プロムナード -24ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま

 

 

 

東京都内というと、ビルが立ち並んでいて凸凹しているが土地は平坦なところと云うイメージを持つ人は多いだろう。そもそも東京都は関東平野という日本最大の平野にあるのだから平坦なところだと思うのがアタリマエだが、実のところ東京は数メートルから十メートル規模で相当に凸凹しているのだ。山の手とか下町という言い方も、人々のライフスタイル以外に「台地の上と下」という意味から来ていたとしてもおかしくはない。

さて、東京を南北に縦断するJRの京浜東北線に乗って北区の東十条駅~王子駅辺りから東京駅方面へ南下し、王子、上中里、田端、西日暮里、日暮里、鶯谷、そして上野までの電車進行方向の右側(線路の西側)を見ていると、ずっと小高い台地が形成されていることに気付く。途中、切通の道路や駅などで途切れるところもあるが、長距離に渡ってずっと石垣が続き、京浜東北線の線路はその石垣の縁に沿ってひたすら南下していることがわかる。一体何個の石が積まれているのか、とにかくおびただしい量の石垣が壁になっているのだ。

 

 

 

 

 

 

東十条駅付近の坂。 この辺りが台地の北端で、ここより北は荒川河川敷となる


王子駅付近では高崎線や宇都宮線が一番壁側を走っているのだが、駅を出て南へ向かうと高崎線や宇都宮線は京浜東北線の下に潜ってクロスし、そこから先は京浜東北線が一番壁側となるので京浜東北線が一番壁際となる。

 

 

 

 

 

田端駅。
京浜東北線下り線路は
台地の石垣となっている


この壁、即ち石垣は、そこから延々と8kmぐらい先の上野駅まで続き、線路が上野駅から高架になると、それまで寄り添っていた石垣の壁は駅の西側にある不忍池方面へと向きを変えて去っていく。

 

 

 

 

 

上野駅。 線路はここで本郷台地と別れ、高架となる


この台地は、王子付近から上野に向かって飛鳥山、道灌山、諏訪台地、そして上野台地などと土地によって名称があるが、これはすべて武蔵野台地の東縁の分脈、総称して本郷台地となる。厳密に分けると、現在の東京メトロ千代田線などが下を走る谷田川(藍染川)を挟んで本郷台地と上野台地と名前が異なるが、台地としては同じ「塊」だ。

さてこの壁は、横断する切通以外はひたすら石垣で出来た壁なのだが、壁の反対側を見るとその景観は全く異なり、南に向かう進行方向の右(西側)が延々と続く石垣であることに対し、左(東側)はビルさえなければ海岸線が見えてもおかしくないほどの平坦な景観となっていることに気付く。

この景観の差は、京浜東北線の線路を境として西側は武蔵野台地が山地から流出する川の扇状地で洪積台地と呼ばれる台地であることに対し、東側は河川の堆積物によって生じた沖積平地となっているということに起因する。というか、逆に台地と平地の境目に線路が敷かれたというべきなのだが。実はこの本郷台地の東側、つまり現在の京浜東北線の線路の東側は、かつて東京湾だったのだそうだ。

つまり京浜東北線は、王子駅~上野駅辺りでは有史以前の東京湾の海岸線に沿って走っているということになるのだ。

そこが海岸線だったということは、その付近に多くの貝塚が発見されていることから間違いないだろう。因みにこの付近にある中里貝塚は、ほかの貝塚の場合がせいぜい数10cm程度、高くても2mぐらいであるのに対し、最大4.5mと日本最大規模だそうだ。

この海岸線を、古地理では奥東京湾と呼ぶ。時は第四期の間氷期、即ち地球が温暖状態であった約6000年前の縄文時代のことだ。

この台地の東縁の景観は、日暮里駅の上を東西にまたぐ跨線橋である下御隠殿橋陸橋の上に立つとよくわかる。橋の中央から田端に向かって右を見ると、ずっと平坦な土地となっており、左側は台地が連なっていることがわかる。

 

 

 

 

 

日暮里駅。下御隠殿橋陸橋からの眺め


また、日暮里駅のもうひとつの橋である紅葉坂橋から上野方面を見ると、線路がこの台地と平地の境目に沿ってずっと上野方面まで伸びていることがわかる。日暮里駅と鶯谷の間にある、徳川慶喜や著名な文化人の墓で有名な谷中霊園や、寛永寺などもこの台地の上にあるのだ。

この台地は先に述べた様に武蔵野台地の東縁でもあるのだが、中にはその層が極めて薄い箇所もあり、例えば西日暮里にある道灌山通りの切通の幅は僅か数十メートルしかない。東京全体という規模で見ると、地図に表わされるその厚みは髪の毛の太さほども無いだろう。実際、西日暮里駅を降りて道灌山通りに出て左に歩くと直ぐにこの台地の切通しとなるが、それを歩いてみると僅か数秒程度で通過してしまうのだ。つまり、それだけ台地の厚みがここでは薄いということだ。

 

 

 

 

 

 

 

西日暮里駅。 付近にある道潅山通りの切通し


これは即ち、武蔵野台地の東縁である上野台地が西日暮里辺りに於いてはその厚みが数十メートルしかないということであり、武蔵野台地の様な規模の台地では稀な場所かもしれない。現在の様に人工的に固められていなければ、さほどの年月もかけずに風化してしまい、台地の一部はとっくに消失してしまったかもしれないのだ。

そういう狭い台地が河川と海岸線を挟んでいる場合、この様な台地の薄さは地理学的に大きな意味を持つことがある。王子付近で発生した石神井川の河川争奪がそのひとつだ。

小平市の花小金井の現ゴルフ場や石神井公園、豊島園などの湧き水などが合わさり、東へと流れていた石神井川は、縄文時代には王子付近の本郷台地に阻まれて東から南東へと流路をとり、谷田川、藍染川と名称を変えながら上野にある不忍池へと注ぎ込んでいたのだが、約6000年前頃になると、奥東京湾の海蝕が進むに連れて台地で作られていた自然の堤防が決壊し、石神井川はある日を境に流路を東へと突然変えてしまったのだ。

その結果、谷田川は殆ど枯渇してしまい、谷田川には巣鴨付近にある染井霊園の長池などからの湧水だけが流れ、それまで持っていた広い河川敷を持て余す川へと変貌してしまった。その後、氷期を向かえ東京湾が後退した後も、石神井川は元に戻ることなくそのまま流路を東にとり、荒川(現在の隅田川)へ合流する。つまり川の流れが「ある日突然の如く」流路が変ってしまったのだ。

自然変遷に於けるこの様な現象を河川争奪という。

この河川争奪が周辺の動植物に対する影響は、甚だしく大きいことは想像に難くない。天変地異というのは大袈裟としても、生活範囲の狭い生物にとってはそれに匹敵する死活問題だっただろうと思う。

