It (2017 アメリカ)

監督:アンディ・ムスキエティ

原作:スティーヴン・キング

ジェイデン・リーバハー、ビル・スカルスガルド、フィン・ウォルフハード、ソフィア・リリス

 

 

映画「IT/イット "それ"が見えたら、終わり。」を観て、ボリュームのある原作をどんなふうに脚色したのか興味が湧いたので、読み返して検証してみました。

 

映画のレビューはこちらに書いてますのでよろしければ読んでください。ネタバレです。

 

原作のうち、今回の子供編にない部分、大人編の部分については触れていません。次のチャプター2のネタバレになっちゃマズイので。

 

①ジョージィが「行方不明」に

 

映画ではジョージィは排水溝に引き込まれ、行方不明になっていましたが、原作ではジョージィの死体は、そのまま道端に放置されることになります。だから、ビルにとっても、ビルの両親にとっても、ジョージィの死は疑いの余地なくはっきりしています。

 

原作では他の子供、例えばベティ・リプサムも死体が発見されています。事故ではなく、家出でもなく、連続殺人事件であることが明白になっているんですね。だからこその夜間外出禁止令だったりします。行方不明になっている子もいますが、しかしいくつかの他殺体が発見されているので関連づけて語られているわけです。

 

確かにその方が自然ではあって、いくらジョージィが小さいと言っても、子供が通る大きさの排水口なんて危なくて仕方がない。それに、ビルの父が「ジョージは死んだんだ!」と断言するのもやや不自然になってしまいます。親ならば、死体が見つかっていなければ一縷の望みに縋りそうなものだから。

 

それでも、映画であえて行方不明に変更しているのは、ビルの動機を明確にするためでしょう。

弟の死に責任を感じるビルが、ジョージィをなんとかして見つけてやりたいと思う。この動機を追加することで、ビルが危険を冒してイットとの戦いに臨んで行くことに説得力を持たせています。

 

ビルが納屋に下水道の模型を作り、ジョージィが荒れ地に流れていったはずだと主張して、父親に「母さんが見る前に片付けろ」と言われるシーンは、映画のオリジナルです。ここで具体的にデリーの下水道と荒れ地の関係を見せることで、観客にイットが潜んでいる場所のイメージを持たせています。

またこのシーンは同時に、弟の死の後、両親の愛情を受けられなくなったビルの孤独を見せるシーンにもなっていて、上手い変更だと思います。原作では、食卓で話をしても聞いていない…という描写になっていました。

 

②子供たちそれぞれの違い

 

ベン・ハンスコムが転校生になっているのも映画独自です。孤独で友達のいない設定のベンですが、転校生設定でその辺がスムーズになっています。

 

ベンがデリーの過去をスクラップしているのは、原作ではマイクの役回りでした。

少年時代ではなく、大人になってデリーの図書館に勤めるマイクが、デリーの呪われた歴史を調べた(また来るイットとの対決に備えて)という設定です。

原作は現在(大人時代)から過去(子供時代)を回想する構成で、二つの時制が交互に描かれます。なので子供時代に先んじて背景の説明ができるんだけど、映画ではこの構成を捨ててるので、どこかに説明を入れなきゃならない。そこを、上手いことベンの役割に回していました。

 

マイクが家畜を殺す銃を使うのも映画オリジナルです。原作ではマイクは農場の仕事を手伝ってはいますが、銃を使うシーンはないです。

この屠殺銃はイットとの対決の重要なアイテムとして使われることになります。原作にはない要素です。

 

スタン・ユリスは原作ではとても影の薄い子なので、映画の方が描写は厚くなっていました。ユダヤ教のラビの息子である設定も映画だけです。

これは、原作では現代パートが先に描かれて、スタンにある出来事が起こるので…チャプター2に絡みそうなのでやめます。

 

べバリーとエディに関してはほぼ原作通りだったと思います。

べバリーの父は不気味な描写で、原作より異常性が増していたように思いました。やや近親相姦を匂わせるようなところも原作より過激。

 

