プロムナード -24ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

小生の本籍は都内荒川区だが、生まれてから数年間、両親と共に文京区駒込に住んでいた。今でもその片鱗ではあるが、住んでいた長屋や、そこにあったちゃぶ台、玩具のロボット、更にそのロボットが壊れた時に純粋文系人である母親が果敢に修理を試みた姿などは記憶にある。その長屋は天祖神社という神社に隣接していた。その名前や場所は全く記憶が無かったが記憶を辿るべく、実に五十数年ぶりに訪れてみた。
 
場所は関東平野におよそ700平方キロ広がる武蔵野台地東縁の本郷台地の上にあり、不忍通りの道坂下交差点から道坂上まで南下して西に折れたところにある。JR田端駅若しくは西日暮里駅から徒歩で15分~20分程のところだ。
 

 

 
天祖神社の物理的諸元は次の通り。
 
所在地 東京都文京区本駒込3-40-1
位置     北緯35度43分49.3秒
    東経139度45分17.4秒
主祭神 天照大御神
社格等 旧村社 駒込村総鎮守
創建     文治5年(1189)
本殿の様式 神明造
別名     駒込神明宮
例祭     9月16日
 
この付近は田端駅から歩くと判るのだが、かつて河川が縦横無尽に流路をとっていたために台地の起伏が複雑に入り乱れ、現在は暗渠となっている谷田川(藍染川)、即ち旧石神井川、の流路にある谷田橋交差点付近を相対的な最低標高とすると、そこから不忍通りの「道坂下」交差点から「道坂上」までの坂を上って付近を見渡せば、前後左右の高さが各々異なる地形となっている。下の図の赤丸が天祖神社だ。標高は黄色が一番高く、ついで緑、水色、青となる。
 

 

南端を京成電鉄「京成上野駅」とする上野台地は、地質学上、新生代第四期洪積世なので本郷台地の一部だ。
 
天祖とは、天皇の祖先のことで、一般には天照大神をさすが、古くは瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を指したこともあった。全国くまなく在る天照大神をお祀りする神社は、主に神明社や神明宮、天祖神社と称される様だ。その名前を名乗る天祖神社のひとつがこの駒込天祖神社である。
 
昭和44年に書かれた、境内にある「天祖神社の御由緒」には、
 
「当社は鎌倉時代文治五年(1189年)源頼朝が奥州藤原泰衡追討の途中、この地を過ぎる時に霊夢を戴き、松樹に大麻がかかり、祠が御座したのを畏み、神明を祀ったと云う御由緒が伝えられています
 
以来駒込神明宮と称され駒込の総鎮守として一郷の共同生活と栄敬の中心として仰がれて参りました
 
明治の御代となり天祖神社と改称され氏子区域は駒込一円の浅嘉町林町吉祥寺町片町富士前町上富士前町道坂町神明町及び豊島区駒込の全町であります
 
現在の新様式の神明造り御社殿並びに社務所はこれら(以下解読不可能)者によって戦災後復興奉賛会が結成され各位の厚き誠の心の結集により再建を期され昭和31年に完成致したものであります
更に明治100年記念事業として氏子栄敬者各位の御奉賛により大鳥居や舞殿の建設並びに境内整備が行なわれ、ここに威容荘厳を示すに至りました」
 
とある。
 
また、東京都文京区教育委員会が昭和63年3月に掲げた天祖神社にある同神社の説明板によると、
 
「江戸時代、駒込の氏神として神明さまと呼ばれ、里人に親しまれてきた。社伝によると、文治5年(1189年)源頼朝が奥羽征討(藤原泰衡-やすひら追討)の途中、この地に立ち寄り、夢のお告げで松の枝に大麻(伊勢神宮のおふだ)がかかっているのを見つけた。頼朝は、征討のよい前触れと喜び、この地に神明(天照大神)を祭ったのが、この神社の起源といわれる。
社殿の様式は神明造り。
大麻のかかっていた大木は、神木として崇められ、さしわたし4尺(1.2m)もある大木と伝えられている。
その後、宮守も無く神木の根元に小さな祠を残すだけとなったが、1650年頃、堀丹後守利直によって再興された。神木はその後枯れたという。
社殿の裏に、都立駒込病院辺りにあった「鷹匠組」の寄進名が刻まれた石柱が今も残る。」
 
と書かれている。
 
そう云えば、住んでいた土地の当時の名前としては神明町だった。都電の車庫も公園もすべて神明町だったし、実際、小生の両親やこの地に住む人たちはこの神社のことを「神明さま」と呼んでいた。この神明町と言う名称は、天祖神社(神明さま)があることから付けられた町名だったのだが、現在は既に消滅しており、文京区本駒込となっている。町名はこの神明さまというところから付けられたものだろう。
 
神明町は、文京区の歴史によると、
 
「もと、北豊島郡駒込村の内であった。明治24年に東京市に編入された。町名は駒込の総鎮守天祖神社の旧称である神明社のあることから名づけられた。
「駒込は、一富士二鷹三茄子(古川柳)」
富士は富士神社、鷹は鷹匠屋敷で現駒込病院の地にあった。また、富士神社裏一帯の畑からは富士裏の茄子が採れて、有名であった」
 
一般に、一富士二鷹三茄子とは、縁起のよい夢を順に並べて言う言葉とされており、駿河の国(現静岡県)のことわざで、一説に駿河の名物を言うと云われているが、それを実現している地という意味では、神明町はまことに縁起の良い土地だったとも云える。
 