 

 

 

 

 

王子駅。 飛鳥山とそれにかかる短いモノレール


王子駅近くにある飛鳥山を始め、多くの散策路があるこの本郷台地。その上に立って東側を見てみよう。眼下には京浜東北線や高崎線、宇都宮線の線路が見え、正面には高架を走る新幹線が見える。しかし、かつてそこは海だったのだ。時は地球温暖の時期。多くの動植物が台地に棲息していたことだろう。

 

 

 

 

 

飛鳥山から見える新幹線。その奥にはビルが立ち並ぶ。このビルがなかったら、関東平野の地平線が見えることだろう。しかし「僅か」6000年前は、この直下まで海だったのだ。

我々の祖先たちは、打ち寄せる波の音と鳥のさえずりだけが聴こえるこの地で、何を見て何を考え、そして何を夢見ていたのだろう。

一方、著しく平和なはずこの地に於いて、何某かのきっかけで川の流れが大きく変わってしまい、そこに住んでいた縄文人たちは急いで居住地を変えざるを得なかった、などという「大事件」もあったに違いない。

高台の上に立ち、行き来する新幹線を見ながらそういうことに思いを馳せるのも、また楽しい。

 
日本は資源に乏しい国だと、子供の頃から聞かされていた。産業を支えるエネルギー資源や金属類の資源と言う意味ではその通りだ。大半というか、エネルギー源である石油などは殆ど輸入に頼っている。実際、エネルギー消費大国にあって他国は60%を自給可能であることに対し、日本はわずか4%しか自給できないということは、以前にも述べた。

日本のエネルギー事情、マジでゲキヤバス  - 対応策は消費に至るまでの効率改善
http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11906806567.html

しかし、資源というのはエネルギーや金属類に限られるものではない。

日本には観光資源という素晴らしい資源がある。

日本政府観光局発表による年別訪日外客数は次の通り。

2001 平成 13年 4,771,555
2002 平成 14年 5,238,963
2003 平成 15年 5,211,725
2004 平成 16年 6,137,905
2005 平成 17年 6,727,926
2006 平成 18年 7,334,077
2007 平成 19年 8,346,969
2008 平成 20年 8,350,835
2009 平成 21年 6,789,658
2010 平成 22年 8,611,175
2011 平成 23年 6,218,752
2012 平成 24年 8,358,105
2013 平成 25年 10,363,904

2014年についてはまだ確定値が発表されていないが、それでも11月までの累計で12177500であり、既に2013年を超えている。

ここ暫く円安が続いていることもあり、海外からの渡航者はうなぎのぼりに上がっている。彼等の来日目的は、日本製品の調達も大きいとは思うが観光目的も多いはずだ。従って鉱山資源云々と言う前に、観光資源をもっと活用することを考えるべきだろう。

また、最近は京都などの有名観光地以外のB級的観光地にも多くの外国人を見ることが出来る。彼等がその場でまごつかないためにも、少なくとも英語での表記は必要だろう。

小生がかつてポーランドへ出張に行った際、駅の看板や注意書き等々がポーランド語表記だけしかなくて電車乗り継ぎ等で難儀したことがあったが、日本語の表示は漢字圏ではない外国人にとって、まったく歯が立たない表示なのだから英語の併記は必ず必要だ。

また、そういう客人にとって唯一の手引きはスマホやタブレットであるから、それらをサポートする無料WiFiのサービスも必要だろう。

それと、せっかくの来日の機会に、古(いにしえ)の日本だけではなく、戦後の日本がどうやって復興してきたのかも是非理解して欲しい。単に資料を渡して読め、というのはいただけない。それよりも、どの様な変遷があったのかをビジュアルに(直感的に)分かるような工夫が必要だ。以前紹介した「バーチャルリアリティによる目視的なエンターテイメントの提案」については、東京大学大学院情報理工学系研究科の廣瀬通孝教授のプレゼンテーションの一部として下記で紹介したが、こういうアプローチも大変興味深い。

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11936366302.html

一方、民間の努力として最近知ったのは、調理道具で有名な浅草かっぱ橋の店舗店員が流暢な英語を話すことだ。確かに海外からの客が多く訪れるかっぱ橋のこと、きちんと対応することで売り上げも増加するのだからアタリマエの対応をしているということなのだろうけれども、文字通り生活かかっているのだから、四の五の言わずさっさとニーズ対応しているのはさすがだと思った。

浅草かっぱ橋の店先

それと新たな試みとして興味深いのは、アメ横などで見られる「その場で食べられる」サービスだ。確かにアメ横で売られている魚介類など、値段も安いし刺身にしたらさぞかし旨いだろうと思うこともしばしばだが、海外から来日している人にとっては、土産として持ち帰ることができないためにこれらは購買対象ではない。しかし、土産話のひとつとして、その場で食べてから帰国することは可能だ。つまり、売り手から見れば彼等外国人に「金を使ってもらうこと」が可能になり、外国人たちは「出来立てを堪能すること」が可能になるというWin-Winの関係が成り立つ。これも政府指導云々に頼らない民間パワーのなし得るワザだろう。

要は、来日する観光客に「如何にして金を使わせるか」だ。

旅行会社、しかも海外の旅行会社が儲かり、日本にはスズメの涙程度の金しか落としていかないということでは、いかに観光客が増えたところで、日本がその恩恵に浴することはないのだ。

写真は、アメ横で開店している「その場で食べさせる店」だ。

呑んで食えるアメ横の「魚草」

アメ横や築地に行くと、思いのほか多くの外国人観光客がいる。彼等は日本の文化が見たくてそこにいるのだろうが、出来ればその雰囲気の中で食事もしてみたいし、土産も欲しい。さすがに土産は生ものなので無理だとしても、せめてそこで美味い寿司とか、海鮮モノを食べてみたい。そう思うのがアタリマエだ。日本人だって、サンフランシスコ近傍にあるフィッシャーマンズワーフに行けば、クラムチャウダーや茹でたてのカニなどを食べるのと全く同じだ。そこでアメ横のある店はその場で食べさせるという手法で客を掴んだ。素晴らしいアイデアだと思う。因みに、「Eat right here」と英語による表記もあった。

観光客たちに出来るだけ多くの金を使わせる。彼等は観光目的で来日している以上、「金を使う覚悟」で来日しているはず。彼等に気持ちよく金を使っていただく方法を考えよう。それには、独りよがりの思い込みで企画しても意味がない。観光客に直接のヒアリングが必要だろう。

まずはインフラの再構築が必要だ。英語や各国語による表記やFree WiFi整備といったハードウェア面の改善は直ぐに着手すべき。ソフト面としては、やはり少なくとも英語への対応。元来、日本人はもてなしの心を持っているのだから、言葉の障壁回避も重要なテーマだろう。