エディの腕を折るのは原作ではヘンリー・バワーズです。

エディの母親が友達のせいにして遠ざけようとするのは同じですが、映画ではそれはイットとの戦いのせいなので、母親の言い分にも一理あるような感じになっちゃってます。

原作では、一人でいたからこそヘンリーに襲われたのであって、みんなといれば安全だったというエディの言い分が正しいんですね。母親がエディを守ろうとするのが本当はエディのためじゃないこと、それにエディが気づくことが、映画ではややぼやけてしまっています。

 

リッチーの家庭は一度も出てきませんでしたね。原作でも僅かしか出てきていなくて、リッチーに関しては家庭の問題はあまり重視されていません。

でもリッチーは7人の中でいちばん喋っているので、かえって目立ってます。原作ではこのお喋りのせいでヘンリーに目をつけられる…というところがありますが、映画では割とシンプルな、ビルのバディみたいなキャラになっています。

どもりのビルがつっかえながら喋り、リッチーがそこに早口でツッコミを入れていくことで、子供たちのシーンに軽快なリズム感をもたらしています。

 

③荒れ地の秘密基地問題

 

7人が荒れ地で過ごす過程はいろいろスリム化されていますが、大きいのは「地下のクラブハウス」が省かれていることです。

原作では7人は荒れ地に穴を掘って、そこを秘密基地にします。そこに潜んでヘンリーから逃れたり、デリーの過去のアルバムを見たり、「煙の儀式」で大昔にイットが宇宙からやって来るところを幻視したりします。

 

クラブハウスがカットされたのはスリム化というのもあるんだけど、舞台が80年代になってることも大きいように思います。

荒れ地に秘密基地を作ってそこで遊ぶ、というのはやはりいかにも50年代的で、80年代の子供にはそぐわないと考えたのでしょう。

 

「スタンド・バイ・ミー」的なノスタルジックな世界観に、キング本来の王道ホラーを結合する、というのが「IT」の大きなコンセプトで、それは既にいろんな作品に影響を与えたりもしています。浦沢直樹の「20世紀少年」なんかそうですね。

時代を80年代に変え、秘密基地もカットすることで、今回の映画版は「スタンド・バイ・ミー」に似過ぎるのを避け、上映時間に見合ったシンプルなホラー作品としてまとまっているのだと思います。

 

クラブハウスの代わりに映画独自のシーンとして加えられたのが、子供たちが湖で泳いで遊ぶシーン。ここは楽しく、瑞々しくって、とてもいいシーンだったと思います。原作ではあんまり感じられない「夏」の楽しさを描いているシーンでもあります。

下着姿で遊んでるところにべバリーが入ってきてドキッとするんだけど、でもまだそこで本気で性的なものを感じるまでには至っていない。そういう、子供たちの年齢のイメージをはっきりさせるシーンにもなっていたと思います。

 

④イットをどうやって殺すのか

 

もう一つ、原作からカットされている大きなポイントが、「なぜ子供たちがイットに対抗できるのか」というところです。

 

原作では、子供たちは彼らなりにイットへの対抗策を考えます。図書館へ行って、イットに似た怪物の伝説を調べたりします。

そして、ニーボルト・ストリートの家に臨む際には、パチンコで発射する銀の弾丸を作って、戦いに挑みます。

 

銀の弾丸は狼男を倒せると言われるアイテムですが、それ自体がイットに効くというよりは、効くと信じることで効力を発揮する、という描かれ方をされています。

というのは、イット自体が決まった形を持たない、見る人のいちばん怖いと思うものの形をとる怪物なんですね。そして、大人には見えなくて、子供にしか見えない。子供の、純粋に怪物を信じ怪物が怖いと思う心があって初めて成立する怪物だと言えます。

 

そのイットを殺す力も、信じることに依存します。

だから、子供こそが対抗できる。子供は、銀の弾丸が怪物に効くと心から信じることができるから。

原作のニーボルト・ストリートのシーンでは、べバリーがパチンコでイットに対抗します。銀の弾丸を撃ち尽くしてしまって、何も撃つものがなくなっても、べバリーが空っぽのパチンコを引き絞りイットに向けると、イットは恐れをなして逃げていきます。

