(152)滋賀県野洲市 大岩山古墳群
甲山(かぶとやま)古墳
(円墳・阿蘇凝灰岩製石棺)
大岩山丘陵から平野部にかけては、AC250~500年代までに首長墓が連続して築かれました。特に石室が素晴らしい円山古墳(円墳)・甲山古墳(円墳)と前方後円墳である天王山古墳は近江の後期古墳を代表するもので、これら含め現存する6基の古墳を大岩山古墳群と命名し、桜生(さくらはざま)史跡公園として整備されました。
◎甲山(かぶとやま)古墳(円墳)
円墳で直径30m・高さ10m
墳丘表面の葺石や埴輪はなかったようだ。
7.5mの下り羨道を経て、玄室は右片袖式の長さ6.8m・幅2.8m・高さ3.3m
床には玉石が敷きつめられている。
石棺は長さ2.6m・幅1.6m・高さ2mの熊本県阿蘇凝灰岩製で、刳抜式家型石棺。
前回ご紹介した円山古墳の石棺も熊本県産阿蘇凝灰岩であったから、重い巨石をわざわざ熊本から滋賀の野洲まで運び入れた関係性や特別な理由があったようだ。
この阿蘇溶結凝灰岩は石切場の名前である馬門石または阿蘇ピンク石といわれ、約9万年前の阿蘇山噴火の火砕流(Aso4)でできた。この馬門石は熊本県宇土半島産出でありながら、5世紀中頃から6世紀前半まで九州で使用されているのは地元のみで、中国・近畿地方の有力者の石棺に限られていることから、ヤマト王権がこの石切り場を独占し、石棺に利用していたと考えられている。
出土物は、装身具(金糸・銀製くちなし玉、空石、碧玉製切子玉、ガラス玉)、鉄製武具(甲冑・大刀、矛、鏃、刀子)、馬具(金銅製鏡板付き轡・金銅製透彫入雲久珠・馬鎧)
築造時期はAC500~550年ごろ(6世紀前半)