工業製品としての日本品質がゆるぎない地位を確保していることは確かだが、それに観光資源整備が整えば、海外からの観光客が来ないわけが無い。



100均の実力というか、製品には驚かされることが多いのだが、今回は「マジックライトペン」。このペンで書いた文字は、このペンで照らさないと読めないという商品である。かなり以前から販売されていたようだが、最近になって見つけた逸品だ。


暗いところで光を当てて何かを見るという遊びは、子供でなくても楽しいもので、夜になると懐中電灯を持って探検ごっこをした経験は男女を問わず誰しもあると思う。そういう遊びで使われる通常の懐中電灯やLEDランプは、今やそれこそ種類も豊富に売られているが、ブラックライトペンはそれらとは異なって先端にUV-LEDが装着されたペンで、紫外線を当てて蛍光物質を光らせる紫外線LED(UV-LED)が搭載されたペンのことだ。

蛍光とは、即ち紫外線照射によるエネルギーで電子が励起されて発光するという原理のことであるが、通常の可視光線では励起されないことに特長がある。このことにより、このペンで書いた文字は、紫外線を当てないと読めないという事が、本製品が「マジックライト」と命名した所以である。ただし、本来のブラックライトの意味としては紫外線のみ発光し可視光が出ないものなので、光として眼には見えない。だからブラックライトと呼ばれる。

このペンで何かを書いた後、

    

            ライトを当てると、字が読める    ライトを消すと、字は判別できない

こんな、ヒミツめいた遊びが可能だ。

この100均のペンに用いられているUV-LEDの波長の記載はないが、拙宅にある紫外線測定器(美容用のヤスモノだが)で測ってみたところでは、近紫外線であるUVA(波長400-315nm)の放射照度は12W/m^2で、UVB(波長315-280nm)の計測値は0だった。つまり、可視光線に近い領域の紫外線を照射するLEDが搭載されているということになる。

因みに、パスポートの偽造チェックには有効だった。

パスポートには身分証明のページがあり、そこに貼られている写真と同じ写真が実は反対側のページに印刷されているのだが、その写真はこのブラックライトを照射しなければ見えない仕組みとなっている。海外の空港のセキュリティで係官はパスポートにブラックライトを当ててパスポートが偽造かどうかを確認しているが、これがそれである。

この蛍光物質は塗料や染料にも含まれているものが多数あるが、ビタミンB2も蛍光物質だという。これが含まれる飲料なども光るということだろう。

では、偽札判別はどうか。

波長や出力によっては有効かもしれないが、残念ながら手元に偽札がないので何とも言えないものの、不運にして海外などで掴まされたら実験してみようと思う。

農薬というと、食物の消費者側ではまるで毒薬の様に忌み嫌う人も多い。なぜ農薬が問題となるのかというと、即ち人体に対する影響が懸念されるからだ。ゆえに、無くて済むのであればそれに越したことはない。早い話、農薬まみれとなって虫も付かない様な、まるで食品サンプルのような食材が食卓に並ぶのは如何なものかとは思う。

しかし農家に於ける生産効率を鑑みれば、止むを得ず農薬を使用すると言う事情は理解できる。実際拙宅の庭にある梅の木では、初夏になると新芽を占領するアブラムシ達と小生との大戦争が毎年繰り広げられている。たった一本であのザマなのだから、広い畑を管理する農家にしてみれば、無農薬での栽培なんて夢の夢なのだろうと思う。そこで、遺伝子組み換えによる害虫耐性の高い種を作るメーカーが出たりもする。

一方、無農薬や低農薬農法を用いた結果、病害虫防除が不十分だと病害虫に抵抗するために植物自体が作る天然化学物質の方が、残留農薬などよりも遙かに毒性が強いという研究があるそうだ。

これは、ファイトアレキシンという抗菌性の塩基性アルカロイドのひとつで、ストレスを与えられた植物が自ら生成する殺菌剤のようなものだという。

人体にとってはアレルギーの原因となるもののひとつであり、摂取するとアレルギーを引き起こす場合があるそうだ。

写真は、カリフォルニアに自生するRedwoodの大木。酸性が強く、虫がつかないという。

これを植物の知恵と呼ぶのは少し違う気もするが、長い時間をかけて形成された進化メカニズムのひとつだと考えると、

自然界とは、かくも熾烈な生き残り作戦を展開する戦場なのだと思わせるものがある。


今年になって、突如、乃木坂46にハマっている。

もちろん、乃木坂の生い立ちについてはAKB48のファンの一人として理解していたのだが、乃木坂46に対してあまり注目することなく、CDも一枚だけ所有しているという程度だったのだが、年頭にケーブルTVで見た乃木坂46のPV特集を見て、従来の先入観とは随分異なることに気付き、ファーストアルバムを買って見事にハマった。 

乃木坂46のファーストアルバム「透明な色」

元々乃木坂は、AKB48の対抗馬というコンセプトから誕生したグループだったはずである。実際、秋元康氏が「AKB48より人数が少なくても負けないという意気込みで立ち上げた」と、意味の良く分からないコンセプトでデビューさせたグループだったのだが、どうやらそれは表向けとしての副題だったということが判ってきた。


実際に彼女たちの楽曲を良く聞き込んでみると、AKB48との勝ち負けと云った野蛮なコンセプトではなく、土俵が大きく異なることに気付く。

即ち、見た目の印象、楽曲、共に回帰的であってAKB48という与党に対抗する野党というより、昨今のアイドル路線とは隔絶した、いわば「新主流派」と表現すべきなのである。

資料によると、そもそもメンバー自身が考える乃木坂46を表すキーワードは:
・ スカート長め
・ ちょっとレトロ
・ 闇を抱えた歌詞が多い
・ 私立女子高っぽい雰囲気
・ アイドルっぽくない

といった意見が多いらしい。いわば古いタイプのアイドル路線だ。

確かに昨今のアイドルグループを見るに、超ミニスカートで飛んだり跳ねたりするグループ、或いは過激なキワモノ系グループなどが蔓延っている中で、この乃木坂46の佇まいはかなり異質である。メンバー自らピアノを奏で、メンバー達は女子高校の制服の様なセーラー服をまとい、地味な振り付けで少女合唱団の如く歌う。

いつも見るその姿は、たしかに戒律の厳しそうな修道院風であり、歌う楽曲もマイナー調(短音律)が多い。

そういえばデビュー曲のカップリング曲は「あいたかったかもしれない」という舐めたタイトルで、AKB48のメジャーデビュー曲である
「あいたかった」をマイナー調に変調した作品であったし、そのサウンドについてもハウス的なデジタルサウンドではなく、多分にアナログ的だったことは記憶に新しい。