7人が強い団結を発揮して、イットを倒せると強く信じれば、それは本当にイットを殺す力になるんですね。

 

映画ではこの辺の描写はまるごとカットされてしまっています。

なので、子供たちが何の策もないままイットに向かっていくように見え、無謀に見えてしまいます。イットとの戦いも基本力押しに見えるので、イットの恐ろしさが強調されればされるほど、子供たちが殺されないのが不自然に見えてしまいます。

子供たちが対抗できる理由について、最低限でも描写があった方がよかったんじゃないかと感じます。

 

⑤映画はビルの物語。原作はみんなの物語

 

原作ではニーボルト・ストリートの家の後の仲違いはなく、そのまま推移します。べバリーが父に問い詰められるシーンが発端になるのは同じですが、イットにさらわれることはありません。

逃げ出したべバリーは更にヘンリーに追われ、皆と合流してから地下に逃れ、7人でイットとの対決に向かいます。

 

ここが原作と映画のもっとも顕著な違いです。映画では、イットとの対決に向かおうとするのはあくまでもビルで、それは最初に提示されたジョージィを見つけることが動機に設定されています。ビル以外の子供たちは、ビルに共感してついて行っているにとどまります。

ニーボルト・ストリートの後でついて行けなくなって、子供たちはバラバラになります。最後に彼らは再び一緒にイットに向かいますが、それはべバリーがさらわれるという非常事態になったためです。

 

また、原作ではべバリーの父とヘンリーを操って攻撃に走らせたのはイットであることが、はっきりと示されています。イットはデリーの町全体を支配していて、どこにいても安全ではない…ということを思い知って、子供たちは自分からイットとの対決に向かっていくことになります。

 

原作にあった、子供たち全員が覚悟を持って、イットとの対決に臨むムードは映画では失われています。イットとの戦いに積極的なのはビル一人だけ。他の6人はいわば巻き込まれただけで、成り行きで戦いに同行するだけです。

 

「IT」という物語の大きなテーマからするとこの改変は物足りないのですが、たぶんこれはチャプター2を見据えて、意図的に欠落を作った改変だろうと思います。

原作は子供編と大人編が同時に進行するので、それぞれのパートで同じことをやっていても問題はない。でも映画では、子供編と大人編は別の映画になります。もしそれぞれのクライマックスを同じにしてしまったら、チャプター2を観た時に「前作の繰り返し、焼き直し」に見えてしまうでしょう。

 

だから、イットとの本格的な対決、ビル以外の子供たちも含めての戦いはチャプター2に「とっておき」なんだと思います。

今回の映画では、あくまでもジョージィのことを動機としたビルの戦いに徹したということなんでしょう。

 

原作と読み比べるとだからどうしても不満を感じてしまうところはあるんだけど、次作と2本合わせての映画作品としては、今回の改変は妥当だったのかなと思います。

話を大きく広げ過ぎず、ジョージィをめぐるビルとピエロの対決に絞ることで、シンプルになり、観やすくなっています。

ビルの心情に深く感情移入することで、ビルがジョージィの黄色いレインコートを抱きしめ、皆が寄り添っていく感動的なシーンも生まれました。これは原作では大人編の途中でちょっとだけ出てくるシーンですが、上手いアレンジになっていると言えるでしょう。

 

原作との大きな違いとしては、子供編のラストにもう一つ重要なシーンがあって、それがまるごと省かれているのだけど、これはたぶんチャプター2でも回収はされないんじゃないかと思います。映像化の難しい、とてもデリケートなシーンなので。

ここに関しては、原作ならではの見どころとして置いておいてもいいんじゃないかという気がしています。

映画が気に入った方、ぜひ原作もどうぞ!

 

そういう様々な改変が加わって、映画は映画ならではの、原作は原作ならではの魅力がそれぞれにある、というふうに思います。月並みな結論ですが。

映画はいろんな要素をあえてチャプター2に持ち越したところもあるので、そちらを楽しみにして、2作合わせてまた原作と比べてみたいところです。

 

 

 

 

 

IT/イット "それ"が見えたら、終わり。 レビュー(ネタバレあり)