登戸研究所   - 科学と道徳倫理 | プロムナード

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戦争という異常状態にあると、道徳倫理観は
良し悪しを超え、音も立てず崩壊していく。

近年、神奈川県川崎市の生田にある明治大学生田キャンパス内に、旧日本陸軍が極秘に秘密兵器の研究開発を行っていたという「登戸研究所」の資料館が設立された。

というか、その研究所跡地を明治大学が買い取って校舎を建てたという言い方の方が正しいらしい。因みに、同建物もこの研究所に於ける極秘プロジェクトの研究施設のひとつだったそうだ。この生田キャンパスというところ
は、同大学の理工学部(旧工学部)と農学部という理系学部が集まっているキャンパスでもある。

(設備内部は撮影禁止なので、外観のみ掲載します)

「ご自由にお入りください」と書いてある秘密研究所

この登戸研究所の建設理由は、表向き、
      1.特殊電波の研究
      2.特殊科学材料の研究


をするところだった。今日ぼの言葉で言えば、「国立ハイテク開発センター」。

しかしその実態は戦争下に於ける秘密戦のための研究、即ち細菌兵器を積んだ風船爆弾とか毒物謀略兵器、スパイ器材、怪力電波、殺人光線、人口雷、更には海外の経済を陥れるための大量偽札製造機とか、今日で言えばまさしくマッドサイエンスな、「良い子は絶対作っちゃいけない、ぶっ飛び兵器」の開発拠点だったという。

つまり極秘中の極秘研究開発拠点でもあったのだ。この研究結果、ひょっとすると表向きかもしれないが、殆どの兵器が完成することなく、つまり実戦に使用されることなく(されたとしても僅か)、終戦を迎え闇に埋もれてしまったとのことだが、例えうまくいかなくても、失敗は失敗としてその実験過程や結果については後世にとって極めて貴重な資料となる。

であるからか、殆どの資料は終戦直後に抹殺されたらしく、最近までその実態が判らなかったそうだ。

無理もない。秘密兵器を繰るのはスパイだからスパイ活動の内容が明るみに出ることはないのが定法だろう。しかもこれらの研究テーマは、それこそテロリストにとっても格好の材料となるのだから尚更でもある。

この資料館の裏には現存する幾つかの遺跡のひとつである草木にまみれた廃墟があり、小生もこの廃墟については記憶がある。

大学構内にある廃墟

最近になって、ここは弾薬庫であったことが判明したという


それがいったい何なのか誰も知らなかったし知るための情報は全くなかった。が、不気味な存在感だけはあった。その後、きんねんになって資料館の公開されたとともに、その建物が旧弾薬庫であったことも公開されたのだ。また、すでに取り壊された木造の建屋が、かつての偽札工場であったことも公開された。なけなしの資料からようやくそのことがわかってきたというのだが、それだけ隠匿されていたということなのだろう。その建物についても、鮮明な記憶がある。

戦争真っ只中に設立された秘密兵器の研究所なんて、極秘中の極秘だろうから残骸だけでも残存すること自体が奇跡といって過言ではない。

さて、この資料館には理系的興味を刺激するものと、道徳的倫理観とは何かを考えさせるという、二つのテーマがある。

戦争状態とは、自分が死ぬか相手が死ぬかの二者択一を迫られるのだから、敵に殺されないためには手段を選ばない。四の五の言う前に敵を殺すことが先決だ。タイミングを逸すれば問答無用に自分が殺される。そこにルールはない。常日頃、人間の尊厳とは何かなどと考えていても、戦争状態に入った途端に薄っぺらな倫理や道徳は消滅してしまう。戦争の恐ろしさはそこにある。

先に述べた細菌兵器搭載の風船爆弾について、資料館にあった説明によると、その目的は敵国人民を直接殺戮するものではなく、敵国の家畜である牛を死に至らしめる細菌散布が目的だったと書かれている。なるほど、人間を大量殺戮するものでないというのであれば、僅かながらも倫理観は持っていたのかとほっとする反面、本当にそうだったのだろうかという疑問も湧く。