AKB48の場合、歌詞には大きく3つのカテゴリーがあり、即ち i) 他愛のない恋愛感情を歌うもの、ii) 人生応援歌的なもの、iii) そして独り言的な語りだ。

乃木坂46もほぼ同様であるが、どうもこの独り言系が多い様な気がする。それゆえか「暗い」という評価も多いと聞くが、上に示した通りメンバーも言う様に、今いる立ち居地は正しくその路線上なのだろう。そういう目で見ると、メンバーには確かに翳りを感じさせる子が多い。美形で、しかも色白の子が揃っているから尚更だ。飛んで跳ねての子が多いアイドルたちの中にあると、意外と目立つのものだ。かつて田中康夫氏が80年代のエッセイ「ぼくたちの時代」で、「少し翳りを感じさせる子の方が」と語っていたことを思い出す。

そういえば、昨年の組閣でSKE48の松井玲奈が乃木坂46の交換留学生となった。まぁ、名称はなんでもいいのだが、

SKE48と兼任となった松井玲奈

この戦術、今思うと多分に戦略的なのだ。

元々、松井玲奈はAKB48グループの常時上位選抜メンバーの中でもそこはかとなく翳りを見せる唯一のメンバーでもある。かつて、大島優子が松井玲奈に対し、「あんたの写真集のロケは団地とかがいいよ」とアドバイスしたそうだが、言い得て妙。
そんな生活臭的を感じさせる庶民感覚が松井玲奈の大きなセールスポイントであり、それに近いコンセプトを打ち出す乃木坂46とのコラボは、正しく戦略的なのである。


乃木坂46は、ソロでピアノの弾き語りをする生田絵梨花をはじめ、歌唱力が優れている子も多いと思う。ある意味、ルックスが良く歌が上手ければ、何もステージで走り回る必要はないのだ。

その辺り、彼女たちのコンセプトは、巷にあふれる体育会系アイドルグループに対する、「文化部的なアンチテーゼ」ではないかと思うのだ。


次の動画は、乃木坂46の生田絵梨花と、AKB48の渡辺麻友の競演だ。春の微風のごとき
古くて新しいこのスタイルは、今後の新たなアイドル像を示唆するものだろう。ぜひ一度ご覧頂きたい。

https://www.youtube.com/watch?v=tfZnMOpeuOY


一方、歌詞についても相当練られている様だ。実際、短音階の旋律については演歌に於いて「切ない感情・真剣な心情を表すため、短調の曲が多い」とされていることも踏まえ、かなり厳選されていると思う。その点、応援歌的なものや恋愛感情の場合よりも、言葉の使い方は難しいものとなろう。旋律に合わせこんだ歌詞が秀逸だ。秋元康氏も相当に入れ込んでいるのではないかと想像できる。


乃木坂46はAKB48の様な自分たちの城ともいうべき拠点がない。安定した土地のない大家族な遊牧民ともいえる。

しかし血筋が良く、しかも容姿端麗な上に頭脳明晰なのだ。

この「天が気紛れに二物以上を与えた様」な、いわば反則的な集団について、今後も目が離せない。


ここ暫く、市販食物への異物混入事件がかまびすしい。もちろん、あってはならないことであることは間違いなのだが、すべきことはメーカーに対して早急に是正策をとらせることであり、それに先んじて「鬼の首を取った」か、或いは「宝くじに当たったかの如くSNS等でひけらかすのは如何なものかと思う。

写真は、本稿とは関係ないが、アメ横や築地市場などで売られている殻付きアーモンド。これが美味なのだが、この様な切り売り風のものには、たとえ異物が入っていても騒がれることはない。そもそも殻付きだからその中に虫が入っていても驚くことはないし、空の間に髪の毛や糸くず、紙の切れっ端などが入っていても全くクレームはないだろう。つまりユーザーは、工場生産されるものには異物混入がないという先入観を持っているということだ。

消費者は、異物混入が100%無いと言う状態は、科学的に言うと理想形なのだということを理解しておく必要がある。

いわずもがなメーカーの対応方法やタイミングに問題がある場合には、その対応方法を是正させるべくSNSに晒すという行為について理解できなくも無いが、メーカーへのクレーム(進言というべきか)する前に一般公開するという行動は「粗探し」であって、例え僅かであれど欠点や異点があればそれを見出しておおっぴらに晒すという、イジメ感覚に通じるものがある。

「あってはならないことなのだが、起きるということ」はあるのだ。異物混入もしかり。異物混入はないと言い切れないということは、即ち「悪魔の証明」的にアタリマエのことだ。つまり、無いということは証明できないのだ。

すべての工業製品には必ず不良品が出現する。それは信頼性工学的に知られていることだ。つまり、それはそれで仕方が無いことと考える必要はあるということだ。100%不良品がないということはないのだ。そこでメーカーは、出来る限りそれを未然に防ぐことに日夜努力しているわけだが、それでも発生するのだ。工業製品でも食物製品でも同様。

しかし、そのことを履き違えると大変危険な状態をもたらす。即ち、悪魔の証明論理を以って「だからしょうがないんですよ」と開き直ったり、揉み消し工作に走ったりすることが起きると、目も当てられない状態に陥る。

要はそのときの初動である。

先日、あるブログにこんなことが書かれていた。

「先日あるメーカーのポテトチップスに細い糸状のものが入っていたため、お客様相談室へ連絡したところ、謝罪に続き、その糸状のものを送って欲しい旨依頼があり、後日配送会社から自宅へと回収に来宅、更にメーカーから経過報告連絡が2度、詫び状及び調査報告と共に同社製品5種類が入った小包が2度も届いた」

これを神対応と言うかどうかはともかく、真摯で迅速な対応を行えば客は必ず着いて行くものだ。事故が発生したとき、たとえその時点から暫くの間は信用が失墜してしまったとしても、

正しい対応をしている限り、客はそのメーカーを見捨てないものだ。

一般消費財を扱うメーカーには、この様な時の対応マニュアルが完備されているのだろうとは思うが、いかにも日本的なこういう対応は、何か「ほっこり」とさせるものがある。

もちろん、未然に防ぐことが最大の課題なのだが、先に述べた様に事故は起きるものだ。そのときの対応こそが、「選ばれるメーカー」なのかどうかの分かれ目である。

メーカーにPDCAを再確認させ、再発を防止させることが重要。初動時の対応如何によって信頼を得られるということを、しっかり理解しておく必要がある。

わが国は地震という自然現象からゼッタイに逃れられない位置に国を構えているために古くから地震に悩まされ、尊い命を数多く落として今日に至っている。2011年に勃発した東日本大震災をきっかけとして以前にも増して災害への意識が高まり、対策も盛んに協議されるようになった。古の時代から「地震雷火事親父」と、怖いものの上位は天災で占めている。

