験!

 

かつてキングの小説に夢中になっていた(最近は遠ざかってる)人も、是非観に行って欲しいと思います。

 

※原作との違いを検証してみました!