しかしながら、その痕跡としては、鷹匠屋敷跡には現在、駒込病院が建っているだけで鷹匠の痕跡はなく、茄子についても現在では周辺の宅地化により茄子の生産は全くなく、縁日等でも土産の茄子も売られていないという。一方、富士については天祖神社近くに駒込富士神社と言う神社があるのだが、一富士二鷹三茄子のうち、残っているのは富士のみとなっている。この富士に就いては後で述べる。
いずれにせよ、縁起の良い土地とされているが、その一方で、一富士二鷹三茄子は「仇討ち」を示す隠語であるとの説もあるらしい。「富士」の裾野での曾我兄弟の仇討ちがあり、「鷹」は忠臣蔵での敵役・浅野長矩の定紋で、「茄子」は鍵屋の辻の決闘の舞台、伊賀上野の名産物をそれぞれ表すということが根拠という。どれが正しいかということよりも、様々な解釈があるということが興味深い。
 
先に述べた様に1189年が起源とされているが、その後江戸時代には駒込神明宮と称され、駒込村総鎮守とされた。しかし、空襲により残らず消失してしまったのだが、氏子各町の熱意により昭和29年新築し現在に至っているという。
 
この天祖神社に関する記憶は残念ながら無い。神社というもの、2-3歳の子供にとっては遊具や謎めいたものが無ければそんなものだろうとは思う。ただ、昭和29年に新築というところ、なんと小生の歳と同じである。
 
こういうマイナーな旅もまた楽しい。
 
春近し、といえども気温は冬。毎年、この頃になると、ひょっとしてこのまま春が来ないのではと思う。昔から寒いのは苦手だったが、それでも二十代の頃は毎年年末年始には冬山登山に行ったものだ。今でも行きたいと思うが、行かない。そこは探検で培った知恵で、無理はしても無茶はしない、ということ。

それはともかく、寒い日が続くと当然のこととして暖かいところに行きたくなる。

暖かいところに行く一番手っ取り早い方法は、温室に行くことだ。

温室は意外と身近にある。拙宅近くにもあるから結構ひいきにしている。入った瞬間の温度と湿度は、たまらない快感だ。避寒としては、ゼッタイお勧めである。

ところで、温室にもバリエーションがあって、植物だけの温室ではなく、昆虫を放し飼いしている温室というのがある。

とりわけ、放蝶している温室が秀逸。

そういうところにいる蝶は概ね南方系の蝶が大半で、彼らはどちらかというとフワフワヒラヒラと飛ぶ大型蝶が多いので、飛翔姿は優雅にして可憐だ。元来、蝶は幼虫が作物の外敵であることを除けば、歯も針も持っていないので、人類になんら危害を加えることはない。

バラとは異なり、美しいのに棘がないのだ。

 
オオゴマダラ

 
リュウキュウアサギマダラ

その辺りが子供を含めて愛される理由なのだろう。そんな姿を眺めていると時間が経つのが感じられない。しかも温室の中だから、いわば檻の中に蝶も人も同居しているわけで、常に視野の中に彼等がいると言う状態だからなおさらである。


一方、彼らも外界とは異なって外敵天敵がいないので、そこは楽園だろう。いわずもがな幸せなやつらである。

蝶が嫌いな人にはお勧めなスポットではないのだが、生理的に受け付けないと言うことでない限り、何ら危害を加えることなく、ゆっくりと舞う彼等を見直し、いったいどうしてこういう翅の模様を選んだのだろうとか、思いは馳せらすには良い機会だと思う。

 

 

 

東京都内というと、ビルが立ち並んでいて凸凹しているが土地は平坦なところと云うイメージを持つ人は多いだろう。そもそも東京都は関東平野という日本最大の平野にあるのだから平坦なところだと思うのがアタリマエだが、実のところ東京は数メートルから十メートル規模で相当に凸凹しているのだ。山の手とか下町という言い方も、人々のライフスタイル以外に「台地の上と下」という意味から来ていたとしてもおかしくはない。

さて、東京を南北に縦断するJRの京浜東北線に乗って北区の東十条駅~王子駅辺りから東京駅方面へ南下し、王子、上中里、田端、西日暮里、日暮里、鶯谷、そして上野までの電車進行方向の右側(線路の西側)を見ていると、ずっと小高い台地が形成されていることに気付く。途中、切通の道路や駅などで途切れるところもあるが、長距離に渡ってずっと石垣が続き、京浜東北線の線路はその石垣の縁に沿ってひたすら南下していることがわかる。一体何個の石が積まれているのか、とにかくおびただしい量の石垣が壁になっているのだ。

 

 

 

 

 

 

東十条駅付近の坂。 この辺りが台地の北端で、ここより北は荒川河川敷となる


王子駅付近では高崎線や宇都宮線が一番壁側を走っているのだが、駅を出て南へ向かうと高崎線や宇都宮線は京浜東北線の下に潜ってクロスし、そこから先は京浜東北線が一番壁側となるので京浜東北線が一番壁際となる。

 

 

 

 

 

田端駅。
京浜東北線下り線路は
台地の石垣となっている


この壁、即ち石垣は、そこから延々と8kmぐらい先の上野駅まで続き、線路が上野駅から高架になると、それまで寄り添っていた石垣の壁は駅の西側にある不忍池方面へと向きを変えて去っていく。

 

 

 

 

 

上野駅。 線路はここで本郷台地と別れ、高架となる


この台地は、王子付近から上野に向かって飛鳥山、道灌山、諏訪台地、そして上野台地などと土地によって名称があるが、これはすべて武蔵野台地の東縁の分脈、総称して本郷台地となる。厳密に分けると、現在の東京メトロ千代田線などが下を走る谷田川(藍染川)を挟んで本郷台地と上野台地と名前が異なるが、台地としては同じ「塊」だ。