しかし、実は地震よりも火山の噴火の方が後遺症としては甚大な被害を及ぼすのではないか、と思う。

御嶽山が噴火してから数ヶ月経つが、活火山がたくさんある我国に於いてはもっと大規模な噴火が起きてもおかしくはないのだ。

日本にある火山は、過去数千年というインターバルを経て活動を再開した火山もあるため、過去1万年間の噴火履歴で定義すべきとのことから、活火山の定義を「概ね過去1万年以内に噴火した火山及び現在活発な噴気活動のある火山」とし、今年大いに話題となった西之島などの海底火山も含め、東西南北の活火山数を総数110とした(気象庁ホームページより)。



これは、日本の土地面積は世界全体の0.25%であることに対し、火山数としては実に7%もあるということを意味している。


活火山の恐ろしさは、後遺症が極めて甚大であることだ。その影響によって生物の淘汰をもたらすことすらある。これは地球規模での災害であるが故、人類がそれを制御することは不可能だ。一方、人類と言う以前に日本としての懸念も大きい。

産総研のレポートによれば、巨大カルデラ噴火が九州で発生した場合、高温の火砕流が噴火から2時間以内に700万人の人口域を埋め尽くし、火山灰は偏西風にのって本州全体へと降灰、交通・ライフラインが麻痺するために、本州住民の救援活動はほぼ絶望的である」という。この様な巨大噴火は日本列島に限っても数万年の間隔で発生事例が認められる.噴火によって、噴出物が堆積した地域の動植物に甚大な影響を及ぼすのみならず、地球的規模での気候変動にまで影響が及ぶのだ。

最も懸念されることのひとつは、発電所への影響だろう。水力や風力のみではなく、太陽光発電もである。発電所が陥落すれば、経済どころか多くの人命も瀕死の状態となることは言うまでもない。

大量の降灰が起きれば、ダムに火山灰が堆積し発電用の水車への給水が著しく困難になる。風力発電の場合にはプロペラが故障し、太陽電池は降灰が雨で固まり、太陽電池パネル表面を覆いつくして発電が停止する。更に大量の火山灰によってインバータのフィルタが働かなくなる。火山灰は通常の塵埃と異なり、雨水で固化するのだ。

「万が一でも大丈夫」という主張は、先の原発であっという間に崩壊した。地震国、そして火山国に於いて万が一の安全は、皆無なのである。

【電力中央研究所が発行する調査報告書及びヒアリング結果 平成24年10月】
■湿った火山灰粒子が碍子に付着すると絶縁特性が低下し、漏れ電流が増加してせん絡(フラッシュオーバー)が発生し停電する。停電事例は、雨天時、霧中の噴火、積雪のある火山の噴火による降灰で発生している。

■降下火山灰による停電は、低圧の配電網では1~2kg/m2(比重1なら層厚1~2mm)の降灰量でも発生している。各事例では降灰と同時、または直後に雨が降るか、霧が発生し、停電に至った。

■碍子の形状や設置方法により火山灰の付着の仕方が異なる。高圧の送電設備は碍子の傘が大きく、火山灰が奥まで吹き込み難いので低圧の送電設備よりせん絡に至り難く、水平に設置された碍子など特定のものにせん絡が発生する。

■我が国の火力発電所のガスタービンは、かつては、野外に露出していたが、現在では室内に設置しフィルターを装着している。そのため、フィルターが目詰まりするまでは、使用可能。ただし、降灰が大量かつ長期継続した場合には、フィルター交換、洗浄等のため停止せざるを得ない可能性がある。

■水力発電は、河川に土石流のような粒子が粗いものが流れ込んだ場合、タービンの目詰まりを起こすことが知られているが、火山灰の場合は粒子が細かいためほとんど影響が無い模様で、事例を聞いたことはない。


この様に、危惧する一方で楽観的に見ているきらいもあるのだが、降灰が大量である場合については述べられていない。大量に降灰した場合でも問題ないとは言い切れないのだ。

発電に限ったことではない。河川への降灰による上下水道への影響や、交通機関、特に鉄道や道路への影響は甚大であり、即ち大都市は活動が麻痺するということを意味する。

これに対する対応はどうあるべきか。残念ながら妙案はない。しかし、巨大隕石が衝突する確率よりずっと高いということは理解しておく必要があろう。

人間とはすこぶる勝手なイキモノで、人間の価値観で自然を差別する。まぁ、今に始まったことではないのだが。

例えば有機物を細菌などの微生物が分解する場合に、

人間に害があればそれを腐敗といい、益をもたらすのであれば発酵と称す。

この分解に伴って発生するガスへの評価も同様で、悪臭と言う言い方も人類基準で考えた場合の、ガスに対する勝手な判定だ。ただし、よくしたもので押しなべて人類にとって有害なガスは大体汚臭として判別される(趣味嗜好は別として)。これは人類が嫌う様に予め本能という、いわばプリインストールされた遺伝的な記憶としてストアされているからなのだろう。

植物には炭酸同化作用(いわゆる光合成)と呼吸作用という二つの方法で、それぞれ酸素と二酸化炭素を排出していることはよく知られている。そのことと、以前、下水に関してここで述べた好気性生物、即ち増殖に酸素を必要とする生物と、嫌気性生物という酸素を必要としない生物との関係を植物の活動に当てはめてみて、すこし面白いことに気付いた。

ボルネオで撮影したジャングル

我々人類もそうだが、押しなべて大半の動物たちは、殆どが好気性だ。逆に嫌気性である生物は、その殆どが細菌である。嫌気性細菌には酸素があるとまったく生育できない偏性嫌気性菌と、酸素の有無にかかわらず生育可能な通性嫌気性菌があるそうだが、嫌気性細菌によっては高等生物に対して極めて危険な毒素を産生するものや、有機物をメチルメフカプタン、アンモニア、硫化水素といった有毒気体へ分解するものなどがいる。

因みに水は滞留すると、次第に酸素がなくなって嫌気性の微生物が繁殖し(嫌気性状態)、その状態で有機物の分解が始まると、嫌気性微生物によって生成されるガス(メチルメフカプタン、アンモニア、硫化水素)が腐敗臭などのいわゆる汚臭、悪臭の元となる。

この様に、細菌類や動物は好気性と嫌気性に大別されるのだが、一方、植物はどうかというと、乱暴な言い方をすれば炭酸同化と呼吸という両面性を持つ。つまり好気性でもあり嫌気性でもあるのだ。

ここで、相反作用をもたらす直接の原因である昼と夜の時間差について考察する。

実際に計算してみる。

昼の時間=Σ|日の出時刻-日の入り時刻|

国立天文台、天文情報センターに、東京地方の1月1日から12月31日までの日の出日の入り時刻が掲載されているから、それを用いてみよう。

(2013年)
一年計:         525,600分
昼時間計:      266,955分(4449時間15分)
夜時間計:      258,645分(4310時間45分)
差:                8,310分(138時間30分)
昼の割合:      50.79%