我々理系人の中には、道徳倫理観が欠如している人がたまにいる。よく言えば、理系人とは好奇心が旺盛な人種であり、真理追求のためには食事睡眠を犠牲にしてでも没頭する人種でもあるが、研究成果が人類に対して道徳倫理的に貢献するかどうかまではあまり考えない人もいることも事実だろう。そこに理系人の持つ危険性が潜んでいる。

E=mc^2は、無尽蔵ともいえるエネルギーを生成する「優等生」の代名詞であるが、いったん事故を起こせば、その優等生がいとも簡単に「ならず者」に変身することは、先に勃発した原発事故で痛いほど経験している。しかし、全米ライフル協会のスローガンである「銃は人を殺さない」という言葉に代表されるが如く、科学者たちの研究成果は誰がどう使うかによって「ジキル」は突如として「ハイド」へと豹変する。

人類に役に立つと信じて研究開発したとしても、本当にそうなのかどうかを科学者間だけで論じてはいけないのである。最近の例でいえばクローンの製造なども同様だろう。それを作れるかどうかではなく、要は「作ってはいけないもの」もあるのだ。

考えてみれば小生等が子供の頃のSF漫画や科学モノ番組、そこに描かれている一部である「とんでも科学」は、子供たちにとってまさに「垂涎の科学」だった。一例を挙げても「反陽子爆弾」「超能力ミュータント」。そんな魅力的な科学の世界が国家予算で研究できるとすれば、理系人にとっては天国だったと思う。

ただ、この研究所の研究目的は、当初から殺戮を目的であると言う点がSFとは大きく異なる。そこに正義は存在しないのだ。それでも研究を進めなくてはならない。それが戦争の悲劇なのだろう。小生はこれらの研究をしていた技術者や科学者たちも、戦争の犠牲者だったと考える。

当該資料館に行く前、小生が最も興味があったのは、仕事がら怪力光線、人口雷、強力電磁波発生装置といったエレクトロニクス兵器だった。これらは恐らく強力なレーザーやミリ波、マイクロ波を用いる兵器なのだろうと考えていたのだが、当地にある説明によると、それらは「成果に乏しく実戦で使用できるレベルではなかった」とあった。

これらに就いて少し考察してみる。

■ く号兵器: 
強力な超短波で人体を攻撃する兵器。数メートル先の小動物での実験は成功したものの、それ以上は実用化できず。

■ ち号兵器:レーダー 
米英よりも波長が短すぎて性能出ず。解説によると、波長が短く実用化できなかったという。ということはマイクロ波ではなくミリ波を用いたのだろうか?ミリ波の方が被写体のサイズを絞り込み易いので、微細な分析は可能となる。しかし、大気中の酸素分子や水蒸気による減衰が生じる。その様なことから、十分な距離が出せなかったのかもしれない。

■ ね号兵器:
標的が発する赤外線を捉えてそちらに向けて銃弾をぶち込む射撃管制装置。実用化できず。

■ い号兵器:
トーチカや鉄条網の破壊を目的とする小型無人戦車。試作までで実用化できず。

ち号とい号はメカ兵器、く号とち号は電波兵器なので、小生の範疇であるく号とち号について私見を述べる。
く号兵器「く」とは、「くゎいりき」、つまり怪力のことを示す。怪力光線と呼んだそうだ。

資料によると、「強力な超短波で人体を攻撃する兵器」とある。この超短波とは、マイクロ波のことだろう。つまりパラボラアンテナを用いてマイクロ波のビームフォーミングを行い、強力な電磁波を相手に照射するという、現代の電子レンジを銃化したものと推定できる。