さてこの壁は、横断する切通以外はひたすら石垣で出来た壁なのだが、壁の反対側を見るとその景観は全く異なり、南に向かう進行方向の右(西側)が延々と続く石垣であることに対し、左(東側)はビルさえなければ海岸線が見えてもおかしくないほどの平坦な景観となっていることに気付く。

この景観の差は、京浜東北線の線路を境として西側は武蔵野台地が山地から流出する川の扇状地で洪積台地と呼ばれる台地であることに対し、東側は河川の堆積物によって生じた沖積平地となっているということに起因する。というか、逆に台地と平地の境目に線路が敷かれたというべきなのだが。実はこの本郷台地の東側、つまり現在の京浜東北線の線路の東側は、かつて東京湾だったのだそうだ。

つまり京浜東北線は、王子駅~上野駅辺りでは有史以前の東京湾の海岸線に沿って走っているということになるのだ。

そこが海岸線だったということは、その付近に多くの貝塚が発見されていることから間違いないだろう。因みにこの付近にある中里貝塚は、ほかの貝塚の場合がせいぜい数10cm程度、高くても2mぐらいであるのに対し、最大4.5mと日本最大規模だそうだ。

この海岸線を、古地理では奥東京湾と呼ぶ。時は第四期の間氷期、即ち地球が温暖状態であった約6000年前の縄文時代のことだ。

この台地の東縁の景観は、日暮里駅の上を東西にまたぐ跨線橋である下御隠殿橋陸橋の上に立つとよくわかる。橋の中央から田端に向かって右を見ると、ずっと平坦な土地となっており、左側は台地が連なっていることがわかる。

 

 

 

 

 

日暮里駅。下御隠殿橋陸橋からの眺め


また、日暮里駅のもうひとつの橋である紅葉坂橋から上野方面を見ると、線路がこの台地と平地の境目に沿ってずっと上野方面まで伸びていることがわかる。日暮里駅と鶯谷の間にある、徳川慶喜や著名な文化人の墓で有名な谷中霊園や、寛永寺などもこの台地の上にあるのだ。

この台地は先に述べた様に武蔵野台地の東縁でもあるのだが、中にはその層が極めて薄い箇所もあり、例えば西日暮里にある道灌山通りの切通の幅は僅か数十メートルしかない。東京全体という規模で見ると、地図に表わされるその厚みは髪の毛の太さほども無いだろう。実際、西日暮里駅を降りて道灌山通りに出て左に歩くと直ぐにこの台地の切通しとなるが、それを歩いてみると僅か数秒程度で通過してしまうのだ。つまり、それだけ台地の厚みがここでは薄いということだ。

 

 

 

 

 

 

 

西日暮里駅。 付近にある道潅山通りの切通し


これは即ち、武蔵野台地の東縁である上野台地が西日暮里辺りに於いてはその厚みが数十メートルしかないということであり、武蔵野台地の様な規模の台地では稀な場所かもしれない。現在の様に人工的に固められていなければ、さほどの年月もかけずに風化してしまい、台地の一部はとっくに消失してしまったかもしれないのだ。

そういう狭い台地が河川と海岸線を挟んでいる場合、この様な台地の薄さは地理学的に大きな意味を持つことがある。王子付近で発生した石神井川の河川争奪がそのひとつだ。

小平市の花小金井の現ゴルフ場や石神井公園、豊島園などの湧き水などが合わさり、東へと流れていた石神井川は、縄文時代には王子付近の本郷台地に阻まれて東から南東へと流路をとり、谷田川、藍染川と名称を変えながら上野にある不忍池へと注ぎ込んでいたのだが、約6000年前頃になると、奥東京湾の海蝕が進むに連れて台地で作られていた自然の堤防が決壊し、石神井川はある日を境に流路を東へと突然変えてしまったのだ。

その結果、谷田川は殆ど枯渇してしまい、谷田川には巣鴨付近にある染井霊園の長池などからの湧水だけが流れ、それまで持っていた広い河川敷を持て余す川へと変貌してしまった。その後、氷期を向かえ東京湾が後退した後も、石神井川は元に戻ることなくそのまま流路を東にとり、荒川(現在の隅田川)へ合流する。つまり川の流れが「ある日突然の如く」流路が変ってしまったのだ。

自然変遷に於けるこの様な現象を河川争奪という。

この河川争奪が周辺の動植物に対する影響は、甚だしく大きいことは想像に難くない。天変地異というのは大袈裟としても、生活範囲の狭い生物にとってはそれに匹敵する死活問題だっただろうと思う。

 

 

 

 

 

王子駅。 飛鳥山とそれにかかる短いモノレール


王子駅近くにある飛鳥山を始め、多くの散策路があるこの本郷台地。その上に立って東側を見てみよう。眼下には京浜東北線や高崎線、宇都宮線の線路が見え、正面には高架を走る新幹線が見える。しかし、かつてそこは海だったのだ。時は地球温暖の時期。多くの動植物が台地に棲息していたことだろう。

 

 

 

 

 

飛鳥山から見える新幹線。その奥にはビルが立ち並ぶ。このビルがなかったら、関東平野の地平線が見えることだろう。しかし「僅か」6000年前は、この直下まで海だったのだ。

我々の祖先たちは、打ち寄せる波の音と鳥のさえずりだけが聴こえるこの地で、何を見て何を考え、そして何を夢見ていたのだろう。

一方、著しく平和なはずこの地に於いて、何某かのきっかけで川の流れが大きく変わってしまい、そこに住んでいた縄文人たちは急いで居住地を変えざるを得なかった、などという「大事件」もあったに違いない。

高台の上に立ち、行き来する新幹線を見ながらそういうことに思いを馳せるのも、また楽しい。

 
日本は資源に乏しい国だと、子供の頃から聞かされていた。産業を支えるエネルギー資源や金属類の資源と言う意味ではその通りだ。大半というか、エネルギー源である石油などは殆ど輸入に頼っている。実際、エネルギー消費大国にあって他国は60%を自給可能であることに対し、日本はわずか4%しか自給できないということは、以前にも述べた。