因みに赤道上だと4437.664時間、つまり12時間07分であり、わずかだが昼の時間の方が長い。また北緯、南緯とも緯度が高まるほど昼の時間は長くなる。

この様な年間を通じた昼と夜の合計時間差は、日の出と日の入りに関する定義によって生じる。即ち、日の出・日の入は、地平線から太陽が出た時と消えた時としてと定義されているので、太陽が浮き沈みする際に地平線に対する直径分の距離移動(天動説的な表現だが)時間分だけ昼の方が長いことになる。

ただし、この計算結果としての差は日の出と日の入りに関する人間による定義に基づいているので、植物にとってその差は影響ないと思われるが、地平線近くに見える天体は、大気中を通過する光が屈折することによって地平線よりも浮き上がって見えるために昼が長くなると言う現象があるが、これは物理的に影響がありそうだ。

それと、もうひとつ考慮すべきは、多くの植物が晩秋から初春までは枯れていて両作用は停止しているということだ。ただし、アメリカ西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコ以南で見られる様な夏の乾季には枯れていて冬の雨季だけ育つ様な種もあるから一概には言えないかも知れないが、概ねの植物は太陽光を浴びている時間が長いほど酸素を排出しながら育っていると見て差し支えないと思われる。

これらを考慮し、東京地方での12月1日から2月末までの期間を植物の活動停止期間として差引き、再計算すると、

(2013年)
一年計:         396,000分
昼時間計:      211,695分(3528時間15分)
夜時間計:      184,305分(3071時間45分)
差:                27,390分(456時間30分)
昼の割合:      53.46%

これらの数字は幾つかの地域でサンプリングした地点でのデータなので、均等化するためには積分して相加平均を求めればよいだろう。

植物がどの瞬間に呼吸作用から炭酸同化作用へと変化するのかは分からないが、明るければ炭酸同化作用を行うということは、明るい時間が長いほど酸素の排出量は大きなものとなる。

上の数字に示されている様に、一年を通じて、植物が活動している期間中は「酸素を排出している時間の方が二酸化炭素を排出している時間よりも長い」ことになる。なぜか?その方が植物にとってよいからだ。本能として、自らを死滅させる活動はしないだろう。
そこで、小生は、

植物は酸素を排出することによって、己れ自身の腐敗を加速するような嫌気性微生物の活動を抑制しているのではないか、と思うのだ。


酸素も二酸化炭素もほぼ同量を大気中に排出する。これが全く同量であれば安定するが、安定状態に進化は表れない。進化、或いは淘汰は変化に追随することよってなし得る。だから排出についてて、自分のためになるようにほんの少しだけバランスを崩すような仕掛けがある。

安定すべくバランスを取ろうとして常に動く。その動きは、経済のバランスにも似ている気がした。


戦争という異常状態にあると、道徳倫理観は
良し悪しを超え、音も立てず崩壊していく。

近年、神奈川県川崎市の生田にある明治大学生田キャンパス内に、旧日本陸軍が極秘に秘密兵器の研究開発を行っていたという「登戸研究所」の資料館が設立された。

というか、その研究所跡地を明治大学が買い取って校舎を建てたという言い方の方が正しいらしい。因みに、同建物もこの研究所に於ける極秘プロジェクトの研究施設のひとつだったそうだ。この生田キャンパスというところ
は、同大学の理工学部(旧工学部)と農学部という理系学部が集まっているキャンパスでもある。

(設備内部は撮影禁止なので、外観のみ掲載します)

「ご自由にお入りください」と書いてある秘密研究所

この登戸研究所の建設理由は、表向き、
      1.特殊電波の研究
      2.特殊科学材料の研究


をするところだった。今日ぼの言葉で言えば、「国立ハイテク開発センター」。

しかしその実態は戦争下に於ける秘密戦のための研究、即ち細菌兵器を積んだ風船爆弾とか毒物謀略兵器、スパイ器材、怪力電波、殺人光線、人口雷、更には海外の経済を陥れるための大量偽札製造機とか、今日で言えばまさしくマッドサイエンスな、「良い子は絶対作っちゃいけない、ぶっ飛び兵器」の開発拠点だったという。

つまり極秘中の極秘研究開発拠点でもあったのだ。この研究結果、ひょっとすると表向きかもしれないが、殆どの兵器が完成することなく、つまり実戦に使用されることなく(されたとしても僅か)、終戦を迎え闇に埋もれてしまったとのことだが、例えうまくいかなくても、失敗は失敗としてその実験過程や結果については後世にとって極めて貴重な資料となる。

であるからか、殆どの資料は終戦直後に抹殺されたらしく、最近までその実態が判らなかったそうだ。

無理もない。秘密兵器を繰るのはスパイだからスパイ活動の内容が明るみに出ることはないのが定法だろう。しかもこれらの研究テーマは、それこそテロリストにとっても格好の材料となるのだから尚更でもある。

この資料館の裏には現存する幾つかの遺跡のひとつである草木にまみれた廃墟があり、小生もこの廃墟については記憶がある。

大学構内にある廃墟

最近になって、ここは弾薬庫であったことが判明したという


それがいったい何なのか誰も知らなかったし知るための情報は全くなかった。が、不気味な存在感だけはあった。その後、きんねんになって資料館の公開されたとともに、その建物が旧弾薬庫であったことも公開されたのだ。また、すでに取り壊された木造の建屋が、かつての偽札工場であったことも公開された。なけなしの資料からようやくそのことがわかってきたというのだが、それだけ隠匿されていたということなのだろう。その建物についても、鮮明な記憶がある。

戦争真っ只中に設立された秘密兵器の研究所なんて、極秘中の極秘だろうから残骸だけでも残存すること自体が奇跡といって過言ではない。

さて、この資料館には理系的興味を刺激するものと、道徳的倫理観とは何かを考えさせるという、二つのテーマがある。

戦争状態とは、自分が死ぬか相手が死ぬかの二者択一を迫られるのだから、敵に殺されないためには手段を選ばない。四の五の言う前に敵を殺すことが先決だ。タイミングを逸すれば問答無用に自分が殺される。そこにルールはない。常日頃、人間の尊厳とは何かなどと考えていても、戦争状態に入った途端に薄っぺらな倫理や道徳は消滅してしまう。戦争の恐ろしさはそこにある。

先に述べた細菌兵器搭載の風船爆弾について、資料館にあった説明によると、その目的は敵国人民を直接殺戮するものではなく、敵国の家畜である牛を死に至らしめる細菌散布が目的だったと書かれている。なるほど、人間を大量殺戮するものでないというのであれば、僅かながらも倫理観は持っていたのかとほっとする反面、本当にそうだったのだろうかという疑問も湧く。