レーザーについては、アインシュタインが光電効果による誘導放射について理論をまとめたのが最初と言われているが、誘導放射が実験で成功したのは戦後のことだ。従って、登戸研究所はこのレーザーの実用化に逸早く取り組んでいたのだろう。レーザーは通常の電磁波と異なり、位相が揃っているので原理的にはビームの減衰がない。従って遠距離にある対象物へ莫大なエネルギーを照射することが可能だ。

つまり今日のレーザー加工機に搭載されている様な強力レーザー光を敵に浴びせることが出来れば、極めて強力な兵器となる。だが、まだレーザーは実用化されていなかったし、されたとしても極めて効率は悪かっただろうから電源電力は莫大なものを必要とするだろう。そこで挫折したのだと考えられる。

一方、レーザーではなく、マイクロ波による電磁波照射の研究だったと云う可能性もある。しかし、マイクロ波の場合は指向性があるとは言え、ビームの絞込みが簡単ではないから、ビームをピンポイント化するのが困難だ。またサイドローブが出るから操作する人や近くにいる人が電磁波照射を浴びることもありうるだろう。発振器としてのマグネトロンは既に開発されていたから、電磁波そのものの生成は出来たと思うが、効率は良くなかったと思われるので、強力な電磁波を照射するための供給電力としては莫大な電力を必要としたことだろう。実用化するためには、兵器の近傍に巨大な発電所を建設することが必要という結論になったのかもしれない。

この様に、これらのマッドサイエンスな兵器は実用化が出来ず、「すべて」ボツとなったという。

しかし、例えこれらが兵器にならなかったとしても、その間の実験データ等は学術的に見て貴重なデータとなる。さらに言えば、そのデータを基にして現在の高効率な電力生成技術を駆使すれば、もっと小規模に兵器を製造することができるかもしれない。これらの情報は、きわめて危険な情報にもなるのだ。

毒物関係については小生の専門外なので良くは分からないが、占領下にあった諸外国から毒蛇や毒虫を大量に輸入したとあるから、なんらかの研究成果や製造方法の確立は進んだものと想像できる。

こういった資料は十分な管理下の元に保管されるべきだろう。もしもテロリストの手に渡ると、とんでもないことになる。先に述べた電波兵器などは、現代の方がより技術が進んでいるので当時の資料が直接的に役に立つとは思えないが、毒物や細菌兵器等は実験データの積み重ねが重要となるので役に立つ。だから管理が必要なのだが、道徳倫理的に鑑みれば、実はこういう研究は管理以前に「してはいけない研究」なのだ。

倫理観と云って思い出されるのが、男女の産み分けであるとかクローンの作成などの議論等だが、武装解除以上の効力をもつ大量殺戮兵器の製造使用に至っては、
不可逆的に地上全ての生命体の破滅を引き起こす可能性を持つが故、道徳倫理以前の問題として「作ってはいけない兵器」なのだ。

無料で配布されている、秀逸なガイドブック

先の原発事故が発生した時、原子力技術関連の識者が「これは未曾有のケーススタディとして興味深い」とか、果ては「面白い」とテレビで語って問題となったことがあったが、科学を志すということは、「仮説を立てて実験を行い、実証検証を経て真理を理解することである」という原理原則から言えば、理系人的にはそういう気持ちを持つことを理解できないわけではない。医学や薬学にしても、人の体やそれに対する薬物の効果について、人体実験を通じて初めて実証できると考えてもおかしく無い。しかし、それは追求してはいけない真理なのだ。

「理性を以ってその探求心を捨てること」ができなければ、真の科学者ではないだろう。

高濃度の放射線を浴びたらどうなるか、それを自分の体を使って確かめる人はいないだろう。じゃ、自分の体を使わなければいい、そういう考えをする人がいるとすれば、それは人間じゃない。

しかし何が問題なのかというと、戦争状態に於いては人民が正常性バイアス状態にあるが故、「やってはいけない、作ってはいけない」という意識が抹消されてしまうことにある。