日本のエネルギー事情、マジでゲキヤバス  - 対応策は消費に至るまでの効率改善
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11906806567.html

しかし、資源というのはエネルギーや金属類に限られるものではない。

日本には観光資源という素晴らしい資源がある。

日本政府観光局発表による年別訪日外客数は次の通り。

2001 平成 13年 4,771,555
2002 平成 14年 5,238,963
2003 平成 15年 5,211,725
2004 平成 16年 6,137,905
2005 平成 17年 6,727,926
2006 平成 18年 7,334,077
2007 平成 19年 8,346,969
2008 平成 20年 8,350,835
2009 平成 21年 6,789,658
2010 平成 22年 8,611,175
2011 平成 23年 6,218,752
2012 平成 24年 8,358,105
2013 平成 25年 10,363,904

2014年についてはまだ確定値が発表されていないが、それでも11月までの累計で12177500であり、既に2013年を超えている。

ここ暫く円安が続いていることもあり、海外からの渡航者はうなぎのぼりに上がっている。彼等の来日目的は、日本製品の調達も大きいとは思うが観光目的も多いはずだ。従って鉱山資源云々と言う前に、観光資源をもっと活用することを考えるべきだろう。

また、最近は京都などの有名観光地以外のB級的観光地にも多くの外国人を見ることが出来る。彼等がその場でまごつかないためにも、少なくとも英語での表記は必要だろう。

小生がかつてポーランドへ出張に行った際、駅の看板や注意書き等々がポーランド語表記だけしかなくて電車乗り継ぎ等で難儀したことがあったが、日本語の表示は漢字圏ではない外国人にとって、まったく歯が立たない表示なのだから英語の併記は必ず必要だ。

また、そういう客人にとって唯一の手引きはスマホやタブレットであるから、それらをサポートする無料WiFiのサービスも必要だろう。

それと、せっかくの来日の機会に、古(いにしえ)の日本だけではなく、戦後の日本がどうやって復興してきたのかも是非理解して欲しい。単に資料を渡して読め、というのはいただけない。それよりも、どの様な変遷があったのかをビジュアルに(直感的に)分かるような工夫が必要だ。以前紹介した「バーチャルリアリティによる目視的なエンターテイメントの提案」については、東京大学大学院情報理工学系研究科の廣瀬通孝教授のプレゼンテーションの一部として下記で紹介したが、こういうアプローチも大変興味深い。

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11936366302.html

一方、民間の努力として最近知ったのは、調理道具で有名な浅草かっぱ橋の店舗店員が流暢な英語を話すことだ。確かに海外からの客が多く訪れるかっぱ橋のこと、きちんと対応することで売り上げも増加するのだからアタリマエの対応をしているということなのだろうけれども、文字通り生活かかっているのだから、四の五の言わずさっさとニーズ対応しているのはさすがだと思った。

浅草かっぱ橋の店先

それと新たな試みとして興味深いのは、アメ横などで見られる「その場で食べられる」サービスだ。確かにアメ横で売られている魚介類など、値段も安いし刺身にしたらさぞかし旨いだろうと思うこともしばしばだが、海外から来日している人にとっては、土産として持ち帰ることができないためにこれらは購買対象ではない。しかし、土産話のひとつとして、その場で食べてから帰国することは可能だ。つまり、売り手から見れば彼等外国人に「金を使ってもらうこと」が可能になり、外国人たちは「出来立てを堪能すること」が可能になるというWin-Winの関係が成り立つ。これも政府指導云々に頼らない民間パワーのなし得るワザだろう。

要は、来日する観光客に「如何にして金を使わせるか」だ。

旅行会社、しかも海外の旅行会社が儲かり、日本にはスズメの涙程度の金しか落としていかないということでは、いかに観光客が増えたところで、日本がその恩恵に浴することはないのだ。

写真は、アメ横で開店している「その場で食べさせる店」だ。

呑んで食えるアメ横の「魚草」

アメ横や築地に行くと、思いのほか多くの外国人観光客がいる。彼等は日本の文化が見たくてそこにいるのだろうが、出来ればその雰囲気の中で食事もしてみたいし、土産も欲しい。さすがに土産は生ものなので無理だとしても、せめてそこで美味い寿司とか、海鮮モノを食べてみたい。そう思うのがアタリマエだ。日本人だって、サンフランシスコ近傍にあるフィッシャーマンズワーフに行けば、クラムチャウダーや茹でたてのカニなどを食べるのと全く同じだ。そこでアメ横のある店はその場で食べさせるという手法で客を掴んだ。素晴らしいアイデアだと思う。因みに、「Eat right here」と英語による表記もあった。

観光客たちに出来るだけ多くの金を使わせる。彼等は観光目的で来日している以上、「金を使う覚悟」で来日しているはず。彼等に気持ちよく金を使っていただく方法を考えよう。それには、独りよがりの思い込みで企画しても意味がない。観光客に直接のヒアリングが必要だろう。

まずはインフラの再構築が必要だ。英語や各国語による表記やFree WiFi整備といったハードウェア面の改善は直ぐに着手すべき。ソフト面としては、やはり少なくとも英語への対応。元来、日本人はもてなしの心を持っているのだから、言葉の障壁回避も重要なテーマだろう。

工業製品としての日本品質がゆるぎない地位を確保していることは確かだが、それに観光資源整備が整えば、海外からの観光客が来ないわけが無い。



100均の実力というか、製品には驚かされることが多いのだが、今回は「マジックライトペン」。このペンで書いた文字は、このペンで照らさないと読めないという商品である。かなり以前から販売されていたようだが、最近になって見つけた逸品だ。