我々理系人の中には、道徳倫理観が欠如している人がたまにいる。よく言えば、理系人とは好奇心が旺盛な人種であり、真理追求のためには食事睡眠を犠牲にしてでも没頭する人種でもあるが、研究成果が人類に対して道徳倫理的に貢献するかどうかまではあまり考えない人もいることも事実だろう。そこに理系人の持つ危険性が潜んでいる。

E=mc^2は、無尽蔵ともいえるエネルギーを生成する「優等生」の代名詞であるが、いったん事故を起こせば、その優等生がいとも簡単に「ならず者」に変身することは、先に勃発した原発事故で痛いほど経験している。しかし、全米ライフル協会のスローガンである「銃は人を殺さない」という言葉に代表されるが如く、科学者たちの研究成果は誰がどう使うかによって「ジキル」は突如として「ハイド」へと豹変する。

人類に役に立つと信じて研究開発したとしても、本当にそうなのかどうかを科学者間だけで論じてはいけないのである。最近の例でいえばクローンの製造なども同様だろう。それを作れるかどうかではなく、要は「作ってはいけないもの」もあるのだ。

考えてみれば小生等が子供の頃のSF漫画や科学モノ番組、そこに描かれている一部である「とんでも科学」は、子供たちにとってまさに「垂涎の科学」だった。一例を挙げても「反陽子爆弾」「超能力ミュータント」。そんな魅力的な科学の世界が国家予算で研究できるとすれば、理系人にとっては天国だったと思う。

ただ、この研究所の研究目的は、当初から殺戮を目的であると言う点がSFとは大きく異なる。そこに正義は存在しないのだ。それでも研究を進めなくてはならない。それが戦争の悲劇なのだろう。小生はこれらの研究をしていた技術者や科学者たちも、戦争の犠牲者だったと考える。

当該資料館に行く前、小生が最も興味があったのは、仕事がら怪力光線、人口雷、強力電磁波発生装置といったエレクトロニクス兵器だった。これらは恐らく強力なレーザーやミリ波、マイクロ波を用いる兵器なのだろうと考えていたのだが、当地にある説明によると、それらは「成果に乏しく実戦で使用できるレベルではなかった」とあった。

これらに就いて少し考察してみる。

■ く号兵器: 
強力な超短波で人体を攻撃する兵器。数メートル先の小動物での実験は成功したものの、それ以上は実用化できず。

■ ち号兵器:レーダー 
米英よりも波長が短すぎて性能出ず。解説によると、波長が短く実用化できなかったという。ということはマイクロ波ではなくミリ波を用いたのだろうか?ミリ波の方が被写体のサイズを絞り込み易いので、微細な分析は可能となる。しかし、大気中の酸素分子や水蒸気による減衰が生じる。その様なことから、十分な距離が出せなかったのかもしれない。

■ ね号兵器:
標的が発する赤外線を捉えてそちらに向けて銃弾をぶち込む射撃管制装置。実用化できず。

■ い号兵器:
トーチカや鉄条網の破壊を目的とする小型無人戦車。試作までで実用化できず。

ち号とい号はメカ兵器、く号とち号は電波兵器なので、小生の範疇であるく号とち号について私見を述べる。
く号兵器「く」とは、「くゎいりき」、つまり怪力のことを示す。怪力光線と呼んだそうだ。

資料によると、「強力な超短波で人体を攻撃する兵器」とある。この超短波とは、マイクロ波のことだろう。つまりパラボラアンテナを用いてマイクロ波のビームフォーミングを行い、強力な電磁波を相手に照射するという、現代の電子レンジを銃化したものと推定できる。

レーザーについては、アインシュタインが光電効果による誘導放射について理論をまとめたのが最初と言われているが、誘導放射が実験で成功したのは戦後のことだ。従って、登戸研究所はこのレーザーの実用化に逸早く取り組んでいたのだろう。レーザーは通常の電磁波と異なり、位相が揃っているので原理的にはビームの減衰がない。従って遠距離にある対象物へ莫大なエネルギーを照射することが可能だ。

つまり今日のレーザー加工機に搭載されている様な強力レーザー光を敵に浴びせることが出来れば、極めて強力な兵器となる。だが、まだレーザーは実用化されていなかったし、されたとしても極めて効率は悪かっただろうから電源電力は莫大なものを必要とするだろう。そこで挫折したのだと考えられる。

一方、レーザーではなく、マイクロ波による電磁波照射の研究だったと云う可能性もある。しかし、マイクロ波の場合は指向性があるとは言え、ビームの絞込みが簡単ではないから、ビームをピンポイント化するのが困難だ。またサイドローブが出るから操作する人や近くにいる人が電磁波照射を浴びることもありうるだろう。発振器としてのマグネトロンは既に開発されていたから、電磁波そのものの生成は出来たと思うが、効率は良くなかったと思われるので、強力な電磁波を照射するための供給電力としては莫大な電力を必要としたことだろう。実用化するためには、兵器の近傍に巨大な発電所を建設することが必要という結論になったのかもしれない。

この様に、これらのマッドサイエンスな兵器は実用化が出来ず、「すべて」ボツとなったという。

しかし、例えこれらが兵器にならなかったとしても、その間の実験データ等は学術的に見て貴重なデータとなる。さらに言えば、そのデータを基にして現在の高効率な電力生成技術を駆使すれば、もっと小規模に兵器を製造することができるかもしれない。これらの情報は、きわめて危険な情報にもなるのだ。

毒物関係については小生の専門外なので良くは分からないが、占領下にあった諸外国から毒蛇や毒虫を大量に輸入したとあるから、なんらかの研究成果や製造方法の確立は進んだものと想像できる。

こういった資料は十分な管理下の元に保管されるべきだろう。もしもテロリストの手に渡ると、とんでもないことになる。先に述べた電波兵器などは、現代の方がより技術が進んでいるので当時の資料が直接的に役に立つとは思えないが、毒物や細菌兵器等は実験データの積み重ねが重要となるので役に立つ。だから管理が必要なのだが、道徳倫理的に鑑みれば、実はこういう研究は管理以前に「してはいけない研究」なのだ。

倫理観と云って思い出されるのが、男女の産み分けであるとかクローンの作成などの議論等だが、武装解除以上の効力をもつ大量殺戮兵器の製造使用に至っては、
不可逆的に地上全ての生命体の破滅を引き起こす可能性を持つが故、道徳倫理以前の問題として「作ってはいけない兵器」なのだ。

無料で配布されている、秀逸なガイドブック

先の原発事故が発生した時、原子力技術関連の識者が「これは未曾有のケーススタディとして興味深い」とか、果ては「面白い」とテレビで語って問題となったことがあったが、科学を志すということは、「仮説を立てて実験を行い、実証検証を経て真理を理解することである」という原理原則から言えば、理系人的にはそういう気持ちを持つことを理解できないわけではない。医学や薬学にしても、人の体やそれに対する薬物の効果について、人体実験を通じて初めて実証できると考えてもおかしく無い。しかし、それは追求してはいけない真理なのだ。