暗いところで光を当てて何かを見るという遊びは、子供でなくても楽しいもので、夜になると懐中電灯を持って探検ごっこをした経験は男女を問わず誰しもあると思う。そういう遊びで使われる通常の懐中電灯やLEDランプは、今やそれこそ種類も豊富に売られているが、ブラックライトペンはそれらとは異なって先端にUV-LEDが装着されたペンで、紫外線を当てて蛍光物質を光らせる紫外線LED(UV-LED)が搭載されたペンのことだ。

蛍光とは、即ち紫外線照射によるエネルギーで電子が励起されて発光するという原理のことであるが、通常の可視光線では励起されないことに特長がある。このことにより、このペンで書いた文字は、紫外線を当てないと読めないという事が、本製品が「マジックライト」と命名した所以である。ただし、本来のブラックライトの意味としては紫外線のみ発光し可視光が出ないものなので、光として眼には見えない。だからブラックライトと呼ばれる。

このペンで何かを書いた後、

    

            ライトを当てると、字が読める    ライトを消すと、字は判別できない

こんな、ヒミツめいた遊びが可能だ。

この100均のペンに用いられているUV-LEDの波長の記載はないが、拙宅にある紫外線測定器(美容用のヤスモノだが)で測ってみたところでは、近紫外線であるUVA(波長400-315nm)の放射照度は12W/m^2で、UVB(波長315-280nm)の計測値は0だった。つまり、可視光線に近い領域の紫外線を照射するLEDが搭載されているということになる。

因みに、パスポートの偽造チェックには有効だった。

パスポートには身分証明のページがあり、そこに貼られている写真と同じ写真が実は反対側のページに印刷されているのだが、その写真はこのブラックライトを照射しなければ見えない仕組みとなっている。海外の空港のセキュリティで係官はパスポートにブラックライトを当ててパスポートが偽造かどうかを確認しているが、これがそれである。

この蛍光物質は塗料や染料にも含まれているものが多数あるが、ビタミンB2も蛍光物質だという。これが含まれる飲料なども光るということだろう。

では、偽札判別はどうか。

波長や出力によっては有効かもしれないが、残念ながら手元に偽札がないので何とも言えないものの、不運にして海外などで掴まされたら実験してみようと思う。

農薬というと、食物の消費者側ではまるで毒薬の様に忌み嫌う人も多い。なぜ農薬が問題となるのかというと、即ち人体に対する影響が懸念されるからだ。ゆえに、無くて済むのであればそれに越したことはない。早い話、農薬まみれとなって虫も付かない様な、まるで食品サンプルのような食材が食卓に並ぶのは如何なものかとは思う。

しかし農家に於ける生産効率を鑑みれば、止むを得ず農薬を使用すると言う事情は理解できる。実際拙宅の庭にある梅の木では、初夏になると新芽を占領するアブラムシ達と小生との大戦争が毎年繰り広げられている。たった一本であのザマなのだから、広い畑を管理する農家にしてみれば、無農薬での栽培なんて夢の夢なのだろうと思う。そこで、遺伝子組み換えによる害虫耐性の高い種を作るメーカーが出たりもする。

一方、無農薬や低農薬農法を用いた結果、病害虫防除が不十分だと病害虫に抵抗するために植物自体が作る天然化学物質の方が、残留農薬などよりも遙かに毒性が強いという研究があるそうだ。

これは、ファイトアレキシンという抗菌性の塩基性アルカロイドのひとつで、ストレスを与えられた植物が自ら生成する殺菌剤のようなものだという。

人体にとってはアレルギーの原因となるもののひとつであり、摂取するとアレルギーを引き起こす場合があるそうだ。

写真は、カリフォルニアに自生するRedwoodの大木。酸性が強く、虫がつかないという。

これを植物の知恵と呼ぶのは少し違う気もするが、長い時間をかけて形成された進化メカニズムのひとつだと考えると、

自然界とは、かくも熾烈な生き残り作戦を展開する戦場なのだと思わせるものがある。


今年になって、突如、乃木坂46にハマっている。

もちろん、乃木坂の生い立ちについてはAKB48のファンの一人として理解していたのだが、乃木坂46に対してあまり注目することなく、CDも一枚だけ所有しているという程度だったのだが、年頭にケーブルTVで見た乃木坂46のPV特集を見て、従来の先入観とは随分異なることに気付き、ファーストアルバムを買って見事にハマった。 

乃木坂46のファーストアルバム「透明な色」

元々乃木坂は、AKB48の対抗馬というコンセプトから誕生したグループだったはずである。実際、秋元康氏が「AKB48より人数が少なくても負けないという意気込みで立ち上げた」と、意味の良く分からないコンセプトでデビューさせたグループだったのだが、どうやらそれは表向けとしての副題だったということが判ってきた。


実際に彼女たちの楽曲を良く聞き込んでみると、AKB48との勝ち負けと云った野蛮なコンセプトではなく、土俵が大きく異なることに気付く。

即ち、見た目の印象、楽曲、共に回帰的であってAKB48という与党に対抗する野党というより、昨今のアイドル路線とは隔絶した、いわば「新主流派」と表現すべきなのである。

資料によると、そもそもメンバー自身が考える乃木坂46を表すキーワードは:
・ スカート長め
・ ちょっとレトロ
・ 闇を抱えた歌詞が多い
・ 私立女子高っぽい雰囲気
・ アイドルっぽくない

といった意見が多いらしい。いわば古いタイプのアイドル路線だ。

確かに昨今のアイドルグループを見るに、超ミニスカートで飛んだり跳ねたりするグループ、或いは過激なキワモノ系グループなどが蔓延っている中で、この乃木坂46の佇まいはかなり異質である。メンバー自らピアノを奏で、メンバー達は女子高校の制服の様なセーラー服をまとい、地味な振り付けで少女合唱団の如く歌う。

いつも見るその姿は、たしかに戒律の厳しそうな修道院風であり、歌う楽曲もマイナー調(短音律)が多い。

そういえばデビュー曲のカップリング曲は「あいたかったかもしれない」という舐めたタイトルで、AKB48のメジャーデビュー曲である
「あいたかった」をマイナー調に変調した作品であったし、そのサウンドについてもハウス的なデジタルサウンドではなく、多分にアナログ的だったことは記憶に新しい。

AKB48の場合、歌詞には大きく3つのカテゴリーがあり、即ち i) 他愛のない恋愛感情を歌うもの、ii) 人生応援歌的なもの、iii) そして独り言的な語りだ。

乃木坂46もほぼ同様であるが、どうもこの独り言系が多い様な気がする。それゆえか「暗い」という評価も多いと聞くが、上に示した通りメンバーも言う様に、今いる立ち居地は正しくその路線上なのだろう。そういう目で見ると、メンバーには確かに翳りを感じさせる子が多い。美形で、しかも色白の子が揃っているから尚更だ。飛んで跳ねての子が多いアイドルたちの中にあると、意外と目立つのものだ。かつて田中康夫氏が80年代のエッセイ「ぼくたちの時代」で、「少し翳りを感じさせる子の方が」と語っていたことを思い出す。

そういえば、昨年の組閣でSKE48の松井玲奈が乃木坂46の交換留学生となった。まぁ、名称はなんでもいいのだが、

SKE48と兼任となった松井玲奈

この戦術、今思うと多分に戦略的なのだ。

元々、松井玲奈はAKB48グループの常時上位選抜メンバーの中でもそこはかとなく翳りを見せる唯一のメンバーでもある。かつて、大島優子が松井玲奈に対し、「あんたの写真集のロケは団地とかがいいよ」とアドバイスしたそうだが、言い得て妙。
そんな生活臭的を感じさせる庶民感覚が松井玲奈の大きなセールスポイントであり、それに近いコンセプトを打ち出す乃木坂46とのコラボは、正しく戦略的なのである。


乃木坂46は、ソロでピアノの弾き語りをする生田絵梨花をはじめ、歌唱力が優れている子も多いと思う。ある意味、ルックスが良く歌が上手ければ、何もステージで走り回る必要はないのだ。

その辺り、彼女たちのコンセプトは、巷にあふれる体育会系アイドルグループに対する、「文化部的なアンチテーゼ」ではないかと思うのだ。


次の動画は、乃木坂46の生田絵梨花と、AKB48の渡辺麻友の競演だ。春の微風のごとき
古くて新しいこのスタイルは、今後の新たなアイドル像を示唆するものだろう。ぜひ一度ご覧頂きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=tfZnMOpeuOY


一方、歌詞についても相当練られている様だ。実際、短音階の旋律については演歌に於いて「切ない感情・真剣な心情を表すため、短調の曲が多い」とされていることも踏まえ、かなり厳選されていると思う。その点、応援歌的なものや恋愛感情の場合よりも、言葉の使い方は難しいものとなろう。旋律に合わせこんだ歌詞が秀逸だ。秋元康氏も相当に入れ込んでいるのではないかと想像できる。


乃木坂46はAKB48の様な自分たちの城ともいうべき拠点がない。安定した土地のない大家族な遊牧民ともいえる。

しかし血筋が良く、しかも容姿端麗な上に頭脳明晰なのだ。

この「天が気紛れに二物以上を与えた様」な、いわば反則的な集団について、今後も目が離せない。


ここ暫く、市販食物への異物混入事件がかまびすしい。もちろん、あってはならないことであることは間違いなのだが、すべきことはメーカーに対して早急に是正策をとらせることであり、それに先んじて「鬼の首を取った」か、或いは「宝くじに当たったかの如くSNS等でひけらかすのは如何なものかと思う。

写真は、本稿とは関係ないが、アメ横や築地市場などで売られている殻付きアーモンド。これが美味なのだが、この様な切り売り風のものには、たとえ異物が入っていても騒がれることはない。そもそも殻付きだからその中に虫が入っていても驚くことはないし、空の間に髪の毛や糸くず、紙の切れっ端などが入っていても全くクレームはないだろう。つまりユーザーは、工場生産されるものには異物混入がないという先入観を持っているということだ。

消費者は、異物混入が100%無いと言う状態は、科学的に言うと理想形なのだということを理解しておく必要がある。

いわずもがなメーカーの対応方法やタイミングに問題がある場合には、その対応方法を是正させるべくSNSに晒すという行為について理解できなくも無いが、メーカーへのクレーム(進言というべきか)する前に一般公開するという行動は「粗探し」であって、例え僅かであれど欠点や異点があればそれを見出しておおっぴらに晒すという、イジメ感覚に通じるものがある。

「あってはならないことなのだが、起きるということ」はあるのだ。異物混入もしかり。異物混入はないと言い切れないということは、即ち「悪魔の証明」的にアタリマエのことだ。つまり、無いということは証明できないのだ。

すべての工業製品には必ず不良品が出現する。それは信頼性工学的に知られていることだ。つまり、それはそれで仕方が無いことと考える必要はあるということだ。100%不良品がないということはないのだ。そこでメーカーは、出来る限りそれを未然に防ぐことに日夜努力しているわけだが、それでも発生するのだ。工業製品でも食物製品でも同様。