「理性を以ってその探求心を捨てること」ができなければ、真の科学者ではないだろう。

高濃度の放射線を浴びたらどうなるか、それを自分の体を使って確かめる人はいないだろう。じゃ、自分の体を使わなければいい、そういう考えをする人がいるとすれば、それは人間じゃない。

しかし何が問題なのかというと、戦争状態に於いては人民が正常性バイアス状態にあるが故、「やってはいけない、作ってはいけない」という意識が抹消されてしまうことにある。
東京都小平市に「ふれあい下水道館」という施設がある。「下水と触れ合う」というネーミングは相当にステキすぎるのだが、実はここ、「下水道管に素で入れる」という日本で唯一の博物館なのだ。


我々人類が日々生活する上で下水の完備や整備、その完全なる稼動は衛生面から考えて最も大切な設備のひとつなのだが、その機能や実際のネットワークなど、実のところ殆ど知られていないのが実態だろう。

それはもちろん、興味ない人が圧倒的に多いことや、「臭いものには蓋をする」といった考え、或いは衛生上の問題から人々を遠ざけさせているということもあるとは思うが、意外な盲点として、その存在や機能などが殆どアピールされていないということに原因がある気もするのだ。その意味、この施設の様な積極的な公開は、大変好ましいことだと思う。

この施設は、地上2階、地下5階立て構造となっていて、1階から地下4階までが下水に関する歴史や仕組みなどが陳列されている資料室となっているが、なんといってもここのウリは地下5階にある下水道管への潜入だ。昼の12時から13時の間を除く開館時間帯であれば、扉が開かれているのでそのまま「桃源郷」へ入ることが出来る。

扉の向こうへ行く前に、勿体ぶってこの下水道について記しておこう。


この下水道は、その名称を「小川幹線」と言い、昭和54年-56年に竣工された、家庭からの風呂や台所、トイレ等の生活排水や工場排水と雨水の合流式下水道幹線である。従って雨の日には水位が高くなるので、大雨の時には見学は出来ないと言う。

この小川幹線は、付近から約9km先にある多摩川近くの北多摩処理場で浄化された後に多摩川に放水される。逆に言うと、この施設は文字通り「垂れ流された下水そのもの」を見学させるという、極めてエキサイティングな体験をさせてくれる教育場なのだ。
下水管の直径は4.5m、流量としては47.7m^3/sec(2,863m^3/m)を誇り、幹線という名前に相応しい堂々とした体格を持つ。管内は気温18-20℃で、湿度100%。つまり中は雨模様の小春日和な気候というところか。勾配は1.3パーミル(0.13%)、つまり1m毎に1.3mmの勾配を持っており、下水はその中を緩やかに流れるということになる。

都内には、いくつかの幹線があり、いずれも重要な役割を担っている。小川幹線はそのうちのひとつで、西東京エリアの下水を担う幹線である。

そういう予備知識を持って、いよいよ土管の中へ潜入するとしよう。


先に述べた様に、大雨の際には土管が満水になるほどの下水が流れるので扉は極めて頑丈なつくりとなっており、処々にセンサーやWebカメラが装備されている。ただし、下水は様々なイオンを含んでいるため、電気系統の絶縁性については少し疑問を持った。

さて、その扉の向こうへ行く。

むっとする湿気、確かに100%だ。この感覚は鍾乳洞探検でさんざん体験済みなので、懐かしい感じすらする。がしかし、違うのは気温だ。なんというか、超低温サウナの様なのだ。だが、もっと異なるのは、やはり匂いだろう。これはある意味当たり前なのだが、驚くべきは「期待値を裏切る」という軽度な匂いなのだ。


一般家庭から排水される、つまりトイレやキッチン、風呂から排出される排水の中でダントツに存在感を出すのはトイレで流れるウンコだから、フツーに考えて下水はウンコ臭いはず。

しかし、真の下水は、ウンコ臭くないのだ。


これは大変ショックだった。

答えは、拡散にあった。つまり、ウンコの量と水の量とのバランスだ。確かにウンコは水に溶けて(溶解という意味ではなく、拡散して茶濁する)、薄まるために匂いも分散される。

しかし、それ以上の理由があった。

それは、水中の微生物の活動にあるのだ。

菌類を含む微生物には、好気性と嫌気性の二つの種類がある。好気性とは酸素を好む種、嫌気性は酸素を嫌う種だ。好気性の微生物は、酸素を取り込むことによって嫌気性生物の活動を阻止する。この嫌気性の生物こそが汚臭の根源なのだ。

メタン細菌・硫酸塩還元細菌などの嫌気性微生物が作り出す硫化水素やメタン(ちなみにメタンガスは無臭)が汚臭となる。メタンガスが臭いという定説は間違いで、メタンが発生するときに硫化水素の様な汚臭を伴う物質が同時に発生するためにメタンが臭いと言われるだけのことだ。その他、嫌気性微生物(細菌)としてよく知られているのは、乳酸菌や大腸菌だろう。

整理しよう。

下水は、汚臭を発生させる嫌気性微生物の活動を抑える好気性微生物を活性化させるべく、酸素が送り込まれるために、汚臭が少ない。先に述べた1.3パーミルの勾配は、常に水を動かくことによって酸素を取り入れる様に設計されているということなのだ。
そういえば、汚臭は汚水が滞留しているところで発生している。どぶ川にしてもそうだ。

かつて小生は神田川が生成する汚臭で難儀した覚えがある。万世橋から秋葉原駅まで漂うその「香り」だ。当時、そう、高校生だった頃、地学部の合宿として岩手に行く切符を買うために秋葉原駅で徹夜したときに、神田川から送られてくる「アレ」に目がしょぼついたくらい。確かに当時の神田川は流れは殆ど見えず、滞留していた記憶がある。

人間は、酸素で生きている。故に好気性だ。だからそこから好気性微生物から発生する臭いに対しては不快を感じない。しかし、嫌気性が排出する気体に対しては嫌悪感を感じる。つまり、臭いと思うのは人間の勝手なのだ。
なるほどと思った。

一方、それら好気性微生物は簡単なことで死滅する。それは薬や油だ。薬はともかく、

我々が生活排水として捨てている油で彼らは意図も簡単に死んでしまう。

となると残るのは嫌気性微生物。。。

人間の都合だけで良し悪しを決めるということは、自然の秩序を破壊しているのかもしれない。

尚、現在ビッグサイトで開催されているエコプロダクツ2014展示会に、次のような展示があった。こういう訴求は今後も続けていくべきと思う。