しかし、そのことを履き違えると大変危険な状態をもたらす。即ち、悪魔の証明論理を以って「だからしょうがないんですよ」と開き直ったり、揉み消し工作に走ったりすることが起きると、目も当てられない状態に陥る。

要はそのときの初動である。

先日、あるブログにこんなことが書かれていた。

「先日あるメーカーのポテトチップスに細い糸状のものが入っていたため、お客様相談室へ連絡したところ、謝罪に続き、その糸状のものを送って欲しい旨依頼があり、後日配送会社から自宅へと回収に来宅、更にメーカーから経過報告連絡が2度、詫び状及び調査報告と共に同社製品5種類が入った小包が2度も届いた」

これを神対応と言うかどうかはともかく、真摯で迅速な対応を行えば客は必ず着いて行くものだ。事故が発生したとき、たとえその時点から暫くの間は信用が失墜してしまったとしても、

正しい対応をしている限り、客はそのメーカーを見捨てないものだ。

一般消費財を扱うメーカーには、この様な時の対応マニュアルが完備されているのだろうとは思うが、いかにも日本的なこういう対応は、何か「ほっこり」とさせるものがある。

もちろん、未然に防ぐことが最大の課題なのだが、先に述べた様に事故は起きるものだ。そのときの対応こそが、「選ばれるメーカー」なのかどうかの分かれ目である。

メーカーにPDCAを再確認させ、再発を防止させることが重要。初動時の対応如何によって信頼を得られるということを、しっかり理解しておく必要がある。

わが国は地震という自然現象からゼッタイに逃れられない位置に国を構えているために古くから地震に悩まされ、尊い命を数多く落として今日に至っている。2011年に勃発した東日本大震災をきっかけとして以前にも増して災害への意識が高まり、対策も盛んに協議されるようになった。古の時代から「地震雷火事親父」と、怖いものの上位は天災で占めている。

しかし、実は地震よりも火山の噴火の方が後遺症としては甚大な被害を及ぼすのではないか、と思う。

御嶽山が噴火してから数ヶ月経つが、活火山がたくさんある我国に於いてはもっと大規模な噴火が起きてもおかしくはないのだ。

日本にある火山は、過去数千年というインターバルを経て活動を再開した火山もあるため、過去1万年間の噴火履歴で定義すべきとのことから、活火山の定義を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」とし、今年大いに話題となった西之島などの海底火山も含め、東西南北の活火山数を総数110とした(気象庁ホームページより)。



これは、日本の土地面積は世界全体の0.25%であることに対し、火山数としては実に7%もあるということを意味している。


活火山の恐ろしさは、後遺症が極めて甚大であることだ。その影響によって生物の淘汰をもたらすことすらある。これは地球規模での災害であるが故、人類がそれを制御することは不可能だ。一方、人類と言う以前に日本としての懸念も大きい。

産総研のレポートによれば、巨大カルデラ噴火が九州で発生した場合、高温の火砕流が噴火から2時間以内に700万人の人口域を埋め尽くし、火山灰は偏西風にのって本州全体へと降灰、交通・ライフラインが麻痺するために、本州住民の救援活動はほぼ絶望的である」という。この様な巨大噴火は日本列島に限っても数万年の間隔で発生事例が認められる.噴火によって、噴出物が堆積した地域の動植物に甚大な影響を及ぼすのみならず、地球的規模での気候変動にまで影響が及ぶのだ。

最も懸念されることのひとつは、発電所への影響だろう。水力や風力のみではなく、太陽光発電もである。発電所が陥落すれば、経済どころか多くの人命も瀕死の状態となることは言うまでもない。

大量の降灰が起きれば、ダムに火山灰が堆積し発電用の水車への給水が著しく困難になる。風力発電の場合にはプロペラが故障し、太陽電池は降灰が雨で固まり、太陽電池パネル表面を覆いつくして発電が停止する。更に大量の火山灰によってインバータのフィルタが働かなくなる。火山灰は通常の塵埃と異なり、雨水で固化するのだ。

「万が一でも大丈夫」という主張は、先の原発であっという間に崩壊した。地震国、そして火山国に於いて万が一の安全は、皆無なのである。

【電力中央研究所が発行する調査報告書及びヒアリング結果 平成24年10月】
■湿った火山灰粒子が碍子に付着すると絶縁特性が低下し、漏れ電流が増加してせん絡(フラッシュオーバー)が発生し停電する。停電事例は、雨天時、霧中の噴火、積雪のある火山の噴火による降灰で発生している。

■降下火山灰による停電は、低圧の配電網では1~2kg/m2(比重1なら層厚1~2mm)の降灰量でも発生している。各事例では降灰と同時、または直後に雨が降るか、霧が発生し、停電に至った。

■碍子の形状や設置方法により火山灰の付着の仕方が異なる。高圧の送電設備は碍子の傘が大きく、火山灰が奥まで吹き込み難いので低圧の送電設備よりせん絡に至り難く、水平に設置された碍子など特定のものにせん絡が発生する。

■我が国の火力発電所のガスタービンは、かつては、野外に露出していたが、現在では室内に設置しフィルターを装着している。そのため、フィルターが目詰まりするまでは、使用可能。ただし、降灰が大量かつ長期継続した場合には、フィルター交換、洗浄等のため停止せざるを得ない可能性がある。

■水力発電は、河川に土石流のような粒子が粗いものが流れ込んだ場合、タービンの目詰まりを起こすことが知られているが、火山灰の場合は粒子が細かいためほとんど影響が無い模様で、事例を聞いたことはない。


この様に、危惧する一方で楽観的に見ているきらいもあるのだが、降灰が大量である場合については述べられていない。大量に降灰した場合でも問題ないとは言い切れないのだ。

発電に限ったことではない。河川への降灰による上下水道への影響や、交通機関、特に鉄道や道路への影響は甚大であり、即ち大都市は活動が麻痺するということを意味する。

これに対する対応はどうあるべきか。残念ながら妙案はない。しかし、巨大隕石が衝突する確率よりずっと高いということは理解しておく必要があろう。

人間とはすこぶる勝手なイキモノで、人間の価値観で自然を差別する。まぁ、今に始まったことではないのだが。

例えば有機物を細菌などの微生物が分解する場合に、

人間に害があればそれを腐敗といい、益をもたらすのであれば発酵と称す。

この分解に伴って発生するガスへの評価も同様で、悪臭と言う言い方も人類基準で考えた場合の、ガスに対する勝手な判定だ。ただし、よくしたもので押しなべて人類にとって有害なガスは大体汚臭として判別される(趣味嗜好は別として)。これは人類が嫌う様に予め本能という、いわばプリインストールされた遺伝的な記憶としてストアされているからなのだろう。

植物には炭酸同化作用(いわゆる光合成)と呼吸作用という二つの方法で、それぞれ酸素と二酸化炭素を排出していることはよく知られている。そのことと、以前、下水に関してここで述べた好気性生物、即ち増殖に酸素を必要とする生物と、嫌気性生物という酸素を必要としない生物との関係を植物の活動に当てはめてみて、すこし面白いことに気付いた。

ボルネオで撮影したジャングル

我々人類もそうだが、押しなべて大半の動物たちは、殆どが好気性だ。逆に嫌気性である生物は、その殆どが細菌である。嫌気性細菌には酸素があるとまったく生育できない偏性嫌気性菌と、酸素の有無にかかわらず生育可能な通性嫌気性菌があるそうだが、嫌気性細菌によっては高等生物に対して極めて危険な毒素を産生するものや、有機物をメチルメフカプタン、アンモニア、硫化水素といった有毒気体へ分解するものなどがいる。

因みに水は滞留すると、次第に酸素がなくなって嫌気性の微生物が繁殖し(嫌気性状態)、その状態で有機物の分解が始まると、嫌気性微生物によって生成されるガス(メチルメフカプタン、アンモニア、硫化水素)が腐敗臭などのいわゆる汚臭、悪臭の元となる。

この様に、細菌類や動物は好気性と嫌気性に大別されるのだが、一方、植物はどうかというと、乱暴な言い方をすれば炭酸同化と呼吸という両面性を持つ。つまり好気性でもあり嫌気性でもあるのだ。

ここで、相反作用をもたらす直接の原因である昼と夜の時間差について考察する。

実際に計算してみる。

昼の時間=Σ|日の出時刻-日の入り時刻|

国立天文台、天文情報センターに、東京地方の1月1日から12月31日までの日の出日の入り時刻が掲載されているから、それを用いてみよう。

(2013年)
一年計:         525,600分
昼時間計:      266,955分(4449時間15分)
夜時間計:      258,645分(4310時間45分)
差:                8,310分(138時間30分)
昼の割合:      50.79%


因みに赤道上だと4437.664時間、つまり12時間07分であり、わずかだが昼の時間の方が長い。また北緯、南緯とも緯度が高まるほど昼の時間は長くなる。

この様な年間を通じた昼と夜の合計時間差は、日の出と日の入りに関する定義によって生じる。即ち、日の出・日の入は、地平線から太陽が出た時と消えた時としてと定義されているので、太陽が浮き沈みする際に地平線に対する直径分の距離移動(天動説的な表現だが)時間分だけ昼の方が長いことになる。

ただし、この計算結果としての差は日の出と日の入りに関する人間による定義に基づいているので、植物にとってその差は影響ないと思われるが、地平線近くに見える天体は、大気中を通過する光が屈折することによって地平線よりも浮き上がって見えるために昼が長くなると言う現象があるが、これは物理的に影響がありそうだ。

それと、もうひとつ考慮すべきは、多くの植物が晩秋から初春までは枯れていて両作用は停止しているということだ。ただし、アメリカ西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコ以南で見られる様な夏の乾季には枯れていて冬の雨季だけ育つ様な種もあるから一概には言えないかも知れないが、概ねの植物は太陽光を浴びている時間が長いほど酸素を排出しながら育っていると見て差し支えないと思われる。

これらを考慮し、東京地方での12月1日から2月末までの期間を植物の活動停止期間として差引き、再計算すると、

(2013年)
一年計:         396,000分
昼時間計:      211,695分(3528時間15分)
夜時間計:      184,305分(3071時間45分)
差:                27,390分(456時間30分)
昼の割合:      53.46%

これらの数字は幾つかの地域でサンプリングした地点でのデータなので、均等化するためには積分して相加平均を求めればよいだろう。

植物がどの瞬間に呼吸作用から炭酸同化作用へと変化するのかは分からないが、明るければ炭酸同化作用を行うということは、明るい時間が長いほど酸素の排出量は大きなものとなる。

上の数字に示されている様に、一年を通じて、植物が活動している期間中は「酸素を排出している時間の方が二酸化炭素を排出している時間よりも長い」ことになる。なぜか?その方が植物にとってよいからだ。本能として、自らを死滅させる活動はしないだろう。
そこで、小生は、

植物は酸素を排出することによって、己れ自身の腐敗を加速するような嫌気性微生物の活動を抑制しているのではないか、と思うのだ。


酸素も二酸化炭素もほぼ同量を大気中に排出する。これが全く同量であれば安定するが、安定状態に進化は表れない。進化、或いは淘汰は変化に追随することよってなし得る。だから排出についてて、自分のためになるようにほんの少しだけバランスを崩すような仕掛けがある。

安定すべくバランスを取ろうとして常に動く。その動きは、経済のバランスにも似ている気がした。